百聞は一見にしかず      JP ジャクソン  5月25日

百聞は一見にしかず

<                                b>ジョン・ポール・ジャクソン 

アガサ・クリスティのミステリー小説よりも、神のほうがもっとミステリーに満ちておられます。どこでもいいですから聖書を開いてみてください。すぐにそれは小学一年生用の単純な読み物ではないことが分かるでしょう。神のミステリーは深く完璧に隠されているので、時にはアインシュタインの相対性原理のほうがまだ分かりやすいと思えるほどです。 神はどうしてそのようなお方なのでしょうか。

聖書は神のご性質を、言葉でそのまま言い表すことはしないので、聖書を読むときは、その行間を読まねば神はどうようなお方なのか、本当に何がそこで起こっているのかを把握することはできません。神からのメッセージは非常に深く、私たちがそれを理解するためには、十分に時間をかけて神との親密な関係を培っていかねばならないようにされているのです。ですから神はたとえ話で話されます。又、隠喩を使ったり、夢やヴィジョンやその他色々と変わった出来事の中で、私たちに語ってくださいます。それはちょっと見ただけでは何のことが分からないことがしばしばです。

クリスチャンにとっては、神との親密な関係なしには、何事にもひとかけらの価値もありません。聖書が「主は闇を隠れ家として、回りに置かれた。(詩篇18:11)」と言っている理由の一つはここにあります。主がご自分を隠されるのは、私たちが神を探し求めて見つけるためであり、それにはずいぶん時間を要し、主と親密になることに絶えず心を集中させていなければならないからです。

私たちが小説を書くときの大きな原則の一つは、「直接的に書かないで、描写する」ということです。もしあなたの小説の主人公が神経質な男であったとしたら、「彼は神経質であった。」とは書いてはいけないのです。もしそんな風に書いたら、あなたの小説は退屈で面白くなくなります。ですから、もっと詳細に描写しなければなりません。その主人公がどういう行動をとっているのかを描写して、主人公の姿が読者の心に浮かぶようにするのです。「絵」を使うのです。 千の言葉を使うよりも一つの絵を見せたほうが効果的であり、その絵を理解するには時間がかかり、そこに隠されている意味を真に悟るには、神と親密な関係を持ち続けなければならないからです。

聖書は神を示しています。神の姿を描き出しています。聖書に描かれている神の姿を理解するには、非常に長い時間主の御前で静まって瞑想することが要求されます。神の隠喩のいくつかは比較的単純でわかりやすいかもしれませんが、それが単純であれ複雑であれ、聖書の言葉が描き出す「絵」を理解するには、聖霊の助けがなければできません。

同じように、神の創造そのものが神を描きだしています

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざをつげ知らせます。石は叫び地は主の栄華をたたえています。これらはすべて神の姿であり、神の性格と特徴を示し、神のあなたに対する御思いを表す「絵」なのです。行間を読んでください。あなたの周りの世界が今までとは違って見えてくるに違いありません。

日常の生活の中に神を見出してください。試してみてください。そして神が何をあなたに言っておられるか見てください。ぜひ今週、一つの物―それは全く何でもいいのですーをよく観察し、それを通して神が何をあなたに語っておられるのかを聞いてみてください。きっと驚かれることと思います。あなたの前に全く新しい世界が開かれ、そこであなたは神と、今までは不可能と思っていた非常に深いレベルで、交わることができます。

神は日常生活の中で語られます。神はご自分の栄光を星の中に書かれますが、それと同時に、あなたの机の上のノートにも書かれる方です。神はびっくりするようにすごい預言的邂逅の中で栄光を表わされますが、一方で、あなたの近所の人の一言の挨拶の中にも表わされます。
ですから、これからは目をしっかりと開いて、神を見つけてください。全世界は神の栄光を語り続けています。そして、神がどれほど驚くべき方であるかを真に理解するには、時間をかけて神との親密な関係を求め続けていくことが不可欠なのです。(終わり)

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by walkwithgod | 2006-05-25 12:12 | アメリカからのメッセージ
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