カテゴリ:坂達也からの今月のメッセージ( 69 )

新しい年に期待する 坂  達 也 2010年1月10日

新しい年に期待する
                            坂  達 也



2010年はどんな年になるのでしょうか。新年を迎えて早々にアメリカでの良いニュースをお伝えします。
昨日のモーニング・スターのインターネットの番組でリック・ジョイナー師がトッド・ベントレー師と共に映像に現れ、この5日MSU(モーニングスター大学)の授業が開始された日の若者中心の集会で予期しなかったアウト・ブレークが起こり、これが12時間続いた後、翌日の夜も同じような癒しと奇跡を伴うアウト・ポアリングが起こったそうです。従って、急遽これから少なくとも2週間は火曜日から土曜日まで毎夜集会を持つと発表しました。

既に謹慎の身から解かれて、モーニングスターでの集会にミニスターとして参加し始めていたトッド・ベントレー師のところへ、年明けにボッブ・ジョーンズ師が訪れました。その目的はジョーンズ師が主からの特別の「訪れ」を受け、トッド師の上にあるのろいを打ち破るように指示を受けたからでした。そこで師は3日のモーニングスターでの日曜礼拝において、トッド師に按手して祈りました。その時彼の上にあったのろいが解かれ、フロリダのアウトポアリング時に受けていた癒しと奇跡の霊に立ち返ったような「天が開いた状態になった」とトッド師は語っています。
尚、ジョイナー師は、今回のアウト・ブレークはベントレー師だけによるものではなく、モーニングスターのリーダーチームと学生たちの中からも主に立てられた人たちが出て来ていることを強調しています。これをリバイバルと名づけるのは早すぎるが、何か大変なことが起きる始まりであることをひしひしと感じていると言い、二人とも大変興奮しておりました。

それ以前に、既にご存知の方も多くおられると思いますが、昨年から同じような学生(IHOP大学)中心のアウトブレークがマイク・ビクル師のIHOPでも既に起こっております。ここでは既に毎週水曜日から日曜日の夜まで午後6時から12時までの集会が持たれており、顕著な癒し、救い、開放が起こっております。最近IHOPを訪ねたヘンリー・グルバー師によれば、「すばらしいことが起こっている、会場には多くの日本人・東洋人(多分韓国人)が来ていた」と言っておりました。詳しくはIHOPのインターネットHPをご覧ください。

さて日本では、2010年はどのような年になるのでしょうか。既に日本でもあちらこちらでリバイバルの兆しが起こり始めていることを昨年来聞いて参りましたので、私たちも大いに期待しております。
新年はブレイクスルーの年であると多くの方が言っておりますが、たまたま私個人がジェシカ・ジョーンズ師から受けた預言においても、今年日本に大きなブレイクスルーが起こり、日本を被う頑固なサムライ・スピリットが打ち破られ、そのサムライ軍団の刀は地に落とされること、そのためのブレイクスルーという言葉が何度も何度も強調されておりました。期待します。


一方2010年への政治情勢への不安もこのところ一気につのって来ております。昨年末クリスマスの日にデトロイトで未遂に終わったアルカイダの飛行機爆破事件と、12月30日にアフガニスタンの米軍基地で起きたCIA工作人による自爆テロ事件が世界中を再び2001年の9/11当事のテロへの恐怖に引き戻し、特にアメリカでは緊張した年明けとなりました。
テロとの戦いはこれから益々激しくなると予想されますが、昨年12月初めにキム・クレメント師が今年の中頃に米国大統領暗殺事件が起こると預言しています。(この預言はジャンポール・ジャクソン師も預言しておりました。)これにより大統領自身と共に、アメリカの情勢は一変すると預言されていますが,良い方向に変革されることを切に望んで止みません。ぜひ大統領とその救いのためにお祈りください。(終わり)


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by walkwithgod | 2010-01-10 12:11 | 坂達也からの今月のメッセージ

「Torah律法に帰れ」   坂  達 也  2009年12月28日

「Torah律法に帰れ」
                           坂  達 也


 私たちは現在ホノルルで、メシアニック・ジューのミニストリーに参加しておりますが、今世界的な出来事として云われていることは、ユダヤ人の間で「Torah律法に帰れ」という呼びかけの声が高まっていて、それが現実に起こり始めているそうです。しかしここで重要なことは、救世主イエスを信じる異邦人クリスチャンもそれに無関係ではないことです。このことはモーセが終わりの時代に起こることとして次のように預言しております。

「あなたは立ち帰って主の御声に聞き従い、わたしが今日命じる戒めをすべて行うようになる。 あなたの神、主は、あなたの手の業すべてに豊かな恵みを与え、あなたの身から生まれる子、家畜の産むもの、土地の実りを増し加えてくださる。主はあなたの先祖たちの繁栄を喜びとされたように、再びあなたの繁栄を喜びとされる。あなたが、あなたの神、主の御声に従って、この律法の書に記されている戒めと掟を守り、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主に立ち帰るからである。」【申命記30:8-10、新共同訳】

 上記にある「この律法の書に記されている戒めと掟」の律法の原語がTorahです。皆さんは律法と聞くと今更なんで律法が持ち出されねばならないのか?と訝しく思われるかもしれません。事実ロマ書10:4に「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」【新改訳】又ガラテヤ3:13には「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。・・・」とあり、加えて2コリント3:6には「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。」【新共同訳】と書いてあり、この文字とは書かれた律法を意味しますから、新約のクリスチャンはキリストさえ信じていれば律法は守らなくてよいと誤解される方がおられてもやむを得ないかもしれません。

イエスとTorah

 しかし、これが誤解であることは、イエスご自身が、マタイ5:17-18で「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」と言われていることから明白です。
 イエスという方は律法を生涯を通じて完全に守りきりました。そうすることによって律法の本来の趣旨・目的を完全に成就し実現した唯一の人間であることにご注目ください。律法を守りきったことによってイエスの人格が完成され、守りきったがゆえに彼が唯一「罪のない人間」となり、私たち全ての罪人の身代わりとして十字架上で人間の罪の贖罪ができたのです。

 罪とは何でしょうか。罪とは「…律法に逆らうことなのです。」と1ヨハネ3:4に書かれています。罪のギリシャ語はNOMOSですが、ヘブル語ではkhaw•tawが主な語源です。それは元々「ミスする、逸する」という意味であるそうです。「罪とは的を外すこと」と言う定義をお聞きになったことはありませんか。標的に向って矢を放って、的に外れることが元々の由来であると云はれます。この的、標的が神の律法Torahであるのです。つまり、人間の言動において一つも的を外れないことが「罪のない」人です。Torahは、狭い意味で神の律法の書、一般的にモーセ五書を指しますが、広い意味では神のことばである聖書全体の教え、契約、いましめを含みます。

 神が元々造られた人間は、罪を犯す前のアダムでした。しかしアダムが罪を犯して以来、神はその罪だらけの人間を元々意図した罪のない人間に返すことを願われ、ご自身の一人子をこの世に人間として生まれさせました。これが第二のアダムと云われるキリスト・イエスです。イエスはこの世においては全くの人間でした。その人間になった神の子が一つも罪を犯さない人間として一生を通すことが出来るかどうかが神の全創造にとっての最大の課題でありました。何故なら、イエスが一つでも罪を犯す(律法に反する)ならば、十字架で死んで人間を救うことが出来なくなるからです。イエスはイスラエル人として唯一人このテストに合格しました。イエスは神の律法のすべてを守ることによって罪の全くない人間・第二のアダムになられたのであって、これは大変重要なことです。

 私たちクリスチャンは、イエス・キリストを信じ、その後を追い、この方をモデルとしてキリストに似た者になることが最大の目標です。と言うことは、私たちも厳密な意味ではTorah律法を守らなければならないことになります。さもなければ罪を犯すことになるからです。又、律法を守ろうとしたのはユダヤ人のイエスだけではありませんでした。イエスを信じる弟子たちは皆、ペテロもパウロもユダヤ人として律法を守り、彼らにとって律法を捨てることは思いもよらないことでした。ですから、将来においてもモーセはユダヤ人が律法に返る日が来ると上記のように預言しました。

 一方、異邦人の私たちは聖書ではユダヤ人とは違う取り扱いを受けることは確かです。そのことの一例が使徒行伝15:28章に書かれています。「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな(律法を守る)重荷も負わせないことを決めました。すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」その他、異邦人は肉の割礼を受けなくてよいとも言われています。
 しかし、それはあくまで異邦人が「救われるための条件」としては「全ての律法を守らなくてよい」と言う意味であって、異邦人であっても救われた後の「聖化」のためには、と言うより、「聖化のためにこそ」律法に親しみ、神のみことばを注意深く何度も紐解いて確認する必要があると思います。

 勿論クリスチャンになった以上、基本的には「 あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。 キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。」(コロサイ2:6)、そして「 霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16)が原則ですから、律法に縛られることはありません。そして、聖霊に導かれた生活をしている限り、実際には適用されるべき律法のほとんどを守っていることになるはずです。しかし私たちはイエスのように「罪のない」人間に
なることが目標であることを忘れてはならないのです。これで「Torahに返る」ことの大切さがご理解いただけると思います。

聖なる者となれ

 このところモラルの退廃、罪意識の欠落が嘆かれています。特にクリスチャン国アメリカではそれが目に余るほど顕著になって来ました。昔のアメリカでは、学校とか公共施設にモーセの十戒が掲げられていても全く問題ありませんでした。それは丁度社会全体が吸っている空気のようなものでした。その中に「罪意識と規律」がただよい浸透していて、社会がその空気を当然のように吸って育ち、その中で暮らすことに何の違和感もなかったのです。それが今では十戒どころか集まって祈ることすら違法と云われる国になり、モラルの基準が全く不在の世の中になってしまったのです。

 最近リック・ジョイナー師がしきりに嘆いています。それは、アメリカ人の65%が、尋ねられれば「私はボーンアゲイン・クリスチャンです」と答えるにも拘らず、実際にクリスチャンの世界観で生きている人は僅か3%に過ぎないと言うのです。これはまさに国民の中にモラルの原点、即ち罪の原点がはっきり把握されていない証拠です。日本でも同じことが言えないでしょうか。 
 ガラテヤ 5:19―21に「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。・・・」とありますが、今の時代はここに書かれた一つひとつにうなずかざるを得ないような、大変な不品行が横行している時代です。

 私はここで「昔はよかった」式の老人のぐちをこぼすつもりは毛頭ありません。今は主が私たちを用いるための訓練の総仕上げの時代に入らんとしており、訓練にいよいよ激しさが増し加わるでしょう。世界は年毎に厳しい情勢を迎えています。その中で2010年は、準備の出来た人たちの先陣部隊がいよいよ主の用意されたポジションに着く年になるか、あるいは一層その時期に近づく年でありましょう。主はそのような人たちに必要な多くのブレイク・スルーを起こされると期待します。
 
 さてそこで、今こそ、主が言われる「わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した【主】であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」(レビ記11:45、新共同訳)に真剣に耳を貸す時であると申し上げたいのです。
 そのことをパウロは1テサロニケ4:3―8で「 神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、・・・ 神が私たちを召されたのは、汚れを行わせるためではなく、聖潔を得させるためです。ですから、このことを拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたに聖霊をお与えになる神を拒むのです。」と厳しく諭しています。

 新しい年は、主の御心に生きる人、「主の御声に聞き従う人」だけが主に用いられることがより鮮明にされ、いつまでも肉で生きているクリスチャンは脱落して行くことがますます顕著になる年であると私は信じています。それはクリスチャンがふるいにかけられ、全てに明暗がはっきりする時代に既に入っているからです。

 人間として真に「聖なる者」になるために、聖霊に満たされて聖霊に徹底的に従われたイエスですら神から与えられた律法を常に心にかけて口にされ、一つとして罪を犯さないことに細心の注意を払われました。私たちクリスチャンにとってはこの点こそイエスに見習うべきではないでしょうか。この際本当にへりくだって、常に罪を犯さないことへの霊的な決意を持つことが必要です。(イエスがなさったことは、ヨハネ5:19-30に書かれていますので改めてお読み下さることをお勧めします。)

 繰り返しますが、罪とは主の御心という標的に外れることです。その標的である「律法」は元々神が口(御声)で語られた御言葉であることを思い出してください。つまり聖書全体が主の御声と云っても間違いではありません。私たちはその御言葉の全てを霊に導かれて忠実に聞き従わないとすれば、それが罪であることをこの際再認識していただきたいのです。

 但し、ここが最も「肝心かなめ」なことなのですが、律法は守らねばならないから守るとか、聖書は読むべきだと言われるから読むのであってはならないことです。それでは単に肉で守り、肉で読むことになりかねません。それでは実行できないのです。

ダビデとダニエル

 私はここで旧約聖書の中で本当の信仰を持って律法を愛した人たちをご紹介したいと思います。先ずその一例を詩篇119章に見ることができます。この最も長い詩篇を書いた人は不明となっていますが、ダビデやダニエル等が候補者に上がっております。私が最初に気づいたことはこれを書いた人は、既に救いの恵みに与かった人、心から主を慕っている人であると言うことです。
 
詩篇119は「 幸いなことよ。全き道を行く人々、【主】のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。」で始まり、最後は「私のくちびるに賛美がわきあふれるようにしてください。あなたが私にみおきてを教えてくださるから。 私の舌はあなたのみことばを歌うようにしてください。あなたの仰せはことごとく正しいから。あなたの御手が私の助けとなりますように。私はあなたの戒めを選びました。私はあなたの救いを慕っています。【主】よ。あなたのみおしえは私の喜びです。
私のたましいが生き、あなたをほめたたえますように。そしてあなたのさばきが私の助けとなりますように。 私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません。」(
171-176節)で終わっています。

 この間129-136節では「 あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれを守ります。 みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。 私は口を大きくあけて、あえぎました。あなたの仰せを愛したからです。
御名を愛する者たちのためにあなたが決めておられるように、私に御顔を向け、私をあわれんでください。 あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし、どんな罪にも私を支配させないでください。私を人のしいたげから贖い出し、私があなたの戒めを守れるようにしてください。御顔をあなたのしもべの上に照り輝かし、あなたのおきてを教えてください。私の目から涙が川のように流れます。彼らがあなたのみおしえを守らないからです。」
と心から主に懇願しております。

 又、159-160節で「ご覧ください。どんなに私があなたの戒めを愛しているかを。【主】よ。あなたの恵みによって、私を生かしてください。みことばのすべてはまことです。あなたの義のさばきはことごとく、とこしえに至ります。」 164-167節では、「あなたの義のさばきのために、私は日に七度、あなたをほめたたえます。あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。私はあなたの救いを待ち望んでいます。【主】よ。私はあなたの仰せを行っています。私のたましいはあなたのさとしを守っています。しかも、限りなくそれを愛しています。」と主に切実にうったえています。

 少々引用が長くなりましたが、私はこの詩の作者がダビデであってもダニエルであってもよいと思います。もしダビデとすれば、イエスを預言していることになるでしょうし、ダニエルであるとすれば、彼が熱烈な愛で主に従おうとした「聖なる者」であり、真のキリストの弟子の姿を思い起こさせます。
 ダニエルと言えば、彼の三人の友、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが火の燃える炉の中に投げ込まれても何も焦げず、火のにおいすら着かなかっただけでなく、ネブカネザル王が「火の中を歩いている四人の者が見える。第四の者の姿は神々の子のようだ。」と叫びました。(ダニエル書3章)これこそ終末に主が用いられる聖なる清い人の標本ではないでしょうか。 

 私たちは「とてもそれは無理!」と諦めてはいけません。主は私たちもこうなれると期待しておられるからです。勿論自分で努力してはとても無理です。しかし、主とみことばを熱烈に愛し、完全にへりくだって主と主の聖霊にお委ねすれば、主が私たちをも「律法の完成者」として下さると信じます。皆様、2010年に期待しましょう。(終わり)

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by walkwithgod | 2009-12-28 06:58 | 坂達也からの今月のメッセージ

時は迫っている  坂  達 也   2009年11月7日

時は迫っている

                          坂  達 也


 「聖書が何を要求しているかを一言で要約せよ」と言われれば、私は躊躇することなく「創造者の父なる神の御声に聞き従え」であると申し上げます。「聞き従うなら祝福を、従わなければのろいを」(申命記11:27,28)が聖書の単純明快な中心テーマの一つであり、それをこの世で最も忠実に(死に至るまで)実行して私たちのために模範を示されたのがイエス・キリストでした。一方従わねばこうなると言う見せしめを、私たちはイスラエルの長い歴史を通して知ることが出来ます。

 そのことに気がついている人は本当に幸いです。今の時代、世の終わりが刻々と近づいて来ていますが、それは人間が自分の思いで自分のために生きた時代、云ってみれば「個人の野心の時代」が終焉すると言う意味です。このことは、当然ながら、自分のために生きるのが通常の未信者の世界に当てはめられますが、私はそれ以上にクリスチャンに向かってそれを申し上げたいのです。

真のクリスチャンとは

 クリスチャンが今最も厳しく反省しなければならないことは、「自分のしたいことをして、何となく自然体で生きている」姿勢です。クリスチャンと云えども放っておけば自然に流されて「個人プレーのかたまり」のまま人間的に生きてしまいます。そのような生き方の正反対が「主の御声に聞き従った毎日を生きる」生き方です。

 そのためには多くの場合人間が自然に生きる生き方に逆らって生きねばならず、それには大変な信仰による決意と努力が必要です。まさにヨシュア記1:8にある「この律法の書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。」の「律法の書」を「御心を知りたいと云う願いと祈り」に置き換えて実行することにあると思います。それは主のご計画にのみ従って生きることをとことん「思い詰める」ことです。

 そのような願いと思いで日夜を過ごせば、常に主に飢え乾き、主を求める生き方になるはずです。いや、逆に真に飢え乾く人でなければそのような願いと思いは持てないのかもしれません。いずれにせよ、それ以外の生き方をしている人は主イエスの後を追っている真のクリスチャンとは云えません。この生き方のためにこそ私たちはイエスの後を追って自分の(自分に死ぬ)十字架をかついて生きねばならないのです。そしてこれを実行し本当に主の御声を聞く人だけが主に助けていただいて「死ねる」のであると思います。とどのつまりは、人間関係において「自分に死んで主に生きてもらう」ことをどこまで実行するか、実行できるかの問題ではないでしょうか。 

 イスラエルの民は、自分たちが直接神の御声を聞いて死ぬといけないから、モーセが聞いて民に話してくれるように頼みましたが(出エジプト20:19)、これはある意味ではていのいい「逃げ」であり、現代のクリスチャンの多くも教会生活を通してそうしているのではないでしょうか。私たちクリスチャンは誰でも主の御声を直接親しく聞く特権があるだけではなく、それを実行する義務があり、重ねて申し上げますが、そうしなければ基本的にクリスチャンとは云えないのです。

 今「先を急いでおられる」主はそのような人だけを求めておられます。なぜならそうでない人は使いものにならないからです。主に用いられるかどうかは主の御声に忠実に聞き従うかどうかの一点にしぼられます。

 しかし「何かをする」ことがクリスチャンの究極の目的ではないと反論される方もおられるでしょう。その通りです。私たちは「イエスのようになる」あるいは「イエスを頭とした一つのからだの一部になる」、「イエスの花嫁になる」ことが最終目的です。つまり「すること」ではなく、「なること」です。
 しかし、その最終のゴールに達するためにこそ、主は私たちを召して修行させます。それが主の御用をすることであるわけです。その一番卑近な例が教会形成(あるいは特別な目的を持ったミニストリー)とその運営にあります。主は私たちそれぞれに役割や仕事を与え、それを私たちが逐次御心に従って忠実に実行する時に成果を挙げさせ、成し遂げさせます。実は「・・・になる」ためには「・・・をする」と言うドリルを通して訓練されるのです。

世の中が激しく変わる - ジャクソン師の預言

 オバマ大統領は、アメリカを変えるCHANGEを提唱し圧倒的人気で大統領になりました。そして、ノーベル賞選考委員会までが、彼がアメリカだけでなく世界を変えることを期待して、未だ全く実績のないオバマ大統領を本年度の平和賞受賞者に選んでしまいました。それほど世の中がCHANGEを期待し、むしろ焦っていることがこれでよく分かります。そのオバマ氏は今やっきとなって「世直し」をしようとしていますが、あの手この手と打つ手がほとんど総てうまくいっていないようです。
 それはなぜなのか?一言で言えば、彼はすべてを人間的に変えようとしているのであって「神の御声に聞き従う」ことを全くせず、それとは正反対のことをしているからであると云えます。

 先程神は「急いでおられる」と言いましたが、オバマ大統領もその中に含まれます。「アメリカ国民が神に頼る代りに、そんなに人智によるCHANGE を望むなら・・・」と、神は今国民が選んだオバマ氏にやらせて見て、人間の知恵がどんなに浅はかなものであるかを「急いで」世界に見せようとしておられるように思います。オバマ大統領の人気は急に落ち始めました。そして世の中はよくなるどころか、どんどん悪くなっております。

 先回私はチャック・ピアース師の預言をご紹介しましたが、師は8月22日に当HPに掲載したメッセージの中で「経済的シフトが8月の終わりまでに起こるのに気をつけていてください。8月24日から10月17日の間に、金融システムに大いなる変化があるでしょう。銀行のシステムの変化はまだ全部完了していないことに注意してください。これから構造的なシフトが加速度を増して起こります。政府機関は人々の見ている前で再編成されて行きます。」と言いました。この預言はその通りとなり、2009年10月末現在のアメリカの中小銀行の破産が106行に達し、その上破綻の可能性がある不良銀行が現在400以上もあるとのことです。昨年の主に大手銀行の破綻28行に続いて、金融界の膿みはまだまだ出ることがこれで暴露されました。それにも増して、国の財政赤字が急増していることや、失業率が遂に10月末で10%を超えたと発表されたことなど、不況の深刻さに米国民の不安と不満は募る一方です。

 さて、ここで「2012年が大変重要な年となるとくりかえし神から示された」と云われるジャン・ポール・ジャクソン師の預言をご紹介します。彼はこの数年来、神から夢・ビジョン・祈りの中での啓示を通して2008年からの10年間に起こることへの預言をDVDに収めて表しましたが、その中で彼は、これから世界は宗教、政治、経済、戦争、地球物理学的天然現象と言う五つの面で大いに変化が起こると言っております。要約しますと、

1.自然現象面: 上空のジェットストリームに変化が起き、気象天候が変わる。場所によっては水が貴重になりガソリンより高くなる。(アモス4:7)風速80メートルの巨大なハリケーンが起き、その範囲は直径800キロに及ぶ。処によって24時間に600ミリの雨量。ソフトボール大の雹、巨大な竜巻、又前代未聞な地震と火山活動が起こる。太陽の周りにバブルが現れ危険な太陽光線を浴びて人々は今までにない皮膚病で苦しむ。疫病が世界的に蔓延する。地球の磁場の異変によりサテライト、ケーブル・テレビの通信不能、飛行機の運航に支障が出る等大きな問題を起こす。

2.政治・戦争:米国の海岸都市に核爆弾が落ちるのを見た。アフガン、パキスタンを含め世界的にテロ活動がより激しくなり、イランとイスラエルの確執はロケット弾の打ち合いとなり、中東での反イスラエル活動が激増する。旧ソビエト・ロシアが再び台頭し、中東問題、世界政治を扇動し世界戦争への不安を画策する。それは自国の石油の値上がりを意図して経済回復を謀ろうとするため。オバマ大統領暗殺がアラブ人によって謀られる。アメリカは他国を助ける余裕はなくなり世界中から軍隊を撤退、救援救助が出来なくなる。2024年にはイスラムからアメリカの大統領が選ばれるか、その可能性がある。

3.経済:は悪くなるが、一時的に小康状態の期間がある。その時クリスチャンは出来るだけ借金等身辺整理をすべき。そして再びより深刻な経済破綻が来る。アメリカの大型ショッピング・モールの半分以上の店が閉じられ閑散とするのが見えた。深刻な食糧不足。失業者の増大が今までにないような市民暴動を起こす。都市部では生活できず多くが田舎に移動。自給自足を図るため、ある処では道路のアサファルトが掘り起こされて農地になるのを幻で見た。アメリカのドル価値は下がりカナダ・メキシコ貨幣と同等のユーロに似た新貨幣体制が出来る。政治・経済面での腐敗が増大、より大きな混乱。

4.宗教:真の信仰が問われる時が来た。既成の多くのクリスチャン教会が破産し、主を個人的に求める家の教会が増える。アメリカにおいてもイスラム教徒が増大、アメリカの学校はクリスチャンの祈りは禁止され、イスラム教の祈りが取って代わる。

 これは明らかに世の中が大きく変わり、いよいよ黙示録に書かれている終末の艱難時代に急速に移行してゆくことが示されております。主から2012年が特に示された理由はよく分からないとジャクソン師は言いますが、最近ボブ・ジョーンズ師も「2012年まで生き残りなさい。」と云い(リック・ジョイナー師の記事にありました。)、昨年ジョーンズ師は「2012年までには新しい(現代の)使徒たちが現れ、確立される」という意味のことを語っておりましたので、この年が特別の、大きな転機の年となることが預言的に示されているようです。

 そこで、艱難時代に突入するに当たってクリスチャンはどうなるのかと言う疑問が起きますが、それに対してジャクソン師を含めた多くの「パーフェクト・ストーム」の預言者たちは、真のクリスチャンは守られるだけでなく、主の特別の任務(ミッション)を受け、それを自覚し、主の命令に従う人たちは大いに主に用いられると言います。私は主の御声に従う人こそ「使徒的な人たち」であると信じます。そのような人たちを2012年には主が明らかにされると云う意味なのでしょうか。

ドアは閉ざされる

 そこで思い起こされるのはノアのお話です。創世記 7:1で 「主はノアに言われた。『さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。…』」(新共同訳)と言われました。そして16節で「入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」(新改訳)と書かれています。これは神が、今本当に神に従う人を「神の住まい」である箱舟(契約の箱に通じる)に迎え入れ、その後ドアが閉められると言われているのではないでしょうか。

 同じことがマタイ25章にも書かれております。十人の娘のうち、賢い油を十分用意していた五人だけが花婿と共に入り、その後戸が閉められました。
 
 このお話の意味するところを皆さんはどのように理解されておられるでしょうか。その「ドアが閉められる時」がもしかすればそれほど遠くない時期に来ているのかもしれません。(終わり)

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by walkwithgod | 2009-11-07 07:35 | 坂達也からの今月のメッセージ

アメリカを憂う(2)   坂 達也   2009年9月22日

アメリカを憂う(2)

                                          坂 達也 


 今年になって、それも特に最近私は、今アメリカに起こりつつあることがあまりにも重要かつショッキングであるために、ニュースを聞くたびに直ぐにも日本の皆さんに伝えなければいけないと言う衝動に駆られて来ました。(そしてその都度ぐっと抑えて来たのですが)なぜなら、それをしていると、あたかも私が政治・経済評論家にでもなってしまって霊的メッセージを二の次にしていると誤解される恐れを持ったからです。実はそれ程、最近のアメリカの政治・経済と言うより、もっと根本的にアメリカの民主主義国家、ひいてはクリスチャン国家としての国の土台そのものが激しく揺さぶられております。 

 チャック・ピアース師は8月22日に当HPに掲載したメッセージで「経済的シフトが8月の終わりまでに起こるのに気をつけていてください。8月24日から10月17日の間に、金融システムに大いなる変化があるでしょう。銀行のシステムの変化はまだ全部完了していないことに注意してください。これから構造的なシフトが加速度を増して起こります。政府機関は人々の見ている前で再編成されて行きます。」と言いました。
 ここでご注目いただきたいのは彼が「政府機関は人々の見ている前で再編成されて行きます。」と云ったことです。この預言は今アメリカにおいて「まのあたりで」その通りのことが起こっています。

アメリカではこの春、昔起こった有名なボストン・ティー・パーティーに倣ってか、各地でティー・パーティーと称する主に国の税金政策への抗議集会が持たれました。その後夏に入り、オバマ大統領は千ページ以上と言う問題だらけの内容を持つヘルス・ケアー法案を突然提案しました。問題は、議員の誰にも法案をゆっくり読む暇すら与えないで8月の夏休み休暇前に上下院を通そうとした大統領の強引なやり方に保守派の国民が中心となって大反発が起きました。それによって休暇前の法案決議は阻止されたのですが、休暇に入った8月には各地でその地方の議員を呼び出し法案の内容を問いただす「タウンホール」集会が持たれ、これが国を挙げての大変な論争騒ぎを引き起こしました。

これに加熱された国民の政府と国会に対する不信の声は、Tea Party Expressと言う民衆の抗議集会に発展し、8月28日西海岸のサクラメント市を出発点に34都市、7千マイルにわたるバス・ツアーによる集会を終えて、9月12日には首都ワシントンに集結しました。これには全国から参加した少なくとも約7万の民衆(実際は何十万人とも言われ、官公庁からの公な数字は出されていない)がワシントン・モールを埋め尽くし平和裏で抗議集会が持たれたのです。(日本ではあまり取り上げられていなかったようですが?)

このアメリカに今起こっている民衆の「むしろ旗蜂起」は単に経済リセッションとか、失業者増加、急増する国の負債への不安、ヘルスケアだけの問題ではなく、あるいは、デモクラットとかリパブリカンと言う政党支持の問題でもなく、むしろ国全体の言論の自由が脅かされ、政府に権力を集中させようとしているオバマ政権の社会主義(マルキシズム・ファッシズムとさえ取沙汰されている)に移行するのではないかという恐れと反発に発展しつつあります。抗議集会に集まる民衆は政治集団というよりも「愛国者」の集まりと言うべき人たちで、アメリカ合衆国憲法を忘れるな!守れ!の声も多く聞かれました。

リック・ジョイナー師が「今、アメリカの将来が問われる国の生死の問題にまで立ち至っていることは疑う余地がない」と言っている通り、47年アメリカに住む私自身もこのような事態は未だかって経験したことがないことに驚愕しております。
私が知っている歴代の大統領は必ずしもクリスチャンとは言えないにしても、オバマ大統領のようにはっきり反クリスチャンの大統領はおりませんでした。そしてその違いがこれほど大きいとは思ってもみませんでした。しかしメディヤの大半は気がついていないようです。この「むしろ旗」現象は過去に起こったマッカーシーイズム、ジョンバーチ・ソサエティー、ケネディー大統領暗殺、ウオーターゲート事件、2001年のテロによるワールド・トレード・センター爆破事件等のパラノイド・ポリティック(偏執病的政治現象)の一つぐらいに扱っておりますが、いずれそんな問題ではなく、アメリカの命取りとなる可能性とその大きな危険性に気が付く時が来ると思います。あるいはその時は既に手遅れになっているかもしれないません。

さて、そこで本日ご紹介したいのは、「The CALL」を主催しているルー・インゲル師が9月20日に発した緊急の警告と祈りのお願いについてです。師は今「イスラムの大きな波が押寄せて来ている」ことを指摘し、アメリカの全クリスチャンが緊急に霊的戦いの準備に入ることを呼びかけました。それは数日後に迫っている9月25日にMuslim Day of Prayer in Washington DCと称して5万人のイスラム教徒がワシントン・モールに集結し、ホワイトハウスまで行進しようと言う歴史的企画をしているからです。彼らは「イスラム教徒はホワイトハウスに行進し、そこでアラーに祈り、ホワイト・ハウスがイスラム・ハウスになる勝利の宣言をする」と言っておりますから大変な事態になって来ました。

インゲル師は「これは単なる空な言葉ではない。それは闇の霊の敵が企てる目標と計画(の集中攻撃)を物語っており、今アメリカに大きなトラブルがもたらされつつある。」と言います。師は「第一、我々の大統領は、最近イスラムの聖なる断食祈祷の日Ramadanが来ることを称え、それにイスラム教徒が参加することを奨励した。一方この大統領は、春のアメリカの伝統的行事であるクリスチャン中心の「国民祈りの日」には何も言わず、完全に無視した。」と言います。通常「国民祈りの日」に大統領はワシントンDCに全国から主な人々を招待して自らの大きな祈祷集会を持って来ましたが、今年オバマ大統領はこれをしませんでした。


今アメリカは本当に急変しつつあります。数年前からアメリカに今後起こることへの預言を受けているジョン・ポール・ジャクソン師は、師の「パーフェクト・ストーム」と題するDVDメッセージの中で、

・オバマ大統領を暗殺する計画が立てられること、
・今後アメリカの学校ではクリスチャンの祈りは禁止されても回教徒の祈りは許される 
 時代が来ること、
・そして、イスラム教徒のアメリカ大統領が2024年までに実現する

と語っております。

このアメリカの現況を、多くのクリスチャンと共に、私は深刻に受け止めております。日本の皆様にとっても、このようなアメリカの事態は単に対岸の火事として済まされないと思いますので、ぜひ緊急にアメリカのためにお祈りいただきますよう、切にお願い申し上げる次第です。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-09-22 10:07 | 坂達也からの今月のメッセージ

水がワインに変えられる時  坂 達也  8月17日

水がワインに変えられる時

                                                       坂  達 也


イエスが最初になされた奇跡はカナでの婚礼の宴においてでした。その婚礼には当初からイエスの母が係わり合っていて、イエスとその弟子たちも招かれていました。宴会はたけなわとなりました。しかし用意されていたワインが無くなったのに気が付いたイエスの母はイエスの元に駆け寄り、ただ一言イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と告げました。(ヨハネ2:3)

このお話は色々に解釈出来ると思いますが、一つ私が確信することは、このお話は多分に預言的であることです。冒頭のヨハネ2:1で「三日目に」と言う言葉が書かれておりますが、これが二千年(二日)が過ぎて三千年目に入った今の時代を表していないでしょうか。

私はイエスがされたこの最初の奇跡のお話に昔から大変興味をいだいて参りました。私の著書「キリストの弟子」では、主の再臨の際に天で行われる「小羊の婚姻」のことを踏まえてイエスはこの奇跡をされたのではないかと云う解釈をご紹介しました。
イエスと共に婚礼に招かれたのはヨハネ、アンデレ、ペテロ、ヤコブ、ピリポ、ナタナエルと言う最初の六人の弟子たちであったと考えられますが、この六人の弟子が六つの石のかめとして登場し、彼らは私たち「キリストの花嫁」を代表していると解釈出来ます。つまり、このカナでの婚姻に弟子と共に招かれたイエスは、三千年目に入った時に実現するご自分と「キリストの花嫁」である弟子たちとの婚礼の宴会のことを考えておられたのです。

ですから、母から「ぶどう酒がなくなりました」と告げられた時、イエスは「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」(2:4)と答えられと思うのです。確かにその当時は「イエスご自身の婚姻の時」ではありませんでした。しかし、三日目に入った今こそ「わたしの(婚姻の)時」が近づいて来て、そのためにイエスが弟子と言う水がめに入った水をいよいよワインに変える本番の時が満ちたように思えます。

興味があることに、その時用意された六つの石の水がめに就いては「ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった」(2:6)と説明されており、これは平均的な人間の身体の水分とほぼ同量なのだそうです。六と言う数字は人間を表すと言われますが、その人間の中でも特別に選ばれたキリストの弟子(六つのかめ)に先ず御言葉の水をフルに与えなさいとイエスは命令されました。そのように御言葉で詰まった「イエスの弟子たち」をイエスはワインに変えられるのです。この「新しいワイン」に変えられた人間たちこそが真の「キリストの花嫁」であり、彼らは「新しい皮袋」となって奇跡を起こす力に充満するのです。それは御国のためにイエスが用いられるからです。まさに「神の国はことばにはなく、力にあるのです。」(1コリント4:20)が実現します。

ここで、カナの婚礼で「用意されていたワインがなくなったこと」の意味について考えてみたいと思います。イエスがこの世に来られ、教会が始まって以来二千年が経ちました。この二千年間は、云ってみれば「人間文明の最盛期」でした。しかし今人間たちが用意し大いに楽しんで来た「この世の」ワインがついに底をついたのです。この世が今、政治・経済だけでなくモラルを含むあらゆる面で末期的症状を呈していることは明らかです。

一方、教会と言う見地から見た場合はどうでしょうか。今までの教会は時折聖霊の油注ぎを受ける(ワインを飲む)ことによって主の御業を行っては来ましたが、いつも油注ぎで満たされている訳ではありませんでした。こうして二千年間「教会」が用意して来たワインは必ずしもイエスによって醸造された純粋なものではなく「人間的要素が混じった」霊的に力の弱いワインであったと云うことが出来ないでしょうか。しかし、ここに至ってそのような未完成で薄められたワインもついに出尽くしたのです。言い換えれば、今までの教会のやって来たことをこれから幾ら努力し続けても、出るべき力が増さないことが明らかになって来たのです。
クリスチャンは自分たち教会のワインが美味しいと思って来たとすれば、本当のイエスのワインがどれだけ美味しいか、その味を知らないのです。

世の終わりに際しこの世を御国に変えるために必要な教会とは、人間的に薄められたワインを飲む弟子たちの集団では用が足りません。これからの教会は内側が完全に「イエスのワイン」のみで満たされる人たちでなければならないのです。


そのワインとは聖霊をあらわしています。イエスによって「水」が「新しいワイン」に変えられた人たちはものすごい爆発的な力を内蔵し、それは聖霊によるものです。「・・・・武力によらず、権力によらず/ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。大いなる山よ、お前は何者か/ゼルバベルの前では平らにされる。彼が親石を取り出せば/見事、見事と叫びがあがる。」(ゼカリヤ4:6、7新共同訳)

そしてそれは純粋に主の霊でなければならないのです。そのことがイザヤ11:2、3 で、「その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、・・・」と書かれている通りです。私たちは、イエスの霊で完全に満たされる器、つまりイエスそのものに変えられなければなりません。

最近の一週間、このようなことに思いめぐらしている中で、数日前ですが8月14日の午前二時近くに私は主に起こされました。そしてひざまずくと主は既に上記に述べたことへの多くの確認を下さり、又、次のような啓示を受けました。今その時書いたノートのメモを見ますと、

「ワインは葡萄の実を潰して成熟させたもの。御言葉と言う水は私たちの体内でその葡萄の実の成熟したもののように変えられなければならない。・・・良いワインとは人のため、人が飲んで喜ぶもの、私たち花嫁は、キリストが賞味して喜ばれるものにならなければならない。」

「人間のやり方では最後は破綻する。唯一成功するのは神のキリストのやり方だけ。目標- 成熟 ―イエスによってイエスのようになること ―完成」

「真の婚姻の時は近づいているが今は未だその時ではない。しかし、イエスは自分の時でなくても、母から頼まれれば奇跡を起こされた。私たちは花嫁としてキリストと母の関係と同じぐらい親蜜な関係になれる。そうなる時、主の時でなくても(アウト・オブ・シーズンでも)必ず主は私たちの願いを聞かれ奇跡を起こして下さる。」


最後にヨハネ2:8-10で、イエスは自らワインに変えられた水がめのワインを「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」と言い、手伝いの者たちに持って行かせると、その味の良さに驚いた世話役は花婿を呼んで、「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」と言いました。
 
ここで云う「宴会の世話役」とはこの世を取り仕切る王たちに例えられると思いますので、御国の王であるイエスはイエスのなさること(イエスのワイン)がどれだけすばらしいものであるかを、新しいワインに満たされた弟子たちが実行してこの世の指導者たちに見せなさいと言われていると解釈出来るのではないでしょうか。
御国が来てイエスがこの世を治める王となる時、それがどんなにすばらしいものであるか、聖書はその王国が来ることを私たちに約束されておられますが、神はその最もすばらしい聖霊の実であるワインを最後の最後まで取って置かれるのです。そのために主は今、主に従順で忠実な者である「真の弟子」だけを求めておられます。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-08-17 14:56 | 坂達也からの今月のメッセージ

世界経済の行方と御国の教会   坂 達也  7月27日

世界経済の行方と御国の教会
                                             坂  達 也



今回の日本旅行で私はアメリカの経済の厳しい現況を報告しつつ、この世の経済と神の経済がどのように違うかに言及させていただきました。2007年秋に始まった世界的経済不況は未だに混沌としております。2009年の最初の四半期の深刻さに比べ、第二四半期のデータの幾つかがほんの僅か持ち直したのを見て、ある人たちは、今年の秋には回復の兆しが出ると言う楽観的な見方を表明していますが、私は今回の世界経済の「揺り動かし」はもっと抜本的なものであり、神はこれから終末に向けて、この世をもっと悪くされるご計画ではないかと申し上げました。
「いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢」とヨエル書2:25に書かれていますから、この世を悪くするための経済不況を送られたのも主であっておかしくないはずです。

さて、マタイ5:13でイエスは、「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」と言われました。

 私たちクリスチャンはこの世において「地の塩」「世の光」でなければならないとイエスは強調されます。今ほどそれが重要な時代はないと思います。上記の御言葉は主が山上の垂訓として語られた一連の教えの一つですが、イエスは明らかにこれ等の教えを「御国」の観点から話されているのであって、単なる宗教的な戒めとしてだけ受け取ってはならないと思います。
箴言22:2に「富む者と貧しい者とは互いに出会う。これらすべてを造られたのは主である。」とありますが、「富む者と貧しい者とは互いに出会う」は、まさにこの世の経済を表していないでしょうか。主はご自身が造られた人間が住む「この世全体の経済」において、クリスチャンが腐敗を防ぐ塩としての役割を務め、又この世の中の総ての面で「よい味を付ける」役目を果たさねばならないと戒めておられるのです。つまり、私たちクリスチャンはあくまでこの世における「神の国」の忠実なる番人であり、この世を御国に変えるために選ばれ立てられていると言うことです。


教会(クリスチャン)が御国の意識を明確に持つ時代が来た

そもそも、イエスは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17)と言われて宣教を開始されました。それから二千年の月日が経過し、終末が刻々と迫って来ています。私たちがそれを認めようと認めまいとにかかわらず、本当に天の御国が待ったなしに近づいて来ているのです。そしてイエスは「もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。」(マタイ5:20)と大変な警告をされています。
又イエスは、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)とも言われました。

律法学者やパリサイ人は神の国を意識した民のリーダーであったでしょうか。そうではありませんでした。それでは、私たち教会は天の御国を常に意識して教会が積極的に地域社会に密接して来たでしょうか。ここにおいて主が言われる「御国」を意識しての布教活動をしているかどうかが問われていると思います。

アメリカは名ばかりのクリスチャン国ではあっても、一つ良いことを挙げれば、さすが年長の民主主義国家だけあって、国民の政治への関心が高いことです。クリスチャンとして「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。」を意識しているのでしょうか「民の声」が政治に密着して国の政治を動かしていることを感じます。今特にそれを感じます。

選挙を通じ、又就任当時にあれほど人気のあったオバマ大統領の人気が、就任6ヶ月にしてこのところ陰りが出て来ました。まさに「ハネムーンは終わった」ようです。
ある世論調査によれば、今次の大統領選挙を行うとすれば、民主党はオバマ、それに対抗して共和党は前に候補の一人で経済に強いと見られていたロムニーが争うとすれば、あなたはどちらに投票するか―――結果は何と45%対45%、互角と言う数字が出たのです。あれだけ熱狂的に支持されたオバマ大統領がです。これには少々驚きました。そして今聞いたばかりのニュースですが、オバマ大統領への世論の評価が最高時68%だったものが、初めて過半数を割り、49%に落ちたと報道されました。

アメリカの国民は当然ながら自国の経済に関しては敏感です。オバマ大統領の景気刺激策が多大な税金を使うばかりで国民はその効果に疑問を持ち始めたこと、特に高い失業率が下がる気配がないことに国民は失望し始め、先行きに不安と焦りを感じ始めています。
特に国民医療保険制度の法案を両院で強引に可決しようとする大統領への反発は共和党だけでなく、民主党側の人たちの中にも少なからず出て来ております。
そもそもこの法案は1000ページ余りと言う膨大且つ複雑極まる内容で、この法案全部に眼を通した議員はいないと言われます。よく読むと問題だらけ疑問だらけであり、それを指摘する人たちの中には、数多くのクリスチャン(あるいはその団体)がいます。彼らの多くはTV、ラジオ、インターネット等を通じて「塩」としての声と警告を発しているのです。又、アメリカには一日中流しているニュース専門チャンネル(例えばCNN)、あるいはニュースとその解説だけをしているテレビ局(例えばFOX)がいくつもありますが、(そう云えば日本に来て気が付くことは、日本にはそのような専門チャンネルがほとんど見当たらないことです。)多くのアメリカ市民はそのような情報を得ることによって、本当に反対、あるいは危機を感じる時に、それぞれ自分の地区の議員に直接手紙とかメールを書いて抗議しますから政治に国民の声が如実に反映します。今は国民の緊張した切実な声が世論調査に跳ね返って表れ始めたのです。
これは蛇足ですが、アメリカはクリスチャンを無視して選挙には勝てません。大統領候補は、日曜日ともなれば聖書を持って夫婦そろって教会に行く姿を演出してメデイアのカメラに収まりたがり、自分は教会に行くことを強調します。クリントンもオバマも例外ではありませんでした。
 
さて、政治と経済は切っても切れない関係にあります。経済とは英語で「economy」ですが、その語源はギリシャ語の「oikonomia」であると言われ、その意味は「家をよく治め管理すること」つまり「家政」です。
私たちは神の財産、神の家の管理人と言われる通り、神の財産とは神の創造物総てを含む訳ですから、私たちクリスチャンは、たとえこの世の政治経済であろうと、あるいは環境問題であろうと、総ての面においては神の良き管理人として「塩」の機能を十分に発揮することを神は要求しておられます。

 イエスは会堂にも行きましたが、多くの時間を費やして町から町を歩き、人々と接し人々の悩みを聞かれました。従ってイエスの御国と言われる考え方には、私たちクリスチャンが社会の営みの総てに関心を示すだけでなく、積極的に町に出て行って王であるキリストの代表者として社会と深く関わり合って行くことが基本的な条件(姿勢)であるのです。

私たち御国の教会(クリスチャン)の目標は「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」(黙示録11:15)にあるのですから、クリスチャンはパリサイ人的宗教学者であるよりも、むしろ町の経済学者となり、その実践者/実業家であるべきです。そのためには教会は具体的にどうすればよいのでしょうか。

 
教会が光輝いて世を救う

 教会は社会の縮図ですから、色々な職業の人が集まります。中には新しく事業をしたいと言う人もいるでしょうし、子育て専業の人も大勢います。オバマ大統領は「チェンジ」と言う言葉をスローガンとしてよく使いましたが、私たちこそ考え方を御国のそれにチェンジすべきです。
「御国」とはイエス・キリストが王である国なのですから、総てのクリスチャンは自分の仕事に文字通り王が直接関わり合っていただくべきであると言うことが出来ます。
私は今回の旅行で、イエスと私たちが50/50の合弁会社を設立すべきであることを例を以って提案しました。よくよく考えてみれば、この共同経営の姿こそがこの世において主と私たちの正しい関係であると思います。

私たちは契約社会に住んでおりますが、実はクリスチャンこそ新約と言うれっきとした個人契約をキリストと結んでいることを忘れてはなりません。それを具体的に表したのが株の持合い50/50の共同経営契約です。そして社長CEOはイエス・キリストです。この契約においてはイエスも私たちも総ての経営計画と実行に先立って「合意」あるいは「上司(主)の命令に従う」ことが必要です。そのためには毎日密接な「打ち合わせ」と「話し合い」をすることも一般の会社とか公官庁組織と同じです。

新しく事業をしたい人は主に共同経営の社長になってもらい、何を、どのように事業とするかを話し合わねばなりません。必要な資本金とか「コネ」は社長に任せます。そして毎日、すべきことをあなたが社長と打ち合わせしながら実行して行けば、必ず事業は成功し「儲かり」ます。そしてその「利益」は社長と折半出来るのです。

このやり方は既に教会が従事して来た各種の学校経営にも当てはめることが出来るはずです。保育・幼稚園とか学校経営は財政的に苦しいところが多いと聞きますが、その苦しい経営状態に、最も優れた経営者であられる主イエスに直接参加していただくことによって経営の健全化と豊かな「利潤」を得て、クリスチャン教育の一層の充実・拡大を目指して何も悪いことはないはずです。
教会の総ての人が、クリスチャン個人として、あるいは教会(法人)としてこの主との「合弁会社方式」を取り入れるならば、地方教会の経済は大いに祝福され「御国」の発展に大きく貢献することが聖書で見事に保証されています。

「もし、あなたがあなたの神、主の(社長の)声に聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。 あなたは町の内でも祝福され、畑でも祝福されるであろう。 またあなたの身から生れるもの、地に産する物、家畜の産むもの、すなわち牛の子、羊の子は祝福されるであろう。 またあなたのかごと、こねばちは祝福されるであろう。あなたは、はいるにも祝福され、出るにも祝福されるであろう。 敵が起ってあなたを攻める時は、主はあなたにそれを撃ち敗らせられるであろう。…… 主は命じて祝福をあなたの倉と、あなたの手のすべてのわざにくだし、あなたの神、主が賜わる地であなたを祝福されるであろう。…… 主はその宝の蔵である天をあなたのために開いて、雨を季節にしたがってあなたの地に降らせ、あなたの手のすべてのわざを祝福されるであろう。あなたは多くの国民に貸すようになり、借りることはないであろう。 主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせられないであろう。あなたはただ栄えて衰えることはないであろう。きょう、わたしが命じるあなたの神、主の戒めに聞き従って、これを守り行うならば、あなたは必ずこのようになるであろう。」(申命記28:2-13)[アンダーラインの部分は私が強調したいところです。主の「御声を聞く」ことの重要性がよくご理解いただけると思います。]

私たちが主とこの共同経営方式を取り入れて実践するなら、先ずあなたの地域社会があなたの「成功ぶり(実り)」とその輝きに気が付いて皆が寄って来るようになるでしょう。そしてあなたのしていることが社会にすばらしい「モデル・ケース」を提供し、主の栄光をより輝かすことになります。

ちなみに、この世の中の職種を政治、経済(ビジネス)、社会福祉、教育、娯楽の五つに大別するとすれば、今回の旅行を通して各地で、政治を除いた少なくとも四つの分野で牧師/教会が社会に今本格的に出て行こうとしている動きを見聞きすることが出来ました。

*クリスチャン企業が数は少ないながら全国的に出て来つつある。
*教育面で従来からあった幼稚園、小中学校(ホーム・スクールを含め)学童保育、聖書学校等のクリスチャン教育の拡張に教会が積極的に乗り出している。
*地域社会での家族の問題へのカウンセリング活動:例えば青森市にあるジョイフル・チャペル教会と渋谷牧師は、教会活動とは別に「ファミリー・リカバリー・センター」と言う家族の問題への深いカウンセリングに乗り出しており、その活動が地域の人々に知られ始めている。
*社会福祉関係で教会がナーシング・ホーム(老人)とかデイケア・センターの経営に乗り出した。
*冠婚葬祭を通して社会に進出。特に結婚式の司式をする牧師は多いが、中に司式をした総てのカップルを信仰に導いたと言う牧師もいた。これからは司式時だけでなく、結婚生活に入った後の息の長いカンセリングに力を入れたいと言う牧師も出て来ており、今までのどちらかと言えば牧師の内職から、本格的なミニストリーに移行する兆しが見えた。
*特に若者を対象にクリスチャンの音楽グループの活動が各地で台頭しており、それが各地の未信者の若者を惹き付け楽しませ始めた。このような若者ミニストリーが全国的な「教会の一致」に貢献し、重要なミニストリーに発展しつつある。

このように社会に溶け込み、社会を積極的に変えて行く働きをすることによって、教会は「地の塩」である以上に「世の光」になります。主は言われます。

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(
マタイ5:14-16)

私たち教会がイエスの光を輝かす時に、社会の人々は神のすばらしさを見て寄って来ます。そして黙っていてもどんどん救われて行くでしょう。これが御国の大きなリバイバルでなくて何でありましょうか。
この世の経済がこれから益々暗くなり、世界が闇で覆われる時に、人々は希望を失い、生活に困り、助けを求めます。その時に御国の教会は手を差し伸べねばなりません。「神の経済」を信仰で実行する「御国の教会」は、日頃からそのための豊かな蓄えを主からいただいていてこそ、この世を救うことが出来るのです。

そのような終末における主のすばらしい御国のご計画が主の再臨を通して完全に成就することが、次のようにイザヤによって預言されております。

「起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。 見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。 もろもろの国は、あなたの光に来、もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る。 あなたの目をあげて見まわせ、彼らはみな集まってあなたに来る。あなたの子らは遠くから来、あなたの娘らは、かいなにいだかれて来る。 その時あなたは見て、喜びに輝き、あなたの心はどよめき、かつ喜ぶ。海の富が移ってあなたに来、もろもろの国の宝が、あなたに来るからである。」(イザヤ60:1-5)
                     
本当にすばらしいではありませんか。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-07-27 12:43 | 坂達也からの今月のメッセージ

オバマ政権のアメリカを憂う    坂 達也   5月22日

オバマ政権のアメリカを憂う

                                         坂 達也


 「オバマ政権に変わって僅か3ヶ月、アメリカは今経済のみならず、政治、社会のあらゆる面で、国全体が驚くほどのスピードで完全崩壊(トータル・メルトダウン)に向かっている。世界で最も自由な国であるはずのアメリカで、今や『宗教と言論の自由』を含む多くの『自由』を国民から奪う法案が次々に提案され、自由主義の基盤が脅かされている……それは考えられないような間違った方向、社会主義と全体主義の国になりつつある。」と激しい口調で語るのは、他ならないモーニングスターミニストリーズのリック・ジョイナー師です。(彼のインターネット・メッセージ Prophetic Perspective on Current Eventsと言う Video番組の4,5月分の概要をまとめたもの)
 間違った方向の一つの例として、ジョイナー師は、アメリカ政府が今しようとしていることはドルの価値を意識的に殺そうとしているとしか思えない、それは「世界を一つの貨幣に」にするための画策に通じると言っています。 

確かにアメリカ政府は、昨年来の未曾有の経済危機への救出策と称して膨大な予算を計上し、破産に追い込まれた主要銀行・保険会社とか自動車メーカーに資金を投入して来ました。そして実際に政府が資金援助した会社なり業界を経営的に支配しようとしているのですから、このやり方が企業の国有化を目指した社会主義政策と呼ばれても致し方ない状態です。その上、その莫大な予算の財源は、税金を上げるか、従来に増してより多くの国債等を発行し、世界各国からの借金を上増しするか、あるいはドル紙幣を印刷するかしかない訳ですから、いずれにせよ、これが世界中にドルを氾濫させ、ドルの価値をうんと下げることになり、それが又とんでもないインフレを引き起こします。そうなればアメリカの経済が完全に崩壊するだけでなく、膨大なドル債権を抱え込んだ世界中の国々の経済も破綻しかねません。そうなると、今既に検討され始めた「世界統一貨幣」の必要性に一層の拍車がかかるだけでなく、世界の経済を一つとして考えるしかなくなるような事態に追い込まれる可能性が十分に出て来ます。実はこのシナリオが裏で画策されていると言うのです。


もう30年も前からでしょうか、世界の銀行を支配する黒幕(団体、秘密結社等)がいて、彼らは「世界を一つの政府、一つの宗教、一つの経済、一つの貨幣(あるいはキャッシュレス・ソサイエテイー)にすることによって世界を完全支配する」と言う陰謀を持っていると言う話が、クリスチャンの間でも真しやかにうわさされ、又多くの本も書かれて来ました。私も少しはその知識をかじり半ば信じていましたが、そのような話には出来るだけ触れないようにして来ました。しかし今年オバマ政権になって以来、それが現実にかなり露骨に見え隠れするに至っては、もはやそれを隠すことは出来ない、むしろはっきりと問題にする時が来たと云う強い思いを持つようになりました。何故なら、この世がサタンの支配下にある以上、世界を支配すべくone world orderによる統一世界政府を造ることはサタンの初めから(バベルの塔以来)の目標であり、そのような画策陰謀があって当然と考えられるからです。(これをある人はバビロン・ミニストリーと言いました)又、それが紛れもない最後の時代に現れる反キリストが試みようとする陰謀であることは、黙示録を見ればはっきり分かることであって、特に黙示13章に具体的に書かれています。


ところで、上記のジョイナー師の話を裏書するようなイーメールが、実はつい最近私たちの地元ホノルルのクリスチャンの友人から届きました。それは連鎖署名依頼のメールですが、事の起こりは今ワシントンDCでクリスチャン番組をテレビから締め出し禁止しようと言う法案提出の準備が進められており、その団体は既に287,000人の署名を集めたと言うのです。そして同じ団体がこれから全米の公立学校での一切のクリスチャンプログラムを禁止するキャンペーンにも入ろうとしていると言うものでした。これに対抗して全米のクリスチャンが立ち上がり、対抗処置を講ずるべく今100万人の署名を募っているので協力して欲しいと言う内容のものでした。

私は渡米して47年になります。最初の頃私は未信者でしたが、それでもアメリカは間違いなくクリスチャン国であることを肌で感じることが出来ました。その後徐々に変わっは行きましたが、ここに来て突然、火山が噴火したかのように、総てのことが急激に変化しているのです。実感として、ショック以上の、少々大げさに言えば身の毛もよだつ程の戦慄すら感じられるのです。そのことを憂う人は非常に多くなりつつありますが、その一例として最近ダッチ・シーツ師が発表したインターネット・メッセージをご紹介したいと思います。それを下記に要約してみます。

「オバマ大統領は就任演説と、最近のヨーロッパ旅行中の演説の中でと、二度にわたって『アメリカは最早クリスチャン国家ではない』と言う言葉を口にしました。特に就任演説の中で彼は『アメリカは元々クリスチャン国ではない』と取れる発言をしています。又、最近のニューズ・ウィーク誌はそれに同意するかのように『クリスチャンのアメリカは終わった』と言う記事を載せました。
その意味は、アメリカはカルチャー・ワー(宗教の文化戦争)に負けたと言うことでしょうか。それとも、ある時点ではそうであったかもしれないが、今はそうでない、アメリカのクリスチャニティーは失われた、と云うのでしょうか。あるいは、アメリカ合衆国は他宗教が常にミックスされた国で初めからクリスチャン国ではないと言うのでしょうか。

真実がどうであるかを判断していただくために、二、三の歴史的事実をご紹介します。その一つは1892年の合衆国最高裁の公式の記録に残っている文書です。それには『アメリカ大陸の発見以来本日まで、この国はクリスチャン国であることを証言・断言する一つだけの一致した声(世論)があります…』と書かれていて、その当時の国民の一致した声と現大統領とは意見が大分違っていることがこれで明らかです。
その時の最高裁判事長であったジョン・ジェイ氏は『総てのよいことの造り主であり、その授け主である神が私たちにお与え下さった身に余る多くの祝福、特に神の最愛のご子息による救いの御業に対して、私は真にへりくだって心からに感謝申し上げます。』と云っています。これがクリスチャン・ステートメントでなくて何でしょうか。

又、二代目の大統領で、合衆国独立宣言の署名者の一人であるジョン・アダムスは『独立を勝ち得た建国の父たちの基本的信条は…クリスチャニティーのそれと同じであった。』と言っています。又、驚かれる方も多いと思いますが、ハーバード大学の1642年の学生ハンドブックにある『規則と戒め』には、『総ての学生は、以下のことをよく注意して守らねばならない:学生としての生活と勉学の主な目的は、神と永遠の命であるイエス・キリストを知ることである。(ヨハネ17:3)よってキリストを、総てのよい知識とその学びの唯一の基礎とするべし。』
現在の教育者はとてもこれには同意しないでしょうが、これがかってのハーバード大学の常識であったのです。

最後に、1863年にリンカーン大統領は『我が国は天から最も大きな恩恵を受け、長期に渡って平安と繁栄の中で神に守られ、他のどの国にも優って国民の数、富、力が増し加えられて来ました。しかし、今我々はその神がなさったあまりにも大きな成功に酔いしれたかのように、又、総て自分たちだけでやったかのように自負し、その高慢さにより総ての神の恩恵を忘れ去り、神に祈ることすら忘れてしまってはいないでしょうか。我々は今、神の前で、我々が犯した国家的な罪を告白し赦しを乞う必要があります。』と説きました。これは南北戦争中に大統領が国民に断食祈祷を呼びかけた時のメッセージです。

私(ダッチ)が申し上げたいのは、アメリカがこのようなクリスチャン国として神の下で建国され、その長い輝かしい歴史とルーツを持つ国民としての認識がこの際どれ程大切であるかと言うことです。何故なら、神は千代に至るまで約束(契約)を守り、恵みを下さる方であるからです。又、私たちの歴史が重要なのは、神がこの国の建国に当たって確固たる目的とデスティニーを与えておられるからです。
リベラル、ヒューマニスト、あるいはこの国の歴史を変えたいと願う人たちは、この国が神の目的をいただいていると言う事実を国民に知ってもらいたくないのです。

本当にアメリカはニューズウイーク誌が言うようにクリスチャン国を終焉したのでしょうか。絶対にそうではありません。今、私たちの大統領をはじめ、国会議員、判事は何とかしてアメリカが神によって建てられた国であると言う証拠の総てを隠滅しようとしています。しかし、カルチャー戦争は決して終わってはいません。それどころか私は、神がこれからこの国に大きなリバイバルを起こそうとしておられることを信じる者の一人です。」
と述べ、シーツ師は、最後にアメリカ国民がそれぞれの地域の議員にクリスチャンとしての宣言文を送ることを提案しました。又、多くのとりなし手たちは今、アメリカのために一層はげしく祈っています。


数日前ですが、オバマ大統領は名誉学位が授与され、卒業式の記念講演をするためにノートルダム大学を訪れました。事もあろうに最も保守的な由緒あるカトリックの大学で、堕胎を認める大統領を招いてメッセージをさせるのですから、話す方も話す方ですが、そのリベラルな大統領を招待したカトリックの学校側に問題があると嘆いたクリスチャンは多かったと思います。
しかし、朗報がありました。その前日でしたか、ギャロップ調査の発表で、アメリカの世論は初めて51%の人がプロ・ライフ(堕胎反対)を表明し、プロ・チョイス(賛成)は43%にとどまったのです。それまでのプロ・ライフの最高は2002年の46%でしたから、この数字は今の状況下ではめざましい変化と云えます。もしこの結果が、世論が保守的に逆行する兆しであるとすれば本当に朗報であると云えましょう。この数字をわきまえてか、卒業式での大統領はプロ・チョイスの主張をかなり和らげたスピーチであったと言われています。

とにかく今アメリカは大変な危機を迎えています。しかも日本人はそれを対岸の火事として安閑と見ておられない状況です。昨年の最後の四半期と今年の最初の四半期の日本のGDPが予想以上に悪いことがアメリカでも大きく報道されました。今や世界に浸透した経済恐慌は深刻さを増しております。その問題の発端となったアメリカの国家的変化に関して日本のクリスチャンの皆様にぜひお祈りしていただきたいと心から願う者です。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-05-22 03:20 | 坂達也からの今月のメッセージ

 「人の子らよ、帰れ。」主に 坂  達 也 2009年4月3日

 「人の子らよ、帰れ。」主に                               

      坂  達 也


先週掲載したキャシー・ペルトンの「恐れの根を取り除く」は大変興味のあるメッセージでした。文中で、彼女が折からの経済不況のあおりを受けて家族3人の仕事が無くなり、収入源が断たれたことが書かれています。彼女とその夫は、総てを主に委ねる信仰で生きようとしているすばらしい夫婦です。最初の二、三ヶ月は思いがけない方法で主が彼らに収入を与えられましたが、その後の数ヶ月は何も入らず、ついには貯金も底をつきました。その時点で、彼女は信仰による平安を装ってはいても、夫に仕事探しにもっと精を出すように「ほのめかした」のです。しかし主には(夫にも)彼女の心の状態が分かっていましたから、主は、その「ほのめかし」が神からの声を聞いてそう言ったのか、あるいは恐れ(不信仰)から出た、自分自身の考えであったのかを彼女に問い質されたのでした。

この話を読まれた方の中には、「自分で出来る当然の努力をしながら主の導きを待つと言うやり方がどうして信仰的な生き方ではないのか」と言う疑問を持たれた方も大勢おられたかと思います。つまり、仕事探しを自分の責任ですることは「主の御心の中に入る当然すべき自己努力」と言う考え方です。すると、問題はどこまでを自分の責任でし、どこから神に頼るのかと言う疑問にならないでしょうか。あるいはそう分けて考えること自体が間違っているのかもしれません。

それで思い出すのは神がモーセを通してイスラエルの民に言われた下記の御言葉です。「『あなたは、このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げよ。あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」(出エジプト記19:4-6)

神はイスラエルに二つの要求をなさいました。一つは「わたしの声に聞き従う」こと、もう一つは「わたしの契約(律法の書)を守る」ことでした。私たちの願いは勿論、主の御声を聞いてそれに従うことですが、主は同時に、私たちが主との契約を守ることを要求されています。それがどう言うことかをヨシュア記1:8が「この律法(契約)の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」と説明してくれています。

私たちは常日頃、聖書にある「書かれた御言葉」(契約、律法)を聖霊の助けと導きによって精通し、祈りつつ、それを自分の霊と魂に叩き込んで自分の血肉の一部となる程に沁み込ませる必要があると言われるのはこのことであると思います。そうすることによって、私たちクリスチャンは先ず、基本的な主の御心と思いを知り、自分の心と思いが主と同じか、あるいは非常に近いものとなるのです。そうならなければ神と友人のような親しい関係にはなれません。これはちょうど神ご自身の思いを知るための原語である「霊のことば」を憶えるようなもので、それを憶えることによって、主と聖霊が語られる「声の御言葉」がよく理解出来るのではないでしょうか。

私は最近「主の御声を聞く」とはどう言うことかなのかを色々な面で体験させられています。先ず今までの私のフラストレーションは、何故もっと御声が聞こえないのだろうか―にありました。グラハム・クックは主が直接私たちにことばとして語られることはそんなに多くはないと言います。それではどうしてその時の神の御心を知ることが出来るのでしょうか。

神はアブラハムに「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」と仰せられました。(創世記17:1)「全き者であれ」の全きと言う言葉は英語でパーフェクトですが、神は私たちが完全な人間になることを要求しているのです。完全な人間とはどう言う人間でしょうか。完全な人間は唯一人イエス・キリストがそうですから、私たちはイエスのような人になれと言われていることになります。そして、それを具体的に言うならば、それがヨハネ5:19、20に書いてあります。「…子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。…」

イエスは父がなさることを常にみな見てそれを行ったのです。(霊的に心の眼で見ることと、心の耳で聞くこととは同じでしょう。)そして自分の考えでは何一つしませんでした。
前述のキャシー・ペルトンは、たまたまその時に恐れを持ったため、これが出来ませんでした。イエスは常に父を見上げて父の指示を待ちました。しかし大事なことはイエスの心が父の心と完全に一致して、通じ合っていたことにあります。

イエスは、一日の生活の中で誰かが突然現れるとか、些細なことも含めて起こることの総てを予期し予知されておられたかどうかは私には分かりません。多分予期されていなかったことも多く起こったでしょう。例えば、ある人から突然電話が掛かってくることは、通常私には予期出来ません。(時々は思いがけない人からであっても、その人からの電話だととっさに「霊感で、虫が知らせる」経験をされる方は多いと思いますが)イエスはほとんどの場合、前から父の予告を受けているか、あるいはその寸前に予知出来たかも分かりません。いずれにせよ、イエスは総てにおいて父の御心がはっきり分かってその通りになされたことは確かです。

私たちは何かが起こる、あるいは人から何か言われると直ぐリアクションしてしまいます。このリアクションとは通常自分の肉がこの世的に反応する、とっさの感情からのリアクションが多いのです。(例えば、ムッとするとか)しかしイエスは私たちのように罪の性質でこの世的に反発・反応されることはありませんから、恐らくとっさに思い浮かぶのは 全き父のお考え、父の思いであると思います。そして、それが正しいことである確認を父は瞬間的に与えられるのであると思うのです。

詩篇85:10に「恵み(愛)とまこと(忠実さ)とは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。」とありますが、これは父と子の関係をよく表していて、ここで言う義(の心)とは「子は総て父に従う」緊密な交わりの関係そのものであり、それに父は常に愛と平安で応えられることを表していると思います。父と子のやりとりは、「阿吽の呼吸」とでも言いましょうか、イエスは自然に「父だったらこうお話しになる」と言うような適切なことばとか考えが、状況に応じてほぼ自動的に出て来るのではないでしょうか。
勿論大きなこと、例えばラザロが死にかけているので早く来て欲しいと依頼されても尚二日間も行かれなかったのは、大きな奇跡を起こされるご計画があったからですが(ヨハネ11章)、このような場合は前以て父と子は入念に打ち合わせされていたと思います。

私は最近、勿論イエスのようにではありませんが、私なりに、相手に答える言葉が何か自然に口に出て来て、後で、それが神がそのことばを私の思いと口に入れて下さったのであると言うことが結果として分かったことが何度かありました。それは神の御声を聞いたからそれをしたと言う感覚ではなかったのです。結果的にそうなったのですが、その時一つ私が気が付いたことは、私はずっと平安のうちにいたと言うことでした。

主との阿吽の呼吸と言うのは、時に「待つ」ことを教えてくれます。主は私たちの信仰を強めるために敢えて私たちを待たせることが多くあります。しかし、その時に平安を下さいます。ですから真に信仰のある人は安心して待てるのです。これをキャシー・ペルトンに当てはめれば、彼女の夫は「今は主の指示を待つ時である」こと、自分では何もしなくてよいことをはっきり感じていたのであると思います。キャシーもそう信じていたのでしょうが、彼女の場合は「恐れ」によって神とのコミュニケーション(親密な関係)がつい途切れてしまい、あわてて自分の考えで行動してしまったのではないでしょうか。

これからの世の中は益々暗くなり、患難を迎えます。今こそキャシーが受けたような信仰の訓練を私たちもしっかりと受け、患難に立ち向かう時です。

このようなしっかりとした信仰の土台を築き上げるためには、先ず常に天におられる父を徹底して求めることにあると思います。ダビデは「神ご自身の心を求めてやまない人」でありました。これが神の義の心であると思います。「 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」(マタイ5:6)詩篇の86:3-4でダビデは「 主よ。私をあわれんでください。私は一日中あなたに呼ばわっていますから。あなたのしもべのたましいを喜ばせてください。主よ。私のたましいはあなたを仰いでいますから。」と叫びました。 

そのダビデが「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。 私は主に申し上げよう。『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。』と。」(詩篇91:1-2)とうたっています。隠れ場とは秘密の場所、それは主とあなただけが密会する秘密の場所です。そこにいつも宿り住む者は全能の神のご臨在に常に覆われ、これ以上安全なとりではなく、どんな敵も近づくことは出来ません。そのような主との密接な交わりの関係にいつもいれば(主の御前に住む、宿る)、あなたは神の御声が聞こえます。又、たとえ聞こえないと思われる時でも、主はあなたを導き、あなたの足はいつもしっかりと守られています。

少年であったサムエルはまだ神の御声を聞いたこともない時に、ある夜、神のともしびがついたままで主の箱が安置されている主の宮で寝ていました。(1サムエル3:3)これは主のご臨在の前で彼が安らかに眠っていたことになります。すると初めて主がサムエルを呼んだその御声を聞いたのでした。

今厳しい職場の困難な状況の中で夜遅くまで働いておられる方、毎日が戦場のような牧会生活に疲れておられる牧師の皆様に私は申し上げたいのです。主とだけの時を出来るだけ多く過ごして下さい。主に安息することはどんなに忙しい時でも可能です。「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々とこしえに、あなたは神。 あなたは人を塵に返し/『人の子よ、帰れ』と仰せになります。」(詩篇90:1-3)
私たちが、自分(の考え)を塵のようにへりくだらせ、神に帰って、罪のないエデンの園でアダムとエバがしていたような、主との深い交わりを持つことを神は望みつつ、私たちを待っておられます。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-04-03 14:57 | 坂達也からの今月のメッセージ

「この世は揺り動かされ始めた」 坂  達 也 2009年3月5日

「この世は揺り動かされ始めた」
                          坂  達 也


1.「真理とは何か」

これはピラトがイエスに聞いた有名な質問です。(ヨハネ18:38)普通の人間で、この質問について考えてみたことのない人は恐らくいないと思いますが、古今東西の哲学者、宗教家、科学者は皆この「真理」を探し廻って来ました。「宇宙の大真理とは何ぞや」から始まって、「人生とは何か」、あるいは広い意味では「どうすればよいのか」「何が良い方法であるのか」と言う実生活における真理に至るまで、人間は真理を求め続けて来ました。本当に真理とは何でしょうか。

先ず真理を辞書で見れば「正しい道理。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。」(ヤフー辞書)とあります。英語ではTRUTHですが、「証明された命題・定理・真実・事実、あるいは実存、正確なもの」と説明されています。

それでは聖書はどのように言っているのでしょうか。興味のあることに、へブル語中心の旧約聖書とギリシャ語による新約聖書では概念的に少し違いがあることに気が付かされます。旧約聖書では、その人が本当に信頼に足る人か、どれだけ忠実・誠実であるか、その行いが善か悪か、その人が正直で事実・真実を語っているかどうか、と言うようなモラル面に重点が置かれ、人間が対象にされています。

それが新約聖書では、知的(論理的)・客観的・観念的な事実とか法則に重きが置かれるようになりましたが、イエス・キリストにおいて新旧約聖書両面の真理に対する考え方が集約され一つになったと言えます。すなわち、創造者の神(父、御子、聖霊)こそが永遠に存在する方で、不変であり、常に正しく、しかもその方の性質も、お考えも、言われること、なさることの総てが真実で、「永遠不変の絶対的な真理」そのものであることを示しております。

それをイエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。…」(ヨハネ14:6)と言い表されました。「真理とはイエスご自身である」と言われたのですから、これ以上の明確な答えはありません。しかしキイは「わたしは道であり」にないでしょうか。
時を超越した永遠に不変の存在である神は絶対に変わることはありませんが、タイム(時)とスペースの移り変わりの中に住む私たちは、それぞれの時と状況下において数ある多くの神の不変の真理のどれをどのように適用して行くべきかを知る必要があります。これは神からの「知恵」と呼ぶことが出来ますが、それを常にご存知なのがイエスである訳です。

イエスは「恵みと真理とに満ちている方」であり、(ヨハネ1:4)イエスの御霊が私たちを「すべての真理に導き入れ」(ヨハネ16:13)て下さるのです。そして、そのイエスが「あなた(父)のみことばは真理です。」(ヨハネ17:17)と言われる通り、私たちは聖書に書かれた御言葉(恒久的真理)と、聖霊を通して時とスペースの中で適切に語られる父の御言葉(預言、啓示)の両方を常に必要とし、その真理を理解しなければなりません。

イエスはそのことを別の御言葉で次のように説明されました。「…わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」(ヨハネ18:37)ポイントはいつもタイムリーに「わたしの声を聞く」にあります。

さて、人間が真理を追いかけて止まない理由は、この世には真理でないものが余りにも多くあるからです。その「真理でないもの」とは神に不忠実なものであり、それが「罪」です。人間を罪に導いたサタンの総ての業は「うそ」「ごまかし」であり、神にたてつくものです。従って私たち人間が作り上げたこの世の社会は「真理でないもの」で充満しています。

2.今のシーズンに神がなさろうとしていることは何か

それは人間の中でも、特にクリスチャンの持つ罪と罪の性質をより集中的に洗いきよめることにあると私は信じます。勿論、私たちのみならず、どの時代に生きたクリスチャンでも皆この「きよめ」のための長いプロセスを通されて来ましたから、そのこと自体は特に目新しいことではありません。しかし、神は今それを加速されようとしておられます。しかも、もっと激しく徹底的に訓練をされようとしておられるのです。なぜなら、いよいよその総仕上げの段階、完成の時が近づいて来たからです。

黙示録22:11に「不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」とありますが、いよいよそれが実現する、この世の終末における最終段階に入ろうとしています。同じことをダニエル書では、終わりの時に「多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが、目覚めた人々は悟る。」(ダニエル書12:10)と言われました。

神に従順な者と逆らう者がふるいいにかけられ区別される時がいよいよ目前に迫って来たのです。それはクリスチャンが真に「キリストに似た者」となり「小羊の妻である花嫁」として完成されるためです。

「あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。 このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。 実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。」(へブル12:26-29)

上記で「天をも揺り動かそう」と言われたのは、黙示録12章に書かれている「天に戦いが起こって、悪魔とその使いどもが地上に投げ落とされる時」を意味しているように思えます。そして大患難を迎えます。確かに大患難の中を通ることは、神を信じない者にとっては懲らしめ、あるいは「さばき」です。しかしクリスチャンにとっては最後の総仕上げの大訓練であるのです。そのことがダニエル書3章に書かれています。

王の像にひれ伏して拝むのを拒んだシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対して怒ったネブカデネザル王は、彼ら三人を縛って普通より七倍熱くした火の燃える炉の中に投げ込みました。すると火の中で三人ではなく神の子を含む四人が歩いているのが見えたので、王は彼らに出て来るように命じました。出てきた三人は「火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。」(3:27)のでした。これこそ罪が完全に拭い去られて聖められ「イエスに似た者」が大患難を通ったときの姿ではないでしょうか。
こうしてこの世から一切の罪のものを消し去り、「揺り動かされないもの」だけを残すために、神は「焼き尽くす火」となられ、私たちにとっては大患難と言う炉の中を共に歩いて下さいます。

3.この世の政治・経済は今根底から揺さぶられ始めた

この世を「揺り動かされることのない御国」にするために、神はこの世を揺り動かすことを既に昨年から始めておられます。私たちは今未曾有の世界的経済恐慌の中に投げ込まれました。
リック・ジョイナーは最近の預言的カンファレンスで、この世の経済は人々の予想を遥かに超えて、もっともっと悪くなることを主からはっきり示されたと言っています。「大きな政府」機関によって総てを支配し指導しようとするデマンド・サイドのケインズ経済学は最早全く通用しなくなり、最終的にはレーガン大統領が主張した小さな政府―税金を減らし、出来るだけ政府を通さないで、むしろプライベイト・セクターにまかせる経済策である「レーガノミックス」が効を奏し、うんと縮小された形で生き残る、と言います。そのために現在の経済原理の悪い根が取り除かねばならず、それにはかなりの時間がかかるが、しかし最後は神によって助けられ、小さく健全な経済規模となって回復すると預言しています。

日本でも最近特に政治の貧困が叫ばれています。アメリカのオバマ新大統領も精力的に対策を講じていますが、今の政界・財界の専門家で本当に何をすればよいかを理解している人はほとんどいないと言われ、多くの政策が明らかに間違った方向に進んでいることをジョイナーは指摘しております。

又政治・経済だけでなく、世の中のモラルは廃頽の一途にあります。その上、心配されて来た鳥インフルエンザ等の疫病がこれから世界を風靡するでしょうし、地震とか異常気候による天変地異による莫大な被害が予想されます。それに加えて戦争が起こります。

黙示録8,9章等で預言されているように「地上の三分の一が焼け、海の三分の一が血となり、太陽、月、星、昼間の三分の一が光を失い、ついには人類の三分の一が殺される」と言う大きな「わざわい」が、それ程遠くない将来にこの地球上に本当に起こるのです。その兆候は既に至る所で見え始めています。

いよいよ黙示録の預言のことばが現実のものとなる時が来ました。「見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」(黙示22:7)「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。」(同22:10)と言う主の再三の警告に真剣に傾聴する時です。アメリカでは一昨年来マイク・ビクル、GodTVのローリイ&ウエンディー・アレックを始めとする多くの預言的な人たちによって黙示録が真剣に見直されて来ており、今ではその御言葉を目前に逼迫する現実のものとして多くの人が真剣に祈り始めています。

多くのクリスチャンは、前述した大患難の前に携挙されるので自分たちは患難を通らない、関係ないと(これをプリ・トレビレーション説と呼びます)高をくくっていますが、本当にそうでしょうか。
人間はなまじっかの試練・災難では本当に「神のみに頼る」「主に従う」ことに徹底出来ないか、又はしようとしないのです。口では「神に頼る・委ねる」と言いながら、何でもつい自分の考えとやり方でやってしまう癖(罪の性質)があまりにもつき過ぎているのです。

私たちキリストの花嫁を主は「ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせる」(エペソ5:27)というご計画であるのです。それが「キリストのからだ」である「教会」と言う大きな規模で達成されるためには、本当に世界中が火の中を通る程の患難を経験しなければならないことは想像に難くないではありませんか。人間から「罪を洗いきよめる」とは本当に至難の業です。死を通るに等しいのです。
しかし、私たちクリスチャンは死を恐れる必要は全くありません。(既に主のために死んでいるはずなのですから。)たとえ殺されたとしても、主のために死ぬことは「栄光ある殉死者」として、天の御座の前で昼も夜も神に仕える最高の特権が与えられるのです。(黙示録7:9、13-17参照)

神がこの地球を造られ、私たちをここに送って来られたのは、元々私たちを神の子にする訓練を施すためでありました。ですから、罪と悪に染まった地球をほとんど全壊に帰するとしても、神にとっては目的のための予定の行動であるに過ぎません。こうして大患難はクリスチャンに徹底的な訓練を与える目的のために計画されたものであり、同時に神を愛さない者への最終的なさばきの宣告となるのです。そして主に忠誠を通して生き残り「打ち勝った」「揺り動かされるものがなくなった」クリスチャンは、主が地球に再臨される直前に天に掲挙されて空中で主と対面します。(1テサロニケ4:16,17)そして、再び主と共に地上にもどった後に、主の千年の御国を築くのです。

4.今年は「神のすばらしさを味見み出来る、恵みを見る年」

であるとチャック・ピヤースは言います。多くの預言者たちも同じように世の中が最悪の状態になるにもかかわらず、その中で主の回復の恵みが溢れ始める年になると喜び期待しています。何故でしょうか。
それは世の中が芯から揺り動かされ、真っ暗な闇夜になればなる程、クリスチャンを通して神の栄光が輝き始めるからです。この世の経済が崩壊する時、いよいよ「教会」が社会を助ける時が来たと、ジョイナーは大いなる期待と希望を掲げます。

今年からそのような神のご計画がいかに栄光に満ちたものであるか、神ご自身の愛の大きさ、あわれみの深さ、恵みのすばらしさ、そして超自然の信仰が生み出す奇跡の御業を私たちが味見し始めるのです。そして患難時代には超自然の奇跡が日常茶飯事として起こり、大いなる神の力と恵みを見ます。 

私たちはこれから暗闇の中で激しく練られるでしょう。しかし、それを通して多くのシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが現われます。そのためにも、今こそ私たちは「あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。」(黙示録2:4,5)とエペソの教会の御使いに主が言われたことを思い起こし、悔い改める必要があると信じます。初めの愛とは、父との交わりを指します。主との親密な関係に入ることです。私たちが主に心から従って生きる者となる時、主は私たちを大きく用いてこの世の政治・経済を御国のものに変革し始めるでしょう。そのことのために主イエスは天の父に次のように祈られました。

「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。……」(ヨハネ17:15-21)

私たちを聖別することがまさに神の真理です。イエスは私たちの罪を着て、私たちを聖別するために十字架につかれました。そして私たちに「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マルコ8:34)とはっきりと言われました。
わたしは道であり」と言われたその「道」とは「自分の十字架を負ってイエスについてゆく」道以外の道ではないことがこれでよく分かります。

2009年は私たちクリスチャンが真に変えられ(トランスフォーム)、「聖め別たれる」プロセスが進められる年であると信じます。そのためにはもう一度クリスチャンのクリスチャンたる基本に還って、自分の十字架をかついで主の後を毎日着いて行く生活に改めて入ろうではありませんか。主に生きていただくために自分に死ななければ、イエスの御声は聞こえてきません。御声が聞こえなければ、主に完全に従うことは出来ません。

最後の時代に生きる私たちに、大きな期待を寄せる私たちの大先輩使徒ペテロは次のように励ましてくれています。

「主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。 そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」(2ペテロ3:10―14)

私は、今年の初めからでしょうか、人を赦し、愛することが今までになく出来そうな気持ちを主が与えて下さっているように思えてなりません。今年こそは人を赦し、より愛の豊かな人間になりたいと言う思いになっております。 私のような愛と情に薄い者にでさえ、主は今「もっと神を愛し、人を愛せる」特別の恵み(力)を与えて下さっていることをひしひしと感じ感謝に堪えません。

私たちは、今世の中に大変なことが起こり始めていることの意味、これから起こることの意味とその真理を今こそしっかりと理解しなければならないと思います。真理の知識を持たない者は滅ぼされます。しかし真理をわきまえた思慮深い人々は、大空の輝きのように輝きます。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-03-05 07:29 | 坂達也からの今月のメッセージ

新大統領バラク・オバマとジョージ・ブッシュ  坂 達也  1月21日

新大統領バラク・オバマとジョージ・ブッシュ

本日アメリカの44代大統領にバラク・オバマ氏が就任しました。黒人で初の大統領に選ばれると言う、アメリカにとっては歴史的な日です。
 私はオバマ新大統領が、アブラハム・リンカーン大統領を彼の大統領職の模範として尊敬していることに大変興味を覚えます。その一つの顕れは、リンカーンに見習ってオバマ氏が選挙の宿敵であったクリントン夫人を内閣に迎え、共和党の対抗馬であった経験豊富なマッケイン氏にも謙虚に意見を乞うべく既に新しい親密な関係に入り、又一人の有能な共和党の現職大臣をそのまま民主党内閣に留まってもらうと言う超党派で適材適所の人事を進めていることにあります。

リンカーン大統領は能力のある人材のためなら、自らの個人的感情と意見を犠牲にしても起用し、奴隷解放、国が割れての南北戦争と言う国家的危機を、正義と真実を貫くことによって救ったクリスチャン政治家として知られています。
まさに今、アメリカの経済が80年来最悪の非常事態に陥った最中に就任したオバマ大統領が、敬虔なクリスチャンとして極度の苦労を耐え抜いたリンカーン大統領の信念と叡智に見習おうとしていることは、彼に大きな期待を寄せるアメリカ国民、特に私たちクリスチャンに大きな希望の光を与えてくれるものと信じます。ぜひ彼の為にお祈り下さる様お願いいたします。

さて、オバマ新大統領の歴史的就任式については、既に世界の報道陣が大きく取り扱っておりますから私が何も申し上げる必要はありませんが、本日の就任式の実況をテレビで見ながら少なからぬ感銘を受けたのは、新大統領にバトンを渡してワシントンを静かに飛び立って、故郷のテキサス州に帰ったジョージ・ブッシュ前大統領夫妻についてです。

五日ほど前にブッシュ大統領は、ホワイトハウスで約200人と言う少ない関係者を前にして13分間の短い最後のお別れ演説をしました。その中で彼は「この八年間で色々な難局を迎えた時、私はその都度自分が最も正しいと信じた決断をした。それが確かにセット・バックになったこともあった。そのような私の決定は皆さんが賛成しないことも多くあったでしょう。しかし、少なくとも私は非常に難しい決断を誠意を以って国民のベスト・インテレストのために果敢に決意し、それを実行して来た。私は、アメリカ国民が少なくとも私を自分の信条(道義)に常に忠実であった者として記憶されることを願っている。」と言うことを話しました。

彼が忠実であったと言う信条とは、クリスチャンの信条(プリンシプルズ)です。ですから彼は、自分が最も人気の無い(支持率最低時22%)大統領の一人であったことを重々承知の上で、しかし全く悪びれずに、最後の機会に堂々と自分のしたことを擁護し、8年間の国民の支持に心から感謝の意を表したのです。短い彼の演説には、彼がクリスチャンであることがにじみ出ていました。それは格調の高い心の温まる、むしろ、すがすがしいものでありました。(この演説直後の世論調査では22%が36%に回復)それが今日の新大統領の就任式を通しての彼の応対にも出ておりました。彼のしたことは受け入れない人でも、彼の誠実でフレンドリーな人となりを評価する人は少なからずおります。

ローラ・ブッシュ夫人が大分前にインタビューを受けた時、世間からこれだけ非難を受け、人気が落ちると言う試練を受けてそれに耐えられるか、と言う質問に対し、「自分たちはしっかりしています。二人とも十分に耐えられる強い人間です。」とにこやかに語ったことを憶えています。言葉には表しませんが、彼女の態度には、神の御心を行っていると信じる者にしかない、主に守られている強い信仰と平安が感じられました。

ブッシュ大統領の不人気の最大の原因は、言うまでも無くアフガニスタン、特にイラク戦争を世界の反対を押し切って強行したことにあります。その結果世界中からくそみそに言われ、それ以来、これは真に乱暴なたとえで申し訳ありませんが、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」で、ブッシュのやることなすこと総て感情的に「憎い」ことになってしまいました。

ブッシュ大統領の真の評価については歴史を待つしかない訳ですが、私はイラク戦争が主の御心であったか、なかったかについては、その判断をクリスチャンである皆様がしていただきたいと思います。但しその前に、下記の記事を(もう一度)お読みいただくことをお勧めします。
(この記事は昨年のイースターに当ブログの「世界のニュース」に掲載したもの)

「イスラム圏に今起っていること」

 ジョエル・C・ローゼンバーグ 2008年イースター更新

(2008年3月24日ワシントンDC)-「私は教会を建てます、そして地獄の門もその教会には打ち勝つことはできないでしょう」とイエスは言われました。(マタイ16:18)

この週末の時事問題に詳しい「ドラッジ・レポート」のトップ記事は、イスラム教からカトリックに改宗した著名なエジプト人の作家に、教皇が洗礼を授けたことでした。 そしてこの記事には、トップ扱いになる理由が充分あったのです。 これはイタリアやイスラムの世界ではとてつもなく大きな話題、特にオサマ・ビン・ラディンが、教皇はイスラムに十字軍を仕掛けていると非難した、その週にこの記事が出て来たのです。 然しながら、この特別な洗礼は、氷山の一角に過ぎません。


2001年9月11日以降、報道機関がアフガニスタン、イラクそして中東について先例のない程多く報道していますが、本流のメディアではほとんど語られていない、大きな話題がひとつあります。 何十万人ものイスラム教徒が福音的キリスト教に改宗しており、広範囲に及ぶ迫害や、まさに現実味を帯びた死の脅威の渦中にありながら、今年彼らは初めてのイースターを祝うのです。

私はアメリカ合衆国と中東で、36名余のアラビア人とイラン人の牧師と福音教会の指導者にインタビューをした後、2005年にこの話題を 初めてリポートし始めました。 然しながら、この3年間私はイラク、ヨルダン、エジプト、ヨルダン川西岸地区、トルコそしてモロッコを旅する機会に恵まれました。 加えて、私は200人を越えるアラブ人、イラン人、クルド人、スーダン人そしてその他牧師やキリスト教の指導者達に会い、インタビューをする光栄にも与りました。 更に多くの資料を入手することで、その傾向がより鮮明になりつつあり、この話題はさらに私達を興奮させております。

聖書の神は中東で、未曾有の数の男性、女性、そして子供を神の心に引き寄せ、神の家族にその人達を受け入れるために、力強く働かれているのです。 より多くのイスラム教徒がこの30年間に-- 特にこの7〜10年間に-- 人間の歴史に於いて他のどの時代よりも多く、イエス・キリストを信じるようになりました。 昔からのカトリック教会、コプト教会そしてカルディア教会の間でリバイバルが起きています。 今日キリスト教会は、それが生まれたところで、まさに復活しているのです。

最近明らかになった事実について考えてください

アフガニスタン-- 例えばアフガニスタンでは、アルカイーダがアメリカ合衆国を攻撃する以前には、福音派のクリスチャンはたったの17人しかいませんでした。 今日、1万人を優に越えるアフガニスタン人がキリストの信奉者となっており、その数は堅実に増えています。 教会の指導者によれば、アフガニスタンのイスラム教徒は、今までにはなかったほど心を開いて、福音のメッセージを率直に聞いていると言っています。現に毎週数10人もの人が受洗しています。 聖書やその他のキリスト教関係の本が刊行されたり、アフガニスタンに持ち込まれるや否や、人々はそれらをひったくるように手に入れています。 ルカによる福音書に基づいて、キリストの生涯を2時間のドキュメンタリードラマにしたジーザス・フィルムが、ある都市ではテレビにまで放映されましたが、その直後に放映したテレビ局全体が警察に閉鎖されました。 「神はアフガニスタンでとても敏速に動かれるので、私達はただ遅れないように努力するだけなのです」と、あるアフガニスタン人のクリスチャンの労働者が、匿名を条件に話してくれました。 「指導者を養成することが、今いちばん必要とされています。 私達はこれらの新しい信者全員を世話するためには牧師を訓練する必要があります。」

ウズベキスタン-- ウズベキスタンでは、1990年にはキリスト教に改宗したイスラム教徒はいませんでした。 でも今は3万を越える人が改宗しています。

イラク-- 私がイースターの朝に「フォックス&フレンズ」というテレビ番組で話したように、イラクでは、サダム・フセインが全権を掌握した1979年には、キリスト教に改宗するイスラム教徒は、ほんの一握りでした。 然しながら、元々イスラム教であった7万を越えるイラク人が、今日イエスを信じています、そして1990ー91年の第一次湾岸戦争の後、ヨルダンに亡命した約5万人がキリスト教に改宗し、そして別に2万人がサダム・フセインが陥落してからキリスト教に改宗しました。 ジョシュア基金の幹部役員であるジョン・モーザーと私は、イラクの5つの州への9日間の旅から戻ったばかりですが、 私達は福音教会の指導者である19人のイラクの人達にお会いしました。 私はバグダッドからの100人を越える、元々イスラム教徒でイエスを信じるようになった人達の教会で、伝道する光栄に与りました。 そしてその教会は、バグダッドが解放される以前の2002年には存在だにしなかったのです。 そしてまた私達は、キリストに帰依し、今では牧師で教会を新しく作っている、たくさんの元イスラム教聖戦テロリストに会って、インタビューをする光栄に与りました。

カザキスタン-- カザキスタンでは、1991年にソ連が崩壊する以前には、福音派のキリスト教信者は、たったの3人しか知られていませんでした。 今日では1万5千人を越えるカザフ族のクリスチャンがいます。 そして、すべての民族を合わせると、10万人を越えるクリスチャンがいます。

エジプト-- エジプトの教会の指導者によれば、過去10年余の間に100万人を越えるエジプト人がキリストを信じるようになりました。 エジプト聖書協会の人たちが言うには、1990年代初頭には年間およそ3000本のジーザス・フィルムを販売していたものが、2005年には60万本を販売し、加えて(アラビア語の)テープに収められた聖書のコピーを75万本とアラビア語の新約聖書をおよそ50万部販売したそうです。 「エジプト人は神の御言葉に益々渇望しています」と、エジプトのクリスチャンの指導者は私に言いました。 昨年のクリスマスに、私は中東で最大のキリスト教の集まりを訪れる光栄に与りました。 そしてそれはカイロ郊外のとてつもなく大きい洞窟で行なわれました。 1万人余の信者が毎週末にそこで礼拝をしています。 2005年5月に開催された祈祷の会議には、2万人余の信者が集まりました。

イラン-- アヤトーラ・ホメイニがイスラム革命を指揮した1979年には、イスラム教徒でキリスト教に改宗したのは、たったの500人程度しか知られていませんでした。 今日、イランの牧師や教会の指導者24人にインタビューしたことで、百万人を優に越えるイスラム教シーア派の信者が、キリスト教に改宗したことが明かになっています。

スーダン-- 酷い内戦、大量虐殺そして広範囲に及ぶ宗教迫害にも拘わらず、特にダルフール地区では-- あるいはこのような惨事あったからこそ-- 教会の指導者は、2001年からだけでも百万人を越えるスーダン人がイエス・キリストに従うことを決心したと教えてくれます。 1990年初頭から、5百万人を越えるスーダン人がイエス様の信奉者になりました。 とても必要とされている新しい牧師を教育するために、神学校の授業が山にある洞窟で行なわれています。 何百もの教会が建てられ、何千もの小さな聖書勉強会が、国中で人目に付かないように隠れて行なわれています。

2001年12月に、サウジアラビア人の指導的立場にある聖職者で、族長アーマド・アル・カタアニはアルジャジーラ衛生テレビのインタビューに生出演しましたが、果たして彼は、驚くべき数でイスラム教徒がイエスに改宗しているとはっきり言いました。 「1時間毎に667人のイスラム教徒がキリスト教に改宗している。 毎日1万6千人のイスラム教徒がキリスト教に改宗している。 毎年6百万人のイスラム教徒がキリスト教に改宗している。」とアル・カタアニ師は警告しました。 インタビュアーは大いに驚いて、彼を遮りました。 「ちょっと待ってください! はっきりさせてください。 6百万もの人がイスラム教からキリスト教に改宗しているのですか?」 アル・カタアニ師は自分の所説を繰り返しました。 「毎年」とその牧師は確認してから、さらに「悲劇は起きたのです」と付言したのです。

最も劇的に進展したことのひとつは、中東においてくまなく、そしてアメリカ合衆国に於いてさえも、多くのイスラム教徒がイエスの夢や幻を見ていることです。 彼らは教会にやってきて、「もう既に改宗したので聖書とイエス様にどのように従うか、その導きが必要です」と説明します。 これは聖書の預言が実現されたのです。 ヘブル人の預言者ヨエルは私達に「最後の日々には、私はすべての人に私の霊を注ぎます。 あなたの息子や娘は預言をし、老人は夢を見て、若者は幻を見ます。 奴隷となっている男女にも、最後の日々には霊を注ぎます…そして主の御名を呼ぶものは、皆救われます」(ヨエル書2:28ー32)

拙著「震源地:中東で今起っている政治変動が何故あなたの将来を変えるのか」で、私はこの劇的な傾向と、何故イスラム教徒が今記録的な数で改宗しているのかについて一章全部を充てて説明しました。 私は今、「革命の内幕」というタイトルの、ノンフィクションの本とドキュメンタリー映画を2009年のイースターの頃に公開する予定で、作業に取りかかっています。 この本や映画では、この主題についてかなり詳細に記すつもりです。 そこでは、現代の新しい使徒パウロになった元イスラム教のテロリストたち-- 彼らは狂信的殺人鬼であったのが、イエス・キリストの幻を見て、今は牧師となり、福音伝道者であり、教会を建てる人であり、力強いキリスト教の指導者に変えられた人々を、一人称の物語形式で説明しております。 この主題に関して私がとても推奨する本としては、ブラザーアンドリューとアル・ジャンセンの共著である「ライト・フォース:中東の十字砲火を浴びた教会の感動的な話」と「隠れた信者:イスラム教徒がキリストを信じる時何が起きるか」があります。

これらの改宗したイスラム教徒にとって、人生は安楽なものでしょうか? とんでもありません。 彼らは自分の家族から爪弾きにされるのです。 彼らは地域社会からの迫害に会います。 彼らは雇い主から解雇されます。 彼らは政府により投獄の目に会います。 彼らはイスラム教過激派の手によって拷問されたり殺害されたりもします。 然しながら、彼らはどんな方法にせよキリストのもとに来るのです。 彼らはイエスが、実際に「道」であり、「真理」であり、そして「生命」であることに確信を持つようになり、そして十字架上でのイエスの死と、死からの力強い復活を信じること以外には、誰も天国で父なる神のもとに行くことはないと、確信を持ちつつあるのです。(上記記事の終わり)

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 今アラブ・イスラム圏で何が起こっているかが、このリポートでよくお分かりになったことと思います。このことは一般のメデイヤでは全く報道されていません。
このようなリバイバルが起こっていることと、アメリカのイラク攻撃によって、イラク国民をフセイン大統領の弾圧的専制政治から開放したこととが全く無関係であったとは私にはどうしても思えないのです。9/11を中心としたビン・ラデイン等によるテロ事件と、それに対して断固として対抗して来たアメリカの反撃も無関係ではないと思います。そのような事件が一般のアラブ市民に与える心理的影響は、福音と言う立場から見れば大変大きいものであると思うのは私だけでしょうか。もし私の思うことが正しいとすれば、イラク攻撃が神のご計画の一部であったと言うことになります。

もしそうであれば、敬虔なクリスチャン大統領であるジョージ・ブッシュを神が敢えて用いられたことになります。しかも、クリスチャンではない人たちにとっては福音と言う目的は全く理解出来ないことですから、ブッシュ大統領は多大な犠牲を強要させた責任を問われても、この世的には彼のしたことは理解されることなく、まして彼の功績となるはずはありません。
しかしながら、クリスチャンとして彼は、その「この世的な不名誉」を甘んじて受けたのかも分かりません。そのことはいつか、少なくともクリスチャンにだけは、彼がどこまで神に忠実なしもべであったかが明らかにされる時が来るのではないでしょうか。

私は、神がこれから豊かに彼とその家族を祝福することを祈り、同じクリスチャンの兄弟として「ご苦労様でした。」と申し上げたいのです。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-01-21 17:51 | 坂達也からの今月のメッセージ