バプテスマと漬物   坂 達也   7月18日

バプテスマと漬物

聖句の解釈でよく問題になるものの一つにマルコ 16:16があります。

「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」

  この聖句の最初の部分を文字通り解釈すれば「救われるためには、信じてバプテスマを受けねばならない。」と言っていることになりますが、この御言葉によって、「救われる」ためには、バプテスマを受けねばならないのか、受けなければ救われないのか、と言う疑問が出て来て、それが色々と議論されて来ました。

 私は最近、ストロングのコンコーダンス (用語索引辞典)を見ていて「バプテスマ」の原語baptizo の意味を初めてよく理解することが出来ましたので、今回それをお分かちしたいと思います。

バプテスマbaptizo とはどう言うことかと言えば、ものを水とか液体にずっぽり浸けること、あるいは大波などが上から覆いかぶさってずぶ濡れになることを言うそうです。又、このbaptizo に似た言葉にbapto があります。これは普通「ちょっと浸す」と言う意味で、この二つのギリシャ語の使い方の違いが紀元前200年に書かれた漬物の作り方の文献に載っていたそうです。
それによれば、当時漬物にする野菜は、先ずさっと熱湯に浸し 、直ぐ引き上げてから、酢の中に漬けてしばらく放置すると書いてあったそうです。
熱湯にさっと浸けるのはbapto で、その後しっかり酢に漬けることがbaptizo なのだそうです。この説明で明らかなように、bapto は一時的・表面的に変わっても中身までは変わらないことを表わし、一方、baptizo の方は一旦沁みこむと永久的に中身まで変質する漬かり方であると言うことがわかります。

 これは、トランスフォーメーション と言う言葉(英語)の動詞であるトランスフォームと言う言葉の原語には"metamorphoo" と"metaschematizo" の二通りあり、最初の"metamorphoo"の意味は「内側が変わること(変質)によって外側・外見が変わる」(ロマ書12:2)ことをさし、一方 metaschematizoは、中身が変わらないで外見だけが一時的に変貌・変装する(2コリント11:13-15)と言うのに似ています。

要は「変えられる」と言っても、私たちは見せかけだけ変わる(成長したように見せる)クリスチャンであってはならない、身も心も永久的に質的変化を遂げた(中身が霊的に成長した)クリスチャンにならなければならないと言うことです。そして、中身が変わるから、外見も変わって来るのです。

バプテスマを受けると言う意味もこれに似ています。洗礼とは、肉の人間から霊の成熟した人間に変える(トランスフォームする)、あるいは「イエスに似た者にする」ためのプロセスです。大根をぬか漬けにすれば単なる野菜の大根ではなくなります。つまり肉の人間を色々な霊の液体に浸けて「霊の漬け物」としてキリストのからだに完成させるのです。
これを作る漬け方の一つのレセピーはバプテスマのヨハネによる漬け方で、マタイ3:11に書いてありますので、それを下記にご紹介します。

「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けてい ますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」

 真の救いを得るためには、先ず徹底的に「悔い改める」ことによって人間の古いアク(悪)を取ります。そのために「アクぬき」の方法として水に漬ける(水のバプテスマ)のです。これは漬物の素材をよくするためです。次に聖霊と言う液体にどっぷり漬けて「聖霊漬け」にします。霊の漬物とは基本的に「聖霊漬け」です。これに漬ける時間が長ければ長いほど上質な出来上がりとなります。そして最後は火に漬ける(通す)洗礼でしめて完成させます。これは一切の不純物を取り去る最終的な仕上げのプロセスです。

その他聖書では洗礼についての色々な漬け方を教えてくれていますので、その主なものを下記に二つ三つ挙げてみます。
1コリント10:2によれば、「みな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け」と書かれていますから「モーセにつける(結びつける)洗礼」があることが分かります。又、ロマ6:3によれば「キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。 」とありますから、「イエスにつく水のバプテズマ」とは「自分を死に浸す」バプテズマであることが分かります。

又、ガラテヤ3:27では、「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(新共同訳)とあるように、私たちキリスト者の最終目標は「キリストに結ばれ」「キリストを着る」ことにあります。あるいは次の28節にあるように 「キリスト・イエスにあって、一つ」になるバプテスマを受けるのです。
要するに私たちは基本的に「聖霊漬け」にされつつあるのですが、その目的は「キリストにどっぷり漬けられる」「キリスト漬け」であり、長く浸けられる間に、私たちの中身がキリストに変質しなければなりません。

 結論から言えば、マルコ16:16は全くその通りなのです。私たちはイエス・キリストを心から信じるだけではなく、聖霊によって、私たちの中身がキリストに似た者に変質されるまで「キリスト漬け」にすると言う長いプロセスのバプテズマを受けて救われる、と書かれているからです。

 ところでマルコ16:16は、一般に「イエスによる大宣教命令」( the great commission)と言われるマタイ28:19のマルコ版です。ですからマタイ28章に出てくるバプテスマとマルコ16章のバプテスマは同じ意味です。
そして、マタイ28章でイエスは、弟子たちに世界に出て行って、彼らを弟子とし、 「父、子、聖霊の御名によってバプテズマを授け...」と書いてありますが、「この御名によって」の「よっての」の部分の原語はeis ( 英語でinに当る )です。先程引用した1コリント10:2とかガラテヤ3:27でも同じeis が使われていますが、英語ではそこはinでなく into, untoと訳されています。ですから、マタイ28章でも厳密に言えば、単に「御名において」と言うより「御名(その神のご性質を代表する)につく」「御名に結びつける」「御名と一つにする」と訳した方が意味としてはより分かり易いと思います。
 と言うことはバプテスマとは一回水に浸かればよいと言う単なる儀式だけのものではないのです。

皆さんはキリスト漬けが進んで、キリストの匂い(かおり)を今はぷんぷんと放っておられるでしょうか。(終わり)


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by walkwithgod | 2007-07-18 10:15 | 坂達也からの今月のメッセージ
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