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アポロ13号   ビル・ヨント  2010年2月5日

アポロ13号
                        ビル・ヨント


  月に着陸するというミッションをもってアポロ13号は3人の宇宙飛行士を乗せて打ち上げられました。しかし、そこから突然、悲痛な叫び声で「ヒューストン、問題が発生しました!」と連絡があった時、世界は一瞬停止したかのようになり、テキサス州ヒューストンの宇宙局コントロールセンターにいた人たちは心臓が止まりそうになりました。酸素タンクが破裂したことが発見されたのでした。この報道の言葉が発せられた途端、この偉大なミッションのゴールは突然変更されたのです。月に到着することは最早意味をもたず、3人の宇宙飛行士をどのようにして無事地球に帰還させるかが人々の焦点となりました。

人生の試煉や悲劇が私たちを襲うとき、それまで大切だと思っていた 夢や目標、又何かを達成すること等よりも、単に呼吸をすることが突然に一番大切なことになるのは興味深いことです。聖書の中でも、又私たちの人生においても、神が私たちを高みに連れて行かれて主の素晴らしい夢を見せてくださるとき、その夢を地上に持ち帰り実行するためには大気圏の中に再突入せねばならず、それは非常に重大な危機的瞬間となります。

多くのミニストリーから「問題発生!」の泣き叫びの声を聞く

私の霊 は多くのミニストリーが発する泣き叫びの声を感じます。それは、最初彼らは主から高い召しを受けてミニストリーを打ち上げたのですが、何かよく分からない理由で現実に物事がうまくいかなくなってしまったときに発する叫びです。あたかも天の領域(天からの計画・目標・理想・夢)にいる私たちを、神が地上の領域(現実的問題・種々の試練)に戻るように命じておられるように思われるとき、私たちのプライオリティーは急に変るのです。

アポロ13号のミッションは、神から与えられたミッションや夢を追い求めている時でさえ、私たちがいかにもろく、攻撃・障害を受け易いものかということを私たちに教えてくれるものだと思います。これに関してはヨセフのことが思い浮かびます。 神から与えられた彼の夢は何度も中断させられました。神からの夢が高ければ高いほど、それを成就するためには、私たちはより深く地上の出来事(苦しみ)を経験せねばならないかのように思えます。ヨセフが穴に投げ込まれたとき、神から与えられた夢を成就するためには、彼が地球大気圏へ再突入して地上の多くの苦しみの中に突入させました。囚人として送った多くの年月は彼を更にへりくだらせ、捕われている者に同情することが出来る者に彼をしました。ですから彼の夢が実現したとき彼は捕われている者たちに、そして悪い兄弟たちにさえも、憐れみをもって接することを忘れませんでした。ヨセフは自分のことだけを夢見る者から、人々のことや彼らのより高いデステイニーを夢見る者へと変えられていったのです。

ヨセフの夢はもう消え失せたかのように彼には見えたことでしょう。彼が地上に戻ってくるのは簡単ではありませんでした。自分の夢に死に、他人のために夢を見なければならなかったのですから。 牢獄で共に暮らした男がパロにヨセフのことを告げたのでヨセフの運命はついに成就されることになりました。恐らく他の人々の成功のために夢を見ることができたことがヨセフを宮殿へと導いたのでしょう。宮殿に入った彼は直ぐに自分の家族が回復されることを夢見て、やがて彼らを回復することができました。彼はエジプトの繁栄を夢見て、その結果すべてのエジプト人を飢饉から助けたのです。

ミニストリーが暗礁に乗り上げたかと思われるようなとき、うまくいかない事態から私たちは学ぶ

アポロ13号のミッションは「成功した失敗」であると考えられています。乗組員が月に上陸できなかったという意味では、失敗でした。しかし不可能と思われる状況の中でどのように人々が協力し合って働けるかを示し得た故に、それは成功だったのです。
ケン・マッティングリーという宇宙飛行士は乗組員の一人としてアポロ13号に乗り込むはずだったのですが、医師たちは彼がはしかにかかった可能性があるとして乗船させなかったことは興味深いことです。彼は地上に残り、自分の夢に死にました。しかし、ケン・マッティングリーこそがアポロ13号の乗組員を安全に地球に生還させるための知識と知恵を与えるキイパーソンとなったのです。

神が私たちに一つの夢をくださるとき、 私たちが置き去りにする人が、多くの場合後になって私たちの夢が成就するのを助けてくれる人となり、私たちがなにか問題にぶつかるときに助けてくれるキイパーソンとなるのです。ところで、ケン・マッティングリーははしかにはなりませんでした。彼は後にアポロ16号のコマンド ・モジュール・パイロットとして飛行しました。それは月面着陸の5回目のミッション であり、乗組員が月面を歩いた唯一のミッションだったのです!

地上で多くの人たちがアポロ13号の生還を 祈っていました。ダクトテープと紐という全くありふれた物が、宇宙船の酸素の補給を保ち命を救うものとなったのです。実際、NASAからのすべての宇宙ミッションにはダクトテープが積み込まれています。


私は6年前に心臓発作を起こし救急病棟に横たわっていたのですが、その時多くの人々が世界中で 私のために祈ってくださったことをよく憶えています。私の心臓は実際止まっていたのです。その朝私は救急室で、サタンが手下の悪霊どもにむかって「彼のために祈っている人がすごく沢山いる。残念だが彼から手をひかねばならない!」と言っている声を聞きました。心臓発作を起こす前、私は神から高い召しを受けていましたが、その夢を実現するために私を地上に引き戻してくれたのは人々の祈りでした。

神はしばしばその人のミニストリーを断っても、人を主ご自身の元にひき戻される

何年も前のことですが、私は自分のミニストリーによって破滅しそうになりました。私は自分のミニストリーを主よりも愛してしまったのです。 ミニストリーというものは、気をつけないと私たちにとっての一番の敵となり得るのです! そしてそれは全く悪気もなく起こってしまいます。というのは私たちは神御自身が召してくださったことを愛するからです。主は私のミニストリーが進まないように、戸を閉ざし窓に鍵をかけられました。私の働きへの招きはぷっつり途絶え、私の周りにいるのは家族と神だけになっていました。3ヶ月間ほど私は神と閉じこもりました。あなたが神とゆっくり時を過ごしている間に、あなたがミニストリーを失ってしまうようなことはありません。勿論それがあなたのミニストリーでなければの話です。神のミニストリーであれば、あなたがいなくてもどんどんと進んでいくのです!

3ヶ月神と過ごしたときに、私のミニストリーは以前にはなかったように発展したのです。私がしたことといえば主と時を過ごしたというだけです。ある日私は主から愛の御腕で抱かれるのを感じました。私が主のために何もしないでただ主と共にいることを、主は大変喜んでおられるのを感じました。主は本当に私がいることがうれしかったのです。そして私たちは将来天国で主と共に過ごすだけでなく、この地上でも主と共にいるように造られたのだということを私は見出したのです。その3ヶ月間私は主に抱かれていましたが、ある時主が天使たちにこう言われるのを聞いたのです。「この息子のミニストリーを世界の隅々にまで届けなさい。わたしは彼を本当に喜んでいるから!」
私たちは現在していることをしばらく休んで、神が何年も前に自分を召された時と同じ召し(道)を今でもまだ召されているかどうかを確かめるべき時があるように私は思います。

十字架

十字架は私たちを天の夢へと送りだす発射台であり、又、十字架は神の夢を地上にもたらすために私たちが地球の大気圏にどのように再突入すればよいかを教えてくれるものです。イエスが十字架に架かるとき、弟子たちは自分たちの高邁な召しと夢は失われてしまったと思ったに違いありません。彼らはそのとき十字架が 地上に対する神のすべての夢が実現するための発射台になることを全く理解できませんでした。後に彼らは 、自分の十字架をかつぎ自分を否み、夢を与えその夢を神の方法で実現してくださるお方に従うことによってのみ、自分たちの夢は実現されることを学んだのでした。(終わり)


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by walkwithgod | 2010-02-05 08:20

これからの時に備える リック・ジョイナー  1月26日

これからの時に備える
 
リック・ジョイナー



最も(霊的に)高度なクリスチャン生活を送るためには、聖書の深い理解が必要であると共に、深いデボーション(主の御声を聞きもっと深く主を知る)がそれに伴っていなければなりません。私たちが今年学ぼうと決意したことはこの二つのことであり、この二つを達成できたならば2010年は非常に成功したといえるでしょう。

以前にも述べたように、書かれた神の御言葉と神から直接受けるメッセージや啓示との間には矛盾は決してないことを私たちは知っております。 神は偽りのない方であり、又、変ることがない方であると聖書は私たちに告げています。ですから書かれた神の御言葉(聖書)は、すべての預言を正しく判断するための基盤として私たちが信頼すべきものです。神からの預言やメッセージは決して聖書に書かれていることと矛盾はしないはずなのです。

西洋的な考え方は縦の論理を基本にしています。そして、それはしばしば私たちがすべての事に関して原則を作るように強く働きかけます。時にはそれは良いことであり有益ですが、しかし時にはそれがつまずきとなり私たちを 真理から遠ざけてしまうことがあります。勿論、基本的な原則の中には、 私たちが健全な聖書の信仰の道をはずさないように助け、また、私たちが聞いたものが 主の御声か、そうではないかを見分ける能力を与えてくれるものがあります。これに関してはまた詳しく述べたいと思いますが、真理を知り、神の御声を知るために一番大切なこととはそれらの原則(を知り、追うこと)ではないことも私たちは知るべきだと思います。(何故なら)真理とは「人、あるお方」であり、単に事実・真実ではないからです。

ちょっと考えてみてください。私がある人の声について説明したら、あなたはそれがどのようなものかを確実に知ることができますか? 例えば、私の妻の声がどんな声かを言葉で表現するには、何か誰にでも当てはまるような一般的な表現を使うしかないのですが、たとえそうして説明したとしてもとても難しいことであると思います。妻の声を聞いたことのない人が、私の説明する表現だけで彼女の声が分かってしまうことはとても考えられません。しかし大勢の人が話している中に妻がいたとしたら、私は彼女の声を直ぐに聞き分けられます。どのようにして? それは私が彼女とずっと長く暮らして来たからです。それと同じように、私たちが主の御声を本当に知る唯一の方法は主と共に時を過ごすことなのです。

他人を認識する方法は実のところ二つしかありません。顔か声です。特別変った特徴があれば別ですが、 ただ手や足を見るだけであなたが認識できる人が何人いますか? そうです、私たちは人を顔か声で認識するのです。ですから、聖書の御言葉は私たちが主の御顔を探し求め、主の御声を知ることを強く勧めているのです。


私は聖書を何度も読み、主がどのように人に話されたかを深く研究しました。しかし、私が主の御声を知ったのはその研究によるのではありません。私が神の声を認識するのは、 妻の声を聞き分ける時のように耳に聞こえる声のトーンによるのではなく、霊的なトーンによってですが、神の声は宇宙の中でユニークな霊的トーンを持っています。聖書が教えているように、宇宙には多くの声があり、それぞれがユニークです。それではどうやって主の御声を聞き分けることができるのでしょうか? それは主を知ることによってです。

勿論、主はご自分の声を他のものたちが決して真似ることができないような特出したものにすることはお出来になります。そうすれば私たちは主の御声を他のものの中からいつも認識できるわけですが、主は私たちのためにそうなさいませんでした。主の御声の霊的トーンを知るためには、私たちは主の御こころと御思いを知らねばなりません。主ご自身を(個人的に)知らねばならないのです。これは私たちが主を求め主との交わりが深まることによって知ることができるものです。真の弟子ではない人たち、つまり真に主を求めていない人たちは、主の御声を聞き分けることができません。

これが 「小(子供の)羊(lambs)は羊飼いの声を知っている」ではなく「(おとなの)羊(sheep)は羊飼いの声を知っている」と主が言われた理由です。子羊は自分で主の御声を十分に知り、他の声と区別が出来るようになるまでは、自分よりもっと成長している羊の後に付いて行く必要があるのです。

私は昔、ある人が中東地方の丘に座っていた時の話を読んだことがあります。彼は三人の羊飼いが水飲み場に、それぞれ自分の羊の群れを連れて違う方向からやって来るのを見ました。彼は羊の群れが同時に水を飲めば、みんな混じってしまって羊飼いたちはそれぞれの群れを区別することが出来ないだろうと思いました。思ったとおり、羊たちは水飲み場につくと混じりあい、どの群れに属するものかわからなくなってしまいました。

しかし、羊飼いたちは少しも心配する様子もなく、互いに話しをしていました。羊がみんな水を飲み終わると、羊飼いたちはそれぞれの道を進み始め、歩きながら歌を歌い始めました。沢山の羊の中で大混乱が起こりましたが、小さな羊の流れがそれぞれの羊飼いの後ろに付き始め、やがてすべての羊はそれぞれの群れに分かれていきました。すべての羊は羊飼いの声を知っていて他の声と区別ができたのです。どうしてでしょうか? それは羊たちは自分の羊飼いとずっと過ごしていて、彼が歌う声を聞いて きたからです。私たちも主の御声をこのように知り、この世にある他のすべての声と区別できねばならないのです。主と共にいることに代われることは何もありません。

今年のデポーションは、私たちの根をもっと深く聖書の中におろすことであり、主の真理を深く愛して求め続けることです。また、主にもっと近づくことによって主の御声を知ることを追い求めることです。私たちがこのことにずっと集中して求め続けるならば、この2010年は私たちの人生の中でもっとも重要な年の一つとなることでしょう。これからの時は、私たちが真の弟子として、こうした基本的な訓練をどれほど真剣に追い求めて来たかどうかに掛かっていると言って差し支えないでしょう。(終わり)

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by walkwithgod | 2010-01-26 11:53

時を知る(続)    リック・ジョイナー  2009年1月8日

時を知る(続) 

リック・ジョイナー


ヘブル書12章には、すべての揺り動くものは揺り動かされることが書かれていますが、そのような時に私たちは今突入しています。堅固な基盤の上に立っていないクリスチャンは、この世が揺り動かされる時にはそれと一緒に揺り動かされてしまうでしょう。主はエジプトを根底から揺るがされましたが、それは主の民を解放することを目的としていました。聖書ではエジプトはしばしばこの世の隠喩として使われていますが、この世が今土台から揺り動かされているのも又、同じく神の民を解放するためなのです。 エジプトで奴隷だった神の民を解放するには、神の力が大きく顕される必要がありました。今はそれと同じ筋書きの最初のステージに私たちは入っているのです。
多くの者が「キリストにいのちを捧げた」はずなのですが、その後は今まで通りに自分のために生きていて、人生を神の御国の上ではなくこの世の王国の上に建てています。主は私たちを愛してくださっている故に この世を揺り動かされていますが、それは私たちを自由にするための神の恵と憐れみのみ業です。

しかし、正しい道を歩んでいる知恵者たちは、次第に輝きを増す光の中ですべての物事をはっきり見て判断することができるでしょう。私はかつて自分のビジネスを失い、財産を失い、持っていたものすべてを失ったのですが、それによって本当にすばらしい気分になりました! 何年ぶりかで私は解放されたのです。それを経験しているときは確かに大変でした。実際のところ、それは私が経験した最悪のことの一つでしたが、すべて済んでしまった時には、この揺さぶりによって私が変えられた事や、すばらしい解放感を得たことを心から感謝しました。その一年前まで、私は多くの飛行機を所有し、自分のジェット機で飛び回っていました。しかし、ビジネスを失った時、家族と家財道具全部が小型車に収まってしまうほどでした。しかし、ジェット機で飛び回っていた時よりも、私はもっと楽しい気分でした。それまで住んでいた夢のような家を出て、前の家の一つの寝室の広さくらいの小さな家に移ったのですが、家族は前より幸せでした。これによって今まで歩んでいた暗く混沌とした道から、輝きを増す光の道に戻ることができただけでも、それは本当に価値ある幸いなことでした。

私は皆さんも同じような経験をしなければならないと言っているわけではありません。私は皆さんよりもずっと頑固で反抗的だったので、主が私の注意を引くのに苦労されたのかもしれません。しかし、もしも自分の所有しているものが主よりも大事だと思うならば、それを失うことは最もすばらしいことです。主が私たちの過ごす人生をどう思われているかよりも、この世での自分の地位とか名誉の評価の方をもっと気に懸けているとすれば、人の尊敬を失うことによって神の御前で尊敬を得るほうが、あなたにとって最高にすばらしいことです。

今年は非常にエクサイティ ングな年になります。それは即ち、今年は様々な事が起こり揺れ動くということです。神への信仰が成長していない人たちは脱落しはじめるでしょう。神への信仰が成長している人たちは、他の多くの人の信仰が自分と同じように成長するように助けるでしょう。私たちはそのために自分を整え、次に何が起こるかを把握せねばなりません。

信仰に歩む者、即ち義の道を歩むものは、先を見越した行動をとり、多くのことを達成し、勝利するでしょう。なぜならば、彼らは自分が進んでいくところを鮮明に見ることができ、先見の明で決断することができるからです。

箴言4:18−19にはっきり書かれています。
「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない。」

そして次の 3節は揺り動くことのない御国の上に建てられた勝利の人生を歩むための鍵を教えてくれます。
「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。」箴言4:20−22

今年、どうか神の御ことばを知り、それに従うことに自分を捧げ努力してください。聖書を毎日最低一章は読むことを決意してください。嵐が来ても倒れない家を建てる者とは、主の言葉を聞きそれに従う者であることを忘れないでください。自分の聖書が棚の上でほこりをかぶっているのに、「主は私に語ってくださらない」と言って不平を言う人たちが大勢います。主を探し求める者が主を見いだすのです。

勿論、この文を読んでおられる方は神の言葉を求めておられるでしょう。しかし、もし私たちが輝きを増す光の中を歩んでいるのなら、ますます主を求め主のなさり方を理解しなければならないのです。私たちは一週間に一度ではなく、毎日新しいマナを集めなければなりません。今どれくらい神の言葉を知り従っているにせよ、今年はそれ以上にそのために時間を使うことを決意してください。さあ、今から始めてください。どの投資よりもこれが一番大きな利子を生み出すことでしょう。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-01-08 12:34

その後のトッド・ベントリーに関して リック・ジョイナー 10月1日

現在のリバイバルの歴史と将来―パート10.その一
その後のトッド・ベントリーに関して

リック・ジョイナー


私が今一番聞かれる質問は、「トッド・ベントリーはどうしていますか?」ということです。彼は私たちのところに来て数日過ごしましたが、概して言えることは、彼の様子を見て私は励まされています。彼は自分の問題が多くの人々に問題を与えてしまったことを、非常に申し訳なく思っています。彼は自分が間違いを犯したことやおろかな選択をしてしまったことを十分認識しています。彼はそのことを手紙という形で出来るだけはっきりと発表したいと考えていますが、それには数週間かかると思います。というのは、私がそれを手伝うことになっているのですが、私は3週間外国に行かねばならないからです。また、他の数人の人たちからもそれに関して助けてもらいたいと考えているので、そのくらいの時間がかかりそうです。


彼のための今の計画は、彼の生活の実際的な問題を解決することです。そのために、彼と同じような問題を経験し、しかもそれに勝利した二人ほどの友達を訪ねる予定です。それから私たちのモーニングスター・ミニストリーのヘリテイジに来て、癒しと回復のプロセスに入り、ある期間ここで過ごす予定になっております。


私はフレッシュ・ファイヤー・ミニストリーの主だった二人のリーダーとも話しました。その結果、私は、トッド並びにこのミニストリーがこの危機を切り抜けるばかりではなく、彼らがこれから起こる主のムーブメントにおいて、パワフルな力、並びに、ファクターとなることを確信しています。


今回起きた問題は、すべての面において非常に深い教訓を含んでいます。それを解決し、それから学ぶことは、教会の未来のために大いに役に立つでしょう。私個人としては、レイクランド・アウトポアリングが今の時代に与えられた非常に重要な主の訪れであったことを疑ったことはありません。何万人、何十万人という人が癒され、奇跡を体験したばかりではなく、数え切れない人の信仰が高揚されました。そしてそれによって今もいろいろな場所で霊的な動きが急激に起こったり前進したりしているのです。教会も、癒し主としてイエスを知り、必要な奇跡をしてくださる方として信じるという最も重要な信仰を持つことによって、来るべき時に備えることができました。私たちは、現在の教会のレベルより更に高く成長していかねばならないのです。


また、トッドの問題によって提起された種々の論点は、教会が次ぎに進む前にキリストのからだによってキチンと話し合われねばならないと思います。そうしないと同じような問題が将来起きたときにはもっと大変な混乱を招くでしょう。もう少し詳しいことがお分かりになったときに、皆さんも同意されると思います。この事態を正しく扱うことは、キリストの身体を強め将来のために教会を整えるすばらしい機会なのです。
今日までに多くの人たちがこの問題に言及されましたが、それは励まされるものであったり、又、がっかりするようなものでもありました。しかし、これを正しく解決することは、現在私たちが本当に必要としていることであり、教会全体を強めることができるのです。この問題から私たちが得るものは、本当に大きい可能性があるのです。主は私たちを常に勝利へと導いてくださり、今回も例外ではないと私は確信します。

トッドやフレッシュ・ファイヤー・ミニストリー、レイクランド・アウトポアリング、そして特にレイクランドや多くの場所で力強く働いておられる主をあきらめなかった人々の忍耐と祈りを、私は感謝します。レイクランドは多くの火をつけた火花(スパーク)であり、今も火をつけ続けています。消えることはありません。もしあなたが、どのような形であれ、それに触れられたのならば、どうか前進し続けてください。これはトッド・ベントリーがしたことではなく、主がしたのであり、主は今、劇的な速度で動かれているのです。実際のところ、これは止むことのない神の動きの始まりかもしれません。

それと同時に、私たちは傷ついた仲間を殺し続けようとすることを、もう止めねばなりません。ガラテヤ6:1で明言されているように、「いかなるあやまち」に陥った人でも、その人たちを回復させるのが私たちのとるべき唯一の道です。私はトッドがミニストリーに復帰するだけではなく、やがてもっと大きなインパクトを与えるようになり、今までより大きなパワーの中を歩むようになると確信しています。私がこう信じるのは、トッドに関して数年前に主から示されたものがあるからです。ボブ・ジョーンズが「レイクランドは来るべきものの予告編に過ぎない」と言った通りなのです。トッドは主が「地上最大のショー」と呼ばれるものを開始するために招集された人です。それは神がどのようなお方であるかを世界に示すために、神ご自身が地上を歩かれたとき以来最大のデモンストレーションになるでしょう。キリストのからだはそのために今整えられているのであり、レイクランド・アウトポアリングはその道を備え始めたのです。

それと共に、私はトッドの問題を知ったときにあまり驚きませんでした。彼のような性格と神からの召命を持つ人間は、偉大な勝利、前進を勝ち得るとともに、大きな失敗をも犯しやすいのです。使徒ペテロがそのよい例です。聖書の中で最も偉大な賛辞の一つを受けた直後に、神の御子ご自身が、ペテロを「サタン」(マルコ8:33)と呼びました。ペテロははじめ天から直接聞いたのですが、次の瞬間には地獄から聞いてしまいました。また、主を否むという私たちの出来る最悪のことの一つをしたすぐあとで、ペテロは赦しと回復を得て、ペンテコステの日のリバイバルのリーダーになりました。このことをよく考えてみてください。

このところ、この問題で毎日数時間を費やしておりますが、いまだにその真相やファクターについて、また解決するためには何が必要かを学ばされています。今回起こったことには多くの深くて重要な問題点が含まれています。妥協をほとんどしない人たちでも、より正確な情報を得たときに意見を完全に変えた人々の例も私は見てきました。もう少し進展すれば、すべてをはっきりさせるチャンスがあり、それによって多くの人が解放され癒されると思います。時として身体の癒しの方が魂と霊の癒しよりも容易であることがありますが、私たちはすべての面での完全な癒しが必要です。

私たちが絶対にしてはいけないことは恵みを制限し、出し惜しみすることです。ガラテヤ6:7で言われているように、私たちは蒔いたものを刈り取ります。もし恵みを受けたいならば、出来る限り恵みを蒔くことです。憐れみを受けたいならば、出来る限り憐れみを蒔くべきです。これは聖書にある明確なモラルや誠実さの基準をいい加減にして妥協するということではありません。それはもし私たちが霊的であるならば、私たちは「柔和なこころ spirit of gentleness」(ガラテヤ6:1)で「回復させる者」となり、自分自身も誘惑に落ちいらないようにせねばなりません。今回の問題に関して柔和でなかった人たちが、みんな悔い改めることを私は祈ります。なぜならばプライドをもって対応した人は、自らも倒れることになるからです。この件に関して私が今回はっきり与えられたみ言葉は一つだけですが、「おろか者はあわてて歩む。性急に裁くものは不義の裁判官であり、主はそのことを暴露される。」というものです。性急な裁きをしてしまったすべての人が悔い改めるように祈りましょう。そうでないと、これと同じ問題が多く起こるようになるのですから。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-10-01 04:23

霊的な生活 ロン・マクガトリン 5月1日 2008年

霊的な生活

ロン・マクガトリン

私たちは、前いた場所に今はいない 今いる場所に将来はいない

私たちが今までいた場所は、人間中心であり、欲と煩悩に振り回された堕落した世界です。これからいくところは、神中心であり、義と平安に満ちた贖われた世界です。
今、私たちは、古い世界から贖われた新しい世界へと移るために旅をしている途中であり、それは時には荒れ狂う嵐に遭遇する長い道のりです。

聖霊は私たちに、「さあ、立ち上がって歩きはじめなさい」と、明らかに語っておられます。なぜならば、今の場所に座ったままでいると私たちは死んでしまうからです。私たちの生活様式の基礎を抜本的に変えなければ、私たちの今持つ弱点が国家を破滅する可能性があります。

聖霊は今、「強さと力と知恵を得て、世界が進む方向を変えよ。」と、私たちに語っておられると信じます。

ホーム・チャーチなどで、教会のやり方を少しばかり変えたとしても、それで最終的にうまくは行かないでしょう。選挙で違う政党を選んだにしても、それで世界を変えることはできません。税金をもっと少なくしても、多くしても、あるいは、もっと低い利息でもっとお金が借りれるようにしても、それで私たちの経済の危機を救うことはできません。現実的に見て、私たちの国家や世界がどんどんと下降線を辿っているのを変えるために、肉の人間ができることは何一つないのです。どんどんと悪くなっていく世界を回復するために肉の人間が考えつく最高の方策でさえ、愚かなことなのです。生まれつきのままの人間では、私たちが今どこにいて、何が起こっているかを全く理解できず、ましてや解決方法など分かるはずがないのです。自分は賢いと主張はしますが、現代の肉の人間の思いはむなしく、心は暗くなってしまいました。

ローマ1:21-22「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、」

第一コリント2:14-15「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。」

御霊により知恵と力が現われ、超自然的に地球上の生命を基礎から変える

高いプライドを捨てさり、へりくだって自分たちの父祖の道から天の父の道へと御霊によって変えられていく聖なるレムナントを、神は今召し出されておられます。聖霊の助けにより地上のあらゆる分野で神の栄光を輝き出させる聖なる人々は、史上最大の収穫をもたらします。神はこれらの聖なる人々(年寄りも若者)と共に、あるいは彼らを通して、国家や世界の進む道を変えるように超自然的に働かれます。御霊により私たちはすべてのことが可能なのです。すべての被造物を支配しておられる神の愛と力と栄光が、キリストの御霊を通して流れ出るのです。

あなたがうなじのこわい神の民であるならば、御霊があなたの上に臨んでくださり、あなたの暗くなった思いをキリストのリアリティーで超自然的に満たしてくださるまで、神の御前に顔を地に伏せて昼も夜も泣き叫びなさい。

神の御前で長い間地に顔を伏せて聖霊を豊かに受けた者は、今立ち上がり御霊によって歩み、神が御霊によって示された力ある業をしなさい。御霊によって聞いたり見たりしたことを御霊のうちにしなさい。

父なる神の愛に包まれて、砂場ではしゃいでいる者は、もうふざけるのをやめて立ち上がり真剣になりなさい。おもちゃを捨てて道具を手にとりなさい。あなたが手にした道具は、聖霊によって力を与えられた動力機具となる。信じればすべてのことは可能だ。神にむかって子供っぽい応答をするのを神は喜ばれない。しかし幼子のような信仰と信頼は神を喜ばせる。

人々よ、我々は再び全く新たな日を迎えているのだ。それは偉大な力と光に満ちた日であり、夜をすばやく昼に変え、愚かな人々を闇から光へと呼ぶ。神のおられる天を見上げ、礼拝し信ぜよ。なぜならば、多くの者にとってこれが最後のチャンスだからだ。あなたは過去の霊的未熟さを早く捨てて、神が人間に対して初めから定められた最終目標の域に入らねばならない。その目標とは、あなたが召された仕事に神の愛と知恵を注ぎ込むことである。

御霊に歩む聖なる主のレムナントに注がれる神の大いなる力は、リバイバルという言葉では表せないほどに力強い。その力はどんどんと爆発的に大きくなり、神の栄光は邪悪な者の上に注がれ、聖なる者はきよめられる。

そこには喜びで満ち神の栄光にあふれるきよく心地よい平安がある。そこには偉大な光と共に偉大な闇がある。人間の歴史上最も極端な時代がもうすぐやってくる。

イザヤ60:1-2「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。」

過去を忘れなさい。あなたの将来のための自分勝手な計画を捨てなさい。神の栄光が来ようとしている。他のことは問題ではない。これは過激という以上のものであり、私たちの想像を超えたものである。地上が騒がしいときに完全なる平安がある。人々の心は恐れで震える。しかし、物事が激変する嵐の中でも完全な平安がある。

神は聖である。悪によって建てられた高いプライドの城、愚か者たちは立っていることはできない。高慢な宗教と高ぶる者の塔は、粉々に砕かれる。プライドの高い者は消えてなくなり、きよい聖なる火が人の邪悪な愚かさの刈り株を燃やし尽くす。

イザヤ2:11-18「その日には、高ぶる者の目も低くされ、高慢な者もかがめられ、主おひとりだけが高められる。 まことに、万軍の主の日は、すべておごり高ぶる者、すべて誇る者に襲いかかり、これを低くする。 高くそびえるレバノンのすべての杉の木と、バシャンのすべての樫の木、すべての高い山々と、すべてのそびえる峰々、すべてのそそり立つやぐらと、堅固な城壁、タルシシュのすべての船、すべての慕わしい船に襲いかかる。その日には、高ぶる者はかがめられ、高慢な者は低くされ、主おひとりだけが高められる。 偽りの神々は消えうせる。」
イザヤ5:15「こうして人はかがめられ、人間は低くされ、高ぶる者の目も低くされる。」
イザヤ26:5-6「主は高い所、そびえ立つ都に住む者を引き倒し、これを下して地に倒し、これを投げつけて、ちりにされる。貧しい者の足、弱い者の歩みが、これを踏みつける。」
貧しい者と乏しい者の足が踏みつける

木、藁、刈り株は火で燃やされる。しかし、神の宝石は神の栄光を映し出して輝く。地には平和、人にはめぐみがある。イエスの死と復活は無駄ではなかった。それは、全地が神の栄光で満たされるからだ。

第一コリント3:11-13「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」

マラキ4:1-3「見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行なう者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。・・万軍の主は仰せられる。・・しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。 あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行なう日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。・・万軍の主は仰せられる。・・」

マラキ3:17「「彼らは、わたしのものとなる。・・万軍の主は仰せられる。・・わたしが事を行なう日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。」

弱い者に強いと言わせよ。立ち上がって神の力強い息子となるように準備せよ。世界の定められた終末が今あなたの前にあるからだ。あなたはこのために生まれてきた。先に来て神の都を探すために命を捧げたすべての者が、成熟した神の息子達が立ち上がり力強い主と共に地上の御国、贖われた世界へと入っていくのを待ち望んでいる。御国の力と天の軍勢は、へりくだって立ち上がり、大きな叫びとともにキリストのからだである花嫁として、かしらなる天と地の王、キリスト・イエスに迎えられ、完全に一つとなる時を待つ者達と共にいる。主の御名に栄光あれ!主はすべての栄光を受けるにふさわしい。 ハレルヤ! 主の偉大なる御名に栄光あれ!

愛を追い求めなさい。愛は決して絶えることがありません。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-05-01 08:48

クリスマスに際して   坂 達也   12月22日

クリスマスに際して

アメリカではクリスマスが近づくと、電球による建物の内外の飾り付けが盛大になされ、特に住宅地の夜景は実にほのぼのとしてきれいです。先日近くの老人ホームを訪れた時、入り口の側にきれいな飾り付けがしてありましたが、その中に「ノース・ポール(北極)はこちら」と書かれた1メーターあまりの矢印のサインが芝生の上にあざやかに電飾で浮き出ていました。

アメリカの多くの小さな子供たちは、サンタクロースの存在を本当に信じています。クリスマスが近づくとサンタに手紙を書いて郵便局に投函する子供が、恐らく毎年千人以上はいると思います。サンタは北極に住んでいると彼らは信じていますから、サンタ宛の手紙の住所は皆、ノース・ポールと書かれています。彼らはサンタに欲しいものと共に、クリスマスにしてもらいたいことを切々と訴える手紙を書くのです。

このような手紙が来ると郵便局では、その手紙を「死んだ手紙」つまり、行き所の無い手紙として集め、一定期間保管するそうですが、昔そのようなサンタへの手紙の内容が披露されて新聞に載り、私もそれを読んで子どもたちの純真な愛の思いに打たれた記憶があります。多くの子どもは自分のことより、周りの家族とか困った人をクリスマスに助けてやって欲しいという嘆願の気持ちをサンタに書くのです。

私たちが元住んでいたポートランドの郵便局に長年勤めて退職した親友からのメールによれば、最近四歳の女の子がサンタにではありませんが、天にいる神様に直接書いた「いじらしい神様へのお願いの手紙」が郵便局に届いたそうです。天国行きと書かれた住所の手紙ですから、これもサンタ宛と同じ「死んだ手紙」として処理されました。

その手紙の内容は、4歳のメレデスという名の女の子が、かわいがっていた14歳の老犬が死んで、その子は寂しさと悲しみの中からお母さんに頼んで天の神様に手紙を書いてもらいました。それには「天の神様、私の犬のアビーがそちらに行きましたが、写真を送りますので、見れば分かると思います。アビーはボール遊びが好きですから、どうぞ遊んでやって下さい。」と言うものでした。その手紙には差出人の住所と名前が書かれており、たくさんの切手がはってありました。
それからしばらくして金色の包み紙に包んだパッケージがメレデスの家に郵送されて来ました。中にはミスター・ロジャースの書いた「ペットが死んだら」という本と手紙が入っておりました。その手紙には見慣れない字で「メレデスちゃん、アビーは無事着きましたよ。写真を送ってもらったのですぐ分かった。もうアビーは病気ではなく元気で、あなたの犬であったことをとても感謝しています。わたしに手紙を書いてくれてありがとう。それにあなたに代わって手紙を書いてくれたあなたのやさしいお母さんにも感謝します。そんなすばらしいお母さんをあなたの為に特別に選んだのはわたしだよ。これからも毎日わたしはあなたのために一杯祝福を送るので、いつもわたしがあなたをどれ程愛しているか憶えていて下さい。 愛をもって。あなたの神から。」

私の郵便局出身の友人は、自分の元の職場である郵便局の「死んだ手紙」の部署に心あるクリスチャンが働いていることにいたく感激しておりました。

クリスマスと言えば、昨今はあまりにも世俗的になっていることは確かです。また教会の中では、「イエスの誕生が12月末と言うのはおかしい」とか「クリスマス・ツリーは異教の習慣だ」といってお祝いをしないクリスチャンもいます。私もそのような気持ちを少し持っていたのですが、最近自分のそのような批判的態度を悔い改めました。世の中の総てが、神の許しなくして何事も起らないのである以上、12月25日をイエス・キリストの誕生日とし、それをたとえ世俗的であっても、又クリスチャンでなくても、万人が贈り物を交換して大いに祝うようにされたのは神であり、神が許されたことであると思うのです。サンタクロースは本当にやさしい愛の天の父の心をあらわしていると思います。

アメリカ南部のあるクリスチャンが何十年とサンタクロースの役を買って出て、毎年クリスマス前になると札たばをたくさんかかえ、巷に出て行き、困っているような人に五十ドル、百ドル、二百ドルと言う現金の贈り物を与えていたそうですが、その人が亡くなったと言うニュースを二年ほど前に見ました。その人は小さい時貧しい境遇で育ちましたが、成人したある時、貧しい人がよいクリスマスを迎えることが出来るように助けたいと思い立って、決して経済的に豊かでない中からお金を貯めてはクリスマスにサンタになることを決意したのです。神はその人を大いに祝福し、やがてその人は大金持ちになりましたが、死ぬまでお金を貧しい人に配ることを続けたそうです。そして死に際にお金持ちの友人の手をとって自分のサンタの仕事を引き継いでもらいたいと頼んで死んで行きました。今はその後継者だけでなく、幾人かのサンタクロースが巷に現れ、いわゆる「年を越せない」ような貧しい人に思いがけない恵みを配って歩いています。又、貧しい子供たちにクリスマスの贈り物を与えるために多くの慈善団体、企業がきれいな包装紙で包んだプレゼントを山のように集めて、実際にサンタクロースの衣装を着けたサンタがそれを配るのは、アメリカの年末の街中で見られる美しい心温まる行事の一つです。

クリスマスはイエス様のご誕生をお祝いする日です。私たちが家族の誕生日をお祝いし、贈り物を送り、あるいはご馳走を用意してその人の誕生日をお祝いするのは世界中の習わしであると思います。そうであるならば、クリスマスには天におられる恵み豊かな父が、愛する私たち人間に大判振る舞いのプレゼントを与えて下さる以上に、私たち自身が誕生日を迎えるイエス様にこそお誕生日のお祝いのプレゼントをお送りすべきであると思います。そのイエス様に贈る最大のプレゼントは「人を赦す」ことではないでしょうか。下記にそのような贈り物を最近贈った人々をご紹介したいと思います。

先日コロラド州で銃の乱射で二人のYWAMの若者が殺されたニュースがありました。その事件が起った三日後に、殺された二人、フィリップ・クラウスさんとティファニー・ジョンソンさんの家族は、先ず犯人(その後自殺した)の叔父のフィル・アベータ牧師と会って和解し、その後犯人の両親、ロンとロレッタ・マーレーさん夫妻を訪ねて、お互いに手をとり、話し合い、いたわり合い、祈り合ってその犯人の家族を赦しました。

殺された犠牲者二人の家族はそれぞれ、犯人の両親に面と向かって「私たちはあなたを赦します。あなたがたはもう責任を感じる必要はありません。」と伝えると、両親はそこで証されたクリスチャンによる「キリストの愛と赦し」の力に圧倒されて言葉もなく泣き崩れた、と報道されました。そして、皆が犯人である息子のマシュー・マーレーさんをもはっきりと赦しました。そして、最後にデンバーのYWAMの指導者のリードによって、全員が手を取り合い、神様に感謝をささげながらお互いに祈り合ったそうです。

撃たれて死んだフィリップ・クラウスさんは、この事件が起る少し前にYWAMのミニストリーによって救われたのですが、救われる前は、内向的で暗く、絶え間ない混乱から来る不安定なおびえた青年であったのが、救いの恵みによって見違えるようにトランスフォーメーションされたと報道されていました。この救われる前のフィリップ青年がちょうど犯人に似ていると言う印象を私は持ちました。

 次に、数日前にホノルルで起った交通事故で、キャシー・オライバーさんはかろうじて一命を取りとめたのですが、頭部と足に大怪我をしました。事故の原因は飲酒運転で高速道路に逆入して来た車に正面衝突されたからでした。朝の3時半に起った事故でしたが、その飲酒運転をしていた相手の人はリサ・マツモトさんと言って、ホノルルでは劇作家としてわりに名が売れていた人でした。彼女はその事故後間もなく死亡しましたが、相当の飲酒量であったことが分かりました。
新聞は、最初2-3日大きくマツモトさんの死とその故人の業績を報道しました。しかし4日後の新聞の一面で初めて被害者オライバーさんのことが写真入りで次のように報道されました。
「二人の子供を持つ母親が衝突して来たマツモト(さん)を赦す」と言う見出しの下に「足に手術用のロッドが入れられ、足首にはピンを、頭蓋骨にはステイプル(留め金)が打たれたが、彼女のハートには赦しがあった。」と書いてありました。オライバーさんを見舞いに訪ねて来たマツモトさんのお母さんに、「もしあなたにとって私の言うことに意味があるのでしたら申し上げますが、私はあなたの娘さんを赦します。」

 私は日本の報道で、犠牲者の家族が「私は絶対に赦さない」と言う談話を発表している見出しをよく見ます。日本ではそれが当然のように報道されます。事実その被害者のお気持ちはその通りであることは充分理解できます。しかし、ここに、イエス・キリストがこの世に生まれて来られた意味があるのではないでしょうか。 
皆様、主の御誕生日をお祝いする、すばらしいクリスマスをお迎え下さい。(終わり)


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by walkwithgod | 2007-12-22 13:29

この5月は特別の月   坂 達也   5月6日

2007年5月は特別の月

坂 達也

最近霊的な世界において起こる事のスピードが加速され始めたような気がしてなりません。このことは多くの預言者が預言して来ましたが、いよいよ聖霊の働きが大きくなり、多くの場所と人の上に主のご臨在が濃厚に覆うようになって来ました。地上に送られてくる御使いの数が増え、彼らの活動が活発になっているとも言われます。
 
私の近辺でもそれがよく分かります。昨年来、ハワイを訪ねる特に若い人たちが福音に触れると、待っていましたとばかりに救われる現象を私たちの教会でも度々経験して来ました。これは今までになかった現象で、とにかく早いのです。私個人においても、朝の主との交わりの中で、顕著な主の臨在と共に主が語ってくださる量が増して来ています。時には圧倒されるほどの啓示がいただけます。
  
リック・ジョイナー師が最近のモーニングスター誌に「間もなくすると新しい品種のクリスチャンが立ち上がって来るでしょう。と言っても、それは元からあるオリジナルの品種で、その人たちは真のキリストの弟子であることに徹し、本当に毎日を自分の十字架をかついで歩きながら、王に忠実に従う生活を送る人たちです。そのようなクリスチャンがドラマチックに先ず教会で立ち上がり、次に世界に現われるでしょう。…彼らは本当にトランスフォームされて主に似たキャラクターを持ち、肉の世界で自然の法則で生きるよりも、むしろ霊の世界で王国の法則で生きることの方がよりアットホームな人たちです。」と書いておりますが、いよいよ教会にめざましい変革が起こる時が近づいて来ているのを感じます。

 又、アメリカについて具体的な預言を多くするキム・クレメント師は最近、「4月という月はアメリカにとって絶望的なことが続いた月でしたが、この5月は前にも預言したように神の特別大きい恩恵と恵みを受ける月であって、多くの人が『こんなことは今までに起こったことがなかった』と言い、驚くようなことが起こります。喜びなさい。(三度)王の子どもたち。…」と預言しています。

その驚くべきことの一つと言えるのでしょうか、本日5月5日にアメリカの三大テレビ放送局の一つであるABCが「神は存在するか」と言うテーマを取り上げ、二人のクリスチャンと二人の無神論者が公開討論するという前代未聞のイベントを90分番組で放送するはずでした。しかしABCは数日前にその討論会の放送を9日に延ばすと発表しました。その延期した理由は、もっと多くの人たちに見てもらうためであると言います。

クリスチャン側の二人は喜劇俳優のカーク・キャメロンとインターネット宣教で人気のあるレイ・カンファート師です。5月2日付けのABCのウエブサイトにカンファート師の談話が載っていましたが、彼は「私たちはABCに大変感謝しています。私の知る限り、このような公開討論会が放送され、それがABCのウエブサイト(毎月1900万人がこのサイトを訪れると言われる)ABC.COMで見られると言う様なことは今までに起こったことはないと思います。」と言い、「私は神が存在することを目に見えない信仰とか聖書に触れることなく科学的に証明できる」と言い切ります。

もう一つ、私の知る限り非常に異例のことが起こっていることをお知らせします。それはルー・イングル師が来たる7月7日(07/07/07)にテネシー州のナッシュビル市にある大きなスタジアムで、TheCallと名を打った「断食と祈りの大集会」をずいぶん前から企画し、若者から年寄りまで出来るだけ多くの人が参加することを呼びかけて来ました。この集会のことはアメリカのクリスチャン団体の多くが、一つの重要なエポックメーキングなイベントとして前から祈って来ましたが、この集会を正式にテネシー州の州議会が取り上げ、去る4月9日に、その州の上下院議会で、「テネシー州政府はこの集会を正式に認め、歓迎し、サポートする」ことを満場一致で公式の決議文(Resolution)として可決したことです。

私は、たとえアメリカであっても、最近ではこのようなことは起こっていない、全く異例な政治的決議であると確信します。
その決議文には、イングル師は過去において、このような何万人をも集める超教派の大会をワシントンDC.ボストン、ニューヨーク市、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、オーストラリヤ、ドイツ、フィリッピン、英国で行って来たことを記し、今回このナッシュビル市で師が同じような大会を行うことを栄誉とし、この市がアメリカ中の「キリストのからだ」を代表する市の一つであり、今回イングル師とこの集会がこの市に、我が国の歴史上に残る重要な役割を果たす機会を与えてくれると信じ、又、具体的にこの大会に断食と祈りと悔い改めを信じる信者を集めることは、神がアメリカを訪れ、歴史的な「目覚め」をもたらすと信じる、とはっきり書いてあるのですから本当に驚きです。

 この5月3日はアメリカの国が定めた「祈りの日」でした。国を挙げて一致して祈る日です。現時点では未だ具体的にご報告できる資料がありませんが、大統領を始め、前述のルー・イングル師、チャック・ピアース師、ピーター・ワグナー師、ドブソン師等多くのリーダーたちが、特に今こそアメリカは大きな危機に面していることを強調し、国家的な祈りが必要であることが呼びかけられました。又、イラクの戦場にいるアメリカを始めとする各国の兵士への祈りも強く呼びかけられていました。

私は今この時点で、私たちクリスチャンがどれだけ真剣に祈るかどうかで、世界の情勢に霊的に重要な変化をもたらす事態が決定されて行くと信じます。 
個人的にも今こそ、主との関係において真に密接な関係に入る恵みを受けようとしている大事な『目覚め』の時期に面している方も大勢おられると信じます。本当に今がチャンスです。終末の大患難の闇の時代が迫って来ている一方で、その前に未曾有のリバイバルを迎えることができるのかどうか、どうぞ日本の教会の皆様も、この5月を特別の月として期待し、真剣に祈り、信仰で主の祝福と恵みを勝ち取っていただきたいと心から祈り願う者です。お祈りしております。(終わり)


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by walkwithgod | 2007-05-06 08:08

キリストの思い  フランシス・フランジペン  2月18日

キリストの思い―無私の愛の態度―を持つ
フランシス・フランジペイン

Iコリント2:15,16「しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。『だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか』。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。」(口語訳)

これは新約聖書の中で最も驚くべき言葉の一つです。私たちが肉的な嫉妬や恐れ、不信仰というような思考から解放されて、その代わりに「キリストの思い」を持つことが実際に私たちに可能である、とパウロは語っているのです。この論理は非常に深く素晴らしいものです。主に関して教訓的な教えや真理を教わるということと、実際にキリストの思考を持つのとは、実際、全く違うことです!
パウロは次のように言っています。

Iコリント2:11-13「いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。 この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。」

私たちが新生したとき、自分の霊の中に神の御霊を受けます。霊的な人というのは、その人の中で神の霊が優勢になった人のことです。霊的な人はすべてのことをわきまえるdiscern、あるいは見極めるappraiseことが出来るとパウロは言っています。いくつかの聖書はこの言葉を「裁く judge」 と訳していますが、それは非常に残念なことです。というのは、ある人たちは、ここに「裁くjudge」という言葉があるので、批判的になってもいいと受け取ってしまっているのです。そしてそういう批判的な態度こそが霊的であると思ってしまっているのです。

神は私たちが人を裁き批判的になることを喜ばれません。そうではなく、私たちが物事を識別し見分けることを望んでおられます。実際のところ、霊的な人とは、批判的な態度を捨てて、その代わりに人を赦し人の罪を贖っていく態度を持つ人のことであり、それこそがキリストの思いなのです。イエス様はいのちをどのように考えておられるでしょうか? この世界の不完全さをどのように見ておられるのでしょうか?

キリストの態度―無私の愛

パウロはピリピ2:5-8で次のように言っています。

「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」

キリストの取られた態度は単純明快でした。主は人類が堕落し神に反抗している状態を見て、それを救うために必要なことをすべてされたのです。この世は裁きを受けて当然だったのですが、「わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。」と言われました。(ヨハネ12:47)そして、この贖いのわざを広めるために「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と言われたのです。(ヨハネ20:21)

神の御子はこの世の必要を見られたので、ご自分を無にしてそれを満たされました。神としての存在、特権、力、地位をすべて捨てて人のかたちをとられました。そして更にご自分を卑しくし死にまで従い、私たちの永遠の救いを確保されました。これこそが私たちが持つべき「キリスト・イエスの思い」なのです。
無私の愛という性質から生まれ出るのがキリストの思いです。私たちは人のためにいのちを捨てるために召されているのだ、ということを受け入れた瞬間に、キリストの思いを持つこととはどういう事かを理解し始めるのです。

霊的な人はすべてのことをわきまえ、判断します。彼は必要とそれに対する答えがわかります。そして救いを達成するために必要なものとその答えとの間の橋渡しとなることをためらいません。霊的な人は識別力があります。彼は人間の心の動きを知り、人は悪魔のたくらみに引っかかりやすいことや、傷つけられたときはなかなか立ち上がれないことも知っています。霊的な人は自分に対して神が恵みを下さったことを知っているので、他の人にも解放が来るように自ら犠牲を喜んで払うことができます。

愛する皆さん、あなたの持っている動機が愛であり、希望によって導かれているならば、また、キリストに似たものとなりたいと望み、へりくだることを愛し、人に対して腹を立てずにいるならば、あなたはきっと神の思いを見つけ出すことでしょう。あなたはキリストの心を勝ち取り、所有しているのです。

祈りましょう。
「主イエスよ、私はあなたと同じような考え方をしたいと、どれほど願っていることでしょうか。主よ、あなたの心を持ち、あなたの思いで動かされたいと願っています。主よ、どうかもっと聖霊様のご性格を受けることをかなえてください。神が私の周りでおきていることをどのようなお心で見ておられるかを私は知りたいからです。
あなたの栄光のために祈ります。アーメン」(終わり)


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by walkwithgod | 2007-02-18 03:18

主の剣の音が鳴り響く年  チャック・ピアース  9月23日

主の剣の音が鳴り響く年

チャック・ピアス


ヘブル暦の5766年が終わろうとしています。そしてラッパの響きとともに5767年、「主の剣の音が鳴り響く年」を迎えようとしています。主はこれからの時代のためにあなたを鋭利にし、あなたの能力を伸ばすための準備を、今、整えられました。今年に対する大いなる指針はイザヤ41:15-20です。
「見よ。わたしはあなたを鋭い、新しいもろ刃の打穀機とする。あなたは、山々を踏みつけて粉々に砕く。丘をもみがらのようにする。あなたがそれをあおぐと、風が運び去り、暴風がそれをまき散らす。あなたは主によって喜び、イスラエルの聖なる者によって誇る。 悩んでいる者や貧しい者が水を求めても水はなく、その舌は渇きで干からびるが、わたし、主は、彼らに答え、イスラエルの神は、彼らを見捨てない。 わたしは、裸の丘に川を開き、平地に泉をわかせる。荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする。 わたしは荒野の中に杉や、アカシヤ、ミルトス、オリーブの木を植え、荒地にもみの木、すずかけ、桧も共に植える。 主の手がこのことをし、イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、彼らが見て知り、心に留めて、共に悟るためである。」

変化のとき

これから成功し栄えるために必要な変化を主があなたにもたらし、大いに繁栄されるようにと祈ります。あなたの人生、家庭、仕事やミニストリーのための啓示を主が与えてくださり、あなたの「後の栄光が先のものよりまさったもの」となりますように。歴史上の今というときにおいては、地上で効果的な働きを続けるためには、「変化」は私たちの人生にどうしても必要なことであり、それを避けて通ることはできません。

変化とは、角を曲がる(向きを変える)ことであり、又、何かを、あるいは誰かをある位置につけることであり、又はある資源を使って別の資源を作ることであり、ある形態から別の形態へと移ることです。又、変化はトランスフォーメーション(変革)の同義語でもあります。教会の敵であるサタンは変革の重要さを知っているので、私たちが変革するタイミングを狂わせたり、今のときのための真理のぶどう酒を入れるためにはあまりにも堅く優柔性のない、規則に縛られている皮袋の中で私たちが習慣的に動くだけにしてしまおうとします。
ぶどう酒は皮袋が形作られる間に絞られねばなりません! 知恵が発達する間に啓示が与えられねばなりません!使徒には預言者が必要です! 預言者はとりなしをせねばならず、とりなし手と連携を取らねばなりません! とりなし手は地上の破れ口を知らねばなりません! 今日この天地で唯一確かなことは「わたしはヤーウェであり、変わることはない。」ということです。ですから、私たちが変わらねばならないのです! 多くの人たちが今自分はふるいにかけられていると感じていることを私は知っています。しかしながら、それはあなたが注ぎのささげ物a drink offeringへと形作られているのだということを忘れないでください。

主の御ことばの解き明かし

最近私たちのグローリー・オブ・ザイオンの礼拝の中で、私のアシスタントであるブライアン・クーイマンが異言で主からのメッセージを語り、その主の御ことばの解き明かしが私に与えられました。「今まであなたたちはシンブル(洋式指ぬき、はめ環:非常に小さなキャップのような入れ物、たらい)の中で泳いでいたが、わたしはあなたがとびこめる大海を用意している。あなたは『主よ、もっと与えてください。』と願ってきたが、あなたの未来のために今まで繋がれていたものを解き放つ必要があるものに対してあなたは語っていない。あなたの子ロバに語りなさい!わたしが子ロバを必要としたとき、『主がお入用なのです、と言いなさい。』と弟子にいった。あなたの人生のために結び目を解き放つ必要のあるものにむかって語りなさい。必要なものをあなたが受けるようにわたしがする。 大海にむかって泳ぎなさい。 頭よりも深いところに出てきなさい。 大海があなたを待っているのにちっぽけな指ぬきの中で泳いでいてはならない。 あなたの泳ぐ場所は拡大されたのだ。 あなたのためにわたしが用意した新しい(大きな)場所で泳ぐためのレッスンを与えよう。」

リンダ・ハイドラーが解き明かしを続けました。「今は拡大のときだ!あなたはこの地で巨人を見たかもしれない。だが巨人と対決せずにはわたしが約束したものをあなたは得ることはできない。今はあなたの信仰を奮い立たせるときだ。よく聞け。あなたの見た巨人たちを打ち倒す戦略をわたしは持っている。彼らがどこに隠れているかわたしは知っている。どの塹壕に隠れているか知っている。あなたに対する彼らのあざけりも知っている。
今のこのシーズンのために世の初めからわたしが持っていた計画を知っている。それはあなたの受けるべき分を引きとめている巨人を打ち倒すものだ。 勝利の鍵は、よく聞いて従うことだ。 わたしは勝利するためにあなたの力を当てにしているのではない。耳を傾け従え! よく聞いて従えば、あなたの進む道をふさいでいるものを打ち倒す戦略をあなたに与えよう。 そうすれば、あなたのためにわたしが約束してきた取り分(遺産)を完全にあなたは手に入れることができるのだ。」

その後をキース・ピアースが続けました。「あなたの種をとり今日蒔け。あなたが種を蒔くとき、わたしはあなたをわたしの宝が注がれる場所に配置しなおす。今はマントル(外套)を交換するときだ。今はあなたがシフト(変換)するための資金を解き放つときだ! あなたの種を蒔いて神の臨在が解き放たれるのを見よ! あなたの種を蒔いて神の臨在が現れるのを見よ!あなたの種を蒔いてあなたが確立されるのを見よ!あなたの種を蒔け!種に実を実らせよと告げよ! 今はあなたの種を祝福する時なのだ! 
古い外套を脱ぎされ! そこから解放されて今わたしが告げている動き(ムーブメント)の中に入って来なさい! あなたの種を蒔け!なぜならば敵の偽りが、今わたしが地上に解き放とうとしているものをあなたから奪い去ろうとしているからだ。あなたのひざは震えあなたはどうやって立つかを知らなかった。あなたが立った場所でもあなたは震えていた。しかし今わたしは新しい方法と新しい音をもってあなたに語り始めている。 わたしはあなたの上に油注ぎの新しい息を吹きかけている。わたしは未来のための勝利の計画をあなたに差し伸べている。勝利の外套を身につけ、今一瞬でもわたしに属するものとして歩いてみなさい。わたしの喜びを今一瞬でも感じてみなさい。そうすれば、あなたはわたしの後を従って歩き続け、あなたの人生に置いたわたしの目的をあなたは完成することができるであろう。(終わり)


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by walkwithgod | 2006-09-23 05:22

霊的成熟について     坂 達也      9月22日

霊的成熟について

 霊的成熟とは英語でspiritual maturity と言いますが、この成熟という言葉からは成熟したワインを思い起こさせます。ワインといえばその成熟の度合いによって限りなく絶妙な味がするものと言われます。そして、それを味わうためには人間は喜んで高い値段を払うようです。
私の高校の同期の親友から聞いた話ですが、彼がアラブ圏にある有名なゴルフリゾートを訪れたとき、夕食にワインを勧められました。その泊まったホテルの高級レストランでのことでしたが、ワインについて色々説明を受けた後で、うっかり注文したのが桁を間違えて1ボトル百万円以上するものであったことに気が付き、すぐキャンセルしたそうですが、何も注文しない訳にいかず、結局20数万円するものを一本注文して賞味したそうです。味はと聞くと、「なるほど美味しかった」という満足げな答えでした。世の中には数百万円もするワインが存在し、産油国アラビアの富豪たちの中にはそれを毎日のように賞味する人たちもいるようです。

 私たちはキリストを信じ受け入れた後洗礼を受けてクリスチャンになります。それによって「救われた」ことに間違いはありませんが、クリスチャンの中には自分が霊的に生まれ変わったことを真に理解せず、いつまでも肉的なクリスチャンのままでいて何の不満も感じていない人が意外に多くいることに気が付きます。この人たちを称してベービー・クリスチャンと言いますが、この霊的なベービーは、自分が天国行きの切符を手に入れたことで安心し、事足れりと思っているとすれば、それは大変お気の毒な話であるとしか言いようがありません。
 なぜなら、ベービーとは最初は母親の乳か牛乳しか飲めず、食物としてそれしか知らないからです。しかし、成長するにつれ段々世の中にはもっともっと美味しいものがあることが分かってきます。それと同じで霊的に生まれ変わった私たちが霊的な成熟をするにつれて、霊の世界においても、それこそ底なしの深淵に例えられほど無限に美味しい味わいとそれを喜ぶ至高の世界があることを知らないのです。

 クリスチャンが霊的に成熟することとは、私たちがキリストによって満ち満ちた状態となり、完全なる大人になることであると思います。(エペソ4:13)それをコロサイ2:9-10では、「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。…」私たちの愛するこのキリストとは、最高にかぐわしい薫りを放ち、最高の甘美な味を与えてくれる値段のつけられないようなワインよりももっとすばらしいのです。
 雅歌1:2-4に歌われています。「 あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。あなたの愛はぶどう酒よりも快く、 あなたの香油のかおりはかぐわしく、あなたの名は注がれる香油のよう。それで、おとめらはあなたを愛しています。私を引き寄せてください。私たちはあなたのあとから急いでまいります。王は私を奥の間に連れて行かれました。私たちはあなたによって楽しみ喜び、あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、真心からあなたを愛しています。」私たちは主の花嫁、主が引き寄せてくださることを熱望し、主の後を追います。主が言われます。「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」(ヨハネ15:4)これは主との深い交わりの関係に入ることを意味します。

 真の救いとはこの状態に入ることではないでしょうか。そのためにパウロは私たちに「…いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。」(ピリピ2:12口語訳)と言われます。
 創造主は人間が血のにじむような努力を重ねた結果、やっとプロの芸術家とかスポーツ選手になれるように造られました。この世でクリスチャンでない人たちが努力に努力を重ねた結果で名を成し、名人芸に達するように造られているとすれば、クリスチャンだけが努力もしないでイージー・ゴーイングに霊的成熟に到達できると考えているとすればそれは大変な間違いです。

 それでは私たちは何を努力すればよいのでしょうか。それは上記の雅歌が教えてくれています。私にとって恐れおののいて努力することとは、主に飢え渇き、徹底的に主を追い求めることです。そして、その方法は「何もしない」と言うことなのですから至極簡単です。誰でも出来ます。ただ主のために時間の無駄をすることです。主の前に無心になって座り、じっと主が現れ、主が語って下さるまで何時間でも待つことです。毎朝少なくとも一時間から二時間それをすることがそんなに難しいことなのでしょうか。石の上にも三年と言いますが、これを三年と言わず、半年も続ければ、あなたに霊的成熟の成果が現れ始め、あなたは一度その「主との親密な交わり」と言う甘美な味を味わったら、止められなくなります。もっともっと欲しくなるからです。終末の今はそのシーズンであると信じます。(終わり)


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by walkwithgod | 2006-09-22 04:25