現在のリバイバルの歴史と将来 リック・ジョイナー 9月2日

現在のリバイバルの歴史と将来 ― パート8

リック・ジョイナー

      

しるしと不思議の拡大

過去十六年間にモーニングスター・ミニストリーでは多くの超自然的なことが起こりましたが、アウトポアリングが始まってからのこの十六週間には、それよりもっと多くの癒し、奇跡、しるしが起こりました。私たちは毎日主への畏敬の念に満ちて過ごしています。そして今私たちが新しいレベルの霊的領域に入ったことは間違いありません。この「新しい始まり」は、実は「いにしえの道」に戻ることです。即ち、一世紀の教会が、そこからそれてしまうまでは歩いていた命の道です。

この地上で、主を知り、その主のすばらしい御業を見ることができる程すばらしいことはありません。今は真に奇跡と不思議の時代です。〇八年八月八日の集会とか、あるいは私たちの毎夜の集会で主がなさる御業のすばらしを目の当たりにするとき、主は私たちに、まだこれからもっとすばらしいことが起ることに期待せよと言われているようです。私たちは(リバイバルが)未だ生まれるのを見ていませんが、今経験していることは霊的な意味で、生まれる前に来る産みの苦しみの最後の陣痛です。それは単にモーニングスターとかレイクランドのアウトポアリングだけではなく、もっとずっと大きい、真のリバイバルがアメリカにやって来つつあるということです。

これはまさに終末の収穫の始まりであり、私たちがその中で用いられるためには、これから何が起ころうとしているのかが分かる明確な眺望図を持つ必要があります。今地上にいる神の民は、全員が達成すべき重要な召しを神から受けています。 それ故にアウトポアリングが始まった当初から私たちのミニストリーが目指した目標は、ここへ来る人々がここから帰ったとき、自分の家族、教会、地域社会の中に癒しや奇跡を解き放つことができるように整えることでした。

二〇〇八年八月八日のタッド・ベントレー のミニストリー

八月八日にタッド・ベントレーを迎えて集会を開くことを、私たちは大いに期待し待ち望みました。タッドは最近では他に例が無いほど教会を興奮させました。彼に対する評価は中間がなく最高か最悪かのどちらかでした。タッドが来るというニュースはただちに前代未聞の興奮(期待)と脅威を私たちに感じさせました。脅威を感じたことは、かえってタッドを呼ぶのが主の御こころであるという確信を私たちに与え、私たちはさらに励まされました。しかし、脅威は真剣に受け止めねばならないことなので、私たちは神の動きに備えるとともに、敵からの攻撃にも備えました。これは皆さんもすでに学ばれたことと思いますが、神の動きが大きければ大きいほど、通常、敵の攻撃も激しいのです。

食べ物の屋台や様々な展示のテント、本屋などが朝早くから準備されました。集会は午後五時からにもかかわらず、朝九時すぎには人々が集まり始め、正午にはかなりの人数となり、よい天気とお祭り気分を皆楽しんでいました。
 集会が始まると主の臨在が濃厚で、私たちの集会でよく起こることなのですが、多くの人が霊的目を開かれ、霊の領域のものが見えるようになりました。人々のエネルギーと情熱を見て、大変励まされました。座席は十分にあったのですが、何千人もの人が五時間の集会の間、興奮してずっと立ち続けていました。

タッドを私はもう何年にも亘って知っています。彼は私たちの集会のゲスト・スピーカーとして来てくれましたし、私も彼のカンファレンスで何回もメッセージをしました。しかし、彼はこの夜、私が知っている限りで最も油そそぎを受けていました。彼もこのように強い油注ぎを受けるのは久しぶりだと言っていました。彼のメッセージは油注がれ、また非常に深いものでした。癒しのミニストリーもパワフルであり、多くの人々(私たちが個人的に知っている人たちもいました)が癒されました。聖書で「著しいしるし」と呼んでいるような奇跡もありました。(使徒行伝4:16参照) 集会後、私たちのチームや私が話をした人全員が、彼らが期待した以上のことが起こったと感動していました。疑いもなく神はこの集会の上に、預言的なすばらしい微笑を与えてくださったのです。この集会のDVDは教会の古典となることでしょう。

タッド・ベントレーの個人的問題

タッドが個人的な危機に面していたことを、今回彼と会う前日まで私は知りませんでした。水曜日の夜、彼が到着してすぐ、彼は自分の個人的な問題、特に最近妻と別居したことについて話がしたいと申し出ました。 タッドの話し方は自分を正当化しようとするものではなく、私にすべてを話して、翌日の集会で彼が話すのをキャンセルした方がいいならば、そうして欲しいということでした。私は彼のこの態度を心からうれしく思いました。
私は今でも彼らの別居の全貌を知らないのですが、彼が不倫を犯したのか、あるいは彼が誰か別の女性に愛情を感じているので問題を起したのかということは訊ねました。彼は不倫を犯したことはないこと、また、「他の女性」も存在しないと言いました。タッドのミニストリーのリーダーたちとも私は話したのですが、彼らもタッドの結婚の問題を非常に悲しんではいましたが、タッドが今までに不道徳な関係を持ったことはないことを確証してくれました。

タッド夫妻の夫婦関係に問題があることは、この数年多くの者が知るところでした。どちらかを責めるというほど詳しい事情は知らないのですが、私はタッドという人間をかなりよく知っております。彼のような人と結婚しているというのは、譬えてみれば、ハリケーンと鎖でつながれているようなものに違いありません。タッドに比べれば、あの激しいマイク・ビクルでもおっとりしているように見えます。タッドは使徒ペテロに非常に似ていると思います。ペテロの気性は彼の信仰を著しいものにしましたが、それと同時に大きな失敗をも犯させました。タッドはこれからの時代に台頭してこようとしている「激しい世代」の最も極端な表れです。

好むと好まざるとにかかわらず、霊的に最高の功績を挙げる人というのは、往々にしてこのような性格を持つものであり、それゆえに大きな失敗をも犯してしまいます。ですからタッドに問題があることを聞いても、私は少しも驚きませんでした。それ以後もう少し詳しい事情を知りましたが、それでも私はショックを受けていません。勿論それは無視できない問題であり、悔い改めと方向転換によって解決せねばならないことです。私たちは皆、彼のために勝利とブレークスルーを望んで祈っていますが、多くの場合、そのためには本人と同じ気性を持つ人々の助けが必要です。ペテロがイエスはキリストであるという最高の啓示を受けたとき、聖書の中で最大の賞賛を主はペテロに与え、御国のかぎを渡されました。しかし、その後に主はペテロをサタンと呼ばれ、聖書の中の最大の叱責を与えねばなりませんでした。(マタイ16:18-23)
しかし、主はペテロから御国のかぎを取り上げることはしませんでした。それは後にペテロが主を否んだときも、またもっと後にパウロが公にペテロを叱責したとき(ガラテヤ2:11-15参照)にさえ、そうされませんでした。御国への霊的ドアを開けるかぎを受けるような(偉大な)人の多くは、大きな失敗をもしてしまい易い人のようです。このタイプの人は何事も小さくはできないのです。彼らは大勝利を収めると同時に敗北もまた大きいのです。

数ヶ月前に私がレイクランドを訪れたとき、タッドが妻との関係を修復するために一生懸命努力していることを聞きました。しかし6月に彼女はタッドから去り、今は連絡をとることも拒絶しています。 彼女と会うことさえはっきりと拒絶されて、タッドは結婚の回復の希望を失っています。明らかに彼はフラストレイトしていて、長年にわたる非常につらい状況をどうにか変えたいと願っています。

今のアメリカ社会は半数の人が離婚を経験しています。又、それ以上多くの人たちが、自分の親が離婚したときに多くの問題や苦しみを経験したために、結婚しないでいます。離婚が起こったときの一番の犠牲者は常に子供たちです。家族の崩壊は現代の大きな悲劇であり、早急に対処すべきものです。ですからタッドの結婚の問題を大事件として扱いたい人がいることは理解できます。確かにそうなのです。
けれども、離婚経験者はミニストリーや教会のリーダーをする資格がなくなるのでしょうか。それを理由として彼らをミニストリーやリーダーになる失格者とするならば、神をも失格者にすることになります。エレミヤ書三章に、神がイスラエルに離婚状を渡したと書かれています。神も離婚されたのです。私たちの教会の中で半数近くの人が離婚を経験しています。又、多くのクリスチャンが離婚をしたために教会からとがめられていると感じて、教会から離れています。この問題は単にタッドのためだけではなく、教会のためにも私たちが考えねばならない課題です。

神が離婚されたとき、それは神の落ち度でしたか。 勿論違います!神はもっとも完全な夫でした。しかし、神の妻はわがままで強情であり、神はついに見放したのです。聖書を読んでみてください。そう書いてあります。神でさえ我慢する限界があり、それは当然なのです。離婚が正当である場合があるのです。けれども、神はご自身が離婚を経験された故に、離婚を心から憎まれるのであると私は思うのです。離婚は常に悲劇です。そしてほとんどの場合、親よりも子供にとって最も悲惨です。

私がこう言うのは、タッドは正当だと言いたいからでもなく、又糾弾するためでもありません。現時点では、私は誰かを正当化したり糾弾するだけの情報を持っていません。不正の裁判官は(その多くは審判を早急に下そうとする者ですが)聖書の中で厳しくとがめられています。誰かが結論を急いで出してしまうという間違いを犯すのを食い止めるために、私はこの文を書いています。今、主にある私たちの一人の兄弟、一人の姉妹、彼らの子供たち、そして一つのミニストリーが傷つき苦しんでいるのです。タッドが病気の人や苦しんでいる人たちのためにミニストリーを続行することを私は大変感謝していますが、彼と彼の家族、そしてミニストリーこそが、今癒しを必要としているのです。他の何よりも一番彼らを助け、またキリストのからだなる教会を助けるものは、今の状況の中で真のクリスチャンの愛が表されることであり、正しい裁判官が立ち上がることだと思います。それは教会の真の長老たちの役目だと信じます。

 現在のキリストのからだにとって、タッドのようなミニストリーを失うことは最大の悲劇の一つとなるでしょう。今まで何十年もなかったようなレベルで、彼は真のパワー・ミニストリーによって地を勝ち取ってきています。タッドを失い、彼のフレッシュ・ファイヤー・ミニストリーを失うことは、キリストのからだにとって大きな敗北となることでしょう。勿論、私たちは生き残りますし最終的には勝利しますが、この敗北に支払う代価は大変大きいでしょう。
それでは今、私たちはどうすればいいのでしょうか。 まず、何よりも「愛は決して滅びない」ことをしっかりと心に留めねばなりません。(1コリント13:8)主ならどのように対応されるでしょうか。 どうすれば私たちはこの状況を、主の目を通して見ることができるでしょうか。 それは主がすでに示してくださっています。第二コリント5:14でパウロは「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。」と言っています。もしキリストの愛によって私たちが取り囲まれ、コントロールされているのであれば、私たちはどうすればいいのでしょうか。 人類が罪に堕ちたとき、主は私たちを批判せず、ゴシップもせず、非難もしませんでした。主は私たちのためにご自分の命を与えてくださいました。 

私たち教会が人を贖い回復させることを学ばないならば、この世の人たちは贖いと回復の福音を決して信じようとはしないでしょう。最悪の事態の筋書きを考えてみましょう。タッドがひどい罪を犯して、それが別居の原因になったと仮定しましょう。そのとき私たちはどのように対応すればいいのでしょうか。ガラテヤ6:1で次のように語られています。「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせない。」
つまり、ある者が「あやまちに陥ったら」なら、「御霊の人」はその人を正しい道に立ち返らせ回復させねばならないのです。真に霊的な人は、すべての状況において「 贖いと回復」を目標にして対応せねばなりません。それは単に赦すというだけではなく、以前その人がいた場所にまで立ち返らせるということです。次の節にはこうあります。「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」(ガラテヤ6:2)
今は成熟したクリスチャンの愛を教会が示すよい機会です。それは妥協することではなく、こういった問題に対して教会が今まで取ってきたのとは逆の態度で対応するということです。もし憐みを受けたいならば、機会がある度に憐みを蒔くことを学ぶ必要があります。今がそのチャンスです!

レイクランド・アウトポアリングはこれからどうなるのでしょうか。 今のところ、このまま継続され、力は強まる可能性があります。レイクランドに泉が湧き出したのですから、それを塞ぐ必要はありません。
一方、モーニングスター・ミニストリーはどうでしょうか。 私たちは八月八日に新しい召命を受け、より高く、より深く、より遠くまで進もうとしています。私たちのミニストリーが創造された目的であるものを、もうすぐ産み出そうとしているところです。それは九月二十一日ごろから始まると私たちは信じています。二〇〇八年八月八日という日が主から示されたのと同じように、この九月二一日も主から与えられました。そしてこの日がWhiteDove Ministriesと共同で「父を敬うカンファレンス」を開催した日からちょうど六ヶ月目に当たることは、決して偶然ではないのです。(終わり) 


【訳者注:以下は上記題名で八月十八日にモーニングスターから出された記事を要約したものです。従って全文ではないことをお断りしておきます。】

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by walkwithgod | 2008-09-02 05:46 | 坂達也からの今月のメッセージ
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