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50%のアメリカ人がイラクは大量破壊兵器を持っていたと信じている  7月27日

50%のアメリカ人がイラクは大量破壊兵器を持っていたと信じている

ワシントン・タイムズ発  ジェニファー・ハーパー記者による報道


ハリス世論調査によれば、今はアメリカ国民の半数が、2003年にアメリカがイラクに侵略した際、イラクが大量破壊兵器WMDを隠し持っていたことを信じることが判明した。これは昨年の数字である36%からはかなり上回る。この数字は、最近数年間に報道陣が報じてきたものとは正反対で重要かつ驚くべき結果である。
 この調査では、ブッシュ大統領が戦争に踏み切ったオリジナルの根拠を支持するような結果に世論がなぜ変ったのかについては論及されていない。この7月初めに、マスタードとサリン毒ガスを組み込んだ500個の化学兵器がイラクで発見されたと言う防衛局の諜報報告が発表された後にこの世論調査はなされた。

 「化学物質が装丁されているもの、いないものを含め、湾岸戦争前の化学兵器が依然存在する。」と、リック・サントラム上院議員(ペンシルベニヤ州、共和党)により、6月21日の記者会見で、新たに機密文書扱いから解除された情報の細部発表がなされた。又、下院のP ホエクストラ議員(諜報関係部会のコミティー・チェアマン)は「イラクは大量破壊兵器がない国ではない。」と語っている。又、最近の数週間の間にミシガン州共和党はイラク戦争開始以来発見収集された武器についての機密情報をもっと解除して一般公開することを要求している。

一方、ハリス調査はイラクに関するポジティブなフィードバックを伝えている。調査に当たって72%の応答者は、フセイン時代に比べて今はイラク国民の生活が改善されていると答えた。2004年に似たような質問がされた時の答えは76%であった。それに加えて、64%の人がフセイン元大統領はアルカイダと強い拘わりを持っていたと答えており、2004年10月の調査での結果は62%であった。55%の人が「歴史は、アメリカがイラクを開放しデモクラシーをもたらしたと評価するであろう。」と答えている。

答えは余り熱意のあるものとは言えないが、アメリカのイラク人に対する信用度は多少増している。37%の人がイラク人は堅実な民主国家を作り上げることに成功するであろうと言い、これは昨年11月の調査より5%上昇している。
 又、61%の人が、今回の戦争はイスラムのテロリストがアメリカをもっと攻撃するような刺激を与えたと答えている。この数字は2004年と変っていない。
加えて41%の人が、今度のイラク戦争によって、テロリストが再び大きくアメリカを襲う脅威というものを減らしていると答えた。この答えもこの二年間変っていない。

戦争による経済負担に関しては、前より大きな負担であるとは感じられていないようだ。調査結果によれば、56%の人が、イラクで使われている莫大な軍事負担の意味するところは、その分だけアメリカ本土を守るためのフアンドが減少すると受け止めており、この答えは昨年の62%から見れば減っているが、2004年は51%であった。
この戦争によってアメリカは海外から評価を受けていると思うかーという質問に対しては、68%の人が「ノー」と答え、昨年と変らない。2004年は62%であった。この調査は1020人を対象として、7月5-11日の間に行われ、誤差のマージンは3%と見られている。(終わり)


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by walkwithgod | 2006-07-27 16:33 | 世界のニュース

トランスフォーメーションとリバイバル  坂 達也 7月27日

トランスフォーメーションと言うリバイバル

 ダッチ・シーツ師が「祈りにおける権威」と言う本を最近書かれたことを先日ご紹介しましたが、それによれば権威という輪は、一番小さい中心点(的)から始まります。その中心の点とは一人の人間を表わし、その権威と責任は自分と言う一人の人間に与えられていることを意味します。それから輪が少し大きくなって家族、次に町、そして県、国というように段々大きくなります。権威の輪が大きくなるにつれその輪には人数が加増されますから、その分個人当たりの権威は減ります。しかし、その権威は全体の人間で分かち合わねばなりません。そして、権威には責任が付きものであることを忘れてはなりません。

 そこで、国とか地域とか町にリバイバルが起こるためには、そのために祈らねばなりませんが、その祈りにおいての権威と責任はその町、地域、国のクリスチャン全体に与えられているということになります。つまりリバイバルを起こすことは、その地域の教会の共同の権威と共同責任となる訳です。と言うことは、これからのリバイバルはその町の教会が全員一致して祈るときに一番大きな権威によって祈ることになりますから、最もパワフルにリバイバルが起こる可能性を持つことになるのです。

 今までのリバイバルのパターンは色々ありますが、ほぼ共通していることは、神がある人(たち)に救いに対する特別の飢え渇きを与え、その人たちが熱心に渇望して祈ることによって、神はその町とか地域にリバイバルを起こされました。
 これをたとえてみれば、今までのリバイバルとは私たち教会が霊的に未熟で幼年期から一人立ちする前の青年期にいる状態であるため、親である神が一方的に起こし、子どもに見せて学ばせると言う未だ「義務教育期間中」でのリバイバルであったと言えないでしょうか。しかし終末の今の時代は、私たち教会がいよいよ霊的に大人に成熟し、何でもかでも親の丸抱えの時代は過ぎて、「自分でやってみる」時に入ったと言うことができます。とすれば、これからのシーズンにおいては、主はその町の教会全体に「リバイバルに対する権威と責任を与えるので、全員一致して共同でリバイバルを起こしなさい」と言われているような気がします。

 つまり、肉の私たちが子どもから大人に成長するに従って、親は段々に「自分の事は自分でできるだけやらせてみる」と言うのと同じです。天の父は私たちが霊的に成長するにつれて、リバイバルにおいても「今度は自分たちでやってみなさい」と言うことになっても不思議はないはずです。それは私たちの最終目標である「教会=キリストのからだ」にまで成長するためのプロセスと一致します。
 教会はキリストの身丈までに成熟していかなければならないはずですから、主は人を救う仕事(リバイバル)も教会全体が共同で一致して行うことを期待しておられるのです。

 これが主のお考えであることのはっきりとした裏ずけがあります。それはマタイ28章にあるいわゆる「大宣教命令」です。その内容を考えてみてください。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの(いっさいを統治する)権威が与えられています。 それゆえ、(その権威をあなたがたに与えるから)あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。(救われたクリスチャンを個人的にトランスフォーメーションするための弟子訓練を行う)見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(主が統治される王国、キングダムの時代)』」(マタイ28:18-20)[括弧内は筆者注]

 大宣教命令の趣旨とは「地球上のすべてを統治する王であるイエスの王国において教会が地球上のあらゆる国の人々を、救いから霊的成熟に至らせるまでの全過程でトランスフォーメーションし、全員を真の『キリストの弟子』にすること」であることが分かります。それは政治家も経済人も総て含まれます。
 別の言い方をすれば、マタイ28章のみことばの中には、「世界中の人間を救う権威と責任」と共に、その新生したクリスチャンを弟子訓練して「キリストの身丈にまで」成長させ、「キリストのからだ」として完成させる権威と責任が私たち主の教会に与えられていて、それは主からの厳粛な命令であると言うことです。ここにおいて私たちが「リバイバル」をトータルなトランスフォーメーションに発展成就させねばならないのです。

 これだけ大きな仕事の権限を与えられているのですから、私たちは「自分たちの力ではとても出来ない」ことを先ずはっきりと自覚しなければなりません。過去において主が起こしてくださったリバイバルを持続することすらできなかった自分たちの霊的未熟さを心から悔い改める必要があります。
 勿論、真にボーンアゲインしたクリスチャンならそれが当然自覚できているはずです。なぜなら、主が「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け」ることを強調されたように、キリストを信じる者がバプテズマを受けることとは、キリストと共に死んで、キリストと共によみがえって生きる(霊の人間にボーン・アゲインする)ことを意味するからです。(ロマ6:3,4、8)
 主の王国に仕える私たちは「自分を捨て、自分の十字架を負い、イエスについて来る者」(マタイ16:24)でなければ絶対に主の「大宣教トランスフォーメーション命令」を受けて立つ勝利の戦士にはなれないのです。このことを私たちはもう一度心からへりくだってわきまえ、これからは総てを聖霊さまの指示に従って動くことを肝に銘じる必要があると信じます。

 今の時代は、天の父の御心以外には何も行わないと言う固い決意をしたクリスチャンが各地にどんどん立てられつつあります。ハレルヤ!(終わり)


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by walkwithgod | 2006-07-27 16:17 | 坂達也からの今月のメッセージ

天と地の間で新しい音が交わされる  ジョアン・マクファッター 7月27日


天と地の間で新しい音が交わされる
                                    ジョアン・マクファッター 

絶えることのない交流

  天から地上にむかって音が絶えず放たれているのですが、それと同じように、地上から天に向かってもも常に音が放たれています。 それは神による交流とも言うべきでしょうか。その交流は目には見えない世界で、エネルギーのパターン、波動、粒子などを通して行われています。 その大部分は人間の耳で聞くことはできませんが、私たちも宇宙の一部として存在していますから、それを感じとることはできるのです。

 地上の私たちから発信されるものは、神によって「聞かれ」、そして神はそれに対する応答を絶えず私たちに送ってくださっているのだと私は信じています。神からの応答が来ていることを知って、内なる霊の耳をその波長に合わせれば、私たちは神との絶えざる交わりを持つことができるのです。それを聖書の中では「霊が霊を、淵が淵を」という表現で表しています。
 ヨハネ17章でイエスは、私たちが主と一つになることを次にように言っています。「…わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにいるように…」
 私たちがそれに気がついていてもいなくても、天と地の間のこの交流がなければ、この世界は存在することはできません。「万物は御子にあって成り立っている」のです。

初めにことばがあった

 神が天地を創造されたとき、神はその音、即ち、「光よ。あれ。」ということばを発することにより、すべてを始められました。

 ヨハネ1:1-5 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」

 今、み言葉の真理に、科学がやっと追いつきはじめています。 最近科学者たちが、特に量子物理学の分野で発見していることが、いかに聖書が語って言っていることに合致しているかは、まったく驚嘆に値します。
 神の音(神のことば)は永遠の中から放たれました。 私たちがいままでに経験したこと、今経験していること、これから経験することは、すべて、神のことばによって保たれています。科学はそれをゼロ・エネルギー・ポイントとよんでいて、それは最小の粒子の真ん中に位置しています。私たちの周りにあるものすべてを崩壊しないように支えているのは、そこなのです。イエスはそのことばが人となられた方であり、彼がことばなのです。

万物は御子によって成り立っている

 コロサイ1:15-17 「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」
 
 すべてのものは御子によって保たれています。また、万物は御子にあって成り立っている(consist)のです。私は「成り立っている consist」という言葉を辞書で調べてみました。 それは「共に存在すること、共に存在することが可能であること」という意味でした。 すべてのものが御子にあるときにのみ、ともに存在することができるということです。

打ち破りの音

 今というこの時は、天から「打ち破り」の音が解き放たれていて、地上でのワーシップの音が信仰の音と一つにされるときに、 「打ち破り」が活性化し働き始めるのだと私は信じています。 天がしようとしていることに私たちが合意するときに、真に素晴らしい結果を生みます。
 「信仰の音」とか「よい行いの音」とかいうと奇異に聞こえるかもしれませんが、信仰やよい行いから発せられるエネルギーは、本当に音を持っているのです。ワーシップは、人間の耳に聞こえても聞こえなくても、私たちから父なる神へと流れていく音です。心や思いを主にむけるとき、たとえそれを口に出さなくても、それは波やバイブレーションとなって、主が見たり、匂いを嗅いだり、聞いたり、味わうことのできる空間に解き放たれていき、主ご自身によって受け取られるのです。

 「主のよきことを見て味わえ」というようにです。 又、「私たちの祈りはよき香りであり主はそれで鼻を満たされる」とも書かれています。その他たくさんの例があります。もし目に見えない原子未満のレベルで何が起こっているのかを調べてみるならば、私たちの発する言葉や音は、まわりの空間にエネルギーを放っていて、すべてのものに影響を与えているのです。明らかに聖書は神と被創造物との間の交流を隠喩で表しています。

霊的領域を見たり嗅いだりせよ

 私は霊的な分野では教会の父的存在であるネビル・ジョンソン師が語ってくれたことを思いだしました。 彼はあるとき数ヶ月間にわたって、霊的領域―特に感情の領域だったそうですが―で起こっていることを見たり、嗅いだりできるように主がしてくれたそうです。彼はある感情を抱いている人から発せられる色や臭いを嗅ぐことができました。
 たとえば、ある人が怒っていると、ジョンソン師には赤い色が見え、それと共に悪臭がするのが分かりました。嫉妬を抱いている人からは緑灰色が見え、それ特有の悪臭がしました。中でも一番悪臭を放つのは自己憐憫に陥っている人からでした。悪霊どもはそれらの色を見、臭いを嗅いで、それを発している人に集まってきてそのマイナスの感情をもっと煽るのです。 

 好ましい感情もまたそれ特有の色を持ち、よい香りを放ち、天使たちがそれに集まってきます。ですから、私の言わんとするポイントは、本当に私たちは見えない世界で起こっていることのほんの一部分しかわかってはいないと言うことです。
 事実、ジョンソン師は、感情を見たり嗅いだりできるこの能力を取り去ってください、と神様に嘆願しました。というのは、絶えず人々の感情が分かると気が狂いそうになったからです。神様にはすべての人の感情が絶えずわかっているばかりでなく、すべての創造されたものに関することが全部わかっているのです。

ジョン・ポール・ジャクソンが天国に行ったときのこと

 ジョン・ポール・ジャクソン師が天国を訪れたときの話を思いだします。 彼は自分の存在のすべての組織が、まるで生きているようにきらきらと光り、からだのすべての部分がどのようにつなぎ合わされているかがわかったというのです。それはまだ科学や医学の世界では知られてないようなこともありました。

 神は天国のことは勿論のこと、すべての創造物のすべての部分、即ち草の葉の一枚一枚、分子を構成している部分、すべての動物、すべての人間に関しても、常に全部わかっておられるのだということが、そのときジャクソン師に理解できたのでした。 私たちが言うことなすことはすべて、神に知られないですむことは決してないのです。 心の思い、すべての行動、すべての言葉、すべての歌は、言ってみれば、神によって「吸い込まれている」のです。
 ジャクソン師は、天国で一つの言葉が放たれると、その言葉に伴って、音楽、香り、光の色、その言葉に与えられた数学的方程式が現れるというのです。これを聞いて私は本当に驚きました。というのは、私は物理、光、音、色に関して2年ほども学んでいたのですが、その理由がそれを聞くまで自分でも分からなかったからなのです。
 
 私は本屋に行くと、いつの間にか科学の本が並べてある場所に行っているのです。そして、神にむかって「私はここで何をしているのですか?」と聞くのでした。それから、たくさんの本の中で2つくらい私の目に留まるタイトルの本を見つけて買い、帰宅して読み始めるのでした。ジャクソン師が一つ一つの言葉にある数が与えられているということを話し始めたときには、私は感動のあまり泣き始めました。 物理とはまさに数学的方程式だからです。

 「主よ、あなただったのですね。 すべて、あなたがしておられた事なのですね!」と私の心はほっと安堵しました。皆さんの中にもそういう経験があるでしょう。「私は気が変になったのではなかったのだ。やはり本当に私は神からの声を聞いていたんだ。」というように。これと同じ言葉をこの数年、私は数え切れないほど多くの人たちから聞かされました。神は今、何かをされようとしているのです!

霊から霊へ

 霊の世界で今何かが起ころうとしています。そして、主は私たちに「霊から霊へ」という方法でしか伝達できない理解を与えようとされています。 これはすごい勢いでエスカレートしており、今もそのスピードは神のご計画のもとに加速されています。それは地震に似ていると私は思います。 終わりのときが地震の震源地とするならば、そこに近づくにつれて私たちを引き寄せる波はより強くより早くなるのです。
 
 神は今、私たちがもっと早く理解できるようにとスピード・アップしておられます。私たちはもっと目に見えない世界のことがわかるようになり、自分の放つ言葉や行動によって何が起きていくかをもっと感じとることができるようになる、と私は思います。 私たちが霊に関することや目に見えない世界のことをもっと知るようになり、私たちの言動に対する神の反応や天の反応をもっと明瞭に見たり聞いたりできるようになるのです。

 私は今、私たちの言動やワーシップが見えない世界にどのように影響を与えているかを説明することができるようなことをはじめたいと思っています。 世の初めから神を信じる者のために用意されていたものを、教会はやっと捜し求めはじめました。 いままでの歴史を振り返ると、人間の考えやギリシャ哲学に基礎をおいた伝統的なやり方ばかりに重きを置いてきた結果として、私たちは神の方法を理解する力を失ってしまいました。

 私たちは今、神の素晴らしさがすべて私たちの霊の中に解き放たれ、地上にいるときから主と共に歩く方法が分かるようにと、祈り始めなればなりません。主は霊とまことによって礼拝するもが起こされるといわれました。

ワーシップがその鍵となる

 地平線上に、それももうかなり近い将来に、何か素晴らしいことが待っています。これを解き放つ鍵はワーシップです。 ワーシップは闇をつらぬいて霊的環境を変えていく光の武器として使われ、闇はそれに打ち勝つことはできないのです。
 主の名があがめられるとき、主は多くのものをご自分のところに引き寄せられます。神は多くの奥義の扉を開いて、今まで理解できなかったことを私たちにのぞかせてくださるでしょう。
主から私が与えられた歌の一節に「音をさえぎる壁を打ち破れ、天と地との間の音をさえぎる壁を打ち破れ」という言葉があります。口に出す言葉だけでなく心に抱く思いさえ大きな影響力を持っていることを、私たちはしっかり理解しなければなりません。私たちがますます「天の音」に心を合わせるとき、地のうえでも天と同じことが起こり始めるのです。(終わり)


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by walkwithgod | 2006-07-27 15:57 | アメリカからのメッセージ

オレゴンへの里帰り      坂 柚実子    7月23日

オレゴンへの里帰り

先週4泊のオレゴンへの里帰りを主人としてきました。家族がいるわけではありませんが、長く親しんできた多くの方々と再会することができ、大変祝福された時を持つことができました。

ハワイに引っ越してから2年が経とうとしていますが、オレゴンで40年近くも慣れ親しんだ所に行くと、その2年間が無かったような錯覚におちいりました。ハワイに来て、「オレゴンから引越してきました。」と話すと、「何であんないいところからハワイにきたんですか?」とかいう反応が返ってきて、びっくりしたものです。 オレゴンの人にとっては、ハワイはパラダイスのように考えられていますし、休暇にハワイに来る人も沢山います。 でもハワイに住むと、オレゴンのように広々としたところが素晴らしいと感じられるのでしょう。

確かに夏のオレゴンはきれいでした。私たちはレイク・オスエゴというポートランドに隣接した小さな町に住んでいましたが、そこはカナダのヴィクトリヤを真似たのでしょうか、町に花があふれています。一つ一つの電柱にペチュニヤなどの花を盛り込んだかごが吊り下げられていますし、道の中央にも花が一杯です。洒落たお店も又、どんどん新しくできていました。

今回のオレゴン行きの一番の目的は、主人が45年前に渡米し勤めた材木輸出会社の、社長の未亡人である加藤さんをお見舞いすることでした。主人は渡米してから私と結婚するまでの8年間は、加藤さんのところに下宿させていただいていました。加藤夫人は帰米二世というのでしょうか、アメリカで生まれ、小さいときに日本に帰り、ティーン・エイジャーのときに再びアメリカに戻られました。そして第二次世界大戦のときには、日本人として強制収容所に入り、様々な苦労をされたのでした。

彼女は主人と私にとってはアメリカの母、子供たちにとってはおばあちゃん役をしてくださり、クリスマスやイースターにはご馳走をして招いてくださるのは勿論のこと、すべての面において私たちの生活をバックアップしてくださいました。洋裁がお得意だったので娘などはいつもドレスを縫ってもらっていましたし、クリスマスには主人と息子にお揃いのパジャマを縫ってくださるのが慣例でした。私のためにもパーティー用の絹のドレスを一晩で縫ってくださったりしました。アメリカには家族のいない私たちにとって、彼女の存在はどれだけ有難かったか知れません。

現在彼女は92歳になり、ケア・ホームでお世話をしてもらいながら暮らしています。アルツハイマーでどんどん記憶を失っていますが、2年ぶりの再会にもかかわらず、私たちのことは分かり、涙を流さんばかりに喜んでくださいました。別れるときに主人が彼女の頭に手をおいて主の守りを祈りました。私たちが訪問したことも彼女はすぐに忘れるのですが、彼女の魂はその喜びを記憶していると信じています。

最後の日には、私たちが以前かかわっていた教会やバイブルクラスの方たちが集まってくださり、主人がメッセージをさせていただきました。主にある兄弟姉妹との再会は本当に心温まるものでした。一人ひとりが主の取り扱いを受けて、霊的成長をしておられるのがはっきりと感じられました。これからも遠く離れてはいても、祈りで支えあって行きたいと思います。

今回のオレゴン訪問は主からの素晴らしい贈り物であり、多くの方のご好意で快適に楽しくすごすことができましたことを、心から感謝しています。ハレルヤ! (終わり)


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by walkwithgod | 2006-07-23 09:12 | 柚実子からのハワイ便り

戦争に入った国     ルーベン・ドロン      7月20日

戦争に入った国                                                               ルーベン・ドロン


 中東の紛争が日ごとに激しくなり、イスラエルにいる私の元には多くの友人やとりなし手から電話がかかってきて、「どのように祈ればよいのでしょうか?聖書で『栄光に輝く地』と呼ばれているイスラエスで今、何が起こっているのですか? ご家族はどうされていますか?」と尋ねられます。皆様が心にかけてくださり、神のイスラエルに対するご計画を信じて祈っていてくださることを心から感謝いたします。

 私は今年の2月に「戦争に備えよ」という記事を書きましたが、そのときに皆様の中には、私が中東での戦争は避けられないと言ったことに対して、言い過ぎではないかと思われた方もあったようです。 「私達はみな結局は平和を望んでいて、お互い仲良く暮らしたいと思はない人はいない。」と思われたのでしょう。 確かに私たちは平和を愛する者ですが、もし、あなたがイスラエルのように乱暴者にかこまれて住んでいるとしたら、どうしますか?

 地上では様々な事態が起こりはじめ、霊的にも嵐がくることが予知されたので、戦争が勃発することが明らかになった2月の時点で、それをとりなし手たちに知らせたのですが、 悲しいことに、私たちイスラエスと世界が困惑している目の前で、預言の言葉が考えていたよりも早く、現実のものになってしまいました。

ガザ地区と最近起こった誘拐事件

 これまでの15日間、イスラエル軍はガザ地方に攻め込んでいますが、そこはほんの数ヶ月前に一万人くらいのイスラエス市民が強制的に立ち退いたところです。なお安全の面で問題を残していますが、このガザ地方は、パレスチナの人たちが「イスラエルからの妨害」なしに生活ができるようにと、イスラエル側が一か八かの賭けを覚悟で、パレスチナに引き渡したところです。 このイスラエルの譲歩は、過去にそこを統治していたオットーマン帝国、英国、エジプト、そして一番最後のヨルダン人もしなかったことであり、前代未聞の行動でした。

 しかし、この試みは、パレスチナがハマスというテロ組織を政府として選んだことにより、たちまち崩壊してしまいました。パレスチナの建国に対する考えは、イスラエスが撤退してからわずか数日のうちに、カサム短距離ロケットを国境の向こうのイスラエルの町に発射するということでよくあらわされています。 一年足らずのうちに、合計1000以上のロケットがイスラエル市民にむけて発射されていて、それに対してイスラエルは軍事的な報復は何もしませんでした。 イスラエルの軍隊は、政治家が必死になって軍事的解決以外の出来る限りの和平交渉をまず試みていた間、実力行使に入るのを引き止められていたのです。
 しかし、2週間前にイスラエルの国境警備員がガザのテロ・グループによって誘拐されるという事件をもって、その抑制期間は終わりをつげ、イスラエルの激しい軍事行動がはじまりました。この局面は今や、レバノンのイスラエルの北部にまで広がり、イスラエル兵士が2人、へズボラのテロリストによって誘拐されました。へズボラというのは、アルカイダの中東の「いとこ」のようなグループで、イスラムのテロ組織であり、レバノン政府から何の束縛も受けずに南レバノンを事実上支配し、シリヤとイランから資金援助を受けています。
この記事を書いている今も、広い範囲へのイスラエル軍による空爆が、ガザとレバノンの重要な施設やテロ組織にむけて行われています。また、同時に陸軍も誘拐された兵士たちを助け出すために敵地に入り込んでいます。 シリヤとイランの黒い影がこの事態の背後にあることは誰の目にも明らかであり、耳があるならば、戦争を告げるドラムの響きが激しくなってきているのを誰でも聞くことができると思います

戦争になる

 私たちはイスラエルに、家族や友人、又、多くのかかわりがあります。 そして、この不可避な戦争をどうにかして避けられないだろうか、抑制できないだろうか、最小限にとどめられないだろうか、と祈ります。私たちも皆さんと同じで戦争を好む者では決してありません。しかしながら、戦争はそこまで来ているのですから、それに対処し備えをしないのは愚か者だけです。遅かれ早かれ、サタンが大胆になるときに、敵からの攻撃がはじまるのです。その時には、たとえ平和を愛する国家であっても、武器をとって国を脅かす悪に打ち勝つために断固として戦わねばならなくなるでしょう。 人類の歴史を通じて、それが自由を愛する人々に課せられてきたことなのです。

 最近、一つの力強い預言の言葉が発表されて、多くの人に知らされましたが、それは主イエスの教会は戦う民であるということを言っています。 その言葉は真実です。なぜならばそれは、私たちの霊的遺産と現在のますます暗くなっていく世界の状況を踏まえて語っているからです。

 イスラエルの国家は常に「霊的なイスラエル」―教会―と平行して動いており、教会と同じ真理を、肉の形で証言するものであることを、私たちは認識せねばなりません。 ですから、イスラエルが紛争に巻き込まれている今、時を同じくして、信頼できる預言者たちが、主の名で呼ばれる人々の中に勇気、訓練、犠牲を語っていることは、少しも驚くべきことではないのです。
今夜、私は、子供たちや、イスラエルにいる家族と電話で話しました。「日の下には新しいものは一つもない。」と私は彼らに言いました。

 イスラエルは、今までも常に紛争の中にありました。私たちが約束の地にいることは、まわりから常に憎まれ妨害されました。国境ではいつも小ぜり合い、衝突、軍事的紛争がありました。 イスラエルは神の契約の民であるための(まだ目に覆いがかけられてはいますが)高い代価を払いつづけているのです。

 実際、最近の比較的穏やかな数年は、人々に思い違いをさせてしまったかもしれません。和平交渉は茶番劇であり、合意は不誠実であり、交渉相手は偽りを言い、イスラムの大部分の人の心は変わっていないのですから。 「平和の君」が統治される終わりのときまで中東に平和は来ないでしょうし、従って、世界にも平和は来ないでしょう。
ですから、善良な国家は、時には戦いに備え、悪が押し寄せてくるのを防御し、地上での主の救いの業が続いていくための時間とスペースを勝ち取ってゆかねばなりません。 イスラエルの軍隊で戦ってきた家族の中に生まれ、自分も兵士であった私は、子供たちにこういうのです。「我々はいつも戦わねばならなかった、そしていつも勝利してきた。」と。

 平静でいなさい。神はすべてのことを起こる前からご存知であり、今回の危機で気をもんでおられるということもありません。 今の艱難や、いのちを失う人が多数いること、また暗雲が立ち込めるような状況を見ると、たしかに気が重くなりますが、神は戦いに長けた方です。 神は主の名を呼び求める者のそば近くに常にいてくださいます。

主の御心がなされますように、御国がきますようにと祈ってください。 主の導かれるままに祈ってください。(終わり)


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by walkwithgod | 2006-07-20 13:35 | アメリカからのメッセージ

パーフェクトな霊の嵐       坂 達也    7月20日   

パーフェクトな嵐が今来ている 

  去る4月6日に掲載したデニス・クレーマー師の預言「6,7,8月に来るパーフェクトな嵐」を覚えておられますか。それを要約しますと

 「今から約90日経た時、天から超自然的なことが地上に降り注ぎます。それは90日間(6,7,8月)にわたる聖霊の大いなる降り注ぎで、ペンテコステの日に起こった聖霊降臨の様子に似ているでしょう。『天からの激しい風』が世界中の教会に90日間、次のことをもたらします。  空前の世界中のいやし!しるし!不思議!
  それよりもっと偉大なことが起きます。それは世界中で起きる前代未聞の奇跡であり、90日の間、あらゆる種類の大小様々な奇跡が起こります。2006年の夏は、空前の、前代未聞の、無比の奇跡が世界中で焼けるように起こる季節なのです。」
  
 皆さんはこの記事を読まれた時どう思われましたか? 「あぁ、又カリスマ的な預言か、私にはあまり関係がない。」と言ってすぐ忘れてしまわれましたか。あるいは、今廻りを見回して、「それご覧、何も起きてないじゃないか。」と言われるかも分かりません。本当に何も起きていないのでしょうか。

 実はそうではありません。ものすごい嵐が現実に今起きているのです。但し、これはあくまで霊の世界でのことであることを忘れないでください。霊の世界では、神が前代未聞のものすごい祝福を今私たちの前に並べて「さぁ、受け取りなさい。」と言っておられるのです。それはあたかも空前の大バーゲンセールが開催されているのに似ています。
 しかし、それを受け取るためには、私たちクリスチャンが霊的になって、霊の法則で、つまり信仰で受け取る必要があります。そして、それが出来る人たちだけが受け取っています。クリスチャンは「霊の人間」になったのです。霊の人になるとはどう言うことでしょうか。手っ取り早く言えば、霊で神とコミュニケートして神の御心を知った上で、それを祈り、宣言してこの世に現して受け取る「信仰の実践」をする人のことです。
 今こそ、【御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行なわれますように。】と言う「主の祈り」を信仰で実行する時が来ました。
と言っても、肉的な聖霊派のクリスチャンが「イエスの名で命ずる」と力んで宣言すれば奇跡が起こるとは限りません。ポイントは天の御心(計画)を地で実行してゆくことが主の命令(祈りの本質)であることです。それは誰がしますか。私たちクリスチャン、即ち御国の子、御国の戦士がするのです!

 実は私も6月が過ぎようとしている時点で、本当に奇跡が起こっているのかな、と少しいぶかる思いが来ました。そして、私自身気がついたのは、確かに6月に入ってから、神様と静かな時を過ごすときにレベレーション(啓示)がいつもより多く示され、油注がれていることでした。そして廻りを見てみますと、聖霊の働き、臨在、預言、啓示が6月からは今までになく強く多く示されることを、多くの使徒的・預言的な人たちが一斉に、又一様に口にしています。

 あまりにも多いのでそれらを全部訳してご紹介することが出来ないのは残念ですが、下記にその一端をご紹介します。

  ジェフ・ジェンセン師は「ケネス・へーガンが2003年に、2006年は主の栄光がもどってくる画期的な年、教会の運命を開く大事なドアの多くがシンクロナイズして開かれる年であると預言した。今年は、教会に対して将来の運命を決定的にするようなドアが開かれており、教会は信じられないような超自然の力へと霊的進展を遂げる新しい機会を与えられている。」と言います。

  キム・クレメント師は次のように預言しました。「神の霊が言われる。『あなたがたが今感じているのは「加速」です。わたしはわたしの言葉が実現するのを加速させる。勝利は加速し、奇跡は加速し、異例な力が加速的にあらわされ、政治的な恵みも加速する。家族の一致、人間関係の回復も加速され、あなたがたの子どもたちの霊的成長が加速される。』と。」(6月24日)

  ポール・キース・デイビス師は、「私たちは今、多くのしるしと不思議を伴う霊的活動の非常に高まっている季節に入っています。そのしるしは驚くべき事であり、評価されていますが、しかしそれらは神のみことばとその啓示に目を向けるようにと示されているのです。(預言と啓示の重要性)そして、主は各個人から盗まれたものを回復させ始めています。悪魔が過去に破壊した人間関係を和解させ、うわさとかゴシップとかプロパガンダで壊された結合関係を主が今の聖霊のシーズンに超自然の方法で修復されるでしょう。私たちに示されたみ言葉はイザヤ58:12、詩篇95:6-11、ヘブル10:16,17です。」

  さて私が7月初めの断食に入ったある朝、ふと全く降ったようにある御言葉とそれに関わる証しを本で読んだ時のことが心に浮かんで来ました。その御言葉とは「サタンがあなたから盗んだ神からの祝福を取り返しなさい。」と言う意味のものでしたが、聖書を見てもとっさには見つからず、結局その本をオレゴンからの引越しで持って来たかどうかを考えながら本棚をくまなく探した結果見つかりました。それはレベッカ・ブラウン師(医師でもある)が書いた「UNBROKEN CURSES」という本で、御言葉は箴言6:30-31でした。
飢えを満たそうとして盗みを働いた者を/だれも侮りはすまいが それでもつかまれば、七倍の償いをし/家財の一切をそれにあてなければならない。」

 このブラウンさんに、主が聞いたと言うのです。「サタンは飢えているだろうか」それに対して「飢えておりません。」と答えると、「それなら、サタンがあなたから過去において奪い盗んだものの総てを七倍にして返すようにサタンに命令しなさい。」とはっきりと言われたそうです。それによりひどい状態に落ち込んでいたブラウンさんのミニストリーが見る見るうちに回復したと言う証しでした。私はこの本を8年ほど前に読んだ記憶があるのですが、多分その時、私もやってみようと思い立って同じことをサタンに宣言したのではないかと思います。しかしその命令が聞かれたと言う記憶はありません。つまりこのお話は神がブラウンさんにたまたま必要な時に与えられた御言葉(御声)であって、その時の私には当てはめられるものではなかったと言うことです。

 しかし、今回は、本当に降って沸いたようにこの証しを神様が思い出させてくださったのですから、私はこの御言葉を「今こそ私が当てはめる時が来た」ことをはっきり知ったのでした。つまり、同じ主の御言葉でも主のタイミングと適用のご計画に合致した時でなければ、いくら大声で祈っても答えられない場合が多いと言うことです。

 その上、その本の最後の章でブラウン夫妻がサタンへの訴えを天の法廷に持ち出すことが出来ることを主から示され、祈りの中でそれをした結果、神の法廷で正式にサタンに対して「神のさばき」の宣告が言い渡された、と書かれていました。実は、その部分に関しては所々に線が引っ張ってありましたから私が読んだはずなのに全く記憶にないのです。それだけに今回読んで、天の法廷に関する部分が非常にリアルで新鮮に感じられました。そして、それがコンファーメーションであると言う思いが来ました。
 つまり今回私が主から示されてサタンに命じることは、既に天の法廷で宣告済みであると言う確信が来ましたから、感激をもって心から神の恩寵に感謝し、毅然としてサタンに対して宣告と命令をしたのでした。

 皆さんもそうであるかと思いますが、私には今ずっと祈って来ている大事な案件がたくさんあります。そして、それに対する答えの来方が遅れていることを感じておりました。しかし、このサタンに対する宣言をして以来、様子がはっきり変わって来たのです。特に教会でのミニストリーに聖霊の強い働きが現れ始めました。それに私の信仰が増し、主との関係がより親しいものになりつつあることを強く感じます。ですから私は今、いやしを含む思い切った祈りをどんどん宣告・宣言しております。

又、このようにして主に親しく示された時には「あなたがたの足でサタンを踏み砕く」(ロマ16:20)ことすらできるし、行わなければならないのです。それが勝ち戦のあるべき姿です。クリスチャンとは好むと好まざるにかかわらず、敵と戦って総てを勝ち取っていかざるを得ないのです。そのために改めて「強くあれ。雄雄しくあれ。恐れてはならない。」(ヨシュア記1:9)と言う御言葉で私も霊的に勇気付けられております。(肉の空元気だけではどんなに叫んでもサタンに笑われるだけです。)そして霊の戦いに常勝するためには唯一の方法しかないことを認識しなければなりません。それは、私たちが「主の御心とご計画」を知り、それを全き主のタイミングで祈って宣言することです。肉の自分の思いで祈る時には勝ち目がありません。(と言うことは「御心」を祈れば必ず答えられると言う確信を持つことにもつながります。)そのために私たちは、主と親しみ、主の御心を知った上でその御心を自分の心とし、愛をもって祈り行動を起こすとき、敵は必ず打ち砕かれます。

 イエス様はラザロが死んで四日も経った後で「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。」と短く祈って、「ラザロよ。出て来なさい。」と叫ばれました。これは明らかに、イエス様が毎日の父との親しい交わりを通して父がなさろうとするご計画とそのタイミングをよく知っておられたからです。後は、その時が来たときに、イエス様ははっきり父の御心に同意し、愛の心でお願いすれば事が成ることを承知しておられ、それを実行に移されたのでした。勝負はイエス様が父のご計画と御心を知った時点で既についていたのです。これが私たちの奇跡を起こす祈りのパターンです。

  今のシーズン、主は私たちを祝福したくてしょうがないお気持ちで待ち焦がれておられます。皆さん、天の父は皆さんのために考えられないような大きな愛の祝福を今用意してくださっているのですから、神の御前に出て遠慮なくあなたに関する、とてつもなくすばらしい神のご計画を教えていただき、それを信仰で受け取ろうではありませんか。まだ決して遅くはありません。(終わり)


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by walkwithgod | 2006-07-20 05:09 | 坂達也からの今月のメッセージ

タイム・カプセル      チャック・ピヤース   7月10日

タイムカプセル
                                          チャック・ピアス 


祝福と喜びをあなたに解き放ちます。 キリストの光があなたの人生に輝き、あなたが主の恵みのうちを歩まれますように!
私たちは今、収穫の時、前進の時に来ていますが、私たちが成功するのを邪魔したり、止めようとして働く霊があります。 私たちの中の「ミデアン人の霊」にどのように勝利するかを、ほとんどのクリスチャンは知りません。 今、私たちは、ミデアンの呪いを打ち破って進んでいく油注ぎのあるトンネルを与えられ、好機の窓へと私たちは進んでいくことができるのです!

私は天のタイムカプセルを見た

今や成功の窓は開いた、敵の一歩前を進み続けよ

このことばが私の心に繰り返しひびいてきます。先週、マイクとシンディ・ジェコブス夫妻と共に集会を持つためにワシントンDCにむかっていましたが、その飛行機の中で、神の御霊が私に臨まれ、タイムカプセルを見せてくれました。 そして、このカプセルは主のとりなし手たちが、今これを食べなければならない、と幻で教えてくださいました。時間がくると溶け始めるカプセルのように、このカプセルは私たちの中に入って序々に働き始め、アメリカの未来の方向を定めていきます。カプセルの中には情報が刻まれている螺旋形のものがあるのが見えました。その情報は今私たちがいる「7年間の戦争のシーズン」と関連していました。

木曜日の集会で私がメッセージを終えたとき、主は私に次のように主の命令を布告する(decree)ことを命じられました。「しるしとして、天から洪水を解き放ち、ワシントンDCを満たし、語られた神のご計画とみ言葉が真実であることを証明せよ。さあ、洪水よ、起これ!」 主はまた、「木が根こそぎ倒れる」ことも語られました。 ご存知のようにワシントンDCは現にこの数日、洪水に見舞われています。【それによりホワイトハウスの玄関のまん前にある古い大木が倒れました。訳者注】今のシーズンのしるしを見逃してはならないのです!

7年間の戦争のシーズン

下記でタイムカプセルの説明をしますが、その前にまず、今私たちが経験している「7年間の戦争のシーズン」についてもう一度お話することが重要だと思います。2001年の9月に私たちは「戦争の始まりー古いサイクルを打ち破る7年間」 というシーズンに入りました。これは地上で神の約束にある争いが起こるシーズンです。覚えておられると思いますが、これは、ニューヨーク市でワールド・トレイド・センターがテロリストの攻撃で倒されたときです。その後目に見える世界ではテロリズムとの戦いやその他様々な抗争へと突入していきましたが、本当の戦いは宗教色の強い霊的なものでした。

それ以来今も、その戦いのシーズンの中にいる私たちは主の「安息日の安息」を経験させられながら、その中で私たちの信仰が深まりました。それは2002年の9月に始まりましたが、それはヘブルの年の5763年にあたっていました。その時からアップ・ダウンの激しい情勢にじっと耐えることを私たちは学ばねばなりませんでした。主はそれを「神のロディオ」(野生の牛の背に乗り激しく上下に揺り動かされながら乗り続けること)と喩えられました。2003年の9月に私たちは、「秘密、奥義、驚きの年」に入りました。この年はまた、「馬と共に走る年」でもありました。つまり、あなたは徒歩の人を追い抜かねばならず、周りの状況が厳しくなって混乱に陥り、あなたが争っているものより早く走らねばならないときが来たのでした。(エレミヤ12)

今は激しいワーシップのときである

私たちが生かされている今のシーズンはヘブル語ではSamekhと呼ばれ、敵の陣営を囲む、取り巻く、分捕るというシーズンです。 今は静かにしている時ではなく、激しくワーシップすべき時であり、敵を叫びながら追い抜いていくシーズンです。 今は天と地とが非常に近づきつつある時です。 それがハリケーンや津波というような激しい変化の波を引き起こしています。 地は震えています。 今私たちはこの7年間のシーズンのうちの5年目を迎えていますが 「5」という数は恵みを表しています。私たちのこれからの戦いのために超自然的な豊かな恵みが用意されているのです。 将来のための私たちの当然の権利を要求して確保する時です。私達は今、(過去に起こったことが私たちの将来に影響するという古いサイクルを打ち壊し)過去をむしろ将来に従わせ、主が私たちにベストなものを用意しておられるということを布告・宣言(decree)しなければなりません。私たちをとりこにして神の祝福を将来においても受けられないようにしている「古いサイクル」を打破する戦いを、あと2年間、私たちは激しく戦って勝ち取らなければならないのです。

ヘブルの次の年は2006年の10月から始まりますが、それはSWORD(剣)という年です。 激しいワーシップがもっと激しくならねばならないのです。神の民である私たちは、この地を霊的な力で勝ち取るのです。激しい(過激的・バイオレントな)ワーシップは自然界の暴力(バイオレンス)を打ち負かすことができます。 それはワーシップが私たちの周りの空気を変えるからです。これからの数ヶ月間、善と悪とが新しい方法で、よりはっきりしたものへと二分されていくでしょう。天と地とは緊密に提携して動いていきます。地上では新しい統治者(御国の)による評議会が町々に形成され、それによって魂の収穫をもたらすための戦略が考えだされるでしょう。 これらの組織はどのように天からの命令を宣言・布告(decree)すれば、それが実現するかを知っており、実際に物事が新しい支配下で着々と実現していきます。富を新しい権威者に移すための宣告をしていくことがどれほど重要であるかという理由がここにあります。


好機の窓が私たちの上に開いている

タイミングが重要です。- 天におられる「主をどのように求めるか」が、今の世代に地上で起こることを決めていきます。私たちは「主からのみことばを食べる」ことが必要であることを忘れないでください。 主が見せてくださったタイムカプセルの中身をここに書きます。

今から8月10まで:「砂漠が反撃してくる」 この期間は敵の攻撃に抵抗することを学ばねばなりません。あなたは前進して敵に立ち向かっていくのです。荒野、砂漠の霊にやられてはいけません。

8月9日から9月5日まで:神によって約束されたプランのための打ち破りの窓が現れます。自分、教会、町、国がこの神のプランと同じ線上に並ぶように宣言(decree)しなければなりません。(その際)神からの命令の内容(契約)を理解することが非常に大切になります。神の御心を天から地上に実現させねばなりません。ルカ11章 主の祈りを祈ってください。 あなたに与えられている賜物が新しい方法で用いられるようにお願いしなさい。あなたの良心がやすらかになるように宣言しなさい。 過去においてあなたの視野(ビジョン)を妨げたすべてのものを捨て去りなさい。

9月5日から10月12日まで:「将来のためのリーダーたちが神によって配置されるでしょう。」 私はキリストの身体なる教会が、椅子とりゲームをしているミュージカル・チェアーのように入れ替わるのを見ました。 あるリーダーたちは引退し、ある人たちは辞職し、又ある人たちは聖霊の計画に抵抗したために退けられるでしょう。 主は主の王国を前進させるために必要な賜物(の人)が用いられるように場所を空けて起用します。

10月12日から将来にかけて:「私たちは新しい脱穀機-主の手にある研がれた剣―となる。」 あなたが経験する状況があなたを研ぎ、あなたの将来のアイデンティティー(特性)を決めます。

将来・その先:「剣の交戦が始まる。」 研がれなさい! 天の霊的領域を代表する地の剣が戦いを始める。 この戦いが今の世代の未来を決めるのです。(黙示録12)

今はヘブル暦第四の月、タムーズに入った

この月がどういう月であるかを理解するには、今月は「映画(あなた自身の人生をのぞく)をみる月」であると理解すれば分かりやすいと思います。 今までの人生を振り返り、あなたが今置かれている立場にまでどのように辿りついたかを見てください。過去の良いことも悪いことも見てください。そして、主にお願いして、あなたがこれからどこへ行くのかを啓示していただき、あなたの進展振りを見なさい。そして将来のためのあなたのコースを調整し、過去に経験した「荒野の霊」があなたの前進を阻むのを許してはなりません。

この月は「蟹が殻から出てくる月」です。あなたの周りの殻が全部破られて、あなたが主の前に一切をさらけだすと、宣言しなさい。 破れた殻を身体のまわりから取り除きなさい。心と目とをしっかりと守りなさい。(申命記11:26、30:15-19)

神との提携を強めることが大変重要です。すべて神と約束したことに注意しなさい。(雅歌5:2-12)イザヤ60章をすくなくとも3回読んで、「あなたの義が輝くのを見なさい。」

この月はワーシップが霊的生活のなかで非常に重要になります。主を「霊とまこと」とをもって礼拝しなさい。ヨハネ4章を読んでください。「金の子牛」が形作られていくのに同調しないように気をつけなさい。

この月はあなたが口にする言葉に気をつけなさい。主があなたに計画されている最良のことを宣言しなさい。主のあなたへの召しに従いなさい。悪いことを語ってはいけません。この月はヘブル語のChetという文字と関連しています。良心を清められ、あなたの目から光が放たれるようにしなさい。主の光で見なさい。(終わり)


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by walkwithgod | 2006-07-10 13:35 | アメリカからのメッセージ

7月のファースト・フライディ    坂 柚実子   7月10日

7月のファースト・フライディ

7月7日は七夕ですが、我がニューライフ・チャーチでは中華街全体の毎月の行事である第一金曜日の催しが行われました。3,4月はサーフィン・ダ・ネーションズという世界の海でサーフィンをしながらミニストリーをする団体を中心としたユースの集い、5,6月はハワイの文化を中心としたもの、そして7,8月は日本がテーマとなりました。教会のロビーのギャラリーには、日本人アーティストたちによる絵画、魚拓、書、生け花などがかざられました。

そして会場の中のメイン・イベントは「神が日本に残した指紋」というDVDの上映と、それを長い年月をかけて製作したダニエル・キカワ博士による講演がありました。キカワ氏は日系四世ですが、日本を愛し、このDVDは彼から日本人への贈り物だといわれます。

このDVDの主な内容は、神はこの世のどの国をも愛しておられ、その国にイエス・キリストの福音が伝えられる前から、その歴史、文化を通して、必ず「神の指紋」を残しておられる、日本の場合も天地創造の神は昔から示されていた、というものです。

また、サタンはなにも創造する力がないこと、サタンにできるのは神が創造されたものを、奪い、ゆがめ、堕落させることしかない、日本舞踊や茶道に代表されるような様々な日本の文化も、もともとは神が日本に下さったものであり、それを私たちは神のものへと回復させていくことができる、といわれます。

また、彼は福音を世界に伝えるときに、伝える側の文化までも持ち込んではいけないことを強調されます。DVDの中には、キカワ博士が来日された際に、ある教会で彼が土下座をして、アメリカの宣教師が福音を伝えた際に、日本の文化を否定したことを謝罪する場面があります。会衆の多くの方が涙を流してその謝罪を受け入れておられました。

彼は、宣教師がしてきたことは、「私はあなたを心から愛しています。でもその髪型は好きではありません。あなたの服装も駄目です。その歌い方も変です。みんな変えてください。」といっている恋人のようなものだといわれます。それではいくら愛しているといわれても、心を開くことはできないでしょう。

現在ではハワイの教会で普通に行われているフラダンスによる賛美も、ほんの10年ほど前までは、異教の神へのダンスだということで禁じられていたそうです。DVDの最後は、フラダンス、日本舞踊、韓国の踊り、インディアンの踊りなどで主を賛美している各国のクリスチャンが映し出されています。とても感動的なシーンです。

このDVDは、伝道の一つの道具であり、すべての道具がそうであるように、その使い方に注意せねばならないと思いますが、正しく使えば、日本人の心をイエスに向けることができるものであることは、すでに実証されています。キカワ博士の神を愛し日本人を愛する心が、私にはしっかり伝わってきたことでした。(終わり)


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by walkwithgod | 2006-07-10 13:25 | 柚実子からのハワイ便り

アメリカの国家的預言者      坂 達也    7月5日

アメリカの国家的預言者
                      坂  達 也
 

旧約の時代のような預言者が現代のアメリカに存在していると申し上げれば、皆さんは驚かれるでしょうか。アメリカの国家的立場(政治・政策とか憲法)を左右するような重要な事態(特にそれが神を信じる建国の霊的姿勢にかかわるような場合)において、実際に国の政治に介入して事態とその流れを変えるだけの預言と宣言をし、又、国中のとりなし手を動員して「御心を祈る」ためのリーダーシップを発揮する預言者が、今アメリカにおります。そのような国家的預言者は、他にも存在すると思いますが、少なくとも私が現在知っている人ではダッチ・シーツ師がそれです。彼には明らかに神のスポークスマンとしての権威が与えられているだけではなく、国に関する政策において、神からの御ことばを宣言して神のご計画を実現させるだけの権威と力が与えられています。

神は彼の口を通して、先ず、アメリカの霊的空気を変える「ディバイン・シフト・神によるシフト」を叫ばせました。その数年後、彼にイザヤ書22:22にある「わたしはまた、ダビデの家のかぎ(権威を象徴する)を彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。」というみ言葉を与え、2000年の大統領選挙で事態が混沌として来た時点で、彼をホワイト・ハウスの前に行かせました。師はそこで神から預かったみ言葉を宣言し、ジョージ・ブッシュ大統領がホワイト・ハウスに入るドアを開いたのでした。

彼は既にその3年前から主からの特命を受けて、何度もホワイト・ハウスに祈りの足を運び、2004年の再選の前にも、同じようにホワイト・ハウスの前で神のみ言葉を宣言しております。又、アメリカの見張り人として、神は師とチャック・ピヤース師を起用してアメリカの50州を訪れさせ、各州において預言ととりなしをさせました。そしてシーツ師は、最近ではアメリカの霊的姿勢に関わる最も重要な役割を果たす最高裁判事の入れ替えのための全国的とりなしのリードを取っております。この一年間に二人の判事が退役し、今リベラル派と目される三人目の判事が近々退役することが予測されていますが、アメリカが堕胎の問題等に関して聖書的信仰に立つ判事が選ばれることによって、アメリカの国策が聖書的に留まるかどうかの瀬戸際に立たされているからです。

その意味でダッチ・シーツ師は、私たちクリスチャンが神から与えられる権威とそれに伴う神の力を信仰で行使し、神の御心と計画を私たち自身が日常生活の中でどのように勝ち取っていくかを語る第一人者であると信じます。以下は彼の最近の書「Authority in Prayer祈りの権威」からの抜粋です。


祈りにおける権威について                                                                           ダッチ・ シーツ

権威のサークル

 私たちの持つ神からの権威のレベルを表わすために、私はそれを「円の中心から広がる権威の原則」と称したいと思います。ちょうど中心に標的の的(まと)があって、その回りを幾重にも円(サークル)が書かれている図を想像してください。この中心の的の部分が私たち個人を表わすものとします。その中心から少し広がったところに一つのサークルを描きます。次にもう少し大きなサークルを描きます。そのサークルが大きくなるにつれ、そこにはより多くの人間とより広い地域が含まれることを想定してください。そこで気がつくのは、円が大きくなるにつれ個人としての権威は小さくなることです。なぜなら権威はそれだけ多くの人と分かち合うからです。中心の的に一番近い最初のサークルは、個人の家族を表わします。次のサークルはあなたの住む町、そして、もっと大きなサークルは国を表わすと言うように大きくなっていきます。もう一度言います。サークルが大きくなるにつれ個人としての権威は減少していきます。

あなたのライフに関する限り、あなた自身が持つ権威以上に大きな権威は誰も持ってはおりません。又、あなた自身のことを祈るのに、あなたより大きな権威をもって祈ることのできる人はおりません。私たちは生まれつき自由意志と選ぶ権利を持っており、大人に成長するにつれその自由は増大します。神に関する限り?誰もその自由を私たちから取り上げる人はおりません。
 しかしながら、そのあなたの持つ自由と共に、権威だけではなく責任も負わなければなりません。

 これは70年代の終わりから80年代にかけてのことなのですが、私の手には多くの、それは確か30-40個にもなるほどのいぼができました。私は色々な医者に相談しましたが、彼らは皆それを切除するのを躊躇しました。というのは、幾つかのいぼは、つめに直ぐ近接して発生しており、あるものは既につめを食いばんでつめの中に侵入していたからです。大量のいぼによって私はちくちく痛みを覚え、人前で非常にみっともないと言うみじめさを味わいました。

 そこで私は主を熱心に求め、主がいやしてくださるように祈りました。いやしに関する聖書の教えのほとんどすべてを試みました。先ず、教会の長老に祈ってもらいました。(ヤコブ書5:14-15)又、手を置いて祈ってもらいました。(マルコ16:17-18) 私のために祈ることに同意した人たちにも祈ってもらいました。(マタイ 18:19-20) そして、いやしの集会にも参列し、特別にいやしの賜物が与えられている人にも祈ってもらいました。(1コリント 12:9-11)しかし、一向によくならないのでした。
 
 そうこうしていると、ある日主が私の心にはっきりと語られました。主は「わたしは(今回は)他人の祈りとか、信仰によってはあなたをいやすことはしないでしょう。あなたはあなた自身の信仰でよく戦い、いやしを自分自身で獲得しなさい。わたしはあなたには多くの年数をかけてしっかりと『自分でできる』ことを教えて来た。多く与えられた者には多くのことが要求される。従って、わたしは今あなたに自分でいやしを獲得することを要求する。」と言われました。これは主が非情でも不親切でもないのです。主は愛のある親なら誰でもが子どもに対してするように、私が成長して自立することを助けようとされたのです。
 
私は神から教わったことを実行に移し始めました。それは主にマルコ 11:23-24「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」でした。
私たちは山のような困難さに向かって、それが立ち去るように命令することができます。私はこの命令の祈りを約30日の間、一日数回行いました。それは、私の手を見つめて「み言葉によれば、私のいやしのためにイエスが打ち傷を負ってくださったので、私はこのいぼを叱りつけ、私から立ち去るように命令する権威を持っており、その権威によって命ずる。いぼよ、イエスの名によって、私の手から出て行きなさい、と命令する。」と語ったのでした。
 
何か馬鹿なことをしているように思えますか?その通りです。多くの霊的なプラクティスとガイドラインは私たちの人間的な心には、愚かなことを言っているように思えます。(1コリント2:14)しかし私は信仰を働かせて実行しました。その結果が私のしたことが愚かなことであったかどうかを実証してくれています。
 
約二週間後に私の手のいぼが小さくなっていることに気がつきました。その時点からいぼは急速に縮小して行き、二週間後には(つまり計4週間)全く消えてなくなりました。それだけでなく、指のつめに食い込んでいたいぼの後には新しいつめとその根元に新しい表皮ができておりました。

 私がこの証しをお分かちするポイントは、あなた自身のことに関しては、誰もあなた以上に祈りによって神の約束を獲得する権威を持っている人はいない、ということを示すためです。
神は、私たちが霊的に成長するにつれて、他人に頼るのではなく、自分自身の権威と信仰を行使することを要求する方であるということです。

 しかし、私たちが次に大きな輪―それは家族という関係―の中では、私たち個人の権威というものはそれだけ減少して行きます。
私たちの家族に対して神から与えられている権威はどうかといえば、その家族のそれぞれが自分自身に対して持つ権威が与えられていると共に、家族の一員として他の家族に対して祈る責任と権威も与えられています。私の場合、神は私に妻と子どもたちに対して「覆い」あるいは「保護者」となる責任を与えております。この責任に対して私はそれだけ大きな権威も持って祈ることができるのです。

 1970年代の終わりの頃のある父親の証しが、私たちには子どものために祈る権威が与えられていることをよく物語っておりますので、お伝えしたいと思います。この人の娘さんが手に、それはいぼの一種と思いますが、数多くの腫れ物ができて困っていました。ある日、その人が祈っているときに主が力強く語られました。「あと何日間、あなたはあなたの娘の手にできている腫れ物をそのままにして置くつもりなのですか?」そう聞かれたとき、その人は神が少しご機嫌をそこねているような聞き方をされたことに驚きました。神は「あなたは自分の娘を覆って守る権威があり、娘の手から腫れ物を去らせる権利があるのです。それなのにいつまで腫れ物をそのままにして置くのですか?」と咎められたのです。
 このことがあってからその父親は直ちに、私がしたのと同じような祈り、つまり腫れ物に対して娘の手から離れるように命令することを、毎日数回祈り始めました。多くの日数をかけて、その人は主に忠実に従った祈りを実行した結果、その娘さんの腫れ物がいやされたのです。しかもそれは私の時のように徐々にではなく一瞬にしていやされたのでした。それはある日、彼女が自分の着物をクロゼットのハンガーにかけようとして着物を手に取ったときは腫れ物はあったのですが、それをハンガーをかける棒につるす瞬間に自分の手を見たときにはその腫れ物はなくなっていたのです。

 私たちは私たち自身のために祈る権威を持っているだけではなく、私たちが覆いとなっている人のために祈る権威も持っているのです。(責任があります。)

1985年に、神は私の妻のセシの卵巣に出来た嚢腫をいやすために、私の祈りを用いられました。その嚢腫が見つかってから約一年経ったとき、医師から手術によってこれを撤去する必要があると言われました。この医師はクリスチャンでしたから、彼も祈りの力を信じていることを私は知っておりました。そこで、私は彼にしばらく祈らせて欲しいと願い出ました。私は家内の病気が祈りで必ず癒やされると固く信じていたからです。医師はこの腫瘍が悪性のものではないこともあって、「それではあなたに二ヶ月の祈りの時を与えましょう。しかし、あなたの方法でその腫瘍を取り除くことができなければ、次は私の方法で撤去しましょう。」と言いました。私は主を求めて、主にこのいやしを獲得するのに必要なストラテジー(戦術)を請いました。そして主がはっきりと語られるのを聞くことができました。それは、私が毎日妻のいやしのために一時間祈れば、妻がいやしを受け取ることができると言うものでした。私はこれに忠実に従いました。私はどうして主がこの方法を選ばれたかは分かりませんでしたし、又、それは私にとってどうでもよいことでした。私にとっては、主には主の立派な理由があることだけで十分でした。二週間の後、妻の痛みがやわらぎ始め、四週間後にはそれも全くなくなりました。そしてテストの結果、嚢腫も完全になくなっていました。

もう一度言います。私たちの人の輪が大きくなればなるほど私たちの影響力と権威は減少します。その例として、私は自分の町(市)のために祈る権威を持っています。しかし同じ町に住む他の人たちも私と同等の権威を持っています。同じことが、もっと輪を大きくして国というものに対しても言えます。私たちすべての国民は自分の国のために祈る権威を皆、同等に持っていますが、人数が多くなればなるほど一人一人の権威というものはそれだけ少なくなっていくのです。(これによって、地域の出来るだけ多くの人が一致してとりなすことの重要性が分かります。訳者注)


1テモテ6:12に、 「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」とありますが、パウロは既に救われて「永遠のいのち」を得ているはずのテモテに対して、信仰の戦いを勇敢に戦って、永遠のいのちを獲得しなさい、と言っています。キリストにあって既に契約による約束として与えられるいのちとは、私たちがクリスチャンであるからと言って自動的に与えられるのではないのです。私たちは自分の権威を行使することにおいて信仰を発揮し、この約束されたものを自分で獲得して行くことを学ばなければなりません。(終わり)

【私がこの本を読んで気がついたことは、神は私たちに多くの場合、ある一定期間「忍耐して祈る」ことを要求されることです。権威とは何か―それはサタンに奪われた私たちの「この世を支配する権威」をキリストが奪い返してくださったその権威であり、サタンとの戦いである祈りとは、初めからキリストが既にサタンに勝利してくださっているのですから、その「勝ち戦」のわくわくする喜びを私たちに時間をかけて味あわせてくださっていると思うべきであることです。ですから、「忍耐して祈らねばならない」と言う否定的な態度を取る代わりに、むしろ凱旋の勝利の喜びを主と共に毎日十分に味わう、そしてこの「祈りの期間」こそが主との貴重な交わりであり、それはキリストの苦しみの一部を味あわせていただく主との貴重なフェローシップ(ピリピ3:10)の時でもあると思います。いずれにせよ、シーツ師が強調するのは、私たちは神から与えられている権威と責任とを十分に認識した上で、最も重要なことは、キリストに従う「世に打ち勝った者」(ヨハネ16:33)としての強い信仰をもって実行することです。 坂 達也】


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by walkwithgod | 2006-07-06 12:02 | 坂達也からの今月のメッセージ

リバイバルのための悔い改め   フランシス・フランジペイン  7月6日

リバイバルのための悔い改め

フランシス・フランジペィン


真のリバイバルはひとりでに起こるものではありません。主が訪れる(リバイバルが起こる)ためには、その前に人の心の中に必要な条件が整えられなければなりません。

一時的な慰めではなく、解放を求めなければならない

往々にして今日、主の働き手たちは、自分の罪を悔い改めようともせず、又、神の助けを心から叫び求めてもいない人々を、一生懸命解放しようとしています。その結果、祈られた人たちは少しばかりの慰めは受けるかもしれませんが、すぐに又、罪を犯して落ち込んでしまいます。人々に真の解放を与えるための鍵は、その人が心から解放されたいという気持を持っているか、解放される用意ができているかを、祈る前にしっかり見分けることです。彼らは本当に悔い改めているでしょうか?自分の偶像を除いた人たちでしょうか? 心が本当に神に向いているでしょうか?

個人の解放のための神のパターンは、教会や町のためのパターンでもあります。主は私たちが心から助けを求めて叫ぶまで救ってくださらなかったように、多数のものが祈り求めて主に叫ばなければ、多くの教会や町を勝ち取ることはできません。町中の教会が一つとなって祈るようにと、キリストが今私たちを召しておられるのは、全能の主が答えてくださるような正しい心の態度を私たちが持つようになるためです。


神の御前で祈り叫ぶという土台がなければ、解放の業や、「つないだり解いたり」、その他の様々な霊的戦いの業は大幅に制限されてしますます。聖書によれば、人がまず、自分の今の状態を心の底から嘆き、そこからの助けを求めて神に叫びはじめるときに、解放という最終的段階にまでたどりつくことができるのです。

解放者たち

旧約聖書の中には、解放とリバイバルを神が起こされるときのパターンが書かれています。民が苦しみの中で祈り叫ぶのに応えて、主は解放者たちを立てられます。彼らは、苦しめるものからイスラエルを救うために神に選ばれた油そそがれた力ある者たちです。

彼らがイスラエルを解放するのに成功したのは、彼ら自身の素質とか資格によったのでは全くないことに、目を留めることが重要です。彼らは確かに神によって送られたのですが、そのタイミングはイスラエルが悔い改めたときと同時だったのです。悔い改めがなければ解放もありません。イスラエスが神に叫んだとき、解放者が立てられ、聖霊の力の油注ぎを受けました。
この旧約時代のリニューアルのパターンのポイントは、今の私たちにも当てはめることができます。実際に「解放者」が現れるのが見えないかもしれませんが、深い祈りと悔い改めが広がっている町では、リバイバルが起こってくるでしょう。

イスラエルを見てみますと、国家的な罪が敗北をもたらし、他国による支配が起こりました。それにより、悪魔礼拝がもたらされ、イスラエルの心は敵によって完全に惑わされてしまいました。イスラエルが神の律法を公然と無視したので、国の経済的、文化的、物質的崩壊がやってきました。神の祝福を民が受けていた国の上に、今や絶望と悲惨が訪れたのです。

このような状態におかれて苦しんだ国民が、心から神に泣き叫んだとき、神が解放者たちを起こされたのです。解放者たちは、悔い改めたイスラエルを圧制者から救い出し、勝利へと導きました。真の礼拝が回復されたとき、国家の平和と繁栄が始まりました。

リバイバルへの道のりは、決められた予定表に沿って進むのではないことに注意してください。はっきりとスケジュールが決められているのではありません。神の裁きがどのくらい続くのか、人が罪を悔い改める深さがどのくらいになったら神が満足されるのか、それは誰にも予測できません。しかし、次のことだけは確かです。
リバイバルが起こるまでに要する時間は、私たちが予想するよりいつも長いということです。 それの決定要因は、人々が罪を認め、神に顔を向けるということです。国家の中心的人々がしっかりと神に顔を向けたとき、その国の癒しが始まります。

ネヘミヤは国が解放されるまえに起こる悔い改めの型について語っています。彼はこのように祈っています。

ネヘミヤ9:27
「そこで、あなたは彼らを敵の手に渡され、敵が彼らを苦しめました。彼らがその苦難の時にあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたの大いなるあわれみによって、彼らに救う者たちを与え、彼らを敵の手から救ってくださいました。」


私たちはこのプロセスの途中であせったり、また祈りに主がすぐに応えてくださらないからといって、いらいらしてはなりません。 主は国家が反逆の罪に押しつぶされるまで待っておられるのです。けれども私たちは次のことにおいて、勇気をあたえられます。

私たちのとりなしそのものが、全能の神に国家が悔い改めをするようになるための初穂であり、間違いなく国家の悔い改めは起こるということです。

時々は少しばかりの聖霊の働きがところどころで見られるかもしれませんが、国家のリバイバルが起こる前には、必ず神への叫びが国中で起こらねばなりません。この時は「苦難のとき」とよばれ、これは数年の間主に叫び求めることなしには成就されません。

人の嘆き、神のこころ

士師記には、このパターンが何度も繰り返されています。イスラエルが罪の深みに陥っていくとき、その罪の重荷とその報いの結末によってイスラエルがへりくだるのを神はじっと待たれました。彼らをご自分のところに呼び戻すために待たれたのです。

しかし、主はイスラエルの悲しみを遠くから眺めておられる方ではありませんでした。民が反逆しているときにさえ、神は彼らの苦しみを感じておられました。主がこれ以上「イスラエルの苦しみを見るのに忍びなくなった(士師記10:16)」時、主は解放者を送られました。イスラエルの悲惨、絶望が彼らを神に立ち返らせたのです。


これと同じパターンは出エジプト記にある主とモーセとの出会いの中にも明らかです。

出エジプト記3:7-8
「 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。 わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。」


主が民の苦しみを見られたことに注目してください。主は彼らの叫びを聞かれたのです。主は彼らの苦しみをご存知でした。神は人類の窮状から遠くはなれたところには決してないのです。事実、主は私たちの社会の悲惨さを負ってくださっているのです。

私たちの悩みは主の悩みであり、私たちの苦しみは主の悲しみなのです。

出エジプトの中で、神が聞かれたのは祈りだけではないことに注意してください。主は彼らの泣き叫びも聞かれました。私たちの必要を祈ることも大切ですが、涙を流すことは、もっと深いことです。神は悲しむ者をこそ慰めてくださるからです。
主は彼らの苦悩、苦しみを知っておられました。神が応えてくださる祈りとは、絶えざる叫びであり、それは多くの場合、苦痛と苦しみの中から
生まれてきます。今日においてはアフリカやアジアの地域でそれは起こっています。

主がまだ私たちの祈りに答えてくださらないのは、私たちの祈りがまだ「祈り会の予定時間の範囲内で終わるような」祈りをしているからです。私は1970年のカリズマティック・リニューアル・ムーブメントのときにキリストを信じました。
このムーブメントは、何百万という母親たちの昼夜絶えることのない叫びから始まりました。単に一時間祈ったから起こったのではないのです。自分の子供たちがドラッグをしたり反抗的になっているのを深く嘆いた母親(父親も)たちの絶え間ない叫びの中から生まれたものでした。それは宗教的に整った祈りではなく、彼らの存在の心臓の鼓動そのものでした。「霊的戦いはこうあるべきである」というような高尚な方法ではなく、彼らの途絶えることのない涙と嘆きが神の御前に届き、神は彼らの子供たちを救ってくださったのです。

現在リバイバルが遅れているのは、私たちは確かに問題を感じてはいますが、今の社会の状況に本当に苦しんではいないからではないでしょうか。悲しんではいますが、まだ涙を流してはいないのです。

しかしながら、しだいに多くの神の民がキリストの憐みの心を受け取りはじめています。彼らのとりなしの祈りの中では、人々の必要だけではなく、人々の痛みをも負っています。彼らは自分の評判を捨て、仕事も捨て、そうです、彼らの命さえも捨てて、私たちの社会の罪が清められるのを見たいと願っているのです。

まだまだ少数ではありますが、これらのとりなし手たちは、自分の住む町の苦悩を心の中に抱いているのです。 圧迫されている人たちの叫びを彼らは聞くのです。母親のお腹の中にいる子や生まれてきた子の苦しみを知っています。神は彼らの祈りに応えようとしておられます。彼らの苦悩というお腹の中から解放が生まれでてくるのです。

祈りをする教会はとりなしの祈りのための時間を制限するべきではありません。神は祈りで貫かれた人生を求めておられるのであって、ただ一時の祈りのシーズンでは不十分なのです。もし時間が来たからといって私たちがとりなしの祈りをやめるようならば、私たちのこころは神が介入されるほどには、まだ十分な準備はされていないということが明らかです。

これらのことがリバイバルとどう関係があるのでしょうか。霊的リニューアルだけが私たちの町や国を救うものであり、神に助けを求めて絶えず叫ぶすべての者たちに対する神の答えなのです。

祈り
主よ、私たちが真の解放ではなくて、ただの慰めを求めていることをお許しください。 あなたの完全な御心ではなく、近道をもとめていることも。 主よ、あなたの心は苦しむ者の心からの叫びを拒むことは出来ないことを知っています。あなたのは民の悲惨さを見るのに長くは耐えられないで、必ず手をさしのべてくださることを知っています。ですから、主よ、今日私たちはあなたに叫びます!あなたの臨在の雨をもう一度降らせてください。私たちが安逸をむさぼり、無関心になっていることから、どうか私たちを聖めてください。リバイバルをもたらしてください。あなたの栄光のために祈ります。アーメン (終わり)


【日本は今トランスフォーメーションへの関心が高まりつつありますが、私たちは常にリバイバルの基本と原点に返らなければならないというフランジペイン師の今回の指摘は非常に的を得たものであるという気がします。 現状の理性的でなまぬるい自分には満足できない、どうしても先ずそのような自分が変えられなければならない、主よ変えてください、という心からの悔い改めの願いから始まり、主の心の内にある熱い愛を知って、地域、町の人たちへの救霊の情熱がほとばしるような泣き叫びのとりなしへと変えられていきたいと願ってやみません。坂 達也】

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by walkwithgod | 2006-07-06 07:45 | アメリカからのメッセージ