生まれるときと死ぬとき
十字架を抱いて命の木を生きる ポウレット・リード 預言的なヴィジョン 私は2002年にミネソタ州のミネアポリスで行われた女性の使徒的預言的カンファレンスに出席しました。そのとき、一つのヴィジョンを見せられたのですが、 最近そのヴィジョンを主が思い出させてくださいました。私が友人たちと共に王なる主を礼拝していたとき、そのヴィジョンを見て私はびっくりしたのでした。私は霊の目でそれを見て、震えました。そこには私の身体(多分キリストの身体なる教会をあらわしている)が、白いガウンを着てうつむきに川に浮かんでいました。ちょっと見たところそんなに変なことではありません。ただ単に水の中でいろんな変わった姿勢をして遊んでいるだけかもしれません。でも私の身体はずっとそのまま長い間浮かんでいるのです。私ははっとしました。そして聖霊に聞きました。「主よ、あんなに長い間うつむきに水に顔をつけて浮かんでいるということは、私は死んでいるに違いありませんね!」 その時、神様は力強い静かな「アーメン」で私を満たしました。 そこで、私はそのヴィジョンをもう一度注意深く調べて見ることにしましたが、3つのことに気がつきました。まず、それが普通の川ではなく、神の川であることがわかりました。第二に、私は救いの衣を着ていて花嫁の正義の外套をまとっているのがわかりました。(イザヤ61:10) 第三に、私の両腕はまっすぐ前に伸ばされ、その手は王の差し出した笏をしっかり握っていました。 絶えず祈りなさい 愛する皆さん、天の父は夢やヴィジョンで警告を与えてくださり、人生で起ころうとしている様々なことに対して私たちが祈りの備えができるようにしてくださいます。しかし、人々が実際にヴィジョンを生きはじめると、あらかじめ備えよという神からの警告を忘れ勝ちになります。そんなとき聖霊が「わたしの息子、娘よ、わたしはおまえの霊を備えようとした。わたしはおまえを守ろうとしているが、しかしまた、完全な霊にもしなければならない。」とささやかれます。伝道者の書3章でソロモン王が>「すべての営みには時がある。」と教えているとおりです。黙っているのに時があり、話をするのに時があります。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時があります。泣くのに時があり、ほほえむのに時があります。そして「生まれるのに時があり、死ぬのに時があります。」(伝道者の書3:2) あるときには、私たちは神の川の中で障害物にぶつかってばかりいて、目的地につくのがどんどん遅くなるように思えるときがあります。私たちはそれに対して縛ったり解いたり、叫んだり泣いたり、障害物を横に押しやったりします。それは多くの場合正しいことです。しかし、私たちが懸命に祈ったり戦ったりしているときに、真に静まって全能の主に介入していただく心を持つならば、主がこうささやかれるのが聞こえるでしょう。「愛する子よ、聞きなさい。あなたが戦っているのは敵からの障害物ではないのだよ。それは木だ。わたしはその木の上で死んだ。おまえも神の川を流れていくとき、あなたが死ぬまではその木に何度でもぶつかるだろう。」 十字架を抱きなさい あの荒削りの十字架に出会うたびに私たちは自分の世界が少し揺さぶられるのを感じます。そして実を結ばない枝が剪定される痛みを感じます。プライドは去らねばならず、高慢も取り払われなければなりません。肉欲、罪、嫉妬、疑い、野望、欲望等々、すべて肉なるものは十字架にかけねばなりません。実を結ばない枝は私たちから切り取られ、遠くに流れいって忘れられ、もはや決して木につながれることはありません。いのちの木は、私たちからイエスに属さないものがすべて取り払われないと、手に入れることはできません。私たちを十字架にかけて殺す木は、同時にそこから力が湧き出る木でもあるのです。パウロが「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者のなかからの復活に達したいのです。」と言う通りです。(ピリピ3:10,11) 神の川の水が増すに従って(エゼキエル47参照)、川は深くなり誰も渡れなくなります。しかしその川が流れていくところではすべてのものが命を得て生きます。私たちは神の道に出ていって神がご自身の素晴らしさを人々にみせることができるようにせねばなりません。木にぶつかって私たちが死ぬことによっていのちが生まれるのですから、その木を避けてはいけません。私たちの兄弟パウロのように言うことができますように。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、命にあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:4) 勿論「木」にぶつかるのは痛いことです。死と復活の間には必ず痛みが伴うに違いないのです。そのときのために祈りを積んで備えることは助けとなります。すべてのことにシーズンがあり、この痛みのときも又過ぎ去ると知ることができます。神が私たちを栄光から栄光へと変えてくださるのを知り、変えられるときにはいつも痛みが伴い精神的な危機感があることを覚えて、それを喜ぶことができます。愛する皆さん、困難だとあなたが感じるときはほとんどの場合、あなたが取った道は正しい道なのです。しかし、自分に死ぬことに焦点を当てるのではなく、自分に死ぬこととは神の静かで暗い胎内に入ることであり、そこで新しい命がはぐくまれていると言う新生の奇跡に目を留めようではありませんか。 私たちが恐れを覚えるときに天の父にそれを告白すると、即座に恐れを克服す信仰が与えられるのですから、どうか心配しないでください。それがイエスがマタイ26:39でなさっていることです。「それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。『わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。』」 私たちがいのちの川を流れていくとき、神は決して私たちが耐えられないようなことは与えられないのですから安心してください。主は教会をご自分の身丈にまで成長させてくださるのですが、それと共に次のように約束していてくださいます。「しかし、主は『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。』といわれたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(IIコリント12:9) 神は良いこと、悪いこと、いやなことを使って、私たちをキリストの似姿へと変えてくださるのです。 「主よ、私はもう十分によい品性になりました! この悪夢からどうか目を覚まさせてください!」と叫びたい人があるかもしれません。しかし、主は「まだ十分ではないよ。おまえを十字架にかけるプロセスを完全にさせておくれ。わたしとひとつとなるためにね。」といわれることでしょう。なぜならば、次のように書かれているからです。「自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。」(黙示録22:14) 試練:権利を知る権利 いのちの木から食べる権利だけが私たちの権利です。なぜならば、私たちはイエスの血潮によって贖われたものであり、もはや自分自身のものではないからです。(Iコリント6:19) 困難にあったときに主の力を忘れて主から離れてしまった弟子のようには決してなりたくはありません。 長い試練にあっているときは、天の父が残酷で愛がないように見えるかもしれませんが、決してそんなことはないのです。 「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。」(伝道者の書7:14) 主は困難なときを特訓の場として使われ、主の軍隊を訓練し、人の目に正しいのではなく神の目に柔和であることが必要であることを教えてくださるのです。中傷や目に余るような社会的理不尽さ、絶えることのない侮辱や、あるいは反対に人間的な称賛などが御国が前進するのを妨げるのを許してはならないことを私たちは学びます。 キリストの再臨に備えている私たちには、腹を立てたり得意になったりしている暇はないのです。 時には川の流れが非常に激しくなり、多くの困難が私たちの人生に痛みをもって襲うことがあります。また、とりなし手は、祈りの最中に深い悲しみを経験することがあります。それは、私たちが痛んでいたり不当な扱いを受けているときには、主は私たちのうちに住んでおられますから主もともに苦しまれるからです。しかし、感謝なことに神は痛みを無駄にはされないのです。神はひとり子イエスの痛みを無駄にはされなかったように、私たちの痛みも無駄にはされません。 神のあわれみは朝ごとに新しく、私たちは川を流れ続けます。早瀬はわずかの間であり、流れはすぐに緩やかになり、川が曲がった先には素晴らしい景色が待っていることを私たちは知っているのです。「期待が長びくと心は病む。望みがかなうことは、いのちの木である。(箴言13:12)」という言葉を思いだしてください。私たちは主からまかされている陣地を毎日守るために歩き続け、大きな樫の木のようにどんな困難にも耐えて日々強くなっていくのです。 神は私たちがそれを問題だと感じなくなるまで、その問題を経験することを許されます。たとえば、拒絶されたときにたじろぐことがなくなるまで、私たちは拒絶されることを次々に経験するかもしれません。不正を見ても神が私たちの弁護人であることを知っているので、冷静にしていられるようになるまで、次々に大きな不正を経験するかもしれません。もし自分で自分を守ろうとするならば、主はあなたを守れません。つまり、神の力強い言葉にあるように、神はご自分で敵と戦ってくださるのです。 他人の様々な言動はすべて、それが良いものであれ悪いものであれ、私たちがイエスにもっと近づくために使われることを知ります。なぜならばイエスは私たちのなぐさめ主であり、兄弟よりももっと親しい方だからです。私たちは人の言動に対してリアクトするのではなく、キリストがされるように恵みをもって、たとえ痛くてももう一方の頬を向けるような応答をすることを学びます。私たちはあわれみを施すことができるのです。最後のものが最初になるというキリストの道を学ぶのです。私たちが従順であるときに、人間の言葉は人を格下げし、真の言葉だけが昇格させることを学びます。 神の実地訓練 愛する皆様、神は私たちの周りの状況を使われて、私たちがみ言葉通りに起き上がって勝利者になるようにとされるのです。私たちが勝利するときに主はいのちをくださり、「死者の中から起き上がれ。(エペソ5:14)」といわれます。「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。(IIコリント4:11) 復活されてご自分の威光を示された主は、どれほど力強い方でしょうか! 主は、私たちが自分の外側の殻に死ぬというシーズンを私たちに与えることによって、内なる人がいのちにあふれて生ける水の川がうちから流れ出て(ヨハネ7:38)、その川の流れるところはすべてのものが生きるようにされるのです。私たちがキリストとともに十字架につけられるとき、もはや主の命の流れをとどめるのではなく、むしろその流れが私たちを通して流れ出るようにできるのです。つまり、私たちはいのちの川と合流して一つとなるのです。 祈りましょう 「愛するイエス様、あなたが『私に従いなさい』といわれたときに、それがたやすい道だとは決しておっしゃいませんでした。しかしその道は歩む価値があるといわれました。なぜならば、私たちがあなたとともに苦しみを受けるならば、またともに栄光も受けるからです。(ローマ8:17) また、『一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば豊かな実を結びます。(ヨハネ12:24)』ということも知っています。種が死に、枝が剪定されるとき、私たちはあなたの恵みに感謝いたします。あなた様は恵みそのものです。 あなたが今キリストの花嫁を訓練されています。私たちもあなたとともに、着飾って準備を整えて、御座から流れるいのちの川の中を流れていくことができますように。王なる主よ、私たちがあなたに喜ばれてあなたの笏に触れることができますように。そしてあなたとともに御国に入りあなたの足元にひれ伏すことができますように。 私たちが訓練されたとき、天の父よ、死の陰の谷を歩いている人々を助ける者として用いてください。主よ、すべてのことを教えてくださって有難うございます。すべてのことには時があることを示してくださって有難うございます。叫ぶとき、歌うとき、壊すとき、建てるときがあり、また、死ぬことを他の人に示すときがあることを。(終わり) トップページへ戻る
by walkwithgod
| 2007-04-01 10:30
| アメリカからのメッセージ
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