神に忠実な義なる者は何度も転ぶが必ず起き上がる リック・ジョイナー 7月17日

神に忠実な義なる者は何度も転ぶが必ず起き上がる

リック・ジョイナー

 教会の真の力とは、そこに集う人々がいかに強いかによって示めされるのであって、そこの牧師がいかに良いかによって示されるものではありません。近代の教会の最も大きな弱点は、エペソの4:11-16で教会に命令されているように、信徒をよく整えてミニストリーの働きに参加させることを教会がほとんどしていないことです。もし信徒が整えられているならば最も力強い教会が出て来ているはずです。下記の御言葉は教会における真のミニストリーのすべきこととその結果を最も簡潔に、又分かり易く説明してくれていますので、これをご一緒に読んでみましょう。
エペソ4:11-16 「 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」

ミニストリーの働きが、多くの場合、人々によってではなく、建て上げるプログラムによって妨げられていることは証明済みの事実です。しかし、教会のミニストリーが真の新約のミニストリーになる時、ミニストリーをするために人々を整えることによって私たちは教会が次のような成果をあげることが期待できます。

― 信仰の一致
― 神の御子の知識
― 完全に大人になって(霊的成熟)
― キリストの満ち満ちた身丈にまで達する

そうなると教会全体が強くなり成熟し、

― 私たちがもはや、子どもではなく、未熟ではなくなり、人の悪巧みや、
― 波にもてあそばれたりすることがなく
― 人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、
― 愛をもって真理を語り、
― あらゆる点においてキリストに達するように成長し、
― からだ全体が備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、
― 一つ一つの部分がその力量にふさわしく機能し、
― からだ全体が成長して、愛のうちに建て上げられるのです。」

私たちは、自分自身と人々がそれぞれ違った計画と戦術、企画を持っているので、お互いが疲れ果ててしまいそうではあっても、教会がからだ全体として成熟すべき姿に建て上げるためにはこれが唯一の方法であり、それを成功させるためには教会として実際にどのような整えをして行けばよいのでしょうか。

第一に、整えることとは成長のプロセスの四番目のステージ(段階)であり、と言うことはその前の三つのステージが既に達成されていなければならず、又最後のものもその次に達成されねばなりません。これらのステージとは、

― 動員するMobilizing
― 教えるTeaching
― 訓練するTraining
― 整えるEquipping
― 展開させるDeploying

ほとんどの教会は最初のステージを大きく越える段階にまでは達していません。彼らは信徒を教え始めますが、ほとんどが実際に訓練するまでに至っていません。教えることと訓練することとは違います。飛行訓練士の一人として、私は実際に飛行機に乗り込んで生徒を実地訓練する前に、飛行機の操縦において何をすればよいのかを時間をかけて先ず教えます。それと同じように、彼らが召されているミニストリーについて教える必要がありますが、それだけでは充分ではなく、実地訓練をしなければなりません。イエスはそれをなさらなかったでしょうか。

 イエスは教会のリーダーであることを忘れないで下さい。キリストに従う総ての真のリーダーはイエスがされたと同じことをするはずです。どうすべきかを教えるだけでは充分ではないのです。彼らを実地訓練しなければなりません。イエスはそれ故に先ずご自身で実際にやって見せて教えました。イエスが弟子に教えたことで実際にデモンストレートして見せなかったことは一つもなかったのです。

教え、訓練することの後に整えることが来ます。私の飛行機操縦クラスの生徒たちは授業で教えられ、その知識を私が実際に飛行機に乗ってデモンストレートし、次に彼らが同じことが出来るかどうか、実際に彼らに飛行機を操縦させて私は彼らの習得した技術を見ます。しかしその後で私は、彼ら一人一人に飛行機を与え、自分だけで操縦するソロ飛行のチャンスを与えます。しかし、自分一人で飛行機を操縦すると言う画期的なことですら、実は彼らの飛行トレーニングのほんの始まりに過ぎないのです。飛行訓練の教師が生徒の学んだ技術を信用して一人で飛行させることは、確かに注目に値し励ましを与える点で画期的なアチーブメントではありますが、それでも熟達したパイロットになるまでには大変な道のりが待っています。

この「ソロ飛行」は、主がルカ10章で、弟子たちだけで旅立たせ、ゴスペルを説き、病人をいやし、悪霊を追い出す経験をさせたことに似ていると思われます。彼らは自分たちだけでミニストリーを実行できたことで大きな励ましを得たに違いありません。喜び勇んで帰って来ました。私たちは人々が目の前で信徒によって神の御業がなされるのを見て本当に励まされることがあります。しかしそれは、実際に神に用いられて神の仕事に携わることとは大きな違いがあるのです。

奇跡とか他の神の御業をコンスタントにデモンストレート出来る聖職者たち(ミニスター)には多くの人が励まされ、人が集まりますが、それよりも一般信徒の人たちが働き人として解き放たれ用いられるのを見るときはもっと励まされます。霊的なものあるいはその飢え渇きを持つ人であるなら誰でも、最終的にはそのように用いられるのです。

私たちが普通の信徒を放ってミニストリーをやらせてみると、まずへまをすると言う恐れを持つ人たちのことをも考慮しなければなりません。はっきり言ってその通りです。彼らは私たちがへまをしたと同じようにへまや失敗をします。もし私たちが失敗を恐れて信徒にやらせないのであれば、私たちは主がなさったことを真似て行わない人と言うことになります。事実、主は最も失敗をする可能性の大きかったペテロに、教会を任せる一番の権威を与えたのですから。

世界的な音楽家の一人が私に「実演のライブ録音されたアルバムが真にライブである良さは、間違って弾かれた数々の間違いがその演奏を生き生きとさせている」と言いました。もしあなたの教会とかミニストリーが全く間違いを犯さないのであれば、それは多分そのミニストリーが生きていない、命がない証拠です。人々は間違いを犯します。そして神が喜ばれる最も偉大な信仰とは、箴言24:16で、「正しい者は七たび倒れても、また起きあがる、しかし、悪しき者は災によって滅びる。」(口語訳)とあるように、転んでも起き上がり、ひるまずやり続ける人の信仰です。神に従う者は何度も何度も転んで失敗します。しかし必ず起き上がり続けるのです。

もしあなたが教会のリーダーで、あなたの信徒がミニストリーをやらせるほど成熟していない、安定性がないと思うなら次のことを考慮して下さい。主はルカの10章で70人の弟子を宣教の旅に出し、癒しと悪霊追い出しをやらせました。しかし11章で同じ弟子たちはイエスのところに来て祈りの仕方を教えて欲しいと請うたのです。考えてみて下さい。彼らはイエスによってミニストリーに出され、普通ではないミニストリーを行って成功したのです。その彼らは未だ祈り方もよく教わっていなかった人たちでした。

勿論イエスは明らかにこの世で最も成功したベストなミニストリーをされた方です。私たちのミニストリーは、私たちがイエスのやり方にどれだけ従うか、その忠実度によって成功の度合いが決まります。イエスのミニストリーで最も特異なことは何かと言えば、イエスは彼のミニストリーのリーダーたちを最もそれに適さなく有能であるとは思えない人たちから選ばれ、それらの人たちがどのように祈ってよいかを知る前から、ミニストリーをさせ、彼らの経験と間違いを通して、この世で、最も力ある宣教のための働き人を育て上げたのです。もし私たちが、イエスがなさったことと同じやり方でリーダーたちを選んで育て上げるならば、教会に何が起こるでしょうか。それはこの世の中を再び大いにゆるがすことでしょう。(終わり)


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by walkwithgod | 2007-07-17 13:04 | アメリカからのメッセージ
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