主の愛を持ち運ぶ者となる  キャサリン・ブラウン  3月22日

主の愛を持ち運ぶ者となる

キャサリン・ブラウン

最近私に与えられた幻の中で、数人の人が主に近づいて主の衣のすそにさわろうとしているのを見ました。それは聖書にある12年間長血をわずらっていた女がしたのと同じでした。(マルコ5:25)彼らは多くの人生の重荷を背負っている様子でしたが、主の愛のまなざしを一度受けさえすればすべて癒されることが私には分かりました。主も彼らを癒してあげたいというお気持ちで一杯でした。あなたも「主よ、助けてください」と必死でひざまずき、手を伸ばして主にすがろうとしたことが、これまでありましたか? 主はいつでも私たちのうなだれた頭を上げてくださり、癒しの力で私たちを喜んで満たしてくださるお方であることを信じることはとても大切です。そのことに同意を表すかのように、主は幻の中で「わたしの手を、わたしの顔を見なさい。」と言われました。

次第にもっと多くの人が主に近づいてきて、主の御手にすがりつきましたが、なぜか彼らは主の愛に満ちた御顔を見上げることができないようでした。確かに私たちは、度々、イエスが人々の手をとって癒されたということを読みます。主の愛に満ちたまなざしが人々を病や罪への隷属から解放し、抑圧の鎖を砕き、死人によみがえりの命を与えました。私たちが業を行うときには手を用いることを私が思いめぐらしていると、主が「すべての実りはわたしとの聖なる親しき交わりから生まれ出る。」と言われました。

もし私たちが主の御顔を見たことが無いならば、イエスの御手の業を期待することはできません。しかし又、主の釘跡のある御手に触れることなしに御顔を仰ぐことはできません。ここに恵みのパラドックスがあります。私たちは十字架を見てまず信じますが、信じたときに主をもっと理解し、もっと鮮明に主を見ることができるのです。キリストの麗しさを見つめるとき、私たちは父なる神をも受け入れる祝福に預かるのです。イエスは「わたしを見た者は、父を見たのです。」と言われました。(ヨハネ14:9b)

顔と顔を見合わせて

この啓示を受けている最中に、私はまた、ある友達に関する素晴らしい幻を見ました。この友人はモザンビークや他の数カ国にリバイバルをもたらす働きのために、主に大きく用いられてきた人です。幻の中でイエスは彼女の前に立って顔をじっと見つめ、彼女を御腕に抱きしめました。すると、イエスのお腹から命の水の川が流れ出て彼女の中に入っていきました。主は愛のまなざしをもって尚も彼女を抱きしめておられましたが、その愛の流れによって次々に国が生まれ変わっていくのが見えました。これは私の友人に限らず、御国の福音をすべての国々に伝え弟子とせよ、という主の召しに答えたすべての人を象徴している幻です。私たちが持つ主との最も奥深い経験というものは、私たちの心の奥の聖所で起こるものであることに私は気がつきました。その場所で主は私たちと聖なる交わり(聖餐)の時を持って下さり、それによって私たちは永遠に変えられるのです。

イエスは私たち一人一人と顔を見合わせてしっかりと抱き合うことを切望されています。主の御顔を仰ぐときに、私たちは主の手となって世の中で傷ついている人たちに手を差し伸べ癒したいという思いが与えられ、そのための力も与えられるのです。多くの人々の救いはそのような秘密の聖所で生まれます。花婿なる王キリストの秘密の場所とは、主のまなざしが私たちの心を虜にし、恋におとし入れ、私たちが主の愛で満ち溢れるようになる所です。そこで顔と顔を合わせるときに、私たちは完全に神を信頼し、主の愛に完全に頼り切ることができるのです。

私たちはみな、天からのマナで満ち溢れるようになる必要があることを改めて実感させられます。それは主に安息することによってのみ得られるものです。私たちがもっと主をよく知ることができるように、神は私たちの目から覆いを取り除きたいと切に願っておられます。そのような聖なる時に、主は御自分が総ての力を持ち、総てをご存知であり、永遠に私たちと共におられ、無条件の愛が常に満ち溢れている方であることを、私たちにもう一度思い出させてくださいます。主は美しい花嫁に心を奪われておられます。でも私たちは、自分が王の王なる方からどれほど深く慕われているかを、本当には理解していないことが多いのではないでしょうか。

主の胸の鼓動を聞く

最近、主の御前に出ているときに、主が私に気づかせてくださったことがあります。それは、私がいつも主の愛の中に安息する必要があり、「主からいただく次の課題は何か?」ということばかりに気をとられて主を待つのではいけないということでした。私の一番の願いは救い主と共に時を過ごすことであるという思いに達したとき、自分は時に何もかもやめて立ち止まり、ただ主の臨在を深く吸い込んで主の愛を受けることがいかに必要であるかに気がつきました。戦場にいる者たちは天の軍勢の総司令官である主と時を過ごし安息を得なければならないことを、主が語られました。又、孤独なリーダーたちが主の元に来て主との交わりを通して、彼らの空っぽになった部分を主が満たして下さることを主がどれほど望んでおられるかを語られました。主の恵みが、私たちの心の中にあるすべての自分で守ろうとする壁を打ち壊し、心の総てが主の愛によって満たされて全き者にならねばならないことを語って下さいました。

神の臨在の中で過ごす時間は、私たちの心の畑を耕し、主の御心と御ことばの種を深いところに蒔きます。そして、それは定められた時になると芽を出し実を結ぶのです。私たちが一人で神と時を過ごすとき、神は剪定とともに施肥をしてくださり、私たちの知性、意志、感情を、私たちのために立てられた主の完全な御計画に一致させ沿わせてくださいます。私たちが主をワーシップして時を過ごすと、イエスは私たちの硬いところを柔らかくし、乾いたところを潤してくださいます。主の憐れみに盲目であった領域の霊的視力を主は再調整してくださるので、私たちは物事を自分の見方ではなく主の見方で見ることができるようになります。火のように燃える主の目は私たちを主のもとへと引き寄せ、私たちの良心を謙遜と崇拝でひざまずかせます。イエスは私たちに、へりくだることが美しいことであることを知ってほしいのです。

3つの祭壇:勤勉、任務、献身

幻の中で、私は天にある3つの祭壇を見ました。一つは「勤勉diligenceの祭壇」と呼ばれ、一つは「任務dutyの祭壇」、そして3つ目は「献身devotionの祭壇」でした。天の祭壇はそれぞれがまことに素晴らしく、大小の炎を上げて燃えていましたが、献身の祭壇が一番明るく燃えていました。それぞれに、証(勤勉)、働き(任務)、礼拝(献身)を表していました。勤勉の祭壇は、主の愛が私たちの行動によって実現されるところです。任務の祭壇は恵みの祭壇で、そこでは信仰と行動があいまってよい業をなし、謙遜が、キリストの従順を私たちがまねることを可能にします。

献身の祭壇の炎の中に、美しい宝石があるのが見えました。これは愛と礼拝の祭壇で、私たちの人生をその上で燃やすことによって、イエスに大きな喜びをもたらす祭壇です。この祭壇の上に千歳の岩なる主の炎が下り、私たちの信仰という宝石を磨いてくださり、私たちをキリストに似る者としてくださるのです。キリストへの献身は、礼拝者の心の中に天国の霊的環境をもたらします。

イエスは「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」(マタイ5:8)と教えられました。献身の祭壇が明るく燃えているとは、即ち私たちが主の聖なる臨在の中で時を過ごすということであり、その時、私たちの心は聖くされるのです。イエスのとこしえの聖い愛は、主の御心を明らかに示し、私たちに主のまことの姿を見させます。「イエスを見る」というのは、肉体として見るというのではなく、むしろ、私たちが主を知り、又、主に知られるという契約の絆でしっかりと結びつけられるということです。主を愛すれば愛するほど、私たちは主を求める必死な思いを更にもっと強く抱くようになります。そしてこの真摯な願いは、私たちの人生を聖くトランスフォームしていく起動力となります。私たちが主の愛に生きるとき、私たちは主の輝きを映じるものとなるのです。

まことの弟子は、師(イエス)に似る者となることを願います。人々を回心させるのが私たちのゴールではありません。しかしながら、私たちが神を敬い自分の人生を主に明け渡すならば、私たちが御国の救いのメッセージを語るときに人々によい影響を与えることができるでしょう。イエスの血潮で贖われた人たちが福音を受け入れるのは、私たちが膨大な啓示の知識を持っているからでもなく、神学をよく把握しているからでもないのです。失われた人々や放蕩息子たちが自分の贖い主なる王を発見する鍵は、私たちが神の子としてどれほど神に熱愛されているか、そして私たちがどれほど神を愛しているか、そのリアリティ-を、彼らがはっきりと見ることにあります。そのような主と私たちの関係はどのような形で現われるのでしょうか。それは、この世的な打算の全くない聖い赦しの愛という形で現われます。

私たちが神の胸の鼓動に向かって走っていく理由は沢山ありますが、主と時を過ごした後に私たちが、主が持っておられる花嫁に対する情熱を携えて、この世へと出ていくことを主は望んでおられます。私たちは使徒的な使節として主の愛の心を世界の国々に持ち運び、それによって国々が主の愛を知るようにと召されているのです。私の祈りは、これからの皆さんの信仰の歩みが、顔と顔を合わせて主と出会う、その中から生まれ出るものでありますようにということです。今日、皆さんが主の愛を再び見出し、祝福されるようにとお祈りいたします。(終わり)


トップに戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-03-22 14:52 | アメリカからのメッセージ
<< 主の軍隊の召集 リック・ジ... これからの40日間への神の言葉... >>