2010年ブレークスルーの鍵 ポール•キース•デイビス 12月25日

2010年ブレークスルーの鍵

ポール•キース•デイビス


今私たちは疑いもなく活発な霊の働きの時、そして敵との対決の時に突入しています。2010年は今までとはかなり違う年になると私たちは信じます。それはレムナントとなる資格のある人達-神の御前にへりくだり、砕かれた魂をもち、神から御言葉をいただいておそれおののく人達-によって大きなブレークスルーが起こると信じているからです。

最近私はニュージーランドの集会を導いていたとき、この真理を更に強く示されました。というのは、著名な癒しの伝道者であるスミス・ウイグルワースの人生上の一つのエピソードを私はその時思い起こしたのです。そのエピソードには彼が神と歩んだ秘訣と彼を通して顕された神の力の秘訣が語られています。

1922年にウィグルワースは一連の癒し集会のためにニュージーランドに出かけました。当時彼はニュージーランドのクリスチャンリーダーたちには知られておりませんでしたが、数人の牧師が集会の成功を確信してウェリングトン公会堂を借りて準備をしました。主は御力をもって彼の集会に臨まれ、多くの人たちが救われ癒されたので、みんな大層喜びました。集会が大成功だったので、予定外の集会も行われ、どの集会も満員となりました。神は最も困難と思われる病気や疾患の多くを癒されたのです。

 すべての集会が終ってから、受け入れ牧師の一人がウィグルワースと海辺を散歩していた時、ウィグルワースに神の力を大きく顕すことができる秘訣は何であるのかと尋ねました。ウィグルワースは、「その質問は出来ればしてほしくなかったのですが、お尋ねですからお答えしましょう。私は心砕かれた者です。私の妻は私にとってすべてだったのですが、11年前に亡くなりました。葬儀がすんで、私は妻の墓に行きそこに横たわりました。そこで死にたかったのです。しかし神が 語られ私に立ち上がって歩きなさいと言われました。私は神が私に2倍の御霊(妻と私の分です)をくださるならば、福音を語りますと申し上げました。神は恵み深く私の願いを聞いてくださったのです。しかし私は大海原を一人で航海しているのです。私は孤独な者です。そして多くの場合、私に出来るのはただ泣きに泣くことだけなのです。」

悔いて砕かれた心こそがウィグルワースが神に用いられた秘密だったのです。それは詩編51:17に書かれています。「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」

ニュージーランドの海辺を散歩しながら、ウィグルワースは自分が神に用いられていることは決して羨むべきことではないことを強調しました。そして彼は終末時代の最後の世代が見るものを羨むと言ったのです。彼は主から3回オープンヴィジョンを見たことを説明してくれました。そのうちの2つは1922年の集会において既に成就していました。しかし3つ目のものは自分が死んでから起こることだと言いました。「ああ、それは本当に驚くべきことです!本当にすごいことです!私は神の秘密を告げることはできませんが、私が言うことをあなたは覚えていることでしょう。私たちが経験した今回のリバイバルは、神がこれからされることに較べれば小さなものなのです。」

彼と会話をしたこの牧師は、ウィグルワースは主の再臨の前の世代に起こる聖霊の大傾注のことをさして言っていることがはっきり理解できたと記録しています。彼は「主がこられて教会を取り去られる直前に前代未聞の聖霊の大傾注が起こるという特別なヴィジョンを、この伝道者が恵みによって与えられたことはまさに明らかである。」と書いています。

より高いレベルに

明らかにウィグルワースは、今の時代に対する神のご計画を垣間見させていただいたのです。また、1936年に彼が南アフリカに居たときウィグルワースは、私たちがカリズマのリニューアルとして 知るところとなった聖霊のムーブメントに関して正確な預言をしています。彼やその他多くの先駆的な霊的チャンピオンたちは、私たちの世代が神から享受できる事柄を預言的に見て予告することを許されたのです。

ウィグルワースが大事な妻ポリーを亡くしたことは非常に悲しいことです。しかしながら、それが 一つの世代を変えるために神が用いられる何かを彼の中に造り出したのです。私たちは彼と全く同じような損失は経験しないかもしれませんが、私たちの究極的なゴールは、現在の自分の状態を知り、神のような性格に全く欠けているという遜りと砕かれた心をもって 神の御前に立つことです。神は決してこのような心を さげすまれず、御霊の顕れの力ある油注ぎを与えてくださるでしょう。

ニュージーランドでの集会のあと、私の人生に重大なチャレンジが与えられたことを深く感じました。そのチャレンジとは、神ご自身が導いて、私たちの聖めと、神への献身をより一層高いレベルに引き上げられようとしておられることでした。それを強く感じたのです。神は今まで私たちが自らを神に捧げてきた度合いよりもっと大きな献身を受け取る価値のある方です。勿論教会には神の御国が顕れるのを見るために多くの犠牲を捧げてきた人が大勢いました。そうではあっても、多くの場合、全体的に見て、私たちはもっと高いレベルの献身を目指さねばならないのです。

真のリーダーシップの必要

今、物事をはっきりとさせ、人々に進むべき方向を示し、神の知恵を与え、信頼に足る預言の声が出現することが必要とされています。神が治める御国が出現することがますます強調されて来ている今、それと同じだけ 終末の時代の世代への神の約束を、聖書的に理解し把握することが要求されています。御国を治める責任をとるべく訓練され整えられた人たちに分与される特別な霊的能力があります。エペソ1:17−19に約束されている知恵と啓示の霊が今ほど必要とされている時代はかつてありませんでした。

「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目ははっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」

バビロンにいたダニエルと三人の仲間たちのように、私たちはあらゆる書き物を理解するための知恵と知識と知性を天から分与されることを非常に必要としています。私たちは夢やヴィジョンを洞察し解釈する力をどうしても必要としているのです。(ダニエル1:17)

すべての真の霊的リーダーシップは、主との友情関係から生まれるというのが私の見解です。主は昔弟子たちに、もはや彼らをしもべとは呼ばないで友と呼ぶと言われました。そのような親密な関係intimacyの中から神の奥義、秘密、はかりごとは分与され、父なる神のこの世代に対する思いや計画が伝えられるのです。ですから、私たちが最も求めねばならないものは、必ずしも霊的職務を受けることではなく、主イエスとの友情関係なのです。私たちがどのような者であり何に召されているかということは、私たちが御国の権威を受けエノクのように神と共に歩くときに明瞭に認識されるようになるのです。 

超自然の能力

私はダニエルの生涯についてしばしば研究し執筆してきました。彼は天において高く評価され大いに愛されている人です。 何年も前に主が私に、 ダニエルは、彼がヴィジョンで見た世代のための模範となるひな型であると言われました。多くの点においてダニエルと三人の仲間たちは、 終末の時代の特別な仕事のために主がご自分の民を整えられる方法を預言的に示しています。肉のイスラエルがバビロニアに捕囚されたことは、私たちの現在の状態と私たちがやがて解放されるという主の約束を予表しています。

ダニエル書1:17は、忠実な若者たちに分与された天からの特別な能力についてです。
「神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。」

主はインスピレーションによって、彼らに色々な文書を理解するための知能と啓示による知識とを与えられました。 霊の理解と天の知恵を悟り言葉に表す特別の才能を、主は彼らのうちに起こさせたのです。ダニエルには、あらゆる種類のヴィジョンと夢を超自然的に解く賜物が特別に与えられていました。

このパターンは、 従順で忠実な献身的心を持つ者を主が見つけ出されることにおいても、今の時代に適用されるものです。聖書や創造、科学、芸術、その他多くの事柄に関する啓示的洞察と超自然的な知識が巨大な倉庫に蓄えられていて、ダニエルと三人の仲間によって築かれたモデルに倣う聖人たちに与えられ委ねられようとされているのです。

私は数年前に預言的経験の中で、 ダニエル1:17と エペソ1:17は霊的に連なっていると主から告げられました。この二つの箇所は同じ約束が違う時代の中で語られているのです。一つは旧約の艱難時に神がどのように取り扱われたかだけではなく、将来人間社会に神が超自然的に介入されることをも指し示しています。もう一つは新しい契約の中ですべての世代の聖徒たちが受け継ぐべきものを表しています。

私たちはそれぞれに個人的な限界を持っているにも拘わらず、主はいのちを与える御霊であられます。主は私たちの死ぬべき身体に主の御霊によっていのちを与え、私たちに主にあるものとして啓示の御霊を与え、奥義、秘密、啓示的知識を与えてくださると約束してくださいました。

過去からのしるし

20世紀初頭にマリア・ウッドワース・エッターの集会に出た者の多くは、霊に取り上げられ、主のヴィジョンや啓示を経験しました。このときの出来事は正確に記録され証明されています。この時主との邂逅の中である者は宣教師として国外に出て行くようにとの召しを受け、ヴィジョンから覚めたときには彼が遣わされる国の言葉をすらすらと話せるようになっていました。

私たちに御国を顕し、主にしかできないすばらしい御業を行われることは父の喜びです。主にとってはアブラハムとサラの身体を若返らせて力を与えることは少しも難しいことではありませんでした。サラの死後、100歳をずっと超えた アブラハムは、全能の神エル・シャダイとの出会いによって与えられた力に満たされ続けていたので、妻ケトラによって更に多くの息子たちを得たのです。

それと同じように、使徒パウロに与えられたような超自然的な賜物をもって私たちを調え、主のうちに隠された想像もできない素晴らしい宝を得られるようにしてくださるのは主にとって容易い事です。また聖書がはっきりと約束しているように、 「御霊は深くて測りしれないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自分に光を宿す」のです。(ダニエル2:22)

神の奥義と秘密

使徒時代の初期に、今までに無かったことが起こりました。弟子たちは彼らの経験していることに聖書的裏付けを与えるために預言者たちが書いた預言を調べました。ペンテコステの日にこのような預言の成就が起こるとは誰も予測しておりませんでした。ペンテコステを指し示す聖書箇所は沢山ありましたが、今彼らの体験そのものが初期の教会に与えられた御国の奥義への啓示的洞察を解き放ちました。

神のお心の中に大切な考え、計画が秘められており、それらはある決められたときまで封印され保存されていました。しかしその決められた日が今訪れているのです。そして、主は霊の分与を解き放たれつつあり、それらのご計画をダイナミックに実現させようとしておられるのです。聖書の真理と御国の奥義が今まさに私たちの前にあり、16世紀初め、ドイツのヴィッテンブルグでマルチン•ルターが95か条のご誓文を打ち付けた時ように、今日大きな影響を与えようとしているのです。(終わり)


トップへもどる
[PR]
by walkwithgod | 2009-12-25 07:07 | アメリカからのメッセージ
<< 「Torah律法に帰れ」   ... 心に明けの明星が上るとき フ... >>