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坂 達也・柚実子 2008年 春の来日予定  3月29日

2008年春 坂 達也・柚実子の来日予定表
 
[日本に滞在中の連絡先:坂 達也 携帯電話 090-6644-6207]

4月15日(火)日本到着 3:10PM 中部空港 
  16日(水)         
  17日(木)門司港ハレルヤチャーチ 渡橋先生 
  18日(金)八女フロンチアチャーチ 近藤先生
  19日(土)水俣福音教会 神園先生
  20日(日) “
  21日(月)松山 天川美江さん
  22日(火) “  ”  家の教会での集会 
  23日(水)津田キリスト教会 水村先生 
  24日(木) “
  25日(金)鳴門ホープチャペル 森綾子先生
26日(土)関西ハレルヤチャペル 小山敏夫・良子先生
27日(日) “
28日(月)南紀リバーサイドチャーチ 寺田先生
29日(火) “
30日(水)京都、シオン・プレイズ・チャーチ
5月 1日(木)  “  祈りの歩行  夜 集会
   2日(金)
   3日(土)藤枝リバイバルチャーチ
   4日(日)    “
   5日(月)大府、神の家キリスト教会 上野定雄先生 
   6日(火) 
 L 7日(水)京都 神足教会 斉藤先生 
   8日(木)  “
   9日(金)東京へ 
  10日(土)府中 
  11日(日)  “ イエスキリスト緑の牧場 染本先生
  12日(月)東京  
  13日(火) “  
  14日(水)群馬 富士見四恩キリスト教会 高田先生
  15日(木)いわき グローバル・ミッション・チャペル 森 章 先生
  16日(金)福島 旭町キリスト教会 小久保先生   
  17日(土)福島 蓬莱キリスト教会  佐藤先生
  18日(日)    “
  19日(月)  
  20日(火)長野 サンクゼール 久世先生 
  21日(水) “
  22日(木) “      午後成田へ 10:00PM発 帰国


  以上ですが、お問い合わせとご質問はメールか携帯にお電話下さるようお願い致します。
  お祈りを感謝します。               
                                          坂 達也・柚実子

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by walkwithgod | 2008-03-29 16:19 | ミニストリー予定

主の軍隊の召集 リック・ジョイナー 2008年3月27日

主の軍隊の召集

リック・ジョイナー

人々を集める「動員の油注ぎ」について考えてみるとき、動員する数と油注ぎがどのような関係にあるかをも理解せねばなりません。バプテスマのヨハネの油注ぎは、ユダヤ全土から人を集め、主のための備えをさせるものでした。しかし、ほとんどの者は初めから大勢の人を集める能力をもっているわけではありません。ヨハネのミニストリーも、多分最初はそれほど大規模なものではなかったことでしょう。多くの場合、大きな権威を与えられる前に、まず小さなことに忠実であることを私たちは学ばなければならないのです。

世界的に見て非常に大きい教会やミニストリー、又ムーブメントも、初めはすべて12人くらいが集まって祈ることから始まりました。もし、私たちに動員の油注ぎがあるとしても、それは多分非常に小さなグループから始まるでしょう。小さなグループの時にどれだけ忠実であるかによって、主が私たちにどれだけ権威をもっと与えてくださるかが決まると思います。そして、多分それは少しずつ増えていくと思います。私が「思います」というのは、あくまで主がすべての主権を握っておられるのであり、いつもそうされるとは限らないからですが、普通、主はそのようにされます。

いつの時代においても、小グループを集める油注ぎのある人、あるいは数百人とか数千人、又はそれ以上を動員する油注ぎを受けている人たちがいます。自分たちにとっても、また他の人に関しても、それが真理であることを悟るならば、多くの人たちがフラストレーションから守られ、又、人々を動員するどころか散らしてしまうような失敗を犯すこともなくなるでしょう。神があなたを300人の牧師として召しておられるならば、あなたが様々な手段で教会をもっと大きくしようとしても、いろんなことが起きて、結局あなたは300人の牧師に戻るでしょう。その反対もあります。あなたが5000人の教会の牧師として神から召されているならば、教会の分裂やその他の問題が起こって、一時、教会が小さくなったとしても、また5000人に戻ることでしょう。

ですから、もし私たちがリーダーとして召されているのであれば、主は何のために自分を召されたのかを理解し、自分が置かれた場所で満足し、そこで最善を尽くすように決意する必要があります。小さいことに忠実であるならば、定められた時に主はより大きな権威を私たちに与えてくださいます。私たちは自分で自分を昇進させるのではなく、主が昇進させてくださるのでなければならないことをはっきりと知るべきです。神が与えられたのではない影響力を自分の力で得るとすれば、必ず問題を引き起こします。そのようなことは知恵のある者ならば何としても避けたいと思うはずです。ポイントは主に従順であるということです。役に立たない将軍であるよりも、才気ある有能な中尉である方がずっといいのです。

私たちのミニストリー(モーニングスター・ミニストリーズ)の仕事の一つは、色々なカンファレンスを開催することですが、それにもこの真理が当てはまることを学びました。私たちが開催するカンファレンスの多くは、クリスチャンをあるミニストリーのために調えたり、御霊の賜物を分与したりするものです。私たちはカンファレンスを宣伝する方法を知っていますし、確かに以前は何千人もの参加者がありました。しかし、聖徒たちを整えるためのカンファレンスは、小規模の方がよいということが分かったのです。私たちのゴールはただ沢山の人を集めることではなくて、参加した全員が変えられ、強い影響を受け、カンファレンスが終わるときには、以前よりもっとキリストの力強い働き人、メッセンジャーとなって遣わされていくということです。それと異なる種類のカンファレンス、特にキリストのからだの交わりやミッションや伝道への思いを促進させるためのカンファレンスの場合は、大きいほどよいのです。

このことをお話している一番の理由は、クリスチャンのリーダー達が今まで犯してきた悲惨ないくつかの間違いについて、共に考えてみたいからです。その一つは、神が定めてはおられない目的のために、神の民を何度も何度も動員してきたことです。第二は、正しい目的のためではあるけれども、間違った霊でクリスチャンを動員してきたことです。第三は、敵の要塞を砕くために人々を訓練し、調え、教育するために動員するのではなくて、動員すること自体を目的としてしまったことです。このような間違いはすべて、人々に多くの幻滅をもたらし、落胆させました。落胆とは勇気をなくすことですが、勇気こそすべて勝利する軍隊にとって、もっとも大切なエネルギーの源となるものです。

動員の効果的な方法を知っていれば、大勢の人を集めるのはそんなに困難なことではありません。ですから、私はずっと前から、教会やミッション、ミニストリーがただ大きいからという理由で感銘を受けることはなくなりました。本当の問題はその実です。大きなグループだけれど人々は世話がやけ、力がなく、その働きは小さなグループより少ないということもあるのです。私たちが人々を動員したいと願う理由は、福音のための効果的な力を立て上げ、神の御国を伝えるためでなければなりません。

集まって来た人たちを効果的に備え、調え、導くことが出来る人にこそ、私たちは従っていくべきです。大きなグループや教会でもこのようにしているところもありますが、それは稀です。使徒行伝19章32節に、自分たちが何のために集まったのか分からない人たちが混乱していることが書かれています。はっきりした目的もなく集まることは、大抵の場合、人々を混乱に落としいれます。

教会のヴィジョン

アメリカのクリスチャンの半数以上が、どの教会にも所属せず礼拝に出席していないと推定されています。これは悲劇的なことです。しかし、彼らを教会の生きた交わりに連れ戻そうとする前に、現在の教会の状態を見てみる必要があるのではないでしょうか。もし半数以上のクリスチャンが所属したい教会を見つけられないとすれば、もしかして半数以上の教会がキリストによって与えられた基本的な命令から、なぜか離れてしまっているという可能性はないでしょうか? クリスチャンが教会の交わりから離れてしまう理由は沢山ありますし、その中で正当性のあるものはほとんどないかもしれません。しかし、多くの教会がキリストをもはや真のリーダーとして立ててはいないこと、そして、人々にはそれがちゃんと判ることも私たちは認めねばなりません。

神の民を集めることは重要です。しかしそれは同時に大きな責任を伴います。彼らが神の息子、娘であることを私たちはいつも心に留めておかねばなりません。人々が私たちのところに集まってくるのは、私たちの力の故ではないし、もし彼らが得るものが私たちの持つものからだけであるならば、彼らはまもなく去っていくでしょう。人が集まってくることは、最初のステップに過ぎません。教会は、ただ大きな囲いの中に人々を入れて、週に2回食べ物を投げ与える大きな羊小屋として立てられたものではありません。神の民に食べ物を与えるのは、確かに大きな目的です。しかし、彼らを導くということは、ただ彼らに説教すればよいというものではありません。真の新約のミニストリーは人々を整えるものです。これからの教会を、主に召された軍隊と呼ぶ方が益々ふさわしい形で整えられていく理由はここにあります。これからは教会の目的と言うものが益々明瞭になってゆき、それによって人々は大いに励まされるのです。

私が今年、動員に関して焦点を当てている理由の一つは、神の民の大いなる召集が始まろうとしているからです。というのは、多くの幻の中で20年以上も私が見せられてきたのですが、地方の小さな教会さえも人々であふれ、中に入れない人々のために教会の外にスピーカーをつけなければならなくなっていました。それがすべての地方で起こるのが見えました。都市では、教会は大群衆を収容するためにスタジアムを借りて集会していました。それと平行して、ホーム・グループのムーブメントで何千何万という小さなグループが出来、それが大勢の人々を調え、彼らが自分の召命と御霊の賜物を見つけてキリストのからだの中の自分の場所を見つけるのを助けていました。
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彼らはただの群集とか大勢の中の一人ではありませんでした。彼ら一人一人が王ご自身の息子であり娘でした。これだけの大人数を扱うのは、教会組織や、又、どんな人間的な能力をもってしても不可能です。主はからだのかしらとなり、み言葉で宇宙を実際に支えてくださっているのですから、主には可能です。しかし、今はそのようなことが起こる時のための備えの時であり、その備えとは私たちが主のうちに宿ることを学ぶことです。

詩篇32:6「それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。」

愚か者は、リバイバルが起こり始めるのを見たら準備をしようと言います。賢い者は決して時間を無駄にしません。また、あまりにも迅速に、あまりにも簡単に起こるとすれば、それは大したものではないことも、賢い者は知っています。もし、リバイバルが遅くなるとすれば、それは私たちにもっと時間が必要なので、主が遅らして下さっているのです。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-03-27 14:32 | アメリカからのメッセージ

主の愛を持ち運ぶ者となる  キャサリン・ブラウン  3月22日

主の愛を持ち運ぶ者となる

キャサリン・ブラウン

最近私に与えられた幻の中で、数人の人が主に近づいて主の衣のすそにさわろうとしているのを見ました。それは聖書にある12年間長血をわずらっていた女がしたのと同じでした。(マルコ5:25)彼らは多くの人生の重荷を背負っている様子でしたが、主の愛のまなざしを一度受けさえすればすべて癒されることが私には分かりました。主も彼らを癒してあげたいというお気持ちで一杯でした。あなたも「主よ、助けてください」と必死でひざまずき、手を伸ばして主にすがろうとしたことが、これまでありましたか? 主はいつでも私たちのうなだれた頭を上げてくださり、癒しの力で私たちを喜んで満たしてくださるお方であることを信じることはとても大切です。そのことに同意を表すかのように、主は幻の中で「わたしの手を、わたしの顔を見なさい。」と言われました。

次第にもっと多くの人が主に近づいてきて、主の御手にすがりつきましたが、なぜか彼らは主の愛に満ちた御顔を見上げることができないようでした。確かに私たちは、度々、イエスが人々の手をとって癒されたということを読みます。主の愛に満ちたまなざしが人々を病や罪への隷属から解放し、抑圧の鎖を砕き、死人によみがえりの命を与えました。私たちが業を行うときには手を用いることを私が思いめぐらしていると、主が「すべての実りはわたしとの聖なる親しき交わりから生まれ出る。」と言われました。

もし私たちが主の御顔を見たことが無いならば、イエスの御手の業を期待することはできません。しかし又、主の釘跡のある御手に触れることなしに御顔を仰ぐことはできません。ここに恵みのパラドックスがあります。私たちは十字架を見てまず信じますが、信じたときに主をもっと理解し、もっと鮮明に主を見ることができるのです。キリストの麗しさを見つめるとき、私たちは父なる神をも受け入れる祝福に預かるのです。イエスは「わたしを見た者は、父を見たのです。」と言われました。(ヨハネ14:9b)

顔と顔を見合わせて

この啓示を受けている最中に、私はまた、ある友達に関する素晴らしい幻を見ました。この友人はモザンビークや他の数カ国にリバイバルをもたらす働きのために、主に大きく用いられてきた人です。幻の中でイエスは彼女の前に立って顔をじっと見つめ、彼女を御腕に抱きしめました。すると、イエスのお腹から命の水の川が流れ出て彼女の中に入っていきました。主は愛のまなざしをもって尚も彼女を抱きしめておられましたが、その愛の流れによって次々に国が生まれ変わっていくのが見えました。これは私の友人に限らず、御国の福音をすべての国々に伝え弟子とせよ、という主の召しに答えたすべての人を象徴している幻です。私たちが持つ主との最も奥深い経験というものは、私たちの心の奥の聖所で起こるものであることに私は気がつきました。その場所で主は私たちと聖なる交わり(聖餐)の時を持って下さり、それによって私たちは永遠に変えられるのです。

イエスは私たち一人一人と顔を見合わせてしっかりと抱き合うことを切望されています。主の御顔を仰ぐときに、私たちは主の手となって世の中で傷ついている人たちに手を差し伸べ癒したいという思いが与えられ、そのための力も与えられるのです。多くの人々の救いはそのような秘密の聖所で生まれます。花婿なる王キリストの秘密の場所とは、主のまなざしが私たちの心を虜にし、恋におとし入れ、私たちが主の愛で満ち溢れるようになる所です。そこで顔と顔を合わせるときに、私たちは完全に神を信頼し、主の愛に完全に頼り切ることができるのです。

私たちはみな、天からのマナで満ち溢れるようになる必要があることを改めて実感させられます。それは主に安息することによってのみ得られるものです。私たちがもっと主をよく知ることができるように、神は私たちの目から覆いを取り除きたいと切に願っておられます。そのような聖なる時に、主は御自分が総ての力を持ち、総てをご存知であり、永遠に私たちと共におられ、無条件の愛が常に満ち溢れている方であることを、私たちにもう一度思い出させてくださいます。主は美しい花嫁に心を奪われておられます。でも私たちは、自分が王の王なる方からどれほど深く慕われているかを、本当には理解していないことが多いのではないでしょうか。

主の胸の鼓動を聞く

最近、主の御前に出ているときに、主が私に気づかせてくださったことがあります。それは、私がいつも主の愛の中に安息する必要があり、「主からいただく次の課題は何か?」ということばかりに気をとられて主を待つのではいけないということでした。私の一番の願いは救い主と共に時を過ごすことであるという思いに達したとき、自分は時に何もかもやめて立ち止まり、ただ主の臨在を深く吸い込んで主の愛を受けることがいかに必要であるかに気がつきました。戦場にいる者たちは天の軍勢の総司令官である主と時を過ごし安息を得なければならないことを、主が語られました。又、孤独なリーダーたちが主の元に来て主との交わりを通して、彼らの空っぽになった部分を主が満たして下さることを主がどれほど望んでおられるかを語られました。主の恵みが、私たちの心の中にあるすべての自分で守ろうとする壁を打ち壊し、心の総てが主の愛によって満たされて全き者にならねばならないことを語って下さいました。

神の臨在の中で過ごす時間は、私たちの心の畑を耕し、主の御心と御ことばの種を深いところに蒔きます。そして、それは定められた時になると芽を出し実を結ぶのです。私たちが一人で神と時を過ごすとき、神は剪定とともに施肥をしてくださり、私たちの知性、意志、感情を、私たちのために立てられた主の完全な御計画に一致させ沿わせてくださいます。私たちが主をワーシップして時を過ごすと、イエスは私たちの硬いところを柔らかくし、乾いたところを潤してくださいます。主の憐れみに盲目であった領域の霊的視力を主は再調整してくださるので、私たちは物事を自分の見方ではなく主の見方で見ることができるようになります。火のように燃える主の目は私たちを主のもとへと引き寄せ、私たちの良心を謙遜と崇拝でひざまずかせます。イエスは私たちに、へりくだることが美しいことであることを知ってほしいのです。

3つの祭壇:勤勉、任務、献身

幻の中で、私は天にある3つの祭壇を見ました。一つは「勤勉diligenceの祭壇」と呼ばれ、一つは「任務dutyの祭壇」、そして3つ目は「献身devotionの祭壇」でした。天の祭壇はそれぞれがまことに素晴らしく、大小の炎を上げて燃えていましたが、献身の祭壇が一番明るく燃えていました。それぞれに、証(勤勉)、働き(任務)、礼拝(献身)を表していました。勤勉の祭壇は、主の愛が私たちの行動によって実現されるところです。任務の祭壇は恵みの祭壇で、そこでは信仰と行動があいまってよい業をなし、謙遜が、キリストの従順を私たちがまねることを可能にします。

献身の祭壇の炎の中に、美しい宝石があるのが見えました。これは愛と礼拝の祭壇で、私たちの人生をその上で燃やすことによって、イエスに大きな喜びをもたらす祭壇です。この祭壇の上に千歳の岩なる主の炎が下り、私たちの信仰という宝石を磨いてくださり、私たちをキリストに似る者としてくださるのです。キリストへの献身は、礼拝者の心の中に天国の霊的環境をもたらします。

イエスは「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」(マタイ5:8)と教えられました。献身の祭壇が明るく燃えているとは、即ち私たちが主の聖なる臨在の中で時を過ごすということであり、その時、私たちの心は聖くされるのです。イエスのとこしえの聖い愛は、主の御心を明らかに示し、私たちに主のまことの姿を見させます。「イエスを見る」というのは、肉体として見るというのではなく、むしろ、私たちが主を知り、又、主に知られるという契約の絆でしっかりと結びつけられるということです。主を愛すれば愛するほど、私たちは主を求める必死な思いを更にもっと強く抱くようになります。そしてこの真摯な願いは、私たちの人生を聖くトランスフォームしていく起動力となります。私たちが主の愛に生きるとき、私たちは主の輝きを映じるものとなるのです。

まことの弟子は、師(イエス)に似る者となることを願います。人々を回心させるのが私たちのゴールではありません。しかしながら、私たちが神を敬い自分の人生を主に明け渡すならば、私たちが御国の救いのメッセージを語るときに人々によい影響を与えることができるでしょう。イエスの血潮で贖われた人たちが福音を受け入れるのは、私たちが膨大な啓示の知識を持っているからでもなく、神学をよく把握しているからでもないのです。失われた人々や放蕩息子たちが自分の贖い主なる王を発見する鍵は、私たちが神の子としてどれほど神に熱愛されているか、そして私たちがどれほど神を愛しているか、そのリアリティ-を、彼らがはっきりと見ることにあります。そのような主と私たちの関係はどのような形で現われるのでしょうか。それは、この世的な打算の全くない聖い赦しの愛という形で現われます。

私たちが神の胸の鼓動に向かって走っていく理由は沢山ありますが、主と時を過ごした後に私たちが、主が持っておられる花嫁に対する情熱を携えて、この世へと出ていくことを主は望んでおられます。私たちは使徒的な使節として主の愛の心を世界の国々に持ち運び、それによって国々が主の愛を知るようにと召されているのです。私の祈りは、これからの皆さんの信仰の歩みが、顔と顔を合わせて主と出会う、その中から生まれ出るものでありますようにということです。今日、皆さんが主の愛を再び見出し、祝福されるようにとお祈りいたします。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-03-22 14:52 | アメリカからのメッセージ

これからの40日間への神の言葉 チャック・ピアース 3月14日

これからの40日間への神の言葉

チャック・ピアース

私たちは、この世代では今までになかったような大きな再配置、再編成の2ヶ月間を、今まさに迎えようとしています。この2ヶ月に起こることが、私たちの人生とこの国が辿る道を決めます。主は2008年3月4日、火曜日の朝1時に私を起されました。私がトイレに行くと、そこに「自分の理解(アンダースタンディング)に頼るな」と書かれた額がかかっているのが目にとまりました。そこに電気はついていなかったにもかかわらず、その言葉が明るく照らし出されていました。その聖句が火のように赤や黄色に浮かび出ていたのです。私は5時にまたそこに行ったので、額を見てみますと、聖句は実は紺色で書かれているがわかりました!

主が私に語り始められました。

「あなたは今日、自分の理解に頼ってはならない。これからわたしが造ろうとする道をあなたがしっかり見るようにわたしは招いている! わたしはわたしの民のための道を造り、また、造り直しているからだ!これから40日の間は、あなたをいらだたせ不快にする状況が増すであろう。自分の(今までの)理解に頼ってはならない。この期間にあなたの知らないことをわたしは示すであろう。わたしが形造っている型(パターン)をあなたが分かるようにする。過去の理解―たとえそれが今まで40年間の理解であったとしても―にとらわれてはいけない。なぜならば、わたしはこれからの40日間に、わたしの民のうちに新しい理解の時を生み出そうとしているからだ。わたしの知恵はあなたの知恵とは違うからだ。わたしはわたしへの恐れと畏敬の念を私の民の中に起している。

悪がどのように活動しているかをわたしはあなたに教える。わたしはあなたに悪がどのように話しかけるかを聞かせる。悪の声は今まであなたの心を乱し、あなたに戦いをいどみ、あざけってきた。あなたの中にわたしの義がわき起こるであろう。わたしの言葉があなたの口に与えられ、あなたがその言葉を発すると、あなたの周りの霊的雰囲気は変えられるであろう。

わたしはあなたの荒地に大路(ハイウエイ)を造る。風に吹かれて移動する砂で造るのではない。あなたの将来の土台が築かれるのだ。確かにあなたのために設けられた地をわたしはあなたに見せる。自分自身の理解に頼ってはならない。あなたを眠らせようとする力をあなたの中にある神の力で克服し、これからの40日を用いて、あなたの周りの霊的環境を変えてゆけ。

叫び声を上げてわたしをあがめよ。わたしの名を祝福せよ。あなたを将来へと導く戸口には、今まで敵の名が掲げられていたが、それはわたしの名に変えられるからだ。敵があなたの門をふさいでいたが、今わたしはあなたに権威を与えあなたを新しい地に入らせる!

心をつくして主により頼め。自分自身の理解に頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、わたしはあなたに道を示そう。あなたの周りの状況だけを見てはならない。自分の理解に頼ってはならない!あなたの心がわたしから離れないようにせよ。自分の能力に決して頼ってはならない。

わたしはあらゆる権威の領域を治める強い人々を立てる。権威の領域はこれからの40日間で編成し直されるであろう。あなたの口からでるわたしの言葉の力がブレイクスルーをもたらすであろう。あなたはチャンスを逃してはならない。また、再編成を促進するためにわたしが造っている触媒を見逃してはならない。今まであなたを騙し、威嚇してきた山を飛び越えるための油注ぎを受けよ。

それは、今週あなたに起こる嵐を恐れてはならない。わたしがあなたの道を整え直し、あなたの時を変えるからだ。あなたに追いつき圧倒しようとするものより先にわたしはあなたを行かせる。だから嵐を恐れてはならない。雨や風がかえってあなたの益となるのを見よ!扉の鍵がガチャガチャと音を立てるのが聞こえるだろう。わたしが地獄の門を揺り動かしているのだ。あなたが前進するのを妨げていた障害物(あなたの感情も含めて)に向かって、退け!と命じて、あなたが前進できるようにせよ。

あなたの道を平らにし、わたしが新しい道に入れるようにせよ。高すぎるものは低くなり、低すぎるものは高くなる。わたしは高慢なものを低くし、へりくだったものを新しい地位につかせる。未来へと続くまっすぐな道をわたしは造っている。わたしがあなたを未来へと導いてゆく道を見よ。あなたの只中にわたしが入るのを許し、荒野の中であなたを次の地へと導く道をわたしに備えさせよ。

わたしは終わりの時を初めから支配している。この地上でわたしの統治領域外で起こることは一つもない。わたしの御心が天で行われるように今日地でも必ず行われることを信じよ。わたしを統べ治める王として見上げよ。天の大路があなたのまわりの地上に出来てくるのを見よ。わたしはあなたが下に行くのではなく、上に上がってくるのを求めている。わたしがあなたのために用意した地へと導く大路を見つけよ。

荒野でわたしの声を聞け。あなたは自分が行くべき道が今まではっきりとは分からなかった。しかし今日、わたしはあなたを新たに召し出す。あなたは今勢いがついている(モーメンタム)この機会を逃してはならない。毎日座って教えられるだけで満足していてはならない。なぜならば、教えだけではあなたは次の地には行くことができないからだ。

あなたはあの山を飛び越える油注ぎがこれから21日間、わたしから発せられる召しが聞こえるように戦え。今の時のためのわたしの召しを聞くことができる者は、その召しにどのように従えばいいのかを知っている。あなたが今後に附いて行っている人のことを言っているのではない。あなたがあるところから次のところへと行くべき道を設けるという召しである。わたしの召す声を聞きなさい!わたしの声はあなたの谷、あなたの荒野に入り、「わたしのところに上ってこい!」と呼んでいる!

今は再構成のヴィジョンの時だ。今は地の上であなたが立つべき場所を探し出すときだ。それは、あなたが立っても沈まず、あなたを混乱させたり罠にかけたりすることがない場所だ。あなたの荒野でわたしの声を聞け。40日の間に、わたしはわたしの召集を喜んで受けたものたちに資格を与え始める。

これから数日の間、敵の声に混乱するな。あなたは敵から3度誘惑される。あなたを新しい場所に導くためにわたしが造っている大路をあなたが見つけ、そこに堅く立つことがないように敵は妨害してくる。今、しっかり目を覚まして声を聞き分けよ。様々な声はあなたのまわりに霊的混乱をもたらす。そのようなときに、自分は何に従うべきかをあなたは知らねばならない。種々雑多な声があなたの財政状態とか世界の情勢に関して飛び交うので、あなたは気落ちをしたり恐れを持ったりするからだ。

わたしは金や銀を支配する神である。わたしは新しい財源を解き放つことができる。わたしはあるものを出て行かせ、そこにあなたが入ってこられるようにし、わたしが用意した門をあなたがたが通れるようにする。あなたの前にある高く狭い道を見て、登るには急すぎると思ってはいけない。わたしはまっすぐな道を造っていて、これからの40日間、あなたをその新しい道に導き入れる。

あなたはこの道を通ったことはない。世界の国々がどちらに転ぶかその状況は予断を許さない。わたしの王国の統治は今起こり始め、形を整え、地上の政府に影響を与えようとしている。わたしが造る大路は、わたしの栄光を知っている者の目でしか見ることができない。あなたは(間もなく)わたしを王として、また、統治者として知るであろう。わたしはエジプトの神々に恥をかかせ、ローマ帝国を失墜させた神である。

わたしがあなたのために荒野に用意した大路を、あなたが見つけ出すのを妨害するものと戦うための言葉を、あなたの口にわたしが授けることをさせよ。この狭い道を通る手引きができるのは、わたしの声だけだ。これら3回の敵との対決の最中に、敵があなたに襲い掛かるのを阻止する言葉を、あなたのために今わたしはつくっている。これは、わたしの民全体が立ち上がるようにというわたしの招集命令である。(しかし)この召集を受け取るのは、周りの霊的環境とどのように戦うかを知っている者だけである。

わたしはあなたがいらいらし、不快になる時をつくる。あなたがそれによって挑発され、わたしの妬みがあなたのうちに生まれ、あなたの只中にある地獄の勢力に対抗する新しい戦いのマントルを着て立ち上がるためだ。わたしは摩擦を大きくし、あなたのいらいらは大きくなる。わたしはわたしの民を挑発して立ち上がらせる。あなたの眠りとまどろみから目を覚まして今、わたしの声を聞いて出て来なさい! 自分の持っている理解に頼るな。わたしの流れに従い、わたしがまっすぐな道をつくるのを見張れ。わたしが道を整えるのを見ていなさい。

土台を新たにせよ。わたしは再び建てようとしている。わたしはあなたの未来を建てはじめるであろう。わたしがあなたを召していることをはっきり自覚せよ。茂みやいばらの中に入っていくのを恐れてはならない。そこであなたは隠された宝を見つけ、それを今、わたしのための祭壇を築くために用いることができるであろう。今日、わたしはあなたを活性化する。今こそあなたの時である。わたしはあなたを活性化し、あなたのまわりに訪れようとしているものを聞くようにとあなたを招く。あなたが適時に聞いたり話したりすることを妨げようとする聾唖の霊から解放されよ。

立ち上がって道を造れ。霊的空気を変えよ。そうすれば、あなたはその地で固く立つことができる。シオンを呼び出せ。わたしはあなたの中のシオンに「立ち上がれ」と叫んでいる。急激な変化に備えよ。急激な変化に備えよ。幻を書きしるせ。はっきりと書きしるせ。急激な変化に備えよ。この40日間のために新しい力が解き放たれることをわたしは叫ぶ。自分の持つ理解に頼るな。わたしの導きに従い、力のシフトを創り出せ!(終わり)


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by walkwithgod | 2008-03-14 09:06 | アメリカからのメッセージ

朝の散歩道    坂 柚実子  2008年3月9日

朝の散歩道


私は朝、近所に散歩に出かけます。
イエスは「野の花を見てごらん、空の鳥を見てごらん」と山上の垂訓の中でいわれましたが、散歩をする私を楽しませてくれるのは、花と小鳥です。神は私達の毎日の生活を楽しくするために花と小鳥を創造してくださったのかもしれませんね。

ハワイの花といえば、プルメリヤ、ブーゲンビリヤ、ハイビスカスがもっとも一般的で、見るからに暑さに強く日照りが続いても大丈夫な木の花が多いです。
プルメリヤの花は一軒に一本はあると思えるほど愛されていて、花が木の下に落ちていますが、香水にもされるとおり、とてもよい香りがしますので思わず拾ってしまいます。先日、拾った白いプルメリヤの花を指先にそっとつまんだまま歩いていたら、風が吹いてきて指の中でそれが風車のようにくるくると回りはじめました。きっと木から落ちるときもくるくると舞い落ちるのでしょうね。

このあたりの家々は、みんなおなじような平屋が多いですが、庭は千差万別です。手をかけている庭は一目瞭然ですが、その中でも木の花ではなく草花をきれいに育てている庭を見るのはとても御馳走です。桔梗、菊、アスター、トレニヤなどが咲いていて毎日の水遣りが大変だと思うのですが、私の心を和ませてくれます。

散歩の行き先の一つはココヘッド・パークで、うちから20分くらいですが、そこにココ・クレーターという山があり、高い頂上まで階段(使われなくなった鉄道の枕木です)がついています。元気な人はほとんど駆けるようにして上っていきますが、私の場合はほんの少し上って海を眺めておしまいです。
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「砂漠は生きている」という映画では、カラカラに乾燥している砂漠に雨季がくると、それまで息をひそめていた動物、昆虫、植物が一斉に活動し始める様子が映されていました。ハワイも雨季に入ると、今まで茶色だったココ・クレーターが緑色になり、足元には小さな野の草が咲きます。目立たない花たちですが、私にはとてもかわいく思えます。野の花を「栄華を極めたソロモンより美しい」と言われたイエス様は、すばらしい美意識を持っておられたようですね。父が露草を「非常に美しい花」と表現していたのを思い出して、ちょっとうれしくなりました。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-03-09 16:33 | 柚実子からのハワイ便り

私たちの霊性を保つためには ウェード・テーラー 2008年3月9日

私たちの霊性を保つためには

ウェード・テーラー


「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。」(1コリント2:7)

私たちが受けている最も大きな賜物と祝福は、私たちが霊的に敏感であることと、それに飢え乾くことです。この飢え渇きと油注ぎによって、私たちは神の御言葉を通していただけるより深い啓示を理解することが可能になります。しかし、その飢え渇きは、放っておけば、徐々になくなって行き、ついには霊的に不毛の状態に陥ります。それを防ぐ方法は毎日、日課として神との霊的聖餐(コミュニオン)という個人的交わりを持つことをしっかりと維持して行くことです。

「年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」(イザヤ書40:30-31)

私たちが霊性を保つためには、毎日、特定の時間と場所を「主を待ち望む」ために確保しなければなりません。これをすることによって私たちの霊のバッテリー(力)が充電されます。

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、……地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

この主のご臨在を待ち望む時を持つことによって、私たちの人間的弱さにとって替る神の力を受け取ることができます。その力と霊的な強さは主のご臨在の中で主と交わる時に得ることが出来るのです。

「主を畏れる人に/主は契約の奥義を悟らせてくださる。」(詩篇25:14)

上記で「主を畏れる」とは主への畏敬の念を持つことであり、私たちが主の御前に出る時に、この畏敬の念によって私たちが集中して気を逸らさず一心に主を見つめることを可能にします。
人生で、私たちは二つの違ったレベルの命を持って生きていることを認めなければなりません。

「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」(1コリント15:44)

イエスと直接の個人的な交わりの関係を持つことによって、私たちの霊の命の働きが増しますが、それにつれて私たちのこの世のものに対する欲望が弱まります。私たちが日頃霊的にものを考えて行動するか、あるいは肉でするかによって、それぞれの命が強められたり弱められたりします。
私たちの霊的なレベルは、私たちがどれだけ主を待ち望むために時間を費やすかにかかっていますが、その主を見上げて主からいただこうとすることが消極的であってはなりません。むしろ主から何かを受け取ることを熱心に期待する積極性が必要です。それは待ち人が部屋に入ってくるのを今か今かと期待して待つのに似ています。主を待つ間、静かに主をワーシップし、又、主への私たちの心からの愛を表明することが大切です。

「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。
… わたしを愛する者には財産を受け継がせ、彼らの財宝を満たす。」(
箴言8:17,21)
 
私たちが主への愛を心から表明すると主はそれに応えて下さり、このやりとりが私たちの霊的理解をより一層うながし(霊的関係を強め、より親密にする)主のご臨在に対する私たちの感受性を増します。私たちがより大きく主を期待する時に主の実質(サブスタンス)が私たちの中に流れ込んで来るのです。

毎日「主を待ち望む」時間を持つことによって、私たちが霊的に豊かになるために最も重要な霊の命と力の分与(インパーテーション)を受けることになるのですが、これに平行して、私たちの肉の生き方(ソーリカル・ライフ)を十字架にかけることを私たちは忠実に実行しなければなりません。そのような肉の(魂的)生き方は、私たちが主の御前で時間を過ごさせないようにし、それに替るような時間の過ごし方を提案します。このような、あらゆる私たちの霊的成長を阻止するものを総て主の十字架にかけることを決意・実行することによって私たちは霊の命と力を受けて霊的に成長するのです。

私たちが「主の臨在の中で主を待ち望む」ことをしっかり実行して行く時に、十字架にかけるというプロセスを通して、主は、私たちが主の御前に出て静かな時を過ごすことへの妨げとなるものを取り除いて下さいます。私たちは皆このプロセスを通らねばなりません。そうした後に、私たちは主が放たれる霊の命をフルに受け取るという経験が持てるようになります。これこそ主が私たちに望んでおられることなのです。

「主を待ち望む」ことはそれを実行すればする程、その能力が強まって行きます。クリスチャンは他のクリスチャンと親しい関係を持つことは望ましいことであることに違いありませんが、それが霊の飢え渇きを満たすものでは決してありません。私たちの霊は、上に挙げられ、主と縦の関係-親密で主ご自身との個人的な関係-を保持されねばならないのです。私たちが主に近づき主の御前で時間を過ごす時に、主がご自身を私たちに知らしめてくれますから、私たちは主とより親しく個人的に交わることが出来ます。

「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:6)

私たちが完全に一人になって主とだけ時間を過ごす特別の時間を設定することは大変重要なことです。
「…… わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)

主の御前で私たちが主を待ち望む時に、私たちの霊は命を与えられ、霊の領域に挙げられます。私たちが自分では何もしないでただ主を待つ時に主が働かれ、私たちのしたいこと(欲望)を正しいものに整えて下さり(リオリエント)、聖霊の領域によりオープンでより鋭敏になるようにして下さいます。しかし、この霊的に成熟するプロセスは、逆に私たちが自分の業で働く時に、主は私たちを待っておられ、霊的になることが妨げられます。

「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、…」(ピリピ3:10)

私たちの霊的感覚が鋭敏になると、主が私たちを主に引き寄せたいと願っておられることがよりはっきりと理解できるようになります。その結果、私たちは主と毎日交わる関係に入ることを熱望するようになるのです。これが発展して行くと、主のからだ(教会)と世界の国々に関する主のご計画に私たちが協力するように導かれます。

主を待ち望む時間を多く持つことによって霊的感性が増すと同時に、自然(肉)の領域における感性も鋭敏になります。しかし、より鋭くものが見えたり、感じたりする時に私たちは直ぐリアクトしたり報復に出たりしがちですが、そうするのではなく、そのより鋭い感受性を自分のうちにじっと持ちこたえることを学ばなければなりません。

「わたしの僕ほど目の見えない者があろうか。わたしが遣わす者ほど/耳の聞こえない者があろうか。わたしが信任を与えた者ほど/目の見えない者/主の僕ほど目の見えない者があろうか。 多くのことが目に映っても何も見えず/耳が開いているのに、何も聞こえない。」(イザヤ42:19-20)

イエスは非常に鋭い霊的感性を持っておられたので、人間の心の中がよく分かりました。しかし、その場の状況に直ぐ人間的に反応(リアクト)することをなさいませんでした。主はご自分が天から来たこと、即ち、天の立場をよくわきまえておられ、総て人間としてではなく、天の父が言われること、父がなさっておられることにのみ従ってことを運ばれました。

私たちは自分の持っている信仰で生きることを学びます。そして霊の領域に上げられ、そこで預言的な理解をもって霊の世界に入って行きます。「最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。」(1コリント15:46)
「……朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。」(イザヤ50:4)

主のご臨在の中ですばらしい時を過ごすと言うことを始めても、最初は主とか主の臨在をほとんど感じることが出来ません。しかし、それを続ける時に私たちがそのことを期待し続けるがゆえに、肉の領域から霊の領域に入って行き、やがて主と主の臨在をはっきり
感じるようになります。
 私たちがどんなに忙しい生活の中にいても、「主を待ち望む」ための時間を取ることは絶対に欠かせないことです。そして、私たちがそうすることによって失望することは決してないでしょう。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-03-09 09:53 | 主と個人的に深い交わりを持つ

主はいかに私たちを愛しておられることか フランシス・フランジペン  3月7日


主はいかに私たちを愛しておられることか

フランシス・フランジペン

私たちが本当にキリストの臨在の中にとどまり憩うためには、神のまことのご性質をはっきりと知ることが大切です。神を愛情深い父であると見るならば、私たちは神に近づいていきます。しかし神を厳しい裁判官として見るならば、私たちは神から身を引きます。実際のところ、私たちの存在のすべては、私たちが神をどのように認識するかによって大きく影響され変えられるのです。

もし、神が私たちをいつも愛し心にかけて下さっていることを信じないならば、私たちは自分のことを自分で面倒を見ることに一生懸命になってしまいます。もし自分は大切な存在でなくて神から無視されていると感じるならば、自分の重要性を世間から認めてもらおうと努力して、くたくたになってしまうでしょう。

しかしながら、神が私たちを心から愛していてくださっていることに気がつくならば、そして神が私たちを常にみそばへ引き寄せたいと願っておられることが分かるならば、神の臨在の中に入っていける扉が私たちの前に開くのです。そして、いと高き方の住まいで私たちは安息し、魂を生き返らすことができます。

神の愛とは、私たちが何かで困っているときに無関心ではおられない、いてもたってもおられないと言う愛しいお気持ちで示されるのです。聖書には、主は「私たちの弱さに同情できない方ではありません。」(ヘブル4:15)とあります。
主は私たちが地上で経験する痛みを、共に感じてくださる方なのです。主は私たちが生きている人生に、参加してくださるのです。なぜならば、「私たちは神の中に生き、動き、また存在している」からです。(使徒行伝17:28)主は私たちの必要から遠く離れてはおられません。私たちは主のからだであり、主は私たちと一つです。

私たちは一人で戦っているのではない、という事こそ真理なのです。しかしながら、もし自分は一人ぽっちだと思うならば(即ち、神は自分のことなど気にかけてはおられない、という偽りを受け入れてしまうならば)、私たちの思いは暗くなり、神の愛のコミットメントから私たちを引き離し孤立させます。

愛する皆さん、たとえ私たちが神に逆らっているときにさえ、神の心は私たちから遠く離れてはいないのです。主とイスラエルとの関係を考えてみてください。イスラエルが罪を犯し、その結果、悲惨な状況の中にいるときも、主は遠く離れてはおられませんでした。聖書には、主は「イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった」ので、解放者たちを立てられたと書かれています。(士師記10:16)神は遠くではなくイスラエルと共におられ、彼らの苦しみをご自身が実際に負っていてくださったのです!

ラザロの墓でイエスは涙を流されました。イエスはご自分がもうすぐラザロを生き返らせることを知っておられました。ラザロを死から呼び戻す6日前に、主はすでにそのことを御存知でした。しかし、それでもイエスが涙を流されたのは、人々が泣いて悲しんでいたからです。

神の御霊は私たちの心の痛みを実際に感じられることを、あなたは御存知ですか? 主は私たちが戦っているときには共におられ、私たちが恐れているときにはそば近くにいてくださるのです。ある人たちは、ラザロの墓でキリストが泣かれたのは、御自分に弟子たちの不信仰を嘆かれたからだと解釈します。私はそうは思いません。ラザロの墓で涙を流されているキリストを見た者たちは、人々の悲しみを共に感じられた人を見たのです。そして彼らは「御覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」(ヨハネ11:36)と言ったのです。

私たちの癒しは、主がどんなに私たちを愛しておられるかを目の当たりにするときに起こります。主が私たちの墓にこられ、名を呼んで死から呼び出されるときに私たちは死からよみがえらされるのです。

私たちは、神の愛を自分個人のものとして受け取らねばなりません。神は、私個人の罪のために御子を与え、私個人を導くために御言葉を与え、私個人に力を与えるために御霊を送ってくださったのです。全能の神が私の味方ならば、誰が私に敵対できるでしょうか?

愛する皆さん、驚きの目を大きく開いて、主がどれほど私たちを愛しておられるかを見ようではありませんか。そして孤立してしまうことから癒されましょう。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-03-07 07:46 | アメリカからのメッセージ