クリスチャンのつとめ
グラハム・クック クリスチャンとしての私たちのつとめは、この世で神の栄光を現していく者になることです。 神の満ち満ちた様をフルに受け取り、その慈しみと憐れみを人びとの中に具現していくことこそ、私たちに与えられている特権です。ヘブル1:3で「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、、」と教えています。又、ヨハネ14:9ではイエス御自身が「わたしを見た者は、父を見たのです。」と言っておられます。 キリストが私たちの内に形作られるにつれ、私たちは神のご性質を持つものとなっていきます。イエスの二つの偉大な言葉、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ。」と「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」は、ただ単に命令であるだけではありません。それは神が私たちをどのように愛されるかという神からの約束でもあるのです。神は私たちを、私たちが生きる限り、神の心と思いと知性と力を尽くして愛してくださるおつもりなのです。また、私たちがそれと同じ愛で神を愛する 能力を持つことをも神は保証してくださっているのです。神が心を尽くして私たちを愛してくださる時、私たちも心を尽くして神を愛することができます。神が思いを尽くして私たちを愛してくださる時、私たちも思いを尽くして神を愛することができるのです。 このような愛は私たちを変えます。私は静かに座って神について考える時、私は思いを尽くして神を愛することを心から楽しんでいます。私は一年のうち4ヶ月間、神を黙想してすごします。私の家には小部屋があるのですが、私はそこに入って黙想します。一日中その部屋を出ない日もあります。黙想とは、一つのことに関して深く考えることに他なりません。じっと座って、神とは誰か、どのようなお方であるかを考えるとき、神は自らを顕され、神が私をどのように思われているかを話さずにはおられなくなるのです。神も私たちをご自分の思いを尽くして愛してくださっているのです。神が私たちのことを思う思いは、すべてよきものであり純粋なものです。 第一ヨハネ4:16に、このような愛が私たちに与えるすばらしい結果について書かれています。「私たちは私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」神は私たちを救うために一人子を賜ったほどに私たちを愛されました。そして次に聖霊をくださり、聖霊の内にとどまることを会得すれば、私たちは聖霊により慰められ導かれることができるようになりました。 私たちのうちなるすべてのもので神を愛することの自然な結果は、私たちが回りの人びとをも同じように愛するようになることです。神が私たちに注いでくださる愛の豊かさは、この世への愛となって溢れ出るはずです。私たちは神から途方も無く愛されているので、他の人びとを愛することができるのです。私たちが身体、思い、魂、力を尽くして真に神を愛するならば、私たちの認識、感情、考えの中にブレイクスルーが起こるはずです。 私たちが大きな失敗者、敗北者であればあるほど、神の愛の中に生きるように変えられるシフトはダイナミックになります。父なる神がそういう私たちをご覧になると、その心は愛で一杯になります。神は私たちが持っている弱さを見ると、その弱さを克服するために必要なものを私たちにすぐさま与えてくださりたくなるのです。第一コリント1:27に「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」とある通りです。神は「わたしはあなたに欠けているものを知っている。それを完全なものにするギフトをわたしは持っているのだ。」と言われます。 すべてのクリスチャンが、主がどれほど私たちを愛しておられるかという啓示を受けとり、その愛を実際に体験することが今緊急に必要とされています。神の愛はあなたが救われた時点で頂点に達したのではありません。救いは神の深い愛と憐れみを知る長い旅路の最初の一歩に過ぎないのです。神の過激的な愛は多くの罪を覆います。私たちの人生でうまくいかないあらゆることは、神の愛によって覆われるのです。聖霊はこれらのことを受けて私たちに示してくださいます。私たちが次に神の愛を必要とする領域が何であるかを聖霊は示してくださるのです。聖霊は私たちを真理へと導き、私たちのうちにキリストを顕すことを喜ばれます。 私たち一人ひとりに対する神の愛は非常に深いので、すべての失敗を飲み込み、罪を覆い、弱さを克服し、私たちを「主に愛される者」としての驚くべき地位に着かせてくださいます。私たちは本当にパワフルに愛されていて、神は私たちを大喜びで受け入れてくださり、私たちを信頼してくださることは絶対に変ることはありません。神のご性格は非常に力強いので不可能なことは何もありません。敵を愛することさえも私たちには可能なのです。 マタイ5:16に「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」と書かれています。神のご性質が私たちのうちに宿るとき、この経験のすばらしさを私たちは喜び分かち合うことができます。そして神の栄光が私たちの個性の中に輝くのです。 はっきり言わせてください。:神のDNAが私たちのうちにあることを証明する唯一の証拠は、私たちが自分自身をどれほど愛し、また、他の人々をどれほど愛するかというこの一点以外にはありえないのです。(終わり) トップへ戻る
by walkwithgod
| 2009-08-07 15:52
| アメリカからのメッセージ
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