続・パーフェクト・ストーム (完全な嵐)
ラリー・ランドゥルフ <このメッセージは同題で4月17日にお伝えしたものの続きです。初めて読まれる方は、先ず4月17日の分をお読みいただくことをお勧めします。―訳者> そこで今壊さなければならないパラダイムとは何でしょうか。 先ず、私たち教会は常にリバイバル、リバイバルと叫び求めますが、リバイバルは神が究極的に注意を払っておられることではないと思います。一般的な意味として、リバイバルとは昔あったことを復活・復興させる、回復すると言う意味で、言ってみれば墓場(tombティユーム)に焦点が当てられていてtomb focusと言えます。勿論だから悪いと言っているのではありません。旧約聖書で起こった事柄、例えばダビデの幕屋等の復活もそうです。しかし神が私に今語っておられるのはリバイバルではなくてルネッサンスです。ルネッサンスはフランス語ですが、その意味は新しく生まれ変わる、ボーン・アゲインです。そして、新生と言うことが強調される点でtomb focusではなく、むしろウーム(womb子どもを宿す子宮、お腹)に焦点を当てるwomb focusです。聖書も旧約がティユームなら新約はウームです。 私がこう云ってもご立腹しないで下さい。私は決してリバイバルを軽んじているのではありません。これから神がなさろうとしていることは、過去のものを単にリバイブするにとどまらず、それを遥かに超えたことをなさると言われるのです。例えばスミス・ウイグルフォースのいやしの業、それは確かに当時のカイロスタイムではすばらしかったことで、勿論私もそれが欲しいですが、神がこれからなさろうとすることは、それを遥かに超えたもっと新しいもの、既存の箱には入れて置けないような、箱が破裂するような大きな業なのです。今教会全体にリバイバルではなく、ルネッサンスの変革を神はもたらそうとしておられます。それは既存の観念ではとうてい言い表せないものです。 ですから昔のものをよみがえらせよと言っても理解出来ない人も、(古いものの良さの上に上乗せして)全く新しいレベルの礼拝をする、その霊の力をいただいて発揮する、そのために(もう一度)ボーン・アゲインするルネッサンス(新生)の時代と云った方が素直について行ける人が多いと思います。神の創造が、今までのチャート(グラフ図表)では上端から飛び出してしまい表されない程大きくなるのです。今の多くの教会は、私の教会もそうですが、神と霊の働きを求めて忙しくしてはいても、既存の神の観念の範囲を超えることなく、今までやって来たことの繰り返しをしているに過ぎません。それ以上に大きくはみ出した信仰による霊の力に期待している教会は少ないのです。これが今までのパラダイムからブレイク・アウェー(脱出)しなければならないことであると思います。 ロトの妻は神の未来のムーブメントに参加するはずの人でした。しかし、彼女はそれを躊躇しました。それで彼女は過去の記念碑となってしまいました。彼女の躊躇の代価は神のビジテーションでした。今私たちは危険な時に生きておりますが、イエスは「ロトの妻を思い出しなさい。」と言われました。過去にどんなに立派な業績を残したとしても、あなたがそこにとどまって神について前進して行かないのであれば、あなたはそうする代価を払わねばなりません。どんな立派な黄金の記念碑を建ててもらっても私はいやです。たとえ多くの間違いを犯しながらであっても、何としても神について行く、将来に属する人間でありたいのです。私は必ずしも他人が既に到達して得た油注ぎを欲しいとは思いません。私自身のものが欲しいのです。 4.「自分が今まで親しんで来た箱の中でぐるぐる廻ることから飛び出して、新しい御国の生き方をする。」に移ります。アインシュタインは、「気の狂った人」の定義とは、何度も同じことをくりかえしながら、その都度違う結果を期待する人のことであると言いました。 ある人が、プロセッショナリー(行列して歩くの意味)と名ずけられた毛虫(蝶の幼虫)を使って、ある実験をしてみました。この幼虫のDNAには名前の通り、前の虫の後をついて行く性質があります。この虫の10匹を一所に置くと一つの虫を後の9がついて歩くのです。実験者はこの虫の15匹を直径30センチ位の植木鉢の縁(円周がフラットな?)に置き、その鉢の中心に虫が好きな食物を置きました。そして放って置いたのですが、一日たっても皆先頭の虫の後をぞろぞろとついて鉢の周りを廻っています。二日、三日と経っても同じことを繰り返すだけで円周を廻り続け、ついに十日後には皆餓死して死んでいたと言うのです。食物は彼らから僅か15センチしか離れていませんでした。これは「眼の見えない人が眼の見えない人を導く」ことにあてはまります。 皆さんはそうではありませんが、多くの教会では、何も考えず、あるいは何も疑うことなく、皆人に右にならえで同じことをしている、つまり「私は危険を冒してでも人とは少し違った生き方をしてみたい」と思って実行する人は意外に少ないのに気が付きませんか。 確かにクリスチャンは「後について行く人follower」の集まりではあります。しかし、あるクリスチャンたちはよく考えもせず何にでもついて行きます。又、多くの人は誰か他人のビジョンとか夢、他人の目標に右え倣えでついて行くのに忙し過ぎて、神がそれぞれ個人に与えられた(賜物と)ビジョンを見極め、それを追おうとしません。従ってそうするのに必要な、自分個人のための霊の食物を得ようとはしないため、霊的に死んでしまっている人も大勢います。神は、ですから、大勢の人のすることから離れ、自分が行くべき道を行きなさい、(そのために神だけを追い求めなさい)と言われるのです。 何故人は大勢の人の後をついて行くかと云えば、多くの人は(神ではなく)人を恐れるからです。私も今まではずっと人を恐れて来ました。しかし昨年私はひどい病気に係り死にかけた時、神に対面して分かったことは「人を恐れず神を恐れる」ことの意味です。 本当に神を恐れるようになるまでは、人を恐れると言う意味がはっきり分からない人が大勢いると思いますが、これはある意味でとても危険なことであると思います。 神が本来期待する、それぞれ違った個人に成長すべきであるクリスチャンを他人(教会のリーダー)が押並べて一律なクリスチャンにするような支配的な指導をしてしまうのを、多くの人はその指導者である人を恐れるがゆえに、その人が言う通りのイメージになるように右へ倣えしてしまうのです。 そこで主は言われます。「あなた自身が本来神が召した、本来のあなたになりなさい。あなた自身の独創性(神における創造性)を見つけ出し、真正の神の子(神のイメージに似た)になりなさい」と。「皆が飽きもせずにやっている同じことを繰り返すことを止めなさい。そうして死んではならない」と云われるのです。 最近ある人が「私たちは皆それぞれがオリジナルに生まれて来たのに、皆コピー(写し)となって死んで行く」と言いましたが、本当にそれは悲劇です。 あなたを、それぞれ特別にあなただけにしかない特有の良さと能力を持たせ、ユニークでオリジナルに造られた神に対して、あなたが常に神と共にカイロスな時に、神の油注ぎで神の目的に生き、神の期待に応えないで、単に同じもののコピーの一枚のような人間になってしまうとすれば、それは本当に創造者の神を侮辱・冒涜することになります。神は、あなた以外の人では出来ない、特別の役割と使命を初めからあなたに与えてあるのです。 もしそのように造られたあなたが神とその教会の期待通りにならなかったとしたら、それは主の教会を奪う(裏切る)ものであり、それは罪です。主は「もしあなたが、私がそうなるように造った通りにならなかったとすれば、あなたはあなたに定められた(約束の)領地(Destiny)に到達することなく死ぬのです」と言われました。 そして黙示録に書いてある、天において神が「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。」と言うことの意味は、あなたが、地上で元々あなたがポテンシャルとしてなるべき人にならなかった(あなたに与えられていた召しと目的にまで到達し得なかった)ことが天に行ってから分かっ時に、あなたは大きな後悔の念にかられ多大の涙を流すことになる、しかしその涙をも神はぬぐい去って下さると言う意味であると主が示して下さいました。 それ程この世で神から与えられている人格とその神が期待して元々与えている域に私たちが達するか、達しないかは大きなことなのです。あなたは、そうなるように造られ、そのために必要な賜物を総て与えられたにもかかわらず、あなたが自分の意思でやり遂げ到達する努力を怠った故にそうならなかったことがどれだけ悔まれるか、分かる日が来るのです。決して他人と同じようにならないで下さい。 主のからだは皆機能的にそれぞれ違う多様性を持ちながら、一つのからだとして一致して働けるのです。私たちはそれぞれが違うのですが、同意することが出来ます。それぞれ違ってもそれぞれにユニークな神の油注ぎがいただけます。油注ぎを望まない人はおりません。神の油注ぎは神のご計画にそって御心を追う人、「写し」にではなく「本物の」人間に与えられます。真正さが最も大切です。その神の御心を追い実行する人は主にあっての自信を得ます。その自信が油注ぎを誘導し、それによってより主の創造性を発揮するのです。その結果超自然のめざましい力、奇跡が日常茶飯事のように起こるのです。 まゆの状態の中を立派に成熟して通り抜け、まるでスーパーマンが公衆電話ボックスから衣装を着替えて突然出て来るようにあなたはスーパーマンとなって空を飛べるのです。(笑い) 次に5.の「予期しないことが起こることを予期しなさい。」です。 神、エホバ・ゴッドの代表的な名前が10あると言いますが、私は11番目にエホバ・サプライズ(驚かす神)と言う名前がよいと思います。(笑い)それ程神は私たちをよく驚かされます。自分は当然右に曲がると思っていたら突然左と言われますし、早朝祈り始めると突然これをしなさいと言われましたので、私はとっさに神に「私は今そんなことしている暇はありません。今祈りの最中なのですから」と言ったこともあります。(爆笑) 正直なところ、私はやりきれないほど飽き飽きするような毎日なので、神が予期しないことをされて驚かされるのは大歓迎です。実のところそれに飢えています。私は昔よく神に「うんと驚かせて下さい。何か今までの箱には入れ切れないような吃驚することで」とお願いしました。 それに皆さん、私は何かよく分からない、おぼろげではっきりしないことが嫌いです。しかし、今はそのような何がどうなるか、はっきりしない時、予期しないことがどんどん起こる時です。しかもあなたが次に何が起こるか当ててみようとすると、大概そうでないことが起ると思いませんか。神は私たちの考えることが分かるので、なさろうとしていることを私たちが予想出来たことが分かると、神はそのなさろうとしていることを変えるのではないかと疑いたくなる程です。(笑い) 今は何もはっきりしない時なのです。神はしばしば明日と言う日を私たちから隠されます。クリスマス・プレゼントの中身が分からないように前以て隠して用意し、私たちを驚かそうというのが親の意図ですが、それを私は、その中身が分かっているような顔をする預言者のように(笑い)、今の教会は驚くこと、新しいことなど一つもない、と言う皮肉っぽい顔をして驚ろこうとしません。(笑い) 結論から言えば、何事においてもこうなるであろうと予想すると多分そうならないでしょう。何故なら私たちは予想が外れた歴史をあまりにもたくさん持っているからです。どうしてかと言えば、神は常に新しいことをなさる方であるからです。 私は多くの人から、又リバイバルがやって来て多くの不思議な業、奇跡が起こるかと聞かれますが、私はそうあって欲しいと答えます。しかし、私が確かでないのは、これから多くの奇跡と不思議な業がどんどん起こるでしょうが、それがリバイバルと言う範疇の現象として起こるのかどうかです。私はむしろ、リバイバルとかルネッサンスと言っても、今までとは全く違う形で起こると思うのです。今までのようにショー・ケース(見本)として突発的に時々起こるのではなく、「神が私たちの中で本当に生きる」とこうなると言う時代、神の臨在と神のクリエイティビティー(創造性)が毎日、そのような目覚しい業を起こす時代が来るように思うのです。これこそイエスが「またそれよりもさらに大きなわざを行います。」と言われたことが起こるのです。(拍手)ですから私は何が来るかよく分かりません。しかし予期しないことが起こる時が来ます。 最後に6.「ものごとに成功する可能性を大きくする。」に入ります。 アジア産の金魚の一種に、もしその種の金魚を入れる入れ物が直径10インチの鉢であるとすれば、金魚は2インチ位にまで育つがそれ以上大きくならない、しかし大きな入れ物に入れると12-15インチ位にまでは育つと言うのです。これを「金魚鉢エフェクト(効果、影響)」と言うそうですが、私たちはこの金魚と同じように周りの環境、特に生活を拘束するファクターとか限度範囲に比例して影響を受けると言うのです。 私たちは私たちが入っている入れ物・環境に影響されることのないように、それからブレイク・アウトする必要があるのです。私たちの頭の上を低くしているガラスの天井とか入れ物の狭さ、限られた環境からう打ち破り出なければなりません。そのファクターには誰かに虐待・酷使されて来たと言うような成長過程での環境の影響もあれば、霊的な限度をも含みます。私たちは今トランジッショ(変遷)を通りつつ、変えられている訳ですが、そのような自分の生い立ち、周りの環境と言うような要素を「自分は変えられたくない」「だから変われない」と云う言い訳にしてはなりません。「私には廻りにお荷物となっているものが多過ぎる」と弁解するならそのお荷物を減らさねばならないのです。 私たちはもっと大きな世界観、大きな金魚鉢、大きな霊性、大きな心、マインド、あるいはもっと大きなポジティブな態度が必要です。今の私たちはこれ等の総てにおいて小さ過ぎるのです。私たちには、もっともっと大きな計画と目標が必要です。 私は今までに一、二度神に出会いましたが、神はものすごく大きな方です。そんな宇宙ほど大きな神様ならその神に中々出くわさないのはどうしてかとおっしゃるなら、それはあなたの求め方のナビゲーションに問題があるとしか言いようがありません。(笑い) 神は今の私たちが通っている変遷の間に、私たちの器そのものをうんと大きくされようとしておられます。私たちが色々な問題を抱えているのは百もご存知です。神はそれを利用して私たちのキャパシティーを大きく広げようとしておられるのです。小さな時に大きなことをする、廻りの状況が悪い時に偉大なことをする、監獄に押し込められた真夜中に高らかに喜び賛美する、周りの誰もが皆失敗する時に成功する、神は私たちがそうなるように学ぶことを今の時に期待しておられるのです。 私の親しい友人のビル・ジョンソンは、イエスが空腹時に通りかかったイチジクの木が何も果実を実らせていないのを見て怒りましたが、昔の彼は「それでは木が可哀想だ」と思っていました。しかし今彼が気がついたことは、イエスがそう云われた理由は「主は季節でない時でも実を成らすことを期待しているからである」と言いました。私も本当にそうだと思います。神は私たちが季節にも季節外れの時も実を実らせることを要求されているのです。神は、私たちが季節外れの空腹時にこそ、私たちを変革し、成熟した性格と人格を練り、どんなに厳しい状況で、たとえ季節外であっても常にイエスの期待に応える人を求めておられるのです。そのような人は、周囲の環境が悪過ぎるとか、ガラスの天井が低いとか高いとかにかかわらず、たとえこの国の経済状態が最悪になっても、希望と回復の神により頼んで、いつも喜びに溢れ、勝利の態度を持つて「生産し続ける人」です。何故ならその人の内に「生産されるお方」が住んでおられるからです。 総てが不確かな時にこそ、私たちは金魚鉢の殻を打ち破る必要があるのです。私たちは経済的金魚鉢に今入れられており、非常に狭さを感じています。しかし神はどんな悪い時にでも計画を持っておられます。聖書を見て下さい。ヨセフはエジプトに連れて行かれ監獄の奥深い処に入れられましたが、その最悪の状態で彼の人格が練られ、彼は、神が用いるべく定められた時のために準備されました。つまり国の経済が崩壊するような飢饉を迎えるに当たって神がその災害を乗り越えるにふさわしい人物を養成しておられたのです。エジプトでの経済を破壊する大飢饉はヨセフを打ちのめしたのではありません。むしろ、その最悪の飢饉が彼に具えられている終局的な目的地(デスティニー)に向かって彼を押し上げ前進させたのです。 パーフェクト・ストームが来ました。しかしそれは同時に最も大きな機会を教会に与えてくれるものです。国家の経済が崩壊するような一大危機に面する時、初めてクリスチャンがこの世の支配者たち(エジプトのパロのような)の前に招かれる機会が与えられ、教会がこの世で浮かび上がる最大の機会となると信じます。 このような経済的不安の中で一番いけないことは恐れと貧困の霊を持つ事です。悪いことは総て悪魔のせいにしがちですが、この経済危機のように、時には神ご自身がすりのように私たちのポケットを盗まれます。しかし、どんなにひどい状態にあってもクリスチャンは常に希望とビジョンを持たねばなりません。 神は今動かれ始めました。私は今、大変興奮しています。機会到来!史上で最も大きなチャンスがやって来ているのです。私はこの時のために生まれ、この時のために備えられて来たのです。(拍手)私は何か分かりませんがこれから何かをしたいのです。悲観するのでなく楽観し、人を社会を国を助けるのです。(拍手) マタイ24:7にあるように「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。」それは地獄の扉が開かれ、あらゆる悪が氾濫するように思われるかもしれません。最後には太陽は暗くなり、月は光らず、星が天から落ちてくる……しかし決してパニックになってはならないのです。私たちを助けて下さる方が来られるのですから。 それでは皆さん立ち上がって下さい。お互いに声を出して、宣言しましょう。…(終わり) トップへ戻る
by walkwithgod
| 2009-04-30 10:12
| アメリカからのメッセージ
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