女性によるブレークスルー フランシス・フランジペイン 9月22日

女性によるブレークスルー

フランシス・フランジペン

初めに一つお断りしておきますが、神によって与えられている秩序の範囲内ならば、私は教会で女性が自由に活動することを勧めています。私がこれから書こうとしていることは、神が女性に特別に与えられた元来の恵みを解き放ち強調することにあります。主はこれまでにも、リバイバルを起こすために女性のこの力を用いられたのです。

創世記に書かれている男女の区別

神が人間を創造されたとき、神は男に恵みを与えられましたが、女にはそれとは別であって、しかもユニークな恵みを与えられました。神はアダムに地上の生き物に名前をつけるように言われ、「 人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった(創世記2:19)」のです。 生き物に名をつけたというのは、犬を見てそれをスポットと呼んだ、ということではありません。アダムは、物事を組織化し管理する能力を持つ者として創造されたので、彼の周りの世界を識別し定義づけることができました。名前をつけることによって、アダムは生き物すべてを把握することが出来たばかりでなく、人間の生活に秩序と組織を与えたのです。

アダムという最初の人の中には、潜在的にパワフルな女性の素質も内在していました。アダムが眠っている間に、御霊は彼からあばら骨をとりました。主はそのあばら骨から女をアダムの伴侶として造りあげました。女はただアダムにふさわしい存在だったというだけでなく、アダムの創造的能力をもっと拡大させるものとなりました。実際、アダムの世界に以前は存在しなかった多くの新しい恵みを、女はもたらしたのです。その最大のものは、彼女はみごもって子供を産む能力を持っていたということでした。

「神は神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記2)」ということは、忘れてはならない大事なことです。勿論、ある意味で、アダムもイブもそれぞれが神のご性質を備えていました。どちらも自分一人でも考え、話し、夢を見、創造したりできました。しかし、アダムとイブが一つになり、お互いの強さや恵みを尊重しあうときに、人類は神のご性質をもっと完全に表わすことができるのです。

アダムが最初の女性を見たとき、彼は「これこそ、今や、私の骨の骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。(創世記2:23)」と言いました。アダムのつけた「女」という名前は、「この生き物は、男という種類の中のユニークな変種である」と、アダムが認めて、それを表わすために使ったものでした。私の妻は「イブはアダムより一つ高級になったと思ったらいいのよ。」といいます。まぁ、ある意味では妻は正しいといえましょう。というのは、イブは二回精錬されているからです。アダムは土から造られましたが、女は土からではなく男から生まれました。女のほうがもっと複雑で感情的にも洗練されているのです。

ほどなくアダムは彼の伴侶の偉大な力を知りました。それは子供をみごもりこの世に新しい命を生み出す能力でした。この特性を知って、アダムは彼女を「イブ」と名づけました。それは「いのち」という意味でした。イブはいのちの新しいはじまりに不可欠な役割を果たしたのです。「それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。(創世記3:20)」とあります。

リバイバルの必要性

主はアダムに、すべてのものに名前をつけて回りの世界を組織づけ確立するという基本的な能力を与えました。そして女には、みごもりそして産むというユニークなキャパシティーを与えました。それぞれの主な能力は、男は確立し、女は産み出すということです。このような特性はただ「人間」に与えられたものではなく、神のご性質を反映しているものだということを忘れないでください。周りの世界に秩序を与えるという男の能力、つまり、不ぞろいのものに定義をつけ組織立てるのは、神が持っておられる才能です。また、子供をみごもってお腹の中で育て命を産み出すという女の能力も、神の御性質なのです。

ここで、イブがまだ子供を産まない前に、アダムが女にイブ(いのち)という名をつけたことに注目してください。神は女に子供を産む能力だけでなく、いろいろな方法でいのちを放っていく能力を与えたのです。事実ある翻訳では、イブというのは「活気を添える、元気をつける」という意味だと言っています。アダムは一人のときは元気がありませんでした。アダムが一人でいるのはよいことではなかったのです。地上のどの生き物もできなかったのですが、イブはアダムを元気づけることができました。アダムは家を建てましたが、イブはその家を家庭にしました。アダムがイブに「いのち」という名をつけたとき、やがて最初に子を産んで母になるおんなを預言的にそう呼んだだけではなく、自分の経験からそう言ったのです。つまり、イブはアダムの世界という建物の中にいのちをいれてくれたのです。

これは一般的な話でしたが、霊的な領域のミニストリーに関しても男と女はこれと同じものを神から刷り込まれていることが分かります。イエスは12人の男たちと教会の基礎を築かれました。これは女性のリーダーは一人もうまれないだろうという事ではなく、神から男性に与えられた能力の一つが、前述したように、秩序をつくり組織することだからです。

それと共に、キリスト誕生の前に女預言者のアンナがいましたが、祈りと断食をして暮らしていました。これは私の考えですが、アンナは一人でとりなしをしていたのではなく、その時代の預言的とりなしのミニストリーのリーダーだった可能性があると思います。霊的に敏感であり、新しい始まりを解き放つことにおいて、女性はとりなし手としてより優れています。勿論、これは男性は祈らなくてもいいということでは決してありません! なぜなら聖書の中のもっとも素晴らしいとりなし手たちは男性だからです! 私は一般的にみた男女の霊的傾向を述べているのであって、神の御心を地上にもたらすためには男性も女性も絶対に必要なのです。

今日、多くの場面でサタンが進撃してきていて、私たちはそれと戦っています。戦争やテロリストとの戦いもありますし、この世のますます拡大する不正との戦いもあります。リバイバルが必要です。国を覚醒するためには、神が女性に与えた力が発揮されなければなりません。男性が法律をさだめ正しく治めようと努力してきましたが、それだけでは真に国家をトランスフォームすることはできないのです。神は女性の祈りの軍隊を立て上げ油注いでおられるのです。彼女らは国家のために神の御前でとりなしをするために、今もっと大きな力を与えられようとしています。

私の母の祈り

私自身、この女性の祈りの力を経験しています。60年代の終わりごろ、私は罪と反逆の中に生きていて、自分でも何をしているかわからないような青年でした。私の外見から判断するならば、もう望みがないと思われたでしょう。しかし、そのような状態にもかかわらず、カトリック教徒の私の母は、私のために神の御前に立ってとりなしてくれたのです。私は抵抗しましたが、彼女の祈りから生まれたユニークな神の力が私を追いかけ始めました。母の叫びは必死で止むことがありませんでした。一晩中祈ったこともしばしばあったのです。母は息子のために祈りを孕んでいたのです。1970年に、神はとうとう母の祈りに応え、ジーザス・ムーブメントのリバイバルのとき私はキリストを信じました。

ずっと後になって、私はこのリバイバルのことを主に尋ねました。普通リバイバルが起こる前には、その町全体の一致や祈り会がはじまり、それによってリバイバルが生まれるのを助けるのです。また、そのような働きを促進させるのが私の召しの一つでもありました。しかしながら、私の知る限りでは、70年にジーザス・ムーブメントが起こる前には、町全体の一致や組織だった祈り会はなかったのです。それで、祈りのムーブメントなしでリバイバルがどうして起こったのかを、私は主に尋ねたのです。主はすぐに私の間違いを正されました。偉大な祈りのムーブメントはあったというのです。自分の子供のために叫び求める百万人もの母親たちの祈りが起こっていて、それを主は聞かれたのです。

あらゆる教派から「必死という名の一致」をもって母親たちが叫ぶのを神は聞かれたのです。それが神の心に届き、その結果として非常におびただしい数の罪の中にいた子供たちが、悔い改め、イエス・キリストの救いを見出したのでした。これこそ今、神が再び起こしたいと願っておられる軍隊なのです。しかし今回は、そのときよりもっとはっきりとヴィジョンを持ち、もっと聖霊の力を受け、また、男性のサポートを受けて起こるのです。

神を信じる女性の皆さん、天はあなたを必要としているのです!あなたは全能の神によってこの地球上にブレークスルーを生み出すために造られたのです! とりなしを通していのちを解き放つ隠れた能力を持つ者として、あなたはユニークに神によて創造されたのです。女性の皆さんと一緒になって、私たち男性は建て上げ、基礎を築き、祈ることも学んでいます。しかし、あなた方女性は「新たな始まり」を解き放つ特別の恵みを持っているのです。あなたが祈っているのはご主人のためか、又、教会のリーダーたちのためかもしれません。また、子供のことかも、町や国のことかもしれません。いずれにせよ、祈りを通して神のいのちをこの世に解き放つ種が、あなたの霊の中に宿っているのです。

確かに戦いはあります。今でも「おまえの子孫と女の子孫との間の敵意(創世記3:15)」は存在しています。サタンの頭を踏み砕いたのがおんなの子孫だった故に、サタンはあなたがた女性を特に憎んでいるのです。神は御子をこの世におくられるのに、天からでもなく、男が女をみごもらせるのでもなく、神によってみごもった女性を用いられたことは、私にとって非常な驚きです。神ご自身が、子供を産むことができるという女性の力を通してこの世に来られたのです。

今日、主は地獄の力に対抗するために、女性に新しい恵み、新しい大胆さを与えておられます。女性が男性に対して反抗するのではなく、男性のために祈っています。それら敬虔な女性たちは、地上の力強いミニストリーをとりなしの祈りによって生み出しているのです。彼女たちはキリストのからだに新しい出発を解き放っているのです。

また、私はアグローやリディヤ・フェロシップ、その他の女性のミニストリーを推奨し、感謝したいと思います。今まで数えきれないくらい、神によって危機一髪で守られたり、霊的打ち破りが思いがけず私に訪れたりしたことがあります。 そのことを主にお尋ねすると、主は「アグロー(または、他のミニストリー)の人たちの祈りに私は応えたのだよ。」と言われるのです。皆さんに心からお礼を申しあげます。主が皆さんの心の願いをかなえてくださいますように!

黙示録12章には「「太陽を着た女」のことが書いてあります。これは単にイスラエルとか教会だけを指しているのではありません。神が霊的な女性をどのように見ておられるかを表わしています。彼女らは栄誉を受け気品を冠としています。清く、神の栄光に包まれています。 確信をもって闇の力を踏みにじります。とりなし軍団の女性の皆さん、国々を治めるものを生み出すことは、あなたの本来の神からの定めなのです。 (終わり)


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by walkwithgod | 2007-09-22 14:19 | アメリカからのメッセージ
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