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アメリカからのメッセージ 11月26日

 キリストの内にある宝を受ける時
                ポール・キース&ワンダ・デイビス

                 (WhiteDove Ministries)

2003年の終わり頃は、私にとって、今までで一番すばらしい啓示を与えられた幸いな時となりました。私は天の宝の部屋へ行くという驚くべき旅をしたのです。この経験を私は“Books of Destiny”という本に著しました。

使徒パウロはコロサイ人への手紙2:2-3で、我々がキリストにあって受けることができる豊かな遺産に関しての、励ましの言葉を書いております。

「それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって、結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」

私たちが得るのは、この世の富ではなく、キリストのうちに隠されている知恵と知識という極めて貴重な宝です。啓示の御霊の助けによって、私たちがキリストの心の深みを探り求め、この膨大な富の価値を知ることができるのは、クリスチャンの特権であり、恵みです。

私たちが生かされている今という時代には、イエス・キリストのうちに隠されている神の奥義と秘密を知る機会が、以前よりずっと多く与えられています。預言者ダニエルはこのことを予知していました。ダニエル書12:3-4には次のように書かれています。

「賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって、永遠にいたるでしょう。ダニエルよ、あなたは終わりの時まで、この言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう。」(口語訳)

神の国とその偉大な真理が、キリストのからだなる教会に回復されることが、終末の時代の特徴でしょう。それは啓示の時代であり、真理が回復する時であり、またそれと共に、闇の力の策略があらわにされる時ともなるでしょう。

神の真理がどのように私たちに知らされるか

真理は神の御言葉を通して啓発され、様々な手段で伝達されるでしょう。天からの啓示を受けた神の息子や娘たちによる美術や文学がおこってくるでしょう。創造者なる神の御心を知る、油注がれた芸術家たちによって、絵画や詩はもっと崇高なものへと引き上げられるでしょう。 天から新しい技術を授けられるクリスチャン建築家によって画期的な青写真が引かれることでしょう。

科学はものすごい進歩を遂げるでしょう。 細胞や分子の構造が、以前よりもっと明らかに解明されるでしょう。

真の教師イエスに出会って、彼から直接教えを受けた教師たちが、教会に真理をもたらし、その真理によって教会は、エゼキエル書44章にあるように「聖なるものと俗なるものとの違い、汚れたものときよいものとの区別」ができるようになります。偉大な奥義は神の御心の中に蓄えられていますが、それが終末の教会によって、探し求められ、発見されるでしょう。

教会の歴史の中で、非常に重要な節目に置かれている現在のクリスチャンが受ける分とは、このようなものなのです。この世代は、神のスケジュールのなかの「時が満ちた」という部分に突入し、扉を大きく開いたのです。 今はまさにカイロス、神が定められた特別の時であるのです。

もっとも重要な事は、神の力と栄光が、具体的な形で地上に現されるという点です。私たちの中におられるキリストが、栄光の望みです。神にすべてを委ねた人生の価値や、キリストの性質を持つことによって与えられる霊的な富のすばらしさは、到底量ることができないほど偉大なのです。

一つの実証

私はアイダホー州のカンファレンスで、コロサイ2章の宝の部屋について語ったのですが、そのあとでエリヤ・ハウス・ミニストリーの理事であられるジーン・ニーデルクラインさんから、私の話を実証するすばらしい証を聞くことができました。彼は私の話を聞いて、私に手紙と新聞の切り抜きを送ってくださいました。その記事には、このような子供は世界で一人しかいないと専門家たちが口を揃えて言っている、詩と絵画の天賦の才を備え持った10歳の女の子のことが書かれていました。

その子の名前はアキアンといい、彼女は4歳の時、超自然的に天国に行き、主にお会いして、主から芸術の賜物をいただいたというのです。彼女は「私は神様に会って天国に連れて行ってもらったの。」と言ったと、記事には書かれていました。

その体験をしてから、彼女はすぐに肖像画やスケッチを描き始めたのですが、それは明らかに4歳の子供の域を超えたものでした。彼女は詳細ネ天使の絵を描いたり、驚くべき霊的真理を表す詩を書いたりしたのです。彼女の家庭は無神論で、神に関しての知識はなにも教えられていなかったのですから、まったくそれは驚くべきことだったのです。

これから来るべきものの前兆

アキアンは、まさに、これから天の宝庫に招かれて、キリストのうちにかくされた知恵と知識の富を受け取ることが許される人々の、最初のしるしなのです。彼女は「神様が私にビジョンを与えてくださるので、私はただそれを描くだけなの。夢のようなかたちで私はそれを受け取るのよ。」と言っています。

彼女は毎日祈りの時を持つのですが、多くの場合、その祈りの時に神からのインスピレーションを受け取るようです。彼女の絵の多くは、今の時代の霊的状況を反映する深い意味を伝える寓意に満ちています。

彼女は神様から、すべての人類の顔を描きなさい、と言われたということです。その結果、彼女の作品の中で一番印象的なものは、一人のアジア人の女の子のものと、アフリカ人の兄と妹を描いたものです。 彼女の体験や作品は驚くべきものなので、彼女はオプラ・ウィンフリーの番組やCNNにも出演しました。彼女のゴールは「自分の絵を通して人々を神様に近づけ、自分の詩を通して人々の心を神に引き止めておくこと」だと言っています。

CNNのルー・ドブスは感歎して、彼女について次のように語りました。「彼女の絵が他の天才少女、少年のものを引き離しているのは、彼女のものは本当にリアルで、感情にあふれていることだ。普通、天才と言われる子供たちの絵は、抽象画が多い。子供でありながら、このような高度のリアリティを持つ絵を描くことができるのは、まったく驚くほど珍しい。彼女の細密な描写やセンスのよさはまったく信じられないほどだ。これは天賦の才だ。驚くべき才能だ。なんという非凡な子供だろう!」

あるロシアの解説者はこう言っています。「8歳の子供が、このような知恵と憐れみと愛を湛えた目をもつ人物を描くことができるとは、なんと説明していいのかわからない。ビジュアルな力と共に、技術や感情的な細部にわたる表現は、まったく仰天するほどであり、ずばぬけている。私は、難しい問題が多くて疲れた日などは、彼女の絵をを見るだけで救われる気がする。彼女の自画像をみると、彼女から光が実際に出てくるようだ。なんという偉大な使命を彼女はこの地で与えられていることだろう。」

このように世界中の人が、彼女の芸術をどう説明し表現しようかと苦労しているのですが、それを私たちクリスチャンは「聖霊の油注ぎ」という一言で説明できるのです。 主を知るゆえに他の人とは何か違う資質をもっている人を説明するときには、よく「カリズマがある」とか「個人的魅力がある」とかという表現が使われます。 しかしそれは、実際は神からの恵みであり油注ぎなのです。 美術や文学、音楽、テクノロジー、経済に対する今までの理解を変革し、一新するために、神が編成しようとしておられる軍隊に招聘されるのは、こういう人達なのです。

アキアンのウェブサイトは www.artakiane.com です。

アキアンとの出会い

私は2004年の終わりまで、国中の様々な集会でアキアンのことを紹介しました。そしてとうとう、ある人のお世話で、私と妻と二人の友人の4人が、ノースキャロライナ州のシャーロットという町にある画廊でアキアンと彼女の母親とに会うことが出来ました。この出会いは、いろいろな意味で大きな祝福となりました。

私たちは、まず、この10歳の女の子が霊的にどれほど成熟しているか、主をどれほど愛しているかを見て大変驚きました。また、そこで彼女の作品を見ている人々が、深い霊的感銘を受けているのもわかりました。

画廊に来ている人々の多くが、彼女が描いた主イエスの肖像画の前に立ち、涙を流していました。彼女の一番最近の作品は、聖書の中には書かれていないイエスの姿です。

そこには、彼女が幻で見たティーンエイジャーのイエスの姿が描かれているのです。イエスが長時間祈られ、これから自分が進むべき人生の指針と洞察力を父なる神に求めておられる姿です。人々の心に衝撃を与えるようなイエスの姿が描かれています。

彼女は、まず主から一つのイメージをオープン・ビジョンで受けとり、それをカンバスの上に描きます。 彼女の唯一のゴールは、人々を主イエスに引き寄せるということです。

キリスト教界から拒絶される

アキアンと母親の話を聞いて、大変驚いたことがあります。 それは、キリスト教界の多くが、彼女の作品も、主との超自然的な出会いの証も受け入れていないということです。

彼女たちの話では、自分はクリスチャンであるという人達から、毎日100通ものメールが送られて来て、それはすべて彼女の証を疑い、批判するものだということです。それと反対に、彼女の絵の霊性を理解しない一般のメディアや画廊などが、彼女の絵を歓迎しているとのことでした。彼らはただ「天才少女」として彼女を見て、何か自分たちの利益につながると考えるのです。

その話を聞いて私たちは、できるだけ多くのクリスチャンに彼女の証を話すようにしています。 それによって教会が、彼女がすばらしい賜物を神からいただいていることを認めて、彼女や彼女の家族を祈りによって支えるようになることを願っています。 このようなすばらしい賜物が、私たちの手から滑り落ちて、この世の神の手中に落ちることを許してはならないのです。

彼女が賜物を伸ばしていくだけでなく、個人的にも成長してゆける健全は霊的環境が、今もっとも彼女に必要なことです。歴史的に見ても、このように個性的な創造力をもつ人材を、擁護し成長させていくことに、教会は多くの場合失敗してきました。私たちは、ともすれば、そういう賜物のある人たちを追放したり、又、逆にその人の才能にあまりにも大騒ぎをしてしまったりするのです。

アキアンに、そのどちらも起こらないようにと、私たちは祈ります。
彼女のために祈る人たちが起こされて、彼女を守り、彼女が自分に与えられた賜物を伸ばしていくのと同時に、霊的にも成長していける霊的環境を備えることができることを私たちは望んでいます。

教会の中には、彼女の証と賜物の性質を理解し、信じ、喜ぶ人々がいるということを、私たちは彼女に伝えました。私たちはできる限りの励ましを彼女に与えました。

私が、これからも神の御心の啓示をうけて描くことを決してやめないでください、と言うと、「私はやめることなんかできないわ。主が私に見せてくださることを描かねばならないんですもの。」と彼女は答えてくれました。 (終わり)


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by walkwithgod | 2005-11-27 15:32 | アメリカからのメッセージ

パラ・チャーチ 11月25日

ホノルルのパラ・チャーチ
11月半ばに日本からハワイにもどりました。ハワイはすっかり「冬」になっていて、朝夕は涼しく、雨も多くなっています。帰国後、最初の我が家の食事は、畑から大根と人参を抜いてきて、冷凍庫の中にあった豚肉と煮てたべました。主人は日本各地でいただいた豪華なお食事が懐かしそうでしたが、それでも「おいしい。」といって食べてくれました。

さて、今回の日本旅行も、神様の恵みのうちに無事終えることができました。もう10年近く親しくさせていただいている方々との懐かしい再会や、また主のご計画で今回初めて訪ねさせていただいた教会の方々との出会いの数々は、私の心に大きな喜びを与えてくれました。主にある交わりはなんと幸いなことでしょうか。

今日は、ハワイで今週、私が参加したある集会のことをご報告いたします。
ラウリマ・ミニストリーズというパラ・チャーチ(地方教会を側面から助けるミニストリー団体)の働きで、「癒しのミニストリー」ということでした。
最初に責任者のディーンさんが、こんなお話をされました。
「個人にミニストリー(一人のひとに対して祈ったりすること)をする場合、自分の霊が力んで、『主よ、この人を祝福してください。今、どうか祝福してください。』と主に求めるときに、それはかえってサタンに働く機会を与えることになる。 自分の霊が休みに入る(安息する)ときに、主の力が働かれる。主と自分との関係、リレーションシップ、がまず確立されるときに、その結果として相手へのミニストリーが起こる。」

以前、ある伝道者からミニストリーを受けたとき、ぐいぐいおでこを押されて、内心「倒れてなるものか!」と決意したことのある私は、思わず笑ってしまいました。その時はその伝道者が人間的な肉の力でやっていると思いましたが、サタンの入りこむ余地さえも与えていたのだと知り、恐ろしいことだと思いました。考えてみると、これは個人ミニストリーの場合に限らず、すべての働きに通じる真理なのだと思わされました。だいぶ以前に聞いた「神様はご自分の邪魔をしない働き手を捜しておられる」という言葉を思い出しました。

さて、この集会での実際のミニストリーは、個人のニードに合わせて、さまざまな形で行われているようですが、普通、一人に対して二人一組のミニストリー・チームが椅子に座ってじっくりと時間をかけて対応していきます。そして、霊・魂・身体の癒しのために、カウンセリング、断ち切り、宣言、明け渡し、癒しの祈り等々、決して急がないで1時間でも、2時間でも対応するのです。このようなミニストリーの働きに熟達するには、かなりの霊的成長と訓練が必要なのがよくわかりました。
癒し、開放のミニストリーがホノルルではラウリマ・ミニストリーズ(沢山の手をつないで、という意味だそうです)として、いろいろな教会の協力のもとに行われて、多くの教会の牧師が自分の教会の中でニードのある人々をここに送り込んでいるのを知って、主を崇めました。フィジーの教会が一致し、トランスフォーメーションが起こり、多くのパラ・チャーチの働きが生まれたことを知りました。これこそ、ひとつのキリストの身体のあるべき姿なのかもしれません。
                                                    (終わり)


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by walkwithgod | 2005-11-26 12:04 | 柚実子からのハワイ便り

2005年秋の日本旅行の感想 11月25日

秋の日本旅行を終えて


 2005年の秋の旅行に出発するに当り、主から示されていた御言葉がありました。それは、今の時代は「決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。」(ヘブル12:27)でした。
 この御言葉は、終末に生きるクリスチャンに向けて言われたものであると信じます。今、全世界が揺り動かされています。それは地震によってだけではありません。
「私は、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」(26節)と主が言われるように、世界の気象状況(天)がゆれ動き、大型の台風、ハリケーン、それに大雨と旱魃による砂漠化現象が、今までにない大きなスケールで世界を襲っております。私たちが日本を旅行している間でも、二度ほど地震の揺れを感じました。
 このような事態は、私たちに一体何を語ろうとしているのでしょうか。それは次の28節に書かれているように「私たちが揺り動かされない御国を受けている」からであり、そのために主が、私たちクリスチャンを「決して揺り動かない不動の信仰」に導こうとしておられるからであると信じます。
 今回は、いよいよこの日本でも「さばきが神の家から始まる時が来ている」(1ペテロ4:17)ことを強く感じました。神のさばきとは、多くの場合、愛する者を懲らしめて良くするために主がもたらします。(ヨブ37:13、エレミヤ30:11、ヘブル12:10)その場合、その懲らしめの「揺り動かし」が、かなりの荒療治を意味することがあることを覚悟すべきでありましょう。
ですから、2テサロニケ2:11に「それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。」とあるように、主は私たちに敢えて「惑わす力」(「惑わす霊」と1テモテ4:1では言っています。)を送られて、私たちを「揺り動かし」ます。その目的は私たちから「揺り動くもの」すべてを排除するためではないでしょうか。

今回の旅行で見たこと聞いたことを一言で言えば、日本の多くの教会が、今まさに揺り動かされていると言うことでした。教会とそのリーダーの方たちが本当に主につながっていて、霊的な成長を遂げつつあるすばらしい教会を訪れる喜びにあずかることが出来ました。しかしその一方で、いつまでたっても人間的なものでやっていて、主がほとんど不在と思われるような教会もあり、その差がここに及んではっきり現れつつあると言う印象を持ちました。それを別の言い方で言えば、それぞれの教会とそこに属する人たちが持つそれぞれの色が、いよいよ隠せなくなって来て、表に現われ始めたと言いましょうか、本物と偽物とがはっきりし始めたと言う思いを持ちました。それは教会全体としても言えますし、教会の内部で色の違う人たちがはっきり分かれはじめていた例も多く見ました。
確かに多くのクリスチャンが「霊的な成長」を目指していて、そのような人たちとお会いする際は恵まれ、又励まされました。しかし、霊的に目覚めつつある人たちでも、日本は今世界中から色々な分野のさまざまなミニストリーが入って来ていますから、それを次から次へと追っかけるのが精一杯で、それも多くは不消化のままで、逆に多くの人はそれによって疲れているように見受けられました。又、より霊的になるために質より量を追い、人間的な方法で何でも自分の教会に取り込もうとしているように見受けられる教会もありました。そのような教会は忙し過ぎる教会のようでした。宗教の霊、支配の霊に覆われている教会も、日本にはまだまだ多くあるように思われます。
又、終末の教会に必要な使徒と預言者を中心とする「五役者」のミニストリーは、日本ではまだまだこれからなのでしょうが、使徒と預言者に対する考え方、特に預言のミニストリーの扱い方において、混乱と逸脱があることを見ました。
これらの現象の多くは、偽りを信じるように働く惑わしの霊によるものであると思います。真に霊的になることとは、忙しくミニストリーをすることではなく、主と静かに深く交わることであると言う基本を理解できていないクリスチャンが多いように見受けました。
しかし一方で、霊的な飢え渇きは益々大きくなって来ていることを感じました。特に都市部で、既存教会に飽き足らず、やむなく自分たちで家の教会を始めておられる方々も増えていると聞きました。

しかし、これらのことを私が指摘するのは、決してネガティブな意味で申し上げているのではなく、むしろ教会が真の「キリストのからだ」に成熟するためのプロセスが始まっていると言う点で、大いに励まされたのです。
そして、日本には真のリバイバルが間もなくやってくることを強く感じると共に、その前兆を見ることが出来て興奮を覚えました。それは、ジョージ・オーティス・Jr.師とかT.L.オズボーン師が日本に送られてきたことです。
又、「トランスフォーメーション」のチームが実際にフィージーとオーストラリヤ等から日本を訪れて来たことも、明らかに神様が日本に対して特別の祝福を用意され、そのために今必要な霊的革新の準備をなさろうとしておられることを強く感じました。
オーティス師がホセア書6章を引用して「主を知ることを切に追い求める」なら「主は暁の光のように、確かに現われ」世界中のどこにでもトランスフォーメーションを起こされる、と言われたことは、まさに後の雨が「地を潤される」リバイバルの原則と合致します。

私はこれから、平和ボケした日本(クリスチャンも含め)にいよいよ地震を含めて本格的な災害がやって来ることをひしひしと感じております。天変地異だけでなく、鳥インフルエンザのような災害(日本の新聞で670万人が死亡すると試算された記事を読みましたが、アメリカではもっと大きな規模の死者数が取り沙汰されています。)とかテロが日本を襲うのも時間の問題であると思います。
艱難の時代が目前に迫っています。しかし艱難を通ることによってのみ日本の教会が一つとなることが可能となり、王国の建設が完成されて行くことでしょう。本当に主にのみ頼り、そして従い、主にすべてを委ね切る教会だけが主に守られて生き残り、主の起こされるリバイバルに大きく用いられると信じます。日本中の教会が今こそ真に霊的になり、リバイバルへの準備が一日も早く整えられることを願ってやみません。(終わり)


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by walkwithgod | 2005-11-26 11:33 | 坂達也からの今月のメッセージ

著書の紹介

新たに増版発売中
「主を見つめて待つ」 Contemplative prayer

         - 霊に目覚め・神の声を聞く方法 - 坂 達也 著

  2003年4月27日発行・2008年5月1日第二版発行
                   120ページ・定価 900円+税


推薦文 
   「クリスチャニテイーはリレーションシップである(P-106)と著者が定義しているごとく、「イエス様との個人的人間関係を深めたい」と願っている方々に、本書は大きな手がかりを与えてくれます。それはただの理論としてではなく、著者自身が主から受け取り、日々実践している主との深い交わりの秘訣を、御言葉の霊的理解と共に本書は鮮やかに解き明かしています。」 
                     新城教会 牧師 滝元 順

   「『主の御声を聞く』必要性を強調する本書には、終末迫る昨今の日本の教会に対する主からのメッセージが記されていると信じます。御言葉からだけでなく、著者の長年の実践から、非常に具体的な方法が記されており、霊性の訓練のための貴重な実用書でもあります。多くの方が読まれ、実践されることをお勧めします。」
                     蓬莱キリスト教会 牧師 佐藤経夫

  本書のご注文を希望される方はメールにてご一報ください。



新刊 「キリストの弟子」 
       - 教会の完成を目指して - 坂 達也 著
    
                     (A5版 約240ページ) 定価 1500円+税


2008年1月より日本全国のキリスト教関係書店にて発売開始されました。この本の購読にご興味のある方はご一報ください。



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by walkwithgod | 2005-11-18 20:51 | 著書の紹介

「罪を赦して歩く」

「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。と言って、中風の人に、『あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家にかえりなさい。』と言われた。すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。」
(ルカ5:24)


イエス様は地上で罪を赦す権威を持っておられました。それを弟子たちに悟らせるために、その権威を行使するデモンストレーションを、この時にして見せたのです。それは、弟子に同じことをさせるためでありました。私たちはイエス様を通して「神の子」となり、総ての父の財産を、イエス様と共に共有相続者として相続する約束をいただいております。ですから、「罪を赦す権威」は私たちのものであり、弟子として私たちがイエス様の指示に従って、地上でこの権威を行使する任務が与えられているのです。
 癒しの業を行なうことは「あなたの罪は赦された」と言うのと同じであると、ルカ5:2に書いてあります。イエス様がこの世に人間となって来られた最大の理由は、人間が犯した総ての罪を赦すためでありました。そのために十字架につかれました。そして、私たちにもそれと同じこと、即ち「罪を赦すこと」をしなさいと言われるのです。それは弟子の義務であると思います。
「イエスは、多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、又多くの盲人を見えるようにされた。」(ルカ7:21)とありますが、病気、苦しみ、悪霊のわざわい、生まれつきの欠陥の総ては、人類が犯した罪に起因しており、イエス様はそれを赦すことによって癒されました。
 罪とその「のろい」をこの世から無くすことが、神の王国の最終目標です。私たち弟子はイエス様からその特命を受けているのです。
 
 罪と悪霊の束縛から人々を開放するために、私たちがどうしてもしなければならない大事な仕事があります。それは今までに犯された罪ののろいをこの地上から一掃することです。
罪が犯されると、その罪ののろいが犯された現場の地に残ります。そのことに就いて、カインが弟のアベルを殺した時、主はこう言われました。

「そこで、仰せられた。『あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。それであなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」
(創世記4:10-12)


ヘンりー・グルーバー師は世界を歩く祈りの歩行者ですが、多くの場所で、過去に罪の無い人間が殺され、その血が流された土地で血が叫ぶのを聞いております。それが何百年前の出来事であっても、その場所に行ってその罪を赦さない限り、「のろいの叫び」は消えないと師は言われます。
そののろいが、カインの場合は、その土地を耕しても「力を生じない」不毛の地にしたと書かれておりますが、それと同じように、罪のない人の血が過去に流された場所では、そののろいとして、そこに住む人たちに色々な形で悪い影響を与え、「たたっている」例を日本でも多く見て参りました。

何故それが分かるかと言えば、そのような大きな罪が犯された場所は、多くの場合、結果的に悪霊の要塞となり、その地域に悪影響を及ぼしていることが明らかであるからです。
私たちの罪の上に悪魔はのさばります。元々罪の創始者である悪魔は、人間をそそのかして罪を犯させた結果、人間を支配するようになりました。土地の所有権に関しても同じことが言えます。元々この地球は、罪を犯す前のアダムに与えられた神様の神聖な土地でした。しかしアダムが罪を犯した結果、地球全体がのろわれました。そして悪魔は罪でのろわれた土地を、総て自分のものとしてその所有権を主張します。その上、人間がその地の上で大きな罪を犯せば犯すほど悪魔はその地を好み、そこを根拠にもっと大きな悪事を働こうとします。
悪魔がこの世を支配し、罪人と土地を呪縛出来るのは、全て人間が犯した罪の故です。過去に犯された全ての罪は、その罪の大小にかかわらず、必ずそののろいがその地に残り、そこに住む住民を苦しめます。下記の二つのみ言葉がそれを表していると思います。

 「地は嘆き悲しみ、衰える。世界はしおれ、衰える。天も地とともにしおれる。地はその住民によって汚された。彼らが律法を犯し、定めを変え、とこしえの契約を破ったからである。 それゆえ、のろいは地を食い尽くし、その地の住民は罪ある者とされる。それゆえ、地の住民は減り、わずかな者が残される。」
(イザヤ書24:4-6)

「あなたがたは、これらのどれによっても、身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国々は、これらのすべてのことによって汚れており、このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎を罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。」 
(レビ記18:24,25)


総ての土地ののろいは、イエス様の流された血潮によって既に赦されましたが、実際に誰かがその罪が犯された場所に行って、そこにイエス様の血潮を霊的に適用し、のろいの断ち切りを宣言しなければなりません。ある人たちは油を用意してそこにふりかけます。そのように、イエスの御名と流された血潮でそこで犯された一切の罪を赦し、洗い聖めなければ、のろいはそこにいつまでも残ります。そののろいがそこの住民を縛り、イエス様に対して盲目にし、福音を聞く耳をふさいでいるのです。

日本には、いくら宣教しても成果が上がらない不毛の地が至る所にあります。その大きな理由の一つは、その土地に強いのろいの影響が存在するからであると私は信じます。ですから、私たち弟子がその罪ののろいを断ち切って、過去の罪ののろいと言う呪縛から住民を開放する任務を持っているのです。

 イエス様は弟子を連れて町から町へと歩かれました。当時は車がないから歩くのは当たり前と言われるかもしれませんが、イエス様は、実は祈りの歩行をされたのであると私は思います。そして、イエス様が歩かれたところは聖められ、罪ののろいから開放されたと信じます。地域の祈りの歩行をぜひお勧め致します。(終わり)
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by walkwithgod | 2005-11-18 17:26 | 祈りの歩行のミニストリー

Creative Truth  創造的真理

キム・クレメント

イエスの力が最も顕れたのはいつだったと思われますか? それは主がサタンに面した時だったのです!それと同じように、あなたが手強い敵や厄介な問題に遭遇しそれに打ち勝つ時に、最もあなたの力は発揮されるのです。ですから、敵や逆境が襲ってきたときには、今までとは違う角度でそれを見なければなりません。

エペソ3:20に「(主は)私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを超えて豊かに施すことが出来る方(である)」と書かれています。

墓の中の真理は胎の中の真理のような力はない

真理には二つのレベルがあります。すでに確立された真理とまだ確立されていない真理です。後者は、まだ成熟しきっていない、まだはっきり見えない、ぼんやりとその辺りに浮かんでいる感じのものです。私が「真理」というとき、それは真理の発見を意味しています。あなたの人生に何かが起ころうとしている、今まさに自分はそこに踏み込もうとしていることが分かっている、けれどもまだ生まれ出てはいないもの、その「新しい真理」をあなたがはっきりと見出していくとき、あなたの力は最も発揮されるのです。あなたの人生の中には「まだ分らないもの」があるべきなのです。次に何が起こるのかが分らないとき、人は非常にフラストレーションや怒りを覚えます。しかし、もし、あなたの人生で次に何が起こるのかみんな分かっていたら、退屈するのではないでしょうか。はじめから分かっていたら、あなたは邪魔なものは取り除くし、厄介なことからは身を避けることでしょう。ですから神様は少しだけは教えて下さいますが、あとは暗やみの中を手を取って導いてくださるのです。それは、あなたに将来起こることのすべてを知って欲しくないからです。暗やみの中にこそ宝が隠されているのです。奇妙に聞こえるかもしれませんが、あなたは暗やみの中にいるときに信仰の一番頂点にいるのです。

「見るところによってではなく信仰によって歩く。」(IIコリント5:7)

この暗やみというのは、罪の暗やみではありません。次に何が起こるのか全く分からない場所、という意味です。暗やみの中でつまづく時、私たちは一番大きな力が発揮できるのです。(勿論、その経験は決して喜ばしくは感じられませんが)暗やみの中にいる時ほど私たちが強くされる、そして勿論フラストレーションのある、時はありません。将来のことはチラッとは見えるかもしれませんが、詳しくは全く分りません。神様は詳細は語られないからです。というのは、もし詳細が分ったら私たちに信仰は必要ではなくなりますし、「信仰がなくては神を喜ばせることは出来ない(ヘブル11:6)」のです。

もし、あなたの人生に何が起こるのか、はじめから全部分かっていたならば、あなたは神を喜ばせる信仰を持つことができないのです。

集会で人々に預言をし始めるとき、私は彼らについて何の知識もありません。それは私にとって最も危うい場所なのですが、それと同時に最もすばらしい、力のある場所でもあるのです。なぜならば、そのとき私の信仰は頂点に達するからです。私の信仰は当惑させられ、激しく揺り動かされます。主が私を激しく揺さぶり、私の中のまだ生まれていない「信仰」が突然胎動を始めるのを私は感じるのです。

あなたの中にまだ生まれていない信仰が宿っているのをご存知でしょうか。神様があなたを窮地に追いやり、信仰という泉から水を飲むしかあなたには方法がなくなるとき、あなたの中の信仰は胎動を始めるのです。「分からない」というのはあなたにとってよいことなのです。多くの人が私に電話をかけてきて、神様が自分の将来に何を計画しておられるのかを教えてくれ、と聞くのですが、私はほとんどの場合、「私にも分かりません。神様は私に何も語られていませんよ。あなたがまだわからないようにと主は望んでおられるのです。」とお答えします。主があなたのために次に計画されていることは、必ず、あなたが十分に対処できることです。それにあなたが出会う時、あなたの信仰が始動し、神はあなたを新しい境地へと進ませてくださるのです。

神様がアブラハムに語りかけたときは、彼の国、父の家から出て行くようにと言われました。アブラハムは神に従い、言われたところへと出かけて行きました。それによって彼は「信仰の父」と呼ばれ賞賛されました。
アブラハムは自分の行き先を知りませんでしたが、何か偉大なことが起ころうとしていることは分かっていました。行いのない信仰は死んでいます。

「墓の真理」では役にたちません。それはいつも葬られては復活させられるものです。ある時代に一つの真理が確立されると、しばらくは生きていますが、その後、教義や信条によって葬られてしまいます。教会は真理の周りに垣をめぐらします。すると次の世代の者がそれを見出し、また命を与え、前の世代の二倍の価値をその真理に与えます。

しかし、どの世代にも預言的な人たちがいます。彼らはパンだけを食べて生きていくことに満足しないのです。すでに作られたパンを食べるだけでは満足せず、彼らは神様の口から出るパンを求めるのです。人々は使い古された真理に飽き飽きしています。多くの説教者たちは、そのような古い真理に「自分の考え」や「自分の確信」をどんどん付け加えて完璧にしていきます。ですから、それを聞く者には自分の信仰を働かせる余地が全く与えられないのです。確かに確立された信仰、真理は大切です。しかし、創造的な新しい真理こそが、あなたの信仰を生まれださせるのです。

預言、このフラストレーションを引き起こすもの

この預言というフラストレーションを引き起こすものは、どのように捉えたらいいのでしょうか。聖書にはすべての人が預言をすると書かれています。

「しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者が入って来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなによってさばかれ(ます。)」(Iコリント14:24)

「あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことができ、すべての人が勧めを受けることができるのです。」(Iコリント14:31)

神があなたに語られるのは、まだ起こっていないことに対する信仰(預言的信仰)をあなたに与えたいと思われるからなのです。まだ起こっていないにもかかわらず、その事に対する信仰をあなたは得るのです。神からの言葉を受け取るとき、それが実際に起こる前に「それは必ず起こる」という信仰を神はあなたに与えてくださいます。ですから、その事が実際に起こり始めるときまでには、あなたはすでに自分の思いの中でそれを実現していますから、そのための信仰をその時になってあわてて掘り起こすという作業をしなくてもいいのです。

あなたは聖書を長時間読み、御言葉を学び、「御言葉が私に信仰を与えてくれた。」と言われるかもしれません。しかし、それだけでは十分ではありません。あなたが自分で獲得しなければならない信仰の領域があるのです。預言の言葉が来たとき、物事が実際に起こる前にあなたが信仰を持つことを、神様は望んでおられるのです。聖書を読むことは、私たちが地上で人生を歩むときに神様の基本的法則をどのように使っていけばよいかという知恵を授けてくれるものです。

神の姿を認識することを学ぶ

「主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。そして、言った。『主よ。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。』」(創世記18:1-3)

アブラハムは彼らが神であることが分り、「主よ。」と呼びました。あなたは神がどのような姿をしておられるか知っていますか。神は水を出す岩の中におられるかもしれないし、燃える柴の中におられるかもしれません。もし燃える柴の中に主がおられると知ったならば、あなたはきっと火のそばにキャンプをはり、柴が燃え尽きて灰になるまでそこにとどまることでしょう。しかし、灰になった時には移動せねばなりません。

過去に起こったリバイバルのほとんどは灰の山になってしまいました。人々はその灰の山の周りに集まり、そこから火を受けようとするのです。そうではなく、私たちはエジプトに行くべきなのです。そこに火があるからです。もはや燃える柴の中ではなく、エジプトに火は移ったのです。モーセは燃える柴の中から神の声を聞き、エジプトに行ってイスラエルの民を圧制者から救いだすようにとの指令を受けたのです。

神様は雲の柱、火の柱でイスラエルの民を導かれましたが、それはモーセが燃える柴のところに留まらなかったからこそ経験できたことであり、それによって彼らは約束の地に入ることができました。(出エジプト13:21)

歴史上、たくさんの大リバイバルが起こりました。特に20世紀はカリフォルニアのアズサ・ストリートから始まり、世紀末まで各地でリバイバルが起こりました。しかしながら、リバイバルが灰になってしまったときには、もう一度そこに火を起こそうとしてはならないのです。次の場所に移るべきです! 何か別のことが起こるのです! その火を別のところで、別の形で、見つけるのです! 今、神は私たちをマーケット・プレイス(職場、街中など人々が毎日生活している場所)に遣わしておられます。今までのように、安全な教会の建物の中で集会をするだけでは駄目だと主は言われているのです。エジプトに行かないでは「火」を見たり、聞いたり、知ることは出来ないと主は言われます。 あなたは変えられなければならないのです。あなたは本当にエジプトに行く用意ができていますか?     

アブラハムが御使いの前に立ったとき、彼は水とパンをまず与え、それから上等の子牛をほふりました。それはアブラハムがこの訪問者が神様であると気づいたからです。(創世記18:4-9)

アブラハムは彼らに供するものを増やしていきました。それは神様にもっと長く留まっていただいて、彼の家に何かよいものを下さることを願ったからです。アブラハムは主が「訪れること visitation」だけでは満足しないで「住まわれることhabitation」を望んだのです。アブラハムは神からの約束が果たされるべき時がきていることを知っていました。それで彼は自分の持っている最上の物を捧げたのです。御使い(神)は留まりました。そして「あなたの妻を連れて来なさい。」と言ったのです。神様は訪問を滞在に変えて、約束の子が来年の今頃生まれとる約束をしてくださったのです。(創世記18:10)

神様があなたの家に長く滞在されれば、あなたの家で何かが生まれるという約束をしてくださるのです。アブラハムの場合は一つの国家が生まれました。あなたの中にも神様の臨在によって生まれる時を知らされるのを待っている国家があるかもしれないのです。 ですから神の訪れvisitation だけで喜んではいけません。

重要なあなたの応答

「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。『おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そし
ておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やってくる。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。』」(ルカ19:41-44)

訪れvisitationは、ギリシャ語ではEpiscopeといいますが、視察とか検閲という意味を持っています。ですから、神があなたを訪れるのは、今までより偉大なことを受けるための準備があなたに出来ているかどうかを視察に来られるのだということが分ります。イエスがエルサレムを見られた時、涙を流され、言われました。「おまえは、神の訪れの時を知らなかった。」と。それはつまり、「あなたは検閲の時を知らなかった。故にあなたの子どもたちは敵によって踏みつぶされる。」と言われたのです。ですから神の訪れの時にあなたがどう応答するかが重要なのです。神は訪れて視察され、主が今度来られるときにそれに応じて報いをあたえるのです。主が訪れたとき、あなたのおかれた状況はあまりよくないかもしれません。ですから自分のその時におかれている状況で主の訪れを判断してはいけません。イエス様が検閲にこられたとき、エルサレムはよい状態ではなかったのです。

神様の訪れはアメリカでも起こりました。大きな火がカナダやフロリダ、そして西海岸にも20世紀の初頭からやってきました。それはこの世代に必要なものをもたらしてくれました。そして、これらの火は終息しました。これからはもう長い間、あのようなリバイバルの火は教会の中では起こらないでしょう。しかし、それよりも大きな火があなたの家庭に訪れ、神様はあなたの家族を祝福してくださるでしょう。火は又、マーケット・プレイスに移りました。「あなたはテレビや新聞などのメディヤ、マーケットプレイス、そして新しい場所で私を見出すであろう。」と主は言われます。リバイバルの火を再び見たいのならば、あなたはマーケットプレイスに行かねばなりません。教会の中にだけそれを求めてはいけません。火は街のなかにすでに移ったのです。(終わり)
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by walkwithgod | 2005-11-18 17:24 | アメリカからのメッセージ