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報告 ジュディス夫人は無事もどりました  7月28日

報告です。ジュディス(グルーバー)夫人は無事アフリカから戻りました。
皆様のお祈りを心より感謝申し上げます。


今はオハイオ州からアイオワの自宅に帰宅する途中です。詳しくは又、お知らせします。
取り急ぎ皆様に御礼方々ご報告申し上げます。        坂 達也


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by walkwithgod | 2008-07-28 04:52 | 坂達也からの今月のメッセージ

ホノルルの祈りの塔についてのより詳しいレポート 7月27日

ホノルルの祈りの塔についてのより詳しいレポート

以下のメッセージはリバイバル新聞最近号に報道されたレポートの原文です。尚、写真は前回掲載したものとは違う新しいものです。坂 達也

エンド・オブ・ジ・アース・プレヤー・タワーの開所式                             
ホノルル市のダウンタウンにある37階建てのセンチュリー・スクエアー・ビル(住所1188 Bishop St. Honolulu)の最上階全フロアーが常設の「祈りの塔」として、去る6月28日に正式に発足した。この日、二百人余の参列者が集まり、盛大な開所式とその祝賀会が行われた。この祈りの塔は、ホノルルにあるベス・イスラエル・ジューイッシュ・ミニストリー・インターナショナル(代表ラビ・ダニエル・バーガス師、本部事務所は同ビル六階にある)が五年間の祈りの実として実現したもので、このビル屋上の中心部に同じビル内にあるクリスチャン・テレビ局ラ・シア放送のアンテナ鉄塔が立っており、その鉄塔階下の屋上はほとんど使われていなかったが、そのテレビ局とビルの持ち主の好意を得てその全フロアーが提供され、祈りの塔が実現したものだ。元々コンクリートのままであった床壁はきれいに塗装され、外側窓沿いに世界各国の旗が立てられている。

a0051378_4153478.jpgこれに先立ちバーガス師が昨年エルサレムを訪れた際、「エルサレム・プレーヤー・タワー」にその代表者ウエイン・ヒルズデン牧師を訪れ、ホノルルの塔が、エルサレムに続くものとして霊的な提携関係に入ることへの賛同を得た。その結果、今回ヒルズデン師を招き、師からの油注ぎの分与と祝福を得て正式に開所式の運びとなったもの。

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この祈りの塔が「エンド・オブ・ジ・アース・プレーヤー・タワー」と名付けられた由来は、ハワイがイスラエルから最も遠い地点の一つにあることから、使徒行伝一-八 「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」の「地の果て」(の英文)を引用したものであると言う。

この開所式を中心に「預言的エルサレム・カンファレンス」が三日間に渡って開かれた。初日の夜、祈りの塔と関連して先ずヒルズデン牧師からエルサレムの祈りの塔が設立されたいきさつとその証が披露された。続いてバーガス師より、世界に広げる「祈りの塔のミニストリー」のビジョンが披露された。それによれば、ホノルルの次は来年コロンビアのカリ市に、その翌年には香港に祈りの塔が設置されると言う。会場では来賓として来たコロンビアからの代表者が紹介された。今回開設された祈りの塔は、ホノルル市内にある全クリスチャン教会に解放し、希望する教会に割り振って各教会が自由に、イスラエルとエルサレム、世界各国の救いのため、又、地元の人たちのために祈りを展開することが予定されている。その説明の後、「太平洋の真ん中にあって、存在としては全く微々たるこのハワイを神は終わりの時に今大きく用いようとされている」と力強く語るバーガス師は、この地において既に着々と実行に移されつつある将来の雄大な計画があることを披露した。

先ずオアフ島西南部に今二〇四エーカーの土地が与えられ、そこに州の協力を得て、地元の低所得者救済のための住宅開発とリハビリ福祉施設を建てると共に、環太平洋の諸国からクリスチャンが集まって利用できるカンファレンス場と宿泊施設、キャンプ場、学校等が建てられる構想があり、最初に二千人収容の礼拝集会堂の建設が予定されていると語った。そして、二〇一〇年秋には、世界中のクリスチャンとユダヤ人に呼び掛けて、ハワイで盛大に仮庵の祭りを祝う計画があることが発表された。これは迫り来る終末の時に、世界中のユダヤ人と異邦人を一つにする神のご計画の一端をハワイが受け持つという大きなビジョンである。

二日目は、開所式の後の祝賀会で、ラビ・バーガス師とその家系の歴史が紹介された。バーガス師はニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人で、イスラエルで正式にラビの資格を取り、1981年以来ハワイに家族で移住してミニストリーを設立した。先祖はユダ族、ジャファの出身で、その後北部スペインに移住したと言う。十四世紀に至って、バーガス家の高い山の中の土地に十二弟子の一人であるヤコブの遺骸が埋められた墓があることが発見され、バーガス家の先祖がヤコブの墓を守って来たと言う劇的な話が披露された。

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a0051378_15411386.jpgカンファレンス最終日には、二〇一〇年に予定されている大会の用地となる八四エーカーの土地に案内された。ホノルルの東南端ワイマナロ地区にあるその場所からは、真下に美しい海が見え、背後にはそそり立つ岩山がそびえると言う実に雄大な場所である。その山と海の中間の小高い部分に平地があり、そこにモーセの荒野の幕屋を再現させると言う。私自身ここはすばらしい祈りの山になると言う思いで感動した。現地では先ず、この土地が神によって選ばれた特別の地であると言う、バーガス師と土地の持ち主(クリスチャン)からの証しがあった。持ち主はこの一年ほど、この土地をどう活用すべきかについて熱心に祈って来た結果、少しずつ具体的なビジョンを主から示された。そしてバーガス師と出会い、主がバーガス師に与えて来たビジョンと持ち主に与えたものとが全く同一であることを知り、持ち主はその場に泣き崩れ、直ちにその土地を主に捧げる決意をしたと言う。現場を案内された私たちは、荒野の幕屋が建つと言う平地の部分を祈って歩いていると、ホノルル在住のイスラエル人女性が「ここに主がおられる。靴をぬぎなさいと言われたようだ。」と叫び、近くにいたヒルズデン師が「私も同じことを感じていた。ここは主の油注ぎが溢れる神聖な場所です。」と同意した。最後に参加者全員が靴を脱いで主を礼拝しコンファレンスは閉じられた。

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 最後に私自身の感想を申し上げたい。私たち夫婦はつい最近このミニストリーに導かれたが、七〇歳のバーガス師がユダヤ人と異邦人を一つにする終末の世界的大命令のために、主が特別に用意された器であることを疑わない。個人の栄誉を一切捨て、長い忍耐の時期を耐え抜いて来た徹底した祈りの人である師が、ユダヤ人として既に充分な代価を支払った人であることを疑わない。土地が希少で値段の高いこの小さな島でこれ程大きなビジョンが矢継ぎ早に実現して行くことを目の当たりに見て、私たちは神への畏敬の恐れすら禁じえない。ひとえに終末が迫って来ていることを強く感じる。バーガス師は今エルサレムに大きなリバイバルが起ると言う。ぜひこのミニストリーのために日本の皆様に祈っていただきたいとバーガス師と共に心からお願いする次第です。(終わり)


 最後の写真は左からヒルズデン師、ホノルル市会議員オキノ氏と私(後ろ向き)

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by walkwithgod | 2008-07-27 15:55 | 坂達也からの今月のメッセージ

秋の来日予定

秋のミニストリー予定

ヘンリーグルーバー師は10月7-8日に日本に到着、11月11日まで滞在します。この間の予定は未だ決まっておりませんが、今年から総ての予定作成は森章先生が担当しますので、ミニストリーご希望の方も含めお問い合わせは森 章先生までご連絡下さい。

ほぼ同時期に坂 達也・柚実子も来日しますが、その日程もまだ決まっておりません。8月中には決定する予定です。お問い合わせは坂 達也までお願いします。


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by walkwithgod | 2008-07-25 15:04 | ミニストリー予定

リバイバルは始まったばかりです リック・ジョイナー 7月25日

リバイバルは始まったばかりです

リック・ジョイナー

先日の日曜礼拝で、出席者に対して次の質問のアンケートをとりました。
1.リバイバルを通してイエスを信じた人は?
2.クルセードや伝道集会を通してイエスを信じた人は?
3.クリスチャン・テレビを通してイエスを信じた人は?
4.友達や親戚の証を通してイエスを信じた人は?

その時の礼拝には千名ほどがおりましたが、結果は次のようなものでした。
1.3人
2.7,8人
3.4,5人
4.その他の全員

私はこれまでも同じ質問を多くのクリスチャンの集会、教会、カンファレンスでしてきたのですが、結果は基本的にこれと同じでした。
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この結果からまず初めに引き出せる結論は、一番効果的な伝道の力は活気のある教会が持っているということです。教会が励まされ元気になると、みんなが自分の信仰を友人や親戚に証しするようになります。そして、これこそすべての伝道方法の中でも飛びぬけて効果的なものなのです。


「新しく人が救われてこないならば、それは真のリバイバルとは呼べない」と多くのクリスチャンが言っているのを私は知っています。また社会に影響を与えてトランスフォーメーションを起こさないならば、それは真のリバイバルではないとも言われます。私もこの意見に同意するものです。しかし、真のリバイバルかどうかを本当に正しく判断するためには、長期間に亘っての成果を見てゆく必要があるのです。

もしリバイバルが教会をリバイブするだけだとしても、それはすばらしいことです。リバイバルを伝道集会にするよりも、教会がリバイブされたほうが多くの魂が救われることになるでしょう。同じように、第二次霊的大覚醒のときのようにリバイバルを政治的な働きにするよりも(第二時霊的大覚醒のときはそれが南北戦争へと進展していきました)塩気をとりもどした塩によって社会はもっと大きな影響を受け変革されるでしょう。


リバイバルに本来の役目を果たさせることによって、政治的にも社会的にも大きな影響を与えることができるのです。勿論、民主主義社会の中で私たちは機会を与えられているのですから、政治的にも参加するべきです。これはクリスチャンの権利というよりはむしろ義務です。しかしながら、リバイバルは直接的な政治行動のために与えられているのではなく、間接的に都市、州、あるいは国を神の義へと正していくものです。


「リバイバル 」という言葉は「リバイブ」から来ていますが、それは教会に再びいのちを与えるとか、あるいは、死んでいる教会を甦らせることを意味します。これはいろいろなレベルで起こります。眠っている教会の目を覚まさせることや、全くいのちが無いけれど霊的ライフサポートによってかろうじて生かされている教会を甦らせることまであります。一つの教会で起こるかもしれませんし、その地区の教会全体、しいては世界的なキリストのからだに影響を及ぼすこともあります。


リバイバルが来るときはそれが本当に必要とされていたのであり、それは私たちの必要を満たすために神が与えてくださる恵みです。私たちはそれを大喜びで受け取り、その波にうまく乗ってできるだけ遠くまで行くべきです。しかしながら、それが神のムーブメントの最終的なものではなく、むしろ始まりであることを、常に心に留めておかねばなりません。教会がリバイブされたならば、それからすべき仕事が沢山あるのです。そして教会が果たすべき仕事をキチンとするならば、もう再びリバイブされる必要はないはずです。
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リバイバルが送られる目的が教会をリバイブするという性質上、それは人生で最も私たちをわくわくさせる、エクサイティングなものの一つです。この理由で、多くの者がリバイバルの雰囲気の虜になって、そこから離れたくなくなってしまいます。それは理解できることではありますが、私たちが本当に成熟するためには、ある時点でそこから離れることが、普通、必要とされます。

私たちが求めるべきことはリバイバルの雰囲気ではなく、神に近づくことです。リバイバルの雰囲気とは、主の臨在に加えて大勢の人から出る偉大なエネルギーです。これはリバイバルにとって正当なことですが、人間的な興奮も伝染するものだということを認識していなければなりません。クリスチャンたちが再びエキサイトするのを見るのは大変すばらしいのですが、このエキサイトメントはそれで終わるのではなく、生活の中で神の御心に従うという実を結んでいかねばなりません。

歴史上最も偉大な神のムーブメントで永続的な実を残したものの中には、リバイバルを出発点としていず、今のリバイバルの定義にはあてはまらない経過をたどったものがあることを、私たちは忘れてはなりません。その一つはモラビアンでしょう。彼らはおそらく教会史上のどのムーブメントより永続的な実を残し、キリストのからだと社会全体に最も広く影響を与えました。

確かに彼らは「モラビアン・ペンテコステ」と呼ばれるものを経験し、聖霊が「ペンテコステの日」のように彼らの上に降りました。しかし、彼らは世界で最も困難な場所で骨を折って常に働き、その実は当時の他のムーブメントと比べればほんのわずかなものでしたが、それを蒔いたのです。そして、彼らが蒔いた種は、過去数百年にわたり、第一と第二の大覚醒、近代のいくつかのミッション、偉大な祈りのムーブメント、そして現在に至るまで様々なものを生み出してきたのです。全く多くの実ではありませんか!


ヴァンス・ハヴナー師(1901-1986)はリバイバルをデパートの大セールにたとえました。大セールは広く宣伝され興奮を呼びますが、これがデパートの通常の商売ではありません。通常の商売は毎日の忠実な商品の商いです。それと同じように、リバイバルは教会の中で最も報道されエクサイティングなことであり必要なことですが、それは教会の働きの中の小さな部分でしかありません。大セールはやがて終わりますが、デパートがなくなるわけではありません。リバイバルが過ぎていくとき、リバイバルによって生まれたモーメンタムは失わないで、私たちも同じように日常の仕事に戻らねばならないのです。


それはともかく現在私たちはリバイバルを迎えていて、しかもそれは始まったばかりですし、このリバイバルのピークを見るのはずっと先のことになるでしょう。私が信頼している預言者たちの言葉によると、このリバイバルは三年続くといいます。それはリバイバルとしては長い期間と言えます。しかし、リバイバルが終息しても、すべてが終了するわけではありません。もし私たちがその次の段階にうまく移行できれば、神の御業は止まらずにもっと高くもっと深く変化しながら進んでいきます。絶えず変化していくのは、幼児が成熟した大人になるまで絶えず変わっていかねばならないのとちょうど同じです。


高い軌道にのる

この移行が知恵と戦略をもって遂行されるならば、私たちはリバイバルが終息するときに後ろ髪を引かれるような思いはなく、むしろ新しい何かにむかって進むという期待感を持つと思います。この移行の過渡期を知恵と戦略を持って進むためには、まずリバイバルを中途半端に終わらせてしまうのではなく、リバイバルがそのすべての任務を成し終えるのを許さねばなりません。

何年も前のことですが、夢やヴィジョンや御ことばを通して、私たちのミニストリーは発射されたロケットに喩えられてきました。この喩えは正確なもので、ミニストリーが辿ってきた各段階を通じて非常に私たちの役に立ったことが証明されました。そしてこの喩えが今キリストのからだ全体に訪れていることにも適応すると思います。

ロケットの発射直後と同じように、ロケットが次の段階に切り替わる所に到達するためには「ブースター」の燃料はすべて燃やされねばなりません。リバイバルは単に最初の段階かもしれませんが、私たちが召されている軌道に乗るためにはその段階が途中で止められたり、次の段階に時期尚早に火がつけられたりしてはいけないのです。


もし最初の段階、即ち教会を生き返らせ励ます段階がその目標を達成するならば、次の段階、即ち失われた魂の救いは、今その第二段階を早急に始めてしまうよりもずっと大きな成果があるでしょう。現在、多分そしてこれから 2,3年の間は、この教会を励ますことが私たちにできる最も重要な仕事でしょう。もう一度申しますが、世界で一番効果的で力ある伝道は、勇気づけられた元気な教会なのですから。

私たちはサタンからの圧迫を受けて悩みがあったり病気だったりすると、力を奮い立たせることは困難です。ですから今日教会のために癒しや奇跡、開放が強調されるのは大変重要なことなのです。やがて時が来れば教会は癒され、私たちは次の段階に進むことができるでしょう。そして癒された者たちが今度は失われた魂の癒し手になるでしょう。

それと同じように、ロケットの第二段階は、私たちが召されている軌道に届くための第三段階に移行する前に、完全に燃やされねばなりません。第三段階とは社会のトランスフォーメーションです。この段階に正確な速度と高度で入ることは大変重要です。これが今起こっていることの最大の目的だからです。

黙示録にある終わりのラッパ、あるいは神のメッセージは「われわれの神は王となられ、すべ治められる。」(黙示録19:6参照)、即ち、御国の福音です。この福音は一世紀以来語られていませんが、主が再臨されるまでに世界中で語られねばならないことです。教会はこの福音を語り、しかも御国の力を持って実際に生活している立場から語るために、いま調えられているのです。つまり主の道を備えるために備えられているのです。

主は来られます。主は地上に主の御国を建てられ、御心が天で行われるように地でも行われることを実現されるのです。イザヤ40章にあるように、主の道を整えるとは、大路、ハイウェイを作ることです。神のハイウェイは「higher way より高い道」であり、主に到達する道です。このハイウェイや御国の福音のついてはいずれ詳しく述べたいと思いますが、今は神がしておられることを理解し、その恩恵を十分に受けることが大切です。

すでに述べたように、早まって第一段階を放棄して、ロケットが必要なスピードと高度に達する前に第二段階を点火しようとすると、目指す目標に達することは不可能になります。これは第二段階から第三段階への移行に関しても同じことが言えます。多くの人が第二と第三段階のために調えられていますから、彼らが早く自分の仕事をしたいと思うのは無理もありません。しかし、彼らも、そしてまた教会も、そのときが来るまでは本当にはまだ整えられてはいないのです。

現在神の第一段階の働きの火が燃え続けていますから、このロケットはより速くより高く飛んでいくことが期待できます。より高いとはもっと偉大な奇跡という意味であり、より速くとは奇跡がもっと速く起こるということです。私たちが横に逸れずに進んで行き目指す軌道に到達するならば、これからの教会はこのような奇跡が起こるのが普通のこととなるでしょう。

揺り動かし

私は宇宙飛行士を何人か知っていますが、皆がロケット発射のときのすさまじい揺れについて話してくれます。初めての人はひどい振動でロケットがばらばらになってしまうと感じるかもしれません。現在起こっていることは、ある大いなることが打ち上げられたのであり、全教会が揺り動かされることが予測されます。それは教会がばらばらになってしまうのではないかと多くが疑念するほどです。そんなことにはなりませんが、私たちにはこの揺り動かしが必要なのです。ヘブル12章で言われているように、すべて揺り動かされるものは揺り動かされて、神からのものだけが残るのです。神からのものは揺り動かされた後にも必ず残ることは確かです。

発射されたロケットの喩えを使えば、現在の神の動きは発射台を離れたか離れないかというところで、第一段階が終了するまでにはまだ長い道のりがあります。揺り動かしは更に激しくなり、第一段階の期間中続くでしょう。第一ブースターが燃え尽きるころには、揺れは少し納まるでしょうが、私たちが目指す軌道についに到達するまではなくならないでしょう。


多くの揺り動かしは迫害の故ですが、そのほとんどは宗教的な人々からのものです。歴史を見ると、新しく始まった神のムーブメントに対する迫害は、その一つ前に起こったムーブメントのリーダーたちから起こされます。この大いなる悲劇は過去のリーダーによって達成された多くの実(それは彼らが迫害する新しいムーブメントに備える助けもしたのですが)を疑いもなく帳消しにしてしまいます。この悲劇は往々にして避けることができません。それは堕落の前にプライドが来るからであり、神に大きく用いられた器がプライドという最も恐ろしい罠を逃れることはほとんど不可能なのです。プライドは容易に嫉妬心を抱くものです。イエスが十字架につけられたのは嫉妬心故だと書かれています。(マルコ15:10)一番小さな者にするのは主にすることです。主のメッセンジャーの一番小さな者であっても、もし私たちがその人を迫害したり拒んだりするならば、それは即ち主を拒んでいるのです。

しかし、このようなことが起こったとしても、私たちは驚くべきではありません。それは残念ながら常に起こるパターンだからです。そうであっても、主は主と共に前進してゆく者たちを清めるために大きな揺り動かしを用いられます。神のムーブメントに対する迫害が、以前偉大なリーダーシップをとっていた自分の尊敬する人からである場合は、非常な混乱と失望を招きますが、これは聖書的にも歴史的にも、常に起るパターンなのですから、私たちは驚くことはありません。これに関する警告はダニエル11:33-35に書かれています。

「民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。 彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。」

シートベルトをしっかり締めてください。人生最高の飛行に飛び立つのです!ゴールに到達するのは簡単ではないでしょうが、そこはすばらしいところなのですから!(終わり)

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by walkwithgod | 2008-07-25 14:49 | アメリカからのメッセージ

ハワイの教会情報  坂 柚実子  7月22日2008年

ハワイの教会情報

といっても、私が知っているのはほんの一部ですが、ハワイに沢山教会があることの例として、うちの近所の様子をまず書いてみます。

私たちが住んでいるハワイカイのマンションから歩いて行ける教会が少なくとも5つあります。でも教会の建物を持っているのはそのうち一つだけで、あとは礼拝の時間の間だけ場所を借りて集会をしているものです。まず、道路に出て右の方に歩いていくと、ショッピングセンターの中に映画館があり、そこでアッセンブリー・オブ・ゴッドが礼拝をしています。そこから道路をわたってココ・ヘッド・パーク内に行きますと、その集会所を借りてホープ・チャペル・ハワイカイが礼拝しています。少し戻ってくると、ちゃんと建物のあるハワイカイ・チャーチ(バプテスト)があります。ここは幼稚園もやっています。そして、マンションの前にはカイザー高校があるのですが、そこのカフェテリヤでは、朝はニュー・ホープ・ハワイカイが2回の礼拝、夜はハーバー・チャーチが礼拝をしています。他にも小さなハウス・チャーチがいくつかあることを聞いております。

ウェイン・コーディロ師をリーダーとするニュー・ホープ・クリスチャン・フェローシップとラルフ・モア師をリーダーとするホープ・チャペルは、どんどんと新しい教会を作っていて、両者ともフォー・スクエア教団ですが、そのやり方は少し違うようです。

ニュー・ホープは、新しい場所には牧師を立てワーシップチームも結成しますが、説教はコーディロ師のDVDを大きなスクリーンに映し出して見る週が多いようです。これですと、学校の施設などを借りればかなり簡単に新しい教会を始めることができます。コーディロ師はそれらの牧師たちの育成に力を入れています。コーディロ師のメッセージはわかりやすく、実践的で深い、という3拍子そろったものなので、多くの人が集っています。教会全体としては1万人を超えていますが、それぞれの地域にある礼拝での交わりは親しいものとなっています。

ホープ・チャペルのほうも、いろいろな場所を借りて牧師と少しのメンバーで新しい教会を始めます。モーア師の指導は受けますが、各教会は独立していて、そこに立てられた牧師が説教を行います。50人くらいのメンバーでも、そこには次に細胞分裂して牧師になるべき訓練中の人がいます。ワーシップチームも結成されています。中には教会として集まるのは年に4回ほどで、あとの週は数家族があつまってホーム・チャーチをしている教会もあります。一つの集会を大きくするのではなく、主との交わり、メンバー同士の交わりが深いグループをたくさん生み出していこうとしているのが、ホープ・チャペルのやり方です。

それから、前にもご紹介したことがありますが、パラ・チャーチの働きをしているLaulima  Ministries Internationalという団体があります。ディーン・フジシマ師がリーダーですが、毎週二回の癒しの集会に加えて、年に数回講師を招いて大きな集会を開きます。アメリカばかりか世界的に活躍している講師が来ることが多く、教団教派を越えて多くのクリスチャンが集まります。先回の春の集会にはカリフォルニヤからビル・ジョンソン師を迎えましたが、200の教会からの参加者があったということです。主人と私も参加しましたが、多くの教会の牧師たちを始め、集まった人たちが互いにハグをし、一つになって主を賛美する姿は本当にうるわしいものでした。開会式はハワイ語とヘブル語のチャントから始まりましたが、ハワイ原住民とイスラエルに敬意を払うという意味だったと思います。

最後に最近私たちが連なっているラビ・バーガス師が導くBeth Israel Jewish Ministries International をご紹介します。メシアニック・ジューの集まりで、金曜日の夕方7時、即ち安息日の始まりの時間に集会をしています。イエスを信じるユダヤ人のグループですが、キリスト教の深いルーツを知りたいと思うユダヤ人以外のクリスチャンも集っています。いくつもの角笛を吹き鳴らし、ろうそくを点して安息日を始める儀式を行います。ユダヤ人へ福音を伝え、クリスチャンにイスラエルを愛する心を教える、そしてユダヤ人と異邦人の一致をもたらすということを使命としています。バーガス師は70歳ですが、聖霊に満たされてダビデのように踊られます。主人もいずれ踊りだすかもしれません。お楽しみに。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-07-22 16:28 | 柚実子からのハワイ便り

神によらないとりなしを悔い改める祈り  ポール・コックス  7月18日

神によらないとりなしを悔い改める祈り

ポール・コックス

この祈りが生まれたいきさつ

私がノース・キャロライナのアッシュヴィルでミニストリーをしていた時のことですが、一人の婦人が膝の痛みを訴えてきました。彼女のために祈ったところ、この婦人はとりなし手であることを自分のアイデンティティーにしていたことが明瞭になりました。彼女もその通りであることを認めました。彼女は自分の放埓な息子のために祈るとき平安がありませんでした。絶えず祈り断食せねばならないように感じていました。
 
彼女のために皆で祈っていると、彼女が傷を受けた幼いころの記憶を主が思いおこさせ、その時点にまで彼女を連れていきました。4歳の彼女は男の人たちを恐れて隠れていました。そしてイエス様にも会いたいとは思っていませんでしたが、しだいにイエス様は安全な方であり、自分の隠れ場所にお招きしても大丈夫な事がわかりました。そこで彼女はイエス様を招き入れ、イエス様は彼女を癒し清めてくださいました。

そして、女の子とイエス様が遊んでいたときに大きな転機が訪れました。それは彼女がイエス様に自分の人形を抱くことを許したことでした。そして、彼女は人形の世話をイエス様に任せても大丈夫なのだから、自分の息子の世話もイエス様に任せることができるのだとわかったのです。自分が息子を愛するよりも、イエス様はもっと息子を愛していてくださることがわかったのです。今までずっと自分で背負ってきた息子やその他の重荷を、彼女はイエス様に渡しました。
彼女は今までは、自分の力でがんばる、努力の業に基礎をおいた、神によらないとりなしをしてきたのです。そのようなとりなしによって膝に付着してしまった彼女の不従順を取り去ってくださいと、私たちは主に祈りました。彼女がとりなしの重荷を主に明け渡し安息に入り、自分の心配事を完全に主に委ねたときに、彼女の膝の痛みは去りました。この経験から「神によらないとりなしの祈りを悔い改める祈り」は生まれました。

神によらないとりなしを悔い改める祈り

自分と自分の家系のために、今まで口にした神によらないすべての邪悪な祈り、人をコントロールする魔術の祈り、信仰からではなく恐れから生まれた祈りを悔い改め断ち切ります。主よ、どうか私の人生から、私のDNAから、そのすべての悪を取り除いて、あなたの臨在と聖霊の力を私の人生に取り戻してください。

私と私の家系が、あなたの言葉を待って仕えずに、自分の持ち場を離れて見張りを怠ったことを、悔い改め断ち切ります。私は今城壁で見張り役になり、主を待ち望み、主が私に語られるのを聞くことを選び取ります。主よ、これからの世代がそれを持って走れるように、まぼろしを書き記すことを選び取ります。私はまぼろしが遅れることのないように、主のタイミングを選び取ります。(ハバクク1:17-2:3)

主にではなく自分の悟りにより頼んだことを、そして主よ、あなたの御心ではなく自分の思いを祈ったことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。あなたの生ける御ことばにより頼まず、あなたが豊かに与えてくださるいのちの代わりに死を私の愛する者たちの上に語っていたことを、悔い改め断ち切ります。

あなたの御心と望みを祈り求めるのではなく、私たちの思いと願いを祈り求めていたことを、私と家系のために悔い改め断ち切ります。神よ、全能のあなたをみくびり、あなたを通してなら総てが可能であることを信じて来なかったことを悔い改めます。

あなたからの夢があまりにも大きいので、それを受け取らず祈りもしなかったことを、悔い改め断ち切ります。どうか私のうちに信仰と期待という賜物を与え、あなたには私が考えたり想像するよりもっとすばらしいことが可能なことが理解できるようにしてください。あなたが私に与えてくださった夢や願いを受け取り、あなたにはすべてが可能であることを信じることを私は選びます。

自分に与えられた権威の領域から出てしまい、あなたが戦えと命じなかった戦いを戦ってしまったことを、悔い改め断ち切ります。

自分の周りで起こっている状況を見て、肉的で世俗的な立場からのみ祈ったことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。主よ、主との交わりや真実を土台としていないものに誤ってより頼み、その結果失望させられた私をお赦しください。あなたは私の罪の代価をすでに支払ってくださいました。

疑い、不信仰、自己義認、プライド、嫉妬、ねたみ、恐れ、かたくなさ、競争心、利己的野心、裁き、欺きから祈った祈りを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。主よ、私の中にある苦々しい裁きの根を、どうか取り去ってください。罪を土台にしたすべての邪悪なとりなしの祈りを取り去ってください。ブレイクスルーの天使を遣わしてくださり、すべての神によらないとりなし、祈り、自己義認の祈り、すべての肉的な祈り、健全でない祈りをうち破り、打ちこわし、消し去り、破壊するようにお願いします。私は力と愛と慎みの中を歩くことを選び取ります。

自分の利益のために利己的な動機で祈った人をコントロールし操縦する祈りを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。(イザヤ54:17)父よ、すべての肉的な祈り、神からではないとりなし、預言、宣言によって私や家族に降りかかったのろいを取り去り、無効にしてください。それと共に、私や私の家族のために祈った人が、主の御心でなく彼らの思いで祈ったゆえに、それを知ってしたか知らずにしたかにかかわらず、私と私の家族にのろいをもたらしたことを赦します。

あなたと共に天の御座に座して安息して祈るのではなく、不安と心配で苦しみながら切迫感をもって祈ったことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。主よ、あなたが私のために用意していてくださる勝利にだけ目を留めることを私は選び取ります。(ピリピ4:6)

あなたからのとりなしの重荷ではなく、宗教的、組織的そして人間が作り出したとりなしのくびきを負っていたことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。どうか私と私の家系から、邪悪なくびきと偽りのとりなしの重荷を取り去ってください。私が神からではない宗教的、組織的権威と交わしたすべての合意を破棄します。

すべての邪悪な呪文、儀式的な繰り言の祈りを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。どうかこのような不義の祈りによって力を得た邪悪な霊的勢力と、活性化されたのろいを取り去ってください。人間が作りあげた儀式により頼んだことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。主よ、神の御心に従って私のうちにとりなしを与えてくださる聖霊に服従しなかったことを悔い改めます。(ローマ8:26-27)

あなたの御国を第一に求めず、あなたが私の必要をご存知であり、それを満たしてくださることを信用しなかったことを悔い改めます。私が神の国を第一に求めるときに、これらすべてのものは与えられるという約束を私は受け取ります。(マタイ6:31-34)

主よ、天が雨を送り地に実りがあるまで産みの苦しみを続けたエリヤのように、あなたの目的が成就するまで祈り通さなかったことを、私は悔い改めます。(ヨハネ16:21、ヤコブ5:17-18)主よ、流れのほとりに植えられ時がくると実がなる木のように、私が何をしても栄えるようにしてください。(詩篇1:3)
主よ、不信仰な祈りをして、あなたが病人を癒す方であるという信仰をもたなかったことを、私と私の先祖のために悔い改め断ち切ります。(ヤコブ5)主よ、信じる者にはすべてのことが可能であるという信仰を持って祈り、あなたに喜んでいただけることを願います。あなたは良き方であり、すべての良い完全なギフトは光の父であられる主から来ます。

敵の巧みな罠やまどわし、策略にだまされ、神から与えられている権威を敵に明け渡してしまい、その結果、私の祈り、宣告、宣言、又私自身が影響を受けてしまったことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。あなたが真理を示してくださったので私が悔い改め、権威を取り戻すことができたことを感謝いたします。

お世辞、へつらいに耳を貸し、それによって自らに偽りと破壊を招いたこと、また、利己心から人をコントロールするために神の真理を曲げたことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。(詩篇12:2、箴言26:28、ローマ16:17-18)

私と私の先祖のために悔い改め断ち切ります。日毎にあなたを求めることをせず、あなたの道を知ることを喜ばず、祈りと断食の日に自分の好き勝手なことをしたことを。断食と祈りという外面的行為だけで結果が得られると思い、心の中の憎しみや不和をそのままにして、主の子供たちをのろったり、殴ったり、搾取していたことを赦してください。主よ、私はあなたが選ばれる断食を選びます。不正の鎖を解き放ち、虐げられた者のくびきを砕き、飢えた者に食べさせ、ホームレスの人々を助け、裸のものに着せることを。(イザヤ58)私は義を行い、公正を求め、虐げられた者を励まし、みなしごのために正しい裁きをし、やもめのために弁護することを選び取ります。(イザヤ1:12-20)

私と私の家系のすべての女性のために悔い改め断ち切ります。自分が男性にとって聖霊でもあるかのように振舞うことを自分に課したことを。結婚生活の中で男性が霊のリーダーになることを許さず、自分がその地位に就こうとしたことを。(第一ヨハネ2:27、創世記3:16)

私と私の家系のすべての男性のために悔い改め断ち切ります。妻に対して思慮に欠けていたこと、侮辱したこと、神の恵みを共にうけつぐ相続人であることを認めようとしなかったことを。妻を神の恵みの共同相続人として配慮し、敬って生活することを私は選びます。

私と私の家系の男性のために悔い改め断ち切ります。恐れと消極性のために、家のかしらとしての責任を放棄したことを。私と私の家系におけるイゼベルとアハブの霊とのすべての合意、一致を断ち切り打ち破ります。(第一列王記21:7-15)

主よ、私はあなたと共に天に座り、あなたの宣告を言い渡し、それは必ず実現することを私は宣言いたします。「エペソ2:6、イザヤ48:6、イザヤ42:9」

主よ、私はあなたが教えてくださる祈りをこれからはすることを宣言します。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-07-18 16:50 | アメリカからのメッセージ

何故イスラエルを気にかけるのか? サンドラ・テプリンスキー 7月11日

何故イスラエルを気にかけるのか?

サンドラ・テプリンスキー


ヘブル語の聖書を詳しく調べると、「祝福」という言葉が意味する中心的概念がわかってきます。 言うまでもないことでしょうが、現在私たちが持っている祝福という言葉の概念と、ヘブル語のもともとの意味とは劇的に異なることが明らかになりました。創世記12:3で、ヤーウェはアブラハムに「あなたを祝福するものをわたしは祝福する」と言われました。この箇所では祝福するbless にはbarekhという語が使われており、それはヘブル語の語幹であるbarakhから派生しています。驚いたことにはbarakhは「膝まづくto kneel」という意味を持つのです。

ですから誰かを「祝福する」ためには、身体の姿勢ではないとしても、私たちのこころの姿勢が問われるのです。祝福することは、その土台として、まず膝まづくことが暗示・内包されています。人の前で膝まづくことは、敬意、好意、服従、奉仕を表しています。それは人のために自分の命を投げ出す姿勢です。これは今私たちが祝福という言葉を使うときに考えることでしょうか?答えは明らかです。
 
しかしもう少し詳しく調べてみますと、語根であるbarakhは膝まづくという意味ですが、一方barekh(bless祝福する)という言葉は,霊的、物質的に豊かにすることを意味します。Barakhとbarekhを一緒にすると、神が私たちを祝福されるとき、神はいわば膝まづいて私たちを豊かにしてくださるのだということがわかりました。それは私たちの心を震えさせへりくだらせる驚くべき組み合わせです!

まことにイエシュア(イエス)は、神に似せて造られたちりにすぎない私たちの間に住むために、栄光をすべて捨てて無となられました。主のミニストリーが頂点に達しようとする直前に、主は膝まづいて12人の弟子の汚れた足を洗われました。そして十字架にかけられ、血と汗にまみれて苦しみ死なれました。主の私たちへの「祝福」には限りがありません。

聖く偉大な父なる神が、あなたを豊かにするために膝まづいている姿を想像してください。それはあたかも愛情深い父親が、小さな子供と顔と顔を合わせて話すために膝まづいているようです。私たちの二人の娘がまだ小さかったとき、夫のケリーは彼らと顔と顔を合わせて遊んだり祈ったり、またときには叱ったりするために、床に膝まづいたものです。夫は子供たちを豊かにするために膝まづいたのです。子供たちがその時必要としていることや欲しいものを与えるために、彼らのレベルにまで身を低くしたのです。創造主なる神もそれと同じことをあなたや私のためにしてくださいます。 詩篇18:35でユダヤ人の詩人が「あなたは、自ら降り/わたしを強い者としてくださる。」(新共同訳)と高らかに謳っている通りです。

祝福のへりくだり

聖書の中では主を祝福する(Bless the Lord)という言葉が多く出てきます。しかし今日私たちが「Bless God!」と言うのは、「すばらしい!」というような軽い意味で使っているのではないでしょうか。本当に私たちは誠実に主を祝福しようとしているのでしょうか? しかし宇宙の王は、私たちを豊かにするために膝まづいてくださるのです。

「あなたを祝福するものをわたしは祝福する。」という神の約束が、どれほど恵み深いものであるかがお分かりになったでしょうか? アブラハムと彼の契約の子供たちを豊かにするために膝まづくすべての人のために、ヤーウェは膝まづいて彼らを豊かにしてくださるというのです。ユダヤ人と、私たちが彼らを祝福することを通して、神は聖霊の新しいアウトポアリングの水門を開いてくださろうとしているのです。

アブラハム、あるいはユダヤの人々の前に膝まづく、というのは、彼らを崇拝するということではありません。それはキリストのようなへりくだりの心から流れ出る敬意・好意・服従・奉仕の姿勢です。このへりくだりを私たちの中に見るとき、主は私たちを祝福したいという思いを強く持たれるのです。イスラエルに祝福を与えるために神が回復したいと思っておられるのは、まさにこの私たちのへりくだりであり、一番大切なポイントであるのにも拘らず、往々にして欠落しているものなのです。

イスラエルは祝福を失ったのか?

皆さんは質問されるでしょうか。「イスラエルは神の律法を完全に守ることができなかった。そしてイエスをメシアとして拒絶した。そのイスラエルがどうしてアブラハムの祝福を受けることができるのか?」と。これに対する神の答えは、私たちにへりくだりの思いを起こさせます。
 
確かに、他の国々と同じようにイスラエルは罪を犯しました。しかし、イスラエルが祝福を決して失うことはない主な理由が二つあります。第一の理由は、もし民の中に数人でも義人がいるならば、神は民全体を滅ぼさないで救うことがあることです。歴史を通して神はご自分のために忠実なるユダヤ人のレムナントを残しておかれました。新しい契約の後には、神はイェシュアをメシアとして信じ従うレムナントを生き残らせてきました。これらメシアニック・ジューのレムナントはイスラエル全体の救いを祈っています。

第二に、そしてこれが最も重要なことですが、イスラエルが罪を犯しても、神がイスラエルに約束された祝福は、取り消されるとか無効になることは絶対にないという事実です。なぜならば、祝福は契約の基本に由来するものだからです。聖書の契約は法律と同じで、条件がある場合と無条件な場合があります。もし条件つきの契約ならば、それが成就するためにはある必要条件が満たされなければなりません。もし神が条件付き契約を結ばれるならば、神がご自分の契約を果たし成就される前に、契約相手はその条件を満たさねばなりません。しかし、もしその契約が無条件であるならば、神は相手が何かをするのを待つ必要はないのです。神が無条件契約を成就されるのは、人間側の応答に関係もなく、また左右もされません。言い換えれば、人間の罪は神の無条件契約を取り消すことも無効にすることもできないのです。驚くべき恵みではありませんか!

ヤーウェがアブラハムと結んだ契約、即ち祝福とのろいに関する約束ですが、それは無条件でした。契約の中で、神はご自分にだけ責任を課したのであり、アブラハムや彼の子孫には何も課しませんでした。これは創世記15:1-21に鮮明に描かれています。神はアブラハムにいろいろな動物を生贄とすることを指図し、神が火として生贄の中を通られました。この儀式はアブラハムの時代に使われていた方法で、二者間で契約を結ぶときに用いられました。動物が半分に切られ、契約を結ぶ者たちがその間を歩いたのです。けれども、もし契約を結んだ片方だけが歩くならば、その者だけが他方の者に対して何かを果たす義務が生じるのです。これによって無条件契約が成立するわけです。神がアブラハムと契約を交わされたとき、神は生贄の間を通られましたが、アブラハムは歩きませんでした。ですから、アブラハムとその子孫を通しての祝福とのろいの約束は、全く疑う余地もなく無条件なのです。ということは、祝福の約束は、教会によっても、アラブによっても、他の諸国によっても、決して失われることも剥奪されることもないのです。ドワイト・ペンテコステ博士が結論づけているように、神がアブラハムにした約束は無条件であり、ただ神の誠実さのみによって成就されるものであるということを、これ以上明確にできないほどに言明しています。

新しい契約は、神のイスラエルに対する祝福の約束が無条件であることを確認しこそすれ、帳消しにしたのでは決してありません。ヘブル人への手紙6:17では、神がアブラハムと約束をしたとき、神はご自分のご計画の不変性をさらにはっきりと示そうとされて、ご自分だけで一方的に誓われたのだと説明しています。

ルツの物語は、この無条件の契約と、「イスラエルを祝福する者は祝福される」という不変の真理に対して、現在の教会がどのように応答すれはよいかを、非常にすばらしい方法で教えてくれています。

ここ数年間、どこに行っても私は、ルツと彼女が伝えているすばらしいメッセージに聖霊によって引き寄せられているクリスチャンに出会います。ヘブル文化の見地から見ると、この物語の中の人物は、終わりのときのイスラエルと教会、即ち、互を豊かにするために互いに膝まづくという両者の預言的関係を描きだしているのです。

物語の始まりは、ナオミ(ヘブル語で楽しいという意味)はエリメレク(私の神は王)と結婚しています。ナオミは神に嫁いでいるユダヤの民を表しています。彼らの二人の息子はマフロン(病弱)とキルオン(衰弱)という名で、当時のユダヤの国の状態を示していました。

飢饉が起こり、エリメレクと家族は故郷のベツレヘム(パンの家)を離れてイスラエルの外に出なければならなくなりました。その地でマフロンとキルオンは結婚しましたが、数年のうちに二人とも死んでしまいました。エリメレクも死に、それは楽しい民の生活の中から神の王権が滅んでしまったようなものでした。ナオミに残されたのは、異邦人の二人の嫁、オルパ(首のうしろ)とルツ(すがりつく者、友)だけでした。
イスラエルの飢饉が終わったとき、ナオミは故郷に帰る決心をします。そしてオルパとルツに、その地に残り新しい夫を見つけ新しい人生を歩むようにと強く勧めます。オルパはナオミの言葉に従って家に帰りますが、ルツはそれを拒絶します。「すがりつく者」はナオミに忠誠をつくすことを宣言します。

ルツ記1:16-17 「ルツは言った。『あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。』」

ナオミの人生は辛いことばかりであり試練が厳しかったので、彼女は自分の名前をマラ(苦々しい)に変えます。それにもかかわらず、そしてここから物語には新たな預言的油注ぎがあるのですが、ルツはなおもナオミにすがりつきます。イスラエルの神を信じるこの異邦人は、ユダヤの民がどれほど苦々しく見えても、彼らを離さないのです。ルツの心を変えることはできませんでした。ルツは自分が祝福を受けるのは、この民を通してでありこの民と共に受けるのだと、何かによって悟らされたのです。

救い主の出現

ナオミはルツを故郷のベツレヘム(パンの家)に連れて帰り、そこで彼らは物質的、霊的な食物を見つけます。年を重ねていて肉体労働は無理になったナオミは、今は娘と呼ぶルツ(キリスト教会を象徴)に落穂拾いを教えます。ルツは義母を養うために畑に文字通り膝まづいて働きますが、それによって自分も養われます。そして思いがけない祝福が訪れるのです。

ナオミに対するルツの愛と献身の故に、ボアズ(力ある者)という男性が彼女に目を留めます。ナオミは喜びました。ボアズ(メシアの預言的予型)はエリメレクの親類で買い戻しの権利がありました。ボアズの登場で買戻される希望が出てきました。しかしそれは、二人の女性(ユダヤ人とクリスチャンを象徴する)が膝まづいて互いに助け合い愛し合うという関係を保つときに可能なのです。

ナオミはルツが従うべき買戻されるための慣習を一歩一歩詳しく教えます。ルツは自分の霊の母親に服従したので、ボアズの心を捕らえました。「力ある者」はすばやくルツを花嫁とする権利を宣言します。ユダヤ人たちは喜んで二人の結婚を祝します。「どうか、主が、あなたの家にはいる女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように。」(ルツ記4:11)

彼らは祝福されました。ボアズとルツはオベデ(仕える者)という赤ちゃんを授かりました。幼子オベデはナオミのこころを喜ばせ満ち足らせたので、彼女はマラ(苦々しい)という名を捨てたのでした。ナオミはルツによって生き返ったのです。そしてルツはナオミによって神に愛される者として、また、神のしもべイエシュア(イエス)の直系であるイスラエルの母として、永久に称えられることになったのです。

救い主の現われ

ルツがナオミにすがりついて、買い戻しの権利のある親類の恵みを受けることができたように、イスラエルにすがりつくクリスチャンは、買い戻しをしてくださる親類(主イエス)のこころを捕らえることができるのです。そしてルツの友情によってナオミの性格が苦々しいものから喜びへと変えられたように、真のクリスチャンのイスラエルとの友情が、ユダヤ人の心を変えるでしょう。私は神は至るところで「ルツのレムナント」を興しておられるのを見ています。
(終わり)



以上は著書Why care about Israel? の第二章 Blessing for Blessingからの抜粋です。著者は弁護士出身で今はミニスターとしての資格を持ち、夫と共にLight of Zionと言うメシアニック・ジュー・ミニストリーを世界的に展開しています。

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by walkwithgod | 2008-07-11 15:39 | アメリカからのメッセージ

ジュディス夫人はアフリカに向け今朝出発しました。7月9日

ジュディス夫人はアフリカに向け今朝出発しました。お祈り下さい。

ジュディス・グルーバー夫人はポートランドを予定通り7月5日に発ち、クリーブランドにてローランド&ハイディ・ベーカー師のアイリス・ミニストリーの人たちと落ち合った後、同行の人たちと共に、今朝早くアフリカのモザンビークに向けて出発しました。7月24日までモザンビークの孤児院でミニストリーをする予定です。

 既報の通り、夫人はヘンリー師とオレゴンに向かって車でアイオアの自宅を出発しましたが、ロッキー山脈を越える直前に非常に息苦しくなり、身体が再び膨れ上がって瀕死の状態に陥りました。しかしそれはテストであったとヘンリー師は言います。家に引き返すことを提唱したヘンリー師に対して、モザンビークに行くことが神の御心であることを堅く信じている夫人は、主の御心であるならロッキーが越えられない訳が無いと主張し、二人は死を覚悟してロッキーを越えることに夫婦で一致しました。その結果、車が山頂の5千フィートに達した時には逆に夫人は力を得て息がし易くなったそうです。ハレルヤ!そして二人は旅を続けましたが、ポートランドに着く頃には再び夫人の身体は息も絶え絶えの状態となり、本当に死んだような状態でいつも逗留する友人の家に着きました。しかし一晩休むと夫人は回復しました。

結局ジュディス夫人はポートランドに10日近く滞在しましたが、その間も体調は悪くなったり良くなったりを繰り返し、誰が見てもアフリカまでの長時間飛行に耐えられる身体ではないことは明らかでしたが、彼女は予定通り出発しました。
 壮絶な死との戦いを潜り抜けて生き返った経験のある信仰者ヘンリー師自身が、「このような経験はしたことがない、ただただひざまずいておののきながら神に泣きすがるしかなかった。」と述懐しているほど夫人の信仰は固いものでした。そしてこれも総て神の御業であることを感謝しております。

 ヘンリー師は皆様のご心配とお祈りを心から感謝しております。そしてこれからも引き続きお祈りいただけることを心から願っておられます。ぜひともお祈りいただけますようお願い致します。 
                                坂 達也

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by walkwithgod | 2008-07-09 06:08 | 坂達也からの今月のメッセージ

遅ればせの帰国報告    坂 柚実子    7月8日

遅ればせの帰国報告


久しぶりにこのコラムを書いていますので、何から書けばよいのかわかりませんが、とにかく、日本旅行から帰ってきたことをまず御報告させていただきます。今回は4月15日から5月22日までの日本滞在でしたが、家族との時間も少し取れたよい旅行となりました。九州から福島までの18の教会を訪ねさせていただき、主人が礼拝やセミナーという形でメッセージを取り次がせていただきました。多くの方々のお祈り、ご親切、ご好意、お世話を受けて、すばらしく祝福された旅を終えることができました。

今回は私たちの日本滞在の後半に、娘がハワイから、息子はニューヨークから来日し、数日間私たちと行動を共にしました。親戚と会ったり、温泉に一泊したり、教会で主人のメッセージを聞いたりすることができました。彼らにとって大変有意義な時となったと思います。

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さて、ハワイに戻ると、二つの異変が起きておりました。
一つは、冷蔵庫が故障していたことです。冷蔵庫の扉を開けると、そこにはまさに修羅場でした。すべてのものが暖かい中に何日も閉じ込められていたわけで、腐っていたのはもちろんですが、どこかからか変な虫が湧いていて、生きて飛び交っているものや、死んでそこら中にこびりついているものやらで、全く目も当てられない状態でした。私のハワイに戻っての最初の仕事はそれをきれいにすることでした。

一日掛りで何とかきれいにして、いろんな人と相談した結果、修理するよりも新しく買い換えたほうが得策ということになりました。冷蔵庫のない生活は、もう現代人には無理ですね。昔の人は本当にいろんな知恵を使って食物を保存して暮らしていたのだな、と感心します。冷蔵庫がなければ、余った魚や野菜を周りに人に分け与えるという必然性がもっとあったのでしょう。私たちは冷蔵庫が届くまでの3日間ほど、毎日少しずつ買い物をしてすごしました。

というわけで、思いがけずピカピカの冷蔵庫を買ってもらいました。二つ目の異変というのは、毎日うちの前の椰子の木に泊まりに来ていた、かしましいコモンマイナ達が来なくなったのです! 帰国したその日の夕方、「もうじき子供たち(鳥のことです)が帰ってくるよね。」と主人と話していたのですが、待っても待っても帰ってきません。そのうちに暗くなってきました。おかしい!! そんなことはないはずなのです!

一瞬頭にひらめいたのは、大きな地震の前は生き物が異常な動きをするという事実です。中国の大地震の前にもそんな現象があったと日本で聞いてきたばかりでしたから、主人も数秒かたまりました。でも、、、、、もしかして、違う理由かもしれないので、生物学者でもないのですが、一生懸命考えました。そして二人で「たぶん今は野原で巣を作って雛を育てているのだろう、子供が巣立ったら、また戻るのだろう」、という勝手な結論を出して心を静めたのでした。

このマンションに引っ越したのは1年前の6月30日だったのですが、そのときはすでに
翌朝から鳥たちの騒がしい鳴き声で目が覚めました。ですから、遅くとも6月30日までには、子育てを終えて帰ってくるだろうと、一日千秋の思い(大げさ)で鳥の帰宅を待つ日が続きました。

ところが、今日はすでに7月7日だというのに、鳥たちは帰ってきていません。一体どうしたということでしょうか? 毎年ねぐらを変える習性があるのでしょうか? どなたかご存知の方は是非教えてください。

日本から帰ってからの心身の回復過程には三段階あります。まず身体の疲れ、次に時差、そして頭脳の疲れをとることです。といっても、三番目の頭脳の部は主人に限ったことなのですが、やはり連日のメッセージの御用は大変神経を使ったようで、その疲れがすっかり取れるまでにはほとんど一ヶ月かかったと思います。主人も今はすっかり元気になり、次の仕事に取り組んでおります。皆様のお祈りを心から感謝して、帰国報告とさせていただきます。 (おわり)

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by walkwithgod | 2008-07-08 13:17 | 柚実子からのハワイ便り

6月23日にレイクランドで行われた記念すべき式典の報告  ピーター・ワグナー 7月6日

タッド・ベントリー師に関する記念すべき式典の報告

ピーター・ワグナー 2008年6月24日


皆様ご存知のように、今まで三週間に起こった様々な状況によって(すべては神の御手によって計画され実行されたことだと信じます)、私はレイクランド・アウトポアリングとそれに関する論争の只中に深く関わることになりました。

私は今フロリダ州レイクランドでこの文章を書いています。6月22日の夜、妻のドリスと私はテントで行われている集会に出席しました。一万人が集まっていましたが、それはテントで集会を始めてからの最大の人数でした。その日はアウトポアリングが始まってから82日目でした。

タッド・ベントリーは、メッセージの時間を使って、彼が2005年から2007年にかけての18ヶ月間に経験した「魂の暗い夜」について、これまでより詳細に語りました。ミニストリーを始めてからの10年間、彼がいかに高慢になっていたか、そして彼のプライドを砕くために神が彼を追いやった荒野の詳しい説明がされましたが、それは非常に正直な心打つ証でした。彼は自分の自制心が欠如していること、感情のコントロールができないこと、神を拒絶したこと、聖書を読むことが嫌いなこと、公衆の面前で泣き崩れること、また、子供のときに愛されずに拒絶されたこと、孤独、性的虐待を受けたこと、離婚寸前のような状態であったこと等々を、隠さずに話しました。彼は当時完全にバーンアウトしていて、21日間毎日4時間泣き続けたといいます。

その期間が終わったとき、神はタッドにすべてを回復してくださいました。スタッフ、結婚、ミニストリー、そして彼の性格も新しくされたのです。それは非常に人々の心を打つ証でした。被害者意識や自己憐憫は少しもありませんでした。それは自分の罪と、自分が不従順であった故に支払った代価の告白でした。ドリスと私はそれを聞いて大変感動し、思いがけずタッドの性格を深く知る機会が与えれたことを神に感謝しました。

神の働きの新しいシーズンの扉を開く

ドリスと私は、今までこれと同じようなアウトポアリング、特に70年代後期と80年代に起こったジョン・ウインバーのしるしと不思議の現象や、80年代、90年代のアルゼンチン・リバイバルに、非常に深く関与してきました。ですから、本物と偽者を見分ける能力を身につけるための経験、苦労は十分してきたと思いますし、この二つのムーブメントをサポートする判断をしたゆえに、厳しく手痛い批判も受けてきたのです。

テントでの集会に参加して観察していると、ウィンバーとアルゼンチンのリバイバルが大変懐かしく思い出されました。タッドとウィンバーとの身体の特徴が似ていることまで気がつきました。タッドの知識の言葉が正確なことは、昔の人としてはジョン・ウィンバーを、現在ではロバート・ヘンダーソンを思い起こさせました。ワーシップは、私たちがコロラドスプリングのフリーダム・チャーチでしているのと同じようでしたが、スケールがもっと大きく生き生きとしたものでした。そして私たちが今まで経験してきた大きなリバイバルの線を逸脱するようなものは何も見ませんでしたし、感じたりもしませんでした。神が起こされるリバイバルは、往々にして混乱があり、人々を宗教的安全圏から追い出す傾向がありますが、同時に神の働きの新しいシーズンへの門戸を開くものだということを、私たちは学んできました。

今まで私たちが通ってきた経験は、すべて昨夜、即ち6月23日のための準備でした。私たちはタッド・ベントレーのための使徒的アラインメント(一致協調することに同意する)の式をしたのです。その文面を下に添付しますが、要旨は、リバイバル・アライアンスを代表するチェ・アン師、ビル・ジョンソン師、ジョン・アーノット師にタッドがアラインされると同時に、彼らはタッドをレイクランド・アルトポアリングを導く伝道者として任命する、というものです。

私たちの中の数人が礼拝が始まる前にタッドと個人的に会見しましたが、彼がすばらしい人物だということがわかりました。ドリスと私は彼と会ったことは今までありませんでした。私は式がどのようなものかを彼に説明し、彼はそれに同意しました。彼が一つだけ変更したいことがあると言い出したときに、私はこれはおもしろいと思いました。というのは、彼がどれほど謙虚であるか、権威に従うことができるか、というテストをこっそりできると思ったからです。これはあくまでもタッドのミニストリーであり、タッドの集会であることを忘れないでください。それにもかかわらず、彼は私を式を執り行うリーダーに指名したのです。私は彼の提案は賢明なものではないと思うと述べ、彼は私の判断をすぐに受け入れました。私たちは一致したのです。実際、私たちはお互いを好ましく感じるようにまでなったのです!

レイクランド・アウトポアリングにおけるタッド・ベントリー師の任命

式のシナリオは:私がまず講壇に立ち、タッド・ベントリー師、チェ・アン師、ビル・ジョンソン師、並びにジョン・アーノット師を回りに呼び寄せる。次に幾人かのサポートをしてくれる使徒たちを壇上に呼ぶ。フロリダ州レイクランドのスティーブン・ストレイダー及びカール・ストレイダー、オーストラリア・シドニーのジェフ・ビーチャム、サウスキャロライナ州フォートミルのリック・ジョイナー、コロラド州コロラドスプリングのドリス・ワーグナー、イギリス・バートンのシャロン・ストーン、スペイン・チクラナのパコ・ガーシア、ルイジアナ州モンローのクラリス・フルット、アリゾナ州スコットデイルのリチャード・メイデン、アリゾナ州フィニックスのマイケル・メイデン、フロリダ州オーランドのジョシュア・フォウラー、カナダ・オッタワのバリー・ボウチャー、カナダ・ブリティッシュコロンビア・ケローナのウェスレー・キャンベル。残念ながら、ビショップ・ビル・ハモン師は旅行の問題でキャンセルされました。次に私が下に添付したものを読み上げ、私が冗談をいうのを望んだ人もあったようですが、それはぐっと思いとどまりました。式を終えて私はチェ・アン師にマイクを渡し、彼がその後を引き継ぎました。

チェ・アン師、ビル・ジョンソン師、ジョン・アーノット師の三人が、タッド・ベントリーの上に手を置き、チャック・ピアス師(彼はアフリカにいました)からこの日のために送られてきた特別の新しい「リバイブされよ」というオイルを注ぎました。タッドは聖霊の力をうけて倒れ、三人は彼に預言し、彼をレイクランド・アウトポアリングを導く伝道者として任命しました。次に後ろに立っていた使徒たちの多くが祈り、また預言しました。この式に注がれた聖霊の力は非常に濃厚で、ナイフで切ることができると感じられるほどの臨在がありました。

その場にいた人たちは、この出来事が非常に画期的なものだということをはっきりと感じました。著名なリーダーたちのレイクランド・アウトポアリングに関する心配は、キリストのからだの中でだんだん大きくなり、深刻な問題となってきていました。教会の「分裂」さえ、頻繁に人々の口にのぼるようになっていました。GOD・TVによってこれが常に世界中に中継されているので、これは私的なことだとか、小さなこととして済ますわけにはいかなくなっていました。秩序を正すために何かをする必要がありました。そしてそれは使徒の役目として定められていることなのです。
私たちは今、使徒たちが一致して公にアラインメントをもたらすという第二の使徒時代を迎えていると思います。この式典には17人の使徒が参加しましたが、彼らは三つの使徒的流れを代表しております。即ち、ICA(10人はICAのメンバーです)、リバイバル・アライアンス、そしてモーニングスターです。私たちは正式にはネットワークを作っていませんが、今回のような危機的状況が起きた場合には、サポートしあい、共に立つことを信じています。間違っているかもしれませんが、このような出来事は教会の近年の歴史の中ではなかったように思います。

任命式に関しての預言

この出来事に付随して、注目すべき預言がありました。一ヶ月ほど前にボブ・ジョーンズが、6月22日に聖霊のアウトポアリングが非常に増し加わるので、リバイバルがそのときから実際に始まるように見えると預言しました。もちろん、6月22日の次の日である23日がタッドの使徒的アラインメントの日となり、それが霊的力の増大が開放されるものになりえることは、だれも知りませんでした。ちなみに6月22日と23日の両日とも、一万人収容のテントの入場者数は新記録を更新しました。

まだ申し上げたいことはたくさんありますが、今はこのくらいにしておきます。下に添付する「レイクランド・アウトポアリング使徒的アラインメント」をお読みいただけば、詳しいことがわかると思います。タッドのアラインメントと任命の報告を受け取るべき方にもこれをお送りいたします。
祝福がありますように。




レイクランド・アウトポアリングに対する使徒的アラインメント(一致協調への同意)

ピーター・ワグナー 2008年6月23日

このテント集会に来ておられる方、また、GOD・TVを見ておられる方を心から歓迎いたします。今から私たちが行おうとしていることは、このレイクランド・アウトポアリングだけではなく、アメリカや世界の多くの国々においても、歴史的に重要な意味を持つ出来事であると思います。皆様はその証人となられるのです。多くの預言者たちが、間もなく神がしるしと不思議を伴う驚くべき霊的覚醒を起こされることを何年にもわたって預言してきました。そしてこの2ヶ月間、その預言がまさに成就した著しい一つの出来事を、タッド・ベントレーは導いてきました。今この会場にいることは本当にすばらしいことです。

私はピーター・ワグナーと申します。コロラド州コロラドスプリングにあるグローバル・ハーベスト・ミニストリーズの責任者ですが、キリストのからだの中で使徒的な働きを通して長年仕えさせていただいています。現在は、使徒として承認された500人が所属する国際使徒連合(International Coalition of Apostles)の議長をしております。今日、極めて重大な式の司会をするという光栄に預かり、私は謙遜と畏敬の思いでこの任務に当たりたいと思っております。聖霊様、あなたの臨在、力、導きをお願いいたします。

これは、タッド・ベントリーのための正式な使徒的アラインメントを祝う式です。まず最初に、今から執り行うことの基礎となる聖書的裏づけを確立させたいと思います。

使徒的アラインメントとは何か

現代の使徒的預言的ムーブメントの流れにいる者たちが、中核としている聖書箇所からはじめたいと思います。
エペソ4:11-12 「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、」

「(聖徒たちを)整えて equipping」という言葉は、ギリシャ語のkatartizoの訳で、実際には「調整して一致させる aligning」という意味であり、折れた骨をもとの位置に戻すとか整骨を指します。からだがもともと造られ意図通りに動くように、すべてのものをあるべき秩序、場所に戻すということです。これは使徒の任務の一つであり、そのために私たち使徒が今晩ここに集まっているのです。一例として、パウロはテトスに次のように書いております。「私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理(秩序あるものにもどす)をし、、、」(テトス1:5)

聖書の中の使徒的アラインメント関係

パウロとテトスとの関係を見てみますと、それは使徒的アラインメントの聖書的原型であるといえます。同じことがパウロとテモテの関係にも言えるでしょう。テモテとテトスがパウロから受けた使徒的アラインメントは、二人が人生の目標を達成するために一番重要なことでした。神は二人の人生のためにすばらしいゴール、目標を備えられ、彼らを成長させそれを達成させるためにパウロによるアラインメントを用いられたのです。

しかし、パウロ自身もまた、使徒的アラインメントを受けたのでした。彼は異邦人のために教会を立てるという働き(当時としては問題となった働きでした)に参加するために、アンテオケのバルナバたちのところにいきました。それからすぐにエルサレムまで飢饉の援助を持っていき、その機会に数人の使徒たちと会いアライン(一致するために調整する)したのでした。今夜、タッド・ベントリーのアラインメントと任命にあたり、私はパウロのこの経験をこの式のプロトコールのお手本として使いたいと思います。

「そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに交わりのしるしとして右手を差し伸べました。それは、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人々のところへ行くためです。」(ガラテヤ2:9)

現在の教会の柱である三人の方をタッドがこの壇上に招いたのは、パウロのお手本に従ったことなのです。カリフォルニヤ州パサディナのチェ・アン師、カリフォルニヤ州レディングのビル・ジョンソン師、カナダ・トロントのジョン・アーノット師です。カナダはタッドの国でもあります。この三人はリバイバル・アライアンスという使徒的ネットワークを代表しています。

エルサレムの使徒たちが「パウロに与えられた恵みを認めた」ことに注目してください。恵みという言葉のギリシャ語はカリス(charis)で、カリスマという言葉の語根であり、「霊的賜物(単数及び複数)」という意味です。パウロの場合、それは福音を異邦人にもたらすために必要な恵みのセットでした。タッドにはレイクランド・アウトポアリングを導くための恵みのセットです。

使徒の三人の方に質問します。「タッド・ベントリーは伝道者としてレイクランド・アウトポアリングを導いていくのに必要な恵みを神から与えられていると、あなたは認めますか?」(三人が「はい。」と答える)

タッド・ベントリー師に質問します。「あなたの人生とミニストリーの上にこの三人の使徒的権威を認めますか? あなたは彼ら及びリバイバル・アライアンスとの間に使徒的アラインメントを確立したいと願いますか?」(ベントリー師が「はい。」と答える。)

この確認をもって、私たちは正式な任命(それはエルサレムで三人の使徒がパウロに「交わりのしるしとして右手を差し伸べる」ことに相当しますが)に移りたいと思います。

この任命はパワフルな霊的授与が目に見えない領域で起こることを象徴しています。それを覚えつつ、神が私に与えられた権威によって、私はタッド・ベントリーに宣言します。

あなたの力は増し加わる
あなたの権威は増し加わる
あなたのめぐみは増し加わる
あなたの影響力は増し加わる
あなたの啓示は増し加わる

また、つぎのことを宣言する
新しい超自然的力がこのミニストリーに流れる
新しい命の力がこの神の動きをつらぬく
物事の秩序を保つための組織が作られる

神は間違いと真実を見分けるための更に高いレベルの霊的識別力を注がれるであろう。
新しい関係が築かれ将来のために門戸が開かれるであろう。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-07-06 18:55 | アメリカからのメッセージ