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雲の柱は動き始めた ポール•キース•デイビス 11月4日

雲の柱は動き始めた

ポール•キース•デイビス 



神がご自分の言葉に更にコンファメーション(確認)を与えてくださるのは実にうれしいものです。9月11日頃非常にある鮮明な夢が与えられ、それ以来私はその夢によって励まされています。その夢の中で、 開いた聖書を持った手が私に向かって伸ばされ、聖書のある箇所を開いて読むように告げられました。私が数節読み進むと、「増加、増加、増加、増加、増加」と 書かれている“聖句”に行き当たりました。

勿論聖書にこの通りの箇所はないのですが、それはこれからの時代にどんどんと恵みを増し加えて与えたいという神の願いを象徴的に表しているものでした。私が読んでいたのは民数記10章でした。正直なところ、このところ私は民数記には焦点は当てていず、むしろ黙示録やダニエル書、ゼカリヤ書、ヨハネ福音者などを中心に読んでいました。ですから民数記を読んだのは偶然のようで、あまり意味がないようにも思えましたが、その夢が主からのものであることははっきりわかりました。

それで、もし何かコンファメーションが与えられれば、これが主からのものであるという確信を持つことが出来ると考えて、それまではこの聖書の箇所を誰にも告げないことに決めました。次の週はテネシー州ノックスビルでのカンファレンスに参加しましたが、預言者のボブ•ジョーンズも参加していました。私は主がボブの啓示的な賜物を用いて民数記10章から私に語ってくださるのではないかと期待しました。しかしこの箇所については何も語られないままカンファレンスは終了してしまいました。

私はノックスビルから直接テキサス州ダラスに行き、チャック•ピアスとグローリ−・オブ・ザイオン主催のロシュ・ハシャナ・カンファレンスに参加しました。私はこの集りに参加することにわくわくしていました。私が一年前にチャックに伝えた主からの預言を素早く成就してくださった聖霊への感謝の気持ちで一杯でした。その伝えた預言とは白い大きなテントの中で、50年代に起こったリバイバル にも匹敵するようないやしの油が注がれるというものでした。

この集会は預言が成就し、彼らがテキサス州デントンの郊外に取得した土地で開催した初めてのテント集会でした。到着してみると、それは私が一年前に霊的経験の中で見たものと全く同じテントでした。私は民数記10章が示唆するものを理解したいという願いをまだ持ってはいましたが、その夜礼拝が始まったときにはそれが一番の関心事ではなくなっていました。

けれども驚いたことに、ワーシップが終るとチャックはラッパの祭りとロシュ・ハシャナ(イスラエルの新年)を迎えるために銀のトランペットを持った二人の人を前に呼びました。勿論これは民数記10:1−3に書かれていることであり、イスラエルの聖なる会合を招集する時や移動を告知するときに吹き鳴らすものです。

「銀のラッパを二本つくりなさい。すなわち、打ち物造りとし、それで会衆を呼び集め、また宿営を進ませなさい。この二つを吹くときは、全会衆が会見の幕屋の入口に、あなたの所に集まってこなければならない。」

もっと驚いたことには、チャックが来るべき神のシーズンへの預言的告知として民数記10章から短い教えをすると言ったことです。それこそ私のためのコンファメーションでした!

神と共に動く

民数記10章は、神の民が主の臨在の雲と共に移動し、約束の地に入るための指示が書かれています。臨在の雲が次の場所に移るときの、非常に詳細な指示がモーセに与えられています。これを預言的に洞察すれば、 キリストの身体なる教会は聖なる会合へと招集されていて、主の臨在の動き(移動)に従う備えをするようにと言われていることが明らかです。雲の柱は動き始めたのです!

「増加、増加、増加、増加、増加。」と夢の中で私が読んだ箇所は民数記10:28で、そこには「以上がイスラエル人の軍団ごとの出発順序であって、彼らはそのように出発した。」と実際には書かれています。

これから起こる「増加」に関連して私がこの聖書の箇所から理解することは、私たちは聖霊を通して神から厳密に指示されている秩序に 完全に従う必要があるこということです。主の祝福と恵みが私たちに伴うためには、主は私たちが 従うべき主の望まれる秩序を定めておられ、私たちはそれに忠実に従って主と一致(アライン)する必要があるのです。そのときに増加がどんどんと進みます。主の秩序の多くはイザヤ66:1−2に見ることができます。

「主はこう仰せられる。『天はわたしの王座、地はわたしの足台。わたしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。−主の御告げ。— わたしが目に留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。』」

これからの時代に神と一致(アライン)するためには次の3つのことが役に立ちます。

1.へりくだりの霊
2.砕かれた悔いた心
3.神のことば(レーマとロゴス)を敬虔と畏れで震えるように謹んで受け取る

賛美、時とシーズン、主が住まわれるところ

イスラエルが宿営を出発するときに、幕屋に先立ってまずユダ族、イッサカル族、ゼブルン族が出発するようにと主は明確に指示されました。(民数記10:14—16)

ユダ族のシンボルは普通、獅子です。明らかに主はご自分をユダ族の獅子として表されています。主はまず飼葉おけに生まれて来られ、ご自分をほふられる小羊として捧げられました。しかし今度は、キリストの花嫁となった人々を通して圧倒的な勝利を収めるために復活の力をもって吠え威る獅子として主は来られるのです。「賛美(ユダ)」がまず私たちの先に行かねばならず、そしてイッサカルの祝福の中に示されている「時とシーズンをはっきり悟る」ことがそれに伴わなければなりません。

私たちは今、特に「失った相続財産」を取り戻すために前進する「定められた時」に入ろうとしているのです。ロシュ・ハシャナのあと行った南アフリカにいたとき、申命記33:18−19にあるモーセのゼブルンに対する祝福に関して非常にはっきりした啓示的洞察が与えられました。

「ゼブルンについては言った。『ゼブルンよ、あなたは外に出て行って楽しみを得よ。イッサカルよ、あなたは天幕にいて楽しみを得よ。彼らは国々の民を山に招き、その所で正しい犠牲をささげるであろう。彼らは海の富を吸い、砂に隠れた宝を取るからである。』」(口語訳)

ゼブルンという名前は「住まい」を意味しますが、ゼブルンの地は暗黒と背信の故に排斥されていました。しかし主イエスが一旦訪れるや、そこは明るい地となり偉大な光の源として知られるようになりました。(マタイ4:15−16)この地が受けた祝福は、これから神のおとずれを受けようとしている多くの地に対する預言的な型だといえましょう。それはゼブルンの祝福を通して預言的約束を受けていたいくつかの海岸沿いの地域について特にそう言えると思います。勿論海岸沿いの地域に限ると言っているわけではありませんが、この言葉はそのような地方への約束を語っています。

新しいシーズン

この秋のイスラエルの祭りのシーズンは、最近では最も重要な意味を持っていたと思います。 聖霊の働きだけではなく、より顕著な主の臨在を解き放ちたいと神が願っておられるという非常に明瞭で的確な啓示が与えられました。私たちは将来収穫者になる者たちを今のシーズンに収穫するという召しを受けているのです。雲の柱はそちらに向かって動いています。伝道に重きをおくと同時に、人々を整え、導き、備えることにも力を入れねばなりません。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-11-04 10:32 | アメリカからのメッセージ

時のしるしを見きわめる(第53回) リック・ジョイナー 10月27日

時のしるしを見きわめる(第53回)

リック・ジョイナー


 最近行われたアメリカの教会に関する調査結果を見ると、アメリカ人の65%が自分はボーンアゲインしたクリスチャンだと言っているにもかかわらず、キリスト教的世界観、即ち聖書的世界観を持っている人はわずか3%に過ぎないというショッキングな事実がわかります。キリスト教的世界観を持つという意味は、イエス•キリストと同じ視点で世界を見ることであり、又キリストの教えを知りそれに従うということです。

 ボーンアゲインしたと自認する人の数とキリストの基本的なものを反映した生き方をしている人、即ちキリストの視点で世界を見る人とのギャップがこのように大きいということは、私たちがキリストの(宣教)大命令をほとんど果たしていないことを示しています。私たちはただ人々を回心させるだけではなく、弟子を作リ彼らの主が命じられたことをすべて 教えるようにと命じられているのです。

 アメリカのキリスト教のこの基本的な失敗を正すにはどうすればよいのでしょうか。まずこの問題があることを認識することが第一歩でしょう。人々をキリストを信じる決心に導きボーンアゲインさせてから、教会が 彼らを「キリストに似る者」へと成長させることに失敗しているのは明らかであり、それは 弟子を作れという主の命令を悲劇的なほどに割り引いたものにしてしまっています。これは回心者を起こす働きをする伝道者への批判ではなく、そのような伝道者の働きをフォローすべき教会がその役目を果たしてないということです。


 使徒行伝を見てみると、一つの地方でリバイバルが起こると、そこに使徒がリーダーによって遣わされ、新しい信者がキリストの弟子として確立するようにフォローアップする働きをしました。明らかに今この記事を読んでおられるあなたは、キリストの弟子であり、主から学び、自分も主と同じ視点で世界を見たいと望んでおられる方だと思います。けれども、今の教会の様子から考えると、そのように決心された皆さんのほとんどは教会からそのように導かれたのではなく、ご自分でそのような道を選ばれたのだと思います。それはそれで素晴らしいことに違いないのですが、新しい信者たちは自分の教会からもっと助けを受ける必要があるのです。

 新生児は自分ではほとんど何も出来ず、基本的なことが出来るようになるまでには長い間いつも誰かに世話をしてもらう必要があります。私たちがボーンアゲインしたとき、ほとんどの者が霊的には同じようなレベルにあります。 霊的に自分を養うために何をすればよいのかわかりません。
 
 今日アメリカではほとんどの人は小さい時に教会には行っておらず、聖書に関して無知ですから、特にそうといえます。彼らはキリスト教に関する書籍、CD、DVDとか他にどのような助けがあるのかも教えてもらわねばわかりません。そういうものがあるとわかったとしても、何かを推薦してもらわねばどれから始めればいいのかわかりません。
 
 又、生まれたばかりの者がまだ弱い内に食い殺してしまうのがサタンの常とう手段なので、新しい信者を脱落させるための絶え間ない誘惑と攻撃が彼らにむけられます。幼子が無防備であるように新しい信者もサタンの策略に対して無防備ですから、彼らはしばらくは絶え間ない世話を必要とするのです。そしてこのように他の信者から世話を受けることによって築く関係こそが、新しい信者がキリストの身体と絆を結ぶきっかけとなるのです。


 私がこれをお話する理由は、教会が次の大リバイバルに入る前にこのことを改めないと、リバイバルによる実の多くが失われてしまうことになるからなのです。この実とは単にりんごとかオレンジとかではなくて、神ご自身の民であり、 弟子にせよと主が私たちに命じられた人々です。 これが教会と教会のリーダーたちに与えられた基本的な責任です。ヘブル13:17でこう言われています。「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。」

 私たちが自分に委ねられている人々のために弁明するとは大変重大なことです。もし誰かに自分の子どもたちの世話を頼んで出かけ、帰ってきてみるとキチンと世話をされていなかったことを発見したならば、信頼して任せた人たちに対して私はよい感情は持たないでしょう。

 1970 年代の「ディサイプルシップ 弟子訓練」や「シェパーディング」のムーブメントの中にいた者の多くは、リーダーへの服従やリーダーによるコントロールを強調し過ぎました。その反動として次世代は弟子訓練に対し疑いを持つに至りました。しかしながら、そうだからといって 私たちに与えられている最も基本的な命令であり責任が、教会から取り除かれるままにしておくことはできません。

 真の弟子訓練はリーダーの支配力を増大して人々を縛るものではなく、人々を真理によって自由にし、キリストにあって成熟するのを助け、 私たちの助けを必要としなくなるまでに彼らを成長させることです。真の弟子訓練は、肉の家族よりも強い霊の家族の絆を築きますが、それはコントロールや支配によるものではなく愛と奉仕によるものです。

 「シェパーディング ムーブメント」に関わっていたリーダーの中で非常に間違ってしまった人たちを私は知っています。彼らは人を支配するような人とは思えませんでしたし、真の牧者として弟子作りをするには最もふさわしい人たちのようでした。しかし、そのシステムが何層にもなってくるにしたがい、一番上のレベルで教えられたことが下のレベルに行くにしたがって崩れて行ったのです。
 
 全員が十分の一献金を自分のシェパード(牧者)にしたので、明らかに多くの者はお金のために弟子を作ろうという動機を持ってしまいました。それだけが彼らの動機ではなかったかもしれませんが、それが少しでも混じっていたならば、地獄の大きな門は腐敗への扉を開いたのです。

 キリストにあってはマルチ・レベルの関係は私たちにはありません。聖書に神の孫という言葉はないことに気がつかれましたか。私たちはみんな神の一代目の息子、娘なのです。また、十分の一献金がシェパード(牧者)にいくとは書いてはありません。それは倉に納められて、シェパードや教会の諸々のミニストリー はその中から収入を得るべきなのです。
 私たちは神と人とに兼仕えることはできませんから、何であれ経済的動機でミニストリーをすることは絶対に避けねばなりません。

 勿論この問題に関しては一冊の本が書けるほどのことですが、私が言いたいのは、 教会に与えられている基本的な指令と責任である聖書的な弟子訓練を、私たちは回復せねばならないということです。教会が 聖書的世界観を持ち強くなるためには、このことは絶対に必要です。しかしそれ以上にこのことが大切な理由は、第一に神が求めておられる霊的家族としての関係をクリスチャンが持つためであり、次にすべての神の息子、娘たちの成熟を促すためです。

 この理由の故に、今の重要な「時のしるし」の一つは、キリストの身体による真の弟子訓練の回復を見ることにありましょう。過去における「シェパーディング ムーブメント」で多くの貴重な教訓を学んだのですから、今度は同じ間違いをしなくて済むのではないでしょうか。しかしもし又間違う人があるとしても、真の霊的な弟子訓練は、私たちに課せられている重要な聖書の命令なのですから今こそ真剣に行わねばならないのです。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-10-27 09:42 | アメリカからのメッセージ

下って行くな、そこに留まれ キャシー•ウオルター 10月19日

下って行くな、そこに留まれ

キャシー•ウオルター


飢饉

私の友人が数週間前にポルトガルから一つのメッセージを送ってくれ、それをきっかけとして主は創世記26章のイサクとその地の飢饉の話を通じて私に語り始められました。

私は皆さんを力づける意味で「下って行かないで、、」と申し上げたいのです。御説明しましょう。イサクは自分の町ではなく他国に住んでいました。彼はカナンに住んでいましたが、そこに飢饉が起こりました。人々は皆カナンから出ていきました。生きるためには食料のあるところに行かねばなりませんから、それを責めるわけにはいきません。

イサクも自分の故郷、メソポタミアに帰りたかったのです。しかし神が彼に「下っていくな。そこに留まれ。」と語られたのです。それは聞く者にフラストレーションを起こさせる言葉でした。それは丁度モーセが目の前に紅海があり、後ろには迫り来るパロとその軍隊がいて、その間に挟まれた時に似ています。神はモーセに「じっとしていなさい。」と言われたのです。えっ、何ですって? 私なら「助かりたいなら逃げろ!」と神が言われると思ったことでしょう。そしてモーセもイスラエルの民にそう叫びたかったに違いないと思うのです。

神はイサクに「下っていくな、そこに留まれ。」と言われたばかりか、「種をまけ。わたしはあなたを祝福するであろう。」と言われたのです。それでイサクはそこに留まりましたが、何も起こらないようでした。飢饉だったのですからどんな実りもあたりには見当たりませんでした。飢饉とは「極度の食料不足」ということです。イサクは自分の目に映るすべてのものよりも主の言葉を信じることを選びとらねばなりませんでした。

何も起こらないように見えました。何の匂いもしませんでした。何の音もしませんでした。飢饉だったのですから、何もなかったのです。しかしイサクは種を蒔き、あたかも畑は麗しく育っているかのように振る舞ったのです。彼に投げかけられた色々な言葉が聞こえるようではありませんか。

「一体何をやってるんだい?」「どうしてここから出て行かないんだ?」「食料をどうにかして得ようとなんでしないんだ?」「どうして自分の国に帰らないのだ? 気でも違ったのか? ここにはおれないぞ。」

でも、イサクは何事もないように平常通り暮らしたのです。どうしてかお分かりになりますか? それは彼が回りの状況から情報を得たのではないからです。彼は究極の情報家である聖霊から情報を得たのです。

あなたはなにか困難な状況の中を通ったことがありますか? 人々から否定的な言葉を投げつけられたことがありますか? もしあなたが盗人や強盗がいる町の近くにいるならば、私は「そこには行かないように」と言うでしょう。

最近私はオーストリアのパースという町の近くにいったのですが、一緒にいた婦人が「この地域は昼間はよい所だけれど、夜は危険だから来ては駄目ですよ。いろんな事件が起こるのよ。」と注意してくれました。それを知らされてあなたはそこに散歩に行きますか? 訪ねていったりしますか? 勿論行きませんね。

でも、時々あなたは古傷を訪ね、自分の古い否定的な感情に相談したり、決して自分のためにならないと知っている考え方と連絡をとったりするのです。あなたがもはや解放されたのなら、あなたの思いの中の昔よく行って親しんだ場所を訪れてはいけません。絶対にあなたの益にはなりません。聖霊という情報家の言う事を聞いてください。

イサクはこの地で栄えました。それはこの土地が飢饉と神の人の両方を一度に受け入れることは出来なかったからです。ですから飢饉は去らねばなりませんでした!イサクはますます栄え、羊の群れや牛の群れを持つようになりました。12節にはイサクは「その年に百倍の収穫を得た」と書かれています。ペリシテ人たちはイサクがあまりにも富んだので立腹し、彼にこの地から出て行くように要求しました。イサクは従いました。彼はゲラルの谷に古い井戸を見つけ、それを再び掘りました。最初の二つはゲラルの羊飼いたちと争わねばなりませんでしたが、三つ目は大丈夫でした。その井戸はレホボテ(争いがない)と呼ばれました。

イサクが去ったあと、ペリシテ人たちは自分たちの祝福の源を失ったことを知り、イサクに戻ってほしいと思いました。28節「私たちとあなたとの間で誓いを立ててください。」と彼らは言いました。あなたの敵でさえ、神の御手があなたの人生の上に置かれていることがわかるのです。敵があなたを嫌っていたとしても、あなたの持っているものを欲しいと彼らは願うのです。

主の御声があなたの鍵

あなたの鍵となるのは主の御声です。主はいつ移動するべきか、いつ留まるべきかをご存知です。祝福する方に耳を傾けるとき、あなたは祝福されます。自分で見たり聞いたり感じたものによって行動するようにはあなたは召されていません。天の父があなたにするように告げられることをするようにと召されているのです。私たちは状況や事情によってではなく、神の御霊、御声によって導かれるのです。信仰によって私たちは生きるのです。

何年も前のことですが、私たちはフロリダ州のオーランドに住んでいましたが、その町を出るようにとのはっきりした主からの言葉を受け取りました。問題はその天からの御声は次にどこへ行けとは言われなかったことです。でもあなたが耳を傾ければ主ははっきりと指示を与えてくださることをご存知ですか? 私たちは「わかりました。ではこの町を出る事にします。でもいくつかのことを助けてもらわねばなりません。」と主に申し上げたのです。

例えば「どうやって家を売れはいいでしょうか?」ということです。それは厄介なことだったのです。というのは当時その地域は新築の家が余っていて、建築業者達はそれを格安に売り出していたので、私たちの家のようなものは売りにくい状況でした。聖霊が 「パッと明るい色の花を200ドル分買って家の前に植えなさい。’For Sale by Owner’(不動産屋を通さないで持ち主が直接売る)という看板を立てなさい。」と言われました。

数週間後にある男の人から 家を見に来たいという電話がありました。彼らが着たとき奥さんが「この地域で家を探していたんではないんですけど、この辺りを車で走るたびにこの花が目に入ったのよ。」と言うのです。彼らは花に惹かれてこの家に興味を持ちました。この件に関しては他にも沢山超自然的なことが起こりました。今それらをお話はしませんが、大事なことは次のことです。

聞きなさい。主があなたに言われることがなんであってもそれに従って実行しなさい。主はあなたがはっきりわからないままにほってはおかれません。主はあなたのお父さまであり、ご自分の子どもたちに話されるのです。あなたは主の御声を聞くことができます。アンテナをいつも掲げていてください。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-10-19 14:20 | アメリカからのメッセージ

幻 (その2) ジェシカ•ジョーンズ 2009年10月11日

幻 (その2)


ジェシカ•ジョーンズ


創世記にはアベルの血が地から叫び、神はそれを聞かれたと書かれています。それは血が声を持っていたことを示しています。血が叫ぶためには声が必要だからです。

神がこの声をどのように聞かれるのかを少し深く調べたいと思います。神は一体何を聞かれるのでしょうか? 箴言15:29に「主は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。」とあります。

しかし詩編66:18には「もし私の心にいだく不義(iniquity)があるなら、主は聞き入れてくださらない。」とあります。

「不義 iniquity」という言葉は、邪悪、堕落、犯罪、不道徳等を意味する「’avon」という言葉に由来し、その語幹である「’avah」は曲げる、よじる、歪めるという意味を持っています。

もしもあなたが祈るときの動機が不純であり正しくないならば、それは即ち主が真理や正義を曲げ、よじり、歪めることを主に願っているのですから、それが聞き入れられることはありません。私たちの言葉の色彩を変えるのは私たちの心(動機)にある邪悪さです。それが私たちの言葉を汚して白くない(不義、不正、聖くない)ものにしてしまうのです。

詩編145:18「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求めるすべてに主は近くにあられる。」

誠実さと忠実さを持って主のみこころを求め従おうとするすべての者の近く(s空間的にも時間的にも) に主はおられるのです。主のみこころは私たちにとって常に良いものです。主はすべてのものを私たちの益となるように創られました。 私たちが自分や人々のために必ず益となる主のみこころと一致して祈るとき、私たちは花嫁としての自分の役割を果たすことができ、主と共に働いて良いものを造りだすことができます。この場合、 主のみこころと一つになっている故に私たちの祈りは白いのです。

ヨハネ9:31「神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。」

ヤコブ5:16「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」

罪は罪です。私たちすべてが犯してしまうものです。 しかし、もしも私があなたに対して罪を犯したならば、敵に侵略する法的権利を与えないために私はその罪を告白せねばなりません。言い換えれば、もし私があなたに対する罪を告白するならば、もはや敵が私たちの間にくさびを打ち込み私たちの仲を裂き、怒り(それは罪です)を起こさせようと侵入する扉を閉じることができるのです。

罪を告白し悔い改めることは、人と人との間や神との間に一致をもたらします。告白と悔い改めだけが私たちが義とされる唯一の道なのです。この世のすべての祈りや施し、またすべての善行もあなたを義人にすることはできません。私たちに赦し、いやし、義、不朽や不死をもたらすのは、告白と悔い改めだけなのです。

主はまことをもって主を呼び求めるすべての者の声を聞いてくださるのです。それが解放と自由のための鍵です。私たちは真実でなければなりません。真実は告白と悔い改めであり、自分自身と神と人に対して正直であることです。してしまったことが恥なのではなく、それをそのままにしておくことが恥なのです。


父なる神よ、あなたは私たちがあなたの御顔を拝しあなたの声を聞く力を与えてくださいました。イエスはこのようなキングダム•ライフをすべての者に回復するために死んでくださいました。あなたは私たちにそのための機会、力、憐れみ、恵みをくださいました。あなたはすべてのものを創られました。あなたは私たちすべてを御手の中に持っておられ、私たちを愛する故にいつもあなたの目が届くところに私たちをおいておられます。

あなたは私たちの近くにいつもおられます。それは私たちが正しく聖なる者となる方法をやっと学び始めたからです。どうかあなたをいつも私たちの目の近くに置く事を教えてください。おお主よ、私たちは何が必要であるのか、敵の手から完全に自由になるにはどうすればよいのかを教えてください。私を解放してください、主よ。私が知るべきことを教えてください。私が創られた目的であるあなたの花嫁になるために解放を与えてください。イエスの名によって祈ります。アーメン


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by walkwithgod | 2009-10-11 16:58 | アメリカからのメッセージ

幻 (その1) ジェシカ•ジョーンズ 2009年10月4日

幻 (その1) 

ジェシカ•ジョーンズ

私の心は今にも破裂しそうにわくわくしていて、どこからお話したらいいのかわからないほどです。今私たちは本当にエクサイティングな時に生かされています。昨年神はすべての事柄をそれが本来あるべき場所に位置され、それによって私たちのこころとまわりの状況を整えられました。今年は主が今までに用意されていたものを実現される時です。 今年は私たちがずっと待っていたもの、ずっと祈っていたものの多くを見る年なのです。

でも私は待ちきれない気持ちです。今すべてが実現するのを見たいのです。待ちくたびれました。でも私にとって「一生の間」と思えることが主にとっては一瞬にすぎないのです。それをどうすれば私は悟ることができるのでしょうか? 私たちは主と同じように考えねばなりません。自分の人生の長さを計りの尺度にするのではなく永遠という時間の尺度で計るのです。そして神が一歩次のステップを踏み出されるためには、何億という人々をキチンと正しく整えねばならないことを思うとき、私は謙虚にされ畏れの念を持つのです。どうしてそのように多くの人々を整える必要があるのでしょうか? 

それは私たちが共同で働いているからです。私たち全員がキリストの花嫁であり、一つにつながれているのです。悲しいことに、ある人たち、いや人類の大部分は、花嫁としての座に着かないのですが、本来私たちはすべてその目的のために創造されたのです。私たちのまわりを見てみれば、神からの約束や相続を奪われて絶望という岩に乗り上げてしまっている破壊された人生を沢山見ることができます。それはサタンが花嫁に対して戦いを挑み、その成果上げてきたことの証拠に他なりません。

黙示録の中で花嫁はただ一つの声を持っています。私たちは今完全に一致して一つの声となるべきなのです。しかしまだ私たちはその一致に至ってはいません。

私たち皆が一致してはいません。クリスチャンはこの世と一致していません。この世の彼らもお互いに一致していません。私はクリスチャンがこの世と一致するべきだと言っているのではありません。しかし、この世もまた花嫁の一部となるようにと創造されているのです。ギャングやホームレス、麻薬を売買したり常用したりしている人たちも花嫁の一部となるようにと創造されたのです。しかし彼らは愚かな花嫁であり、十分な油を用意しなかったか、全く持っていなかったのです。

しかし、どのような考えであったとしても、すべての人は自分のいるべき位置についていなければなりません。私たち一人ひとりは自分が接触を持つ自分の周囲に影響を及ぼすだけではなく、間接的に世界にも影響を与え、また次の世代にも影響を与えます。私たちの世代は自分たちの将来だけではなく世界の将来も決めていくのです。今の世代が将来に影響を与えます。私たちは孤立しているどころか、決して一人で行動しているのではないのです。即ち私たちは自分が造り出している音(サウンド)のバイブレーション(振動)に責任を持たねばならないのです。

二人の人が合意するには(たとえうなずくだけであったとしても)、その問題を議論することによって言葉によって合意に達し、合意の条件を明確に宣言したわけです。それは音の力を必要とすることです。そうですね、 話合いをしなくても書かれた文章によって合意することも出来ます。しかし紙に書くとかコンピューターに打ち込むときにも音が出るのであり、やはり音を必要とします。私たちのすることはすべて音を発するのです。

「音の振動」Sound vibrationとは興味深い言葉です。 この言葉を書くや否や私はヴィジョンの中にいる自分を発見しました。それは私たちがみんな音を発するというヴィジョンです。すべてのものが音を出します。合唱をする人もしない人もいると思いますが、私の言う「音」とは私たちが音と普通考えるものとは本当はなんの関係もないものです。 

私は以前、音痴の人の横で歌うのはとても苦手でした。私は「人について歌う」人だったので音痴の人につられてしまうからでした。私は「嫌だなあ」と思いました。神様は彼らの歌をどうして我慢できるのかと思いました。とてもよい声の人もあるし、ひどい人もいます。神はすべてのものをとても美しく造られたのに、どうして音痴な人をそのままにしておかれるのでしょう? 「アメリカン•アイドル」(歌の勝ち抜きコンクール)という番組を見たことがありますか? 非常に下手な人たちの中には、自分はとても上手だと信じている人がいるのです。本当にそう信じているのです!しかし、神にとっては彼らの声は美しいのです。審査員のサイモン(厳しい批評をする人)がするように顔をしかめて「まったく聞くに耐えない!」とは神は言われないのです。違います、主は全く慈しみの笑みを浮かべて「あなたは本当に美しい、あなたの声は素晴らしい!もっと歌ってください。」と言われるのです。主にむかって愛を歌うすべての声を主は実際心から愛し喜ばれるのです。私たちが気にするように人々の歌声が上手か下手かは、主にとっては重要なことではないのです。

どうしてそうなのでしょうか? どうか怒らないでください。それは他のどのような技能・能力、絵を画くことやダンスや何であっても同じなのです。あるものは恐ろしく下手であり、あるものはまあまあであり(平均)、あるものは上手です。全員が上手ということはありませんし、全員が下手ということもありません。それは私たちと全くかかわりがないことであり、なぜならばそれは聖霊が思いのままに賜物をくださるからです。それによってある人が他より優れているとか劣っているとかではありません。ある人が他の人とは異なるということだけです。私の賜物を皆さんと分け合えば皆さんも豊かになります。皆さんの賜物を私に分けてくだされば、お互いがもっと完全になって神からの賜物の全部を楽しむことができます。

神は私たち一人ひとりをすべて同じように愛してくださいます。主の目には私たちはみんな素晴らしいのです。ある人によくない声を与えてその人が歌うのをお聞きになって辟易する、という主ではありません。又、ある人によくない耳を与えてその人がバイオリンを弾くのを聞くのが苦痛だと思われる主でもありません。私たちはそう思いますが、主はそうではありません。

私たちは本当にちっぽけな考え方をします。偏見と裁きの態度です。誰が格好いいか、誰が悪いかを決めます。 歌が巧いのは誰か、 下手なのは誰かを決めます。何がいいか悪いかを決めます。多分これが「善悪の知識の木」の最大の悪でしょう。つまり「神が創造したすべてのもの、すべての人は良い」ということを忘れて、何が良いか何が悪いかを決めるという性質です。それは 歪んだ偏見に満ちたものの見方、即ちすべてのものを自分の好みや意見に照らし合わせて見る見方を私たちにさせるので、世界を 数えきれないくらいのグループに分割し、それを各々の境界線の中に閉じ込めてしまったものなのです。
これが大虐殺やある民族を絶滅させようとする戦争が過去100年間に数多く起こった理由です。アルメニヤ、スレベナ、ボスニヤーヘルゼゴビナ、ルワンダ、ブルンデイ、カンボジア、バングラディッシュ等での戦いで、花嫁になるべきだった2千3百万人以上が死にました。それに付け加えたのですが、アメリカだけで花嫁の53、227、874人以上が堕胎によって1973年から殺されています。それも私たちが自ら何が良くて何が悪いかを決めたからなのです。


神がルシファーを創造されたとき、神は悪ではなく善を創られました。しかしながらルシファーが自らを醜く悪であるものに変えたのです。神がよき方であることを疑い始め、自分で善悪を決めたのはルシファーでした。実のところ悪こそが醜いのであり、才能や能力、見かけの美しさが無いことは醜いことではありません。

私は人と会ったときに最初に抱く直感的な思い(第一印象)―それは生まれつきのもの、あるいは生後に習得したものから来るものを含め―を常に点検する必要を持っています。昨日ショッピングセンターを歩いていたとき、かかとが11センチもある偽革のブーツをはいている若い女性とすれ違いました。すぐに私に頭に浮かんだことは、なんて格好悪いブーツなんだろうという思いでした。すると聖霊が私を直ぐにチェックし、いくつかのことを私に示されました。

まず、そのブーツをデザインした人はそれは最高のデザインだと思ったということです。次にこの若い女性はこのブーツは素晴らしいと思い、誇りをもってはいているのです。私が好きではないとか、絶対はくことはない(私は2センチのヒールでも転んでしまいますから)からといってそのブーツが不格好であるわけではないのです。神様は多くの種類を創られる神ですから、私たちはみんな違っていて好みも違うのです。私たちはそれぞれがユニークで違っていることを喜び、自分と違う人々や彼らがすることを批判することを止めなければなりません。

歌と音の振動に話を戻しましょう。最近ある学校のタレントショウで見たことに私は非常に怒りを覚えました。一人の女の子(多分16歳)が誇らしげに紹介されたのですが、彼女はすばらしい才能の持ち主で歌のチームにとっても彼女が入ったことは幸いということでした。司会者は数分間も彼女の音楽的才能を褒めそやしました。しかし、他の同年の子達と同じように無邪気であるべきこの少女は、官能をそそるような歌を歌い、声も身振りも非常に醜く人の心を乱させるものでした。確かに彼女の声はすばらしかったと思いますが、彼女の中の他のすべての声はそうではなく、それらの醜い音が私の耳に達したのです。
いい声か悪い声かは別にして、私たちは皆声を持っています。しかし、神が聞かれる音というのは、その声と私たちのすべての細胞が造り出す声が合わさったものなのです。この合わさった声が音の振動を作り、それが第一、第二、そして第三の天にまで届くのです。

この音の振動がすべての人、すべてのものから発せられているのが私には見えます。事実、創世記に書かれている創造の記事を信じるならば、すべてのものは物体ではなくて音なのです。そしてすべての音はそれぞれ独特の色彩を持っていて、それは肉の目を通して見る色とは違います。私たちは普通皮膚の色とか目の色とかをみますが、音の色は見え方が違うのです。丁度様々な音が合わさって一つのメロディーとなるように、それは色が渦巻いて見えるのです。ヴァン•ゴッホは(彼は宣教師でした)この音を見る能力を持っていて、その音の「生きた」エネルギーで絵を描いたのです。友人が彼から去ったとき 絶望して自分の耳を半分きり落としたほどに彼を狂気においやった原因は多分それだと思います。彼はもう自分に聞こえてくる音を聞きたくなかったのでしょうか?

さて、この音の振動が発せられて、他の全ての人が発する音の振動と一緒になることを想像してみてください。その音の振動は(大きな)力 forceとなります。イエスは「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」と言われました。ふたりの人が一致するならば、言葉の大きな力 forceを生むのです。その音は神の御座にまでとどき、神はふたりの霊、心、思いの一致によって動いてくださいます。

一致の色は白です。白という色は実はすべての色が(一致して)合わさったものであり、反対に黒はすべての色が無い(一致した色の欠如)ものです。聖書でイエスが白い衣を着ておられ、全創造の御座に座しておられる父が白い衣を着ておられ、白い髪、白いひげであると描写しているわけはここにあります。白は私たちすべての心、魂、身体が三位一体の神と一致し調和している色なのです。白は義の衣の色です。それはこの世が見るような皮膚の色とは何の関係もありません。(今アフリカではしらこ(albino)の虐殺が行われています。それは人々はしらこの皮膚には大きな力が秘められていると信じられ彼らの骨が高額で売買されているからです。)

音があなたから発せられ他の人の音と一緒になって第三の天にまで上っていくのを想像してください。そしてこの力が何百、何千、何百万という人々の力と一緒になり、第三の天にまで広がってゆき、愛、崇拝、感謝、創造、、、の力となっていくのを思い描いてください。

全世界が一致した花嫁で満ちあふれ、すべての音の振動が第三の天まで届くことを想像してください。その効果はどんなに素晴らしいことでしょうか? 自然界のある第一の天ではいのちは幾倍にも豊富に増し加わるでしょう。第三の天では絶えることのない祈りと天使の働きにより平和があり、すべての民が絶えず喜んでいるので言葉で表すことが出来ないほどの喜びが満ちることでしょう。地獄のような第二の天では嘆きと歯がみがあるでしょう。深い穴では彼らは千年の投獄を終えて出てくるときに人類を攻撃するための計画を練っているでしょう。

この一致した音の振動はパワフルな力です。それは創造し、回復し、力を与えます。それは3つの天を通ってすごい力で駆け抜けるのです。
私たちは音によって創られました。すべての人は音から創られ、音により音から形創られました。創世記にはすべてのものが神の言葉によって創られたとあります。私たちが話したり歌ったりする言葉には力があるのです。しかし私たちの身体の一つ一つの細胞が語ったり歌ったりする言葉にも力があるのです。(続く)

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by walkwithgod | 2009-10-04 13:34 | アメリカからのメッセージ

天からの新しいサウンド(音) ダグ•アディソン 9月24日

天からの新しいサウンド(音)

ダグ•アディソン 


「新しいサウンド(音、音響)が天からすでに解き放たれている」と神が何度も言われるのが私に聞こえます。新しいサウンドが来るという預言はこれまでにも語られており、多くのミュージシャンやワーシップリーダーがそれはどんな音であるかを模索しています。まだどこの教会でも天からの新しい音を聞いたことはありませんが、私の霊の中でそれはいつも響いているのです。

音楽はすべてのもののペースをセットします。神は今地上で新しいことをされているのですが、それもやはり音楽を通して流れ出るのが適切であるのです。油注がれた音楽は私たち個人個人に対しても、又教会や地域、世代に対しても神のみこころやご計画を伝達することができます。ワーシップ音楽は、ただ単に神の御ことばを聞く前に私たちの心を整えるための歌だけを指すのではありません。(それも確かに大事な役目ではありますが。)ワーシップとは聖霊が ご自分の道やもっと高い目的に私たちを導かれるために叫ばれる叫びCRYなのです。

新しいサウンドは私たちを旋風(嵐)のように捕らえることでしょう。そしてそれは今の私たちのワーシップとは全く異なるものでしょう。私たちの多くが以前神を経験しましたが、まだそのようには神を経験していない今の若い世代の耳を新しい音(楽)は捕らえ彼らに神を経験させることでしょう。預言的音楽、過激的なダンス、新しい歌やアートなどが新しい音の主な要素major keysとなり、ついには教会史の中で最も偉大なリバイバルの一つを迎え入れることになるでしょう。過去の神のムーブメント の場合と同じように、新しい音を教会全員が受け入れるとか神からのものであると認めることは、残念ながら起こらないでしょう。 

轟々と音を立てて流れる川とか雷がとどろくような音が天から聞こえてきました。私が聞いた天からの音は、ちょうどハープ奏者が奏でるハープの音のようでした。天の御座とその周りを囲む四つの生き物と長老たちの前で新しい歌が歌われました。その歌は地上から贖われた144,000人にしか分からない歌(黙示録14:2-3)でした。

過去に起こった最後の新しいサウンドから学べ

1960年代に英国からの新しいサウンドがアメリカや世界に旋風を巻き起こしました。ビートルズが現れ、リズム&ブルースのエッセンスに早いビートを加えて楽しくわくわくさせるフィーリングを与えました。その歌詞は当時の若い世代に力を与えました。それだけではなく、彼らの音楽には「油注がれている」と言ってもいいくらいの何か特別なものがあったのです。ジェイムス•ライルは彼の著書“Sons of Thunder”の中で、ビートルズは神からの召しがあったにも拘わらず状況や間違った選択をしたために、自分たちに与えられていた神の御国のより偉大な ディスティニーを見つけ出すことが出来なかったのだと神から示されたことを述べています。その結果、彼らの賜物と音楽はアメリカ史上最も大きな中東の宗教のムーブメントを迎えるのに用いられてしまったのでした。神が彼らに新しい音と音楽の息吹を与えたにも拘わらず、敵がそれを歪めてしまったのです。

私はよく考えるのですが、今までに新しいサウンドの到来を預言的に認識した人があったでしょうか? いたとすれば、その人はビートルズが御国の賜物と召しを見いだすのをもしかして助けられたのではないでしょうか? 1960年代初めに天からの新しい音がドイツのハンブルグやイギリスのリバプールの居酒屋ですでに起こっていたことをもし教会が知っていたならば、人々はそのことを信じ受け入れたでしょうか?

私は預言的に宣言しますが、現在すでにこの地上に新しいサウンドが来ています。ビートルズが一つの世代を神から引き離してしまったと同じように、この新しい天からのサウンドは今の若い世代を大勢神へと引き寄せるのです。今度は敵に奪われることはないでしょう。

ロックンロールは年配の人たちには好まれませんでした。教会は、それを若い世代に福音を伝えようとする神の御心から出たものであるとして喜んで受け入れる代わりに、それを押しとどめようとしました。その結果敵が偽物を作り、ロックは堕落し濫用されました。ジーザス•ピープル•ムーブメントが起こったとき初めてロックが教会の中で使われるのが許されたのです。しかしそれは十年遅すぎたのでした。

1980年代の初めに、ヴィンヤード•チャーチの創始者であるジョン•ウィンバーは「ガレージ•バンド」が教会のワーシップをリードしている幻を見ました。ガレージ•バンドとは世には知られていない才能あるミュージシャンのバンドのことです。そして確かに現代のワーシップチームは昔ガレージ•バンドと呼ばれていたものと同類です。興味深いことに、ジョン•ウィンバー自身も、キリストに一生を捧げる前はRighteous Brothersというバンドのメンバーでした。

トーチを掲げるものの台頭

2009年7月16日に私は夢を見たのですが、夢というよりは霊的体験と言った方がいいでしょう。それは私がカリフォルニア州のベイカーズフィールドにミニストリーに出かける前の夜だったのですが、自分が出席しようとしていた集会へ私は霊で連れていかれました。その体験の中で、私は黒い手の平でつかめるような電気製品を組み立てるようにと言われました。それ電気のトーチのようでしたが電流を必要としないものでした。それは聖霊からエネルギーを受けて、全く新しいレベルでミニストリーをするために用いられるものでした。

トーチにハンドルをとり付けると、 それは地上で聞いたことのないサウンドを霊の中に(あるいは霊のサウンドを)創りだしました。それは電子のピッチelectronic pitchを持ち、いつまでも(永遠に)鳴り響いていました。そのサウンドは本当に変っていたので多くのクリスチャンは腹を立て、その新しい音を聞きたくない大勢の人から私は攻撃を受けました。次の日、夢ではなく現実で私はカンファレンス場に着いたのですが、そこは初めての場所だったにも拘わらず私が霊的体験で見たのと全く同じビルディングでした。

神が新しいサウンドと新しい油注ぎを解き放たれていること、そしてそれは非常に過激的であるので、クリスチャンの多くがそれを退けてしまうということを私は知っていました。このトーチとサウンドは、新しい世代がそれを掲げて かつてなかったような神の超自然的な栄光の新しいレベルへと走っていくためにとっておかれたものなのです。私がこの夢(体験)をしたのと丁度同じ週末に、ベイカーズフィールドで一番大きな油田が発見されたのは興味深いことです。霊的に新しく非常に大きなものを私たちが今まさに発見しようとしていることを、私たちに確認させるために神はこの油田の発見を起こされ用いられたのです。

ナッシュビルからのサウンド(音楽)を過激的に変えた1970年代のカントリー•ミュージックの革命的な「アウトロー」 ムーブメントにおいても、ベイカーズフィールドが重要な役割を果たしたことも又意義深いことです。神はベイカーズフィールドのように無名で小さな町を用いたいと思っておられるのです。それらの町は変革する備えが出来ていて、神の栄光をもたらすために自分の箱から出ることをいとわないからです。

数日後に私はカリフォルニア州のサンタマリアの家に戻り、私が経験したことを妻に話しながら街を車で走っていました。信号で止まったとき、二人のティーンエイジャーが喜びの叫びをあげながらトーチをもって走ってきました。それは丁度オリンピックのトーチのようで、本当に火が燃えていて現実に私たちの目前で起こっていることでした。その時神が私に語られました。「今は『トーチを掲げて走るもの』を解き放つ時であり、彼らは神の光と愛を今までなかったほどに世界にもたらすものだ。」と。

ラジオの音楽

1990年代の終わり頃、私たち夫婦はオハイオ州のケント州立大学の近くで最初の教会を始めました。神がこの町に「ラジオの音楽」"sounds of the radio"(ラジオから流れている音楽)で福音を伝えるようにと私に語られました。そこで様々なジャンルの音楽を試したのですが、16歳のワーシップチームのメンバーがヴィンヤードのワーシップの歌詞を、ブリンク182や、メタリカ、リットというロックバンドによって流行っていたいくつかの曲につけたものを持ってきました。その成果は驚くべきものでした! 今まで私たちが慣れ親しんだのとは違うスタイルでワーシップすると、若者たちを神に結びつかせることができたのです。それはチャールス•ウェスレイ、マルティン•ルター、ウィリアム•ブースというようなリバイバリストが、賛美歌の歌詞をその頃酒場で流行っていた曲につけて人々にイエスを伝えたのと似ていました。

それから何年も経ちましたが、私は今カンファレンスの講師や伝道者として働いています。2年前に神は私に、ラジオから流れる歌をあがなって、それらの歌を用いてワーシップする方法を人々に示すようにと言われました。私はいろいろな教会で私のiPodをサウンドシステムにつなぎ、私の言わんとするポイントを示すために話の途中で音楽を流すことを始めました。私は「I Can See Clearly Now」とか「 Don’t Worry, Be Happy」というような歌の一部を聞かせたのです。私は特にトム• ペティーの「I Won‘t Back Down 」はすばらしいワーシップ・ソングであると思っています。

教会の礼拝を終えて外に出ても、こういう歌が聞こえて来たらすぐに神を賛美してどのような場所や状況にも神の油注ぎをもたらすことができるようになります。教会の音楽やワーシップチームを持つことは良いことだと思いますが、それと共に、自分たちの箱の外に出て、神が私たちやまだ神を知らない人々のために用意しておられるもっと多くのものを発見しようと努めています。

新しい音楽を歓迎する

私が聞いた天からの新しいサウンドは電子音楽でしたが、それは私たちがいつも聞くelectronic musicとは違っていました。それは丁度1940年代のビッグバンド•ミュージックから50年代のロックンロールへの大きな転換を思いおこさせるほどのものでした。古い世代の人たちは新しいロックミュージックを好みませんでしたが、やがて遂にはロックが勝ちを得ました。それから50年が過ぎた今、再び変換が起こっていてロックはテクノ technoに座を譲ろうとしています。前の世代がしたと同じように、年寄りは古いものにしがみついて新しい音と戦おうとするでしょう。

私は本当はロックが好きなのですが、娘の世代が新しい音楽を喜んでいることの価値も認めていますので、それを受け入れようと努力しています。私は50歳ですが、「ワーシップ ミックス」を創り、新しいハンドヘルド•テクノロジーを使ってDJをすることを学んでいます。面白いことに、新しいテクノロジーは黒くて小さい手に持てるサイズのもので電子音楽を創りだすことが出来ます。これは私が夢で見た天からの音を解き放つ器具そのものでした。

この新しい音はすでに地上にあるのです!クリスチャンや教会がこの神の新しい動きを以前のように拒絶しないで受け入れるならば、素晴らしい可能性が生まれることを想像してみてください。聖霊が今語られ、しておられることを「聞く耳」を神が私たちに与えてくださることを祈っています。

神よ、教会史上最大のリバイバルのためにあなたのパートナーとして働けるように助けてください!(終わり)

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by walkwithgod | 2009-09-24 09:07 | アメリカからのメッセージ

霊の武器のための銃弾の緊急招集 ビル ヨント 2009年9月13日

霊の武器のための銃弾の緊急招集

ビル ヨント 


これまで私たちは 様々な霊的武器を敵の攻撃に用いてきましたが、近頃私はそれに関して疑問を持ち始め、「主よ、私たちは適切な弾薬を用いているのでしょうか?」とお聞きするようになりました。武器に合っていない弾薬とは、自分が召されていない(もしくは、かつては召されていたが今はもう召されていない)ミニストリーの場所にしがみついていて、どうして自分の部隊は戦果をあげられないのだろうといぶかしく思っている人のようなものです。

より高い目的へ

時として神は私たちのミニストリーが人々から拒絶される(reject)ことを許され、それによって私たちが もっと高い主の目的にむかって飛び出せる(eject)ようにされるのです! 神は私たち(個人)が更に高くのぼるようにと常に計らってくださるのですが、必ずしも私たちのミニストリーが高くのぼるようにされるとは限りません。「拒絶される reject」という言葉は「捨てられる throw away」という意味です。「飛び出させる eject」という言葉は「勢いよく追い出す、強制的に追放する」という意味です。もしあなたのミニストリーが人々や状況によって拒絶されたと思うならば、それは、神の目から見れば、もっと高い召しに向かうために追い出されたのかもしれないのです。

最近のことですが、私はある牧師のために祈る機会がありました。彼は自分の進むべき方向に関して主からの言葉を求めていました。彼がおかれていた状況は何も聞きませんでしたが、それは私が主のみ心を正確に聞くためにはその方が良かったからです。祈っていると私はパンプ散弾銃Pump shotgunのヴィジョンを見ました。この型の銃は、パンプすると自動的に空の薬莢を吐き出し、次の弾丸を銃に詰めることが出来るのです。

この牧師のミニストリーは、本人の目から見ても、また多くの教会員の目から見ても、全く拒絶され捨てられた「空の薬莢」であると見えました。しかし、神の目には、彼のミニストリーは勢いよく放り出されて、それによって主がもっと素晴らしい方法で彼を用いられることが出来るようにされたのです。神は私たちがもっと高くのぼれるように常に計らって下さいますが、私たちのミニストリーに関してはそうとは限らないことを忘れないでください。

次に、主が牧師自身を銃に詰め彼がまだ行ったことの無いところ、使徒的な召し、に向けて発射しようとしておられるのが見えました。散弾銃の中には沢山のBB弾が入っていて広い範囲の的にあたるようにしてあるように、「ばらばらになっても増大するミニストリーもあるのだ!この牧師のミニストリーはこれから広がって行き、近くや遠くの多くの的に当たるであろう。」と主が語られました。

時として神は、私たちをもっと高い目的に用いるために,私たちの人生から現在のミニストリーを取り出してしまわねばならないのです 。現在、一見すると後退しているようなミニストリーが多くありますが、実のところそれらは違う方向に向かって前進しているのだと私は感じます! 私自身のミニストリーを始めとしていろいろなミニストリーでそれが起こっています。私が喜びを持ってしていたことが人々に受け入れないように見えたのですが、それは私のミニストリーのその部分を神が追い出されて"ejecting"、私がより素晴らしく用いられるようにしてくださったのです。私はそのミニストリーを非常に愛していたので、自分から 手放すことは決して出来なかったことでしょう。ですから神は他の人々を使って私にあきらめさせたのです! 

みんながあなたやあなたのミニストリーを拒絶しようとしている、という拒絶コンプレックスを持つのを私は勧めているわけではありません。あなたは正しいスピリットを持ち続け、神が人々の拒絶rejectionを用いてあなたを強く押し出すejectionまでは、反対する人々(あるいは反対されること)に忍耐せねばなりません。それが神の手によるものであり神のタイミングであるならば、あなたは今までの理解を遥かに超えた主の臨在と平安の「注入」"injection"を経験することでしょう。

あなたは銃弾

霊的な武器は何かと尋ね求めたときに、私はその銃弾を見つけたのでした。それは私たちです! 最近、栄光に満ちたワーシップをしている中で(にもかかわらず)、 敵を攻撃する武器の力が不足していることを感じ、それがなぜかを思い巡らしていました。すると主が「わたしの大砲にあなたを詰め込んでもいいか?」と言われているのを感じました。

これまで私たちは主の軍隊を立て上げるために、神にワーシップや祈りを捧げ、お金も出してきたように思えます。しかし、主は今、私たちが主の武器の銃弾になることを求めておられるのです。「この地上で敵を克服するためにわたしが持っているものはあなたたちだけなのだ!わたしを信頼しなさい、そしてわたしの武器にあなたを装填させなさい。」と主が言われているようです。主が必要とされるのは私たちが主に完全に服従し、主の霊的大砲や銃、戦艦に詰められ装備されることなのです。

主の銃弾になるという啓示は私を圧倒しました。弾丸は一度飛び出したら戻ってきません! 銃の中の弾は自分が撃たれた場所に戻ることはないことをよく知っているのです! 月日が経つうちに忘れてしまっていた大変重要な召しを私は思い出しました。それは神からの召しは引き返すことのない片道切符だということです。もしも引き返すことを少しでも考えるならば、私たちはきっと引き返してしまうでしょう。

神の召しを強く受けて世界の国々に宣教に出かけていった人々のことを以前読んだことがあるのですが、私はそれを思い出しました。神からの召しを真摯に受け取った人たちは、宣教地に向かう船に乗り込むときには自分の棺も一緒に積み込んだのです。彼らは自分がもう戻らないことを知っていました!もし戻ることを少しでも考えたならば、彼らは帰ってきていたことでしょう。彼らはイエスに従うことを選んだ日は、即自らに死ぬ日であることを知っていたのです。

「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしの言葉のゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」黙示録12:11

このように、主は私たちが 敵を攻撃するにあたって、片道切符しか持たないで主にどこまでも従って行くようにと召しておられます。霊の大砲、銃、戦艦が今、敵に狙いを定めて戦闘態勢に入りました。銃弾が今招集されつつあり、私たちが銃弾です!その召しに私たちは喜んで答えるでしょうか?(終わり)


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by walkwithgod | 2009-09-14 07:55 | アメリカからのメッセージ

まどろむ者よ、目を覚ませ! テレサ•フィリップス 2009年9月8日

まどろむ者よ、目を覚ませ!

テレサ•フィリップス
 


私はあるショッキングな夢を見ました。それは私をひざまずかせるのに十分でした、喜びで! その夢はこうです。私と主人が車をドライブして丘を下っていくと、私たちの横を数人の人たちが乗った車が走っていました。すると、その車がコントロールを失って橋のそばにあったコンクリートの柱にぶつかってしまったのです。彼らの車は大破しました。私たちの車もその衝撃を受け損傷を受けました。

私は直ぐに救急に電話してから、車の中の人を助けに向かいました。一人の子どもが血を流していたので、毛布でくるみ近くの病院に連れていきました。私はもう一度救急に電話をしてから、二人目の被害者を病院に運びました。病院にいるときにも又救急に電話しました。というのは、病院でも誰も私たちを助けにくる人がいなかったからです!

私は主人が意識を失っているのに気がつき、助けを呼びました!誰も助けに来てくれませんでした。私は接着テープがあるのを見つけて、腹部が大きく裂けている女性の手当をし始めました。彼女の傷口をテープでふさぎはじめたのですが、もう一度助けを呼びました、、、「イエス様」と私はささやいたのです。すると傷口からの出血が止まり彼女は身を起こしました。私はホッとしました。でもまだ誰も助けに来ません。主人が意識を取り戻したのがわかりました。子どもも目を開け息をしていることがわかりました。全員の出血はすべて止まっていました。私はもう一度救急に電話をしましたが誰も来ませんでした。

すると、私の前にカーキ色のズボンをはき、ぱりっとした白いシャツを着た男の人が立っていました。私が「ドクター、今までどこにいたんですか?」と聞くと、彼は「わたしはあなたのすることを見ていたのですよ。あなたは私がすることを許されていることよりもうまくやっていました。I was watching you … you did better than I was allowed to do.」と言いました。実のところ彼は患者を治療することを許されていない医者だったのです。病院の医療関係者たちが来てくれないので、夢の中の私は本当に腹を立てていました。

夢から覚めたとき、私の身体は震えていました。夢の意味が私にはわかっていました。何か劇的なことを神が考えておられることがわかったのです。私はもう一つの眠りから揺り起こされたのです。それは主が実にどのようなお方であるかを忘れている眠りです。今は多くの者がその眠りから目覚める時であり、私もその中の一人として入れられたいと思いました!

その時、私は主を、主の臨在を、私のまわりに感じ始めました。夢の中で私は主の名前を大声で叫びました。そうです、私は主の御名を用い、主はそれに答えてくださいました。夢の中でその結果を私は見ることができました! 私は目を覚ますときに、はっきりとそのことを意識していました。主の教会はものごとを変えることが出来る、又、変えていこうとしているのです。私は「私たちが変えるんだ!」と大声で叫びました。私たちが変えていくのであり、又、変えていかねばならないのです! シフトです!

夢の中の男性は実に私たちのよき医者である主イエスでした。主は手を出すことを許されていなかったのです。主が「わたしはある I AM」という方という明白な真理にも拘わらず、「I was」と言われたのです。聖霊が新しい啓示へと私たちを目覚めされておられることを私は知りました。私たちは「わたしはある」という方をその言葉通りに受け取っていいのであり、又、受け取らねばならないのです。


御言葉通りに主を受け取る

“モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」” 出エジプト3:13—14

神は、モーセに導くようにと託した 民のために「わたしはある」を遣わされました。それは「わたしはある」という現在形の言葉でした。即ち、今あるもの、活動しているもの、生きているもの、動いているものです。神はご自身の一部を与えられたのです。歴史を変え、時の流れを変えることになった啓示的な一瞬を神はモーセに与えたのです。神はアブラハム、イサク、ヤコブと契約を結ばれましたが、モーセにはご自分の名前を与えられたのです! 神は変わることのない神であられるのです!

聖書によれば、神はモーセに「あなたをパロに対して神(即ち、わたし)とする。」と言われました。どうしてでしょうか? それは「わたしはある」という方があなたと共におられるからです。それは主との交わりであり、パワフルであり、啓示的です! モーセは神がご自分を顕されるのを見ました。今日、多くの者が自分のための燃える柴の前に立っています。何故でしょうか? それは今多くの者は、「わたしはある」という方に働いていただく必要を見るからです 。

まさに今この時 、私たちは神がここに確かにおられることを知っています。これは非常に重要です。神は「わたしはあなたを決して見放さず、あなたを見捨てない。」と言われるからです。

「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたと共におられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」申命記31:8

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:20b


「わたしはある」という方が与えられている

「見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。あなたは、その者に心を留め、御声に聞き従いなさい。決して、その者にそむいてはならない。わたしの名がその者のうちにあるので、その者はあなたがたのそむきの罪を赦さないからである。」出エジプト23:20−21

「わたしはある」というお方は、天の聖なる都から遣わされた天使にご自身の名前を与えられたのです!ここに「イスラエルを守るために主から遣わされた天使のミニストリー」を私たちは見ることができます。「わたしはある」というお方がご自分の名前を分け与えられたのですが、それはどうしてでしょうか? それはご自分の民を守るためでした。しかし、それだけではありません。

“神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神、イサクの神、ヤコブの神、主が私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。」”出エジプト3:15

代々にわたって、主なる神ご自身のパワフルな御名が私たちすべてに送られたのは、何をするためでしょうか? 神の御業を人々の中で告げ知らせるためです! 主の御名は私たちに与えられた最もパワフルなデモンストレーションです! 御名はパロの頭を下げさせます。膝をかがめさせます。癩病人を清め、病人をいやし、悪霊を追い出します。そして主の御名で願うものは何でも、主は与えてくださるのです!

主が言われます。「ああ、思い煩っている者よ、悪い知らせを聞く者よ、これに耳を傾けよ。ああ、わが子よ! 聞く耳のある者よ。

『わたしはある』が今あなたにあたえられる。『わたしはある』が今あなたに啓示される。あなたがたの中の『わたしは今ある』というお方の力と啓示をもって力ある業をするために出ていけ。病人をいやせ! 癩病人を清めよ! 悪霊を追い出せ! 心の傷ついた者をいやせ! 捕われ人を解放せよ! 『わたしはある』というお方があなたを遣わしたと彼らに告げよ! わたしはあなたがわたしの名を持つことを許す。わたしに御名を使いそれをデモンストレートする権利をあなた与える。そのことにあなたを召す!

まどろむ者たちよ、目を覚ませ! わたしが持つすべてのもの、わたしのすべてをあなたに与えよう、と『わたしはある』 は言う!」(終わり)

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by walkwithgod | 2009-09-08 12:11 | アメリカからのメッセージ

勝利者となる霊 ポール•キース•デイビス  2009年9月1日

勝利者となる霊

ポール•キース•デイビス




この数週間、正しく2010年を迎えるためには、今年の後半が重要であることを主は強調されました。2009年の後半の六ヶ月に始めることが2010年に起こる多くのことを導き迎え入れることになるからです。

過去数年にわたって預言的に示されてきた真理を、私たちが本当に理解し実行することの大切さを御霊は繰り返し強調されました。御霊は新しい啓示を与えるかわりに、すでに私たちに与えられている預言的政策やアウトラインが実行され適用されるようにと、それらを改めて強調しておられるようです。自分が信じていることと実際にそれを実行して経験していることの間のギャップを縮める必要が私たちにはあるのです。

私は、現在の経済や霊的状況、アメリカの政治的チャレンジに関して主に訊ねましたが、どの質問に対しても「わたしの花嫁を整えなさい」という同じ答えを頂きました。もし花嫁が本当に主が召されているような花嫁になるならば、これらすべての状況に対して語っていく権威を委ねられるでしょう。そして霊的、経済的、政治的状態に影響力を及ぼし始めるでしょう。黙示録2:26—29には次のように宣言されています。

「勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。 また、彼に明けの明星を与えよう。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』

今私たちは霊的に成長し勝利者として人生を歩むようにと召されています。私は今まで「勝利者overcomer」に関する記事を多く書いてきましたが、今もう一度私たちがこの召しに応答することに関して書きたいと思います。勝利者には恩恵と祝福が主から与えられ、それこそが私たちに繁栄をもたらし、 時代の必要に応じる能力を得させる奥義なのです。 

歴史上重要な人物というものは、ユニークにそして必要に合うようにその時代に生まれ、よってその時代の必要と問題に答えることができるようにされました。今の時代の目的のために生まれた者たちが勝利者として今こそ台頭し、この時代にその権威を用いる時です。

勝利者となる霊

今日、私たちが実際にこの世で王としての神の権威を示すことによって、神の御国を具体的にデモンストレーションできるという聖書の約束を成就する恵みが私たちに与えられ、現に実行されていることは 大きな励ましです。神のブループリントや計画の中には、 意味深い預言的約束がはっきり示されています。そしてそれらは預言者や聖書によってすでに語られています。何世代にもわたって多くの預言者や予見者が啓示の賜物を用い、聖別された人々によって神が約束されたことが完全に実現する日が来ることを預言してきました。

2000年の教会時代を通して、「時代の霊」と個人的な困難に打ち勝ち、御国に入れられ大いなる霊的祝福を受けた人々に命令と約束が与えれてきました。「勝利を得る者」という人たちは、私たちの敵(彼はしばしば神の計画と目的に似せた偽物を使う)に完全に打ち勝つという特別のデスティニーを持つ人々に与えられる注目すべき(名誉な)称号です。

ですから、「勝利する」という非常に重要な課題は、人が思うほど簡単ではないのです。人には正しいと見える道が最後には破壊に至ることがあります。主がマタイ24章ではっきりと警告されているように、真実なものに非常に似ている一つの宗教が起こり、出来れば選民をも惑わそうとするのです。

サタンの5つ目の「I will」である「いと高き者のようになろう」(イザヤ14章参照)という間違った願望と関連している微妙な偽りから端を発している偽の油注ぎがあります。熱心に宗教的活動をすることとか表面的な形とか美しさを追うこと(それはサタン自身の間違った願望であり、又方法なのですが)が大事であると思わせることによって、神が御民に約束された神のいのちを盗み取ろうという試みなのです。

歴史的に見て教会時代に起こった多くのリバイバルとか御霊の傾注はいつもこのようでした。しかし、今や「勝利者」への報いは、神の御民の「子としての特権」を盗もうとする敵の試みをはっきり見破って、サタンとその偽りに完全に勝利した者たちに与えられる時がきました。

隠されているマナ

私が個人的に特に重要だと思ってきたことは、ペルガモの教会の「勝利者」に与えられ下記の約束です。

「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』(黙示2:17)

新しい名前を受け隠された秘密を知ることは、何か興味をそそられ惹かれるもの があります。それらは賢者や知恵のある者には隠されていますが、主がヨハネ15:15で約束されているように、主の友には自由に与えられるものです。

聖書の中で 新しい名前が与えられた時は、その人の性質が変わり、その人に与えられた特別の任務のために天からの徳が分与されたことを表しています。それと同じように、「隠されているマナ」はこの特権にあずかりたいと熱心に願う人々を霊的に養うために、特別にとっておかれているのです。

勝利者としての資格

今の世代に明らかにされる大いなる啓示の一つに、「勝利を得る者」とされる資格があります。ペンテコステの日以来、教会時代の各時代に託された真理のメッセージがあります。それは真理の御霊がその時代のために与えられるいのちのパンであり、人々は喜んで受けとり経験を通して理解されるべきものでした。

マルチン•ルターの時代におけるその世代へのマナは、信仰義認のメッセージでした。当時民衆は救い主と親しい関係というのではなく宗教の組織に属さねばならないという義務を課せられていたので、彼らにとってこのメッセージは 今まで聞いたことのなかった新鮮な真理でした。

その時代に続いて、ジョン•ウエスレイやジョージ•ホワイトフィールドをはじめてとして多くの者たちから聖化のメッセージがあらわれてきました。それは教会が相続人として持つ霊的特権を発展的に回復して行くのを助けるもう一つのマナが天から与えられたのでした。20世紀初頭には、異言や霊の満たしという聖霊の賜物が伴うカリズマの回復が起こりました。

各世代にいのちのパンが与えられ、そのメッシージを受け取るためにその時代の宗教的組織に打ち勝った者たちへ励ましや報酬が与えられました。これらの励ましの言葉は使徒ヨハネが天的な経験を通してアジアの教会に宛てた7つの書簡に見ることができます。これらの7つの書簡は過去2000年間の教会の歴史の霊的状態を適切な矯正、励まし、訓戒をもって鮮明に描き出しています。

御国をリアルに表す

私たちは今、ラオデキヤの教会の時代から御国がこの世に現れる時代へと移行する時代に生きています。人々が天の御国の領域と深く交わり、それによって地上に御国を実現することができるように人々を整えるためのすばらしい真理が、この時代のマナとして与えられています。

聖書が民衆の手に渡らなかった暗黒時代にあってさえ、生ける御ことばなる方 が真に純粋な心と正しい動機で主を求めた者たちに御自身をあらわされました。多くの歴史的記述がこの事実を証明しています。

使徒パウロは彼の時代のためにいのちのパンを与えるメッセンジャーとしての大いなる特権を与えられました。彼のリーダーシップと犠牲に対する報酬として、彼はその時代の「勝利者」を清純な処女として主にささげるという栄誉を受けました。第二コリント11:2に書かれています。

「というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。」

各時代において神の民にマナを与える使命と任務を受けたメッセンジャーたちに、これと同じ特権が与えられるのです。神が油注がれた指導的立場にあるリーダーたちにとって、今の時代のクリスチャンたちを 主が婚約されている清純な処女として整えることは、非常に素晴らしい栄誉となることでしょう。

各時代においてメッセンジャーたちは、神からの指令と真理を自分の骨の中の火のように抱き、それをどうしても伝え示さねばならないという思いをもって遣わされてきます。彼らは主の御手にある星のように、天からの啓示を教会に与えるのです。主のご性質を持つ主に似た者となるように人々を整えるための天のマナが、かつて無かったほど多くのメッセンジャーによって与えられるという約束が今の時代には与えられています。7つの教会の時代に与えられた光が何倍にも明るくされるときなのです。イザヤ30:26の預言にあります。

「主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍になって、七つの日の光にようになる。」


アブラハムの忠実なしもべであったエリアザルは、これらの神のメッセンジャーを象徴していると言えるでしょう。彼は約束の相続人であるイサクのために清純な処女を得るためにメッセージと贈り物を携えて遣わされました。未来の花嫁はただの女性であってはならなかったのです。彼女はイサクの骨の骨、肉の肉となるために彼と同じ伝統と血統を持っていなければなりませんでした。

これは今も実行されねばならない完全なシナリオです。「エリアザルたち」が忠実で誠実なしもべ、神の奥義と力を持つ信頼できる管理者として現れ、輝く情熱のある花嫁を花婿なるキリストのために獲得するのです。彼らは真の「勝利者」として生き、聖書で約束されている恩恵を享受する人々なのです。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-09-01 15:51 | アメリカからのメッセージ

8月24日から10月17日の間に大変化が起こる チャック・ピアス 8月22日

8月24日から10月17日の間に大変化が起こる

チャック・ピアス



私はフロリダのオーランドで行われた「Let the Eagles Gather−預言者、使徒、とりなし手の国際的集い」というカンファレンスから戻ったばかりですが、集会の朝のワーシップの時に、主が天を開いて次のことを示してくださいました。

新しいアイデンティティーと経済的シフト

新しいシーズンにまさに入ろうとしている今、私たちは自分の新しいアイデンティティーを持つ必要があります。天から光が矢のように差しているのを私は見ます。それはあたかもあなたが歩むための光の道を主が用意されたようです。パワフルな啓示があなたの上にあり、それが動き始めています。信仰によって踏み出してください。そうすればあなたの歩む道が生き生きとしてきて、あなたは今までと違う歩き方をするようになるでしょう。ある人たちはどのように次の一歩を踏み出せばよいかわからないかもしれません。でも私ははっきり言いますが、あなたは新しい道を歩くことができ、人々はあなたが今までと違う歩き方で歩くのを見るようになるのです。

今、敵は、この世のブループリントに従って生きるようにとあなたを誘惑しています。今この世で起こっている様々な(経済的)試煉と不況のニュースに接すると、あなたの心は不信で一杯になるかもしれません。しかし、このような時でもあなたは神の恵みの中に入ることができ、それを見て世の人々があなたに助けを求めてくるほどになるのです。

経済的シフトが8月の終わりまでに起こるのに気をつけていてください。8月24日から10月17日の間に、金融システムに大いなる変化があるでしょう。銀行のシステムの変化はまだ全部完了していないことに注意してください。これから構造的なシフトが加速度を増して起こります。政府機関は人々の見ている前で再編成されて行きます。

あなたのともしびに常に油を用意せよ

主が言われます。「あなたはこの国に敵を入らせ、敵が自分の軍隊の多くを集結するのを許してしまった。あなたは敵が入ってきて、敵の哲学(やり方考え方)とか思考パターンで生きる大勢の人たちが出てくるのを許してきた。だから今、あなたは今までとは違った新しいやり方で活動し集まらねばならない。」

なぜならば、この国に対してのわたしの契約に基づく保護政策はもはや無くなったからだ。わたしの契約であった保護政策はもはや無いのだから、あなたは別の新しい方法で集まり始めねばならない。」(ピアス師注:これはもはやアメリカだけを指しているのではなく、神の御国の民への言葉だと私は思います。)

「わたし、主は、あなたを新しい方法で招集し、集めはじめる。あなたはわたしと共に前進せねばならない。この再編成に抵抗してはならない。今わたしはあなたをもっと高い所に引き上げねばならない。それはあなたがこの世的な目でしか物事を見ていないからだ。わたしはあなたをあたかも鷲が集まってくるように集め、あなたが新しい力とヴィジョンをもって進めるようにせねばならなくなったからだ。

わたしはあなたを河川よりもずっと高いところに引き上げねばならない。なぜならば河川は今どんどんと満ちてきていて、あなたが高いところに上って地球を新しい形で見始めなければ、あなたは自分がいるべきでない場所にいる自分を見いだす結果になってしまうであろう。

あなたが今いる場所に雨が降ってくる。それによって今あなたは高く上げられ、それによって自分の将来への境界線が変って行くのを見る事が出来る。わたしはあなたを流れ落ちる滝よりも高く引き上げる。御言葉の水による洗い清めは、あなたが知っている以上に高いところから流れてくる。

あなたはもっと(わたしに)近づき高く上ってこなければならない。それはあなたをわたしの軍勢とアライン(一致)させねばならないからだ。わたしはあなたを天の軍隊とアラインさせねばならない。天にはわたしの軍隊がいる。わたしがあなたを将来をつくる境界線に送り込む前に、まずあなたがその軍隊とアラインするのをわたしは待っているのだ。わたしはあなたを調え形づくってきた。わたしは将来に向けてあなたを備えるためにあなたを調えてきた。あなたのともしびの油を常に用意しておきなさい。」

これは神があなたを正しい側に(しんがりではなく先頭に)立てるように調える準備のための集会です。将来これが神の御国をあらわすものとなるでしょう。主はあなたの内の深いところに働いておられ、やがてそれをあなたがこの世に現すようにされます。主はご自分が働かれる方法(mode of operation)を今シフトされようとしています。それは、主の様々な知恵を今まで以上に多様に現わすことによって、ご自分の民がより効果的に働けるようにするためです。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-08-22 07:14 | アメリカからのメッセージ