リーダーの出くわす不都合 キャサリン・ブラウン 7月20日

リーダーの出くわす不都合

キャサリン・ブラウン



人生は常に山あり谷ありだと言いますが、クリスチャンも人生の嵐から逃れることはできません。嵐の中でこそ、私たちはキリストの真実により頼むことを更に学ぶことができます。また嵐は、リーダーであることが「都合のよい楽なこと」であることはめったにないことを、もう一度教えてくれます。

私のリーダーとしての経験から学んだことは、リーダーであることは決してリボン飾りのついた素敵なプレゼントをもらうようなものではないことです。それは祝福された特権であると共に、しばしば非常な苦痛を与えるものです。喜びと共に悲しみの旅でもあります。往々にして孤独です。それは日常の生活から神との邂逅という未知の世界へと人を連れて行き、へりくだって神により頼みイエスの衣のふさにすがるという経験をさせます。
それは心もからだも感情も、そして霊的にも非常に過酷な任務です。しばしば、それはキリストとの深い交わりの場所に私たちを連れていき、神の弟子として訓練を受け続けることになります。それは自分に関しても、また人々をキリストと歩む改革的な信仰生活へと導くことにおいてもそうなのです。リーダーになるという恵みによって人々に仕えるのは慎ましい特権ですが、リーダーであることがいつも都合がよいとは私は決して言わないでしょう。

地域の外

私の家族に最近起こったことの 証しをさせてください。みなさんにとって励ましとなることを願いますが、それと共に聖書の真理に当てはまる比喩として役立つのではないかと思います。

子供たちをみんな学校に送りだしてから、私はミニストリーの合間にやっと時間をとって予約をしていた 美容院に出かけました。長い間美容院に行っていなかったので、髪をカットし染めてもらうのを楽しみにしていました。どういうわけか私の美容院は携帯電話の電波が届かないところにあり、そのお陰で二ヶ月に一度のこの時間は、いつもは誰にも邪魔されずに静かにゆっくりできる休息のオアシスなのですが、今回はちょっと違いました。

私が変な格好になったとき( 洋服を汚さないための黒いケープをつけ、髪には紫の漂白剤をべたべたつけられたとき)義姉が突然走り込んできて「ダニエルが学校から家に帰るようにいわれたの。今すぐ帰ってきて!」と叫びました。(ダニエルは私の二番目の息子です。)私があと30分は動けないと言うと、彼女は私の義母にダニエルを迎えに行ってもらうとぶつぶつ言いながら出ていきました。なにせ私の髪はその時化学物質で覆われていて、そのまま長く放っておけば髪が溶けてしまうかもしれなかったのですから!

ダニエルは2時間前に学校に行ったのですが、その時には 彼の身体に問題があるようには全然見えませんでしたので、一体何が起こったのか私には見当もつきませんでした。私は美容師に大丈夫だと安心させてから、静かに息子ダニエルのために祈り始めたのですが、その時は彼の病気がどれほど重大な状態になっていたかを知りませんでした。

しばらくすると、義母が真っ青な顔をして震えながら入ってきました。義母は 学校に車でダニエルを迎えにいったのですが、今、車の中にいるダニエルの手は麻痺し、しかも片目が見えなくなっていると言うのです。「私は椅子から飛び上がった」というのは非常に抑えた言い方です。最大の危機に取るべき行動、走るべき方向は、その嵐の目の中に走る込むことしかありません。ですから紫の髪と黒いケープのまま(このような時には他人がどう思うかは全くかまわないのです)美容院から飛び出してダニエルのところに飛んでいきました。彼は車の中で声を抑えて泣いていました。私はいとしい息子に手を置き、イエスの御名によって彼の目が癒され、頭痛が去り、右手の麻痺が癒されるようにと宣言しました。

神の力がすぐにダニエルの癒しに顕れはじめました。私はダニエルに髪の漂白剤を洗ったら直ぐに行くからと約束して、義母にダニエルをそこから直接医者に連れて行き、いきさつを話すようにと指示しました。私は夫に電話をして ダニエルと他の三人の子供たちのサポートが必要かもしれないから家に帰ってくるように頼みました。この出来事に私は衝撃を受けましたが、しかし心は落ち着いていました。それと同時にサタンに対する義憤が私のうちに涌き上がってきました。私は確固たる信仰をもって「サタン、主の御名によって命ずる、おまえが息子に触れることは絶対できない。」と声に出して宣言しました。

私は紫の漂白剤を洗い流してもらって、15分後には医者のところに着きました。驚いたことにダニエルが大変なことになるかもしれない状態であるにも拘わらず、彼はまだ医者に診てもらっていなかったのです。私は受付に行って礼儀正しく、いつダニエルが医者に診てもらえるかと尋ねました。受付の人はちょっと横柄な態度で、ダニエルが後どのくらい待たねばならないかわからないと答えました。この決まり文句のような返答は、その時の私のように緊急事態で思い詰めた親には満足できないものでした。私は一息ついてから受付の女性の目をじっと見て、低い決意を込めた声で「息子はいつ医者に診てもらえるんですか? 息子は突然原因不明の麻痺と目が見えなくなっているんです。」と言いました。すると彼女は医者を探しに行ってくれて、少ししてダニエルは医者に診てもらうことができました。

医者の診断では、ダニエルは重度の偏頭痛の発作に襲われているということでした。(彼にとっては初めてことでした)医者はむかつきを抑える薬を処方してくれて、家に帰って横になるようにと指示しました。もしまた発作が起こったならば、すぐ来るようにと言われました。私たちは家に 帰り、私は愛する16歳の息子をベッドに寝かせ、大丈夫だよと言ってもう一度彼のために祈りました。主人は会社に戻り、私は家族の人たちにダニエルはもう大丈夫だという電話をかける作業にかかりました。みなさんもご存知だと思いますが、悪いニュースは他のどんなニュースよりも家族に早く伝わるものです!私はいろいろと助けてくれたみんなに(美容師にも)お礼をいい、ダニエルはもう大丈夫で危機は過ぎたと知らせるのは大切だと思ったのです。

嵐の中にイエスと共にいる

さて、この髪の漂白剤にまつわる私の長ったらしい話が、リーダーの「 不都合 」と何か関係があるのでしょうか? 大ありなのです! まず、リーダーの介入を必要とする危機というものは、普通、とても都合の悪いときに起こることに気づかれていますか? 危機はあなたがまったく予期しないときに、最も不都合に起こります。私が携帯の電波が届かない場所にいたように、それは「 範囲の外」にリーダーがいる時に起こるのです。リーダーがいつもの環境、道具や手段、チームのメンバー等に手が届かない場所にいるときということです。困難な状況や不都合なタイミングの中で危機は起こるのです。

危機が起こったときは、油注がれたリーダーの強靭さと支えが必要です。このようなリーダーは神を信頼し、嵐の中でもキリストの強さによって立つことを求める人です。信頼できるリーダーとは、嵐の最中でもパニックに陥らないで、キリストの臨在の中に入る方法を知っており、 その事態に対する解決法を必ず与えて下さる神の真実さを信じて、祈りと大胆さをもって求め続けることができる人です。このようなリーダーは、恐れている人や痛みを感じている人たちを常に励まし安心させようとします。
リーダーとして私たちは、いつ嵐が起こり、それが自分の愛する者たちにどのような影響を与えるかをいつも前もって知ることはできません。しかし、私たちは神の力強さ、神の救いの力、人生のすべての危機に対する神の解決の故に、神により頼むことができるのです。信仰の祈りも又、人生の嵐の中でリーダーがするべき(そしてすべてのクリスチャンの)重要なことです。

イエスが示した模範

「そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、 『さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。』と言われた。それで弟子たちは舟を出した。 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹き下ろして来たので、弟子たちは水をかぶって 危険になった。そこで、彼らは近寄っていって『先生、先生。私たちは溺れて死にそうです!』と言った。

イエスは起き上がって、風と荒波をしかりつけられた。すると風も波もおさまり、なぎになった。イエスは彼らに『あなたがたの信仰はどこにあるのです。』と言われた。

弟子たちは驚き恐れて互いに言った。『風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。』」(ルカ8:22−25、又、マタイ8:23−27、マルコ6:47−52、ヨハネ6:16−21も参照してください。)

四つの福音書はすべて突然の嵐の中でキリストが眠っておられた事を記述しています。それぞれに人生の嵐の中で神が信頼に足る方であるといういくつかの真理を明らかにに示しています。ルカは突然起こった嵐の大きさを詳しく書き、弟子たちが小舟の上で大波をかぶって命を失うかもしれないという「非常に危険な状態」であったことを知らせています。

イエスはそれまでの過密なミニストリーで疲れきり、舟の上でぐっすり眠っておられました。口の中がカラカラ、身体は痛い、けれども心は主の素晴らしい愛で満たされて、何時間もミニストリーを続けた経験をあなたはお持ちでしょうか? 私にはそのような経験があり、その働きが終った後にはどのような眠りに落ちるのかをよく知っています。本当に深い眠りです。主はそのような深い安息をとっておられ、それは主にとって必要な「休息」の時間だったのです。
その時に激しい嵐が起こり弟子たちは震え上がりました。恐怖に怯えて、弟子たちは主ならどうすればよいかご存知だろうと期待して主を起こしました。危機が起こり、 自分たちは大丈夫だということを知る必要が弟子たちにはあったのです。主はご自分の必要を横において、今起こっている 問題に焦点を当てられました。

ルカは予期せぬ嵐の激しい攻撃の最中においてこそ必要な信仰をイエスの例を通して明らかにしています。

祈り「天の父よ、今イエスの御名により、すべてのクリスチャンのために、特に人々を助けたいと願っているリーダーたちのために、祈ります。彼らが面しているいかなる嵐に対しても、新しいレベルの信仰で応答するために、彼らがあなたの平安とあなたの力を知ることができますように。主よ、あなたのしもべたちに力を与え、彼らが聖なる大胆さで祈ることができ、あなたが彼らのためにあなたの力強い御手のわざを見ることができますように。厳しい状況の中で苦しんでいる人々を励まし、あなたの素晴らしい聖霊を彼らが置かれている状況の中に解き放ち、イエスの力強い御名において癒しと自由をもたらしてくださいますように。アーメン」(終わり)


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by walkwithgod | 2010-07-20 06:28 | アメリカからのメッセージ
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