<   2008年 06月 ( 12 )   > この月の画像一覧

カルメル山で主の御霊が言われたこと キム・クレメント 6月28日

5月12日にカルメル山で主の御霊が言われたこと

キム・クレメント 


「音(サウンド、声)がする:宗教や人間の考え出した教義から出ているのではない音が聞こえる。キリストの音(声)が以前にはなかったほど大きく響いてくる。」と主が言われる。

「音がする。キリストの音(声)であるので、屋上の部屋(アッパー・ルーム)から聞こえる。そしてキリストの音は、バールを信じる政治家たちを再び打ち倒す。キリストの音はバールの政治家たちを打ち倒す。そしてわたしの民は火でバプテスマを受けるであろう。火のバプテスマを。」と主は言われる!

「再び音(声)が起こる。勝利の音だ。:今まで宗教の力がわたしの民を支配してきた。しかし、宗教の力を消滅させ無効にするものが、まもなく地上にやって来る。わたしは多くのダニエル、ダビデ、ルツ、エスターを興す。」と主は言われる。

わたしはイスラエルを除外しない

神は言われた。「かつてこの場所に集まったイスラエルの民が、二つの神の間でふらついていたこの聖なる場所から、わたしは事を始める。預言者エリヤは『あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか?』と言った。」主こそ神である! 主こそ神である!主こそ神である!

「分裂があり様々な意見(教義)があるが、わたしはその壁を打ち破りはじめる。わたしは壁を取り壊す。わたしは再びそれをしてもいいか? 分裂の壁、抑圧の壁。この山に集まっている今も、あの時と同じ火をわたしは送る。何千年も前に送ったのと同じ雨をわたしは送る。」

「そして、わたしはイスラエルを除外しない。わたしの民を除外しない。わたしはイスラエルにも地上の国々にも、火と雨をもたらす。キリストの音(声)はすべての家の中に入っていき、若者や子供が谷間の干からびた骨に向かって「これらの骨は生き返る。」と預言するであろう。

「わたしは今の時代に多くのエゼキエルを興す。預言の油注ぎ、大いなる預言の霊が来ようとしている。エリヤも民全体に「イスラエルよ、私のそばに近寄れ。」と言ったように、今も一致をもたらすのは祭司ではない。国々に一致をもたらすのは預言者たちだ。」と主の御霊が言われる。「なぜならば、崩されたわたしの祭壇は、祭司ではなく預言者たちによって立て直されるのだ。」と万軍の主は言われる。

「イスラエルや諸国の山々にわたしの預言者たちが立ち、『道を備えよ』というとき、神は『わたしが道を備える』と言われる。預言者エリヤが『私のそばに近寄れ。』と言ったとき、建て直さねばならない祭壇がある。その祭壇は人の手で建てられるものではない。」

バールの前に立つ者はいるか?

神は言われた。「エリヤは12の石を取って山頂に置き、『集まれ。これはイスラエルの12部族である』と民に言った。しかし、わたしは12の偉大なキリストの言われること(エキスプレッション)を取る。それは12のキリストのサウンド(音、響き、音声)である。キリストにあるルーベンは見るため。キリストにあるシメオンは聞くため。キリストにあるレビは一つとなり契約を結ぶため。キリストにあるユダは賛美するため。賛美するため。賛美するため。」手を上げて主を賛美せよ!

神が言われた。「わたしはまさにこの場所からわたしの火を送る。わたしは豊かな雨を送る。
わたしは祝福を与える。それは、彼らが終りのとき、終末の艱難と破壊を非常に多く語ってきたからだ。」私の神は雲のように取り巻く証人のいるところで私にこう言われる。「今夜、主の業のあかしを得る者たちがいる。」

じっと見なさい。エリヤは「バールの前に立ち天から火を下せるものがあるか?」と叫んでいる。ダニエルは見つめ、そして言う。「バビロンの王の前に立ち、王の夢を言い当てる者はいるか?」と。ダビデは戦場で「一つの石で主権を倒せる者がいるか?」と立って叫んでいる。その石はキリスト・イエスだ!

モーセは雲のような多くの証人と共に立ち、今も人々に聖霊を通して語っている。彼の言葉はこうだ。「パロの前に立ち『民を去らせよ!』と宣告できる者がいるか?岩を打って水を出せる者はいるか?」
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴも「火の中に四番目の人を見つけられる人がいるか?」といって見ている。


わたしは旗印を上げる


神の御霊が言われる。「この場所から、地上全域にわたって、わたしはダニエル、ダビデ、エスターの世代を起す。」
あなたに子供があるか? 孫がいるか? その子を主に捧げよ。あなたの家にサムエルはいるか? 神は言われる。「この場所から、地上の国々を通して、今夜わたしは石(stones)を取り、わたしの教会(My Church)を取る。そして、ダビデ、ダニエル、ルツ、エスター、マリヤ、モーセの旗印を上げる。わたしは上げる。」


彼らは再びキリストにあって巨人を倒すであろう。キリストにあって彼らは国々を勝利に導くであろう。「わたしはヨセフを興して東方の王たちに預言を与える。
中東よ、あなたたちにはもう選択の余地がない。わたしはあなたたちをわたしの火、わたしの声としてすでに選んだのだから。」と主が言われる!

神の御霊が言われる。「今夜あなたたちが祈れば、わたしはこの領域に誉れを与える。わたしはこの全領域に誉れを与え、かつて祭壇に下した火を全地に送る。滅ぼすものを滅ぼし、あなたたちの家族にいのちをもたらすために必要な火を、わたしは再び送る。

神が言われる。「あなたたちが祈ると、今まであなたたちの子供をとどめ、ビジネスをとどめ、ミニストリーをとどめていた敵の上に焼き尽くす火が下るであろう。」
神の御霊が言われる。「あなたたちが祈るとき、わたしは回復をもたらす。希望のリバイバル、期待のリバイバル、御霊の息吹きのリバイバルが起こる。
「あなたたちの子供は言うであろう。『生ける神の家に私たちは行きたい。生ける神の家に行きたい。行きたい。』と。」

主の御霊が言われる。「今夜、あなたたちの預言者の言うことを聞け。わたしは地上の国々の家庭に希望と期待を回復させる。これから除外される者はいない。子供たちはわたしの臨在の中に来たいと願うであろう。なぜならば、わたしの家、あなたたちの家庭、子供、家族の中にわたしの聖なる臨在が回復されるからだ。」

死人を甦らせる御霊の啓示をわたしは回復する

「今まで隔離されていたものをわたしは再び送りこむ。御霊の啓示が隔離されていた。しかし今、死人を甦らせる(ような)啓示をわたしは回復する。」と神の御霊が言われる。「そして、わたしはリバイバルが起きていると人々がいう場所の向きを一転する。わたしは死人を甦らせる。あなたたちがわたしに頼みさえすれば、わたしは並外れた奇跡を行う。」と主が言われる。「今夜、わたしはあなたたちとその家族からそれを始めるからだ。」と主が言われる。

神が言われた。「確かに今夜、神の火があなたたちの敵を焼き尽くし、わたしは屋上の部屋(アパールーム)の炎をあなたたちに与える。」
神が繰り返し言われるのが私には聞こえる。「人々はわたしの臨在をすでに得ていると思った。しかし、わたしの臨在はこれから水が海を覆うようにこの地を包み、その不思議な力はお前の網に魚を引き寄せ、網が破れるほどになる。」

すべての国には、干からびた骨の谷がある。しかし、今夜私たちは「骨よ、お前たちはもう死んだものではない。お前は軍隊だ。」と預言(宣言)する。私たちは子供に向かって「お前たちは死んだ骨ではない。軍隊だ。」と預言をする。私たちは家族にむかって預言する。「お前たちは死んだ骨ではない。力強い(神の)軍隊だ。」と。この地から国々に預言する「火だ、火だ、火だ、火よこい!」と。

私には神の御霊の声が聞こえる。「わたしは人々がカルメル山から祈る祈りを聞きたい。わたしはイスラエルで人々が祈る祈りを聞きたい。わたしはすべての地で人々が祈る祈りを聞きたい。」(おわり)


トップへ戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-06-28 06:23 | アメリカからのメッセージ

ジュデイス夫人はほとんどノーマルになるまで回復しています。 6月22日

お祈り感謝します。ジュデイス夫人はほとんどノーマルになるまで回復しています。

先程(日本時間日曜日の朝4時ごろ)携帯電話に出たジュデイス夫人と直接お話しました。まるで新しく生まれ変ったように声に張りがあり、喜びに満ちた新しいジュデイス夫人でした。今ヘンリー師の運転で北方ルートを通ってオレゴンに向かっているそうです。

 一昨日(木曜日)の朝、親しい方からの電話で祈ってもらったら、その後急に空腹を覚え、バーベキュー・ビーフが食べたくなり作って貰って食べたそうです。それから身体がみるみる回復し、今では呼吸の方も、そのことを考えなければ、ほとんど平常に戻っているとのことでした。ハレルヤ!皆様からのお祈りに主が応えられております。ハレルヤ!
 私はその前夜彼女が最悪の状態にいるときに、その知らせを受けて祈ったのですが、主からヘブル11:6を示され、主はグルーバー師夫妻の忠実な信仰に報いると言われているようでした。その後は皆様にご報告しながらもずっと平安の中におりました。そして皆様のお祈りを感謝しておりました。本当に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」の通りですね。

 ジュデイス夫人からは「皆様のお祈りで支えられていることを心から感謝しております。日本の皆様にくれぐれもよろしく伝えて下さい。」とのことでした。

 そして、私が「今週末の年次役員会には都合で間に合わないけれど、7月早々オレゴンに来るのでその時会うのを楽しみにしております。」と言うと、夫人は「5日には予定通りポートランドを出て、アフリカのモザンビークに発つ」と言われ、又びっくりしました。
 夫人はこの夏一人でアフリカのハイディ・ベーカー夫妻のミニストリーに参加する予定でしたが、これにも参加すると言うのです。

これは本当に主がなさっておられることに間違いありません。しかし、そうであればなお更、彼女には私たちの祈りの支えが必要です。どうぞ続けて彼女の健康と共に、彼女のミニストリーについてもお祈り下さる様お願い致します。
         坂 達也


トップに戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-06-22 05:49 | 坂達也からの今月のメッセージ

お祈り感謝します。ジュデイス夫人は快方に向かっています。

お祈り感謝します。ジュデイス夫人は快方に向かっています。

これは今朝の娘さんからのメールで分かったことですが、昨夜夫人は主から力を得て、一夜にして驚くほど元気を回復したそうです。ハレルヤ!そして息ずかいも少し楽になって来ているとのことでした。
 そして驚くことに、夫婦で相談した結果、明日オレゴンに向かってヘンリー師の大型バンで夫人も同行して出発するそうです。このバンは大人二人が十分寝られる広さがあり、必要なものを積み込んでもヘンリー師の運転の側で夫人は楽な形で寝て行かれます。
 
ジュデイス夫人は、病院に行く訳でもなく、薬も何も取っていませんから、家にいても、いずれ寝たり起きたりして水分と食物を取っているだけなので、いっそ夫婦で旅行するのであれば安心だし、それ程身体に負担は掛からない、いずれ主にお委ねしているのだからと言うことで(これは私の推測ですが)、予定通り出発することに決めたそうです。

 今回のオレゴン州ポートランドへの旅行の主目的は、グルーバー師夫妻のジョイフルサウンド・ミニストリーの年次総会が今週末に予定されていて、それに出席することと、家族の方たち(息子さん家族がいて、特にジュデイス夫人はその家族に会うのを毎年楽しみにしています。)親しい友人たち、祈りのサポーターたちに会うことです。ミニストリーの本部は今でもポートランドにあります。
その後グルーバー師はオレゴン・ワシントン州の各地を5-6週間かけてミニストリーで廻る予定ですから、夫人はアイオアの家にいても、ポートランドを訪ねてそこで滞在しても周りの環境は変わらない、むしろポートランドに行きたいと願っていると私は推測しています。

 一つ気付かわれることは、途中のハイウエーでロッキー山脈を越える際に、高地のため空気が希薄になることが、もし夫人の呼吸に悪い影響を与えるようであれば引返すと言っております。
 そんなことで変更が無ければ、夫婦で明日アイオワを出発するようですので、ぜひ続けてお祈りくださるようお願い申し上げます。        坂 達也


トップへ戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-06-21 18:49 | 坂達也からの今月のメッセージ

あなたが証しをする時、あなたは世界にむかって預言する  ビル・ヨント 6月21日 

あなたが証しをする時、あなたは世界にむかって預言をしているのだ

ビル・ヨント

「イエスのあかしは預言の霊です。」 黙示録19:10

あかしは私たちの持つもっとも力ある武器の一つであり、今暗闇の力をすべての国々から追放しはじめている!

主の大いなる愛と力に触れられたものはみな、立ち上がって屋上から主がなしてくださったことを叫べと、今天の父はすべての者にむかって要求されています。私は今はその時「カイロス」だと感じています。

自分では小さな何でもないあかしに過ぎないとおもうことでも、世界に伝染していって火をつけることができるのです。それゆえに神はあなたにあかしをせよと言われるのです!あなたのあかしのDNA(遺伝子)は預言の霊を含んでいます。なぜならばそれはあなたのあかしではなく、イエスのご自身のあかしであり、世界にむかって主の途方もない伝染力のある恵みと憐れみの業を、あなたを通してあかししているからです!

あなたのあかしには預言の霊も含まれている!

あかしとは、神があなたの人生で何をしてくださったかを公に宣言することです。あかし(testimony)という言葉は、「再び行う」という意味を持つ語根から派生しています。あかしの持つ伝染力は、神が一度されたことはあなたのために、また全世界のために、もう一度してくださるということです!
あなたが自分の人生で神がしてくださったことをあかしするとき、それは実際、神はあなたのためにこれからもずっと続けてしてくださることを預言しているのです。

例えば、神があなたのあることを癒してくださったというあかしをするとき、あなたは実際あなたのほかの部分―霊、魂、身体―も癒し続けてくださることを預言しているのです。 主は始められたことは完成させられるからです。

山を流れるなだれに「何がきっかけで流れ始めましたか?」と聞いてごらんなさい。一片の雪だというでしょう!

今世界中に広がっていて、もうすぐあなたの戸口まで来ようとしているフロリダ州レイクランドの聖霊の傾注は、ただ一人のひと、タッド・ベントリーのただ一つのあかしから始まったかもしれないのです。何年も前のことですが、彼は主が自分の人生で何をしてくださったかという体験を人々に話はじめました。この「あかし」は世界規模のリバイバルの「預言」だったようです。勿論、沢山の人々の沢山のあかしが、地上から立ち上ってきたので、多くの天使がレイクランドになだれのようにやってきたのです。そしてそれによって天が開け、大勢の天使たちが世界中に今おりてくるようになっています。

過去神がしてくださったことをあかしするとき、あなたの未来の勝利をあなたは預言していることをご存知でしょうか?

1サムエル17:37 「ついで、ダビデは言った。『獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。』 サウルはダビデに言った。『行きなさい。主があなたとともにおられるように。』 」

ダビデがあかししているときに預言の霊が働き始め、ダビデはゴリアテが敗北すること、又その後でダビデによって一万人が殺され、その他の敵も殺されることを預言をしたのです。


兄弟たちは小羊の血と自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った!

5年前私が心臓発作に襲われましたが、主は私が少しづつ癒されることを示してくださいました。その日から私はどこへ行っても、私は癒しによって襲われているとあかししています。

私は5年もの間、ちょうど妊婦のように、私の中に癒しという赤ちゃんを孕んでいたのです。正直なところ、心臓が癒されているようには感じられないときもありましたが、「我が家(神の家族)は癒しの起こる家系だ!」というのが真理だったのです。

5年間、定期的なコレステロールと血液の検査を続けて来た結果は、徐々に良くなり、丁度先週、ついにコレステロールや心臓のための薬が必要ではなくなったのです!
どんな小さなことでもあなたの健康が少しでも改善されたときは、感謝の心で屋上から大声で叫んでください。そうすればあなたは、癒しの満ち溢れる主の門の中に入っていくのです。そして癒し主なる主ご自身があなたの中に入ってくださるまで感謝しつづけてください!癒しや奇跡があなたのところにまだ届いていなくても、それが今やってくることをあかしし、今あなたのところに来る途中であると預言できるのです!

神がしてくださったことをあかししなくなった人が大勢いる

最近あまり自分にはあかしすることがないと思うならば、あなたの人生で神が何かをしてくださったところまで戻って、それを繰り返して言ってみてください。そうすれば、聖霊が再びあなたの今の人生の中で活発に働いてくださるのを見るようになるでしょう。

ある私の知っている牧師は、自分の教会の人たちの中で何も奇跡が起こっていないときは、他の場所で神が働いておられるあかしを探して、それを自分の教会で話すようにしています。

すると人々の信仰が高められ、彼らも自分たちの生活の中で神が働いてくださった経験を話し出すのです。私はこの教会に年に一回くらい行きますが、その牧師が「誰かあかしがありますか?」と尋ねると、人々は走るようにして前に出てきて、今まで聞いたこともないようなすごくユニークで力強い神のみ業のあかしをするのです。たまたま来ている訪問者さえ、自分の癒しや奇跡のあかしをすることもあります!

誰かが作った話なのですが、イエスのもとに体の不自由な男を連れていこうとした4人の男の話があります。 その話はこうです。・・・・・・4人の男のうちの一人が言った。「私は盲目だったが、イエスが目に触れてくださって見えるようになった。だから、疑いたくはないんだけど、それにしてもこの男の状態は私よりもっとひどいからなぁ。」 2人目の男は言った。「確かにイエスは私の萎えた手に触れて癒してくださったけど、こんなに重症な男は治せるとは思えない。連れていくのは無駄だ。」 三人目の男は言った。「イエスはらい病人だった私を癒して清めてくださったから、疑いたくはないのだけれど、しかし、やっぱりこの男はもう長くはないと思うよ。」

この3人は、最後の4人目の男がどのようにイエスの能力に疑問をもち批判をするかを聞くために、彼に注目した。だが、彼が自分の名前を大声で言うのを聞いて驚いてしまった。彼はこう言った。「私の名はラザロだ。あかししてもいいかい。生きているっていいね! 私が死の鎖につながれていたとき、イエスが呼び出してくださった!この男の問題がイエスには大きすぎると思っているならば、神の偉大なる声を聞いた者から学んでくれ!私の名はラザロだ!」

「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
使徒行伝4:20
さあ、あかしをしに出かけようではありませんか!(終わり)


トップへ戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-06-21 10:09 | アメリカからのメッセージ

緊急!ヘンリー・グルーバー師夫人のためのお祈りのお願いです。

緊急のお祈りのお願いです。

只今ヘンリー・グルーバー師の奥様であるジュデイス夫人がアイオワの自宅で、心臓疾患が原因で、息切れが激しく非常に苦しい状態にあります。この状態が既に数日続いておりますが、食事も水分もあまり取れなくなっており、身体全体が腫れ上って、極度に弱っております。

ヘンリー師はミニストリー旅行中でしたが大急ぎで昨日帰宅し、今は他の家族の人たちと共に夫人に付添っておりますが、周りの方の懇願を押し切って、グルーバー師夫妻は一切の医療に頼らず、只信仰により主の力にのみ頼ることで完全に一致しております。
娘さんの情報によれば、身体が弱るにつれ、それがジュデイス夫人の信仰にも影響し始めていることを心配しております。この困難を乗り越えるために、ぜひ皆様の信仰とお祈りで彼女を支えていただきたくお願い申し上げます。

先ずは取り急ぎご報告とお願いとさせていただきます。   坂 達也・柚実子


トップへ戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-06-20 18:07 | 坂達也からの今月のメッセージ

あなたの中におられる栄光に目覚めよ   チャック・ピヤース   6月18日


あなたの中におられる栄光に目覚めよ


チャック ・ ピヤース

先週末のペンテコステの集まりで主から一つのことばが与えられました。それは「わたしはスプーンを取り上げ、アメリカの中心部分であるインディアナ州、イリノイ州、アイオア州の泥をかき混ぜる。」と言うものでした。その後雨が降り始めました。そしてフランシス・フランジペイン師からの知らせでは「アイオア州、特にシーダー・ラピッツ市の周辺、その中でも特に市の中心部は歴史的に5百年に一度起きるか起きないかの洪水に襲われている……」と言うものでした。

以前にダッチ・シーツ師と全米を廻って各州で主からいただいた預言の言葉を本にしましたが、それを紐解いてみると、ウイスコンシン州での主のことばは「この州はわたしの川々(の水源)がある州である。これらの多くの川の水位が上昇するときは警戒せよ。」と書いてありました。


私は最近、創造主なる神の創造の力の大きさについて考えていました。私たちのまわりがたとえ混沌とした状況であっても、聖霊なる神によって覆われ、主の声が発せられるならば、混乱の力と闇は打ち破られ、そこに新たな秩序が創られるのです。
あなたがまだ主をご存知ないのでしたら、主があなたをある目的をもって創造されたことと、主があなたと交わりたいと願っておられることを覚えてください。主こそ地球の最高司令官です。

これは理解していない人が多いのですが、私たちの人生に起る総てのことは主の(ご計画と目的の)為に最善なこととして起るのであり、その起る総てを私たちが主からのものとして従順に受け入れ、神を賛美するならば、総てのことが究極的に私たちにとってすばらしい益となるのです。 あなたの人生に起ることは総て神の創造の力によるものであると、神のなさることに合意一致すればするほど、あなたはあせったりいらいらしたりすることが減っていくでしょう。 自分の心と霊の深みを探り、主の声に耳を傾けてください。主のされることは、すべてあなたのためなのです。
主の声に耳を傾ける時、あなたは人間的に得られるどんな平穏よりもより深い平安を得ることができるでしょう。

私たちは極度のストレスを溜め込まないように、自分を守らねばなりません。私たちの健康上の問題の多くは、ストレスと心配に由来しています。たとえあなたの周りに混乱があり、激動があり、混沌としている状態であっても、あなたがしっかり主に聞き従うならば、創造主なる神はそこに秩序をもたらし、あなたは主に一致した人生を送ることができるのです。

私たちは、喜んで主のみこころを行うようにしなければなりません。「落胆」という言葉をあなたの辞書からとり除いてください!そうすれば、性格的な欠点や低い自己イメージが、神があなたに計画された最高の性格とセルフイメージになるように変えられて行でしょう。そしてあなたは自分の目標に到達するための力を得ます。それは人間的な理屈、自分の評価とか判断によっては決して得られない力なのです。今こそ、あなたの中に主が与えて下さっている最高のものを、あなたが見つけるシーズンです。

今週の火曜日の祈りのときに、主は詩篇16:5-11を与えてくださいました。

「主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。
測り縄は麗しい地を示し/わたしは輝かしい嗣業を受けました。
わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし/わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし/わたしは揺らぐことがありません。
わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。
あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく/あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い/右の御手から永遠の喜びをいただきます。」


あなたのうちには主の栄光がおられ、主は今、それが現われるように召し出しておられるのです。あなたのうちなる栄光を大いに喜ばせ、それによってあなたの家系の罪が逃げ出すのを見張っていてください。(終わり)


トップへ戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-06-18 09:42 | アメリカからのメッセージ

現在のリバイバルの経過と未来(パート2) リック・ジョイナー 6月14日

現在のリバイバルの経過と未来(パート2)

リック・ジョイナー

アメリカのいろいろな場所やヨーロッパからも知らせが入ってきていますが、みな同じことを報告しています。それは、癒しや奇跡が、今まで見なかったような高度なレベルで起っているということです。今は神が神の民を訪れてくださっているすばらしい時です。しかし、これは、もっと偉大な神の働きが生まれ出る時―それは今年の9、10月に起ると私は思うのですが―のために私たちを備えるための霊的陣痛に過ぎないと、私は信じます。
私たちには9月21日(2008)が大切な日になると示されています。しかし、私たちは「一部分を見」、「一部分を預言する」(第一コリント13:9参照)のですから、その日に実際起きるのかどうかを宣言することができませんが、それがアメリカのリバイバルに関しての重要な日になることは断言できます。

今までの2ヶ月間は、神が奇跡をなさる方であるという信仰は劇的に大きくなりました。そして主はその信仰に応えてくださる方です。信仰が増すにつれ、神がもっと動いてくださり、それによって信仰がもっと増えていきます。その結果、主がもっと偉大なことをしてくださるのです。これを続けていこうではありませんか?

今経験していることがすでに全く驚くべきことなのですが、真に聖書的に「あるべきノーマルな姿」に到達するには、まだまだ上に上っていかねばなりません。新しい神との契約を握っているクリスチャンとしては、聖書の中に書かれていること全部が現在でも起ることを期待する権利があるのです。主は今もその時と同じ主であられます。主の名前は「I was」とか「I will be」ではなく、「I AM」 なのです。
使徒行伝の時代の教会にご臨在された同じ聖霊が、私たちと共に今もいてくださいます。すべてのクリスチャンは使徒パウロが持っていたのと同じ聖霊を持っているのですから、パウロを通して働いたのと同じ力を期待することができるのです。

第二コリント3章で、モーセは主の栄光を見て顔におおいをかけねばならないほどでしたが、私たちクリスチャンはそれよりも更にすぐれた栄光を見ることが出来るといっています。
私たちはもっと栄光のある「よりすぐれた契約」を与えられているのですから、今その栄光を見てそれを経験することを当然の権利として受け取る者たちが今起って来ているのです。これこそ主が長い間待ち望んでおられたことでした。
私たちが新しい契約の総ての特権の中を歩むことができるように、主イエスがその代価を払ってくださったのですから、その中を歩むことが出来るのは私たちだけではありません。私たちに適用された神の正義は、私たちが受けるにふさわしいからではなく、主こそが受けるにふさわしい方なのであり、ご自分がそのために最大の代価を払われた新しい契約のすべての特権を、ご自分の民が受けて喜ぶことこそ、主が受けるにふさわしい当然の権利であるのです。

 奇跡を見ることは、人々を力づけます。神が再び動かれ始めたので、人の力を超えた多くの業が私たちの中にいま起っています。それはまさに神の業に違いありません。真理もまた、私たちを力づけます。これらの業をなしておられる聖霊は、真理の御霊でもあられ、今人々の上に真理を愛する心を注ごうとしておられます。それは新しい契約に関する真理から始められ、もうすべて代価が払われているので私たちはすべての特権を受けることができるという真理です。神のもっとも基礎的な義は、神の民が天国の市民としてのすべての特権を受けることにあります。それによって、天の御国は彼らを通じてこの地にこれからももたらされ続けるでしょう。

10人の斥候によってもたらされた悪い報告を信じて来なかった、新しい世代の人々が今持ち場に着こうとしています。彼らはヨシュアとカレブによってもたらされた信仰ある報告に自分たちを合わせました。それは自分たちに与えられた土地を受け継ぐには、巨人がどれほど大きいかとか、自分たちがどれほど小さいかとかには全く関係がなく、神がどれほど偉大であるかと言う信仰にかかっているということです。彼らは今ヨルダン川の岸辺に立ち、川を越えて自分たちの約束の地を勝ち取る準備ができています。


高校生たちが身体障害者、盲人、聾唖者、又不治の病を持っている人たちのために神は必ず癒されると信じて祈り、そして往々にしてそれが起るのを見ることは、いまだに非常な驚きです。幾晩か前のことですが、部屋の後方が騒がしくなりました。見ると、女子の高校生二人が、車イスの若い男性のために祈ったところ、彼は直ぐに立ち上がり歩き始めたのでした。彼は多発性硬化症(MS)で、もう7年間歩いたことがなかったのです。彼はそれから間もなく車イスに戻りましたが、それは病が戻ったためではなく、筋肉を長く使っていなかったので、疲れたからでした。彼のために祈った二人の高校生に話しましたが、
彼女たちは確かに喜んでいましたが、興奮しすぎということはありませんでした。というのは、彼らが祈るときに主がこのようなことをしてくださるのを、今はいつも経験しているからです。超自然的な奇跡が、自然なことである世代が、今現実に起っているのです。

知恵とは基本的に知識と経験の正しいコンビネーションです。しかし、これから出て来る世代の人たちが持つ知識と経験は、どちらも過去の世代のものとは違ってくるでしょう。私の年代の多くの人たちは、主は今も癒したり奇跡を起されたりすることを一応信じますが、めったにそれらを見ることが出来なかったために、彼らは信仰に対して冷ややかな思いを持つようになりました。そのような人たちの中には、信仰を持っても何も起らない時に失望しないようにという配慮から、台頭する若者たちの信仰にブレーキを掛けるようなことをしている人たちがいます。もしそうであるなら私たちは急いで悔い改めねばなりません。 

主は約束の地に入るように選ばれた人たちにとって妨げとなるような不信仰な世代の人たちを先ず完全に取り除きました。主は今の時代において、もし私たちが同じような不信仰の世代であってよしとするのであれば、そのような私たちを主は取り去られるでしょう。私たちは、敵がいかに大きいかとか、私たちがいかに弱いかで心を煩わされるのではなく、いかに偉大な神であるかと言う信仰によって敵に勝てる決意をしたヨシュアとかカレブになれるのです。私たちが主を本当に信じる時に主が総てに打ち勝って下さいます。

失望は不信仰ほど悪いものではありません。信仰を持つように励まし、そして奇跡が起ることを期待してください。これから起ろうとしている世代が持つ経験は、過去の世代が持ったものとは違うでしょう。神を信じることは常に真の知恵です。そして信仰がなくては神を喜ばせることはできませんし、神への真の信仰は決して失望に終わることはありません。失望することを恐れたり、避けようとするような霊を持って生きることは、必ず失望におわります。
 

今ヘリテイジで起っていることに関していくつか興味ある点があることに気がつきました。今ブレイクスルーを経験している人たちにも参考になることかもしれませんので、下記に記します。

一つの傾向

最大の奇跡は往々にして、人がほとんど帰ってしまった後で起きたということがまず第一にいえます。集会後の時間は「残照 残り火の光輝 afterglow」と呼ばれるもので、人々が集会で起ったことを小声で話しているようなときです。主はどうしてそのようなときに力強く働かれるのでしょうか?

人間的なエネルギー、興奮と信仰とは、時として見分けがつきにくいものですが、違うものです。真の信仰は多くの場合興奮を伴い、常に期待感を伴います。しかし、それはいつも同じではなく、往々にして間違いやすいものです。
真の信仰は静かなときもありますし、非常に控えめなこともあります。真の高揚も時として非常に静かで控えめです。また、両者とも大きな声ではしゃぐときもあります。みんな主によって違うように造られているからです。

私がドイツやスイス、スカンディナビア地方でミニストリーを始めた当初は、彼らの懐疑心の深いのには面くらいました。その時主が私に、彼らの懐疑心は悪いものではなく、良いものだといわれました。主に悟りを下さるように願ったところ、良い懐疑心は信じたいからのものであることと、彼らは私をくまなくチェックするから、私が本物をちゃんと持っていることが重要だと、主は教えてくださいました。これは「ベレヤの人々の信仰」であり、彼らはパウロの教えに心を開くと共に、すべてのことを聖書に照らし合わせて調べました。
それとは違い、悪い懐疑心は、疑いの思いが強く、あるかないかの小さな証拠で自分たちの猜疑心を肯定し、それをくつがえす証拠が山ほどあっても受け入れないのです。

良い懐疑心を持つ人たちとは一緒にやっていく価値があります。何度も訪れたときに、私の教えを疑っていたかに見えた人たちは、実はそのことを深く考察していたのであり、何年もたってから彼らは私が昔教えたことを細部にわたって言うことができるばかりか、それを検討し正しいと認めたときに彼らはその教えを実行して生きる人たちとなっていたのです。
これとは反対に、私の話を集会で聞いた時にはもっとも興奮したように見えた人たちで、その集会の直後にすでに何を聞いたのかを忘れて言えないような人にも沢山会いました。何年か後になって、そのような人たちは集会中昔と同じように非常に興奮しますが、その人たちの日常生活には真の霊的成長がほとんど見られないのです。
あなたならどちらの聴衆がいいですか? 興奮して聞いてくれる人に向かって話すのは楽しいかもしれませんが、本当に残る実のために私は深くものごとを考える人を選びます。
もちろん、興奮を身体に表して、しかも深い信仰をもつ忠実な人もいるでしょう。私が言いたいのは、肉によって見えることだけで判断しないで、霊によって判断せねばならないということです。

聖書の中で、イエスは水の上を歩くというような偉大な奇跡を、ほんの少人数しか見ていないところで行われました。大きな癒しの奇跡のあとには、誰にも話してはいけない、ただ祭司のところにいって神の感謝をささげよと言われました。どうしてイエスはみんなに話してもっと多くの人たちが自分を信じるようにされなかったのでしょうか?

ここに特異な真理があります。神はご自分を信じさせるために人を癒されたことはほとんどないのです。多くの場合、主を信じていた人たちだけを癒されました。もし神が、人々が信じるようになるために奇跡を起したいのであれば、ただ病人や盲人を癒すよりももっと大きな奇跡をされたことでしょう。ユダヤ人は天からのしるしを求めたのはそれでした。彼らは、太陽を止めるというヨシュアがしたような天のしるしをイエスに求めたのです。太陽を止めたり、ご自分の名前を天に星を並べて書くことによって誰も主を否むことが出来ないようにすることは、今日主にとって容易いことです。しかし、主がされようとしているのは、そんなことではないのです。

主が大きな奇跡をされた後、多くの者はその御業のゆえにもっと心をかたくなにし、もっと激しく主を迫害しました。彼らは心がかたくなで、主が死人をよみがえらせたときに主を殺そうと心に決めたのでした。偉大な奇跡や信仰は、人々をイエスへの信仰に呼び寄せるのではなく、大抵更なる迫害を起すのです。これと同じことが使徒やステパノに起ったことが使徒行伝を見ればわかります。

今主がしておられることを見て主を信じる人が大勢起されることは予測できますが、それは必ずしも奇跡が直接的な原因ではなく、聖霊の力を受けて大胆にされたクリスチャンが語る福音のメッセージによると思います。伝道は奇跡により頼むのではなく、聖霊が人々の罪を示し、彼らが十字架の贖いを必要としていることをはっきり悟らせることが真の伝道の方法です。勿論例外もあるでしょうし、奇跡を見てとか、病がいやされたから主を信じるようになった人を知っているかもしれませんが、それは主に仕えるようになった人の中では非常に少ないケースだと思います。10人の癒された盲人のうち、一人だけが主に感謝するために戻ってきました。主は人々を愛する故に今も癒しの業を行ってくださいます。しかし、最大の奇跡であっても、一人の主の後を追って仕える者を生み出さないこともありえるのです。

神は人を愛するゆえに癒しを行ってくださいます。人々が苦しむのを見ることを好まれません。神は私たちが奇跡を必要としているので、奇跡を起してくださいます。癒しのミニストリーには憐れみの心が絶対に欠かせない理由がここにあります。それは人間的な憐れみではなく神の憐れみであり、人間的憐れみとの区別をつけることを私たちは学ぶ必要があります。
人間的憐れみからとか、あるいは奇跡をもって主を証ししようとする人たちは、多分シロアムの池のまわりにいた総ての人を癒そうとしたことでしょう。しかし、神の憐れみはイエスにただ一人の人を癒すように導かれました。イエスがその男のところにいく途中では、多分もっとひどい状態の病人をまたいで行かねばならなかったことでしょう。しかし、イエスは人間的な憐れみによって動かされたのではなく、ただ天の父がなさっているのを見たことだけをされたのです。私たちが主に従順になればなるほど、主はもっと大きな力を与えて私たちに任されるのです。

しかしながら、その場の空気が信仰に溢れていることは、主が奇跡をする場合に非常に重要でした。不信仰があるところでは、主もあまり働くことができませんでした。ですから、癒しを受けた人を会衆に紹介して証をしてもらうことは多くの場合適切なことだといえます。それによって人々が自分にもその癒しがいただけるという信仰を持つ助けになるからです。私たちは主の恵み深いことを決して忘れてはならず、私たちが弱いときでも、不信仰にもかかわらず、主が多くのことをして下さるのです。しかし、人間的な興奮と真の信仰とを見分ける訓練をせねばなりません。真の信仰は時として非常にもの静かで控えめであり、それはちょうど、癒していただこうとして主の衣の裾に手をのばしてふれた内気な女のようなのです。

静かでおとなしい人たちを無視してはいけません。彼らは祈ってもらうために前に出てくるのさえ遠慮するのです。すべてがおさまって静かになってからでないと前に出てこないかもしれません。ステージにあがって証言するのが恥ずかしいような人たちが、非常に大きな奇跡を経験したことを私たちは見てきました。それは彼らが感謝の気持ちがなかったからではなく、明らかに神への深い信仰を持っていたのですが、ただ大勢の人の前で話すことが出来なかったからなのです。誰かに無理やり証をさせてり恥じをかかせたりすることはしたくありません。そう言う人には、メールや手紙で何が起ったのか知らせてくださるように頼みます。私たちが証にばかり気をとられないで、人々が必要なことを神から受けることにもっと注意を向ければ、もっと奇跡が起るようになると私は思います。

私はよい懐疑心と悪い懐疑心について学んだおかげで、起った奇跡が本物かどうかということを調べるためにあまり気を使わなくなりました。ある奇跡は私たちの目に前でおこりましたので、疑いの余地がありませんでした。しかし、自分の目で見ても疑う人もおりました!おわかりでしょうか?彼らは暗闇の中から出て光にくるのを恐れているのです。こういう人たちを信じさせようと一生懸命になりすぎるのは、彼らと一緒にブラックホールに落ちていくようなもので大変危険なわなです。事情が許せば、医学的記録などで証明しますが、私たちはただ主と主の御業に集中していようと心に決めました。良い懐疑心をもつ人たちによく調べてもらって奇跡が本物であるかどうかを証明してもらい、悪い懐疑心を持つ人は、彼らの好きなように信じてもらえばいいのです。(終わり)


トップへ戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-06-14 10:29 | アメリカからのメッセージ

聖霊による新しい力を得るには  坂 達也   6月9日

聖霊による新しい力を得るには 
―2008年のペンテコステの日曜日に際して―


イエスがヨルダン川でヨハネからバプテズマを受けた時、天が開いて聖霊がイエスの上に下りました。イエスはこの地上での御国を打ち立てるミニストリーを始めるに先立って、父が聖霊を送って下さることによって力を得られました。

イエスが昇天された後、使徒を含む120人が心を一つとして、アパー・ルームに集まって熱心に主を待ち望みました。そしてペンテコステの日に聖霊が下り、キリストの弟子たちは大いなる聖霊の力を得ました。その使徒たちを通して、ものすごいリバイバルが起きたのです。
又、このペンテコステの日に事実上、御国の教会が誕生したと言うことが出来ます。

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒行伝1:8)
それ以来二千年間、主は地域と時に応じて、聖霊の力を私たち教会に下され、それによって世界中にリバイバルが起きました。  

今フロリダ州レイクランドの一教会の集会(タッド・ベントレー師による)から端を発した「いやしのアウトポアリング」(噴出、発露)は、サウス・カロライナ州のリック・ジョイナー師のモーニングスター・ミニストリーを始め、世界中に飛び火しつつあり、私の知っている限り、オレゴン州でもこのハワイにもその火が燃え始めました。これは明らかに、神が聖霊を下されることによって起こるリバイバルの前触れと言って差支えないと思います。

私たち世界中に散在する、力のない弱い教会は、今こそ聖霊が下って得られる力、第二、第三のペンテコステを必要としているのではないでしょうか。
もし、レイクランドに起りつつあるリバイバルが、世界に広がることを主が初めから意図されているとすれば、多くの人が「私もそれに参加したい」、「どうしても火を持ち帰りたい」「乗り遅れるべきではない」と言う思い(一見人間的な感情のようですが)を持つのは、あるいは主のご計画であるのかもしれません。
総てのことは主がなさっておられるのですから、本当に主から示されたと信じる人は、ぜひ信仰を持って燃える火元を訪ねて下さい。ついては、私はそのような人が真の火付け役、真の聖火を運ぶ人になるために、次のことを申し上げたいと思います。

それは、この「リバイバル的な出来事」を私たちは単に「現象」として捉えてはならないと言うことです。それでは、どう捉えたらよいのか―それは神が起されるものすごいサイン&ワンダーを、現象としてだけ見るのではなく、それをされているのは誰であるかをはっきり認識し、火を起こされている天の父と御子をもっと近く寄って見つめるということです。これはちょうどモーセが燃えているが燃え尽きない柴を見て、それをもっと見ようと近づいたのと同じです。

エリシャはエリヤに二倍の分け前を要求しました。それに対してエリヤは、私が取り去られる時にあなたが私を見ることができれば、それがかなえられるとエリシャに言いました。(2列王記2:10)その後一台の火の戦車と火の馬が現われ、二人を分けましたが、エリヤはたつまきに乗って天へ上って行きました。
このたつまきと言うのは、ちょうどイスラエルの民をエジプトから荒野へ導いた「雲の柱」と同じで、主の臨在を表しています。タッド・ベントレー師のフロリダでのミニストリーにおいても、そこには毎夜濃厚な主の臨在が満ちていると言われます。
エリシャは、主ご自身が来られてエリヤを天に取られるのを見ていました。戦車と火の馬に目を奪われるかどうかがテストされましたが、エリシャはあくまでエリヤを見つめていたのです。

それはヨハネ14:12でイエスが「…わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。」と言われ、主イエスが父のみもとに昇天されるのを弟子たちが見ていた(使徒1:9)ことに通じると思います。

リバイバルを起されるのは、総て父と子と聖霊による神の救いの御業であることを忘れてはなりません。聖霊が下って主が顕著にご臨在される時、一度に多くの人が倒れたり、震えたりします。そして一度に多くの人がいやされたり、救われたりするのですからマス・プロダクションであり、人間的に見ればこれは確かに顕著な「現象」に見えることは否めません。しかし、実際にはいかなる救いのみ業であっても、あくまで神と人間とのパーソナルな関係においてなされるのであり、個人的に起ることとして捉えなければならないと思います。
神は人間と違い、一度に何百人の人に同時に個人的にお話が出来る方です。その意味でリバイバルはあくまでも個人ベースで起っていると見るべきでありましょう。

十字架についた父の愛、ひいては、実際に肉の形で私たち個人のために死んで下さったイエスの愛は、人間一人一人をとことん個人的に愛する愛です。概念ではありません。父にとって、人間一人一人がかけがえのない、愛して止まない息子であり、娘です。そして、父の愛を受ける人とは、父に「選ばれた人」であるのです。

私は今回の春の日本旅行で色々なメッセージを取り次がせていただきましたが、その中心となるものは天の父の愛についてでした。
父の一人子である小羊イエスが、私たちのために約二千年前に十字架でほふられたことはクリスチャンなら誰でも知っている事実ですが、その前に有史以前から、天の父ご自身が「ほふられた小羊(父)」であることを黙示録13:9「地に住むも者で、世の初めからほふられた小羊…」(新改訳*別訳、英語欣定訳等)と言う聖句から説き起こしました。
何故なら、「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができない、父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。」(ヨハネ5:19)と書かれてあるからです。御子は父が「十字架にかかった小羊」そのものであることを見て知っていたからご自身も同じようにされたのです。

「先ず自分に死ぬ」と言う十字架にかかった父の愛(の御性質)こそが、総ての宇宙の創造の原動力となりました。父は総てを子のため、私たちのために、とてつもなく大きく、とてつもなくすばらしい宇宙(究極の天国・パラダイス)を創られたのです。

私たちがその燃えるような父の愛のリバイバルの火を運ぶ人(今回のリバイバルだけでなく、将来においても)であるならば、その人が先ず聖霊に触れられてキリストに似た愛の人に変えられる必要があり、神はその人を圧倒的な聖霊の臨在の中で取り扱われ変えられると思います。

その意味において、火を運ぶ人にとって気をつけねばならないことは、あくまでその人は「へりくだる人」でなければならないことです。リバイバルが起っている現場に行けば、その人は濃厚なご臨在の中で、神から大きな聖霊の「油注ぎ」を受けます。
確かに私たちは何をするにも神からの油注ぎが必要です。この油注ぎは主の命令を実行するための特別の力です。しかし、それ故に持ち帰ったところで火が点くとしても、その燃える火が大きくなるにつれ、自分にそのような特別の力「能力」があると受け取ってしまう危険性があることです。それがプライドとなった時に過去において多くのリバイバルは止まりました。リバイバルが起ったところでは、往々にしてそれが終わったあとの状態は、リバイバルの前よりも悪くなると言われます。

主の元で主に従って働く私たちには、重ねて言いますが、絶対に「へりくだり」が必要です。それは父の十字架の愛を運ぶ私たちが、イエスがされたように、先ず自分自身を十字架につけなければならないことを意味します。

主のいやしは、リバイバルの時でなくても身の回りで多く起こっています。又、過去においては多くの場合、いやしの賜物をいただいた人を通して起されました。しかし、イエスに育てられた使徒たちがあれだけのいやしの器になれたのは、彼らが単にその賜物をいただいたからではないと思います。彼らの内に愛が成熟し、イエスに似た者となって十字架の愛と憐れみの心を持つようになったから、彼らは永続的に人を癒す器として用いられたのであると思います。

私もこの二、三年、日本の教会を廻るに際して、何とか癒しが起ることを願って主に祈り続けて来ました。それはいやしの賜物を下さいという祈りからではありませんでした。私たちが「キリストの弟子」として成熟するにつれ、主の愛の力の発露の管として主が用いて下さる「弟子」になりたいからです。今回の旅行でも各地で信仰によって癒しを祈り、信仰で確かにいやされたと信じ、その確信をもって今でも感謝し続けております。

そこでペンテコステの時のように圧倒的な聖霊の力が下る条件とも言うべきものは何であるかを考えてみたいと思います。

イエスが地上での宣教を開始された時、イエスはあくまでも父の全き御心のみを行う決意をされておりました。もう一度その御言葉を引用します。「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができない、父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。」(ヨハネ5:19)そして、総てにおいて父を見上げ、父の指示を待ちました。そのイエスの上に目に見える形で圧倒的な聖霊が下りました。
そして、使徒の時代のペンテコステの日に、主だけを待ち望む使徒たちの上に大いなる聖霊の炎が下りました。

イエスが弟子に教えられたことも、極論を言えば、この「愛する父に忠実な者となること」だけであったと言えます。
聖書は初めから終わりまで「神の御声に聞き従う」という忠実性を要求しております。そのためには私たちは主を見上げ、主の指示を待たねばなりません。自分のアイデアとか考えで事を運んではならないのです。
それが「日毎に自分の十字架を担ぐ」あるいは「自分に死ぬ」ことの意味であり、キリストの真の弟子であるクリスチャンとは「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)を実行する者になることです。

そのような主に個人的に飢え乾き、待ち望む人を今主は真剣に求めておられます。これがペンテコステの聖霊が下る条件であると信じます。

それ故に、主を見上げ主の御心を行うことだけを願って止まない人の上には、必ず個人的に、あるいはリバイバルと言う形を通して、これからは波状的に聖霊の大いなる「油注ぎ」が下ると信じます。何故なら主の忠実な働き手が「父のビジネス」を実行するには、その特別な「圧倒的油注ぎ」が絶対に必要であり、今こそ働き手を必要とする、大いなる最後の収穫の時が迫っているからです。

私は今アメリカを中心に起り始めているリバイバルの前触れが、その昔使徒たちの上に下ったような激しい聖霊のアウトポアリングに発展するかどうかはまだ分かりません。しかし、必ず来ます。何度も何度も段々激しくなって、最後の頂点では今までのリバイバルをはるかに越えた「聖霊の圧倒的働きの時代」になると信じます。

よみがえりの主が昇天するのを見た使徒たちのように、私たちも霊的に主を見ることが出来ます。今こそ、彼らのように主を見上げ、主を熱心に待ち望もうではありませんか。(終わり)

トップへ戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-06-09 11:26 | 坂達也からの今月のメッセージ

現在のリバイバルの経過と将来 (その1) リック・ジョイナー 6月5日

現在のリバイバルの経過とその将来 (その1)

リック・ジョイナー


非常にすばらしい神の動きが、今、アメリカで起っています。フロリダ州レイクランドで始まったリバイバルは目を見張らせるほどすごいものであり、しかも急速度で進展しています。私たちのミニストリーであるサウス・キャロライナ州フォートミルにあるヘリテイジ(Heritage International Ministries)の本部でも、同じようなリバイバルが起っていて、それは、ある意味では、今までの私たちのすべての経験をはるかに超えたものです。ここでも神の動きはますます激しくなってきているようで、多くの人々が神を体験するために遠くから訪れ始めました。霊のレーダーには、他の場所での神の動きに関するニュースも次々に入ってきております。

これは一体どういうことなのでしょうか? どこに向かって進んでいるのでしょうか? そして、どのような実を結ぶのでしょうか?これらの質問に答えることは、たとえ今はまだ部分的にしか答えられないとしても、大変重要なことです。私たちは一部分だけ見ることができ、一部分だけを知り、一部分だけ預言をします。確かに私たちは一部分しか把握していないことはわかっていますが、道をあやまらないためには、その一部分をしっかりと理解し、悟る必要があります。今起っていることを理解すればするほど、私たちはもっと前進することができ、より大きなインパクトを与えることができるのです。

私たちが今までに経験したことだけでも、すでに十分驚くほどすばらしいことなのですが、実はこれはリバイバルのほんの胎芽期にすぎないのです。今起り始めたことは実に、リバイバルを超えたもっとすばらしいものになる可能性を持っています。これはアメリカの次の「大覚醒 Great Awakening」、即ち、アメリカ全土に衝撃的なインパクトを与える国家的霊的リニューアルの始まりかもしれません。もし私たちがコースを踏み外さなければ、この国に神の御国を到来させる道備えが出来るのです。この覚醒なくして、アメリカは今までのような大国家として生き延びることはできず、スーパーパワーの抜け殻のようになってしまうでしょう。ですからアメリカに覚醒が起きるのは非常に重要なのです。

真のリバイバルは、ある教会が一週間の集会を計画することとは比較にならない程大きなものです。リバイバルはよみがえりの力であり、再び命を与えることであり、それこそがまさに今アメリカの教会が必要としていることです。アメリカで一番よい教会であったとしても、その教会には少なくともリニューアルや聖霊の新たな動きが必要です。しかし、ほとんどの教会は実際にリバイバルを必要としています。なぜならば、多くの教会は死んだ状態から生き返る必要があるからです。リニューアルであれ、リバイバルであれ、私たちは今神が送ってくださっているものをへりくだって感謝して受け取らねばなりません。その謙虚さを見て、神は私たちにさらに恵みを与えてくださるでしょう。

私たちはこのリバイバルをどうやって受け取ったらいいのでしょうか? レイクランドやヘリテイジ、またはどこでも神の動きが起っているところに行ってください。真のリバイバルは伝染していくものです。今ヘリテイジで起っていることは、レイクランドのリバイバルに行った二人の学生によって引き起こされました。彼らがレイクランドに行ったときの体験をバイブルクラスで話していたときに、竜巻のようなものがその部屋にやってきたのです。たちまち私たちの二つの学校と、そのスタッフ、そして学校に子どもを迎えにきた親たちまでもが、今まで経験したことがないと程のものすごい主の臨在の中にまき込まれていったのです。

主の臨在があまりにも強いので、私たちは毎晩集会を続けるほかはありませんでした。今それから一週間以上経ちましたが、臨在は弱まるどころかだんだん増し加わっています。私は多くの超自然的な経験をしてきましたが、現在の集会中は主の臨在があまりにも強くて、すべての者が恐れで一杯になることもあります。

C.S.ルイスはアスランというライオンを、キリストの型として描いていますが、「彼はおとなしいライオンではない」と書いています。集会の中で、油注ぎがだんだん弱くなっていく、と思った瞬間に、油注ぎの一番強い波が押し寄せてきて、私たちをよろめかすのです。チームの者の多くは、今までにも多くのリバイバルやリニューアル、その他の神の動きを経験してきていますが、今回の神の訪れの中で彼らがどれほど怯えているかを見るのは、私にとっても驚きであり畏れを感じさせるのに十分です。建物の中に誰もいなくなった時でさえ、背筋がぞっとするような臨在があります。いままでもこれに似たことはありましたが、これ程ではありませんでした。今回は本当に違います。

ヘリテイジで起っていることも、やはり伝染力があるようです。ヘリテイジで起っていることをEメールで読んだり、又ある場合などは、ヘリテイジのリバイバルの現場からの携帯電話を受けただけで、神の力に打ちのめされ、その人がいる地域でリバイバルが起り始めたという報告が入ってきています。それはちょうど、乾ききった薪の上に真っ赤に燃えた石炭のかたまりを投げ込むようなものです。(終わり)

(以上は4月30日付けで書かれたジョイナー師のメッセージ-<パート1.>の一部ですが、取り急ぎこれを今起り始めたリバイバルの速報としてお届けします。)


     トップへ戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-06-05 15:47 | アメリカからのメッセージ

フロリダ州レイクランドでのタッド・ベントレー師の癒しの集会について  坂 達也 6月4日

フロリダ州レイクランドでのタッド・ベントレー師の癒しの集会について

大阪堺市鳳の関西ハレルヤチャーチ小山良子先生より下記のすばらしいコメントが寄せられましたのでぜひ皆様にお分かちしたいと思います。

『 坂先生のHPに記載された「フロリダ州レイクランドにあるイグナイテッド・チャーチ(千人収容)で始まったタッド・ベントリー師による癒しのミニストリー集会」・・4月よりゴッド・TVでライヴ映像が流されていましたので注目していました。やはりそうでしたか!主は素晴らしいですね! ……

私もゴッド・TVを観ながら、主がなせる御業に感激し、興奮し、感動しておりました。ベントリー師は御霊の導きに委ねてミニストリーを行われますが、実は、野外でもたれたある日の集会のことが私の心に残っています。その集会は会場全体を包み込むような、それまで以上の深いご臨在で満ち満ちました。いつものようにベントリー師はステージの中央に出てこられたのですが、そのままメッセージも語れず、癒しのミニストリーも始めることができませんでした。幾度も涙をぬぐいながらそのまま更に深いワーシップへと導かれたのです。この日の癒しは格別なものとなりました。主が喜んで訪れて下さったのですから当然のことかもしれません。

あのとき確かにベントリー師はステージ中央に立っておられましたが、その姿勢はミニスターとしてではなく、一人の神を愛する礼拝者としての姿でした。ただひたすら主の御前で礼拝を捧げ続けておられたのです。それは作り上げられたものではなく、ベントリー師の主に対する信仰の姿勢が、そのまま壇上で表されたものだと思います。

ベントリー師のミニストリーには人を魅了するような作り上げたパフォーマンスも、見せ掛けのかっこよさも見つけることはできません。そこにあるのは御霊がキリストを求める人々の上に力強くご自身を現され、主の御業を御言葉通りに成就しておられるという現実だけです。新約聖書「使徒の働き」に、また次の1ページを書き綴っているような気持ちになりました。私は英語が全くできないので残念ですが、それでも霊的にひきつけられ、会場の一員のようになってネットですが集会に参加させていただいています(笑)。主の栄光ある働きを目にできることは大きな喜びであり、次は必ず日本だ!という希望ある信仰に立たされます。ハレルヤ!……』(終わり)


トップへ戻る
[PR]
by walkwithgod | 2008-06-04 02:13 | 坂達也からの今月のメッセージ