これからの時代にもっとも価値ある賜物 リック・ジョイナー 11月23日


これからの時代にもっとも価値ある賜物

リック・ジョイナー

キリストの教会は現在、過渡期(トランジション)を迎えています。過去数世紀の間に形作られてきた教会の形態では、これからの時代を生き抜くことはできません。主がバプテスマのヨハネを賞賛されたように、私たちも今までの教会が成し遂げてきた多くのことに対して敬意を払うべきです。しかし私たちは、これからは違うタイプのリーダーに従っていくべきであり、主はそのようなリーダーを今起こされています。一方は衰え、もう一方は盛んにならなければならないのです。

たとえあるリーダーが以前力を発揮していたとしても、今の過渡期には別のタイプのリーダーが求められます。過渡期のリーダーには、時を見分け、今どのように対処して行けばいいかを知る知恵が必要とされます。主は、天気が変わるしるしを見分けられても時のしるしがわからない者たちを叱責されました。最近は、天気予報はどんどん正確になってきましたが、教会が時を見分ける力は、概してそれに追いついてはいないようです。しかし、必ずその時がきます。どのようにしてそれは起こるのでしょうか?

第一歴代誌12:32には「イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。」と書かれています。イッサカルはヤコブの12人の息子の一人で、イスラエルの12部族の一つとなりました。どうしてこの部族が、時を悟り何をすればよいかという知恵を持っていたのでしょうか? その答えは、創世記49:14,15に書かれています。ここは、ヤコブが息子たちに預言をしている箇所ですが、彼はイッサカルに対して次のように言っています。

「イッサカルはたくましいろばで、彼は二つの鞍袋の間に伏す。彼は、休息がいかにも好ましく、その地がいかにも麗しいのを見た。しかし、彼の肩は重荷を負ってたわみ、苦役を強いられる奴隷となった。」

イッサカルは、休息の地が好ましく、その地が麗しいのを見たにもかかわらず、困難な仕事に従事し奴隷とまでなったのです。彼がこのように人に仕える心を持っていた故に、主はイッサカルの子孫を信頼し、来るべき時代にもっとも価値ある賜物を彼らに委ねようと思われたのです。その賜物とは即ち、時を知り、何をすればよいかを知る知恵でした。

備えと訓練

現在は情報時代なので、情報こそが一番重要なものであるといわれてきました。しかし、他のすべての情報を一まとめにしたものよりも、未来に関する正しい情報と何をすればよいかという知恵が、本当は一番価値のあるものであることが、やがて明らかになることでしょう。ヨセフがエジプトの総理大臣に昇格したのは、将来に関するパロの夢を解き明かすことができたことと、それに対してどうすればよいかという知恵の言葉の両方を持っていたからに他なりません。この二つの賜物を合わせ持つ者たちは、これからヨセフと同じように、影響力のある地位を与えられていくことでしょう。

多くの人が自分はヨセフのミニストリーをするように召されていると感じているようで、私のところに来てそのように言われる方がよくあります。しかし、そのためにヨセフが通ったような準備期間を通りたいという人にはあまりお目にかかりません。ヨセフは自分の兄弟たちから拒絶されたばかりか、奴隷として売られたのです。さらに奴隷になったばかりか、主人の妻から偽りの罪を着せられ投獄されてしまいました。それでもまだ、あなたはヨセフのようなミニストリーをしたいと思われますか?

よく私が言うことですが、沢山の人が高いレベルの権威と影響力を持つために必要な訓練を受けることを拒んだので、多くの賜物を持っていたのにもかかわらず、あまり実を結ばないで人生を終えるのを私は見てきました。一般的な原則として、短期間に簡単に入手できるものほど、その重要性は低いのです。ですから、もし私たちが本当に重要なミニストリーをしたいと思うならば、それは多分、短期間にとか、簡単には起こらないでしょう。信仰と忍耐をもって約束のものを手に入れた人たちを熱心に見習うようにと言われるのは、そういう理由です。大切なミニストリーであればあるほど、それを達成するためには、より大きな信仰と忍耐が必要とされるのです。

「自分はミニストリーの楽しい部分だけをすればいい、実をならせるために必要なつらい仕事など自分はする必要はない」と高をくくっていた人が、残念ながら沢山います。彼らが多くの賜物を持っていたにもかかわらず、挫折感に満ちた悔いの多い人生を送っているのは、こういう理由からなのです。彼らはほんの少しの間、明るく輝いたかもしれませんが、流れ星のようにすぐに消えてしまったのです。彼らには実質が伴わず、人格、知識、知恵に欠け、長期間火を燃やすために働き続けるという献身もないのです。彼らは多くの場合、晩年を挫折感のうちに過ごします。なぜならば、彼らの今の人生はむなしく将来は暗いので、過去に住むしか仕方がないからです。

「イッサカルの子孫」になるためには大変な努力が必要ですが、その苦労を厭わない人はそう多くはおりません。使徒パウロがテント作りをした理由はここにあります。テント作りなどは偉大な使徒に全く無駄な時間の浪費をさせるものだと、私たちは考えるかもしれません。しかし、もしパウロが現実的な地道な仕事をしながらそれを主への礼拝に変えていくことを喜んでしなかったならば、主は彼に偉大な啓示をお与えにはならなかったことでしょう。もし私たちが真実な者であるならば、自分が教えることを生きなければならないのです。

ヴィジョンを持つのは楽しいことですが、そのヴィジョンを実現させるために困難な努力を進んでする人は少ないのです。また、細かいことに気をとられて、ヴィジョンを失ってしまう人もよくあります。私たちのワーシップ・リーダーであるダン・ポッターが、ダビデ王に関する彼の重要な洞察を話してくれました。ダビデは預言者でした。もし、彼がその賜物だけに力を注いだら、もっとも偉大な預言者になっていたかもしれません。彼はまた、音楽家であり詩人でもありました。もしそれだけに集中していたら、もっとも偉大な作曲者となっていたかもしれません。しかし、彼は王、統治者として召命を受けていたのであり、その分野で彼は最も偉大な功績を残したのです。預言者であること、また、音楽家であることは、彼の究極の召命を果たすために役立ちました。しかし、彼は第一のことを第一としてゆるがせなかったのです。

仕える者たちの軍隊

今までリーダーになったことがないものは、王とかトップのリーダーになりたいと思いますが、その人たちはそれがどれほどの努力を必要とする困難な仕事であるかを知らないのでそう思うのです。重要な仕事のリーダーになれば、気が狂いそうに細かいことまで絶えず対処していかなければなりません。人々から賞賛を浴びるという栄光などすぐに色あせてしまうのですが、経験したことがない人にはそれが理解できません。しかしながら、リーダーという地位が与える権力は麻薬のようなもので、人はすぐその権力の虜になってしまい、それによって命を吸い取られてしまいます。キリストの奴隷であり続けることだけが、権力の虜にならない道なのです。

「人に仕えるリーダー」という概念はよく話題にはなりますが、現実には非常に稀であり、多分キリストの教会内にだけしか存在しないでしょうし、また実際には教会の中でも見つけるのが困難なのです。けれどもこの時代が終わる前には、教会のリーダーは皆そのようなものに変えられるのです。真のリーダーになることは非常に大変な仕事です。それは十字架であり、それを進んで担ぐものはあまりいません。この世のリーダーは普通、自己本位で身勝手ですが、現在は教会の中でさえもこの手のリーダーが一番多いのです。

この時代が終わりに近づいているしるしを一つ求めるならば、それは、地上で教会が明確で効果的な力を持つようになることでしょう。これは新しい種類のリーダーが立つことによって起こりはじめます。教会は歴史上のどの軍隊をも凌ぐ力と影響力をもつ軍隊、しかもそれは命を奪うためのものではなく、命を救うための軍隊となります。また、軍隊とおなじように教会にもそれぞれ特別な役目をもった多くの部隊があり、それらは互いに競い合うのではなく協力して働くようになります。

教会は非常に強い勢力となると同時に、しみもしわもない花嫁となります。それはソロモンが雅歌6:10で預言的に見た花嫁の姿です。
「曙のように姿を現すおとめは誰か。満月のように美しく、太陽のように輝き、旗を掲げた軍勢のように恐ろしい。」

花嫁は美しいと同時に軍隊のように恐ろしいのです。私たちはこの二つの特徴がますます顕著に現れてくるのを見ようとしています。教会は見るに麗しく、しかも、今までの軍隊よりももっとすごい力に満ちているのです。(終わり)


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by walkwithgod | 2007-11-23 08:56 | アメリカからのメッセージ
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