カテゴリ:坂達也からの今月のメッセージ( 69 )

緊急!ヘンリー・グルーバー師夫人のためのお祈りのお願いです。

緊急のお祈りのお願いです。

只今ヘンリー・グルーバー師の奥様であるジュデイス夫人がアイオワの自宅で、心臓疾患が原因で、息切れが激しく非常に苦しい状態にあります。この状態が既に数日続いておりますが、食事も水分もあまり取れなくなっており、身体全体が腫れ上って、極度に弱っております。

ヘンリー師はミニストリー旅行中でしたが大急ぎで昨日帰宅し、今は他の家族の人たちと共に夫人に付添っておりますが、周りの方の懇願を押し切って、グルーバー師夫妻は一切の医療に頼らず、只信仰により主の力にのみ頼ることで完全に一致しております。
娘さんの情報によれば、身体が弱るにつれ、それがジュデイス夫人の信仰にも影響し始めていることを心配しております。この困難を乗り越えるために、ぜひ皆様の信仰とお祈りで彼女を支えていただきたくお願い申し上げます。

先ずは取り急ぎご報告とお願いとさせていただきます。   坂 達也・柚実子


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by walkwithgod | 2008-06-20 18:07 | 坂達也からの今月のメッセージ

聖霊による新しい力を得るには  坂 達也   6月9日

聖霊による新しい力を得るには 
―2008年のペンテコステの日曜日に際して―


イエスがヨルダン川でヨハネからバプテズマを受けた時、天が開いて聖霊がイエスの上に下りました。イエスはこの地上での御国を打ち立てるミニストリーを始めるに先立って、父が聖霊を送って下さることによって力を得られました。

イエスが昇天された後、使徒を含む120人が心を一つとして、アパー・ルームに集まって熱心に主を待ち望みました。そしてペンテコステの日に聖霊が下り、キリストの弟子たちは大いなる聖霊の力を得ました。その使徒たちを通して、ものすごいリバイバルが起きたのです。
又、このペンテコステの日に事実上、御国の教会が誕生したと言うことが出来ます。

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒行伝1:8)
それ以来二千年間、主は地域と時に応じて、聖霊の力を私たち教会に下され、それによって世界中にリバイバルが起きました。  

今フロリダ州レイクランドの一教会の集会(タッド・ベントレー師による)から端を発した「いやしのアウトポアリング」(噴出、発露)は、サウス・カロライナ州のリック・ジョイナー師のモーニングスター・ミニストリーを始め、世界中に飛び火しつつあり、私の知っている限り、オレゴン州でもこのハワイにもその火が燃え始めました。これは明らかに、神が聖霊を下されることによって起こるリバイバルの前触れと言って差支えないと思います。

私たち世界中に散在する、力のない弱い教会は、今こそ聖霊が下って得られる力、第二、第三のペンテコステを必要としているのではないでしょうか。
もし、レイクランドに起りつつあるリバイバルが、世界に広がることを主が初めから意図されているとすれば、多くの人が「私もそれに参加したい」、「どうしても火を持ち帰りたい」「乗り遅れるべきではない」と言う思い(一見人間的な感情のようですが)を持つのは、あるいは主のご計画であるのかもしれません。
総てのことは主がなさっておられるのですから、本当に主から示されたと信じる人は、ぜひ信仰を持って燃える火元を訪ねて下さい。ついては、私はそのような人が真の火付け役、真の聖火を運ぶ人になるために、次のことを申し上げたいと思います。

それは、この「リバイバル的な出来事」を私たちは単に「現象」として捉えてはならないと言うことです。それでは、どう捉えたらよいのか―それは神が起されるものすごいサイン&ワンダーを、現象としてだけ見るのではなく、それをされているのは誰であるかをはっきり認識し、火を起こされている天の父と御子をもっと近く寄って見つめるということです。これはちょうどモーセが燃えているが燃え尽きない柴を見て、それをもっと見ようと近づいたのと同じです。

エリシャはエリヤに二倍の分け前を要求しました。それに対してエリヤは、私が取り去られる時にあなたが私を見ることができれば、それがかなえられるとエリシャに言いました。(2列王記2:10)その後一台の火の戦車と火の馬が現われ、二人を分けましたが、エリヤはたつまきに乗って天へ上って行きました。
このたつまきと言うのは、ちょうどイスラエルの民をエジプトから荒野へ導いた「雲の柱」と同じで、主の臨在を表しています。タッド・ベントレー師のフロリダでのミニストリーにおいても、そこには毎夜濃厚な主の臨在が満ちていると言われます。
エリシャは、主ご自身が来られてエリヤを天に取られるのを見ていました。戦車と火の馬に目を奪われるかどうかがテストされましたが、エリシャはあくまでエリヤを見つめていたのです。

それはヨハネ14:12でイエスが「…わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。」と言われ、主イエスが父のみもとに昇天されるのを弟子たちが見ていた(使徒1:9)ことに通じると思います。

リバイバルを起されるのは、総て父と子と聖霊による神の救いの御業であることを忘れてはなりません。聖霊が下って主が顕著にご臨在される時、一度に多くの人が倒れたり、震えたりします。そして一度に多くの人がいやされたり、救われたりするのですからマス・プロダクションであり、人間的に見ればこれは確かに顕著な「現象」に見えることは否めません。しかし、実際にはいかなる救いのみ業であっても、あくまで神と人間とのパーソナルな関係においてなされるのであり、個人的に起ることとして捉えなければならないと思います。
神は人間と違い、一度に何百人の人に同時に個人的にお話が出来る方です。その意味でリバイバルはあくまでも個人ベースで起っていると見るべきでありましょう。

十字架についた父の愛、ひいては、実際に肉の形で私たち個人のために死んで下さったイエスの愛は、人間一人一人をとことん個人的に愛する愛です。概念ではありません。父にとって、人間一人一人がかけがえのない、愛して止まない息子であり、娘です。そして、父の愛を受ける人とは、父に「選ばれた人」であるのです。

私は今回の春の日本旅行で色々なメッセージを取り次がせていただきましたが、その中心となるものは天の父の愛についてでした。
父の一人子である小羊イエスが、私たちのために約二千年前に十字架でほふられたことはクリスチャンなら誰でも知っている事実ですが、その前に有史以前から、天の父ご自身が「ほふられた小羊(父)」であることを黙示録13:9「地に住むも者で、世の初めからほふられた小羊…」(新改訳*別訳、英語欣定訳等)と言う聖句から説き起こしました。
何故なら、「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができない、父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。」(ヨハネ5:19)と書かれてあるからです。御子は父が「十字架にかかった小羊」そのものであることを見て知っていたからご自身も同じようにされたのです。

「先ず自分に死ぬ」と言う十字架にかかった父の愛(の御性質)こそが、総ての宇宙の創造の原動力となりました。父は総てを子のため、私たちのために、とてつもなく大きく、とてつもなくすばらしい宇宙(究極の天国・パラダイス)を創られたのです。

私たちがその燃えるような父の愛のリバイバルの火を運ぶ人(今回のリバイバルだけでなく、将来においても)であるならば、その人が先ず聖霊に触れられてキリストに似た愛の人に変えられる必要があり、神はその人を圧倒的な聖霊の臨在の中で取り扱われ変えられると思います。

その意味において、火を運ぶ人にとって気をつけねばならないことは、あくまでその人は「へりくだる人」でなければならないことです。リバイバルが起っている現場に行けば、その人は濃厚なご臨在の中で、神から大きな聖霊の「油注ぎ」を受けます。
確かに私たちは何をするにも神からの油注ぎが必要です。この油注ぎは主の命令を実行するための特別の力です。しかし、それ故に持ち帰ったところで火が点くとしても、その燃える火が大きくなるにつれ、自分にそのような特別の力「能力」があると受け取ってしまう危険性があることです。それがプライドとなった時に過去において多くのリバイバルは止まりました。リバイバルが起ったところでは、往々にしてそれが終わったあとの状態は、リバイバルの前よりも悪くなると言われます。

主の元で主に従って働く私たちには、重ねて言いますが、絶対に「へりくだり」が必要です。それは父の十字架の愛を運ぶ私たちが、イエスがされたように、先ず自分自身を十字架につけなければならないことを意味します。

主のいやしは、リバイバルの時でなくても身の回りで多く起こっています。又、過去においては多くの場合、いやしの賜物をいただいた人を通して起されました。しかし、イエスに育てられた使徒たちがあれだけのいやしの器になれたのは、彼らが単にその賜物をいただいたからではないと思います。彼らの内に愛が成熟し、イエスに似た者となって十字架の愛と憐れみの心を持つようになったから、彼らは永続的に人を癒す器として用いられたのであると思います。

私もこの二、三年、日本の教会を廻るに際して、何とか癒しが起ることを願って主に祈り続けて来ました。それはいやしの賜物を下さいという祈りからではありませんでした。私たちが「キリストの弟子」として成熟するにつれ、主の愛の力の発露の管として主が用いて下さる「弟子」になりたいからです。今回の旅行でも各地で信仰によって癒しを祈り、信仰で確かにいやされたと信じ、その確信をもって今でも感謝し続けております。

そこでペンテコステの時のように圧倒的な聖霊の力が下る条件とも言うべきものは何であるかを考えてみたいと思います。

イエスが地上での宣教を開始された時、イエスはあくまでも父の全き御心のみを行う決意をされておりました。もう一度その御言葉を引用します。「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができない、父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。」(ヨハネ5:19)そして、総てにおいて父を見上げ、父の指示を待ちました。そのイエスの上に目に見える形で圧倒的な聖霊が下りました。
そして、使徒の時代のペンテコステの日に、主だけを待ち望む使徒たちの上に大いなる聖霊の炎が下りました。

イエスが弟子に教えられたことも、極論を言えば、この「愛する父に忠実な者となること」だけであったと言えます。
聖書は初めから終わりまで「神の御声に聞き従う」という忠実性を要求しております。そのためには私たちは主を見上げ、主の指示を待たねばなりません。自分のアイデアとか考えで事を運んではならないのです。
それが「日毎に自分の十字架を担ぐ」あるいは「自分に死ぬ」ことの意味であり、キリストの真の弟子であるクリスチャンとは「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)を実行する者になることです。

そのような主に個人的に飢え乾き、待ち望む人を今主は真剣に求めておられます。これがペンテコステの聖霊が下る条件であると信じます。

それ故に、主を見上げ主の御心を行うことだけを願って止まない人の上には、必ず個人的に、あるいはリバイバルと言う形を通して、これからは波状的に聖霊の大いなる「油注ぎ」が下ると信じます。何故なら主の忠実な働き手が「父のビジネス」を実行するには、その特別な「圧倒的油注ぎ」が絶対に必要であり、今こそ働き手を必要とする、大いなる最後の収穫の時が迫っているからです。

私は今アメリカを中心に起り始めているリバイバルの前触れが、その昔使徒たちの上に下ったような激しい聖霊のアウトポアリングに発展するかどうかはまだ分かりません。しかし、必ず来ます。何度も何度も段々激しくなって、最後の頂点では今までのリバイバルをはるかに越えた「聖霊の圧倒的働きの時代」になると信じます。

よみがえりの主が昇天するのを見た使徒たちのように、私たちも霊的に主を見ることが出来ます。今こそ、彼らのように主を見上げ、主を熱心に待ち望もうではありませんか。(終わり)

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by walkwithgod | 2008-06-09 11:26 | 坂達也からの今月のメッセージ

フロリダ州レイクランドでのタッド・ベントレー師の癒しの集会について  坂 達也 6月4日

フロリダ州レイクランドでのタッド・ベントレー師の癒しの集会について

大阪堺市鳳の関西ハレルヤチャーチ小山良子先生より下記のすばらしいコメントが寄せられましたのでぜひ皆様にお分かちしたいと思います。

『 坂先生のHPに記載された「フロリダ州レイクランドにあるイグナイテッド・チャーチ(千人収容)で始まったタッド・ベントリー師による癒しのミニストリー集会」・・4月よりゴッド・TVでライヴ映像が流されていましたので注目していました。やはりそうでしたか!主は素晴らしいですね! ……

私もゴッド・TVを観ながら、主がなせる御業に感激し、興奮し、感動しておりました。ベントリー師は御霊の導きに委ねてミニストリーを行われますが、実は、野外でもたれたある日の集会のことが私の心に残っています。その集会は会場全体を包み込むような、それまで以上の深いご臨在で満ち満ちました。いつものようにベントリー師はステージの中央に出てこられたのですが、そのままメッセージも語れず、癒しのミニストリーも始めることができませんでした。幾度も涙をぬぐいながらそのまま更に深いワーシップへと導かれたのです。この日の癒しは格別なものとなりました。主が喜んで訪れて下さったのですから当然のことかもしれません。

あのとき確かにベントリー師はステージ中央に立っておられましたが、その姿勢はミニスターとしてではなく、一人の神を愛する礼拝者としての姿でした。ただひたすら主の御前で礼拝を捧げ続けておられたのです。それは作り上げられたものではなく、ベントリー師の主に対する信仰の姿勢が、そのまま壇上で表されたものだと思います。

ベントリー師のミニストリーには人を魅了するような作り上げたパフォーマンスも、見せ掛けのかっこよさも見つけることはできません。そこにあるのは御霊がキリストを求める人々の上に力強くご自身を現され、主の御業を御言葉通りに成就しておられるという現実だけです。新約聖書「使徒の働き」に、また次の1ページを書き綴っているような気持ちになりました。私は英語が全くできないので残念ですが、それでも霊的にひきつけられ、会場の一員のようになってネットですが集会に参加させていただいています(笑)。主の栄光ある働きを目にできることは大きな喜びであり、次は必ず日本だ!という希望ある信仰に立たされます。ハレルヤ!……』(終わり)


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by walkwithgod | 2008-06-04 02:13 | 坂達也からの今月のメッセージ

春の日本旅行から帰って  坂 達也   6月3日2008年

春の日本旅行から帰って

今は日本においても「なまぬるい」「通常の」「平穏無事」という時代が終わりつつあることを強く感じました。力のない時代、2テモテ3:5でパウロが言っているような「形だけ敬虔(神のようであること)を装いながら、その実、力がない」時代はいよいよ終わらんとしております。

世の中はますます悪くなって来ました。悪魔があがき始めていることがよく分かります。しかし、「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。」(ロマ5:20)とあるように、一方で聖霊がますます顕著に働き始めておられます。

これからは取り残される人、悪魔につかまる人が多く出てくる中で、主を激しく求め、激しく神を愛する者だけが、主を見つけ、主と共に前進する時代が来ております。

聖霊にプロボーク(挑発・刺激)され、聖霊の力によってのみ働く「力の時代」に入る兆候を見ました。クリスチャンが輝き始めたのです。今、見るだけでノン・クリスチャンとはっきり違うことがわかるクリスチャンが出て来ています。

主は今日本に大きく働かれ始めておられることを、各地でひしひしと感じました。多くの方に神が「個人的に」「深く」触れられておられ、神がいかにパーソナルな愛の方であるかがよくわかります。そのような主に今、個人的に飢え乾き、ただただ、ひたすらに主を求める大勢の人たちと今回遭遇しました。これ程励まされたことはありません。

 ある教会をお訪ねすると、教会全体に「赦し、和解、一致」という聖霊の働きが充満しておりました。牧師ご夫妻自らが、先ず夫婦間においてこれを実行し、教会にその模範を示されました。それから端を発し、今は教会全体が輝いて聖霊に満たされていました。主が本当に喜ばれていることが分かりました。真の「へりくだり」がその町にリバイバルを呼び起こしつつあることを見ました。

又、ある教会では二年前に始めたチャーチ・スクールでどうしようもなく悪い子どもであった生徒が二年後に見事に変えられていました。教会のお母様方の愛の奉仕が子どもたちを変えたのです。そして、その変えられて行く子どもたちを見て、教会全体が励まされ、生き生きとした姿に変えられて行くのを今回目の当たりに見て感動しました。

授業後の学童保育をしておられるある教会では、小学生の子どもたちが、思い切って厳しくしつけられ、徹底してマナーを教えられていました。しかし子どもたちは驚くほど素直に言うことを聞くのです。そして満足し、はつらつとしていました。子どもは愛のない家庭で自由に野放しにされたら、どうしていいのか分からないことがこれでよく理解できます。
子どもは愛をもって厳しくしつけるのが本来の聖書的なやり方であることを再認識出来て、本当に恵まれました。今、日本中の子どもたちは真の愛に飢えています。教会にとっては又とないチャンスです。又、増え続ける老人たちを霊的な「姥捨て山」状態に放置してはならないと強く思わされました。

さて、こちらに帰ってからの祈りの中で、これからは、今まで無かったことがどんどん起ることが示されております。異常気象、地震、災害。日本にも大きな地震が起きるでしょう。鳥インフルエンザも近づいて来ました。

私たちは「終末」の敷居をまたぎ、いよいよその「予定表」のうちに入ったのです。ポイント・オブ・ノーリターンの時点が近づいて来ています。
しかし、このような災害の時こそ、主の恵みが大きく現われる時であり、クリスチャンが働くかけがえのないチャンスです。待ちに待った、クリスチャンが光り輝く時が来ました。日本の教会に期待します。お祈りしております。(終わり) 
     

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by walkwithgod | 2008-06-03 14:22 | 坂達也からの今月のメッセージ

特報: フロリダ州レイクランドで起っている癒しのリバイバル

フロリダ州レイクランドで起っている癒しのリバイバル

 4月2日からフロリダ州レイクランドにあるイグナイテッド・チャーチ(千人収容)で始まったタッド・ベントリー師による癒しのミニストリー集会は、全く予期しないほど膨れ上がり、今では7千人収容できる会場を使ったり、このリバイバル集会のために新たに一万人収容のエアコン付テント会場が飛行場の近くに設置されたそうです。今までに推計14万が集まり、世界40カ国から既に人々が訪れています。
このミニストリーは今全米で注目を浴びており、最近NBCニュースでも報道されました。その様子はGodTVで毎日報道されています。

 ベントレー師はこのリバイバルの特徴は、集会に来た人が主からの栄光の油注ぎを受けて持ち帰ると、主のいやしを世界のどこででも行うことができることであると言っております。イギリスから来たある牧師が本国に帰って集会を開き、最初の夜に100人が癒され、集会は今でも続行されているそうです。
又、集会に来た二人の学生が持ち帰り、リック・ジョイナー師のモーニング・スター・ミニストリーへも飛び火しました。ジョイナー師もめざましいこのリバイバルの働きは真に神の御業であると認めております。
今は全米各地で飛び火した癒しの集会が行われており、このホノルルでもディーン・フジシマ師のラウリマ・ミニストリーにより土曜日を除く毎夜集会が持たれています。

詳しくは又報告しますが、その様子はhighlights@god.tvとか、Sid Roth師のサイト
http://www.sidroth.org を開いてその中のSid’s interview with Todd Bentley<<
を見て下さい。取り急ぎご報告します。  坂 達也


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by walkwithgod | 2008-06-03 06:05 | 坂達也からの今月のメッセージ

世の終わりに良い麦と毒麦が分けられる 坂 達也 2月24日

世の終わりに良い麦と毒麦が分けられる


1コリント4:5「だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。」

 最近、私の最初の本である「主を見つめて待つ」の在庫がいよいよ底をついたので、この本の増版を準備することを思わされております。その際に本文で何か変更する部分があるかどうかを調べる意味もあって、もう一度久し振りに読み返してみました。

 そして、一つだけ気になったことがありました。それは三章の「天の御国」で、マタイ13:3-9に出てくる「種蒔きの話」を引用し、「神を信じると告白した人には四つのタイプがあること」を紹介しました。それに続いて、次の「良い麦と毒麦」という副題の中で、別のたとえ話である毒麦(マタイ13:25-30)のたとえにおいて、上記の四つのタイプのうちどれが当てはまるのかを考えてみました。そして最初の三つ、すなわち、「道端に蒔かれる=一旦は信じるが、直ぐ悪魔が来てその種が取り去られる人」「岩地に落ちた=聞いてすぐ信じ喜ぶが、困難や迫害が起るとつまずく人」「いばらの中に落ちた=確かに信じるがこの世のことや富に気を取られ、真の霊の実が結ばない人」がそれに相当する毒麦ではないかという疑問を投げ掛け、とどのつまり、良い麦とは四番目のタイプの人「良い地に落ちた=信じて霊的に悟り、三十、六十、百倍に霊的成長の実を得る人」だけであるという提案をしました。

 今回読み返してみて、私は、これは少々言い過ぎであったかもしれないという疑念に駆られたのです。そして、言い方をやわらかくする、つまりもっと“あいまい”にした方が良い、そのためにはどのように変えるか、その下書きまで書いてみたのですが、同時にこの本は私が書いた本であっても私が書いた本ではない、聖霊様が私を通して書かれたのである以上、聖霊様に聞く必要があることに気がつかされました。そして祈りました。

 その結果、約二週間後に主は次のような答えをクリスティーン・ビーズウォースという方のメッセージを通して下さったので、それをお分かちさせていただきたいと思います。

 ビーズウォースさんは、これから終末に向かって毒麦が良麦から分けられると同じように、闇が光から、偽物が本物から分けられる時代に入っていると言います。これは聖書を通しての神のご計画であり、その型は旧約聖書に見ることができると指摘します。
 
その一つはルツ記に出てくるモアブの女ルツとオルパという二人の嫁の対比です。夫と共にききんのためベツレヘムからモアブに移って来たナオミは、夫に死に別れた後に二人の息子がそれぞれモアブ人の娘を嫁に迎え10年を過ごしましたが、やがてその二人の息子も死んで、未亡人が三人残されました。そこでナオミはユダの地に帰る決心をし、二人の嫁にモアブの母親のところに戻るように強く勧めたところ、オルパはやっと泣き泣きナオミの言うことに同意して去って行きました。しかし、ルツはどうしても姑の後をついて行くといって聞きません。その時ナオミはルツに「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」(ルツ記1:15)

 これに対してルツは「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」(16,17節)と答えました。

 なるほど、この異邦人の女である二人はユダヤ人と結婚して10年間本当の神を知り、言ってみればクリスチャンになったと言う事が出来ます。(私たちの立場と似ています。)しかし、事変が起きた時に、真の神を信じる者としてその神のいる国(御国)に留まるか、元の異邦人(この世)の神に戻るか、この二人はそれぞれ10年間の信仰の試練を受けた後に、その真の本心があらわにされたのでした。神は秘めた心の奥を見ておられ、神に懸命にしがみつく人のみが最後に御国に入ることが暗示されています。

 主は十二人の弟子たちにも聞かれました。「あなたがたも離れて行きたいか」 シモン・ペトロがそれに答えて「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」と言ったことが思い起こされます。(ヨハネ6:67-69)
 
しかし、毒麦と良麦を分けることに関して、旧約聖書にはもっと厳粛な教訓を見ることが出来ます。その代表的なものはヨシュア記です。

ヨシュアに率いられたイスラエルの民は、ヨルダン川を渡って約束の地に入ることをゆるされた精鋭のクリスチャンばかりであったはずです。その約束の地にはカナン人、ヘテ人、ヒビ人等七つの屈強な異邦人が生存していました。彼らはその強敵を駆逐して自分の相続地を確立せねばなりませんでした。
 彼らが最初に勝ち取ったのはエリコでしたが、その時神は、この(異邦人の)町とその町の中のすべてのものを主のために聖絶するように命じ、イスラエルの民は聖絶のものに手を出すなと念を押しました。しかし、アカンが聖絶のものに手を出すという罪(この世に対する執着)を犯した結果、次の町アイで早くもイスラエル軍は敵に背を向けて逃亡するという屈辱を味わいました。
 そのアカンに制裁を加え、彼が盗んだものすべてを火で焼くことによって神の怒りは収まり、その後はイスラエルの民の前に主ご自身が闘われることによって異邦人を聖絶する作業は進められました。そしてイスラエルの部族にはそれぞれに安住の相続地が与えられました。

 しかし、ヨシュアはイスラエルの民の中に密かに先祖が川向こう、およびエジプトで仕えた神々を捨て切らないでいる者がいることを知っていたので、「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア24:15)ときびしく民に言い渡しました。

今、ヨシュアなる主イエスは、イスラエル軍なるクリスチャンの精鋭の中にもアカンのような「毒麦」が混生していることを指摘し、それを完全に聖絶することこそクリスチャンが約束の地を勝ち取るための「最後の戦い」であることを示されたのでした。ここにおいて、クリスチャンの心にいかなる「異物」も「偶像」もない、完全にこの世とその神である悪魔との関わりあいを断ち切らねばならないことが示されております。

しかし同時に、「主を捨ててほかの神々につかえるなど、絶対にそんなことはありません。」(16節)と言い張る民の心が、現在の多くの「誠実なクリスチャン」の心と似ていることに気がつきました。自分では相当立派なクリスチャンであると思っている人の心と生活態度の内面を掘り下げてみると、未だ完全に聖化されていない部分、あるいはこの世的に妥協している部分が多く残っていることを、主は知っておられます。

 そこでヨシュアは、再三に渡ってしつこく民を問い質した上で民に言いました。「あなたがたは主に仕えることはできないであろう。主は聖なる神であり、ねたむ神である。あなたがたのそむきも、罪も赦さないからである。もしあなたがたが主を捨てて、外国の神々に仕えるなら、あなたがたをしあわせにして後も、主はもう一度あなたがたにわざわいを下し、あなたがたを滅ぼし尽くす。」(19-20節)これは大変厳しい言葉です。

 しかし、それでも「いいえ。私たちは主に仕えます。」と民は言い続けました。そして最後に「私たちは私たちの神、主に仕え、主の御声に聞き従います。」(24節)と宣言した民に対してヨシュアは改めて神に忠誠を誓う契約を結んだと書かれています。(25節)

 残念ながらイスラエルの民はその後、ヨシュアが言った通りイスラエルの神にのみ忠誠を尽くし切ることは出来ませんでした。しかし、私たちはこのヨシュア記が終末の教会に向けて書かれた警告と教訓であることに早く気がつき、私たちが今こそ、聖なる良麦として成熟し終え、やがて来る主の「聖別」の時に充分にその実を示すことが出来るようになることを改めて決意することが主からのメッセージであると思いました。

天の御国とは良い麦と毒麦が混生して成長することを、主は敢えてゆるされておりますが、その目的は「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」にあると信じます。

 さて、上記の二つの旧約の御言葉から気がつかされた私は「主を見つめて待つ」の第三章はそのままでよいと言う主からのお言葉を受けたように思いました。確かに私の書き方がもう一つ完全ではないことに気がつかされましたが、書いた内容と趣旨そのものは、間違いなく主からのものであったことを再確認させていただいたように思います。

気がついてみますと、主はそのような未熟な器である私を用いて、不完全ながらも主のメッセージを書き記すように私を起用し、当時(四年前でしたが)この本を一気に一ヶ月で書き終えさせて下さったのは(それは私にとって本当に奇跡です)、総て主がされたことであったことを改めて思い起こさせて下さいました。本当に主から有り余る恵みをいただいていることを思い、心から主に感謝申し上げたいと思います。(終わり)
 
 最後に今朝(翌日)与えられた御言葉を追記します。
  「不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。
   キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。
   神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。
   だから、「彼らの間から出て行き、/彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
   そしてわたしは、あなたがたの父となり、/あなたがたは、/わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる 愛する者たちよ。
   わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。」b> (2コリント6:14-18、7:1)


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by walkwithgod | 2008-02-24 14:22 | 坂達也からの今月のメッセージ

鳥インフルエンザについて  坂 達也  2008年1月12日

鳥インフルエンザについて

 昨年12月27日に「アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ」で紹介したリック・ジョイナー師の「備えなさい」というメッセージは、元々「The Judge is comingさばき主がやって来る」という題名の文章の後半だけを訳したものでした。なぜそうしたかと言いますと、前半は主にアメリカに関する内容であったからです。

それは主に昨年秋、アメリカの東南部を襲った旱魃に関するものでしたが、この災害はそれ以前に大きな被害をもたらしたカタリーナ台風(ハリケーン)と同じ地域に起りました。カタリーナ以後、人々はもっぱら水害への対策をしていたところに予想に反して逆の気象現象である「パーフェクトな美しい天気」によって旱魃が襲ったのです。そればかりではなく、アメリカはこの数年来、水害、旱害、竜巻という気象異常による天災と共に各地に地震、山火事による大きな被害が起っていることをジョイナー師は指摘し、その意味について言及したものでありました。師は、この一連の異常気象がもたらした被害はアメリカに対する主からの重要な警告を意味するものであり、アメリカに対して主は「罪に目覚めて悔い改める」ことを要求していると言われます。みことばによれば、洪水以外の雨は主からの祝福であり、旱魃こそがのろいであると師は指摘します。

今のアメリカの教会はちょうどヨナのようであると言います。「神はアメリカの教会に対して明らかになすべき仕事を指示しておられるにもかかわらず、アメリカのクリスチャンは主の言われることを行おうとせず、自分のしたいことをしている。嵐はアメリカと言う船を異教徒(未信者の意味で)が多いから襲おうとしているのではなく、その船にいる預言者の目を覚まそうとしているのである。実際に異教徒たちが、嵐の中で寝ているヨナを起してあなたの神に祈れと懇願したように、間もなくアメリカの異教徒たちが教会にもっと祈って何とかせよと言う時が来る。ヨナの話の最後でいやいや連れて来られたヨナが伝えた神のメッセージによってニネべの最も悪い異教徒たちが悔い改めたように、アメリカの教会こそが目を覚まして真の神からのメッセージを伝えるときに、それまでどうしても聞く耳のなかった未信者たちが神に立ち返るであろう。…誰もトラブルが起きると言うネガティブな預言をすることを好まない。しかし、神が警告を発しているときに霊の目と霊の耳をもってそれに呼応し準備する人だけが災害を免れることが出来るのである。」と師は述べています。

そして師は、へブル12:5-7「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」を引用して、主が災害と言う形で「さばき」の警告を与えるのは、子を愛しているからであり、滅ぼそうとしているのではないことを強調しています。


さて、私たち夫婦はこのジョイナー師が「Y2Kに関して私の予測は正しかったですし、今回のこと(鳥インフルエンザに対する予測)も私は正しいのです。」(師の12月27日のメッセージの最後の方で言われた)とはっきり言い切る「警告の預言」を100%信仰で受け取りました。そして今、家内は少なくとも三ヶ月分の食料を備蓄する買い物を始めております。
私も実は、今書いているメッセージを正月早々に載せる積りで用意し始めていたのですが、まさか新春早々からこのようなメッセージをお伝えすることに気が引けましたので1-2週間待つ考えでおりました。しかし私が危ぶんだような事態が既に起っていることをお伝えせざるを得ない状態になりましたので、もうお気付きの方も多いと思いますが下記の日本の新聞のニュースを念のためお伝えしたいと思います。

XXXXXXXXXXXXX

鳥インフルエンザ、日本で64万人死亡(の可能性)も 
中国で人に感染

(1月11日21時35分配信 産経新聞)

 中国で10日、鳥インフルエンザの人から人への感染例が初めて確認されたが、このウイルスが人に移りやすく突然変異して「新型インフルエンザ」として上陸したら、どうなるのか。日本では64万人が死亡し、経済的にも損害が約20兆円に達すると未曾有の被害が予想されている。一部企業は極秘で対策を進めているが、欧米系企業と比べ、大半はまだ危機管理の意識が薄いようだ。(津川綾子)
 鳥インフルエンザが人から人に感染し死者が出たのは、これまで東南アジアを中心に数例報じられていた。中国衛生省が10日、南京市の男性が、鳥インフルエンザ(H5N1)に感染・死亡した息子から感染したと発表。専門家の間では鳥インフルエンザが人に感染しやすく変異した「新型」の発生が時間の問題といわれており、日本上陸も現実味を帯びてきている。
 実は、日本でも最悪のケースを想定して、シミュレーションがされている。
 《1人のビジネスマン(東京在住)が海外出張先で鳥インフルエンザの「新型」に感染して帰国。だが、感染に気づかず電車で会社に通勤した場合、帰国から10日目には首都圏で22万4000人が感染。京阪神にも飛び火し、2万4000人が感染する》
 国立感染症研究所はこのように、人に免疫がない「新型」がまたたく間に全国へと広がると予測。厚生労働省は国内で1人の発生から2500万人が感染して病院に行き、約2カ月で64万人が死亡すると推計している。
 外資系企業では、従業員対策として、「住友スリーエム」(東京)が社員約3000人に1人10枚ずつ、高機能なマスクを備蓄、ファイザー(東京)は社内マニュアルで従業員の20%が感染して欠勤した部署は部員全員を休ませるなどの方針を定めるなど、具体的に進めているところが多い。
 これに対し、日本企業は、顧客への対策を含めて、「予期せぬインフルエンザには何もしていない」(在阪の電鉄会社)、「地震などの災害マニュアルでなんとかする」(全国展開の大手スーパー)と危機意識に乏しい例が目立つ。
 「大幸薬品」(大阪)が平成19年11月、社内マニュアルを作成、「新型」の感染者が出たら、来訪者の立ち入り場所を制限し、来客用のマスクを用意するなどを規定しているが、こうしたケースはまだ少数派といえる。
 このように各企業などで対策が不十分だと、経済的に麻痺(まひ)し、「大流行すれば消費が落ち込むなどして約20兆円の損失が生じる」(第一生命経済研究所)という試算もある。
 「流行すれば社員がかかるだけでなく、流通や原料の調達も難しくなる。業務を続け、経済活動を滞らせないためにも、企業は前もって対策を立てることが重要」と国立感染症研究所・感染症情報センター第一室長の谷口清州さんは呼びかけている。

XXXXXXXXXXXXX

さて、以上のニュースの他、参考までに少し古いのですが、「鳥感染症/爆発的拡大に警戒強めよ」と言う記事が2006/03/23の神戸新聞に載っていたものを下記にご紹介したいと思います。


 毒性の強い高病原性の鳥インフルエンザによる死者が、世界で百人を超えた。
 問題になっている「H5N1型」と呼ばれるタイプのウイルスが最初に見つかったのはアジアだが、昨年夏にロシアに飛び火して以来、欧州、中東へ拡大し、アフリカ大陸に達した。今月に入り、アフリカ初の死者がエジプトで確認された。
 世界保健機関(WHO)によると、死者は八カ国で百三人に上っている。
 鳥から人への感染にとどまり、爆発的な大流行を招く「人から人へ」の感染例は確認されていない。だが、WHOは危険性が高まっているとみており、油断できない。
 WHOが特に注目するのは、アフリカでの感染が急速に広がっている点だ。ナイジェリア、ニジェール、エジプトに続き、カメルーンでも見つかっている。
 アフリカ諸国はエイズやマラリヤなどの感染症対策に苦しみ、検疫や医療体制も十分とはいえない。食糧事情も芳しくない。
 そうした中で、封じ込めの柱となる、ウイルスに感染した鶏の「早期発見と処分」が期待できるのか、大きな不安がある。抗ウイルス薬の備蓄がほとんどないことも、心配される点だ。
 鳥インフルエンザは、渡り鳥の飛来ルートに沿って拡大し続けており、アフリカでは広範囲にウイルスの汚染が進行しているのではないか。そんな懸念も深まる。
 これらが杞(き)憂(ゆう)でないとすれば、鶏や人への感染が確認されて初めて対処するというやり方では、手遅れになりかねない。WHOは先進国と協力し、専門家チームを現地に派遣するなどして鶏の汚染情報の収集や人への感染調査に当たるべきだろう。
 鳥インフルエンザ対策で重要なのは「早期発見と拡大阻止」である。渡り鳥が飛来する、すべての国に当てはまることだ。
 経済協力開発機構(OECD)は世界経済の先行き懸念材料として、テロと鳥インフルエンザの流行を挙げている。鳥インフルエンザは、目に見えないだけ、より厄介な存在といえるだろう。
 早期発見は依然、大きな課題である。発生を早くキャッチする仕組みや発生してからの対応能力強化について、各国は以前にも増して踏み込んだ対策が求められる。
 足元の点検も欠かせない。政府と地方自治体が進める予防薬の備蓄について、費用対効果を疑問視する声もなくはないが、相手は未知のウイルスであり、必要量は確保しておかねばならない。
 「感染爆発」を前提にした対策は、人類共通の課題と認識すべきである。

XXXXXXXXXXXX

 以上、私が申しあげるまでもなく、既にこの事実に気が着かれ、充分にその準備と祈りの体制に入られた方々も多いと思いますが、念のためこの一文を新年の最初のメッセージとして乗せさせていただきます。ぜひお祈り下さい。(終わり)


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 昨年12月27日に「アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ」で紹介したリック・ジョイナー師の「備えなさい」というメッセージは、元々「The Judge is comingさばき主がやって来る」という題名の文章の後半だけを訳したものでした。なぜそうしたかと言いますと、前半は主にアメリカに関する内容であったからです。
それは主に昨年秋、アメリカの東南部を襲った旱魃に関するものでしたが、この災害はそれ以前に大きな被害をもたらしたカタリーナ台風(ハリケーン)と同じ地域に起りました。カタリーナ以後、人々はもっぱら水害への対策をしていたところに予想に反して逆の気象現象である「パーフェクトな美しい天気」によって旱魃が襲ったのです。そればかりではなく、アメリカはこの数年来、水害、旱害、竜巻という気象異常による天災と共に各地に地震、山火事による大きな被害が起っていることをジョイナー師は指摘し、その意味について言及したものでありました。師は、この一連の異常気象がもたらした被害はアメリカに対する主からの重要な警告を意味するものであり、アメリカに対して主は「罪に目覚めて悔い改める」ことを要求していると言われます。みことばによれば、洪水以外の雨は主からの祝福であり、旱魃こそがのろいであると師は指摘します。

今のアメリカの教会はちょうどヨナのようであると言います。「神はアメリカの教会に対して明らかになすべき仕事を指示しておられるにもかかわらず、アメリカのクリスチャンは主の言われることを行おうとせず、自分のしたいことをしている。嵐はアメリカと言う船を異教徒(未信者の意味で)が多いから襲おうとしているのではなく、その船にいる預言者の目を覚まそうとしているのである。実際に異教徒たちが、嵐の中で寝ているヨナを起してあなたの神に祈れと懇願したように、間もなくアメリカの異教徒たちが教会にもっと祈って何とかせよと言う時が来る。ヨナの話の最後でいやいや連れて来られたヨナが伝えた神のメッセージによってニネべの最も悪い異教徒たちが悔い改めたように、アメリカの教会こそが目を覚まして真の神からのメッセージを伝えるときに、それまでどうしても聞く耳のなかった未信者たちが神に立ち返るであろう。…誰もトラブルが起きると言うネガティブな預言をすることを好まない。しかし、神が警告を発しているときに霊の目と霊の耳をもってそれに呼応し準備する人だけが災害を免れることが出来るのである。」と師は述べています。

そして師は、へブル12:5-7「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」を引用して、主が災害と言う形で「さばき」の警告を与えるのは、子を愛しているからであり、滅ぼそうとしているのではないことを強調しています。


さて、私たち夫婦はこのジョイナー師が「Y2Kに関して私の予測は正しかったですし、今回のこと(鳥インフルエンザに対する予測)も私は正しいのです。」(師の12月27日のメッセージの最後の方で言われた)とはっきり言い切る「警告の預言」を100%信仰で受け取りました。そして今、家内は少なくとも三ヶ月分の食料を備蓄する買い物を始めております。
私も実は、今書いているメッセージを正月早々に載せる積りで用意し始めていたのですが、まさか新春早々からこのようなメッセージをお伝えすることに気が引けましたので1-2週間待つ考えでおりました。しかし私が危ぶんだような事態が既に起っていることをお伝えせざるを得ない状態になりましたので、もうお気付きの方も多いと思いますが下記の日本の新聞のニュースを念のためお伝えしたいと思います。

XXXXXXXXXXXXX

鳥インフルエンザ、日本で64万人死亡(の可能性)も 
中国で人に感染
(1月11日21時35分配信 産経新聞)

 中国で10日、鳥インフルエンザの人から人への感染例が初めて確認されたが、このウイルスが人に移りやすく突然変異して「新型インフルエンザ」として上陸したら、どうなるのか。日本では64万人が死亡し、経済的にも損害が約20兆円に達すると未曾有の被害が予想されている。一部企業は極秘で対策を進めているが、欧米系企業と比べ、大半はまだ危機管理の意識が薄いようだ。(津川綾子)
 鳥インフルエンザが人から人に感染し死者が出たのは、これまで東南アジアを中心に数例報じられていた。中国衛生省が10日、南京市の男性が、鳥インフルエンザ(H5N1)に感染・死亡した息子から感染したと発表。専門家の間では鳥インフルエンザが人に感染しやすく変異した「新型」の発生が時間の問題といわれており、日本上陸も現実味を帯びてきている。
 実は、日本でも最悪のケースを想定して、シミュレーションがされている。
 《1人のビジネスマン(東京在住)が海外出張先で鳥インフルエンザの「新型」に感染して帰国。だが、感染に気づかず電車で会社に通勤した場合、帰国から10日目には首都圏で22万4000人が感染。京阪神にも飛び火し、2万4000人が感染する》
 国立感染症研究所はこのように、人に免疫がない「新型」がまたたく間に全国へと広がると予測。厚生労働省は国内で1人の発生から2500万人が感染して病院に行き、約2カ月で64万人が死亡すると推計している。
 外資系企業では、従業員対策として、「住友スリーエム」(東京)が社員約3000人に1人10枚ずつ、高機能なマスクを備蓄、ファイザー(東京)は社内マニュアルで従業員の20%が感染して欠勤した部署は部員全員を休ませるなどの方針を定めるなど、具体的に進めているところが多い。
 これに対し、日本企業は、顧客への対策を含めて、「予期せぬインフルエンザには何もしていない」(在阪の電鉄会社)、「地震などの災害マニュアルでなんとかする」(全国展開の大手スーパー)と危機意識に乏しい例が目立つ。
 「大幸薬品」(大阪)が平成19年11月、社内マニュアルを作成、「新型」の感染者が出たら、来訪者の立ち入り場所を制限し、来客用のマスクを用意するなどを規定しているが、こうしたケースはまだ少数派といえる。
 このように各企業などで対策が不十分だと、経済的に麻痺(まひ)し、「大流行すれば消費が落ち込むなどして約20兆円の損失が生じる」(第一生命経済研究所)という試算もある。
 「流行すれば社員がかかるだけでなく、流通や原料の調達も難しくなる。業務を続け、経済活動を滞らせないためにも、企業は前もって対策を立てることが重要」と国立感染症研究所・感染症情報センター第一室長の谷口清州さんは呼びかけている。

XXXXXXXXXXXXX

さて、以上のニュースの他、参考までに少し古いのですが、「鳥感染症/爆発的拡大に警戒強めよ」と言う記事が2006/03/23の神戸新聞に載っていたものを下記にご紹介したいと思います。

 毒性の強い高病原性の鳥インフルエンザによる死者が、世界で百人を超えた。
 問題になっている「H5N1型」と呼ばれるタイプのウイルスが最初に見つかったのはアジアだが、昨年夏にロシアに飛び火して以来、欧州、中東へ拡大し、アフリカ大陸に達した。今月に入り、アフリカ初の死者がエジプトで確認された。
 世界保健機関(WHO)によると、死者は八カ国で百三人に上っている。
 鳥から人への感染にとどまり、爆発的な大流行を招く「人から人へ」の感染例は確認されていない。だが、WHOは危険性が高まっているとみており、油断できない。
 WHOが特に注目するのは、アフリカでの感染が急速に広がっている点だ。ナイジェリア、ニジェール、エジプトに続き、カメルーンでも見つかっている。
 アフリカ諸国はエイズやマラリヤなどの感染症対策に苦しみ、検疫や医療体制も十分とはいえない。食糧事情も芳しくない。
 そうした中で、封じ込めの柱となる、ウイルスに感染した鶏の「早期発見と処分」が期待できるのか、大きな不安がある。抗ウイルス薬の備蓄がほとんどないことも、心配される点だ。
 鳥インフルエンザは、渡り鳥の飛来ルートに沿って拡大し続けており、アフリカでは広範囲にウイルスの汚染が進行しているのではないか。そんな懸念も深まる。
 これらが杞(き)憂(ゆう)でないとすれば、鶏や人への感染が確認されて初めて対処するというやり方では、手遅れになりかねない。WHOは先進国と協力し、専門家チームを現地に派遣するなどして鶏の汚染情報の収集や人への感染調査に当たるべきだろう。
 鳥インフルエンザ対策で重要なのは「早期発見と拡大阻止」である。渡り鳥が飛来する、すべての国に当てはまることだ。
 経済協力開発機構(OECD)は世界経済の先行き懸念材料として、テロと鳥インフルエンザの流行を挙げている。鳥インフルエンザは、目に見えないだけ、より厄介な存在といえるだろう。
 早期発見は依然、大きな課題である。発生を早くキャッチする仕組みや発生してからの対応能力強化について、各国は以前にも増して踏み込んだ対策が求められる。
 足元の点検も欠かせない。政府と地方自治体が進める予防薬の備蓄について、費用対効果を疑問視する声もなくはないが、相手は未知のウイルスであり、必要量は確保しておかねばならない。
 「感染爆発」を前提にした対策は、人類共通の課題と認識すべきである。

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 以上、私が申しあげるまでもなく、既にこの事実に気が着かれ、充分にその準備と祈りの体制に入られた方々も多いと思いますが、念のためこの一文を新年の最初のメッセージとして乗せさせていただきます。ぜひお祈り下さい。(終わり)
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by walkwithgod | 2008-01-12 08:00 | 坂達也からの今月のメッセージ

2007年秋の日本旅行から帰って来て  坂 達也 11月21日

2007年秋の日本旅行から帰って来て

坂 達也

 今回私たち夫婦は先ず沖縄に飛び、その後、関西から東北地方まで合わせて16の教会を訪れながら、丁度一ヶ月かかって日本の各地を旅行して来ました。この間、教会の建物の外でも個人的に多くの人にお会いしました。こうした触れ合いを通して強く感じたことは、日本にもいよいよ聖霊が顕著に働かれていると言うことでした。それは教会の集会とか礼拝で主のご臨在を今まで以上に強く感じたと言うことではありません。

それはむしろ、多くの教会での親しい方たちとの交わりを通して、その中の何人かの方が、おやっと思うほど霊的に変えられ、強められていることを感じたのです。
ある姉妹は体中に転移した末期の癌でいつ倒れてもおかしくない状態でしたが、行き倒れになることを覚悟の上で、遠くで病に伏せる二人の人を励ますために別々の機会にお見舞いに出かけて行きました。その人は主から個人的にそうするようにと指令を受け、旅費をあてがわれ、主の大使として出かけて行きました。

又、大きな主の奇跡を体験した人ともお話しする機会がありましたが、その方からは、主を個人的に知っている人に特有の信仰の自信と余裕-それは主がその人の中に生きておられることが分かる「主の薫り」―を感じました。又ある方は、自分が神の「永遠の命」の中に生かされていることを堂々と証されておりました。それは下手な牧師の説教よりも説得力がありました。
そのような人たちは、それぞれが受けた試練・艱難を通して、自分の人生を「主に委ねる」ことを学んだ人たちであると思います。彼らの顔は輝いていました。主を個人的に体験している人たちには、主に従うときにだけ味わえる「信仰の味」が分かるのです。その美味しい味を一度覚えた人は、もう止められなくなります。

 「自分の人生を自分で生きている」ことに何ら疑問を持たず、神を思うのは日曜日や必要が生じた時だけという、言ってみれば、困ったときの神頼み的クリスチャンが、ある日突然自分で生きることの拙さ加減と、力の無さ、あるいはその味気なさに気がついたらどうなるでしょうか。その人は自分の神に対する考え方が根本的に間違っていたことに気がつかされるでしょう。

 人々にそう気づかせる業を、今、聖霊が世界中でなさっておられます。多くのクリスチャンが、今聖霊から霊的な挑発(プロヴォーク)を受けているのです。それは

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

の信仰で生きることへの挑発でありチャレンジです。

このチャレンジをしっかりと受けとめるには、自分で生きるのではなくキリストに生きていただく味を知ることが必要です。これがイエスからいただける真の福音なのです。多くのクリスチャンは今まで、頭の中では「自分に死なねばならない」ことを学んではいても、それを実際に生きる経験を持ったことがなかったのです。ところがそのようなクリスチャンが、父親としての神の愛を始めて個人的に経験したと言いましょうか、自分と神との距離が急に縮まるのを感じ始めたのです。彼らは全面的に神に生きていただくことのすばらしさに気がつき、それを人生のゴールにすると言う希望を見出したのです。

その意味で、今回、多くの方が主ご自身に対して魅力を感じ、引き寄せられ、慕い、飢え乾くことを覚え始めていることに気がつきました。私は本当に勇気づけられ、励まされました。
これからそのようなクリスチャンが日本でも爆発的に増えることを期待します。教会とはクリスチャン個人の集まりです。その個人が聖霊によって変えられて行く顕著な兆しを見るときに、日本中で教会のトランスフォーメーション が起る日が間近いことを肌で感じた次第です。(終わり)

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by walkwithgod | 2007-11-21 15:41 | 坂達也からの今月のメッセージ

クリスチャンという名のコイン  坂 達也  10月10日

クリスチャンという名のコイン

 ある朝、主の前に出ていると、通貨であるコインが示されました。そして、主は「わたしがコインの表側は造るが、裏側はあなたたちが造るのです。そのように両面が完成しなければ、そのコインは使いものにならないのです。」と言われました。

そして、直ぐ思いに浮かんだのが「十字架」という名のコインでした。そのコインの表側は、主イエスが先ずご自分を十字架にかけてその御業を完成されましたが、裏面は、そのコインを差し出された私たちが、自分をその十字架につけて歩まなければ完成されません。

 次に、招かれる者と選ばれる者で一枚のコインが造られていることが浮かんできました。マタイ22:14に「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」とあります。招かれるのも選ばれるのも父なる神ですが、真に選ばれた者になるためには、私たちが主を「選んで」「婚礼の礼服を着て」(マタイ22:11)選びにふさわしい者にならなければ裏面が完成されません。

 信仰という名のコインもそうです。表側は、主のすべての「命令」の御言葉で造られていますが、それを聞いて忠実に従って実行しなければ、そのコインは完成されません。
愛というコインも同じですね。表面は「神が先ず私たちを愛してくださる」のですが、裏面で、その愛を受けた私たちが神を愛さなければそのコインも完成されません。

 コインには色々な種類があります。金貨、銀貨、銅貨、ニッケルで出来たものもあります。この世の中でコインさえ持っていれば、どんなに額が大きくても小さくても、総ての支払いが出来ます。
 通貨としての機能から見れば、どのコインも皆必要です。特に、一番小さな一円のニッケル製コインがなければ、多くの場合支払いに支障をきたします。小さな額のコインほど、それがなくては通貨としての用が足せませんから、その重要さに私は気がつかされました。そして、「キリストのからだ」であるクリスチャンも同じではないかということにも気がつかされた次第です。

 その通貨としてのコインはすべて神が造られるものです。しかし、神は裏側の字の彫り込みは私たちに委ねておられます。裏面を私たちが完成させなければ、そのコインは「使いもの」にならないのです。(終わり)


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by walkwithgod | 2007-10-11 05:05 | 坂達也からの今月のメッセージ

バプテスマと漬物   坂 達也   7月18日

バプテスマと漬物

聖句の解釈でよく問題になるものの一つにマルコ 16:16があります。

「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」

  この聖句の最初の部分を文字通り解釈すれば「救われるためには、信じてバプテスマを受けねばならない。」と言っていることになりますが、この御言葉によって、「救われる」ためには、バプテスマを受けねばならないのか、受けなければ救われないのか、と言う疑問が出て来て、それが色々と議論されて来ました。

 私は最近、ストロングのコンコーダンス (用語索引辞典)を見ていて「バプテスマ」の原語baptizo の意味を初めてよく理解することが出来ましたので、今回それをお分かちしたいと思います。

バプテスマbaptizo とはどう言うことかと言えば、ものを水とか液体にずっぽり浸けること、あるいは大波などが上から覆いかぶさってずぶ濡れになることを言うそうです。又、このbaptizo に似た言葉にbapto があります。これは普通「ちょっと浸す」と言う意味で、この二つのギリシャ語の使い方の違いが紀元前200年に書かれた漬物の作り方の文献に載っていたそうです。
それによれば、当時漬物にする野菜は、先ずさっと熱湯に浸し 、直ぐ引き上げてから、酢の中に漬けてしばらく放置すると書いてあったそうです。
熱湯にさっと浸けるのはbapto で、その後しっかり酢に漬けることがbaptizo なのだそうです。この説明で明らかなように、bapto は一時的・表面的に変わっても中身までは変わらないことを表わし、一方、baptizo の方は一旦沁みこむと永久的に中身まで変質する漬かり方であると言うことがわかります。

 これは、トランスフォーメーション と言う言葉(英語)の動詞であるトランスフォームと言う言葉の原語には"metamorphoo" と"metaschematizo" の二通りあり、最初の"metamorphoo"の意味は「内側が変わること(変質)によって外側・外見が変わる」(ロマ書12:2)ことをさし、一方 metaschematizoは、中身が変わらないで外見だけが一時的に変貌・変装する(2コリント11:13-15)と言うのに似ています。

要は「変えられる」と言っても、私たちは見せかけだけ変わる(成長したように見せる)クリスチャンであってはならない、身も心も永久的に質的変化を遂げた(中身が霊的に成長した)クリスチャンにならなければならないと言うことです。そして、中身が変わるから、外見も変わって来るのです。

バプテスマを受けると言う意味もこれに似ています。洗礼とは、肉の人間から霊の成熟した人間に変える(トランスフォームする)、あるいは「イエスに似た者にする」ためのプロセスです。大根をぬか漬けにすれば単なる野菜の大根ではなくなります。つまり肉の人間を色々な霊の液体に浸けて「霊の漬け物」としてキリストのからだに完成させるのです。
これを作る漬け方の一つのレセピーはバプテスマのヨハネによる漬け方で、マタイ3:11に書いてありますので、それを下記にご紹介します。

「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けてい ますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」

 真の救いを得るためには、先ず徹底的に「悔い改める」ことによって人間の古いアク(悪)を取ります。そのために「アクぬき」の方法として水に漬ける(水のバプテスマ)のです。これは漬物の素材をよくするためです。次に聖霊と言う液体にどっぷり漬けて「聖霊漬け」にします。霊の漬物とは基本的に「聖霊漬け」です。これに漬ける時間が長ければ長いほど上質な出来上がりとなります。そして最後は火に漬ける(通す)洗礼でしめて完成させます。これは一切の不純物を取り去る最終的な仕上げのプロセスです。

その他聖書では洗礼についての色々な漬け方を教えてくれていますので、その主なものを下記に二つ三つ挙げてみます。
1コリント10:2によれば、「みな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け」と書かれていますから「モーセにつける(結びつける)洗礼」があることが分かります。又、ロマ6:3によれば「キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。 」とありますから、「イエスにつく水のバプテズマ」とは「自分を死に浸す」バプテズマであることが分かります。

又、ガラテヤ3:27では、「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(新共同訳)とあるように、私たちキリスト者の最終目標は「キリストに結ばれ」「キリストを着る」ことにあります。あるいは次の28節にあるように 「キリスト・イエスにあって、一つ」になるバプテスマを受けるのです。
要するに私たちは基本的に「聖霊漬け」にされつつあるのですが、その目的は「キリストにどっぷり漬けられる」「キリスト漬け」であり、長く浸けられる間に、私たちの中身がキリストに変質しなければなりません。

 結論から言えば、マルコ16:16は全くその通りなのです。私たちはイエス・キリストを心から信じるだけではなく、聖霊によって、私たちの中身がキリストに似た者に変質されるまで「キリスト漬け」にすると言う長いプロセスのバプテズマを受けて救われる、と書かれているからです。

 ところでマルコ16:16は、一般に「イエスによる大宣教命令」( the great commission)と言われるマタイ28:19のマルコ版です。ですからマタイ28章に出てくるバプテスマとマルコ16章のバプテスマは同じ意味です。
そして、マタイ28章でイエスは、弟子たちに世界に出て行って、彼らを弟子とし、 「父、子、聖霊の御名によってバプテズマを授け...」と書いてありますが、「この御名によって」の「よっての」の部分の原語はeis ( 英語でinに当る )です。先程引用した1コリント10:2とかガラテヤ3:27でも同じeis が使われていますが、英語ではそこはinでなく into, untoと訳されています。ですから、マタイ28章でも厳密に言えば、単に「御名において」と言うより「御名(その神のご性質を代表する)につく」「御名に結びつける」「御名と一つにする」と訳した方が意味としてはより分かり易いと思います。
 と言うことはバプテスマとは一回水に浸かればよいと言う単なる儀式だけのものではないのです。

皆さんはキリスト漬けが進んで、キリストの匂い(かおり)を今はぷんぷんと放っておられるでしょうか。(終わり)


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by walkwithgod | 2007-07-18 10:15 | 坂達也からの今月のメッセージ