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神の友 キム・クレメント 2008年9月21日

神の友

キム・クレメント 



最近我が家でバイブルスタディーを開いたのですが、そこには私の子供たちと様々な年代の人たちが集まりました。そこでいくつかの興味深いポイントが話されましたので、皆さんにもお分かちしようと思います。

どうして神は男と女を創造されたのか?

神が地からちりで人を創り息を吹き入れた理由は多くありますが、その中でも一番興味深い(魅力的な)理由は、そしてそれが人間的にもっとも受け入れ難いことなのですが、友情です。
神と私たちの間で友情が可能だなどと、どうして信じられるでしょうか? 友とは何なのでしょうか? 友情にはどんな要素が必要なのでしょうか? (この質問に対するみんなの答えは、沢山のことを私に示唆してくれました。)

友情の要素

楽しみ:友達は一緒に楽しむ
秘密:友達はお互いに秘密を打ち明け合う
興味:友達は同じ興味を持つ
話をする:近くにいても遠くにいても友達はお互いに連絡し合い話し合う

友達はお互いのために何をするか?

お互いに忠実である
お互いに忍耐強い
お互いに赦し合う 欠点をかばいあう
お互いに正直である 「ただの友達はあなたにいつも賛成する、真の友は討論する」
お互いに同等である 「愛は友情と違う。愛は反対のことや極端なことを要求する。友情は同等性を要求する。」

さて、これを私たちと神との関係に当てはめてみましょう。箴言16:28には「陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。」とあります。(創世記1:26-28も読んでください)

人を創られたとき、神は毎日園を歩き彼らに友として話しかけるのを常としておられました。そのときひそひそと陰口とたたくものが、神と人との友情を裂くために園にやってきました。
創世記3:1「さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。『あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない。』と神は、ほんとうに言われたのですか。」
蛇に対する女の返答は正しいものでした。つまり彼女は神の言われたことを正確に知っていたのです。次に蛇は、いろいろな疑いを抱かせるような言葉を使いました。悪魔という言葉はdiabloですが、これは文字通り「分裂させるために話す、分裂を起こさせるためにささやく」という意味です。

サタンの唯一の目的は、自分のすべての息を、分裂や疑いを起こさせ、団結や契約を破るために使うことです。蛇が創世記3:4で「あなたがたは決して死にません。」と言ったとき、彼は神の言われたことを曲げ、神が二人をだまし、損をさせたのだとほのめかしたのです。
彼らがうそに乗ってしまった時点で、彼らと神との友情は破れました。というのは、もはや「神と、霊と霊で話が出来る」という同等の立場でなくなったと彼らが感じたからです。神が彼らと話すために園に来られたとき、何が起こりましたか?

アダムはあわてて身を隠しました。友情は破れて、それ以来、人は神を恐ろしい、よく理解できない、悪意を持って腹を立てているモンスターとして見るようになってしまったのです。これは真実ではありませんが、彼らは神をそのように見たのです。そしてもっと悪いことには、彼らの裸はもはや自然美ではなくなり、恥になってしまったのです。

驚くべきことに、それでも神は友とされる者を幾人か探しだされました。彼らの話を読むと、そこにはすばらしいパターンがあり、神が人を友として話されることを望んでおられることを証明することができます。
アブラハムは神によって「わたしの永遠の友、アブラハム」と呼ばれました。出エジプト記32:7-14には、神がイスラエル人を滅ぼそうとしたときにモーセが論争をしたことが書かれています。神は実際モーセに「わたしの邪魔をするな」といわれ、神がイスラエル人を滅ぼすままにさせよ、と言われたのです。そのときモーセは、まことの友がするような行動を取ったことを見てください。モーセは神に、もし民を滅ぼせばエジプトから民を連れ出したのは、山地で殺すためだとエジプト人が言って神の評判が落ちると言ったのです。
もしあなたが普通しないことをして評判を落としそうになったときに、あなたの友はどうするでしょうか?

友であるならば、あなたの前に立ちはだかってあなたの行動の結末を警告して、腹を立てているあなたを止めようとするでしょう。友とはそういうものであり、モーセは神に対してそういう者、即ち、友だったのです。聖書によると、神はイスラエル人のした悪に対して気持ちを和らげました。即ち、もっと寛大になり同情的で赦す気持ちになったのです。モーセは神の友として、文字通り神がもっと寛大になり同情をしめし、気を静めるようにしたのです。

次にイエスが友情について何と言われたかを見てみましょう。 ルカ12:1-4で、イエスは数え切れないほどの群集に囲まれました。あまりにも大勢の人で、互いに踏みつけあうほどでした。イエスは群集に話すかわりに、まず弟子たちに話しました。4節で、イエスは弟子たちを「わたしの友」と呼ばれ、群集には話さないことを彼らには話されました。ですから、イエスが主の主であり神の一人子であるにもかかわらず、弟子たちとイエスは友人関係にあったことが明らかです。

ヨハネ15:15「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。・・・わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」
神が私たちを創造されたのは、沢山の理由がありますが、友とされるためであったということを証明する上で、私はこの聖書箇所が非常に好きです。聖書の中で友という言葉が意味するところを理解するならば、現代の友人関係(ほとんど見られなくなっていますが)の概念とは随分違うことがわかるでしょう。私たちは簡単に「この人は私のベスト・フレンドです。」といって人を紹介しますが、実際には他の多くの人をベスト・フレンドと呼んでいるのです。

聖書の基準において「友とは何か」を私たちは本当に知っているでしょうか。神にとってダビデは目の中の瞳のように大切な者と呼ばれました。アブラハムは永遠に神の友であると呼ばれました。「友 friend」という言葉は二つに分かれます。Phileosという言葉ですが、これはPhiとlogosから成り、話しかける相手ということです。神は話しかける相手を持つためにあなたを創造されたのです。とてもうれしい気持ちになるではありませんか。

イエスはご自分に一番近い者たちを友と呼ばれ、他の者たちが聞くことが出来なかったことを聞かせてくださいました。

我が家のバイブルスタディーは、私たちを大いに啓発し、神との関係は友情をも含むことを教えてくれました。友情という要素がなければ、結婚も保てないでしょうし、友情なしではどのような関係も結局は長続きしないのです。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-09-26 09:14 | アメリカからのメッセージ

新しい使徒的組織が2012年までに立てられる  ボブ&バニー・ジョーンズ 9月21日

新しい使徒的組織が2012年までに立てられる

ボブ&バニー・ジョーンズ、ジェフ・ジョンソン


最近、私たちは地上に神の大いなる力が現れるのを見ました。病人が癒され、家族が回復され、テレビから語られた言葉を通して死人がよみがえりました。また、あらゆる創造的奇跡も見ました。盲人が見えるようになり、聾者が聞こえるようになり、癌が消えました。

神の栄光がすさまじい勢いで顕されるので、神の息子、娘たちは急速に霊的成長を遂げています。しかし、これらの御国の力ある業は「来るべきものの予告編」にしかすぎないのです!

バニー・ジョーンズの夢

最近の夢の中で、バニー(ボブ・ジョーンズの妻)は主の訪れを受けました。夢の中で主がバニーのもとに来られ、彼女を旅に連れて行きました。最初に行った場所は、人の身体の部分や内臓がいっぱい入っている巨大な倉庫でした。主はバニーに右手(信仰をあらわす)を倉庫の中に伸ばして、そこにある様々な臓器や手や足をさわるようにさせました。彼女は神への信仰(faith in God)ではなく、神の信仰(faith of God)を持つように主が教えておられることを感じました。

主は更にバニーを次ぎの場所に連れていきました。それは橋でしたが、それから鉄道の線路上に立ちました。橋と線路は十字に交差していて、「義と公正」を表していました。
次に22番街に行きました。主はイザヤ22:22「わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。」にあるダビデの鍵をバニーに渡しました。彼女が目を上げて見ると、遠くにスペリオル湖(Lake  Superior 五大湖の一つ)が見えました。主は最近私たちが経験したことよりもずっと優れたこと(far superior)をされようとしているのでした。

次にバニーは一枚の地図を手にしていました。それには「9番街で右に曲がれ」という指示がありました。彼らが9番街で右に曲がったときに、夢は終わりました。
バニーはオハイオ出身なので、夢から覚めたときエリー湖は知っていましたが、他の五大湖の場所は知りませんでした。そこでアトラス地図を調べて自分が夢の中でスペリオル湖を遠くに見たときの位置を見つけました。それはウィスコンシン州の北のはずれにあるコーノコピア(Cornucopia)という小さな村でした。コーノコピアは「神の祝福、開かれた門」を意味しています。スペリオル湖から真っ直ぐ見ると22のアポストル諸島(Apostle Islands)があります。興味深いことに新約聖書に記録されている使徒の数も22です。

真の使徒たちの出現

バニーが夢の中で主と出会い、見た内容は、主がされていることの比喩です。今のシーズン、主は真の使徒職を地上に回復しておられるのです。使徒の組織が現れ確立されるとき、主は新しい鍵をくださいます。それは、今までのどの世代にも無かったほどの御国の権威を持つ新しい統治の鍵です。

主がこの新しい統治組織を堅く設立され確かなものとされるとき、創造的奇跡、しるし、不思議が今までにはなかったように起こります。私たちが今までに見たり聞いたりしたものとは全く違うものです。地上に変動や揺さぶりが起こりますが、それは霊的に起こっていることをー肉のものが霊のものを宣言することによってー確認するものです。

これから主がされようとしていることは、今までよりずっと優れたことです。創造的奇跡、腕、足、身体の部分、そして臓器などが天から下ってきます。それは弱まることも終わることもありません! 天に資源があり、天の倉は開いているのです。キリストの身体に身体の部分が与えられますが、これを監督する管理組織が必要です。それは一人のリーダーとか一部のリーダーたちではなく、教会全体の組織(チャーチ・ガバメント)であり、一致して機能するキリストの身体です。これが起こることそのものが奇跡です。

2012年までに新たな使徒の組織が出来る

過去30年の間に預言の働きが回復され、教会に真の預言者が与えられるのを私たちは見てきました。そして今度は使徒的な働きが回復され、真の使徒が起こされようとしています。預言者は主からの啓示をもたらし、使徒がそれを実際に適応するのです。
これらの新しい使徒たちはジョシュアのような男女でしょう。彼らは残りの者たちを約束の地に連れていくのです。彼らは人からではなく、神から直接任命されます。実際に、彼らの多くは私たちが「使徒(的)」と呼ぶ人たちとは全く異なるでしょう。この新しい種類の使徒たちは、自分の評判を落とすとか、新聞がどう言っているかとかを全く恐れず、真実のニュースを語ります。この世的新聞が教会を裁くのではなく、その反対になるでしょう。

あなたは神の油注ぎや栄光を迫害してはならないのです。もし迫害すればあなたはそれを手に入れられないでしょう。これらの新しい使徒たちは世界の国々に語りかけ、霊的にそして目に見えるところでシフトを起こすでしょう。リバイバルが起こり、主が新しい統治制度を確立されるので新しい地域が変革されていくでしょう。これは人間ではなく神がされることなのです!

2012年までに全く新しい使徒の組織が現れるでしょう。そのとき、教会が一つになり、神の御霊の住まいに成長していくのを見るでしょう。「この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:21-22)

大統領選挙とユニオン(団結)という名に天使

今選挙のために祈ることは非常に重要です。変革の風が吹いています。神を愛する副大統領候補のために祈らねばなりません。9月は差異が生じる月です。9月からすべて始まるのです。ユダヤ暦の新年であるロシャ・ハシャナは9月29日の夜から始まります。
現在、神は大収穫のために収獲する者たちを刈り取られています。2012年までには、真の使徒組織が出来上がっているでしょう。それからは他の人たちがその組織の下についてきて、それぞれが命令にしたがって行動するでしょう。

今私たちは史上最大の変革の一つが起こりつつあろ時代の只中にいるのです。もし教会が権威をもって進み、神の義なる人々が選出されるならば、これからの8年間は喜びに満ちたものとなるでしょう。
中絶を合法化した「ローとウエイド裁判」が覆されるでしょう。今はアメリカ合衆国を呪うのではなく祝福するときです。ボブ・ジョーンズはケイト・スミス(歌手 1907-1986)が「God Bless America」を歌うのを幻で聞きました。これはアメリカ合衆国(United States of America)です。私たちは種々多様なものが集められて一つの国となっており、この国の天使は「ユニオン団結」という名です。私たちは多様性が一致し、団結によって強まるのです。


過去の失望と期待―ボブ・ジョーンズが見た幻

8月31日にボブが見たビジョンで、ボブは多くの人々が、自分が失った期待によって縛られ囚われている姿を見ました。彼らが人生に期待していたことが実現しなかったからです。
私たちの過去の失望とか実現しなかった人生への期待が私たちを虜にします。実現しなかった過去の期待ばかりを振り返って見ているならば、あなたは未来へのビジョンを持つことができません。つまり、過去の失望が私たちの未来のビジョンを奪っているのです。主は言われます。

「あなたの実現しなかった期待のゆえにわたしはあなたに失望はしていません。なぜなら、それはあなたの人生をわたしの目的のために変革する、わたしにとってのよい機会となるからです。あなたの失望や期待はわたしの臨在に達する踏み石であり、あなたがそれを流し捨て、過去ではなく未来を見ることを今わたしはあなたに求めます。過去を見ているものに未来はないからです。わたしは今多くのわたしの民にわたしの霊を与える。」

幻の中でボブは、多くの神の聖徒たちの良心(あるいは彼らの霊)は清いけれども彼らの魂が清くないのを見ました。そして聖霊が、彼らが到達しているべきところにまだ達していない彼らの魂を今取り扱っておられます。「彼らの良心は清い、そして今、わたしは彼らの魂を清めようとしている。なぜならば、わたしは彼らの魂と霊をつかってわたしの王国をあらわそうとしているからだ。それでわたしは、彼らの魂がわたしの神聖な性質にあずかるものとなるように、今彼らの魂を清める働きをはじめている。あなたの霊は既に用意ができている。今わたしはあなたの魂を整えているのだ。というのは、わたしは魂と霊の両方を用いるからだ。わたしは、あなたに失望していないことと、わたしにあるあなたの未来が、実りのあるものになるところにわたしはあなたを連れてきていることをあなたに知ってもらいたいのである。」と主は言われます。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-09-21 15:20 | アメリカからのメッセージ

イスラム教徒へ福音を伝えるボトロス神父 ジョエル・ローゼンバーグ 9月13日

イスラム教徒へ福音を伝えるボトロス神父

ジョエル・ローゼンバーグ



皆さんは多分、ザカリア・ボトロス神父(Father Zakaria Botros)という名を聞いたことはないでしょう。しかし、彼の働きを是非知ってください。彼はアラブ系アメリカ人で、イスラム教徒たちに福音を最も効果的に伝えている伝道者であり、また、イスラム圏に旋風を巻き起こしている人物です。ラッシュ・リンバー(Rush Limbaugh)の伝道者版とでもいうような人で、愉快で快活、聡明で芯があり、かつ挑発的です。彼は型にはまったような福音を語るのではなく、主イエス・キリストの福音を語っています。彼の敵は単に彼を黙らせようとするだけではなく、彼を暗殺することを願っているのです。

先週、私はボトロス神父を電話でインタヴューする機会を得ました。(現在彼はアメリカに住んでいますが、その場所は安全のため公表されておりません。) アルカイダが彼を世界で一番悪質な異端者であり処刑するべき者だとして、彼らのウエブサイトに神父の写真を載せたことを、彼は話してくれました。彼らは神父の首に大層な報奨金をかけました。CBN(クリスチャン・ブロードキャスティング・ネットワーク)の報道では、その額は6千万ドル(60億円)にも上ると言っています。神父自身は額は知らないといっていますが、もしそうだとするとオサマ・ビン・ラデンの首へのアメリカ政府の報奨金が”わずか“2千500万ドル(25億円)なのですから、驚きます。

エジプト出身の70歳を過ぎたコプト派のこの神父に対して、テロリストたちはどうしてこのように激しく怒っているのでしょうか。それは神父が電波を使って彼らに戦いを挑んでいて、彼が勝利を勝ち取っているからです。

イスラム圏の諸政府は福音を国に侵入させまいとして様々な手段を使っていますが、神父はステートオブアート・サテライトの技術を使ってそれをすり抜けています。そして、モハメットが預言者であるとか、コーランが神の言葉であるというイスラム教の主張に対して、真っ向から挑戦を挑んでいるのです。彼はモハメットがとった行動を片っ端から分析し、彼の性格上の欠点や良くない行為を指摘します。 また、コーランを一節ずつ丹念に分析して、その矛盾や不合理を指摘します。 彼はイスラム教の間違いを何の遠慮もなく解明するだけではありません。聖書を使ってイエスがイスラム教徒たちを愛しておられ、誰でも、今までにどんな罪を犯していたとしても、その罪を赦し神の家族にするためにイスラム教徒たちが自分のところにくるのを待っておられることを説くのです。

この放送がケーブルチャネルを通してほんの片隅で流されていて、見る人もほとんどないのならば話しは別です。けれども、この90分番組はーー説教と教えと質疑応答(世界中から腹を立てたイスラム教徒たちが電話をかけてくる)で構成されているーーイスラム圏では人々の間で「絶対に見のがせない番組」となっているのです。この番組は神父の母国語であるアラブ語で週に4回、Al Hayat(命のテレビ)というサテライトテレビ・ネットワークで繰り返し放送されていて、北アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリヤ、ニュージーランドを始めてとして、北アフリカ、中東、中央アジアで見ることができます。そして多くの場所で見られるというだけではなく、一日5千万人のイスラム教徒が視聴していると言われています。

それに加えて、神父は数ヶ国語のウエブサイトを持ち、何百万人もの人が見ています。そこでイスラム教徒たちは神父の説教を読み、今までに多くの人がした質問に対する彼の答えをじっくりと学ぶことができるのです。また、「パル・チャット」と呼ばれるチャットルームに参加して、ライブで会話に加わることもできます。そこでは、よく訓練されたカウンセラーが対話に応じていますが、難問でもどんどん自由にすることを勧められます。カウンセラーの多くは、イスラム教徒からクリスチャンになった人で、人々の質問がどのようなところから出てくるか、どのようなことを人々は悩んでいるのかをよく理解できます。

その結果、ボトロス神父の名は(2003年から放送を始めたばかりなのですが)イスラム圏ではみんなに知られています。アラブの新聞の一つは彼を「イスラム社会の最大の敵」と呼びました。確かに何百万の人が彼を憎んでいます。しかしそういう彼らも神父の番組を見ているのです。聞いているのです。彼らは神父が言うことをじっくり考えて、それについて友人や家族と話しあっているのです。

ボトロス神父はイスラムの過激派聖職者たちにむかって、イスラムの教えに対する彼の攻撃に対抗しコーランを弁護せよ、と挑戦します。 すると、番組を見ている何百万もの人々がイスラム原理主義者の応答を聞きたいと待ち構えるのですが、それはほとんど起こりません。原理主義者たちは挑戦に応ずるのではなく、神父を攻撃することを選ぶのです。しかし、過激派が攻撃すればするほど、ボトロス神父は有名になります。

彼が有名になるほど、もっと多くのイスラム教徒が番組を見るようになります。そして多くのイスラム教徒が見れば見るほど、ボトロス神父の言うことが正しいという結論に達する人も増えて、イエス・キリストに従うことを選び取るようになってきています。一ヶ月に千人のイスラム教徒がカウンセラーとの電話を通してキリストを受け入れる祈りをしていると、神父は推定しています。ある人たちは番組の放送中にライブで神父によってキリストを受け入れる祈りに導かれています。そしてこれは氷山の一角に違いありません。というのは電話回線が一杯になって話せない人が沢山いるからです。今は沢山の電話を受け取る訓練されたカウンセラーの数が足りない状態です。

「Inside The Revolution」のために私は多くのアラブ系の福音伝道者にインタヴューをしましたが、彼らは神がキリスト教史上最大のイスラム教からの改宗者の収穫をもたらすためにボトロス神父を用いておられると言っています。神父は自分は何百万人が働いているムーブメントのただ一つの声に過ぎないと言っていますが、効果があがっていることを喜んでいます。イスラム教からキリスト教に改宗する人たちが以前よりずっと多くなり、彼は私の著書「Epicenter」を改宗者が多数になっている証拠として、少なくとも三回は引用したと言っていました。

そして、彼は主イエスが自分にいのちを与えていてくださる間は、これからも福音を語り続けると誓っています。「神はその一人子を与えてくださったほどにこの世を愛してくださった。それは御子を信じるものがひとりも滅びないで永遠の命を得るためである」というヨハネ3:16のことばが、彼を駆り立てているのです。彼は神がすべてのイスラム教徒を含めて全世界を愛しておられることを情熱的に心から信じています。彼は「誰でも」イエス・キリストが主であると信じるものは、ユダヤ人でもイスラム教徒でも、永遠の命を受けると信じています。彼はイスラム教徒はすべて過激派であるとは信じていません。しかし、すべてのイスラム教徒が霊的に失われたものだということは信じていて、彼らが彼らを創られ愛しておられる神の赦しと和解への道を見出すことができるように助けたいと必死なのです。


ボトロス神父が私に語ってくれました。「これは神の御手だと私は信じます。神が私を導いておられます。私が言うことも示してくださいます。ウエブサイトに書くことも神が教えてくださいます。神は贖いのメッセージが人々に届くように、もっとテクノロジーを使うように教えていてくださいます。」と。(終わり) 


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by walkwithgod | 2008-09-13 07:19 | 世界のニュース

坂 達也・柚実子 秋の来日のお知らせ   9月5日

坂 達也・柚実子 秋の来日のお知らせ

私たち夫婦の来日滞在予定
10月4日から11月3日まで。途中10月18日―26日は沖縄に参ります。(但し、グルーバー師とは3日間を除いて別行動です)

ルカ9:6「十二人は出かけて行って、村から村へと回りながら、至る所で福音を宣べ伝え、病気を直した。」ルカ10:9「その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた。』と言いなさい。」と主は言われました。

上記で明らかなように、イエスはご自身でそうされたと同じように、弟子たちにも出かけて行って、病気を癒し、福音を宣べ伝えるように命令したのです。使徒の時代には、宣教に癒しは付きものでありました。それに比べ今の教会は癒し抜きで力のない宣教をしています。
しかし、今こそ使徒たちが行ったことを再現する、あるいはそれ以上のことをする時がやって来たと信じます。

使徒行伝4:29-31に、「『主よ。…… あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。』彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。」とあります。

フロリダで起った癒しのアウトポアリングがきっかけとなり、今、癒しのリバイバルが世界中に広がりつつあります。
そこで、どうしたら皆様の教会でその癒しのアウトポアリングを持つことが出来るか、このテーマを中心にしたメッセージを持って今回日本に参りたいと思います。御地で私たちを交えての集会にご興味のある方はどうぞご一報下さい。(終わり)


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by walkwithgod | 2008-09-05 05:39 | ミニストリー予定

現在のリバイバルの歴史と将来 リック・ジョイナー 9月2日

現在のリバイバルの歴史と将来 ― パート8

リック・ジョイナー

      

しるしと不思議の拡大

過去十六年間にモーニングスター・ミニストリーでは多くの超自然的なことが起こりましたが、アウトポアリングが始まってからのこの十六週間には、それよりもっと多くの癒し、奇跡、しるしが起こりました。私たちは毎日主への畏敬の念に満ちて過ごしています。そして今私たちが新しいレベルの霊的領域に入ったことは間違いありません。この「新しい始まり」は、実は「いにしえの道」に戻ることです。即ち、一世紀の教会が、そこからそれてしまうまでは歩いていた命の道です。

この地上で、主を知り、その主のすばらしい御業を見ることができる程すばらしいことはありません。今は真に奇跡と不思議の時代です。〇八年八月八日の集会とか、あるいは私たちの毎夜の集会で主がなさる御業のすばらしを目の当たりにするとき、主は私たちに、まだこれからもっとすばらしいことが起ることに期待せよと言われているようです。私たちは(リバイバルが)未だ生まれるのを見ていませんが、今経験していることは霊的な意味で、生まれる前に来る産みの苦しみの最後の陣痛です。それは単にモーニングスターとかレイクランドのアウトポアリングだけではなく、もっとずっと大きい、真のリバイバルがアメリカにやって来つつあるということです。

これはまさに終末の収穫の始まりであり、私たちがその中で用いられるためには、これから何が起ころうとしているのかが分かる明確な眺望図を持つ必要があります。今地上にいる神の民は、全員が達成すべき重要な召しを神から受けています。 それ故にアウトポアリングが始まった当初から私たちのミニストリーが目指した目標は、ここへ来る人々がここから帰ったとき、自分の家族、教会、地域社会の中に癒しや奇跡を解き放つことができるように整えることでした。

二〇〇八年八月八日のタッド・ベントレー のミニストリー

八月八日にタッド・ベントレーを迎えて集会を開くことを、私たちは大いに期待し待ち望みました。タッドは最近では他に例が無いほど教会を興奮させました。彼に対する評価は中間がなく最高か最悪かのどちらかでした。タッドが来るというニュースはただちに前代未聞の興奮(期待)と脅威を私たちに感じさせました。脅威を感じたことは、かえってタッドを呼ぶのが主の御こころであるという確信を私たちに与え、私たちはさらに励まされました。しかし、脅威は真剣に受け止めねばならないことなので、私たちは神の動きに備えるとともに、敵からの攻撃にも備えました。これは皆さんもすでに学ばれたことと思いますが、神の動きが大きければ大きいほど、通常、敵の攻撃も激しいのです。

食べ物の屋台や様々な展示のテント、本屋などが朝早くから準備されました。集会は午後五時からにもかかわらず、朝九時すぎには人々が集まり始め、正午にはかなりの人数となり、よい天気とお祭り気分を皆楽しんでいました。
 集会が始まると主の臨在が濃厚で、私たちの集会でよく起こることなのですが、多くの人が霊的目を開かれ、霊の領域のものが見えるようになりました。人々のエネルギーと情熱を見て、大変励まされました。座席は十分にあったのですが、何千人もの人が五時間の集会の間、興奮してずっと立ち続けていました。

タッドを私はもう何年にも亘って知っています。彼は私たちの集会のゲスト・スピーカーとして来てくれましたし、私も彼のカンファレンスで何回もメッセージをしました。しかし、彼はこの夜、私が知っている限りで最も油そそぎを受けていました。彼もこのように強い油注ぎを受けるのは久しぶりだと言っていました。彼のメッセージは油注がれ、また非常に深いものでした。癒しのミニストリーもパワフルであり、多くの人々(私たちが個人的に知っている人たちもいました)が癒されました。聖書で「著しいしるし」と呼んでいるような奇跡もありました。(使徒行伝4:16参照) 集会後、私たちのチームや私が話をした人全員が、彼らが期待した以上のことが起こったと感動していました。疑いもなく神はこの集会の上に、預言的なすばらしい微笑を与えてくださったのです。この集会のDVDは教会の古典となることでしょう。

タッド・ベントレーの個人的問題

タッドが個人的な危機に面していたことを、今回彼と会う前日まで私は知りませんでした。水曜日の夜、彼が到着してすぐ、彼は自分の個人的な問題、特に最近妻と別居したことについて話がしたいと申し出ました。 タッドの話し方は自分を正当化しようとするものではなく、私にすべてを話して、翌日の集会で彼が話すのをキャンセルした方がいいならば、そうして欲しいということでした。私は彼のこの態度を心からうれしく思いました。
私は今でも彼らの別居の全貌を知らないのですが、彼が不倫を犯したのか、あるいは彼が誰か別の女性に愛情を感じているので問題を起したのかということは訊ねました。彼は不倫を犯したことはないこと、また、「他の女性」も存在しないと言いました。タッドのミニストリーのリーダーたちとも私は話したのですが、彼らもタッドの結婚の問題を非常に悲しんではいましたが、タッドが今までに不道徳な関係を持ったことはないことを確証してくれました。

タッド夫妻の夫婦関係に問題があることは、この数年多くの者が知るところでした。どちらかを責めるというほど詳しい事情は知らないのですが、私はタッドという人間をかなりよく知っております。彼のような人と結婚しているというのは、譬えてみれば、ハリケーンと鎖でつながれているようなものに違いありません。タッドに比べれば、あの激しいマイク・ビクルでもおっとりしているように見えます。タッドは使徒ペテロに非常に似ていると思います。ペテロの気性は彼の信仰を著しいものにしましたが、それと同時に大きな失敗をも犯させました。タッドはこれからの時代に台頭してこようとしている「激しい世代」の最も極端な表れです。

好むと好まざるとにかかわらず、霊的に最高の功績を挙げる人というのは、往々にしてこのような性格を持つものであり、それゆえに大きな失敗をも犯してしまいます。ですからタッドに問題があることを聞いても、私は少しも驚きませんでした。それ以後もう少し詳しい事情を知りましたが、それでも私はショックを受けていません。勿論それは無視できない問題であり、悔い改めと方向転換によって解決せねばならないことです。私たちは皆、彼のために勝利とブレークスルーを望んで祈っていますが、多くの場合、そのためには本人と同じ気性を持つ人々の助けが必要です。ペテロがイエスはキリストであるという最高の啓示を受けたとき、聖書の中で最大の賞賛を主はペテロに与え、御国のかぎを渡されました。しかし、その後に主はペテロをサタンと呼ばれ、聖書の中の最大の叱責を与えねばなりませんでした。(マタイ16:18-23)
しかし、主はペテロから御国のかぎを取り上げることはしませんでした。それは後にペテロが主を否んだときも、またもっと後にパウロが公にペテロを叱責したとき(ガラテヤ2:11-15参照)にさえ、そうされませんでした。御国への霊的ドアを開けるかぎを受けるような(偉大な)人の多くは、大きな失敗をもしてしまい易い人のようです。このタイプの人は何事も小さくはできないのです。彼らは大勝利を収めると同時に敗北もまた大きいのです。

数ヶ月前に私がレイクランドを訪れたとき、タッドが妻との関係を修復するために一生懸命努力していることを聞きました。しかし6月に彼女はタッドから去り、今は連絡をとることも拒絶しています。 彼女と会うことさえはっきりと拒絶されて、タッドは結婚の回復の希望を失っています。明らかに彼はフラストレイトしていて、長年にわたる非常につらい状況をどうにか変えたいと願っています。

今のアメリカ社会は半数の人が離婚を経験しています。又、それ以上多くの人たちが、自分の親が離婚したときに多くの問題や苦しみを経験したために、結婚しないでいます。離婚が起こったときの一番の犠牲者は常に子供たちです。家族の崩壊は現代の大きな悲劇であり、早急に対処すべきものです。ですからタッドの結婚の問題を大事件として扱いたい人がいることは理解できます。確かにそうなのです。
けれども、離婚経験者はミニストリーや教会のリーダーをする資格がなくなるのでしょうか。それを理由として彼らをミニストリーやリーダーになる失格者とするならば、神をも失格者にすることになります。エレミヤ書三章に、神がイスラエルに離婚状を渡したと書かれています。神も離婚されたのです。私たちの教会の中で半数近くの人が離婚を経験しています。又、多くのクリスチャンが離婚をしたために教会からとがめられていると感じて、教会から離れています。この問題は単にタッドのためだけではなく、教会のためにも私たちが考えねばならない課題です。

神が離婚されたとき、それは神の落ち度でしたか。 勿論違います!神はもっとも完全な夫でした。しかし、神の妻はわがままで強情であり、神はついに見放したのです。聖書を読んでみてください。そう書いてあります。神でさえ我慢する限界があり、それは当然なのです。離婚が正当である場合があるのです。けれども、神はご自身が離婚を経験された故に、離婚を心から憎まれるのであると私は思うのです。離婚は常に悲劇です。そしてほとんどの場合、親よりも子供にとって最も悲惨です。

私がこう言うのは、タッドは正当だと言いたいからでもなく、又糾弾するためでもありません。現時点では、私は誰かを正当化したり糾弾するだけの情報を持っていません。不正の裁判官は(その多くは審判を早急に下そうとする者ですが)聖書の中で厳しくとがめられています。誰かが結論を急いで出してしまうという間違いを犯すのを食い止めるために、私はこの文を書いています。今、主にある私たちの一人の兄弟、一人の姉妹、彼らの子供たち、そして一つのミニストリーが傷つき苦しんでいるのです。タッドが病気の人や苦しんでいる人たちのためにミニストリーを続行することを私は大変感謝していますが、彼と彼の家族、そしてミニストリーこそが、今癒しを必要としているのです。他の何よりも一番彼らを助け、またキリストのからだなる教会を助けるものは、今の状況の中で真のクリスチャンの愛が表されることであり、正しい裁判官が立ち上がることだと思います。それは教会の真の長老たちの役目だと信じます。

 現在のキリストのからだにとって、タッドのようなミニストリーを失うことは最大の悲劇の一つとなるでしょう。今まで何十年もなかったようなレベルで、彼は真のパワー・ミニストリーによって地を勝ち取ってきています。タッドを失い、彼のフレッシュ・ファイヤー・ミニストリーを失うことは、キリストのからだにとって大きな敗北となることでしょう。勿論、私たちは生き残りますし最終的には勝利しますが、この敗北に支払う代価は大変大きいでしょう。
それでは今、私たちはどうすればいいのでしょうか。 まず、何よりも「愛は決して滅びない」ことをしっかりと心に留めねばなりません。(1コリント13:8)主ならどのように対応されるでしょうか。 どうすれば私たちはこの状況を、主の目を通して見ることができるでしょうか。 それは主がすでに示してくださっています。第二コリント5:14でパウロは「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。」と言っています。もしキリストの愛によって私たちが取り囲まれ、コントロールされているのであれば、私たちはどうすればいいのでしょうか。 人類が罪に堕ちたとき、主は私たちを批判せず、ゴシップもせず、非難もしませんでした。主は私たちのためにご自分の命を与えてくださいました。 

私たち教会が人を贖い回復させることを学ばないならば、この世の人たちは贖いと回復の福音を決して信じようとはしないでしょう。最悪の事態の筋書きを考えてみましょう。タッドがひどい罪を犯して、それが別居の原因になったと仮定しましょう。そのとき私たちはどのように対応すればいいのでしょうか。ガラテヤ6:1で次のように語られています。「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせない。」
つまり、ある者が「あやまちに陥ったら」なら、「御霊の人」はその人を正しい道に立ち返らせ回復させねばならないのです。真に霊的な人は、すべての状況において「 贖いと回復」を目標にして対応せねばなりません。それは単に赦すというだけではなく、以前その人がいた場所にまで立ち返らせるということです。次の節にはこうあります。「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」(ガラテヤ6:2)
今は成熟したクリスチャンの愛を教会が示すよい機会です。それは妥協することではなく、こういった問題に対して教会が今まで取ってきたのとは逆の態度で対応するということです。もし憐みを受けたいならば、機会がある度に憐みを蒔くことを学ぶ必要があります。今がそのチャンスです!

レイクランド・アウトポアリングはこれからどうなるのでしょうか。 今のところ、このまま継続され、力は強まる可能性があります。レイクランドに泉が湧き出したのですから、それを塞ぐ必要はありません。
一方、モーニングスター・ミニストリーはどうでしょうか。 私たちは八月八日に新しい召命を受け、より高く、より深く、より遠くまで進もうとしています。私たちのミニストリーが創造された目的であるものを、もうすぐ産み出そうとしているところです。それは九月二十一日ごろから始まると私たちは信じています。二〇〇八年八月八日という日が主から示されたのと同じように、この九月二一日も主から与えられました。そしてこの日がWhiteDove Ministriesと共同で「父を敬うカンファレンス」を開催した日からちょうど六ヶ月目に当たることは、決して偶然ではないのです。(終わり) 


【訳者注:以下は上記題名で八月十八日にモーニングスターから出された記事を要約したものです。従って全文ではないことをお断りしておきます。】

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by walkwithgod | 2008-09-02 05:46 | 坂達也からの今月のメッセージ

トッド・ベントリーへの批判噴出に対して思う  坂   達 也 9月2日 

トッド・ベントリーへの批判噴出に対して思う

                           坂   達 也         
                  
今トッドに対して喧々轟々の批判とかコメントが噴出している。トッドが奥さんと別居したと言う公式声明文の外に「既に離婚の手続きを始めた」と言う人もある。実は私も本当のところはよく分からない。その点、私は基本的にリック・ジョイナーの考え方に同感である。(ジョイナーの別文「現在のリバイバルの歴史と将来 パート8」参照) トッドは今総てのミニストリーから離れ、謹慎中の身であるが、自分の「間違い・至らなさ」を充分認めていると言う。
こう言う事の成り行きの後は、往々にして極端な批判に傾く懸念があるので、そのバランスを取る意味で、私は少しばかりトッドを弁護してみることにした。同時にトッドを批判する人に「気をつけてものを言われよ」と重々に警告したいのである。

第一は、神が最後に「ヨルダン川を渡らせる」人たちは若者であることを思い出していただきたい。ボブ・ジョーンズとトッドは二五歳から四0歳を「その若者たち」としたが、この年齢の範囲をとやかく言うのは別にして、少なくとも三二歳のトッドは「ヨルダンを渡る」年齢に属する人で、そのリーダー格の一人として神が立てられた若者なのだ。
一方批判する人たちのほとんどが四〇歳以上の「年寄り」であることに私は気がついた。その点私は、今回のことを通して両方の年代層が学ぶように、神は敢えてトッドがこうなることを許されたように思うのである。それは、若者に対しての警告であると共に、年寄りに対してはもっと厳しい警告を発せられたような気がする。年寄りは放っておいても「小言こうべい」になりがちで、年寄りに若者のあらが目立つのは当たり前である。それだけに年寄りは、言いたいことを我慢し、そのエネルギーを若者を援護し建て上げる方に使って行かねばならない。そうしない年寄りは皆ヨルダンを渡れないと危惧する。その昔年寄りの中でヨルダンを渡ったのはヨシュアとカレブ、僅か二人だけであったことを今一度肝に銘じるべきではなかろうか。今回神からテストを受けているのは、実は年寄りたちであるように私は思う。

第二に、聖書には欠点のない人はほとんど出て来ないことを指摘したい。中でも神が最も愛する人間の一人はヤコブであったことを思い出していただきたい。そのヤコブは双子の兄を押しのけ、母親とぐるになって、親父をたぶらかせて長子の権利と祝福をうばい取った男である。まさにヤコブと言う名の通り「策略で人を押しのける人」であったのだ。もし彼が今の世に生きていたら、人々は何と彼を批判するか、私は考えただけで身震いがする。そのヤコブの良さは、どんなことをしてでも神の祝福を得たいと言う神への愛と情熱に燃えた男であったことだ。ジョイナーはトッドをペテロに似ていると言ったが、私は、トッドはヤコブにも似ていると思う。
しかし策謀家のヤコブも自分の名前と性格がいやで変えてもらいたかったに違いない。神の人に夜通し、しゃにむにしがみついて祝福を受けるまで離さなかった。そしてついに「神と戦って勝ち」イスラエルと言う名を得た。神はこう言う激しい男、しゃにむに神を愛する熱血漢を愛されるのだ。私は今回、自分のことを考えてみた。私の様に欠点だらけの人間ですら哀れんで愛して下さる神なのだから、その神が、少々欠点があっても神を求めて止まない、神を人一倍愛する熱血漢のトッドを愛して用いられない訳がないと思った次第である。私にとってトッドの最大の良さとは、彼が神の御声を聞きたくて常に神に飢え乾いて求めている人であることだ。

第三に、リバイバルとか癒し、聖霊のムーブメントはあくまでも神がなさる業であって、今回においてもトッドを中心にして聖霊のアウトポアリングを起しておられるのは誰でもない、神ご自身であられるのだ。それなら、神が起用している人を下手に批判することは、神を批判することになりかねないことに充分気をつけていただきたいのである。

最後に触れたいのは六月二三日に行われた使徒的アラインメント(一致協力することに同意する)の式についてである。この式はピーター・ワグナーが司会して、多くの使徒と言われる人たちが集まった。その中から特にチェ・アン、ビル・ジョンソン、ジョン・アーノットの三人が選ばれ、トッドがこの三人に使徒的にアラインされた。つまり三人はトッドの後見人・監督官になったのである。そして、彼らがタッドをレイクランド・アウトポアリングを導く伝道者として任命した。
私はこの三人が若いトッドの監督として選ばれたのであるから、今こそその義務と責任を誠意と愛をもってとことん果たしてもらいたいのである。その他に、ボブ・ジョーンズ、リック・ジョイナーがついているので、彼らが父親のような愛をもってトッドを指導することに期待したい。神はトッドにそれが必要であることを初めから見越してこのような神の長老たち(エルダー)を用意しておられるのだから、総て神の御手の中にあるのだ。安心して彼らに任せたい。愛と祈りをもって彼の夫婦関係の回復と個人的成熟、そして、よりすばらしいミニストリーへの復帰を、私も心から願って止まない。(終わり)

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by walkwithgod | 2008-09-02 04:45 | 坂達也からの今月のメッセージ

終末の大リバイバル時代の幕開け   坂 達也  9月2日

終末の大リバイバル時代の幕開け

【この記事はハーザー誌10月号のために書いた原稿です。】
         
              坂   達  也
 
四ヶ月余り続いたタッド・ベントレーによるレイクランドのミニストリーが八月六日を以って事実上終了した。と言ってもこれでレイクランドのアウトポアリング・ミニストリー、あるいはベントレーの癒しのリバイバルが終わった訳ではない。むしろ、新しい展開へと発展的に移行(トランジッション)したのだ。ベントレーはレイクランドのミニストリーを最初に彼を招いた発祥の教会イグナイテッド・チャーチ(Steven Strader牧師)に返し、今後はこの教会によってミニストリーが継続される。一方、彼自身は「主の栄光の雲に導かれ、契約の箱と共に」世界に出て行き、アウトポアリングを終末の大リバイバルへと移行・推進するための火付け役(catalyst)となる。八月六日のイグナイテッド・チャーチの集会でその正式な引継ぎと新たなる出発が確認された。
 
振り返れば四ヶ月はあっという間に過ぎた。この間、お通夜中にお棺から起き上がった人も含めて三五人の死人がよみがえり、不要になった車椅子が数日間で五十台ステージに並んだ。少なくとも癒しと言う点では使徒行伝を凌駕するのは今や時間の問題である。事実、三五人の死人が生き返ったのは、多くの場合トッドが個人的に祈ったからではなく、聖霊の油注ぎが分与され、主の栄光の臨在がその場所の霊的空気を圧倒的に変えられたから起ったのだ。トラックで集会場の前を通っただけで癒されたとも聞く。その意味では使徒行伝5:15にあるペテロの通る影で癒されたことに優るとも劣らない。

しかしそれ以上に私が評価したいのは、ベントレーの過激的とも言うべき信仰が人々を聖霊に目覚めさせ、噴出(アウトポアリング)させ始めたことだ。今や人々は貪欲に「主に飢え渇き」、主の臨在と栄光を熱烈に求め始めた。「しみもしわもない花嫁」にするために主がクリスチャンの「霊的成熟」のプロセスに火を付けられたと言うべきであろうか。ついに教会に大覚醒が起る前触れである。
特筆すべきことは、レイクランドのミニストリーは夜の集会だけではない。日中に連日ハーベスター(収穫のための働き人)を養成するクラスが持たれ、ここから既に一万二千人が誕生したと言う。油注ぎは伝染し、人から人へと分与されて行く。これが今回のアウトポアリングの最大の特徴であろう。
加えて、メディアにもリバイバルが起っている。テレビとかコンピューターの画面から聖霊の分与が十分受けられることが分かって、メディヤによる伝達技術は、単にフロリダからの実況放送だけではなく、ビデオとかDVDの再生技術を通して人々は世界のどこにいても、好きな時間にいつでも、しかも過去のどの集会にでも、ボタン一つで自由自在に出入り出来るのだから驚嘆に値する。これによって今や同じ放送を世界中で何百万、何千万の人が見たり聴いたり出来る時代に入ったのだ。時間と空間を越えた「偏在」の神は、まさに聖霊による前代未聞の「世界伝道」を開始されたと言って過言ではない。

ベントレーこの四ヶ月で自分の人生も、ミニストリーも、そして世界も変わったと述懐する。それは大袈裟ではない。主のご計画はあまりにも大きく、自分一人でやれることではないと告白した。正直なところ短時間でこれだけのことが起ったのであるから、傍からの喧々轟々たる批判やマネージメントの混乱を招いても全く不思議はない。彼は「代価は支払わねばならない。」と言った。彼は、その代価とは多くの人の祈りと協力であると指摘したが、それ以上に彼自身が相当な代価を払って来ているのだ。予想も出来なかったこの激動の四ヶ月、その大きなプレッシャーの下で耐えて来た彼は、今再び夫婦関係が崩壊し別居生活に入ったと報道された。その後八月一五日に、ベントレーはスタッフの一人の女性と「感情的なレベルで不健康な関係に入っていた」(肉体関係があったとは書かれていない)ことが分かり、しばらく一切のミニストリーから退き、個人的なカンセリングを受けることに同意したと発表された。これは彼の所属するフレッシュ・ファイヤー・ミニストリーからの緊急な祈りの要請として発表されたものである。〈これについての判断はリック・ジョイナーからのメッセージを参照願いたい。〉
ベントレーは今サタンからの攻撃を一身に受けている。これからその激しさが十倍になることを覚悟していると言う。それにつけても自分の領域を脅かす者に対するサタンの攻撃は激しい。アメリカで最も信頼できる預言者の一人ボブ・ジョーンズが三三年前に、堕胎とホモセクシャルを容認するアメリカ社会の傾向に対して厳しい警告を発した時、サタンが現われ、彼がこれ以上警告を続けるなら彼を殺すと脅した。事実、彼は「殺され」臨死の体験をして天国に行った。主は敢えてサタンの攻撃を許されるのだ。何故なら、その人が試練に屈しない時にヨブの祝福を与えることが出来るからである。
 
モーニングスターでの集会
 
こうしてレイクランドを離れ、グローバルなミニストリーの途についたベントレーの最初の訪問地は、計らずもリック・ジョイナーのモーニングスター・ミニストリーの本拠地、フォートミルであった。私はここに神のなさる業の深い神秘性を感じてならない。この場所はその昔80年代に一世を風靡したジム&タミー・ベーカーのPTLミニストリー(世界的クリスチャンTVミニストリー)が、2400エーカーの広大な土地を開発して一大クリスチャン観光地を作り上げたヘリテージUSAのあった処である。PTLは、ピーク時にディズニーランドに次ぐ年間訪問客数を誇った、教会史上に残る画期的な事業であった。しかしこの事業は89年にあえなく崩壊し、その後民間企業による各種の再開発が試みられたが総て失敗に終わり、98年以降は全くの廃墟となっていた。しかし神はご計画を持っておられたのだ。この廃墟へ、直ぐ近くに本拠地を持つモーニングスターを導いた。彼らは2004年9月に、廃屋となっていたホテル等の施設と54エーカーを購入し、500室のホテルとカンファレンス施設を改装してミニストリーを開始した。そして引き続き残りの部分の開発途上にある。私は、神が初めからヘリテージをモーニングスターのために用意されていたと思えてならない。このフォートミルと言う町は南北カロライナ州の州境にあり、近くにシャーロット市がある。この地区にリバイバルが起ると預言されてから半世紀になる。ここで過去十二年間ジョイナーのグループはリバイバルを祈り続け、波状的に訪れる産みの苦しみを経験して来た。そして4月22日にレイクランドを訪れた二人の高校生が持ち帰った火種によって爆発的に燃え上ったのだ。その後に起っていることは、ハイライトのテープを見る限りまさにリバイバルである。 私は、モーニングスターに今起っていることからはレイクランドにない厚みを感じる。長年の祈りと独自の使徒的・預言的ミニストリーで培われた努力が基盤にあったからであろうか。そこに火付け役のベントレーが訪れたのだから、この〇八年八月八日の集会は教会史上記念すべき日となった。モーニングスターでは、この日のために四〇日間の断食をした。

ジョイナーの挨拶で始まった集会の冒頭で、ベントレーはリバイバルと契約の箱はいよいよここから世界に向かって出て行くと大声で宣言した。会場には興奮がみなぎった。八と言う数字は「新しい始まり」を意味する。彼は前日に御使いの訪れを受け、この日が王に授ける新しい油を注ぐ特別の日となると告げられていた。そこで彼はイザヤ61:7「あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、その国で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが彼らのものとなる。」を引用し、この日こそが、聖霊の二倍の分与を受ける歴史的な日であると語った。この二倍の油注ぎを受けることによって、総てのくびき(束縛)が打ち破られ、解き放たれることが宣告された。「今日集まった総ての人が、今日から二倍の油注ぎのマントルを着て、神から約束されている二倍の約束、二倍の恵み、二倍の力を受けよ」と彼は叫んだ。

ボブ・ジョーンズ

 次に、ボブ・ジョーンズが立って、主から受けた預言として新種類の働き人「New Breed」が起されることを紹介した。彼によれば、今までのリバイバルは完全に成熟していない人たちが携わったのでリバイバルは止んだ。しかし、これから起るリバイバルはパウロの祈り「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」(ガラテヤ4:19)が成就し、特に二五才から四十歳までの新しい世代の若者たちが起される。この人たちは、聖霊に導かれ、特別の油注ぎを受けながら「神の性質」に成熟する人たちなので、リバイバルは後退することがない。この若者たちはハーベスターとして育ち、世界に出て行って最後の大収穫の働き手となると説明した。一方年配者はヨシュアの役目を受け持ち、この新しい世代の前に立つのではなくて、後ろに立って援護する役割があると語った。この後、これらの年代を代表する一五人の若者たちがステージに上げられ、ベントレーとジョーンズから按手を受けた。そして、ジョーンズは、自分が三三年前に天国に行った時の話(前述)に触れた。天国に行った時、彼はもはや地上に帰りたくはなかったが、主が終末に十億の魂を救う大リバイバルを起されること、そして地上に帰れば彼をその中で用いると語られて帰って来たと言う。彼がサタンに殺されるのを主が許されたのは、このためであったように私は思う。ジョーンズ自身を霊的に成熟させるために彼に一度死を経験させ、天で近しく主とお会いする機会を与えたのだ。

 ここでボブ・ジョーンズと言う預言者をもう少し詳しく紹介したい。私は彼を批判する人たちがいることを知っているが、その理由は、彼と主がどれ程親密な関係にあるかをその人が理解出来ないからであるように思う。アブラハムとかモーセは神の友と呼ばれ、親しく神と会話を交わし、総て神の指示に従って行動したことは聖書を見ればよく分かる。しかし現代においても神の友と呼ばれるほど親しく神と会話している人はいない訳ではないのである。私はそのような人を少なくとも二人知っているが、それはジョーンズとグラハム・クックである。世の中にはかなり正確に主からの預言を受ける預言者は多数いても、毎日親友のように気軽に主が声を掛けてくれる人はそんなにいない。その点私は、ジョーンズをかしこまって預言者と呼ぶよりも「主の友人」と呼ぶ方がぴったりする人であると思う。今神は彼のように神に親しい人を求めておられる。何故ならこれからのハーべスターは主の花嫁であり、花嫁とは皆少なくとも彼のように神と親しくなることが要求されているからだ。そのジョーンズがしきりに口にするのが「成熟」と言う言葉である。以降で少しそのことを私なりに説明させていただきたい。

私たちが成熟するとは、「 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する…」(エペソ4:13)と言うことである。しかし、この御言葉を真に理解している人は案外少ない。この御言葉を意訳すれば「ついに、私たちがみな、イエスの持つ信仰と知識のレベルに達して一致結合し、完全に成熟してキリストと同じ『完全な人』になるため…」となる。ところが「私たちは完全な人間にはなれない。キリストと同じになるなんて無理であり、第一不遜な考えだ。」と根っからネガティブに教わって来たので、聖書で神が最終的に何を人間に期待しているかが見えなくなっているのである。
 ここで「満ち満ちた」と言う形容詞が出てくるが、英語ではFULLNESSで、はっきりしている。しかし日本語は曖昧である。例えば「私、もうお腹一杯」と言う時に、その一杯さ加減は主観的で、人によって違う曖昧さが残るのと同じで「満ち満ちた」にも曖昧さを私は感じる。その替りにガソリンスタンド用語の「満タン」と言えばはっきりする。つまり完全な人になるとは「キリストを満タンにする」ことであり、実は私たちクリスチャンは既に、キリストが聖霊として 満タン状態で内住しているのである。私たちは信じて聖霊を受けた時、その一部だけを受けて、後足りないところを後で徐々に補充するのではないのだ。問題はその満タンの聖霊をフルに活用し「力」に変えていないことにある。ベントレーとかジョーンズが「もっと聖霊を求めよ。油注ぎの分与を受けよ。神の臨在の中で生きよ。」としきりに叫ぶのは、私たちに内住する聖霊が少し足らないからではない。私たちの内でフル活動をしていない聖霊の力を呼び起こし「活性化させる(英語でactivate)」ために、あるいは「火付け、触媒(catalyst)」の働きを受けるための聖霊の油注ぎを熱心に求めるようにと勧めているのである。それは発火を促すためであると言ってもよい。ベントレーから「油を分与され」、それにあなた自身が信仰のマッチで火を付ければ、あなたの中にある満タンの全聖霊が燃え上がって力となってくれるのである。又、聖霊の濃い臨在の中に私たちが入れば、その場所の霊的空気が変わる。その意味は、主の濃厚な臨在の中に入ると、あなたの内なる聖霊が燃え上がる発火点はうんと低くなるのである。だから放っておいても火が付き、勝手に癒しが起る。聖霊のアウトポアリングとは内なる聖霊を溢れ出さすことなのだ。つまり、私たちの内には、総ての病気を癒し超自然の奇跡を起す力が既に内在しているのだから、その力を引き出せばよい。そうすればクリスチャンは誰でもイエスがしたと同じ位の癒しと奇跡を起せるのである。

さて、ジョーンズは、毎年ポール・キース・デイビスと共同で、次の年がどのような年になるかを「Shepherd’s Rod」と言う小冊子で発表して来ており、私は今回念のために約一年前に彼が2008年について何を語っていたかをチェックしてみた。それによれば、その当時主は彼に「今のシーズンは先ずハーべスターをハーベストすることにあり、そのために主は『過激的な信仰と情熱を持つ若者たち』を今年動員する」と語られたと言う。そしてジョーンズが見たビジョンは、砂漠地帯を走る狭くて真っ直ぐな道があり、その上にはきれいな多彩色のカーペットが敷かれていた。このカーペットは神との契約を表し、この道を歩く限り必要なものの総てが神によって具えられていると言う。その道はヨルダン川岸まで続き、その川を渡るための道である。もし人がこの狭い道から外れれば、その外は砂漠の岩だらけの道である。私たちが道に留まって進むためには絶対に聖霊の導きが必要であることが示され、そのために聖霊のアウトポアリング(この言葉がフロリダより前に使われていたのに驚いた)によって神が導く御声がよく聞こえるようになる、それはイザヤ30:20-21で「あなたの目はあなたの教師(聖霊)を見続けよう。…あなたの耳はうしろから、『これが道だ。これに歩め。』という言葉を聞く。」であった。又、イザヤ 35:7-8「その道は聖なる道と呼ばれ、汚れた者はそこを通れない。」が示され、その道沿いには「霊的成熟」が具えられているのが見えたと彼は言う。それに加えて、多彩色のカーペットの出発地点に色々な道具が山積みされているのが見えた。それが何かと尋ねると、主(御使い)は「今まで使って来た霊的な道具(種々の賜物)は古くなって、これからは使い物にならないから出発の前に捨てなさい。これから来る新しい未曾有のリバイバルでは忠実に主の御声に従うことだけが唯一必要な道具である」と説明されたと言う。
そして、ジョーンズの奥さんがその前日に夢を見たことが書かれてあった。その夢では彼女は旅行に出掛けるところであり、目的地はヨルダン川であると言われ、渡された列車の切符を見ると888と言う数字が見えたと言う。その数字の解釈は2008年8月8日が「出発の日」ではないかと書かれてあった。その通り8月8日に旅立つ若者の按手式が行われたのだから私は少なからず吃驚した。

ベントレーの見たビジョン

若者の按手が終わった後、ベントレーはレイクランドが始まった二週間後に与えられたと言うオープン・ビジョンを披露した。それは主がこれから起す終末のリバイバルの進行過程を説明したものであった。そこには階段が全部で十二段あり、まず三段上って最初のフロアーがある。次に三段上って第二のフロアーがあり、これを繰り返して、全部で四つのフロアーが見えた。最初の三つのフロアーは外庭、聖所、至聖所に例えられた。第一のフロアーでは自分の罪の生活に気がつき、恥じ、罪の責め、汚れを悔い改め、洗いたいと願う人が多くいた。第二のフロアーは供えのパン、純金の燭台等があるところで、多くのクリスチャンがそこで祈りと賛美と礼拝を行っていた。第三のフロアーは至聖所で、そこは栄光に満ち、神の畏れと臨在が濃厚であった。人々は何かを祈るのではなく、ただ神を畏敬し平伏し臨在に浸った。フロアー毎に霊的な成熟度合い、リバイバルの進行状態、栄光と臨在の度合いが増し加わることが示されていた。神の栄光と臨在への飢え渇きも各階毎に大きくなり、それにつれて栄光と臨在が増した。又、各段階で癒しの度合いが違っていた。最初のフロアーは一般的な癒しが行われていたが、第二のフロアーでは、顕著な、驚くべき奇跡(使徒19:11)とか使徒五章の癒しが行われ、第三のフロアーでは死人がよみがえり、そこは聖さが満ちていて人格とか性質が取り扱われていた。 
しかし、この三つのフロアーの上にもう一つのフロアーがあった。そこにはロマ書八章の世界があった。被造物が総ての滅びの束縛から解放され、神の息子・娘たちが真の栄光と自由を得て、圧倒的な勝利者となる「よみがえりの命」で生きる場所であった。そこでは、もはや死人を生き返らすと言うような業は行われず、人々は「神の性質」を完全に着て、しみもしわもない完成された「花嫁」「キリストのからだ」となった。油注ぎも個人だけでなく、コミュニティー全体に注がれ、注がれたコミュニティーは五〇キロ四方毎に変えられていた。 主はベントレーを通して、これから来る最後の大リバイバルで何が取り扱われ、教会がどう変らねばならないかを示されたのであった。 

ここで最近のリック・ジョイナーのリバイバルに対するコメントを付記してみたい。彼は終末の大リバイバルをロケットの発射に例えた。ロケットを宇宙の最終軌道上に打ち上げるためには、第一段階に達するためのブースターが完全に燃焼されなければならず、(完全燃焼せずに次の段階に移れば力不足でロケットは最終軌道に乗らない)それが燃え切った時点で次のロケットが点火され、それが完全に燃焼されて第三段階に到達する。ジョイナーも第一の段階はハーべスターの召集・養成であると言い、第二段階でその養成されたハーべスターがものすごい魂のハーベストを行うと預言する。第三の段階では「社会のトランスフォーメーション」が起る。そして、最終的に王国の完成と言う永遠の軌道に乗せるのがその終末目的であると言う点でベントレー、ジョーンズと一致している。

さて、最後にこの八月八日の集会に関して私自身の感想を述べさせていただきたい。私は最初にこの日の実況放送を三時間余り、ぶっ通しでGODTVの前に釘づけになって見た時、言い表すことが出来ない感動とショックを感じ、しばらくは何も手が付けられなかった。その後の二日間は何も書けなかった。勿論それは、圧倒的な臨在があったからこそではあるが、油注ぎとか濃厚な臨在と言ってしまう以上のものを感じたのである。今までは聖書を書かれたものとして受け取っていたに過ぎなかったものが、生まれて初めて目の前で聖書を生きて動くものとして見たような気がした。自分がその中に生かされ、参加している興奮と戦慄を覚えた。終末に生きる私たちは、これから聖書に書かれている総てのことを主と共に、主に従って終結・完成させる仕事に参加するのだ。これが興奮しないではおられないのである。二〇〇八年八月八日から世界の霊的空気が変わり、新しい段階に入ったことを私ははっきり感じる。(終わり)



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by walkwithgod | 2008-09-02 04:36 | 坂達也からの今月のメッセージ