トランスフォーメーションとリバイバル  坂 達也 7月27日

トランスフォーメーションと言うリバイバル

 ダッチ・シーツ師が「祈りにおける権威」と言う本を最近書かれたことを先日ご紹介しましたが、それによれば権威という輪は、一番小さい中心点(的)から始まります。その中心の点とは一人の人間を表わし、その権威と責任は自分と言う一人の人間に与えられていることを意味します。それから輪が少し大きくなって家族、次に町、そして県、国というように段々大きくなります。権威の輪が大きくなるにつれその輪には人数が加増されますから、その分個人当たりの権威は減ります。しかし、その権威は全体の人間で分かち合わねばなりません。そして、権威には責任が付きものであることを忘れてはなりません。

 そこで、国とか地域とか町にリバイバルが起こるためには、そのために祈らねばなりませんが、その祈りにおいての権威と責任はその町、地域、国のクリスチャン全体に与えられているということになります。つまりリバイバルを起こすことは、その地域の教会の共同の権威と共同責任となる訳です。と言うことは、これからのリバイバルはその町の教会が全員一致して祈るときに一番大きな権威によって祈ることになりますから、最もパワフルにリバイバルが起こる可能性を持つことになるのです。

 今までのリバイバルのパターンは色々ありますが、ほぼ共通していることは、神がある人(たち)に救いに対する特別の飢え渇きを与え、その人たちが熱心に渇望して祈ることによって、神はその町とか地域にリバイバルを起こされました。
 これをたとえてみれば、今までのリバイバルとは私たち教会が霊的に未熟で幼年期から一人立ちする前の青年期にいる状態であるため、親である神が一方的に起こし、子どもに見せて学ばせると言う未だ「義務教育期間中」でのリバイバルであったと言えないでしょうか。しかし終末の今の時代は、私たち教会がいよいよ霊的に大人に成熟し、何でもかでも親の丸抱えの時代は過ぎて、「自分でやってみる」時に入ったと言うことができます。とすれば、これからのシーズンにおいては、主はその町の教会全体に「リバイバルに対する権威と責任を与えるので、全員一致して共同でリバイバルを起こしなさい」と言われているような気がします。

 つまり、肉の私たちが子どもから大人に成長するに従って、親は段々に「自分の事は自分でできるだけやらせてみる」と言うのと同じです。天の父は私たちが霊的に成長するにつれて、リバイバルにおいても「今度は自分たちでやってみなさい」と言うことになっても不思議はないはずです。それは私たちの最終目標である「教会=キリストのからだ」にまで成長するためのプロセスと一致します。
 教会はキリストの身丈までに成熟していかなければならないはずですから、主は人を救う仕事(リバイバル)も教会全体が共同で一致して行うことを期待しておられるのです。

 これが主のお考えであることのはっきりとした裏ずけがあります。それはマタイ28章にあるいわゆる「大宣教命令」です。その内容を考えてみてください。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの(いっさいを統治する)権威が与えられています。 それゆえ、(その権威をあなたがたに与えるから)あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。(救われたクリスチャンを個人的にトランスフォーメーションするための弟子訓練を行う)見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(主が統治される王国、キングダムの時代)』」(マタイ28:18-20)[括弧内は筆者注]

 大宣教命令の趣旨とは「地球上のすべてを統治する王であるイエスの王国において教会が地球上のあらゆる国の人々を、救いから霊的成熟に至らせるまでの全過程でトランスフォーメーションし、全員を真の『キリストの弟子』にすること」であることが分かります。それは政治家も経済人も総て含まれます。
 別の言い方をすれば、マタイ28章のみことばの中には、「世界中の人間を救う権威と責任」と共に、その新生したクリスチャンを弟子訓練して「キリストの身丈にまで」成長させ、「キリストのからだ」として完成させる権威と責任が私たち主の教会に与えられていて、それは主からの厳粛な命令であると言うことです。ここにおいて私たちが「リバイバル」をトータルなトランスフォーメーションに発展成就させねばならないのです。

 これだけ大きな仕事の権限を与えられているのですから、私たちは「自分たちの力ではとても出来ない」ことを先ずはっきりと自覚しなければなりません。過去において主が起こしてくださったリバイバルを持続することすらできなかった自分たちの霊的未熟さを心から悔い改める必要があります。
 勿論、真にボーンアゲインしたクリスチャンならそれが当然自覚できているはずです。なぜなら、主が「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け」ることを強調されたように、キリストを信じる者がバプテズマを受けることとは、キリストと共に死んで、キリストと共によみがえって生きる(霊の人間にボーン・アゲインする)ことを意味するからです。(ロマ6:3,4、8)
 主の王国に仕える私たちは「自分を捨て、自分の十字架を負い、イエスについて来る者」(マタイ16:24)でなければ絶対に主の「大宣教トランスフォーメーション命令」を受けて立つ勝利の戦士にはなれないのです。このことを私たちはもう一度心からへりくだってわきまえ、これからは総てを聖霊さまの指示に従って動くことを肝に銘じる必要があると信じます。

 今の時代は、天の父の御心以外には何も行わないと言う固い決意をしたクリスチャンが各地にどんどん立てられつつあります。ハレルヤ!(終わり)


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by walkwithgod | 2006-07-27 16:17 | 坂達也からの今月のメッセージ
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