神は花嫁の中に宿られた ポール&ワンダ・デイビス 08年11月3日

神は花嫁の中に宿られた(Tabaernacled)

ポール&ワンダ・デイビス 


はじめに

この文は、最近では最も重要なときの一つに出されるものだと思います。9月29日の日暮れから、ユダヤ暦の新年であるロシュ・ハシャナに入り、次に贖罪の日と仮庵の祭りが続きます。旧約聖書に書かれているこれらの祭りは、肉のイスラエルによって行われたものですが、その預言的重要性は今の世代にとっても変わりはありません。

歴史的に見て、重要な啓示や洞察は聖書的に聖なる日と関連して私たちに与えられてきました。私たちはもはや律法の下にいないことは明らかですが、これらの聖なる日を私たちは注意深く見守り、神の時とシーズンがどのように展開するかを見る必要があります。次のシーズンは非常に物事が加速的に進み、実りの多いときであり、神の基準に合わせて自らを整えた者たちにとって恵みの時になることを私たちは信じています。

7年のサイクルが終わり、新しい7年のサイクルが始まろうとしています。次の7年の大部分は神の民の進み方いかんによって決められるのです。これは霊的にも政治的にも経済的にもそうです。私たちが破れ口に立って祈り、賛美し、預言的宣言をして義しく神の権威を実行するならば、聖霊が明確に働いてくださり、生活のすべての領域において道を備えてくださるのを私たちは見るでしょう。

私たちはニュースや世界情勢によって心を悩まされるべきではありません。私たちはそれよりも優れた揺るがされることのない御国の国民なのです。私たちがするべきことは次のことです。
イザヤ60:1-2 聖書箇所

神は神の民の中に宿られた(Tabernacled)

教会を歴史的観点から見て、現在、キリストの身体全体で起こっていることを一言で表せば、トランジション(過渡期、推移)でしょう。私は拙著「Angels That Gather」 の中でこのことを詳しく取り上げています。

時が経てば、今のシフトやキリストの花嫁がどのようにすればよいかということが、もっと鮮明に理解できるようになると思います。勿論私たちはこの数年に与えられてきた霊的傾注アウトポアリングの現れを喜ぶものです。しかし、これらの「リバイバル」は、今の時代に主から約束されているものの成就ではなく、又、私たちのミニストリーが勝ち取ろうとしてきたものでもありませんでした。

天の花婿と地上の花嫁の目に見えない結合を心から求める、勝利する世代の霊的DNAの中には、何かユニークなものが織り込まれています。彼らの求める「リバイバル」は、いままでに教会の歴史の中で起こったものとは違う特質キャラクターを備えているでしょう。その特質とは、もっと顕著な力と権威が現れるために道を備える情熱と純粋さです。それは即ち、主ご自身が主の民の中に完全に宿られることです。

このトランジションは、イスラエル国にとっては歴史的に重要なときであり、彼らがアブラハム、イサク、ヤコブの神を礼拝するとコミットするときとなるので、容易に判別できます。仮庵の祭り(収穫祭)は7ヶ月目の最後の祭りであり、今の時を象徴しています。

農作物の収穫を中心とした収穫の一年のサイクルが終わるとき、イスラエル人は喜びと祝いの時をもちました。主からの指示に従って、彼らは自分の住まいを離れて仮小屋を作り、そこに住みました。それは、主が千年王国に永続的に住まわれる前に、主の民の中に短い期間主ご自身が住まわれることの預言的型でした。「小屋」"booths"は約束の地に着くまでに彼らが住んだ仮住まいの象徴でした。

1994年に私が長期の断食をしたとき、主は仮庵の祭りの重要性について詳しく教えてくださいました。それから14年経過しましたが、そのとき語られたことの多くが成就されようとしているのを私は今見ています。

年に三回
イスラエル人は年に三回エルサレムに上り、主の祭りを行うことが決められていました。過ぎ越しの祭り、ペンテコステ、仮庵の祭りはそれぞれ収穫のサイクルに合わせられていました。これらの祭りには多くの預言的な意味があり、それは現在の私たちが歴史上どのような位置にいるのかを把握し、神の民は今何をすればよいのかを知る手掛かりとなります。

出エジプト23:16-17聖書箇所
第一の月の祭り・・・・過ぎ越し
1.過ぎ越しの祭り
2.種なしパンの祭り
3.初穂の祭り

第三の月の祭り・・・・ペンテコステ
1.七週の祭り
第七の月の祭り・・・・仮庵
1.ラッパの祭り
2.贖罪の日
3.仮庵の祭り
血の注ぎ
1.過ぎ越しには血は扉に振りかけられる
2.ペンテコステには血は人々と契約の書に振りかけられる
3.仮庵には血はあがないの蓋に七度振りかけられる

霊のイスラエル

明らかに、主の教会は霊のイスラエルです。歴史上でイスラエルに起こったことは、教会時代に何が起こるかを示す型であり影です。まず肉のものが来て次に霊のものが来るのです。パウロはこのことを非常にはっきりと述べています。
第一コリント10:11 聖書箇所
第一コリント15:46 聖書箇所


三つの祭りは、一つ一つ神の民の中に、又神の民を通して、実際に現れなければなりません。そのうち二つの祭りがキリストと教会のうちにすでに歴史上で成就されたという証しは、新約聖書に沢山書かれています。私たちは今、主の再臨を迎える最後の祭りが成就される瀬戸際に立っているのです。それは第七の月の祭り、即ち収穫際であり、仮庵の祭りです。

終末の収穫

私たちは今、最後の収穫のときに生きています。イエスはこの時代の終わりには収穫があり、そのとき主は「収穫の御使い」を主の王国から遣わすといわれました。彼らはつまずきを与えるものや不法なものをすべて集め、正しい者たちが天の父の御国で太陽のように輝くようにするのです。(マタイ13:41、43) これは神の娘、息子たちの現われであり、教会史上いまだなかった力と栄光を現す者たちです。

それは主イエスが花嫁の中に宿られて(tabernacled)神の御国と神の御性質を現されることを意味します。終わりの日にはますます真理と栄光が大きくなります。私たちは、主の完全な顕れと、十字架の御業の故に主が私たちを通して大きな業をされるのを見るというご褒美に対して、希望と期待を据えたのです。

仮庵の祭りは安息の祭りとしても知られています。これはヘブル書で言われている約束された安息です。
ヘブル4:9-11聖書箇所

旧約の預言者たちには聖霊の油はある一時注がれましたが、神の命令が達成されるとそれは取り去られました。しかし、主イエスのミニストリーにおいては、神の御子の中に聖霊は留まり宿られました。聖書には、天が開け聖霊が鳩のように降られて留まったとはっきり書かれています。これは私たちへの約束でもあります。主が遣わされたように私たちも遣わされるのです!

イエスに会う望み

ヨハネ12:20-24には、今日のために興味深い話が交わされています。二人の弟子が、数人のギリシャ人が「イエスにお目にかかりたいのですが。」と願っていると主に告げました。それに対する主の応答は、その言葉の非常に深い預言的意味を現代の視点から読みとるのでなければ、とても奇妙に聞こえます。主はこう言われました。
「聖書箇所」

主ご自身が地に落ちた一粒の麦でした。その種は二千年間の成長、剪定、成熟を経て終末のときを迎え、累乗的に増えた元の粒と全く同質のおびただしい数の麦の粒が収穫され集められることになるのです。これが創世記1:11-12の言っていることです。即ち、種はその種類にしたがって実を結ぶのです。今の終末の時代の世代は「私たちはイエスを見たいのです。」と言っています。それは地に落ちた元の種のような種である主の花嫁の中に起こるべきことなのです。

マタイ13章で主は、世の終わりには刈り入れがあり、地に蒔かれた麦は「御国の息子たち」であると預言されました。これは主の御霊が花嫁の中に完全に現れ宿るときに初めて実現されるのであり、そのときに花嫁は「もっと偉大な業」をします。そのとき今の世代は現実に手で触れられるような形で「イエスを見る」ことができるでしょう。これによって使徒パウロがローマ11章で約束している異邦人の完成がもたらされるでしょう。

種なしパン

主が私たちの中に安息されるときに、私たちも感情的霊的に私たちを疲弊させる労働から開放され、約束されている安息を見出すことができます。このようなシーズンに私たちは最も実を結ぶことができるのです。パン種を用いることができるのはペンテコステの祭りだけです。パン種は偽の教え、宗教的なこと、混ざりものなどの象徴です。主は「わたしが混ざりものの無い者たちを見つけたら、私の霊を無限に与える。」とかつて言われました。このような者になることが私たちの今、差し迫った課題です。

仮庵の祭りにはラッパの祭りが入っていますが、これは聖なる会合の召集と、聖化と清めをはじめる預言的な形です。贖罪の日と刈り入れは、再臨の前に主が地上でされる最後の仕事を預言的に示すものです。

主の再臨の前の最後の魂の収穫はそのとき促進されます。聖徒を主のもとに招集することと、血による罪の贖いの力による教会の完成のための動きが始まります。即ち、私たちは救いの意味と主の贖いの力を完全に知る必要があります。それはパウロが「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」(第一テサロニケ5:23)と言っている通りです。

第七の月の祭りは満ち満ちて、主の日の第七日目まであふれ、重なっていきます。それは御国の時代であり、それは千年間のすばらしいときとなります。

真理によって聖別される

過ぎ越しの祭りやペンテコステではされないことですが、仮庵の祭りのときにはみ言葉が開かれ、朗読され、人々に説き明かされました。これは御国の奥義が明らかにされ、洞察と説明を与えて私たちが「大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」(ダニエル12:3)ことを表しています。

ダニエルの預言は明らかに歴史上の今のシーズンをさしています。今までは主の命令によって封じられていた本が、大勢のものがあちこちに行き、知識が増し加わる今の終わりの時代に、主の花嫁の集団によって開かれ熱心に読まれているのです。黙示録10:11に書かれている預言的指令を成就するのはこのときであり、すでに開かれている本を主の手から受け取り、熱心に読み、「もろもろの民族、国民、国語、王たちについて預言しなければならない」のです。

過ぎ越しの祭りとペンテコステにおいて霊的真理が明らかにされました。しかし仮庵の祭りでは、完全で欠けるところのない真理がキリストの花嫁に与えられ、彼女を諸国に明るく輝く光とするのです。これが花嫁を究極的に主のために整え、「みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」(エペソ5:26-27)(終わり)


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by walkwithgod | 2008-11-03 20:15 | アメリカからのメッセージ
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