パーフェクト・ストーム (完全な嵐) ラリー・ランドゥルフ  4月17日

パーフェクト・ストーム (完全な嵐

ラリー・ランドゥルフ


このメッセージは最近のリック・ジョイナー師のMorning Starミニストリーで行われたProphetic Equipping カンファレンスで、ゲスト・スピーカーとして預言者ラリー・ランドルフ師が語ったものを翻訳(要約)したものです。少し長くなりますので2回に分けて掲載いたします。 坂 達也


2005年でしたが、ある夜気が付くと誰か知らない人(エンジェル)が私の寝室に来て、ベッドの端に座りました。それが確かなのはそこのところのベッドがぐーんと沈んだのです。しかし、何も言わずに出て行きました。初めての経験でした。そこで私はボッブジョーンズに聞いてみると、それは「見張りの(watching)エンジェル」だと言うのです。そのエンジェルはしばらくして必ず帰って来て、その時あなたに何かを語るであろうと言われました。それから4-6ヶ月経った頃、夜中の2時ごろにそのエンジェルが現れました。その時はエンジェルが過去のこととか将来に起こることについての色々なビジョンを見せて説明してくれました。そうしているうちにヴィジョンで突然私は森の中にいました。そして私は手に持っている何千年も経った貴重な古い本を落としてしまいました。その本は暗い森の中で谷間に向かって転げ落ちて行きました。それを追っかけて私は長い下り坂を走りました。下に降りれば降りるほど暗闇が増し、ついには何も見えなくなり、私はしゃがんで手探りで地面に触れるとそこにその本がありました。すると上の方からエンジェルの声がして、間もなく経済的、社会的にも、あるいは霊的にも一つの嵐が起こるが、それはちょうどこのように社会全体が長い下り坂を転げ落ちて行くような下降線をたどって起こると言いました。

その時は2005年で、まだ景気もよい時でしたので、未だこのメッセージを語るタイミングではないと言う思いがして、一部の人には話しましたが後はノートに取ってそのままにしておりました。すると数年後の2008年6月になって主がその嵐「パーフェクト・ストーム」がいよいよ来て、この秋から社会経済の落ち込みが顕著になるので、皆それを避ける避難所に入る準備をするようにと言われました。これは経済恐慌に突入する訳ですから、悪いことが起こることを意味します。しかし同時に、そのような預言は、神がなさることである以上、崩壊しつつある人間社会を救いに導き、回復させる意図と目的を持っているはずですから、その意味では良いことが期待出来ると言う点で私は興奮しました。

その翌週、ジャン・ポール・ジャクソンに会った時、彼が主からパーフェクト・ストームが来ると言う預言を受けたと話してくれました。そこでこれは大変だと、又ボブに電話すると彼はその話なら既に3年前に主から聞いていて、私が毎年出す預言の小冊子「シェパード・ロッド」(羊飼いの杖)に書いてあると言われました。(笑い)全くボブを驚かすことは出来ません。主は重要な預言は少なくとも複数、数人に分かち合われるようです。

そして、主はどのようにこのストームを切り抜けるかについて話してくれました。それはちょうどホッケーとかフットボールの競技で、パックとかボールを前を走っている味方に向かってパスする時に、その相手がその時いる場所に投げるのではなく、必ず走っている相手にボールが届くと予想される、かなり前方の地点に向かって投げるのと同じであり、私たちは先を予測して行動しなければなりません。 

1.世の中が変わり状況が変化することを予測し、それを受け入れる心の準備をする。
2.その時、状況がどんなに悪くなっても、慌てず、常に希望をもってポジティブに対応する態度が必要。
3.あなた自身の持つ今までの限られたものの見方、捉え方(パラダイム)を捨てて御国における新しい視野、見方にオープンな心構えを持つ。
4.自分が今まで親しんで来た箱の中でぐるぐる廻ることから飛び出して、新しい御国の生き方をする。
5.あなたは予測しないことが起こる事を予期し覚悟する。
6.ものごとに成功する可能性を大きくする。

さて、上記の1.について考えたいと思いますが、イザヤ書43:19「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。...」と2コリント3:18「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。」の二つの聖句を見てみたいと思います。聖書の多くの場所で「神は新しい事をなさる」ことが書かれています。しかし、その時に覚悟しなければならないことは、神が新しい事をなさる時、それは多くの場合大異変(破滅的な)が伴うのであって、その異変を乗り越える人もいるし、乗り越えられない人も出て来ると言うことです。乗り越える人は、その大異変を通ることによって、自らが変えられ(トランスフォームされ)「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられ」て行く人です。私たちの神は「よりよく変える神であり、変えることによって真の救いと回復をもたらす神」であるのです。

ですから皆さんはすばらしいミニストリーをされていて、既に天に宝を積まれているかも分かりませんが、神はもっともっと私たちを高いレベルに上げようとされておられるのですから、私たちは今までに自分が到達した成果に甘んずることなく、もっと大きな目標に向かって突き進んで行かねばなりません。

そのためにはリスクを伴うと思われるかもしれませんが、やって来る大きな災害と変革の中で、何が起こるかわからない不確かさと不安に信仰で立ち向かい、それを乗り越える覚悟が必要です。その意味で、今もう既に来ている経済恐慌は、自分が栄光から栄光へと変えられるための神が下さる又とないチャンスなのです。
 
この変革のシーズンを通るには大きな忍耐が必要です。今私たちは過去と将来の間にある渡り廊下に立っています。ある人が言いましたが、パウロが言う上記の「栄光から栄光へと変えられる」には栄光と栄光の間に狭間があり、そこを通らねばならないのです。その狭間は過去の栄光にも次の栄光にも触れることが出来ない暗い不確かな通路です。そこは何が起こるか分からない不確かさと不安の場所であり、そこを通過するには神を信頼するしかありません。そして「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」しかないのです。それはイスラエルの民が通った荒野であり、ヨルダン川です。それを通ってこそ約束の地に着けます。それは大変険しい難しい道です。

誰かが言いましたが、神は私たちが変わることを強いるのです。何故なら神は変わることのない方であるからです。私は長いことかかって分かったのですが、神と私とは同じではない、違うのです。(笑い)もしそれが現実であって、しかも私たちが神と似た者にならなければならないのであれば、神は変わることの出来ない方である以上、誰かが変わらねばなりません。つま未だキリストのイメージに似ていない私が変わらねばならないのです。
ところが私は変わりたくないのです。実はあなたもそうではないですか。誰かが言いました。そんな人を変えるには痛い目に会わせるしかないと。(笑い)本当に神は私が変わることを強要しているのです。
それはちょうど幼虫がさなぎに変わり、それがまゆとなって最後に蝶に変形するプロセス〔変態(metamorphosis)〕に似ています。幼虫―――さなぎ―――まゆ―――蝶と言うのプロセスを通って虫が蝶になります。 

私たち現在の教会を例えるなら、今はちょうどさなぎの状態であると言えます。さなぎは廻りにあるものを手当たり次第、貪欲に食べて成長します。その段階では自分のことしか考えないでひたすら霊の食物を食べあさります。さなぎは総て私、私、私しか考えていないのです。私がそうです。(笑い)しかし、そのさなぎが蝶になりたいと思えば、いつか食べるのを止めなければなりません。私も蝶になり空を飛びたいと思って神に変わることをお願いしました。すると神は「まゆ神学」なるものを聞いたことがあるかと訊ねられました。(笑い)蝶になりたければ、その前に「まゆ」にならねばならないと言われたのです。

まゆの中は暗くて狭くて身動きも取れず神の臨在も感じられません。それが今私たちが通ろうとしている変革のための渡り廊下に当たるのです。私たちは永遠の栄光の蝶と言う信仰に羽ばたく超自然のからだに早く変わりたくてむずむずし、周りを見てはこのように私たちを苦しめているのは総て悪魔の仕業であるとばかりに「サタンよ、お前を叱責する」とわめき散らしていますが(笑い)、実の処は私たちは未だ足だらけの虫に過ぎないのです。しかし、このまゆの中でじっと過ごす時間を少しでも短縮すれば、「変身」のための酵素による最も大事な成熟のプロセスが完了せず、出て来ても力強く空に羽ばたけない蝶になってしまうのです。
ですから今私は、世の中がこれからどんなに真っ暗になっても決してパニックにならないで下さいと言いたいのです。神は私たちをまゆの中に閉じ込めて、神に似た性質に変えられようとしている、その最も重要なプロセスなのです。

ラザロをイエスが来られる前に 一日早く墓から引っ張り出そうとしてはならないのです。例え、それで墓場にもっと悪臭が漂うとしても、私たちは放って置くべきです。何故なら、彼が4日間墓にいるのは神のご計画だったからです。そして、助ける人が待っていて直ぐにも来ようとしているのですから。(拍手)
又、別に例えるなら、ちょうど妊婦がお産の直前に苦しむ姿を見て「悪魔よ出て行け」と叱責するようなもの、子どもが生まれるために妊婦が苦しむのも神の計画された大事なプロセスです。神は妊婦が痛みで苦しまないと約束されましたか。ノーです。これから私たちはまゆの中に入るのですから、それがいかに苦しくても、それは神がなさっておられる神のご計画(パーフェクト・ストーム)であると言うことを決して忘れてはなりません。

もし私がそれで死ぬとしてもそれもすばらしいことです。パウロは自分の苦しみをイエスと同じ苦しみを味わう特権として光栄に思いましたが、度重なる迫害で苦しんだ一世紀当時のクリスチャンに比べれば、今のクリスチャンは苦しむと言うことに関してはソフトになっていることを認めざるをえません。もう一つの例は、ダビデ王からソロモン王に移行する時に、アドニアがソロモンの代わりに王になろうとして野心をいだき、戦車、騎兵、それに前を走る五十人をもって謀反を起こそうとした(1列王記1:5)と言う事件がありました。これも諸国を平定して一大王国を築き上げるソロモンの時代に移行する直前の患難のプロセスの時であったことを思い浮かべられます。


次に上記2.のポジティブな態度を維持することが重要であることに触れたいと思います。日常よく経験しますが、私たちがネガティブな思いと態度で過ごす時には、私たちの身体自体の機能に悪い影響を与え、病気になったりパニック状態になったりしますが、ポジティブで楽しい気持ちを持って生活する時には体調もよくなり、いやしが起こります。ですからこれから色々な問題が起き困難を通る時には、パウロが云う通り、私たちはいつも良いこと、正しいこと、誉あることに心を留めるべきです。どんな時でも、平安と喜び、ポジティブな態度を取ると言うことは、クリスチャンの信仰生活にとってオプションではない、不可欠当然な「それ以外にあり得ない」生き方であることを強調したいのです。これは全く交渉の余地のない神の御国のDNAとして絶対そうあるべき素質です。もしこれらの態度とDNAの素質を持たない人は、この変遷・移行の困難時をうまく通り抜けることが出来ないのです。

一つの例を挙げると、使徒16:26にありますが、牢獄に入れられ、普通の人なら最も落ち込み、悲観的になると思われる状態にあったパウロとシラスは真夜中に喜びに満ちて大いに賛美をしました。私たちにとってこれから最も必要なものはこの信仰によるポジティブな態度です。どうすればそうなれるかと言えば、私の場合は自分にそうなるように語り掛けるのです。私はよく自分に言い聞かせ、説教し、何度も語ります。
何か悪いことが起こったら、とにかくパウロがピリピ4:4で云うように「いつも主にあって喜びなさい。」です。しかし私は一度云われただけではすぐピンと来ない人間なんですね。ですからパウロはそれをよく知っていて、私のために「もう一度云います。喜びなさい。」とくりかえして云うのです。(笑い)これ以外のオプションはありません。


次は3.の「あなた自身の持つ今までの限られたものの見方、捉え方(パラダイム)を捨てて御国における新しい視野、見方にオープンな心構えを持つ。」ですが、先ず2ペテロ1:12を見てください。皆さんはこの聖句を誤解しないでいただきたいのですが、ここでパウロは「現在の真理」に堅く立つことを問題にしています。神の真理は絶対です。聖書は絶対です。それなら何故ある真理を学んで、その一年後に、同じ真理が一年前よりもっと真実な(ものに思える)のはどうしてでしょうか。(笑い)であれば一年前のものは本当の真理ではなかったのでしょうか。

神は変わることのない方であることはよく知っています。しかしその神に対するあなたの理解は毎日変わっているのです。つまり神の真理は変わりませんが、私たちのそれへの知覚・認識が変わって来ていると言うことです。であれば、最初に聞いた時は多分その認識は限られたものでしかなかったのでしょう。一つだけ絶対なことは、多くの場合に私たちは絶対ではないと言うことです。何故なら私自身あまりにも数多く間違って来たからです。ですから、自分が間違っていることに対してはオープンにならざるを得ず、その態度によって、主は私の間違いを正し、又真理を示して下さいます。

確かに神と神の真理は絶対ですが、神が真理をこの世のスペースとタイムで私たちひ弱な人間に明らかにされるのは徐々に発展的になさるのです。何故なら神が徐々に示して下さるからこそ私たちはよりよく理解し、その真理は段々と大きくなる絵として私たちにしっかり認識されて行くのです。
ペテロの言うように私たちは真理が必要です。そして、その真理に堅く立たねばならないのですが、それはその時代とその時に明らかにされるカイロスな真理をその時の真理として私たちがしっかり受け取って認識しなければならないと言うことです。そのよい例が当時のパリサイ人たちでした。彼らはイエスが現れた当時にあらわされた真理をしっかり受け留め正しく認識出来なかったのです。彼らは確かに霊の真理、聖書の真理、愛の真理を知っていた、当時のヘブル神学の黄金の子どもたちとも言うべき、エリート中のエリートでした。しかしその彼らが認識出来なかったことは、神が人間として目の前に来て下さっていると言う現実の真理でした。もし私が当時に生きていたとすれば、恐らく同じようにミスしていたかも分かりません。又多くの皆さんも多分ミスしたでしょう。

これが私が指摘したい「あなた自身の持つ今までの限られたものの見方、捉え方(パラダイム)を捨てて御国における新しい視野、見方に常にオープンにならねばならない」と言う意味です。神は前に示した真理に反して新しい真理を示されるのではなく、今まで明らかになっていた真理に加えて、もっと同じ真理の新しい面を示されますから、それを知った私たちはウオーと驚嘆するのです。

神は、私たちに今必要な真理を教えるために、私たちをこのような破壊的な危機に入れようとされておられるのです。神は私たちに今現在最も必要な大事なことを直接お話しようとされています。私たちクリスチャンは聖書の教えを学ばねばならない。過去のことも、将来起こることも、私たちの将来行き着く到達地点は何か、等々…とにかく学ぶことだらけですが、宗教的になってはいけません。むしろ私たちが現時点で神の前に立つことが必要です。あなたはこの時のために、このカイロスの時に生きるように創造されているのです。聖書は「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」と云われますが、このちょうど良い時とはカイロスの今のことです。この今の時に、私たちがパリサイ人サドカイ人のように宗教的で知識堪能になったからではなく、又あなたが偉大なミニストリーをして来たからでもなく、真に主が今言われることに忠実に従い一致(アライン)するならば、あなたが今成熟すべき、到達すべきポテンシアルは頂点に達すると云われるのです。

神は過去とか遠い将来の神ではなく、常に今おられ、今語られる、今の時に充分な神です。ですからイエスは「今が御国の時」と言われました。明日ではない、今です。しかし栄光は過去にあったとか、70年代はすばらしいいやしが起こったからそれに帰れとか、栄光はこれからだとか、色々な人が色々なことを云うので円の中をぐるぐる廻りながら、一体どこへ行ったらよいのか、どうしてよいか分からなくなって混乱します。人の云っていること総てが、それは正しい、これも真理だ、神はここでもよいことをなさった、あそこでも…まるで精神分裂症患者のようです。(笑い)私たちは総てに通じる普遍の真理をつかもうとやっきになりますが、それは過去、現在、未来に同時に住める神しか理解出来ないもの、私たちが住んでいるのは今なのです。(続く)

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by walkwithgod | 2009-04-17 12:55 | アメリカからのメッセージ
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