教会には三種類の人がいる  グラハム・クック  5月10日

教会には三種類の人がいる

グラハム・クック (彼のメッセージテープより) 

 どの教会にも三種類の人たちがいます。 第一のグループは、教会の中で事を初めて推進していく人たち(イニシエーター)です。 第二はそれを助けていく人たち、(エンネイブラー) そして第三は教会で何が起こっているのかよく知らない人たちです。(レヂスター)
 つまり、新しいプロジェクトを提案して始める人、それに協力して助ける人、そしてそれを妨げる人たちです。

 新しい事を始める人たちは教会を動かして行きます。彼らには父親役の人が必要であり、弟子訓練をして成長させていかねばなりません。多くの場合、この種類の人たちは、教会の現状にフラストレーションを感じていて、牧師に難しい質問をしたりして、ちょっとてこずらせるような人達です。彼らの中のフラストレーションというのは、多くの場合、神が次に何をしようとされているかを知る鍵となります。

 たとえば、あることに関して憤りを感じるというのは、神がそのことを解決しなさいと言っておられることが多いのです。 例えば、モーセはイスラエス人がエジプト人に虐待されているのを見て憤りを感じましたが、後にモーセがイスラエル人をエジプトから解放しました。あなたが情熱を持つこと、非常に悲しむことなどはすべて、神があなたにこれからさせようとすることを知る鍵なのです。神は、「こういうことは仕方がない、これが現実なのだから。」と、いい加減にあきらめる人ではなくて、絶対にどうにかして解決しようとする真の戦士、事を実行して成し遂げる人を求めておられるのです。

 ですから「いい加減に妥協しないで徹底的に戦う人たち」を私たちは必要としているのです。この人たちは艱難、苦労、自己犠牲を厭わず、ゆるぎなく目的に立ち向かいます。「人当たりのいい人」ではありませんし、又、そうであってはならないのです。私たちが教会を変えて行きたいと思うならば、この「イニシエーター」は誰なのかをしっかりと把握せねばなりません。教会はこの種の人たちの上に建て上げられて行くのですから。 神の次の御計画を推進していく力となる人たちです。
 
次のグループは「協力者」です。 この人たちは信仰が確立されていて、忠実に人を助けていく人たちです。 彼らはいつも新しいことを学ぶ姿勢があり、人に喜んで仕えます。
すごくカリズマがあるとか、賜物がある訳ではないかもしれませんが、 常に忠実に仕え、いつも聞く耳をもって人の注意や導きを受け入れます。

 第一のグループ「イニシエーター」とこの第二グループの「協力者」を合わせれば、すばらしい槍を手に持っていることになります。 イニシエーターだけでは、矢じりだけです。矢じりに協力者という棒をつけねば物を突きぬく力は出ません。
 
教会の中でイニシエーターの名前のリストと協力者の名前のリストを作るべきです。この人たちを土台として教会を建てるのです。どの教会においても、この二つのグループの人たちが教会の中心となります。彼らを失ってはなりません。彼らが教会の他の人たちに影響を与えるようにするのです。これらの人を弟子の見本として育てて行くのです。

どの教会にも「妨げる(手間を取らせる)人たち」がいますが、又、いなければ困るのです。その人たちに二種類あります。 手間を取らせる良い方の種類の人は、新しく救われてくる人です。 しかしもう一つの悪い方の種類の人たちは、何もする気のない人、成長する気のない人たちです。今の教会の問題は、このような人たちを相手にし、それを標準にして教会活動をしていることです。私たちはほとんどのエネルギーを、こういう低級なクリスチャンが次の日曜までかろうじて生き延びていけるように励ますことに費やしてしまっているのです。そう言うことばかりしていると、リーダーたちは、疲れ果て、希望を失い、燃え尽きてしまいます。  正当な「妨げる人」は救われたばかりの人です。 彼らは真理と義の道を歩むことを学びはじめたばかりの人で、キリストを第一として生きることを実践し始めたばかりなのですから、彼らが私たちのエネルギーを消耗させるのは当然であり、大変すばらしいことです。教会の門が広く開けられているならば、こういう人はいつもやって来ることでしょう。

それに反して正当でない「妨げる人」は、あなたに自分の人生のすべての責任を負わせるのに、あなたが彼らを変える権威を与えようとしません。彼らは教会に自分のための祝福がある時には群がってきますが、状況が困難になると去って行きます。

 ある教会に招かれた時の事ですが、その教会で何が起こっていて、私は何をするべきかを主に訊ねました。主は私に船の幻を与えて下さいました。 「この教会はこの船のようです。今から私は、水面下に二つの大きな穴を開けて水が入るようにします。船は沈み始めます。船底にいたねずみが全部逃げ出した時に、私はその穴を塞いで船が正常に航海出来るようにします。」と主は言われました。

 その教会でねずみを見つけるのが私の仕事だったのです。教会はその後変革の時を迎え、大変な試練を通りましたが、主が支えて下さいました。多くのメンバーがどんどん出て行きました。600人いたメンバーが150人になってしまったのです。随分ねずみがいた船だったのですね。処が、残された150人の人たちはほとんどが第一と第二のグループ、つまり、イニシエーターと協力者だったのです。

 出て行ったのは不正な「妨げる人達」でした。彼らはイエスを信じて救いのもたらすすべての祝福を受けるだけで、イエスを主とすることをしない人たちです。自分の好き勝手に生きながら、イエスを保険のように考えている人たちです。 彼らは礼拝には出席しても、ほとんど献金もしないで、いつもミニストリーを受けたがり、何か自分の益になることだけを求めて、もしそうでなければ悪口雑言をいって出て行くのです。彼らは信仰ではなく感情で動いています。過去の荷物をぶら下げたままで信仰生活を続け、それを捨てることもしないのです。僅かなことですぐ腹をたて、信仰で歩むことを学ぼうとはしないのです。怠け者です。成長したいという気もなく、ただ手を置いてもらって祈られるのが好きなのです。いつも助けて欲しい、救って欲しいと思っています。

 私たちは人々を神から救うというのが仕事ではありません。人々を神のみ心に従うようにするのが私たちの任務です。ある人が苦しんでいる時に、それが神から与えられた必要な苦しみであることを見分けることは大変重要です。そう言う場合は、すぐに助けてはいけないのです。蝶がさなぎから出ようとしているのを見ると、大変苦しそうですが、もし、あなたがかみそりで殻を切って助けてやると、蝶はすぐに死んでしますのです。 殻から出ようともがき苦しむ時に、蝶がこれから生きていくのに不可欠な力が羽についていくのです。人がイエスにあってもがき苦しむのを阻んではいけません。我々のミニストリーは人を助けることではなく、主がその人にしようとされていることを、その人が理解して主に従うようにと導いて上げることなのです。

 ある人が私のところにきて、「先生、あなたが今までに主からいただいたすべての油注ぎを私がいただけるように祈って下さい。」と言いました。私は「とんでもない、そんなことをしたら、あなたは五分で死んでしまいますよ。」と答えました。私の人生をお分けすることは出来ませんし、長い年月の非常な苦しみ、悲しみを通して主から与えられたことは、頭に手を置いて祈ってお分けすることは出来ません。「あなたがこれからの主の訓練に耐えることが出来るようにお祈りしましょう。」と私はその人に申し上げました。

 主が一人の預言者を立てられるまでには、どれほどの訓練をされるかお分かりになるでしょうか。主から信頼されるようになるには、多くの苦しみによって従順を学ばなければならないのです。

 不正な「妨げる者たち」は私たちのミニストリーの足を引っ張ります。先にお話した百五十人になってしまった教会は、この種の人達を失ったのですが、最初から彼らは教会の一部にはなっていなかったのです。他の人たちと心を合わせてはいませんでした。

 火によって私たちは試されるのです。神はすばらしい放火魔です。すべての教会、ミニストリーは火をつけられて、それで燃えてしまうものはカスなのです。ですから 六百人よりも百五十人の方がその教会にとっては益だったのです。あれから十八ヶ月経ちましたが、その教会は現在、千百人の教会に成長して来ています。主による「剪定」はとてもよいことなのです。(終わり)


トップへ戻る
[PR]
by walkwithgod | 2007-05-10 08:16 | アメリカからのメッセージ
<< とりなしの祈りとは   ジェー... この5月は特別の月   坂 達... >>