2007年への預言  ダニー・ステイン  1月26日

霊の父親の年であり改革・革命・大変動・創造の年、
ダニー・スタイン

天からのメッセンジャー

2006年の12月28日のことでしたが、私が寝る用意をしていると一人の天使が我が家の廊下に現れました。一瞬の間に天使は現れ、又、去っていきました。何か大事なことが起ころうとしているからよく注意してなさいと、この天使は私に知らせに来てくれたのだと私は悟りました。

ベッドに横たわっていると、主が一つのスペイン語を私に語られました。それは「Hecho!」という私の知らない言葉でした。それがスペイン語だということはわかりました。その言葉が私の頭から去りませんでした。起き上がって辞書を調べたところ、少なくとも3つの意味を持つ言葉だと分かりました。そしてそれは2007年のために非常に重要な意味を持っていると私は信じます。

主はこの言葉をスペイン語で語られましたから、スペイン語が使われているコミュニティーで何かが起こり始めるのだと思います。この言葉には「出来事event」、「事実fact」、そして「完成! done!」という意味があります。(これは私のスペイン語の知識から言っているのではなく、神様からの啓示によります。多分私の知らない多くの意味が他にあるかもしれません。)

今、非常に大きな出来事が起ころうとしていると思います。現在の状態が、「以前はそんな風だったね。」といわれるような全く過去のものになってしまう出来事です。それはすさまじい重大な異変であり、世界の地理・地形を変えてしまう、又、政治や教会のあり方をも変えてしまうようなものでしょう。

このシフトはすでに始まっていますが、これからどんどんエスカレートしていくでしょう。今起きようとしている出来事は、現在の状況、自然界、又それに合った必要なものを変革(トランスフォーム)していくでしょう。上記で「事実fact」という言葉が示しているように、これらの出来事は必ず起こることであり、私たちはそれに備えなければならないのです。また、全地が待ち望んでいることをもたらすものでもあります。(ローマ8:22) なぜならば、自然界のもの、動物や植物も病や死の中で苦しんでいて、この偉大な出来事を待ち望んでいることを私たちは知っているのです。


変革、革命、激動、創造

その言葉が私に語られたとき、ダニエル8:19「そして言った。『見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。』も私は聞いたのです。私たちは地上で多くの「カイロス」の時を経験してきましたが、これからはそれがもっと起こるようになり、到達したと思った地点はただの入り口にすぎなかったことがわかるでしょう。

今まで教会において神様がして来られたこと、それは新しいと思われたことも含めて総て私たちが通って来た処は、これから起ころうとしていることを私たちが理解して受け入れられるように主が設けてくださったほんの入り口にすぎないのです。これから私たちが大股で歩むようになる神様の目的に達する道程は、今まで歩いて来た道程の10倍、100倍に相当します。ですから単に「変化」などという言葉では表すことができないほどの大きなことが起こるのです。

それは変革、革命、激動、創造というような言葉の方がぴったりでしょう。創造主なる神は、ただ「方向を変える」だけではなく、新しいことを力強く実行されることによってご自身を現されるでしょう。

民数記16:30「しかし、もし主がこれまでにないことを行なわれて、地がその口を開き、彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ、彼らが生きながらよみに下るなら、あなたがたは、これらの者たちが主を侮ったことを知らなければならない。」

イザヤ42:9「先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」

聖霊が風と火のように下ったり、アナニヤとサッピラが裁かれたり、異邦人にも福音が伝えられたり、死人がよみがえったり、使徒の影で癒したが起こったり、家々で集会がもたれたりというような多くの初代教会の出来事は、その時代のクリスチャンにとっては「新しいこと」であり、それは驚くべき実を結びました。

それと同じように、今年キリストの教会に「新しいこと」が起こり、同じように驚くべき実を生らせていくのです。出来事のあるものはポジティブであり、あるものはネガティブでしょう。しかしいずれにせよその実は、創造主なる神が新しいことをされていることを証明するものとなるでしょう。


政治的闘争に入る人たちは、人々の心が変化するので旧態依然とした古いものを民衆が支持しなくなることを知るでしょう。人々は今までの政治家たちを古い型の人間とみなし、新しいリーダーが今までとは違う方法で物事を解決していくのを期待するでしょう。一部の政治家の心に真に臣民を思う王の愛が入り、すべての人がそれを愛と認め歓迎するでしょう。実際、それは効果を示していくので、政党を超えて多くの人々によって支持されるようになるでしょう。これは反キリストの霊ではなく、神と共に歩く神の子供たちによるものであり、彼らは愛をもって着実に導いていくでしょう。

教会に新しいものが与えられる

教会においては、「形式」から「力」へという大きな変化があるでしょう。神の民は、人の手によって水増しされた信仰や人間が作った教義に対して黙っていなくなります。彼らは目覚め、「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になっているからです。こういう人々を避けなさい。(IIテモテ3:5)」といわれている人たちに対して大胆に語るようになるのです。その結果として、神が安息されるところを提供するかわりに、神の民に安息の場を提供する人々のところでは、大きな摩擦が起こるでしょう。

いろいろな大組織が持つ建物は、ほんの一握りの人たちに残されてどうにか運営しようとしますが、やがて、不正な者たちに渡されます。しかし、彼らにはその建物の使い道がないので、教会にそれを運営すべく手渡します。最後に笑うのは主です。主の臨在を拒む者も主の力を見ることになります。神は侮られる方ではありません。そして主の教会も笑いものにはならず、主の民は、聖さ、力、愛を持つようになります。

私は次ぎに、「南からくる嵐が、北の金かすを飲み尽くす!」という声を聞きました。南からの風というのは、「暖かさ」がやって来ることを示しています。南風は主の力をあらわしています。神の力は神の愛の暖かさに方向づけられています。主の愛は北に満ちて、周りに静けさをもたらします。この静けさは「小休止」 となり、このことが、それ以外に今年起こることを引き離して特別に意味深い「出来事」となります。

詩篇78:26「神は、東風を天に起こし、御力をもって、南風を吹かせられた。」
ヨブ37:14-17「これに耳を傾けよ。ヨブ。神の奇しいみわざを、じっと考えよ。 あなたは知っているか。神がどのようにこれらに命じ、その雲にいなずまをひらめかせるかを。 あなたは濃い雲のつり合いを知っているか。完全な知識を持つ方の不思議なみわざを。 また、南風で地がもだすとき、あなたの着物がいかに熱くなるかを。」

天においては「終局」が用意されるでしょう。これから主がもたらすことの多くは、「主が間もなく出されようとしているご馳走」を載せるために「テーブルの上(に載っている今までのもの)を片付ける」ためです。このことは私が何年も前に見たヴィジョンを思い起こさせます。そのヴィジョンの中で、主は教会の中の熱いものと冷たいものとを最終的に分ける決意をされると言われました。そして、その主の決断はすばやく、はっきりと、感情ぬきでされるのを見たのです。


若いクリスチャン達のヴィジョン―すべてのものが参加する仕事

1990年代の初めに私はもう一つのヴィジョンを与えられたのですが、その中で若者達が劇的な救いの回心をするのを見ました。ヴィジョンの中で、私は当時私たちが使っていた倉庫の中にいました。その中の人たちは3つのグループに分かれていました。

最初のグループは外に出かけて、「ベービー」を集めて手押し車に乗せて来ました。彼らは手押し車一杯の赤ちゃんを床に上にドサッとあけました。赤ちゃんは床に落ちるやいなや、すくっと立ち上がって若い女性や男性となり、「完全に訓練されている者」となりました。2番目のグループが彼らの世話をし、訓練する人たちだったのです。

第三のグループはとりなしと癒しのグループで、外に出て行くもののためや、イエスを信じるようになったもの、また、新しいクリスチャンの世話をする人たちのために熱心に祈っていました。キリストの真の教会では、傍観者は一人もなく、すべての人が働くのだと主は言われました。クリスチャンであるということは、「機能する」ということであり、ただ信仰団体に属しているだけではないのです。やがて倉庫は若者であふれるようになりましたが、彼らは若いにもかかわらず成熟していることがはっきりわかりました。彼らはこれから起ころうとしている「イベント」のために用意が完全に調えられておりました。そのイベントによって主の名はこの世に存在する何よりも誰よりも有名になるのです。若者たちが出て行く前に「小休止」がありました。

そのヴィジョンはマンガの形で見せられたのですが、主イエスがすべてのことが調えられているのを見て微笑んでおられるのが分かりました。

主の食卓は調えられた

主は、主の民を養われる食卓を調えられています。ヨハネ4:34-36「イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。 すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。」

神の民の食物とは、肉の食糧ではなく、天の実なのです。主の食卓は私たちに食糧を与えるものではなく、実に子羊の大宴会…それは永遠に続くもの…なのです! 神からのいのちと繁栄の約束は、私たちの心の中に宣べ伝えられたみ言葉なるキリストに聞き従うことです。天からの声が「これが道である。これに歩め。」
と響いてくるのです。

最も大事なことは、私たちが主の語られるのを聞いて、その声にただいつも従えばよいのです。主が私たちの前に食卓を調えてくださるとき、聖霊が私たちに言われる促しの声に耳を傾ける時がきたのです!

申命記30:14-20「まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。 見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く。 私が、きょう、あなたに、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令とおきてと定めとを守るように命じるからである。確かに、あなたは生きて、その数はふえる。あなたの神、主は、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地で、あなたを祝福される。しかし、もし、あなたが心をそむけて、聞き従わず、誘惑されて、ほかの神々を拝み、これに仕えるなら、 きょう、私は、あなたがたに宣言する。あなたがたは、必ず滅びうせる。あなたがたは、あなたが、ヨルダンを渡り、はいって行って、所有しようとしている地で、長く生きることはできない。 私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、 あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。私たちがしなくてはならないことは、神が私たちの人生に与えてくださった召しと目的を放棄しないことです。

II歴代誌13:10-11「しかし、私たちの場合は、主が私たちの神である。私たちはこの方を捨てなかった。また、アロンの子らである祭司たちが主に仕えており、レビ人が仕事をしている。 彼らは朝ごとに夕ごとに全焼のいけにえを主にささげ、かおりの高い香をたき、並べ供えたパンを純金の机の上に整え、金の燭台とその上のともしび皿には、夕ごとに火をともしている。私たちは、私たちの神、主の戒めを守っている。それに反し、あなたがたはこの方を捨て去った]

私たちは神へのささげものを神からのものではないものとごちゃ混ぜにしないで、清い純金の机の上に置かねばならないのです。イエスが神殿で両替人の机をひっくり返したのは、神殿を清めて「祈りの家」にするためでした。
光と暗やみは共存することはできません。光は暗やみを照らしだし完全に追放します。私たちの前におかれている解放は、純粋な解放であり、個性、モデル、形、スタイル、構造などには全くよらず、イエスご自身とその臨在に基礎を置いているものです。イエスご自身が偉大な食卓を私たちのために用意されていて、天使たちは、それを布告するために遣わされているのです。
黙示録19:9「御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。」と言い、また、「これは神の真実のことばです。」と言った。」
黙示録19:17「また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、」

この大宴会はこの世の初めから備えられていたものです。
マタイ25:34「そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。』」

霊の父親たちの年

主が私に語ったもう一つの重要な言葉は、「今年は父親の年になる!」というものです。今まで預言でそのことを示されてきた「真の霊の父親たち」がその役目を今年するようになるのです。多くの者たちは年老いています。ほとんど天国の入り口まで行っている人も数人います。しかし、今年こそ、父親の祝福が神の民に解き放たれる年なのです。丁度アブラハム、イサク、イスラエルが彼らの子供に祝福を与えたように、これらの父親たちは、真の権威と約束を子供たちに伝達し分与します。それはアッという間に起こります。父親たちは忘れてしまっていた古い約束を思い出します。その約束はこの世代のために今まで隠されていたのですが、それらが解き放たれます。 

私は父親に関する主の言葉をじっと考えました。そして、「父親」になるべき多くの人たちが、実は置き去りにされ、見放され、意欲のある若いリーダーたちによって過小評価されているのが見えてきました。多くの「父親」は、自分のミニストリーを若いリーダーにすでにゆずり与えたのですが、悲しいことに自分も自分の知恵も彼らから疎まれているのを知ったのです。

それが分かったとき、私の心は悲しみではりさけました。しかし、実はそれも、神が望んでおられる純粋さを生み出すために起こっている「分離」の一つであることが分かりました。自分の「地位」のための代価を払わなかった者は、主が教会に明瞭な目的と指示を与えて下さるときには、その「地位」を保つことが出来ないのです。それは、彼らは人生の中でイエスの傷を身に帯びてこなかったからです。

これら霊の父親は、自分を真の父親であると見ることが出来る「囲いに属さない」羊を見つけ出し、そのときに活き活きと働きはじめるのです。繰り返し主は、「息子たちは父親ではない。その実によって見分けなさい!」と言われました。主の言われる実とは、弟子という実であり、回心者の数や、名が知られているとか、人が沢山集まるとかということではありません。実とは、どこまでも熱心に神のみ心だけを追い求める人たちのことです。

主は私に「今年は父親たちを敬いなさい!」と命令されました。神の民が真の霊的父親を支えるときが来たと私は信じます。多くの年老いた人たちの中には、自分でなんとか生きていくようにと見捨てられています。また、ある人たちは若者のように働いて生計を立てねばならない状態です。それは彼らに信仰がないからではなく、忠実に仕えてきたしもべを敬うということを大切だと教会が思ってこなかったからです。この間違いは今年明るみに出され、自分の父親に苦労をさせてきたことを嘆く息子たちが現れるでしょう。彼らは、その失敗により自分たちの祝福が他の人に移ってしまったことをも知るのです。

マタイ15:4-9「神は『あなたの父と母を敬え。』また『父や母をののしる者は、死刑に処せられる。』と言われたのです。それなのに、あなたがたは、『だれでも、父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は、供え物になりましたと言う者は、
その物をもって父や母を尊んではならない。』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」(
終わり)


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by walkwithgod | 2007-01-26 12:14 | アメリカからのメッセージ
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