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反抗の根を取り除く祈り ポール・コックス  2009年7月31日

反抗rebellionの根を取り除く祈り

ポール/コックス



【はじめに:坂 達也から】
1サムエル15:22、23に「1サムエルは言った、『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。 そむくことは占いwitchcraftの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。』」とありますが、「主の御声に聞き従わずにそむくことrebellionがどうして占いの罪に等しい」のか、その意味について私は長い間疑問を持って来ました。それを今回コックス師がよく説明してくれています。

主の御声を聞いてそれにそむくことがどれ程大きな罪であるかはモーセ五書、特に申命記28:15に書かれていますが、これによって大変なのろいがかかることが明記されています。
罪とのろいが残る地をイエスの血潮できよめることが私たちの祈りの歩行の重要な任務ですが、同時にヘンリー・グルーバー師は自分と自分の家系の罪の赦しを乞い、それを宣言するという大変重要な祈りをクリスチャンの一人一人が行うことを強調しています。(私が編纂した「祈りの歩行の手引書」の最後のページに書いてあります。)
コックス師はそれを別の形で説明してくれていますので、この「そむく」こと=のろい=占いの罪=諸悪霊がクリスチャンであっても私たちを襲い、住まいとすることが許される、と言う恐ろしい図式が存在することをよくご理解いただきたいと思います。ついてはこのメッセージを読まれて、コックス師が作成した「反抗・反逆の根を取り除く祈り」をぜひ主の前でされることをお勧めします。(まえがき終わり)



その時、私はアメリカン航空で空中にいました。ドイツとスイスでのミニストリーからの帰途だったのですが、耳鳴りがしていました。内耳に問題がある症状かな、と私は思いましたが、耳鳴りは家に着いてからも続き、それから何日も止まらなかったのです。夜が一番ひどく、どうにか眠ることは出来ましたが、寝付くまでにかなり時間がかかりました。

耳鳴りが始まってから丁度40日目、私はフロリダのデイランドの教会で小さなグループを教えていました 。私は耳鳴りにずっと苦しんでいることを話し、これに対処する何かよい方策を知っていたら教えてほしいと頼みました。するとその中の幾人かが、近くの町で「魔術の要塞」に対して祈った経験を話してくれました。 お互いに詳しく話しをしてみたところ、驚いたことに、彼らが 敵と対決する祈りをしたのは、私の耳鳴りが始まったまさにその日だったのです。そして、 耳鳴りがしている日にちを数えたところ、きっちり40日経っていたことがわかったのです。

啓示がどんどんと与えられ始めました! 驚くべき事がわかりました。私は実は魔術 witchcraft.を聞いていたのです。私の耳鳴りは魔術だったのです!その啓示によって悟りが与えられはじめました。この敵と戦うための祈りを作り上げる時がきたのです。

占いと魔術

魔術とは何であるかをもっと理解せねばならないことは明らかでした。魔術あるいは占いの定義は、何かのしるしを解読したり、超自然な力によって 未来 を予知したり予言したりする技術、実践です。聖書でこの言葉は創世記44:5に最初に出てきます。ヨセフがベンジャミンの袋の中に入れた杯を家の管理者にとりに行かせたときのことです。管理者はこの杯は占い(divination)のために使われたものだと兄弟たちに言うようにヨセフから指示されました。

ニューバイブル辞典によれば、「占い divination」という言葉は、時間的空間的にかけ離れている事柄を知ろうとすることであり、故に一般の方法では知ることができないことであると定義されています。ですから預言者が予知の賜物をもっている場合のように「義なる正しい」ものもありえるわけです。しかしこのように特殊な場合を除いて、占いや魔術は聖書では厳しく禁じられています。

魔法や占いは、人間を超えたものから力や情報を得ようとすることです。もっとはっきりいえば、魔術は自分が願うことをある神(a god)にしてもらうために使うものであり、占いは人間には知ることができない事柄や情報を得ようとして使われるのです。魔法(magic)という言葉は、古代ペルシャの祭司職であったmagusに由来しています。魔術においては、人は神々(gods)と交信することができ、 魔術師や占い師は神々に働きかけて自分に益をもたらすようにしむけることができると信じられています。

占いは2種類に分類することができます。インターナル(内的)とメカニカル(物質・現象的)です。インターナルではシャーマンのようにトランス(夢見心地)状態が起こります。メカニカルの方は、砂や生け贄の内蔵、お茶の葉というような物体を用います。聖書の中には数種類の魔術や占いに関する記述があります。

棒うらない(Rhabdomancy)棒や矢を空中に投げて、それが落ちた場所によって吉凶を占う。ホセア4:12、エゼキエル21:21

肝うらない(Hepatoscopy) 生け贄の肝臓やその他の内蔵から占う。形や模様によって分類され、祭司がそれを解読する。エゼキエル21:21

家神像うらない(Teraphim)死んだ祖先の像を使って未来を予測する心霊術の一つ。第一サムエル15:23、エゼキエル21:21、ゼカリア10:2

巫術(Necromancy)死者から情報を得る。申命記18:11、レビ記19:31、20:6、第一サムエル28:8、第二列王記21:6、第一歴代誌10:13、イザヤ8:19−20

占星術(Astrology)太陽、月、惑星の星座に対する 位置関係や互いの位置関係により予測する。

水うらない(Hydromancy)水の中の模様で占う。 創世記44:5、15


背きと占い

次の注目すべき箇所で、サムエルは占いに関する深い理解を与えていてくれます。サウロはまたもや主の御こころに従いませんでした。彼は羊をすべて聖絶せよという主の命令に従わなかったので、サムエルは彼を叱責したのです!

「主は主の御声に聞き従うほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。」第一サムエル15:22−23

即ち、魔術は反抗と同じだということになります。しかし、どのようになのでしょうか? 反抗あるいは反逆とは「権威のある者に反対・反抗すること」です。ヘブル語の mariy(背く)は「反抗する、論争好きな、制御できない、不従順な、逆らう」という意味を持つmarahの派生語です。この言葉は神の命令されたことに対して反抗するという意味で最も多く使われています。それでは魔術と反逆との関係は何でしょうか?  なぜ占いが背くことなのかという説明を長年にわたり私はいろいろと読んできました。正直なところ、それらの説明は興味深くはありましたが満足のいくものではありませんでした。 その日主は何か新しいことを教えてくださろうとしていたのです。

私はその時、ある人のために祈っていたのですが、私の手を彼の左の耳のそばにかざすように主から示されたと感じました。主の導きに従ったときに私に油が注がれたのを感じてびっくりしたのですが、それ以上に驚いたのは、手をもう少し耳から離したとき、 そこに魔術が働いていることを見分けることができたのです。そして突然、私は主から一つの啓示を受けとりました。代々家系に流れている(神への)反抗・反逆は、私たちから油注ぎを取り去る権利を敵に与え、そればかりかその油注ぎは魔術へと変換されるのです。そして更にその魔術は私たちに敵対するものとして送られてくるのです。魔術は実際に反逆・反抗と同じなのです!

更に啓示が与えられました。主が教えてくださった魔術の諸派を調べて、私は「もし何者かが私たちから油注ぎを盗んでそれを魔術に変えているとしたら、それは一体誰だろうか?」と考えました。魔術が働いている中で、実際に何かを感じて私は驚きました。 その存在の霊的アウトラインを感じ、私はそれが「霊的勢力spiritual force」であることがわかりました。

霊的な勢力に関しては、エペソ6:12に「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊(悪い霊的な勢力、the spiritual forces of wickedness in the heavenly places.)を相手にするものなのです。」と書かれています。(訳者注:Cox師の引用している英語の聖書では“spiritual forces”と書かれていて、一番それに近い日本語訳は新共同訳ですので、それを上記で使いました。)

これら は「空間を超えた」(天との中間的次元の)存在だと私は信じています。なぜならば、聖書には彼らが「天のいろいろな場所で」戦うと書かれているからです。これらの堕ちた「霊的勢力」は主の油注ぎを歪め悪用し、油注ぎを堕落させ魔術に変えてしまうのだと思います。

それから丸一日私たちは話合い、祈りを作成し、それをみんなで祈りました。私は自分に何か変化が起こるのを待ちましたが、何も起こりません。何かが間違っていたのでしょうか?その夜ベッドに入ったとき、私の耳鳴りはまだ続いていました。こんな状態で生きていけるのでしょうか?(しかし) 翌朝目覚めたとき、何か変化があるのに気がつきました。耳鳴りがないのです。祈りは効果があったのです!


「反抗・反逆の根を取り除く祈り」

これが 私たちが作成した祈りです。


主イエスキリストの御名により、私の家系、先祖代々からのすべてが犯した偶像礼拝の罪を悔い改めます。

私の人生や私の先祖の中で、魔術に寄与してきた私個人また、先祖のすべての反抗、頑迷さ、不従順を悔い改めます。

他の人々の知性、身体、性格を羨んだり妬んだことの一切を悔い改めます。

自分自身を崇拝したことや他人から認められたいと願ったことを悔い改めます。

他人の霊的賜物や能力を羨んだり妬んだことのすべをて悔い改めます。

私自身や私の家系の中で、霊的又は(五感を通しての)肉的感覚の門を守らなかった者のために悔い改めます。

主の御こころよりも自分の思いを選んだことを悔い改めます。

私は誰に対しても、互いに愛し合うこと以外は何の借りもつくらないことを選びます。

やみのわざを打ち捨てて、光の武具、即ちイエスキリストを身に着け、肉の欲を満たすためのいかなる言い訳もしないことを選びとります。

私は神が私に与えて下さった恵みと油注ぎに従ってのみ歩むことを選びます。

私は主にある兄弟姉妹と一致をもって歩むことを選びます。

私はキリストに従い、愛の人生を生き、自分よりも他人を尊ぶことを選びます。

私は主に真心から仕えるために自分の権利を放棄することを選びます。

兄弟愛をもって心から互いに愛しあい、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思うことを選びとります。

勤勉で怠らず、霊に燃え、主につかえます。望みを抱いて喜び、艱難に耐え、絶えず祈りに励みます。

私は聖徒の入用に協力し、旅人をもてなします。私を迫害する者を祝福します。喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者と共に悲しみます。信ずる者と一つ心になってハーモニーの中に生きます。

私は高ぶった思いを持たず、身分の低いものと交わります。私はうぬぼれません。悪をもって悪に報いません。すべての人が良いと思うことを図ります。すべての人と平和を保ちます。自分で復讐をしません。

そこで主よ、今まで私と私の先祖の偶像礼拝、反抗、ねたみによって力を得ていたすべての悪霊ども、策略をどうか取り去ってください。

主よ、どうかすべての悪の組織から私を切り離してください。私は敵と私が住まいを共にしていたすべての悪の関係を断ち切ります。

主よ、どうか先祖代々から受け継いできた善悪の知識の木を取り去ってください。

主よ、私にからみ巻きついてきた死のひも、私を溺れかけさせた滅びの急流、私に巻き付いたよみの綱、私にしかけた死のわなを断ち切ってください。

主よ、私自身と私の先祖の罪の故に取り去られ悪用されたすべての油注ぎ、エネルギー、権威、財政、健康を今私は取り返します。

主よ、私を封印(シール)のようにあなたの胸に、あなたの腕につけてください。あなたの愛は死よりも強いのですから。

主イエス/キリストはいっさいのものの上にたつかしらであり、すべてのものの主であることを、私は宣言いたします。

この祈りは次の聖書箇所を基礎としています。創世記2章、申命記4:15−20、第一サムエル15:23、詩編18章、エゼキエル8:1−6、ヨハネ17章、ローマ12:3、10-19、ローマ13章、エペソ1:22、エペソ4:12−13 (終わり)


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by walkwithgod | 2009-07-31 12:05 | アメリカからのメッセージ
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