2007年への預言  リック・ジョイナー   1月5日

2007年―み言葉の解き明かし、預言、夢、ヴィジョンが拡大する年
  リック・ジョイナー



私たちが勝利するために特別に延長された恵みの期間

2007年には、クリスチャンが新年に抱いた抱負・希望事項を実現するための恵みを神は再び与えてくだいます。2006年には多くのものが打ち破りを経験し、長年の間敗北し続けてきた事柄にも勝利することができました。しかしながら、主の恵みを自分のものとする努力をしなかった人たちも沢山いました。けれども主の恵みは2007年にも引き続き与えられます。信仰と忍耐をもってこの恵みを獲得するものは、勝利を得て、敗北でなく勝利の新しい人生を生き始めることができるのです。

2007年には多くのクリスチャンが「勝利メンタリティー」をもって歩き始めるので打ち破りが起こり、多くのものが解放されていきます。あらゆる問題を克服していくことがクリスチャンとしての顕著なしるしであると、この世の人々は認識するようになります。

2007年にまで延長されたこの特別な恵みは、今まで私たちを抑えてきた悪の要塞を打ち壊すために与えられるのですが、そのためには私たち自身の鍛錬、努力も必要です。御霊の実である自制心を持つことは、私たちが真に主に従順に従っていくことを望んでいるかどうかを証明するものです。

「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。 従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。」(Iペテロ1:13-16)
 
主の恵みは弱さのうちに完全に現れます。そして、主は私たちの弱さをご存知であり、心から解放されたいと願うものには恵みを与えてくださるのです。私たちにその願いが本当にあるかどうかは、私たちの献身、決意、訓練の態度によって証明され、それらの上に主は恵みを加えてくださいます。そして、私たちが一つのことに勝利するだけではなく、すべての事に完全に勝利するまで、主は恵みを与え続けてくださるのです。

平安、喜び、啓示が与えられる

「主の多くの秘密が主の預言者や主の忠実な友たちに示される。」
2007年は勝利の年となるだけではなく、あなたの人生で最高の年となる可能性を持っています。今年は多くのものが勝利のうちに平安と喜びを経験するようになり、それは周囲の人にも影響を与え、平安と喜びは広がっていきます。「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」(ローマ14:17)

私たちが主の目にかなうことを行い、正しく生きるならば、恐れと苦しみが満ちているこの世の中でも、超自然的であると人々が思うほどの平安と喜びを私たちはますます経験することができるでしょう。主に心から従うものは、この世のものとは違う霊で活動していくので、社会の中で劇的で説得力のある方法で人より抜きん出て活躍することができます。

 2007年はみ言葉の啓示、預言、夢、ヴィジョンが拡大していく年になります。多くの者が突然別世界に移されて神の国のヴィジョンを見たり、地上にこれからもたらさようとしている事柄を見たりします。主の多くの秘密が主の預言者や主の忠実なる友たちに啓示されますが、それよりも偉大なことは、多くのクリスチャンが主ご自身を探し求めて、主を見出すようになることです。

流れる川のヴィジョン

「クリスチャンはその愛によって知られる」
私は、金と銀が液体となって流れる川が主の御座から地上に流れているヴィジョンを見ました。この川を見つけてそこから飲む者は、非常に飢え乾いて神を求めるようになり、その流れの源までたどっていき、御座に座る方のところまで行き着きます。そのように主の方にむかって歩き始めたものは光をさらに見ることができ、歩むべき道がもっとはっきりと見えるようになります。

銀は贖いを表す

この川の銀は、私たちに流れこむ贖いの恵みを表していて、もし私たちがそれを受け取るならば、私たちの人生のすべてのものを贖いはじめます。人間関係や今まで犯した間違い、また私たちや私たちの愛するものたちが事故や敵の攻撃によってうけた傷をも癒してくれます。神を愛し、主の目的のために召されたもののために過去のすべてのことを主は益としてくださるのです。

金は神のご性質を表す

この川から飲むものは、飲むうちに神のご性質に変えられていきます。型にはまったようなマンネリの霊的状態の中に落ちこんでいたものも、そこから這い出し、自分を長い間縛っていた悪の要塞を克服し、真に御霊の実を表すようになります。クリスチャンはその愛によって知られるようになります。

人間に与えられる最も偉大な賜物は、神への飢え渇きであり、神の道を知りたいという深い願望です。神を探し求めるものにはその飢え渇きが増していきます。もし、あなたがこの飢え渇きに応答するならば、あなたは主と主の声をもっとよく知るようになり、今までよりもっと忠実に主に従うようになります。主の平安と恵みがあなたの上にあり、あなたの人生でもっとも生産的で収穫の多いときとなるでしょう。

主と時をすごす


「主のみ言葉だけではなく、言葉そのものである主ご自身の声を聞くことを求めなさい。」
今の風潮であるなまぬるさを打ち捨てて、自分の人生に対する主のみ心を心から求めるものの上には、劇的な変化が起こるでしょう。しかしながら、これらの劇的な変化は少しずつ起こっていくでしょう。もしあなたが祈りの中で主と1時間すごすようにと示されたけれども実行するのが難しいならば、5分から始めなさい。どんな仕事も小さいステップに分けさえすれば実行可能であることを忘れないでください。1日1時間しようと思うとくじけてしますが、誰でも5分ならばできるのです。1日5分間すれば、祈りと主の臨在のすばらしさがだんだんに分かり、やがて10分、20分と時を過ごすようになるでしょう。そして1年経つ頃には、1時間でも足りないと思うようになっているでしょう。

 祈りと同じように、すべてのクリスチャンは毎日聖書を読むべきだと思います。そうでないとあなたの霊的生活は、よくても貧血状態になってしまいます。しかし、あまりたくさん読まないようにしてください。1日1章から始めてください。み言葉への飢え渇きが増すにしたがって徐々に増やしてください。主のみ言葉だけでなくてみ言葉なる主ご自身の声を聞くように求めてください。

多くの人がテレビをしばらく見ない(テレビ断食)をすることによって人生が変えられることを経験しています。ある人たちはそれによって非常に変えられたので、テレビをもう捨ててしまったほどです。もしテレビが、あなたが主や家族と本来は過ごすべき時間を奪いとって、あなたの命を吸い取っているならば、1週間に1日だけでもテレビを消してその時間を主と過ごしたり、家族との団欒に使ってみてください。あなたの人生や家族の人生は変わることでしょう。

そして1週間に1日から始めると、もう1日テレビなしにしたいと願うようになることでしょう。やがてほとんどテレビをつけない自分に気がつき、テレビを見るとしてもただ何かやっていないかとチャンネルをあちこち回すのではなく(これは霊的生活が空っぽで目的がないときの症状ですが)本当に見たいものだけを見るようになるでしょう。

人々の人生があるべき秩序に戻される

今年主を求めるものたちは、主があなたの人生を主との関係においてあるべき位置にもどしてくださり、主のご計画があなたの人生に実現されるようにしてくださることを経験するでしょう。このためにはあなたの人生にいろいろな変化変更が必要となります。住む場所や仕事を変える必要が起こるかもしれません。確かに変えるということは困難を覚えることですが、それだけの価値はあるのです。それは、主が私たちを再び柔軟性のある人間にするためになさることが多いのですが、私たちが主の霊という新しいぶどう酒を入れられるやわらかい皮袋になるためなのです。

主が御座から流される川によって多くの新しい教会やムーブメントが、今まで乾いていた場所で始まります。砂漠に川が流れはじめるのです。主を求めて飢え乾いた魂はすべて、主の命を新たにフレッシュに味わう年となります。

預言的な働きの前進

私は主が預言的な賜物を持っている人たちに沢山の卒業証書を渡しているヴィジョンを見ました。一つのレベルで忠実に働いてきた人たちがすぐに次のレベルへと上げられました。 ほとんどの人は初級から中級へと上げられていましたが、それは意義深い成長であり、やがて教会での預言のミニストリーは広く信頼されるものとなっていくでしょう。このことは多くの地方教会に喜びと希望をもたらすものとなり、彼らも主の業を大いに進めることができるようになります。

艱難の中を祈り通す

私はこの世の艱難を示す温度計が上昇してくのを見ました。多くの問題、とくに自然災害が増加し、また、国家間の紛争も増えます。しかし、今年主の民の祈りも増えていき、その祈りによって艱難が神の定められた許容範囲を超えないように主が抑えられます。人々が祈らないために多くの問題が起こることを主は許され、それを見て人々は自分たちに与えられている祈りの権威に目覚めます。

妄想や心配をやめて、その代わりにとりなしの祈りを始める人たちは、自分の人生が変えられるだけでなく、他の沢山の人生を変えていきます。これからの2年間、神の民たちは、毎日の食事のように祈りの時間を不可欠なものとして求めるでしょう。そしてやがては祈りは酸素のように彼らが生きていくためには不可欠となり、彼らが息をするときは祈りも必ず口から出てくるようになるでしょう。
主の家は祈りの家となるのです。(終わり)


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by walkwithgod | 2007-01-05 09:17 | アメリカからのメッセージ
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