2008年に神の新しい七年サイクルは順調に動き始めた 坂 達也 11月19日

2008年に神の新しい七年サイクルは順調に動き始めた

坂 達也


 神のなさることには、全てに時がありシーズンがあります。旧約聖書を通して教えられることは、七日とか七年毎のシーズン、あるいはサイクル(周期)があることです。特に最近では七年毎のサイクルが改めて強調されるようになりました。七といえば音にもドレミファソラシドという七音サイクルの音階があります。
 ドから始まった音は七つ目のシで終わって次はドに戻って、又新しくドレミ...が始まる。つまりドで始まりドで終わり、同時にそのドで又始まる。その八つ目のドは完成と開始の両面を持っていると言えます。2008年はそのような「ド」の年でした。私はこれを霊的な意味での比喩として考えたいと思います。

 霊的な意味でと言いましたが、ドからドに至った次のドは、同じドであっても一オクターブ違うことにご留意ください。そこではレベルがアップされ、もう一段階天に近いと言いましょうか、霊的に高くなっていなければなりません。その意味で2008年は前の2001年のレベルから一段高いレベルへの移行のプロセスが終了し、同時に、もう一段階高い新しい霊的レベルの領域に入る年であったのです。2008年になって霊的密度が一段と濃くなった、主の臨在と聖霊の充満さが高まっていることを経験した人は多いと思います。求める人には霊的な知識がより早くより易く与えられ、ダニエル書12:3,10にある「 目覚めた人々は大空の光のように輝き...目覚めた人々は悟る。」という終わりの時が来たのです。主との交わりがより深く、喜びに満ちたものになってきました。あるいはエリシャが得た二倍の霊の分け前が私たちにも与えられる時が来たのかも分かりません。より新鮮な新しい風が吹き始めました。本当に2008年になって主の御声がよく聞こえるようになったはずです。

 そしてこれから「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受け」(使徒1:8)「わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行なう」(ヨハネ14:12)時に入るのです。それは「天の御国の時代」に突入し始めたからです。

人間の考えること、やることがいかに不完全であるか

 神は最近、この世の政治、経済、金融システムが、いかに不完全でもろいものであるかを実に見事に暴露されました。それも諸悪の根源はアメリカにあると言わんばかりに、アメリカを震源地とした金融恐慌はあっという間に世界中に広がり、多くの名門の銀行とか金融企業が倒産するという、考えられないような事態を引き起こしました。この金融システムの破綻に次いで株式市場が記録的に落ち込み、ひいては一般の景気が完全に沈没しつつあります。景気が悪くなると、人々は財布の紐を引き締め、先ず買わなくてよいものから買わなくなり、倹約します。
これこそ健全な家庭財政の考え方で、よいことではないでしょうか。しかしこの考え方では現代国家の経済システムは暗礁に乗り上げるというのです。全くおかしな話ですが、人々が無駄な買い物をしなくなると世の中が回って行かないのです。特に元々赤字財政で自転車操業を繰り返す国(アメリカが最たるもの、日本もそうです)は失速して倒れてしまいます。

 なぜ神は今の時期にこのような事態が起こることをゆるされたのでしょうか。それは人間の考えること、やることがいかに不完全であるかという事実を、この際世界中の人間にはっきりと認識させるためであったと思います。しかも神は、教会という霊的な領域においても同じように「人間がやってきたことの不完全さ」を示され始めました。
 
今回の日本訪問で、日本のクリスチャン教会における古い体質、古い伝統が今はどん底に落ち込んでいる兆候の一端を見ることが出来ました。その外的なしるしとして、主に聖霊派においてですが、新聞が廃れ、本が売れず(いずれもクリスチャンの)、神学校にも、いや一般の集会聖会にも昔ほど人が集まらないと聞きました。いわゆるリバイバル、リバイバルと熱狂的に祈り叫び、リバイバルを期待した時代は過ぎ去り、その後あの手この手を模索して試した結果それもうまく行かず、疲れきっている状態にあるように見えました。

 しかし、その一方で新しい体質、新しいものが生まれつつあることも見ることが出来ました。それは若者を中心とした新しい種類のクリスチャンが台頭して来ている姿です。私は、今回見たこのような現象を一言で言えば「世代交代」「世の中が変わる」顕われであると気が付きました。それがいよいよ2008年から加速され、これから益々進行するのです。

 初めに神が地球の統治を人間に任せて以来、人間は人間が築いて来た伝統と慣習によって世界を人間の知恵で統治しようとして来ました。しかし、その時代に終止符をつけ、いよいよ主ご自身が直接治める御国の時代に入る時が来たのです。それはちょうど、幼児に積み木を与えて、自分でやらせようとするのに似ています。幼児は自分だけではうまく出来ないので、最後は積み上げかけたものもめちゃめちゃに壊して泣き出す姿に似ているのかもしれません。人間はやはり神と言う親の助けを借りて一緒に積み上げないとうまく積み上げられないようです。神はそれを人間に今はっきりと分からせようとしておられます。

 イエスはこの世に生まれ宣教を始められた時に「御国が近づいた」と言われましたが、今はついにそのイエスの御国の時代に入ったか、あるいは入る直前であると信じます。私がその確信を強めた理由の一つは、多くの使徒的・預言的な人たちがこのところ特に明白に、しかもいっせいに、クリスチャンの使命とは「主の御声を聞いて忠実に従う」ことであることを強調していることです。

 11月4日にアメリカの大統領選挙がありましたが、アメリカの多くのとりなし手がクリスチャンでありながらプロ・チョイス(堕胎賛成)等の反聖書的立場を取るオバマ候補を絶対に大統領にしてはならないと、共和党のマッケィーン候補とその副大統領候補のペイリン氏の当選のために今までになかったほど激しく祈ったと聞いております。にもかかわらず47歳という若い歴史上最も未経験な大統領になると言われるオバマ氏が当選しました。なぜ神はそれをゆるされたのでしょうか。

 私は、主がこれからは直接政治に加わる御国の王であることを今回積極的に示されたように思うのです。若い未経験なオバマ氏が選ばれたことは御国が来るよい前触れであるような気がします。私は選挙の前の一ヶ月を日本で過ごしましたが、この間オバマ氏の優勢はほとんどゆるぎませんでした。その中にいて私はなぜか「主の御心がなされるように」を強調する祈りに心が傾きました。後で振り返ってみると、「主の祈り」だけがまさに私たちの今の祈りであるべきであることに思い当たったのです。

  ..御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。

 世界情勢が最も難しく厳しいこの時期に、主は、私たちの思いをはるかに超えたご計画と方法をもってオバマ氏を敢えてアメリカの大統領として起用することをこの世に示されると共に、72歳のマッケイン氏を選ばずに47歳のオバマ氏を選んだことによって、今は「世代の交代」のシーズンであることを明確にされたのかもしれません。これも御国の体制への移行路線を主が着々と進めておられる顕著な顕れであると信じます。

荒野で約束の地に渡ったイスラエルの民とその二人のリーダー

 ここで思い起こされるのは約束の地に入るに当たって、荒野で起こったイスラエルの民の世代交代とその引率者の交代です。
 事の起こりは、エジプトを出たイスラエルの民が二年目にカデシュ・バルネヤまで来た時、カナンの地を探るべく各部族から12人のリーダーが選ばれ、40日間の斥候の旅に出ました。その報告を聞いて恐れをなした民は神に盾突き、エジプトに引返そうとまで言いました。但しこの12人の中でヨシュアとカレブだけが、どんな強敵であっても恐れずに神に従へば、神がその地をイスラエルに下さると主張しました。このような不信仰の民に怒った神は「お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れるであろう。わたしに対して不平を言った者、つまり戸籍に登録をされた二十歳以上の者はだれ一人、わたしが手を上げて誓い、あなたたちを住まわせると言った土地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。」(民数記14:29-30)と言われ、その通りになりました。神は、この不信仰の民の引率者であるモーセすらも約束の地には渡らせませんでした。

 従ってヨルダン川を渡ってかナンの地に入ったのは民数記で登録されなかった当時20歳以下の男子の若者たちと(実際にヨルダン川を渡った時の最年長者は60歳になろうとしていた)それを引率する「年寄り」二人、ヨシュア(モーセの後を受け継いだ時は85歳頃と言われる)カレブ(80歳頃)だけでした。

 ここで私たちクリスチャン全員が、もう一度1コリント10:1-6に注目することを提案します。「そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり(聖霊の雲の柱で導かれ)、みな海を通って行きました。そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。」続いて11節で「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」 

上記の6節と11節で「これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。」が繰り返されています。これは世の終りの私たちに同じことが起こる可能性が十分あることを予測した上での大変な警告であることを私たちは十分にわきまえねばなりません。雲(聖霊)と海(水)のバプテズマを受け、キリストと御霊の聖餐(食べ物、飲み物)を共に受けたイスラエルの民と言えば、私たちクリスチャンに相当します。その大部分の人が「神のみこころにかなわず」滅ぼされると言うのですから、これは大変な警告です。そこで「みこころにかなった」カレブとヨシュアのどこが「みこころにかなった」のかを見ることは、今の私たちにとって最重要な教訓になると信じます。

 「カレブは..主(わたし)に従い通したから..」(民数記14:24、申命記1:36)と言う賞賛のことばが聖書に6回も出てくる程、カレブは主に忠実に従い通した人でした。ヨシュアも同じように「主に従い通した」と民数記32:12に書かれています。一方荒野で滅ぼされたのは「わたしの声に聞き従わなかった者たち」(民数記14:22)でありました。

 又ヨシュアについては、出エジプト記33:9-11に「モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、おのおの自分の天幕の入り口で礼拝した。主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。モーセは宿営に戻ったが、彼の従者である若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかった。」と書いてある通り、民は雲の柱が立つと全員立って礼拝しましたが、ヨシュアはその幕屋の中に留まり続けました。ヨシュアは主の臨在を愛するだけでなく「その中に留まる人」であったことが私には特に印象に残ります。

 このヨシュアとカレブという二人だけが高齢者のリーダーとしてヨルダン川を渡って約束の地に入れたとすれば、終わりの世に生きる私たちもこの二人と同じような者にならねばならないことがこれで明確です。これから主が直接主権をもって治められる神の王国において、私たちに必要なことは只一つ「主に従い通す」忠実さを持つことであるのです。

 今回のアメリカの大統領選挙では、投票日のずっと以前から純然たる預言をした人もたくさんいました。しかし結果を見た今、その是非が盛んに論及され、又多くのクリスチャンの見識者によって色々な意見が取沙汰されております。多くの人はオバマ氏が選ばれたことに失望し、何故そうなったかを分析し評論しました。クリスチャンでも今は「一億総評論家」の時代です。ある人たちは祈りに答えて下さらなかった神に失望し、アメリカ人のしたことにその原因があるとしてそれを追究し責めます。私は、その人たちのコメントの多くが、人間の宗教的伝統とその道徳観に立ったどちらかと言えば人間的な考えからの批評であることに気が付きました。誠にごもっともな意見が多いのです。しかしながら私は、基本的に「あなたは神のなさることを評論するのか」と言う気持ちがしてなりません。

 カレブとかヨシュアが今アメリカに生きているとしたら、彼らが選挙に失望したり、評論したりするでしょうか。彼らは「主のなさることを全て信じ、主のご計画、主からの指示と命令のみを待つ」人たちですから、神のなさることに何の疑いも持たず、選挙の結果が主の御心であると信じ、論評など思いもよらないでしょう。

それでは、どうすれば「主に従い通す」カレブとヨシュアになれるのか。

 先ず、熱烈に主を求め、過激的に主を愛する人になることです。そのような人には聖霊の雲の柱が立ちます。その雲の中に留まる人には油が降って来るでしょう。聖霊に満たされないでものを言ったり、油注ぎのない行動をする人はいなくなるでしょう。
 雲の中に留まる人とは、モーセのように、主と「人がその友と語るように、顔と顔を合わせて」親しく語り合う親密な関係に入るでしょう。
それは人間関係と同じです。あなたは主とどのような関係にありますか。ほとんど他人のようですか。普通他人とは口を利きません。あなたの祈りは主にものを頼む「お願い」から成り立っていますか。親しい友達付き合いの人とは単に頼み事だけをして別れますか。召使とはそれでよいかもしれませんが、あなたは主という花婿にとっての最も親しい花嫁のはずです。その愛する親しい方があなたという幕屋に住んでおられるなら、終日、楽しくお話しないでしょうか。そうであってこそ心が通い、相手の心と思いが完全に分かるはずです。こうして、私たちは心から喜んで「主に従い通す」花嫁になるのではないかと思います。

新しい霊の領域に入る

 栄光の雲の柱の中とは、時のない永遠の領域です。「私たちキリストの身体は、新しい時代に突入する瀬戸際に立っています。神の栄光で満ちた、時のない領域では、加速的に強まる力があるのです!神の栄光の領域が自然の領域に入り込むと、奇跡、癒し、しるし、不思議、創造的力が大いに加速されます。」とジェフ・ジェンセン師は言います。(本HP10月13日の「永遠が押し入ってくる!」ジェフ・ジャンセンを御参照ください)

その栄光の雲の中で多くの時を過ごせば過ごすほど「成熟」が加速され、通常の十分の一以下の時間でことが成し遂げられると師は言います。これから主が起こされる若い世代の人たちは、初めから新しい皮袋に造られた新種のクリスチャンで、はちきれんばかりに聖霊に満たされますから、ものすごいスピードで信仰が増して行くでしょう。

 現在では全く程遠く不可能なことのように思われますが、今あるばらばらの世界中の「教会」が、終末迫るこれからの短期間の間に「しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のない」キリストの「一つのからだ」に本当になれるのです。なぜなら、私たちはこれからどんどん霊的に「高い音階の領域」に上げられてその中で過ごすので、超自然のスピードで成熟するからです。主は圧倒的な勝算をお持ちです。それを全く疑わないヨシュアとカレブの信仰で、これからのシーズンを熱狂的に主に従って生きようではありませんか。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-11-19 09:18 | 坂達也からの今月のメッセージ
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