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あなたはモンスターを造ってはいないか? テリー・サマビル 1月25日

あなたはモンスターを造ってはいないか?

テリー・サマビル(トータル・チェンジ・ミニストリー、カナダ人)


友人の皆さん

ある人たちは私について誤った印象を持っておられえるようです。彼らは、教会が組織的であることに私が反対していると考えています。私が「反組織教会」の態度を持つていると言ううわさにはかなり大きな誇張があります。

実のところ、神は私たち人間に、組織をつくって物事を治める能力を与えられたと私は信じております。組織がなければ私たちはほとんど何もできません。クリスチャンの友人たちと一品持ち寄りのディナーをするにしても、組織的にことを運ばなければうまくいきません。
ただ私が反対しているのは、組織を大きくすることばかりを考えているクリスチャンの教会は往々にしてモンスター(怪物)になりかねませんから、教会がモンスターになることに対して反対しているのです。

教会は主が建てるものであって人間が造るものではありません。フランケンシュタインの物語を思い出して下さい。フランケンシュタインは罪人の死体のパーツを寄せ集め、そこに精神異常者の頭(脳)を移植して人造人間の怪物(モンスター)を作り出しましたが、教会の頭(脳)には、本来クリスチャンであるあなたが期待しているようにキリストを頭としていただかなければなりません。人間の頭ではないのです。


あなた方がモンスターを造っているかどうかをどのようにして知るのか。

主に従い、よりよい働きをするためにミニストリーの組織や団体を愛をもって作ったと信じていたのに、ある日突然その団体がいのちを持った「異様な生き物」に変わり、自分が造られたテーブルの上から降りてきて自分勝手に動きまわり、彼を造った人々を恐怖に落としいれる、ということに気がついたことがありますか? それは人間の罪ある性質の故であり、私たちが使うこの世のシステムの力の故なのです。手術の時助手が間違って犯罪者の脳を彼の頭に入れてしまったのです!(フランケンシュタインの話)以下にあなたが教会のモンスターを作ってしまったかどうかを調べるチェックポイントを書きます。



1.モンスターは死んだ人間の体のパーツを使って造られる

もしあなたが一つの団体(教会)を作っていく過程で、キリストのからだの中にいる人たちがそれによって傷を受けているならば、それはモンスターが造られている確かなしるしです。神のなさる事はすべて、教会の中に神の愛が顕される故に起こる事であり、キリストのからだの中にはその結果として平和の実が必ず生るはずです。

ヤコブ3:16-18「 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」

2.モンスターは人為的に縫い合わされたもの

人間的組織は往々にして人間にレッテルを貼り、実際にはその人に適していない役目を押し付けることによって、人々を人為的に縫い合わせます。昔からよくあるモンスターは、牧師が人々を引っ張っていく牧師中心の教会でしょう。聖書のなかでその役割について最も書かれていない牧師が教会をつくり上げる基準にされてしまい、その反対に最も書かれている使徒が無視されているのはなぜでしょうか? 伝道者に向いている者や預言者、又は使徒に召された人たちが、牧師の役に自分を適応させねばならなかったとすれば、それは大変なことだったに違いありません。
それとは反対に、キリストが建て上げておられる教会は、人々が神によって完全にうまく組み合わされおり、神が導かれるとき、その人たちは地上での目的と仕事を着実に実現しているのを私たちは見ることができます。

第一コリント12:28「 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。」

3.モンスターは一人で勝手に動き出すようになる

どのモンスターもいつかは必ず目を覚まし、縛られていたベルトを引きちぎってテーブルから降りてきます。これはたとえ穏当な団体であってもそうです。何かの衝撃によってそれは生き物となり、すべての抑制が取り去られます。そして、その生き物は自分の意思を持つようになります。そうなると、その組織の当初の目的とは全く関係のない様々な論争や事件がその組織(教会)の創設者の上に降りかかってきます。ある人たちはそれを歓迎し、そのエネルギーの中で元気旺盛になります。しかしある人たちは恐ろしさを感じます。あなたが意見を言ってもそれは取り上げられず、モンスターはわけの分からない音を出すばかりです。あなたはそれをコントロールせねばならないと本能的に感じるのですが、もうその生き物は自分自身の意思を持っているのです!

しかし、キリストのからだの中では、いのちは常にかしらなるキリストから流れてきます。それは作られたり組織されたりするものではなく、受け取るものなのです。まことの教会はキリストから命をいただくから生まれ出るものであり、それは私たちが作りだすものでは決してありません。

エペソ4:15,16「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」

4.モンスターは食べさせろと要求する

モンスターは目を覚ますとすぐに、あなたの資源を貪欲に消費し始めます。モンスターは自分が食べて生き続けることが第一の目的になります。人間の組織も同じです。モンスターになった組織を存続させることが第一義になってしまい、設立当初のすばらしい目的は、やがて後部座席に追いやられることになるのです。あなたは今やモンスターを養う人になったのです。


ステロイドで筋肉隆々になったような教会組織をごらんなさい。私たちはもはやキリストにではなく(自分が作り出した勝手な)「ヴィジョン」に仕えているのです。教会本来の仕事よりも建物や給料にほとんどのお金(献金)は使われます。このモンスターは、自分が本来何のために作られたのかはどうでもよくて、自分の住む家があり食べること(食べて大きくなること)だけが大切なのです。モンスターを養っていくことそのものがミッションになってしまいます。


まことのキリストの教会はそうではありません。主がいのちの源です。主が教会のために死んでよみがえってくださった方です。主が御自分の教会を建てられます。それは組織ではなく人々なのです。

マタイ16:18「…… わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」

5.モンスターはコントロールが利かなくなる

あなたの教会が、色々なところで燃え始めた火をもみ消すために走りまわっているようであれば、確かにモンスターがいる証拠です。モンスターの世界では、誰がコントロールするかが大きな争点となります。あなたの大切な研究室は壊されます。平和がなくなります。喜びと希望は消え去り、誰が運転席に座ってコントロールするのか、という痛みの伴う争いが起こります。人間の組織というものはみんなが内に持っている最悪のものを時々出させるもののようです。それがモンスターであるならば、確かに誰かがコントロールせねばならないでしょう。

主の教会では、バスの運転手は一人だけ、即ちイエス・キリストだけで、私たちはお互いに愛し合い仕え合います。バスの運転を誰がするかで争いが起こるならば、それはただ一つのことを表しています。そのバスは人間が造ったものであり、コントロールが利かなくなっているのです。

ローマ11:36「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」

6.モンスターは幼子と盲人にしか愛されない

モンスターの不思議なところは、思いがけない人たちからすごく愛されるということです。普通人々から嫌われ誤解されているモンスターは、幼子や盲人(霊的な意味でも)に愛されておとなしくなります。結局のところ彼は愛してくれる人を単に求めているだけなのです。

キリスト教の組織がモンスターになったときも同じことが言えます。無邪気な人、盲目な人がそのために一番よく仕えます。モンスターにはやさしく話して逆らわなければ、スムーズに事は運ぶのです。しかし、手、足、頭が死体に縫い付けられていることに気がついた人を、天が助けてくださいますように。

7.最後にはモンスターは怒れる暴徒によって殺される

最終的にすべての人間的組織は、使いものにならなくなって哀れで不名誉な最期を迎えます。モンスターであれば必ず殺される運命です。モンスターになってしまった教会組織は、多くの場合「恐怖の専制支配」を終わらせようとする怒れる暴徒の手によって終焉を迎えます。このようなことが起きたら、彼らがモンスターを殺したのだ、ということがわかるでしょう。

イエスが始められた真の教会は止めることはできません。主は永遠に生きておられるからです。
コロサイ1:18「また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。」(終わり)


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by walkwithgod | 2008-01-25 17:58 | アメリカからのメッセージ

カワイ島での年明け  坂 柚実子  2008年1月23日

カワイ島での年明け 

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

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暖かいお正月にも慣れました、とは言っても、やはりハワイに来るまでの60回ほどの年越しは寒いものでしたから、今回の年越しも「今日は大晦日なんだからね。」とか「今日は元旦ですよ。」とか自分にいい聞かせないと、うっかり忘れそうになりました。一年のサイクルはやはり身体で感じるものなのでしょう。

今回は、私たちが住んでいるオアフ島の少し北に位置しているカワイ島に家族で年末年始4泊の滞在をし、カワイ島を探索してきました。ハワイ諸島は海底火山の噴火で出来た島々ですが、北の方から出来たそうで、一番南のハワイ島(紛らわしいので普通Big Islandと呼びます)は現在もキラウエア山が噴火しています。まさに今出来つつある島で、ジェラシックパークに出てくるような巨大なシダが沢山茂っていたり、島中に固まった黒い溶岩が露出しています。

その反対に一番北のカワイ島は「ガーデン・アイランド 庭園の島」という愛称が示すように、生えている木々はまるでオレゴンを思い出させるように茂り、深い渓谷や川があり、落ち着いた雰囲気です。実は主人と私は38年前に新婚旅行にカワイ島に来て「ココパーム」というホテルに泊まったのでした。そこはプレスリーの「ブルー・ハワイ」という映画のロケも行われたところなのですが、今は荒れ果てて廃屋になっています。時の流れを感じさせるに十分でした。

天気はもう一つぱっとしませんでしたが、私たちはハイキングやショッピング、美術館などを楽しみました。ハイキングをした渓谷の頂上からのながめはすばらしく、小さな島とは思えない雄大な眺めを心から楽しみました。ハワイのお土産物の一つにコアの木で作られた宝石箱とか、サラダボールがありますが、コアの葉は柳の葉のように細いのですが、一枚一枚はじめからカーブしています。何か生長途上の都合で曲がってしまう葉はあるでしょうが、初めから曲がっている葉を持つ植物というの珍しいと思うのですが、いかがでしょうか。そのコアの木が沢山生えている山道を杖をつきながら4時間ほど歩き、へとへとになりましたが、どうにか最後までがんばることができました。

私が買ったお土産は「Red Dirt Shirt 赤土染めのシャツ」で、これはカワイ島の赤土で染めた赤茶色のTシャツです。パンフレットによれば、普通のTシャツを売っていた店が1992年のハリケーンで店中泥だらけになり、商品も赤い泥水にまみれてしまいました。このままでは店の継続が困難という危機に、「いっそのこと、シャツを全部赤土で染めてはどうだろうか?」というアイディアが浮かび、それが今では特産品になったということです。いい話ですよね。

そして、私が買ったTシャツの背中には次のような言葉が印刷されています。
1.天候でその日の良し悪しを決めない。
2.人生で一番すばらしいものは物ではない。
3.いつも真実を告げよ。うそを覚える必要がなく楽だ。
4.静かにやさしく話せ。
5.力をぬいてリラックスせよ。
6.沢山のおもちゃをもって死ぬ人も、死ぬ。
7.年齢は考え方次第。坂を越えると早く走れる。
8.豊かになる方法は二つ。もっと稼ぐか、もっと欲しがらないか。
9.見かけはどうでもいい。美しさは内面のもの。
10.雨が降らなかったら、虹も出ない。

皆さんはどれがお好きでしょうか。
それでは、2008年にも主の恵みが虹のように皆様の上に輝きますように。
(その前にちょっと雨が降るかもしれませんが。)  (終わり)

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by walkwithgod | 2008-01-23 12:55 | 柚実子からのハワイ便り

2008年は信仰の門に入る年 サンディー・フリード 1月18日

2008年は信仰の門に入る年

サンディー・フリード

ごく最近のことですが、私は天国の目覚まし時計が鳴る音で目を覚ましました。神が「起きなさい!」と私に声をかけられたのです。自分の目覚まし時計を見ると(鳴るようにセットはしていませんでした)5時11分でした。主が「イザヤ51:1に目を覚ませ」と言われるのが聞こえました。

イザヤ51:1 「義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。」 (参考までに次の節51:2を併記します。訳者注:「 あなたがたの父アブラハムと、あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。わたしが彼ひとりを呼び出し、わたしが彼を祝福し、彼の子孫をふやしたことを。」)

今年2008年に私たちは何を探すのか?

聖徒の皆さん、あなたは義を追い求めていますか? 勿論そうでしょう! 主はあなたの祈りに答えていてくださいます。今というシーズンは、アブラハムの信仰に注目すべきであると主は言っておられます。神は私たちをアブラハムと全く同じように創られました。私たちも信仰の民なのです。あなたは正しく神に従いたいですか? 勿論そうですね! それならば、アブラハムにみならってください。解放を必要としていますか? それならば、あなたという人間が切り出された石切り場をよく考えてみてください。あなたもアブラハムと同じ信仰を内に秘めているのです。

2008年に私たちが主を探し求めることを、主は望んでおられます。もし主を探し求めるならば、主を見出すであろうと言われます。神の国を求めるならば、すべてのものがそえて与えられるのです。モーセは神の奇跡を「見ました」が、それだけで満足せず、主と深く交わって「主の道」を知ることを求めました。(詩篇103:7)神の道(やり方と方法)を知りたいと切に願った結果、彼はイスラエルの最も偉大な指導者の一人となりました。次の箇所からモーセの心を理解してください。

出エジプト33:12-13 「モーセは主に言った、「ごらんください。あなたは『この民を導きのぼれ』とわたしに言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて『わたしはお前を選んだ。お前はまたわたしの前に恵みを得た』と仰せになりました。それで今、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、どうか、あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵みを得させてください。また、この国民があなたの民であることを覚えてください」。(口語訳)

新しいシーズンに大切な二つのこと


アブラハムと新年に関しての二つの重要なポイントを、主は示されました。それは、2008年は偉大な信仰の年となるからです。私たちは新しい門の前に立ち、信仰がますます大きく増し加わる信仰の門に入っていこうとしているのです。それは神の御国をうち立てるための門です。そして今は建設と設立のシーズンでもありますが、それらは人の手によってではなく、大建築家である神のデザインによってなされなければなりません。

もはや、自分の考えとか昔から皆がやって来たやり方で建てようとしてはいけないのです。今というシーズンに御国を建てるためには、私たちがキリストの思いを持つことが必要です。「主の方法」で建てなければ、すべての働きはむなしいのです。詩篇127:1に「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」と書かれています。

建てる者の働きがむなしいという意味は、人間的な考えでことを進めるやりかた(何でも自分で工夫するパターン、神のものでないシステムやパラダイム)が作品を損なうばかりではなく、そこに人間的ながんばりがあるということです。私たちは過去の経験をもとにして建ててはいけないのです。そして、主が建てなかった町の門に見張り人(とりなし手)を配置するのもむなしいのです。ですから、もし私たちがある一つの門の見張り人として立てられているのなら、自分が守っている町がしっかりした土台の上に建てられているかどうかを確かめねばなりません。土台に欠陥があるために崩れていく町の門で見張りをするのは、時間と労力の全くの無駄使いです。

神はアブラハムをそれまで住んでいた町から呼び出して(全く見知らない)新しい町に向かわせました。これは今、神が私たちに注意を喚起している「新しいこと」の一つだと思います。新しいことの一つは「新しい建築プラン」です。私たちは今まで古いもの、古い数々の門を固守してきました。しかし、今、主は全く新しい何かを建てようとしておられますから、私たちがその新しいものを(主の設計図と)主の方法によってのみ建てるように念には念を押しておられるのです。主はこれから神殿を建て直そうとされており、そのために改めてしっかりした土台を築き直すと言われるのを私は聞きました。その上で「新しいこと」の門に見張り人を立てる、と言われるのです!新しいことが来る―という変革に対しての備えをしてください!

神に安息する

今は建設途上であり、多くの働きが必要とされていますが、神はこのことを通じて私たちを主の安息へと導き入れようとされています。イスラエルの民が荒野でさまよっていた期間中、神は「主の道」を彼らに示そうとされました。しかし、彼らはうなじがこわいまま変わろうとはせず、主を本当に知ろうとはしませんでした。つまり彼らの土台そのものが神不在という汚れで汚され、奴隷メンタリティーでしか神をとらえることができませんでした。ですから、彼らの古い考えの上には自分たちの未来を築くことが出来なかったのです。トランジションの時(過渡期)には、神は異なる話し方で異なることを話されると私は以前教えました。
「Destiny Thieves」という著書の中で、私はトランジションの中で敵がどうように私たちを惑わし誘惑してくるかを詳しく説明しています。注意を怠ると、主が前進させようとしておられるにもかかわらず、私たちは過去に主が語られたことだけに頼ってしまうのです。私たちが前進するためには、古いパターン(道しるべ)に頼るのではなくて、新しいところに向かうための新しい道案内を毎日その日その日、今日の導きとして聞かねばならないのです。

完成するための油注ぎが来る!

もし今日、主の御声に聞き従い主の導きに背かないならば、私たちは荒野をさまよい歩くサイクルから抜け出て、主の安息に入ることができるのです!そうです、働きながら同時に主の安息に入ることが出来るのです。何故ならば自分の力でがんばることは終わったからです。そして私たちは、仕事を「完成させる」力を主からいただくのです。私たちは建築し、安息し、そして超自然的に「完成させる」油注ぎによって力を受けるのです。イエスが私たちの完成であり、固い岩なる主の上に主の御声とデザインに従って建てるならば、私たちは自分に与えられた仕事を完成することができます。イエスは御自分に与えられた仕事を知っておられ、それから目を離さず、一心に決意された十字架の御業を完成されました。

ヘブル3:7-11にあるように、イスラエル人は反抗し心を頑なにしたので、主は決して彼らを安息に入らせないと誓われました。愛する皆さん、これは今日の私たちでも同じなのです。主の道を求め主の御心に従わなければ、私たちは決して安息を見出すことは出来ないのです。キリストというしっかりした土台の上に主の計画に従って建てるのでなければ、決して安息を得ることはないのです。
しかし、希望があります! 私たちは今日、安息に入ることができるのです。ちょうどヤコブが旅の途中で「その場所」に来たとき天が開いたのと同じように、私たちは「今日」と呼ばれる「その場所」にいるのです。神は今、天を開いて私たちが安息の場に入れるようにできるのです。私たちがしなければならないのは、ただ、一歩踏み出して神を信頼し、私たちの人生、ミニストリー、ビジネス、そして将来を建てあげるために「主の道を示してください」とお願いすればいいのです。神はヘブル4:2で、イスラエル人は神が約束したことと信仰とを結びつけられなかったので、安息の地に入ることができなかったと言われています。愛する皆さん、今私たちは神が言われたことと私たちの信仰を結びつけ、主の方法に従って建設していく入り口の門の前に立っているのです。
アブラハムが探し求めた町は、堅固な土台の上に建てられた町でした。その土台とは「神と神の道を知る」という土台でした。私たちは真にこの土台の上に自分たちの家を建てるのでなければ、もろい基礎の上に無駄に壁を建て増ししているだけです。そのような建物は、どうせいつかは崩してもう一度土台から建て直さねばならないのです。

主からの最初の重要な啓示は、クリスチャンが「町を探している」ことに関してでした。アブラハムがウルを去ったように、私たちは慣れ親しんだものから離れねばなりません。今まで通ったことのない道を行くのですから、自分が何を探しているのかもはっきりとはわかりません。アブラハムはウルという町から出ていきましたが、ウルという言葉には「炎,火」という意味がありますが、それに加えて「光になる」と訳すことができます。アブラハムは心地よい「わが家の火」を後にして、人々のために「光となる」ことを求めたのです。彼はどのようにして光となったのでしょうか? それは、信仰によって踏み出したことによってです! 彼は私たちが後についていけるように道を照らしてくれたのです。彼の行動を信仰と希望のお手本として私たちは使うことができるのです。彼は聖書には「信仰の父」として記されています。アブラハムは私たちが後をついていくお手本となり、行くべき道を明々と照らしてくれたのです。

アブラハムは何を探したか?

アブラハムが探した町とは、神によって設計され建てられた堅固な土台を持つ町でした。アブラハムは神ご自身から召し出されたので、慣れ親しんだ居心地のよいものを後にする力を与えられたのでした。(創世記11章参照)もし、彼がウルにとどまっていたならば、彼は何の希望も繁栄の約束も子孫もなく永久に古い場所に閉じ込められていたでしょうし、私たちのための信仰の土台も作れなかったでしょう。慣れ親しんだもの(宗教的考え方、信じ方等)から切り離されることがあなたにも起こることを予期しなさい。もしあなたが神に従う決意をしたならば、あなたが慣れ親しみ今まで自分の人生をその上に築いてきたものから、神は必ずあなたを切り離すでしょう。だから覚悟をしなさい! 主はいつも私たちを主の似姿へと変え、完全なものにしようとしておられます。神や神のブループリントなしで建てるのではなく、主が望まれるものを建てたいと私たちが求めることを、神は望んでおられます。

もう一度言いますが、2008年は私たちの信仰を完全に主のみ手にゆだねる年です。自分の信仰を信じるのではなく、主御自身と主のみ言葉を信じる信仰です。そうです、私たちは主のみ言葉の上に立ちます、というのは、主とみ言葉とを切り離すことはできないからです。多くの人は、ただみ言葉を口にすればよいのであって、み言葉を与えてくださった方と親しい関係を持たなくてもよい、とだまされています。主への信仰のみによって生きるようにと、主は私たちを召しておられます。主との親しい交わり(Intimacy)が必要です。アブラハムはただみ言葉を聞いて出発したのではなく、神はそのみ言葉を実現させる力を持っておられると信じる信仰で一歩を踏み出しました。彼の信仰はただ神にのみありました。これが2008年に私たちが建てはじめるためにしっかりした土台を持つということの一部です。

探すべきものを知れ!

アブラハムは行き先は知らなかったかもしれませんが、自分は何を探しているのかは知っていました。彼は神によってデザインされた堅固な土台を持つ町を探していたのです。
私たちも2008年にはそれと同じものを探さねばなりません。私と夫は、フルタイムの牧師として20年近く働いてきましたが、同時にマーケット・プレイスで注文住宅の建築の仕事を30年以上して来ました。ですから家を建てるときの土台の重要さを十分に知っておりますが、土台を据えるための基本的な法則があります。

足場をまず築き、床岩に届くまで地面を深く掘って支柱や杭をそこにしっかりと固定させねばなりません。この作業が正しく遂行されないと、家の土台が沈んだり、建物の重さでひびが入ったりつぶれたりしてしまいます。霊的にも同じことがいえます。今という新しいシーズンに正しい建て方をしないと、私たちはつぶされてしまうのです。私たちはまたもや荒野の中をさまよい、神が「出てきなさい!」と呼ぶ声をミスして聞こえなくなってしまいます。私は荒野から脱出したいと思いますが、皆さんはいかがですか?

今まで沢山の霊的土台がつぶれていくのを私は見てきました。あるミニストリーは急速に大きくなりましたがしっかりした土台がありませんでした。イエス・キリストではなく霊的賜物の上にだけ建てられたミニストリーは、しっかりした土台がないのです。啓示がどれだけすばらしいものであっても、確かな土台は一つだけであり、それはイエス・キリストです。霊的賜物はすばらしいものですが、その上に物を建てるべき土台とはなりません。第一コリント3:11に「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」とあるのを見てください。

イエスは単に土台だけではなく、建物全体である

新約の使徒やミニストリーのメッセージは唯一つであり、それはイエス・キリストでした! 彼らのメッセージはすべてイエスに関してであり、そして「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されている」(コロサイ2:3)のです。イエスはただ土台なだけではなく、建築作業すべてなのです。主は私たちを完成にまで導いてくださるお方であるという信仰を揺るがせてはなりません。主を知ったならば主を信頼することができます。主は偉大なる羊飼いとして私たちをすべての真理に導いてくださいます。主は道であり真理であり光なのです。

私たちもアブラハムと同じ信仰が持てる可能性を持っています。私はそれを神の信仰と呼びます。イエスは弟子たちに、神のような信仰を持つようにと言われました。私たちは神が持っているのと同じレベルの信仰を持つことができるのです。なぜならば私たちは神のイメージに創られたからです。私たちはアブラハムのように確かな土台を求めます。もし私たちが信仰の門をくぐるならば、2008年に主は私たちを導いてくださるのです。

二つ目は境界を知ること

二つ目に、2008年は忍耐と堅忍、そして自分の境界と役目(役割)を理解することが必要です。アブラハムは神によって建てられた町を探しました。彼はバベルの塔を建てて自分の力で何かをしようとした人たちとは違いました。私たちの中で自分の王国を今まで築いてきた者は、これからは混乱させられ散らされるかもしれません。それを壊してもう一度主が建て直すためです。これはつらいことですが、私たちが自分の王国ではなく神の御国を心から望むならば、どうしても必要なことなのです。

神の御国を建てるためには、私たちはすべてのものを本当に主に明け渡さねばなりません。あなたが建てるものは他の人のミニストリーとは違うかもしれません。しかし、主の導くパターンに従って建てている限り、あなたの土台はしっかりしているのです。あなたがしていることをつまらないことと考えてはいけません。イエスの弟子はたったの12人であったにもかかわらず、全世界を変えることができたことを忘れないでください。

本当の信仰は知的なものではありません。それは人の心(ハート)で分かるものなのです。信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストのことばによるのです。しかしまた、主はみ言葉でもありますから、信仰は主とともに時を過ごし主を知ることから来ます。主が心におられるとき、主を信じることができるのです! 使徒パウロは心の目が開かれねばならない(エペソ1:18)といい、また、人は心で信じる(ローマ10:10)といいました。ですから、私たちが信仰の目で見るためには霊的洞察力と霊的な目が必要です。そしてこれもまた、キリストを知り、隠れた場所でもっと主と時を過ごすことから得ることができます。主にとどまり、主のうちに住むことにより私たちの次のシーズンのための土台は強められ、自分が行くべき道から逸れずに踏みとどまる力を得るのです。

まがいものの信仰

まがいものの信仰と私が呼ぶものがありますが、それはプライドです。もし私たちが聖書のみ言葉を暗記できることを誇示し、どなたがみ言葉であるかを知らないならば、それは自分の知識、知性を誇り、それによって神の祝福を得られると考えることであり、神を悲しませることだと思います。というのは、私たちが自分の王国を建てることや大きなプロジェクトを計画したりすることに忙しく、主を知るための時間をとらないからです。アブラハムは信仰で一歩踏み出して神を信じ、祝福を受けました。祝福は私たちにもいただけるのです。アブラハムは自分中心ではありませんでした。彼は従順でした。もし私たちが従順であり続ければ、祝福を受けるのです。

アブラハムは神の約束の時を待てずにイシュマエルをもうけましたが、それは神のタイミングではありませんでした。愛する皆さん、私たちは自分の時とシーズンを知らねばなりません。また、与えられた仕事をしなければなりません。神が建てておられないプロジェクトや、あなたのためではないものに手をださないように注意してください。すべての仕事は境界があります。主からの指図がないのにこの境界線を引き伸ばしてはいけません。そうでないと主が指示された以上のことをあなたは背負うことになります。もし主が拡張を望まれるならば、そのプロジェクトのための資金も主が調達されます。モーセが神殿のために献げるようにと民に言ったとき、奉納物があまり多くて止めねばならないほどでした。それこそ神のプロジェクトです。

私は決して建設が簡単であると言っているのではありません。いいえ、そんなことはないのです。あなたが建設を始めようとすると敵が経済的にあなたから盗もうとすることも良くわかっています。私が思うことは、建設するときには正確でなければならないということです。神のパターンと計画に忠実に従うとき、神は力をくださいます。
2008年は、軌道から外れないようにしてください。即ち、神とともに歩めばいいのです。神が導いてはおらない場所に踏み込んでそこに建てないでください。まっすぐ、気をつけて歩いてください。そして信仰にとどまってください。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-01-18 18:05 | アメリカからのメッセージ

鳥インフルエンザについて  坂 達也  2008年1月12日

鳥インフルエンザについて

 昨年12月27日に「アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ」で紹介したリック・ジョイナー師の「備えなさい」というメッセージは、元々「The Judge is comingさばき主がやって来る」という題名の文章の後半だけを訳したものでした。なぜそうしたかと言いますと、前半は主にアメリカに関する内容であったからです。

それは主に昨年秋、アメリカの東南部を襲った旱魃に関するものでしたが、この災害はそれ以前に大きな被害をもたらしたカタリーナ台風(ハリケーン)と同じ地域に起りました。カタリーナ以後、人々はもっぱら水害への対策をしていたところに予想に反して逆の気象現象である「パーフェクトな美しい天気」によって旱魃が襲ったのです。そればかりではなく、アメリカはこの数年来、水害、旱害、竜巻という気象異常による天災と共に各地に地震、山火事による大きな被害が起っていることをジョイナー師は指摘し、その意味について言及したものでありました。師は、この一連の異常気象がもたらした被害はアメリカに対する主からの重要な警告を意味するものであり、アメリカに対して主は「罪に目覚めて悔い改める」ことを要求していると言われます。みことばによれば、洪水以外の雨は主からの祝福であり、旱魃こそがのろいであると師は指摘します。

今のアメリカの教会はちょうどヨナのようであると言います。「神はアメリカの教会に対して明らかになすべき仕事を指示しておられるにもかかわらず、アメリカのクリスチャンは主の言われることを行おうとせず、自分のしたいことをしている。嵐はアメリカと言う船を異教徒(未信者の意味で)が多いから襲おうとしているのではなく、その船にいる預言者の目を覚まそうとしているのである。実際に異教徒たちが、嵐の中で寝ているヨナを起してあなたの神に祈れと懇願したように、間もなくアメリカの異教徒たちが教会にもっと祈って何とかせよと言う時が来る。ヨナの話の最後でいやいや連れて来られたヨナが伝えた神のメッセージによってニネべの最も悪い異教徒たちが悔い改めたように、アメリカの教会こそが目を覚まして真の神からのメッセージを伝えるときに、それまでどうしても聞く耳のなかった未信者たちが神に立ち返るであろう。…誰もトラブルが起きると言うネガティブな預言をすることを好まない。しかし、神が警告を発しているときに霊の目と霊の耳をもってそれに呼応し準備する人だけが災害を免れることが出来るのである。」と師は述べています。

そして師は、へブル12:5-7「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」を引用して、主が災害と言う形で「さばき」の警告を与えるのは、子を愛しているからであり、滅ぼそうとしているのではないことを強調しています。


さて、私たち夫婦はこのジョイナー師が「Y2Kに関して私の予測は正しかったですし、今回のこと(鳥インフルエンザに対する予測)も私は正しいのです。」(師の12月27日のメッセージの最後の方で言われた)とはっきり言い切る「警告の預言」を100%信仰で受け取りました。そして今、家内は少なくとも三ヶ月分の食料を備蓄する買い物を始めております。
私も実は、今書いているメッセージを正月早々に載せる積りで用意し始めていたのですが、まさか新春早々からこのようなメッセージをお伝えすることに気が引けましたので1-2週間待つ考えでおりました。しかし私が危ぶんだような事態が既に起っていることをお伝えせざるを得ない状態になりましたので、もうお気付きの方も多いと思いますが下記の日本の新聞のニュースを念のためお伝えしたいと思います。

XXXXXXXXXXXXX

鳥インフルエンザ、日本で64万人死亡(の可能性)も 
中国で人に感染

(1月11日21時35分配信 産経新聞)

 中国で10日、鳥インフルエンザの人から人への感染例が初めて確認されたが、このウイルスが人に移りやすく突然変異して「新型インフルエンザ」として上陸したら、どうなるのか。日本では64万人が死亡し、経済的にも損害が約20兆円に達すると未曾有の被害が予想されている。一部企業は極秘で対策を進めているが、欧米系企業と比べ、大半はまだ危機管理の意識が薄いようだ。(津川綾子)
 鳥インフルエンザが人から人に感染し死者が出たのは、これまで東南アジアを中心に数例報じられていた。中国衛生省が10日、南京市の男性が、鳥インフルエンザ(H5N1)に感染・死亡した息子から感染したと発表。専門家の間では鳥インフルエンザが人に感染しやすく変異した「新型」の発生が時間の問題といわれており、日本上陸も現実味を帯びてきている。
 実は、日本でも最悪のケースを想定して、シミュレーションがされている。
 《1人のビジネスマン(東京在住)が海外出張先で鳥インフルエンザの「新型」に感染して帰国。だが、感染に気づかず電車で会社に通勤した場合、帰国から10日目には首都圏で22万4000人が感染。京阪神にも飛び火し、2万4000人が感染する》
 国立感染症研究所はこのように、人に免疫がない「新型」がまたたく間に全国へと広がると予測。厚生労働省は国内で1人の発生から2500万人が感染して病院に行き、約2カ月で64万人が死亡すると推計している。
 外資系企業では、従業員対策として、「住友スリーエム」(東京)が社員約3000人に1人10枚ずつ、高機能なマスクを備蓄、ファイザー(東京)は社内マニュアルで従業員の20%が感染して欠勤した部署は部員全員を休ませるなどの方針を定めるなど、具体的に進めているところが多い。
 これに対し、日本企業は、顧客への対策を含めて、「予期せぬインフルエンザには何もしていない」(在阪の電鉄会社)、「地震などの災害マニュアルでなんとかする」(全国展開の大手スーパー)と危機意識に乏しい例が目立つ。
 「大幸薬品」(大阪)が平成19年11月、社内マニュアルを作成、「新型」の感染者が出たら、来訪者の立ち入り場所を制限し、来客用のマスクを用意するなどを規定しているが、こうしたケースはまだ少数派といえる。
 このように各企業などで対策が不十分だと、経済的に麻痺(まひ)し、「大流行すれば消費が落ち込むなどして約20兆円の損失が生じる」(第一生命経済研究所)という試算もある。
 「流行すれば社員がかかるだけでなく、流通や原料の調達も難しくなる。業務を続け、経済活動を滞らせないためにも、企業は前もって対策を立てることが重要」と国立感染症研究所・感染症情報センター第一室長の谷口清州さんは呼びかけている。

XXXXXXXXXXXXX

さて、以上のニュースの他、参考までに少し古いのですが、「鳥感染症/爆発的拡大に警戒強めよ」と言う記事が2006/03/23の神戸新聞に載っていたものを下記にご紹介したいと思います。


 毒性の強い高病原性の鳥インフルエンザによる死者が、世界で百人を超えた。
 問題になっている「H5N1型」と呼ばれるタイプのウイルスが最初に見つかったのはアジアだが、昨年夏にロシアに飛び火して以来、欧州、中東へ拡大し、アフリカ大陸に達した。今月に入り、アフリカ初の死者がエジプトで確認された。
 世界保健機関(WHO)によると、死者は八カ国で百三人に上っている。
 鳥から人への感染にとどまり、爆発的な大流行を招く「人から人へ」の感染例は確認されていない。だが、WHOは危険性が高まっているとみており、油断できない。
 WHOが特に注目するのは、アフリカでの感染が急速に広がっている点だ。ナイジェリア、ニジェール、エジプトに続き、カメルーンでも見つかっている。
 アフリカ諸国はエイズやマラリヤなどの感染症対策に苦しみ、検疫や医療体制も十分とはいえない。食糧事情も芳しくない。
 そうした中で、封じ込めの柱となる、ウイルスに感染した鶏の「早期発見と処分」が期待できるのか、大きな不安がある。抗ウイルス薬の備蓄がほとんどないことも、心配される点だ。
 鳥インフルエンザは、渡り鳥の飛来ルートに沿って拡大し続けており、アフリカでは広範囲にウイルスの汚染が進行しているのではないか。そんな懸念も深まる。
 これらが杞(き)憂(ゆう)でないとすれば、鶏や人への感染が確認されて初めて対処するというやり方では、手遅れになりかねない。WHOは先進国と協力し、専門家チームを現地に派遣するなどして鶏の汚染情報の収集や人への感染調査に当たるべきだろう。
 鳥インフルエンザ対策で重要なのは「早期発見と拡大阻止」である。渡り鳥が飛来する、すべての国に当てはまることだ。
 経済協力開発機構(OECD)は世界経済の先行き懸念材料として、テロと鳥インフルエンザの流行を挙げている。鳥インフルエンザは、目に見えないだけ、より厄介な存在といえるだろう。
 早期発見は依然、大きな課題である。発生を早くキャッチする仕組みや発生してからの対応能力強化について、各国は以前にも増して踏み込んだ対策が求められる。
 足元の点検も欠かせない。政府と地方自治体が進める予防薬の備蓄について、費用対効果を疑問視する声もなくはないが、相手は未知のウイルスであり、必要量は確保しておかねばならない。
 「感染爆発」を前提にした対策は、人類共通の課題と認識すべきである。

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 以上、私が申しあげるまでもなく、既にこの事実に気が着かれ、充分にその準備と祈りの体制に入られた方々も多いと思いますが、念のためこの一文を新年の最初のメッセージとして乗せさせていただきます。ぜひお祈り下さい。(終わり)


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 昨年12月27日に「アメリカの使徒的・預言的な人たちからのメッセージ」で紹介したリック・ジョイナー師の「備えなさい」というメッセージは、元々「The Judge is comingさばき主がやって来る」という題名の文章の後半だけを訳したものでした。なぜそうしたかと言いますと、前半は主にアメリカに関する内容であったからです。
それは主に昨年秋、アメリカの東南部を襲った旱魃に関するものでしたが、この災害はそれ以前に大きな被害をもたらしたカタリーナ台風(ハリケーン)と同じ地域に起りました。カタリーナ以後、人々はもっぱら水害への対策をしていたところに予想に反して逆の気象現象である「パーフェクトな美しい天気」によって旱魃が襲ったのです。そればかりではなく、アメリカはこの数年来、水害、旱害、竜巻という気象異常による天災と共に各地に地震、山火事による大きな被害が起っていることをジョイナー師は指摘し、その意味について言及したものでありました。師は、この一連の異常気象がもたらした被害はアメリカに対する主からの重要な警告を意味するものであり、アメリカに対して主は「罪に目覚めて悔い改める」ことを要求していると言われます。みことばによれば、洪水以外の雨は主からの祝福であり、旱魃こそがのろいであると師は指摘します。

今のアメリカの教会はちょうどヨナのようであると言います。「神はアメリカの教会に対して明らかになすべき仕事を指示しておられるにもかかわらず、アメリカのクリスチャンは主の言われることを行おうとせず、自分のしたいことをしている。嵐はアメリカと言う船を異教徒(未信者の意味で)が多いから襲おうとしているのではなく、その船にいる預言者の目を覚まそうとしているのである。実際に異教徒たちが、嵐の中で寝ているヨナを起してあなたの神に祈れと懇願したように、間もなくアメリカの異教徒たちが教会にもっと祈って何とかせよと言う時が来る。ヨナの話の最後でいやいや連れて来られたヨナが伝えた神のメッセージによってニネべの最も悪い異教徒たちが悔い改めたように、アメリカの教会こそが目を覚まして真の神からのメッセージを伝えるときに、それまでどうしても聞く耳のなかった未信者たちが神に立ち返るであろう。…誰もトラブルが起きると言うネガティブな預言をすることを好まない。しかし、神が警告を発しているときに霊の目と霊の耳をもってそれに呼応し準備する人だけが災害を免れることが出来るのである。」と師は述べています。

そして師は、へブル12:5-7「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」を引用して、主が災害と言う形で「さばき」の警告を与えるのは、子を愛しているからであり、滅ぼそうとしているのではないことを強調しています。


さて、私たち夫婦はこのジョイナー師が「Y2Kに関して私の予測は正しかったですし、今回のこと(鳥インフルエンザに対する予測)も私は正しいのです。」(師の12月27日のメッセージの最後の方で言われた)とはっきり言い切る「警告の預言」を100%信仰で受け取りました。そして今、家内は少なくとも三ヶ月分の食料を備蓄する買い物を始めております。
私も実は、今書いているメッセージを正月早々に載せる積りで用意し始めていたのですが、まさか新春早々からこのようなメッセージをお伝えすることに気が引けましたので1-2週間待つ考えでおりました。しかし私が危ぶんだような事態が既に起っていることをお伝えせざるを得ない状態になりましたので、もうお気付きの方も多いと思いますが下記の日本の新聞のニュースを念のためお伝えしたいと思います。

XXXXXXXXXXXXX

鳥インフルエンザ、日本で64万人死亡(の可能性)も 
中国で人に感染
(1月11日21時35分配信 産経新聞)

 中国で10日、鳥インフルエンザの人から人への感染例が初めて確認されたが、このウイルスが人に移りやすく突然変異して「新型インフルエンザ」として上陸したら、どうなるのか。日本では64万人が死亡し、経済的にも損害が約20兆円に達すると未曾有の被害が予想されている。一部企業は極秘で対策を進めているが、欧米系企業と比べ、大半はまだ危機管理の意識が薄いようだ。(津川綾子)
 鳥インフルエンザが人から人に感染し死者が出たのは、これまで東南アジアを中心に数例報じられていた。中国衛生省が10日、南京市の男性が、鳥インフルエンザ(H5N1)に感染・死亡した息子から感染したと発表。専門家の間では鳥インフルエンザが人に感染しやすく変異した「新型」の発生が時間の問題といわれており、日本上陸も現実味を帯びてきている。
 実は、日本でも最悪のケースを想定して、シミュレーションがされている。
 《1人のビジネスマン(東京在住)が海外出張先で鳥インフルエンザの「新型」に感染して帰国。だが、感染に気づかず電車で会社に通勤した場合、帰国から10日目には首都圏で22万4000人が感染。京阪神にも飛び火し、2万4000人が感染する》
 国立感染症研究所はこのように、人に免疫がない「新型」がまたたく間に全国へと広がると予測。厚生労働省は国内で1人の発生から2500万人が感染して病院に行き、約2カ月で64万人が死亡すると推計している。
 外資系企業では、従業員対策として、「住友スリーエム」(東京)が社員約3000人に1人10枚ずつ、高機能なマスクを備蓄、ファイザー(東京)は社内マニュアルで従業員の20%が感染して欠勤した部署は部員全員を休ませるなどの方針を定めるなど、具体的に進めているところが多い。
 これに対し、日本企業は、顧客への対策を含めて、「予期せぬインフルエンザには何もしていない」(在阪の電鉄会社)、「地震などの災害マニュアルでなんとかする」(全国展開の大手スーパー)と危機意識に乏しい例が目立つ。
 「大幸薬品」(大阪)が平成19年11月、社内マニュアルを作成、「新型」の感染者が出たら、来訪者の立ち入り場所を制限し、来客用のマスクを用意するなどを規定しているが、こうしたケースはまだ少数派といえる。
 このように各企業などで対策が不十分だと、経済的に麻痺(まひ)し、「大流行すれば消費が落ち込むなどして約20兆円の損失が生じる」(第一生命経済研究所)という試算もある。
 「流行すれば社員がかかるだけでなく、流通や原料の調達も難しくなる。業務を続け、経済活動を滞らせないためにも、企業は前もって対策を立てることが重要」と国立感染症研究所・感染症情報センター第一室長の谷口清州さんは呼びかけている。

XXXXXXXXXXXXX

さて、以上のニュースの他、参考までに少し古いのですが、「鳥感染症/爆発的拡大に警戒強めよ」と言う記事が2006/03/23の神戸新聞に載っていたものを下記にご紹介したいと思います。

 毒性の強い高病原性の鳥インフルエンザによる死者が、世界で百人を超えた。
 問題になっている「H5N1型」と呼ばれるタイプのウイルスが最初に見つかったのはアジアだが、昨年夏にロシアに飛び火して以来、欧州、中東へ拡大し、アフリカ大陸に達した。今月に入り、アフリカ初の死者がエジプトで確認された。
 世界保健機関(WHO)によると、死者は八カ国で百三人に上っている。
 鳥から人への感染にとどまり、爆発的な大流行を招く「人から人へ」の感染例は確認されていない。だが、WHOは危険性が高まっているとみており、油断できない。
 WHOが特に注目するのは、アフリカでの感染が急速に広がっている点だ。ナイジェリア、ニジェール、エジプトに続き、カメルーンでも見つかっている。
 アフリカ諸国はエイズやマラリヤなどの感染症対策に苦しみ、検疫や医療体制も十分とはいえない。食糧事情も芳しくない。
 そうした中で、封じ込めの柱となる、ウイルスに感染した鶏の「早期発見と処分」が期待できるのか、大きな不安がある。抗ウイルス薬の備蓄がほとんどないことも、心配される点だ。
 鳥インフルエンザは、渡り鳥の飛来ルートに沿って拡大し続けており、アフリカでは広範囲にウイルスの汚染が進行しているのではないか。そんな懸念も深まる。
 これらが杞(き)憂(ゆう)でないとすれば、鶏や人への感染が確認されて初めて対処するというやり方では、手遅れになりかねない。WHOは先進国と協力し、専門家チームを現地に派遣するなどして鶏の汚染情報の収集や人への感染調査に当たるべきだろう。
 鳥インフルエンザ対策で重要なのは「早期発見と拡大阻止」である。渡り鳥が飛来する、すべての国に当てはまることだ。
 経済協力開発機構(OECD)は世界経済の先行き懸念材料として、テロと鳥インフルエンザの流行を挙げている。鳥インフルエンザは、目に見えないだけ、より厄介な存在といえるだろう。
 早期発見は依然、大きな課題である。発生を早くキャッチする仕組みや発生してからの対応能力強化について、各国は以前にも増して踏み込んだ対策が求められる。
 足元の点検も欠かせない。政府と地方自治体が進める予防薬の備蓄について、費用対効果を疑問視する声もなくはないが、相手は未知のウイルスであり、必要量は確保しておかねばならない。
 「感染爆発」を前提にした対策は、人類共通の課題と認識すべきである。

XXXXXXXXXXXX

 以上、私が申しあげるまでもなく、既にこの事実に気が着かれ、充分にその準備と祈りの体制に入られた方々も多いと思いますが、念のためこの一文を新年の最初のメッセージとして乗せさせていただきます。ぜひお祈り下さい。(終わり)
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by walkwithgod | 2008-01-12 08:00 | 坂達也からの今月のメッセージ

居心地の良さを求める権利を放棄すること  ローレン・カニングハム  1月11日

居心地の良さを求める権利を放棄すること
(著書Making Jesus Lord からの抜粋)

ローレン・カニングハム  YWAMの創設者

    ユース・ウィズ・ア・ミッション(通称YWAM,ワイワム)は、超教派の国際的な宣教
     団体で、大宣教命令の達成のため、3つの柱となる、「伝道・訓練・救済」の働き
     を行っている。YWAMには、12,000人のフルタイム・スタッフが世界135ヶ国、
    700余りのベースで活動し、スタッフ全員は、ボランティアとして働いている。


 みんながあなたと同じような考えを持っていて、あなたにとって一番居心地のよい教会に通うことは、少しも悪いことではありません。しかし、もしもあなたがある種のミニストリーへの召しを神から受けて、そこで違う人たちと働く立場に立ったらどうなるでしょうか。多分政治的にも、またそればかりか教義的にも大変違う意見をそれぞれが持っていることでしょう。その時あなたはどうしますか? 私たちはみんな混じりけのない純粋な信仰を保つようにと一生懸命がんばっているのではないでしょうか。自分とは違うように信じている人たちと一緒に働くことが出来るのでしょうか? 私たちは異端(heresy)や変節、背教(apostasy)からしっかり自分を守らねばならないのではないでしょうか?

しかし私は、一つの論点の意見の相違よりも、その問題の背後にある霊こそが最も大きな問題点だということを確信するにいたりました。異端の霊は真理に付け足しをするものであり、背教の霊は真理から何かを取り去ろうとするものです。

私たちの中で何人の者がすべての真理を理解しているでしょうか。イエス・キリストを信じている人で「はい、私はすべてを網羅して知っています。」と言える人が一人でもいるでしょうか。すべてのクリスチャンが、自分は教義的に正当な道の真ん中にいると信じています。しかしみんなが完全な知識を持っていることはありえません。私たちの知識は日々成長しているものです。ということは、完全にすべてを知っている者はまだいないということです。真理は無限であり、私たちは有限なものですから、まだまだ私たちの行く手は遠く、学ぶべきことは沢山あるのです。つまり私たちはいつでもどこかで間違っている可能性が十分にあるのです。

私たちは、子供のころから聞いてきたことを真理と思いこみ、無意識のうちに神の言葉に付け足してしまうことがあります。また、真理であるのに私たちが気がついていない部分もあります。それはある意味でその真理を取り除いていることになります。しかし、それだからといって私たちが異端者であるとか背教者であるわけではありません。

本当の異端、背教の背後にあるのはプライドという罪であり、それは故意に神のみ言葉につけ加えたり、み言葉から何かを取り去ったりするのです。私たちはこのようなことに自分が陥らないように自分を見張り、すべての真理に導いてくださる聖霊の助けにより、真理の霊によって交わりを持たねばなりません。

あるバプテストの牧師の話をテープで聞いたことがあるのですが、彼はこのことについて語っていました。彼はある時、南アフリカのカトリック教徒の中で働きをするようにという神の召しを受けました。彼は「しかし、主よ、どうして私が彼らと一緒に働くことができるでしょうか。彼らのしていること、信じていることの中には私が同意できないものがありますから!」と抗議しました。それに対して神は「わたしはあなたのしていること、信じていることの全部とは同意していませんが、それでもあなたと一緒に働いていますよ!」と答えられたということです。

私たちクリスチャンが一致の霊を持ち、世界に福音を共に宣べ伝えたいと思うならば、キリストのからだの中に今あるよりももっと謙遜さが必要とされています。みんなが「私は絶対的なすべての真理を持ってはいない。私はすべてのことを理解することはできない者である。」ということをしっかりと認識する必要があるのです。

お分かりでしょうか、神はすべての真理をある一人の人とか、一つのグループとか、一つの教団に任せることはできないのです。聖書だって多くの著者により、長い期間をかけて、多くの場所で書かれました。今日、神は聖書解釈のパズルの断片をいろいろな教師やグループに与えておられるのです。私たちがへりくだり、お互いから学ばねばならないことがあることを認め合って、すべてのパズルの断片を一緒に接ぎ合わせるとき、初めてより大きな絵を見ることが出来るのです。勿論、天国に行くまで完成された絵を見ることは出来ないでしょう。しかし、私たちは今、出来ることがあるのです。

D.G.バーンハウス博士は尊敬された長老派の神学者で、「Eternity」 の前身である「Revelation」という雑誌の編集者でした。彼はペンテコステ派は間違っていると教えていましたが、晩年になってからペンテコステ派の人たちと一週間を過ごしミニストリーをする招きを受けました。後になって彼は次のように言っています。「ペンテコステ派の人たちが信じていることの95パーセントは私も信じている。2パーセントは全く一致しない。3パーセントはどちらともいえない。 私は主にある兄弟姉妹のためには5パーセントの違いを横に置くことは出来ると決心した。」

エペソの4章で神の言葉は、信仰の一致に達する日まで熱心に御霊の一致を保つようにと教えています。(2-13節)私たちは基本的なことは一致せねばなりません。イエス・キリストが神であり主であること、聖書が神の言葉であること、十字架のみ業、そしてその他の信仰の主たる教義です。しかし、一致しないところは主にお委ねし、自分の心を正(義)しく保たねばなりません。私たちの責任は、御霊の一致を保つために出来る限りのことをすることです。一致の霊こそがまさにイエスの霊だからです。(ヨハネ17章)

イエスは「あなた方が同じ教義を持っているのを見て、人々はあなた方がわたしの弟子であると分かるでしょう。」と言われましたか? 違います。主は私たちが互いに愛し合うときに私たちが主に属するものであることが人々にわかると言われました。あなたは艱難の前に携挙があると信じているかもしれません。千年王国はないと信じているかもしれませんし、ディスペンセイションを信じているかもしれません。カリズマ派かもしれませんし、カルビン派または、アルメニア派かもしれません。でも私たちはイエスの血潮によって罪を清められ、主にあって交わりを持つことができるのです。

もしあなたが教義にこだわり、それが他のイエスを追う者との関係を裂くものとなるなら、あなたの教義はあなたの偶像になっているといえますし、それは捨て去らねばなりません。「神の密輸入者」を書いたブラザー・アンドリューは、誰かから教義のステートメントを求められると、その人に聖書を送り返しましたが、あなたも同じ考えで同じことをするのでない限り、たとえどのような教義であっても、それは所詮人間のつくった物であるに過ぎません。

私たちは本当に、お互いが協力し合う必要があるのです。もし私たち「キリストのからだ」が主の大宣教命令を忠実に果たすのであるのなら、私たちクリスチャンはお互いに対して単に態度だけではなく、実際に蜜に連絡を取り合い、少しでも同じことをダブってする努力の無駄を避けることによって、お互いがお互いを立て挙げて、助け合う親しい関係にならねばならないのです。

私たちが成し遂げねばならない仕事は大変大きなものであり、神のご計画を遂行するためには、ちょうど飛行機が発着するときにお互いがぶつかり合うことのないような入念なフライト・パターンが求められるのと同じです。
神の御霊は今、多くの違ったバックグラウンドを持ち、イエスに仕えるという共通の使命以外には共通性が少ない種々の組織に属する人たちに一様に注がれておりますが、これがイエスの私たちを混ぜ合わせ一つにするやり方であるのです。あなたが今、その主が一つにされようとするからだの働きの一部であるならば、総てをあなたの方法でやろうとすることを諦めねばならないこともあります。あなたが正しいことを立証するためには、あなたの権利とやり方をいさぎよく放棄し他の人に譲らねばならないのです。

第二次大戦で何千人というクリスチャンがヒットラーの捕虜収容所で苦しみを受けましたが、その一人にマルチン・ニュオミュラーというユダヤ系ドイツ人がおりました。彼は独房につながれていたのですが、あるクリスマスの日に、独房から出され、三人のクリスチャンがいる部屋に放り込まれました。その三人の一人はサルベーション・アーミー、一人はペンテコステ系、一人はメソジストでした。ニュオミューラー自身はドイツのフリー・エバンジェリカル・チャーチ出身でした。その部屋に放置されていた空襲で焼け焦げたドアーをテーブルにし、四人はその日あてがわれた干からびた黒パンと水をその上に載せ、四人で聖餐式を祝いました。ニュオミューラーは「私たちが向き合って冷たい床にひざまずいたとき、私たちの教義の違いは完全に消え去った。」と書いております。

キリストのからだは監獄ではありません。キリストのうちに真の自由を発見した者同士の親しい交わりです。その主の真の自由の中を歩むとき、私たちが主の宣教の命令に一致して仕えるという、より偉大な者となるために、それぞれが持つ主からいただいたよいものまでも犠牲にすることを主は要求しておられます。今あなたは、主によってそのような自由の中を歩むべく召されておられるでしょうか。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-01-11 16:37 | アメリカからのメッセージ

2008年は光の年  パトリシア・キング   2008年1月6日

2008年は光の年

パトリシア・キング

2008年には、教会に限らず社会の中の様々な場所で、「光」というテーマが神の御霊の働きによって話題となり、取り沙汰されるでしょう。科学の分野では、光の研究者たちが、光の作用、働き、力に関する新しい発見を世界に告げることでしょう。

預言者たちには、世界の国々へ「光が侵略する」ことに関しての知識が与えられるでしょう。著述家たちは光について書き記し、説教者たちは光について説教をし、奇跡が伴うでしょう。超自然的な光が現れたという証言も聞かれるでしょう。 

主からの預言の言葉

主が言われます。「まことの光が暗闇と邪悪の中に入ってくるであろう。私の民は今の時、彼らの光が来たことによって強く立ち上がる。そして彼ら自身が山の上で隠されることのない光となる。
多くの者は言うであろう。『ああ、なんという暗闇の世になったのだろう。何と悪が蔓延っていることだろう。』と。しかし、暗闇を物ともしない者たちをわたしは持っている。彼らは暗闇を見ても動揺しない。彼らはわたしの光を知っているからだ。彼らはわたしの光を暗闇の中に持ち運ぶので、暗闇さえも彼らは光とかえる。

わたしの栄光の光を浴びてその力に浸る者たちを、わたしは起す。彼らは混沌や混乱を見ると、『光よ、あれ!』と言い、すると光が現れる。彼らは病気や疾患に苦しんでいる人を見ると、『光よ、あれ!』と言う。すると病気も疾患もわたしの臨在の中で消えて逃げさる。光のあるところに暗闇は存在できないからだ。

これらの者はわたしのまことの光、即ち、わたしの臨在の力、すばらしさを実際に知っている。彼らは光が暗闇を駆逐することを知っているので、暗闇の中でも恐れることがない。彼らは自分の家庭の中でわたしの光を宣言する。すると暗闇は逃げさる。彼らは職場でわたしの光の力を宣言する。するとシフトやアラインメントが起こる。そうだ、わたしの光を信じる者は、暗闇を見たらすぐに、どこででもわたしの光を宣言する。彼らはわたしの光と栄光を持ち運び放出する者たちなのだ。

暗闇が地を覆うであろう。しかし、わたしの民の上にわたしの光が現れる時がきた。国々の王たちは彼らが持つ光に引き寄せられるであろう。わたしの栄光が彼らの上に現れるであろう。
わたしがわたしの光を現すために選ぶ『バラエティーに富んだ器たち』を見て動揺してはいけない。ある者たちは『この人を見てみなさい。彼は風変わりだ。彼は普通とは違うことをする。彼が真の神のしもべでありえるだろうか?』と問うであろう。わたしの光をこの地に解き放つためにわたしが選んだ器たちが、今までとは違うやり方をするのを見て驚いてはいけない。わたしが選んだしもべは、御霊によって見分けるのだ。わたしは新しい事をしている。聞く耳のあるものは聞きなさい。

わたしはいろいろな器を用いる。伝統的な器、教養のある器、単純な器、人から好意を持たれている器、誤解されている器、子供、女性、男性、年配者、若い者、そして、自分が宣べ伝えてる光はまさにわたしである事を知らない器でさえ、わたしは用いる。

そうだ、今はわたしの光が暗闇を侵略する時であり、それが起こり始める。」

宣言 「光よ、あれ!」

創世記1:1-3に、地は形なく何もなかったと書かれています。それは混沌と暗闇の状態であり、光はありませんでした。神が「光よ、あれ。」と言われると、光が現れました。一章の少し後のほうには、主が地上を照らすために太陽と月を創造されたことが書かれています。

ヨハネ1:9には、イエスがまことの光であることが書かれています。私は、創世記一章で父なる神が言われた「光」はイエスだと思います。父はこの地をまことの光であられる御子で満たしたのです。ヘブル1:3では、イエスは力あるみことばによって万物を保っておられると教えています。コロサイ1:17では、万物は御子にあって成り立っていると書かれています。

ヨハネ8:12では、イエスご自身が「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」といわれています。マタイ5:14では、「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事が出来ません。」と言われました。

まことの光はイエスです。私たちの生活のすべての領域に、主の光を呼びよせることを学ぼうではありませんか。自分の家族の中に、人間関係、性格、経済、健康、力の中すべてに。また、主の光を絶望の闇、罪の闇の中に持って行きましょう。私たちの周りの世界に主の輝かしい光をもって侵入しましょう。

さあ、出て行って輝いてください。「光よ、あれ!」と宣言してください!(終わり)


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by walkwithgod | 2008-01-06 09:33 | アメリカからのメッセージ