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「主を見つめて待つ」祈り(2)  坂 達也 2009年1月31日

主を見つめて待つ」祈り(2)

坂  達 也


この年の初めに当たり、多くの方がなさったように私も断食をしました。その時に感じたことがあります。
それは、断食をしていると段々体力が弱り、特に今回は「考える」頭のエネルギーが不足してくるのを感じました。 

聖書を読んで、参考書を見たりしながら(知らないうちに)深く考えこんでいると、エネルギー不足で段々考えられなくなってしまったのです。そこでやむなく、考えるのを止めて休みました。そして主をぼーっと見上げ何となく主に浸っていると、一つの、それもかなり深い「思いと考え」がすーっと心に入って来ました。その時気がついたことは、自分は全く安らかな気持ちであって、少しも自分自身のエネルギーが使われていない、むしろリフレッシュするような新鮮な力すら感じたのです。

 私はその時、成る程断食のよさの一つはこれだと思いました。今回断食をして主から改めて示されたことは、日頃「自分の考えに死ぬ」「頭で考えるのを止めて、それよりも主に聞け」と自分に言い聞かせていながら、実際にはなかなか自分で考えることを止めていないと言う事実でした。そして、それがいかにエネルギーばかり使う「徒労」であるかと言うことを、今回はっきり肉の形で主から教えられました。


さて、心を静め、総てのことを忘れて主の御前に立つ時に、クリスチャンとして最もすばらしいことの一つが起きます。それは、心の中に愛と喜びが溢れ出てくることです。

1ペテロ1:8、9に「 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」とあります。

「魂が救われている」と言うことは、心の内が、言葉では言い表せないほどすばらしい喜びに満ちあふれている状態です。ですから、これを経験されてないクリスチャンはいないと思いますが、残念なことに、それがいつもそうであるとは限りません。毎日の生活の中で色々なことが起き、しばしば失望したり、怒りがこみ上げてきたり、いらだったりします。

そこで、いつも喜びの中に生きるための秘訣があります。それは、自分の廻りに起こる一切のことが、神が許されて私たちに下さっていると信じて疑わないことです。特にいやなこと、悪いことが起こった時にそう信じて感謝することです。このことを頭の中で理解しておられる方は多いと思いますが、本当に信仰で実行している方は案外少ないのではないでしょうか。第一、この信仰に堅く立っていなければ、どうして総てを安心して主に委ねることなど出来るでしょうか。

朝一番に主の御前に立って、主を喜び、主の愛と喜びのうちに主と共に過ごす時間がいかに大切で、必要なことであるか、この祈りをする方はよくご存知です。この祈りをすることによって、その日一日の総てを主に委ねて、安心して迎える用意が出来ます。
特に、自分には不可能でどうすることも出来ないような厳しい状態にある方にとっては尚更です。そのような試練の一日を「まるで人事のように、鼻歌まじりで」過ごせるようになります。いや、そうなることが目標です。何故なら、私たちが主に一切を委ねたのなら、何が起ころうと総てが「他人事―イエスが私の代わりに生きて、解決して下さる」からです。

「主を見つめて待つ祈り」は、朝とか夜に主と静かな時を持つだけではなく、それを延長して一日中出来るようになることが理想ではないでしょうか。そのやり方は、出来るだけ多くの時間を、たとえそれが瞬間であっても、とにかく主を思い浮かべて、主と交わることです。電車に乗っている時間、車を運転している時間、あるいは人と話している時とか、仕事中でもそうするのです。

特に何か一大事が起こっている最中には(かえってそのような時の方が主を思い浮かべ易いでしょうが)慌てずに本当に「まるで他人事のように、鼻歌まじりで」対応して下さい。相手の言うことに余裕を持って「自分の言いたいことを主張せずに」、人事のように「そうですね。ごもっともですね。」と言いつつ、心の中で「主にお任せしてありますからハレルヤ!」という気持ちを持っていればよいのです。

これが出来るようになれば本当に人生を「主と共に歩く」ようになれますね。人生が楽しくなります。自分で悩むことから開放されるからです。私が持つ人生の最終目標はこれです。私は今は未だ全く至らない者ですが、いつかエノクにならって「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」(創世記5:24)と書かれているように、私も生きたままで主と共に歩いて天に取られたいのです。

天の父は私たちに必要な総てのものを与えて下さいます。それは良いことだけでなく、一見悪いこと、多々の試練も含めてです。私たちが本当に「総て主が下さったもの、甘んじて喜んで受けます。」と思えるようになれば、御言葉にあるように、総てに感謝し、絶えず祈り、総てに喜べるようになります。(1テサロニケ5:16-18)これが「主を見つめて待つ」祈りをお勧めする所以です。

ダビデは詩篇16:11でうたいます。

「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」 (終わり)

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by walkwithgod | 2009-01-31 07:25 | 主と個人的に深い交わりを持つ

荒れ果てた「ゆずりの地」(相続財産)を回復する(2) ポール・キース・デイビス 1月30日

荒れ果てた「ゆずりの地」(相続財産)を回復する(2)

ポール・キース・デイビス



栄光に満ちた領域

今世代において未だかつて経験したことのないレベルの栄光が集会の上に臨むでしょう

イザヤは、大いなる暗闇で天の光が義人の上に輝くと預言していますが、今私たちは歴史上そのシーズンにまさに入ろうとしています。今まで秘められていた御国の奥義を語るとき、私たちは真理の御霊によって輝くのです。イザヤ60:1−3でこう宣言されています。

「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。」

終わりのとき、主は主の御民の上に深い臨在や大いなる栄光を くださり、それによって 救いのみ業を国々に証しされます。
恵みにより救われた罪人に、このような召しと責任が与えられるとは、まことに驚きです。ダニエルが預言したように「多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。。。。思慮深い人々は悟る」のです。(ダニエル12:10)

この人々は、「私たちの中におられるキリスト、栄光の望み」という奥義を理解する者たちでしょう。この精錬するというプロセスを通してのみ、私たちは自分を破滅させずに地上で主の栄光を現すことができるのです。今通されているプロセスが、自分が整えられ準備されるためであることを正しく理解するならば、主から召されているのだという希望を持つ事ができます。もしそれが理解できないと、失望したり、希望をなくしたり、自分は失格者だと感じてしまうでしょう。

この現実を正しく把握せねばならないもう一つの理由は、21世紀のために備えられているものを受ける鍵を、祈りととりなしのミニストリーが受け取るようになるためです。祈り、賛美、預言的宣言を通して私たちはこの実現のために戦うでしょう。人間の肉的な努力ではなく、私たちの信仰が活性化され、御霊の啓示と神の計画とに一致して語る(宣言する)ことによってそれは達成されるのです。ヨブ22:26−28に書かれています。

「そのとき、あなたは全能者をあなたの喜びとし、神に向かってあなたの顔を上げる。あなたが神に祈れば、神はあなたに聞き、あなたは自分の誓願を果たせよう。あなたが事を決めると、それは成り、あなたの道の上には光が輝く。」

最終的に、神の栄光の現れの結果として、教会史上経験したことのないほどの魂の大きな収穫が起こるでしょう。それはアメリカだけにとどまらず、その他の地上の国々へのメッセージとなるでしょう。また、それは人間の組織によって運営されたり支配されるのではなく、聖霊のリーダーシップによって行われるでしょう。

栄光は分別する

コラの反逆は、神の栄光が現れた時に裁かれました。民数記16:19−21に書かれています。
「コラは全会衆を会見の天幕の入り口に集めて、二人に逆らわせようとした。そのとき、主の栄光が全会衆に現れた。主はモーセとアロンに告げて仰せられた。『あなたがたはこの会衆から離れよ。わたしはこの者どもをたちどころに絶滅してしまうから。』」

コラの反逆が神の栄光によって裁かれたと同じに、反逆の種は私たちの中で、個人的にもキリストの身体としても分別されるのです。神の栄光が現れるところでだけ、汚れたものから清いものを分離することができるのです。

この世の圧迫と混乱は、完成され主の御国が現れる準備がこの時代に整うにつれて、ますます大きくなるでしょう。光と闇との対決もまた、悪が増大するにつれ激しくなって行きます。それと同じように光の子たちは、主のあがないの業による救いと希望をこの世に伝えるべく応えなければなりません。

最近私は啓示的な幻でこの現象を見ました。幻で私は地獄の内部の扉が開いて大勢の悪霊が出てくるのを見たのです。その中のいくつかはその特徴で識別することができました。一つはアドルフ・ヒットラーのような容貌であり、もう一つはジョセフ・スターリンのようでした。これらは歴史上の暴君を通して働く悪霊だと信じます。

これらの悪霊どもが人々の前に現れ、今世代では未だなかった暗黒と邪悪の中を歩むようにとある者たちを訓練しているのを、私は見ていました。それはあたかも終わりの時代に関していにしえの預言者たちが語った、暗闇のマントルを受け継ぐようにと選ばれ力を与えられた者たちのようでした。

これが起こっているときに、私ははっきりとした声が「光の子たちも同じように応答せねばならない。」というのを聞きました。この戒めと共に、終わりの時の対決のために整えられた天使たちが天から下ってくるのが見えました。彼らもまた、啓示と力のマントルの中を歩む人々を訪れて訓練する任務を与えられていたのです。

光と闇の対決

義と平安と喜びが特徴である主の御国は、勝利を勝ち取るキリストのからだのうちでますます大きくなりますが、暗闇もそれと平行して大きくなります。この世にいる間、私たちはこの世の霊に属さないようにと戒められています。闇が深くなればなるほど光は明るく輝くのです。

神の御霊の働きに自分を委ねた者たちは、義において成長しますし、また、次のことが起こります。
「そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」マタイ13:43

過去数百年の教会の歴史の中で、数知れない霊的ブレイクスルーがあり、それによって次の世代は変えられてきました。神はマルチン・ルターを用い、義人は信仰で生きるという真理を確立するために、彼にブレイクスルーの油注ぎを与えました。

ルターに続いて、ジョン・ウェスレーやその他の人々がブレイクスルーの油注ぎを受け、聖化のメッセージをしたので、クリスチャン生活のあるべき姿に関しての今日の理解を変えました。次にはウィリアム・J・シーモアとアズサストリートのアウトポアリングによるブレイクスルーを経験しました。その次にはウィリアム・ブランハムと後の雨のアルトポアリングによるブレイクスルーがありました。

現在私たちは、主がされたのと同じ業を、キリストの身体のメンバーが息子、娘として現すようになる、もっともすばらしいブレイクスルーがまさに始まろうとしている地点に立っています。これからの数年はびこるであろう暗闇と邪悪を除くためには、この方法しかないのです。今私たちがしなければならないのは、このために自分を整える機会をしっかりと捉え、この責任ある任務につく資格を得ることです。

今世代は、今までになかった大いなる恵みが現されるのを見るでしょう。それがもうすぐ現実となることをすべてが指し示しています。この世代は「恵みあれ、恵みあれ」と叫びながら出現するでしょう。

将来のヴィジョン

聖書は真の霊的知識がない時に人類は滅び、ヴィジョンがないと人々は押さえが利かなくなり秩序がなくなると強調しています。ですから、啓示の御霊を持つことは、今の終わりの時に主の御計画のために働くためには絶対に不可欠なのです。

私たちひとりひとりにそれぞれのはかりで信仰が与えられています。そしてその信仰を永遠に霊的価値があるもののために用いるには、霊的ヴィジョンが必要です。主は今のシーズンに新鮮な啓示の油注ぎを与え、明確さ、洞察力、主を知る真の知識を私たちが持つようにしてくださっています。これによって私たちは来るべき戦いのために聖別されていくのです。

最近、私は聖霊が「物事はお前に見えるように見ることも出来るが、また、真の姿を見ることも出来る。」というのを聞きました。この戒めは、私たちが物事を天国の視点で見始めるようにとチャレンジしています。これはエリシャがしもべの目を開いてくれるようにと祈ったときと同じ経験です。啓示の油注ぎが与えられると、エリシャのしもべは山々が敵の数に遙にまさる天の軍勢で満たされているのを見ました。その途端、彼の見解は恐れから信仰へと変わりました。それは霊的ヴィジョンにより彼は神の視点から物事を見るようになったからです。

リーダーたちは、人々が天からの啓示を受けながら生きるように訓練し整えるために、多くの機会と恵みが与えられていることを、どんどん理解するようになるでしょう。そしてこれは、真の預言と偽りの預言とを判断して裁くという大切な任務を与えられる人たちの働きと共に押し進められるでしょう。

今「占拠する」という油注ぎが私たちの中に与えられています。ブレイクスルーすることは大切ですが、敵が去ったあとの土地を占拠することもおろそかにできません。私たちがいろいろな都市や地域を勝ち取ろうとする時は、占拠の計画を立てそのために働かねばなりません。私たちには霊的啓示を与えられた領域を占拠する権威と支配権が与えられています。イエスは次のように言っておられます。

「汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言います。帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分より悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」ルカ11:24−26

今のシーズンはキリストのからだを動員して占拠する計画を立てる重要性を示しています。次のシーズンには大いなる恵みが与えられて、霊的ヴィジョンが与えられた土地を恐れずに勝ち取り占拠するリーダーたちが訓練され整えられるでしょう。

かつて偉大な霊的勝利を経験した多くの場所が、今は悪の巣窟になっているのを発見することは悲しい事実です。しかし、今のシーズンに与えられている恵みは、その地を奪回し、この約束を主に思い起こしていただくことです。

「いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。」ヨエル2:25

前を見つめよ

私たちの友人であるボブジョーンズは、最近夢の中で次にように主から告げられました。「過去の栄光を固く守っている者たちは、現在の栄光の顕れをほとんど持つ事ができない。なぜならば彼らは消えさるものにだけ焦点を当てているからだ。」

「もし消え去るものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆に語ります。そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないようにと、顔におおいをかけたようなことはしません。しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。」第二コリント3:11−14

過ぎ去った日々の消え去っていく栄光を遵守する人たちは、間違った見解に縛られているのであり、これから起こることを理解していません。確かに私たちは過去に起こったことを土台とするのですが、過去のアウトポアリングやリバイバルにばかり心を奪われていてはなりません。地平線上に何か新しくて新鮮なものがあり、それは天からの栄光のすばらしいさをずっと示し続けてくれるのです。

主の御霊があるところには自由があります。過去を振り返ってばかりいないで、来るべき大いなる栄光を待ち望むべきです。御霊は、過去の束縛から解放し自由を与え、主に安息する栄光ある未来への希望を与えてくれます。今聖霊は、人々が自由に生きるようにと働いていてくださり、人々を整えていてくださいます。

暗黒ではなく光に焦点を当てよ

敵に焦点を当てるのではなく、主が今用意されている事にもっと焦点を当てる必要があると、主は今私たちを訓戒しておられます。祈りととりなしをもって敵に打ち勝つために、敵の策略を知ることのメリットはありますが、今世代のための天からの約束をしっかりと見つめることこそ絶対に必要です。

この世のニュースメディヤは、人々の心に恐れと不安の種を蒔く道具になっています。又、終末を強調するミニストリーの中には、人々を整えるために光が送られるということをあまり説明しないで、今の世の暗闇ばかりを強調しすぎるものもあります。しかし、闇が深いところには、恵みも満ちあふれるのです。

神の民の上に注がれる啓示の油注ぎは、これからくる暗闇を予見することができます。しかし、それと同時に今までなかったほどの恵みと栄光が与えられることも見ることができます。私たちは暗闇にだけ心を向けるのではなく、神の偉大さの現れを期待して喜んでいるべきです。光は常に暗闇に勝利するのです!今私たちは大きな暗闇の時に生きていますが、光に焦点を当てて生きるようにというのが私たちへの主からの命令です。起きよ。光を放て。あなたの光が来たのだから。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-01-30 17:31 | アメリカからのメッセージ

荒れ果てた「ゆずりの地」(相続財産)を回復する ポール/キース/デイビス  1月25日

荒れ果てた「ゆずりの地」(相続財産)を回復する(1)

ポール/キース/デイビス


新しい年への啓示を願っていたときに私に与えられたものは、新たな預言的約束ではなく、すでに与えられている約束を達成せよという主からの訓戒でした。

確かに私たちに一番必要なのは、今の世に対する新しい約束ではなく、すでに与えられている預言の言葉が実現することです。今までに多くの言葉が語られましたが、成就したものはほとんどありません。しかし、それが変ろうとするシーズンに今や入ろうとしています。
エゼキエル12:22−23に次にように書かれています。

「人の子よ。あなたがたがイスラエルの地について、『日は延ばされ、すべての幻は消えうせる。』と言っているあのことわざは、どういうことなのか。それゆえ、神である主はこう仰せられると言え。『わたしは、あのことわざをやめさせる。それで、彼らはイスラエルでは、もうくり返してそれを言わなくなる。かえって、その日は近づき、すべての幻は実現する。』と彼らに告げよ。」

今年目指すべき目標を主に求めたとき、これからのシーズンに成就すべき事柄として、過去にすでに与えられ用意されているいくつかの啓示的メッセージが、はっきり示されました。その多くのものは、 ゆずりの地(相続財産)を回復することと、先人によって導入されたけれどもその時代には十分には用いられなかった偉大な「マントル」に関することでした。

12月(2008年)に私たちのミニストリー(white Dove Ministries)は「癒しの声の回復」というカンファレンスを行いました。ゲストスピーカーはリック・ジョイナー、ビル・ジョンソン、それにトム・デイビスでした。最近のもっとも重要なカンファレンスの一つだったと思います。

かつてわが国に訪れた啓示と力のマントルを回復する力が、今の私たちに整えられた故に、このテーマが強調されたのだと思います。1940年代、50年代に訪れた「癒しの声」のリバイバルは、教会史上最高のものの一つでしたが、残念ながらそれは失われてしまいました。預言者イザヤが当時叫んだ問いは、今も我々に問いかけられているのです。「誰が破れ口に立って『返せ!』と言うのか?」と。

「これは、かすめ奪われ、略奪された民のことであって、若い男たちはみな、わなにかかり、獄屋に閉じ込められた。彼らはかすめ奪われたが、助け出す者もなく、奪い取られても、それを返せと言う者もない。あなたがたのうち、だれが、これに耳を傾け、だれが、後々のために注意して聞くだろうか。」イザヤ42:22−23

本年の前半、私たちはこの召しを達成するために大きく前進するという預言的約束をにぎって、これを強調していくつもりです。
この目標に向かい共に協調して進んでいける人が数人でもいるならば、来年の今頃にははっきりした進歩が見られるはずです。人間的には2009年はテストと試練の年になるでしょうが、同時に神の民のレムナントがきよい心と正しい動機で主を求めて前進する年ともなるでしょう。

荒廃したゆずりの地を回復する

興味深いことに、先の時代の目覚ましい出来事の多くは、荒れ地で起こりました。1960年代に数多くの主の訪れや啓示がアリゾナの砂漠でおこり、それらは現在私たちが直面している状況に直接適用できるものでした。

私たちには荒野のシーズンが少し残されていますが、義人にとっては、実は非常にすばらしい時なのです。荒れ果てたゆずりの地を回復するようにと私たちを整えるために新しい指令が出されたのです。それはイザヤ49:8が文字通り成就される時になるのです。

「主はこう仰せられる。『恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を興し、荒れ果てたゆずりの地を継がせよう。』」

主は我々の手を取り我々を見守り、民の契約となり国々の光となって地を回復し、荒れ果てたゆずりの地を人々が相続できるように、私たちを整えていてくださったのです。

完成への踏み石

この一年で我々が約束の地を完全に勝ち取るでしょうという預言ができるなら本当にすばらしいでしょうが、そうではなく、今年は準備期間が完了し、ヨルダン川を渡る命令を受けとるシーズンであるという方が正確でしょう。ヨシュアも川のこちら側で次のリーダーになる指令を受けたのです。

これからのシーズンには、多くの人が、先人のマントルを着ることをゆるされて任務の指令を受けるでしょう。現在、先の時代の偉大な御霊のアウトポアリングにおいてリーダーとなった霊的な父や母を敬うことが強調されています。彼らは多大な困難を乗り越えてその時代に神の御国を顕したパイオニアたちです。

確かに彼らの中には間違いを犯して失敗した人もいましたが、彼らが土台を築いてくれた故に、私たちは次の大きなアウトポアリングを打ち上げることができるのです。
我々のミニストリーでは、A.A.アレン、アレクサンダードーウイ、ジョンGレイク、ウイリアムブランハム等の癒しのリバイバリストを敬う重要性を強調しています。

この人たちの中には20世紀に最も汚名を着せられた人もいましたが、人々の魂の救いと奇跡のために非常に目覚ましく用いられた人たちです。我々の敵は、先人の欠点や弱さを極端に強調することによって、彼らの証しを効果的に台無しにすることに成功しました。
しかしそれでも、主は彼らのパイオニアとしてのよい働きを認識する人々を用意されました。そして未完成の命令を前進させるように私たちを準備されたのです。

代価を支払う

霊的賜物はカリバリの十字架で贖われた超自然的な恵みの結果です。しかしながら、個人の霊的成長はそれぞれが自分で高価な値で主から買わねばなりません。

「わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」黙示録3:18

我々が栄光から栄光へと進んでいくことは常に主の御心でした。しかし残念なことに、教会は、歴史的に見てそれを果たす責任をとって来ませんでした。子どもたちは親がいた場所よりも 高いレベルから出発するべきです。それが聖書全体を通じての伝統と遺産の原則です。

「善良な人は子孫にゆずりの地を残す。罪人の財宝は正しい者のためにたくわえられる。」箴言13:22

私たちは再び ゆずりの地が荒れ果てているのを認めて、今の世代が所有できるようにする機会を与えられています。私たちの前の時代に紹介された 啓示と力のマントルは私たちも手に入れることができます。私たちはどのような代価を払っても神にあるこの場所に到達する必要があるのです。この啓示の重要な点は、この目的のために私たちの前に備えられた「開かれた扉」があることを強調することです。

これからのシーズンにこのマントルを分与するために主の御霊がある人たちを訪れることを、主はいくつかの啓示を通してはっきりと現されました。間もなくリーダーとなる人々の多くは、今は人に知られていない人たちです。しかし彼らは天では知られており、大切な啓示と力を受けるために用意されているのです。

ですから、この預言的約束は、私たちがこのゆずりの地のために必死で戦うようにさせるためのものです。私たちは、エリヤの上にあった油注ぎをエリシャがつかんで受けたように、主の御霊の注ぎを私たちが受けるべくしっかりと主の御前に立つことが肝要です。


最近私は荒れ果てたゆずりの地に関する啓示を主からいただきました。その幻の中で、私は自分が砂漠地帯の山がある場所にいて、大きな価値のある宝を見つけようとして考古学的な発掘をしていました。

すると、昔のリーダーたちによって始められたもので、今日完成すべき啓示が書かれている多くの古い本を掘り出しました。私はこれらの本が金銀よりも価値のあるものと考えました。古いものや比較的新しいものもありましたが、私はそれらを完成することによってすべての私たちがすべき仕事、役目、約束が完成されることが分かりました。
この啓示は、先の世代の人たちによって始められた仕事を私たちが受け継ぐ機会と責任について語っています。ヨシュアがモーセの仕事を完成させたように、私たちも成就されていない約束の完成を担うのです。

恵みと真理が主の栄光を呼び覚ます

砂漠は恵みとまことによって主の訪れと分与が確立されるところです。

「神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。神よ。あなたが天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。」詩編57:7−11

私たちに今与えられている機会は、荒野の経験の最後の部分を私たちが喜んで受ける事によって、次に来ることに対して私たちが完全に整えられることです。シェキナの栄光は会見の幕屋の上にくだり、モーセは神と顔と顔を合わせて長時間会うという特権を与えられました。

イスラエルはまだ約束の地には入らず荒野にとどまっていましたが、そこで約束の地を勝ち取るための備えをしていました。今日もそれと同じなのです。これからのシーズンは正しい人たちの間に神と神の栄光が顕れる時となるでしょう。

義人たちが栄光を受けるでしょう。神の栄光のしるしが人々の上にとどまり、彼らは父の御国で太陽のように輝くでしょう。(続く)


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by walkwithgod | 2009-01-25 07:45 | アメリカからのメッセージ

新大統領バラク・オバマとジョージ・ブッシュ  坂 達也  1月21日

新大統領バラク・オバマとジョージ・ブッシュ

本日アメリカの44代大統領にバラク・オバマ氏が就任しました。黒人で初の大統領に選ばれると言う、アメリカにとっては歴史的な日です。
 私はオバマ新大統領が、アブラハム・リンカーン大統領を彼の大統領職の模範として尊敬していることに大変興味を覚えます。その一つの顕れは、リンカーンに見習ってオバマ氏が選挙の宿敵であったクリントン夫人を内閣に迎え、共和党の対抗馬であった経験豊富なマッケイン氏にも謙虚に意見を乞うべく既に新しい親密な関係に入り、又一人の有能な共和党の現職大臣をそのまま民主党内閣に留まってもらうと言う超党派で適材適所の人事を進めていることにあります。

リンカーン大統領は能力のある人材のためなら、自らの個人的感情と意見を犠牲にしても起用し、奴隷解放、国が割れての南北戦争と言う国家的危機を、正義と真実を貫くことによって救ったクリスチャン政治家として知られています。
まさに今、アメリカの経済が80年来最悪の非常事態に陥った最中に就任したオバマ大統領が、敬虔なクリスチャンとして極度の苦労を耐え抜いたリンカーン大統領の信念と叡智に見習おうとしていることは、彼に大きな期待を寄せるアメリカ国民、特に私たちクリスチャンに大きな希望の光を与えてくれるものと信じます。ぜひ彼の為にお祈り下さる様お願いいたします。

さて、オバマ新大統領の歴史的就任式については、既に世界の報道陣が大きく取り扱っておりますから私が何も申し上げる必要はありませんが、本日の就任式の実況をテレビで見ながら少なからぬ感銘を受けたのは、新大統領にバトンを渡してワシントンを静かに飛び立って、故郷のテキサス州に帰ったジョージ・ブッシュ前大統領夫妻についてです。

五日ほど前にブッシュ大統領は、ホワイトハウスで約200人と言う少ない関係者を前にして13分間の短い最後のお別れ演説をしました。その中で彼は「この八年間で色々な難局を迎えた時、私はその都度自分が最も正しいと信じた決断をした。それが確かにセット・バックになったこともあった。そのような私の決定は皆さんが賛成しないことも多くあったでしょう。しかし、少なくとも私は非常に難しい決断を誠意を以って国民のベスト・インテレストのために果敢に決意し、それを実行して来た。私は、アメリカ国民が少なくとも私を自分の信条(道義)に常に忠実であった者として記憶されることを願っている。」と言うことを話しました。

彼が忠実であったと言う信条とは、クリスチャンの信条(プリンシプルズ)です。ですから彼は、自分が最も人気の無い(支持率最低時22%)大統領の一人であったことを重々承知の上で、しかし全く悪びれずに、最後の機会に堂々と自分のしたことを擁護し、8年間の国民の支持に心から感謝の意を表したのです。短い彼の演説には、彼がクリスチャンであることがにじみ出ていました。それは格調の高い心の温まる、むしろ、すがすがしいものでありました。(この演説直後の世論調査では22%が36%に回復)それが今日の新大統領の就任式を通しての彼の応対にも出ておりました。彼のしたことは受け入れない人でも、彼の誠実でフレンドリーな人となりを評価する人は少なからずおります。

ローラ・ブッシュ夫人が大分前にインタビューを受けた時、世間からこれだけ非難を受け、人気が落ちると言う試練を受けてそれに耐えられるか、と言う質問に対し、「自分たちはしっかりしています。二人とも十分に耐えられる強い人間です。」とにこやかに語ったことを憶えています。言葉には表しませんが、彼女の態度には、神の御心を行っていると信じる者にしかない、主に守られている強い信仰と平安が感じられました。

ブッシュ大統領の不人気の最大の原因は、言うまでも無くアフガニスタン、特にイラク戦争を世界の反対を押し切って強行したことにあります。その結果世界中からくそみそに言われ、それ以来、これは真に乱暴なたとえで申し訳ありませんが、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」で、ブッシュのやることなすこと総て感情的に「憎い」ことになってしまいました。

ブッシュ大統領の真の評価については歴史を待つしかない訳ですが、私はイラク戦争が主の御心であったか、なかったかについては、その判断をクリスチャンである皆様がしていただきたいと思います。但しその前に、下記の記事を(もう一度)お読みいただくことをお勧めします。
(この記事は昨年のイースターに当ブログの「世界のニュース」に掲載したもの)

「イスラム圏に今起っていること」

 ジョエル・C・ローゼンバーグ 2008年イースター更新

(2008年3月24日ワシントンDC)-「私は教会を建てます、そして地獄の門もその教会には打ち勝つことはできないでしょう」とイエスは言われました。(マタイ16:18)

この週末の時事問題に詳しい「ドラッジ・レポート」のトップ記事は、イスラム教からカトリックに改宗した著名なエジプト人の作家に、教皇が洗礼を授けたことでした。 そしてこの記事には、トップ扱いになる理由が充分あったのです。 これはイタリアやイスラムの世界ではとてつもなく大きな話題、特にオサマ・ビン・ラディンが、教皇はイスラムに十字軍を仕掛けていると非難した、その週にこの記事が出て来たのです。 然しながら、この特別な洗礼は、氷山の一角に過ぎません。


2001年9月11日以降、報道機関がアフガニスタン、イラクそして中東について先例のない程多く報道していますが、本流のメディアではほとんど語られていない、大きな話題がひとつあります。 何十万人ものイスラム教徒が福音的キリスト教に改宗しており、広範囲に及ぶ迫害や、まさに現実味を帯びた死の脅威の渦中にありながら、今年彼らは初めてのイースターを祝うのです。

私はアメリカ合衆国と中東で、36名余のアラビア人とイラン人の牧師と福音教会の指導者にインタビューをした後、2005年にこの話題を 初めてリポートし始めました。 然しながら、この3年間私はイラク、ヨルダン、エジプト、ヨルダン川西岸地区、トルコそしてモロッコを旅する機会に恵まれました。 加えて、私は200人を越えるアラブ人、イラン人、クルド人、スーダン人そしてその他牧師やキリスト教の指導者達に会い、インタビューをする光栄にも与りました。 更に多くの資料を入手することで、その傾向がより鮮明になりつつあり、この話題はさらに私達を興奮させております。

聖書の神は中東で、未曾有の数の男性、女性、そして子供を神の心に引き寄せ、神の家族にその人達を受け入れるために、力強く働かれているのです。 より多くのイスラム教徒がこの30年間に-- 特にこの7〜10年間に-- 人間の歴史に於いて他のどの時代よりも多く、イエス・キリストを信じるようになりました。 昔からのカトリック教会、コプト教会そしてカルディア教会の間でリバイバルが起きています。 今日キリスト教会は、それが生まれたところで、まさに復活しているのです。

最近明らかになった事実について考えてください

アフガニスタン-- 例えばアフガニスタンでは、アルカイーダがアメリカ合衆国を攻撃する以前には、福音派のクリスチャンはたったの17人しかいませんでした。 今日、1万人を優に越えるアフガニスタン人がキリストの信奉者となっており、その数は堅実に増えています。 教会の指導者によれば、アフガニスタンのイスラム教徒は、今までにはなかったほど心を開いて、福音のメッセージを率直に聞いていると言っています。現に毎週数10人もの人が受洗しています。 聖書やその他のキリスト教関係の本が刊行されたり、アフガニスタンに持ち込まれるや否や、人々はそれらをひったくるように手に入れています。 ルカによる福音書に基づいて、キリストの生涯を2時間のドキュメンタリードラマにしたジーザス・フィルムが、ある都市ではテレビにまで放映されましたが、その直後に放映したテレビ局全体が警察に閉鎖されました。 「神はアフガニスタンでとても敏速に動かれるので、私達はただ遅れないように努力するだけなのです」と、あるアフガニスタン人のクリスチャンの労働者が、匿名を条件に話してくれました。 「指導者を養成することが、今いちばん必要とされています。 私達はこれらの新しい信者全員を世話するためには牧師を訓練する必要があります。」

ウズベキスタン-- ウズベキスタンでは、1990年にはキリスト教に改宗したイスラム教徒はいませんでした。 でも今は3万を越える人が改宗しています。

イラク-- 私がイースターの朝に「フォックス&フレンズ」というテレビ番組で話したように、イラクでは、サダム・フセインが全権を掌握した1979年には、キリスト教に改宗するイスラム教徒は、ほんの一握りでした。 然しながら、元々イスラム教であった7万を越えるイラク人が、今日イエスを信じています、そして1990ー91年の第一次湾岸戦争の後、ヨルダンに亡命した約5万人がキリスト教に改宗し、そして別に2万人がサダム・フセインが陥落してからキリスト教に改宗しました。 ジョシュア基金の幹部役員であるジョン・モーザーと私は、イラクの5つの州への9日間の旅から戻ったばかりですが、 私達は福音教会の指導者である19人のイラクの人達にお会いしました。 私はバグダッドからの100人を越える、元々イスラム教徒でイエスを信じるようになった人達の教会で、伝道する光栄に与りました。 そしてその教会は、バグダッドが解放される以前の2002年には存在だにしなかったのです。 そしてまた私達は、キリストに帰依し、今では牧師で教会を新しく作っている、たくさんの元イスラム教聖戦テロリストに会って、インタビューをする光栄に与りました。

カザキスタン-- カザキスタンでは、1991年にソ連が崩壊する以前には、福音派のキリスト教信者は、たったの3人しか知られていませんでした。 今日では1万5千人を越えるカザフ族のクリスチャンがいます。 そして、すべての民族を合わせると、10万人を越えるクリスチャンがいます。

エジプト-- エジプトの教会の指導者によれば、過去10年余の間に100万人を越えるエジプト人がキリストを信じるようになりました。 エジプト聖書協会の人たちが言うには、1990年代初頭には年間およそ3000本のジーザス・フィルムを販売していたものが、2005年には60万本を販売し、加えて(アラビア語の)テープに収められた聖書のコピーを75万本とアラビア語の新約聖書をおよそ50万部販売したそうです。 「エジプト人は神の御言葉に益々渇望しています」と、エジプトのクリスチャンの指導者は私に言いました。 昨年のクリスマスに、私は中東で最大のキリスト教の集まりを訪れる光栄に与りました。 そしてそれはカイロ郊外のとてつもなく大きい洞窟で行なわれました。 1万人余の信者が毎週末にそこで礼拝をしています。 2005年5月に開催された祈祷の会議には、2万人余の信者が集まりました。

イラン-- アヤトーラ・ホメイニがイスラム革命を指揮した1979年には、イスラム教徒でキリスト教に改宗したのは、たったの500人程度しか知られていませんでした。 今日、イランの牧師や教会の指導者24人にインタビューしたことで、百万人を優に越えるイスラム教シーア派の信者が、キリスト教に改宗したことが明かになっています。

スーダン-- 酷い内戦、大量虐殺そして広範囲に及ぶ宗教迫害にも拘わらず、特にダルフール地区では-- あるいはこのような惨事あったからこそ-- 教会の指導者は、2001年からだけでも百万人を越えるスーダン人がイエス・キリストに従うことを決心したと教えてくれます。 1990年初頭から、5百万人を越えるスーダン人がイエス様の信奉者になりました。 とても必要とされている新しい牧師を教育するために、神学校の授業が山にある洞窟で行なわれています。 何百もの教会が建てられ、何千もの小さな聖書勉強会が、国中で人目に付かないように隠れて行なわれています。

2001年12月に、サウジアラビア人の指導的立場にある聖職者で、族長アーマド・アル・カタアニはアルジャジーラ衛生テレビのインタビューに生出演しましたが、果たして彼は、驚くべき数でイスラム教徒がイエスに改宗しているとはっきり言いました。 「1時間毎に667人のイスラム教徒がキリスト教に改宗している。 毎日1万6千人のイスラム教徒がキリスト教に改宗している。 毎年6百万人のイスラム教徒がキリスト教に改宗している。」とアル・カタアニ師は警告しました。 インタビュアーは大いに驚いて、彼を遮りました。 「ちょっと待ってください! はっきりさせてください。 6百万もの人がイスラム教からキリスト教に改宗しているのですか?」 アル・カタアニ師は自分の所説を繰り返しました。 「毎年」とその牧師は確認してから、さらに「悲劇は起きたのです」と付言したのです。

最も劇的に進展したことのひとつは、中東においてくまなく、そしてアメリカ合衆国に於いてさえも、多くのイスラム教徒がイエスの夢や幻を見ていることです。 彼らは教会にやってきて、「もう既に改宗したので聖書とイエス様にどのように従うか、その導きが必要です」と説明します。 これは聖書の預言が実現されたのです。 ヘブル人の預言者ヨエルは私達に「最後の日々には、私はすべての人に私の霊を注ぎます。 あなたの息子や娘は預言をし、老人は夢を見て、若者は幻を見ます。 奴隷となっている男女にも、最後の日々には霊を注ぎます…そして主の御名を呼ぶものは、皆救われます」(ヨエル書2:28ー32)

拙著「震源地:中東で今起っている政治変動が何故あなたの将来を変えるのか」で、私はこの劇的な傾向と、何故イスラム教徒が今記録的な数で改宗しているのかについて一章全部を充てて説明しました。 私は今、「革命の内幕」というタイトルの、ノンフィクションの本とドキュメンタリー映画を2009年のイースターの頃に公開する予定で、作業に取りかかっています。 この本や映画では、この主題についてかなり詳細に記すつもりです。 そこでは、現代の新しい使徒パウロになった元イスラム教のテロリストたち-- 彼らは狂信的殺人鬼であったのが、イエス・キリストの幻を見て、今は牧師となり、福音伝道者であり、教会を建てる人であり、力強いキリスト教の指導者に変えられた人々を、一人称の物語形式で説明しております。 この主題に関して私がとても推奨する本としては、ブラザーアンドリューとアル・ジャンセンの共著である「ライト・フォース:中東の十字砲火を浴びた教会の感動的な話」と「隠れた信者:イスラム教徒がキリストを信じる時何が起きるか」があります。

これらの改宗したイスラム教徒にとって、人生は安楽なものでしょうか? とんでもありません。 彼らは自分の家族から爪弾きにされるのです。 彼らは地域社会からの迫害に会います。 彼らは雇い主から解雇されます。 彼らは政府により投獄の目に会います。 彼らはイスラム教過激派の手によって拷問されたり殺害されたりもします。 然しながら、彼らはどんな方法にせよキリストのもとに来るのです。 彼らはイエスが、実際に「道」であり、「真理」であり、そして「生命」であることに確信を持つようになり、そして十字架上でのイエスの死と、死からの力強い復活を信じること以外には、誰も天国で父なる神のもとに行くことはないと、確信を持ちつつあるのです。(上記記事の終わり)

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 今アラブ・イスラム圏で何が起こっているかが、このリポートでよくお分かりになったことと思います。このことは一般のメデイヤでは全く報道されていません。
このようなリバイバルが起こっていることと、アメリカのイラク攻撃によって、イラク国民をフセイン大統領の弾圧的専制政治から開放したこととが全く無関係であったとは私にはどうしても思えないのです。9/11を中心としたビン・ラデイン等によるテロ事件と、それに対して断固として対抗して来たアメリカの反撃も無関係ではないと思います。そのような事件が一般のアラブ市民に与える心理的影響は、福音と言う立場から見れば大変大きいものであると思うのは私だけでしょうか。もし私の思うことが正しいとすれば、イラク攻撃が神のご計画の一部であったと言うことになります。

もしそうであれば、敬虔なクリスチャン大統領であるジョージ・ブッシュを神が敢えて用いられたことになります。しかも、クリスチャンではない人たちにとっては福音と言う目的は全く理解出来ないことですから、ブッシュ大統領は多大な犠牲を強要させた責任を問われても、この世的には彼のしたことは理解されることなく、まして彼の功績となるはずはありません。
しかしながら、クリスチャンとして彼は、その「この世的な不名誉」を甘んじて受けたのかも分かりません。そのことはいつか、少なくともクリスチャンにだけは、彼がどこまで神に忠実なしもべであったかが明らかにされる時が来るのではないでしょうか。

私は、神がこれから豊かに彼とその家族を祝福することを祈り、同じクリスチャンの兄弟として「ご苦労様でした。」と申し上げたいのです。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-01-21 17:51 | 坂達也からの今月のメッセージ

知るべきはただ二つの事 フランシス フランジペン 1月16日

知るべきはただ二つの事

フランシス フランジペン

多くの事柄で私たちの心はいつもいっぱいになっています。多くの本、多くの例話、多くのよい教え―確かにそれらは心に止めて悪いことではなく、「これが真理だ。」と私たちに語りかけてきます。しかし、私は長年主に仕えて来たなかで、次の二つの事だけを求めるようにと主によって導かれました。それは「キリストにある神の御こころを知る」ことと、「キリストの光に照らされた自分自身のこころを知る」ことです。

神の御こころを知ること

長年の間、私は神のこころを知り、人々に対する神の愛の深さを知ることを求めて来ました。私は主の御こころを知り、主が御わざをされるときの動機となる憐れみのこころを知りたいのです。聖書には簡単明瞭に、イエスは人々を愛されたと書かれています。マルコ福音書には、「イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。」とあります。(マルコ6:34)
主にとっては、人々を教えて癒すだけでは十分ではなかったのです。主は彼ら一人一人を個人的に気に懸けてくださいました。彼らが健やかで食物を十分に得ているかどうかすらも、主にとって大切なことだったのです。

一人の少年が持っていた5つのパンと2匹の魚は、イエスが奇跡を行うために十分でした。しかしそれは、キリストご自身は疲れ果てていたにも関わらず、群衆のために働くことをいとわなかった故にこそ起きたのです。
考えてみてください。そもそもキリストは弟子たちを休ませるために連れ出したのです。「人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。」(マルコ6:31)個人的にイエスご自身も祈ることによって力を得ようとしてそこに来ていたのです。
というのは、イエスの先駆けであったバプテスマのヨハネがその週のはじめに、ヘロデの手によって首を切られました。ですからイエスが群衆に食事を与えたのは、主が感情的にも肉体的にも消耗しきっていた時だったのです。イエスはただ一度とか二度とかではなく、弟子たちを通して繰り返し 「人々にパンと魚を配り続けられた。」のです。(マルコ6:41)

その結果、何千人もの男性、女性、子どもたちが全員「食べて満腹した」のでした!(42節)
なんというイエスの御こころでしょうか!奇跡は群衆のために起こりましたが、パンと魚を次々に与え続けるイエスの疲れた御手を支えた(力が与えられたという)奇跡に関しては何も書かれてはいません。主を支え続けたのは、ただ主の聖なる愛だけでした。肉体の力がどんどん弱まる中で、主は人々を助けるために与え続けられたのです。




ですから、もし私がイエスを知ることを求めるならば、この事をまず認識する必要があります:イエスはすべての人を愛されている。特に社会が無視する人たちを。だからイエスが人を助けるためにどれだけの距離を行かれるかを(私は)知らねばなりません。というのは主は私を通してその同じ距離を行かれるからです。確かに私は病気や貧困、人間の苦しみに対する主のお考えを知る必要があります。主の僕として私はこれらのことを知らなければ主のお役に立つ事はできないのです。もし私が実際に主の御こころを行いたいならば、主の御こころを真に知る必要があります。だから学びや祈りの時にはただ知識だけを求めるのではなく、私は神の御こころを訊ね求めるのです。

自分のこころを知る

神の御こころに私がだんだん近づくにつれ、主の臨在の火が私の中で深い清めの業を始められます。主の限りない豊かさの中で、私の貧しさが現れてきます。詩編の著者は書いています。「だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ち得ようか。手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。」詩編24:3−4 もし私たちの心に欺きがあるならば、主の山を見つけることさえできませんし、登ることなどとてもできません。こころが清くないのに、神の聖なる所で仕えることができるでしょうか。心が清い者だけが神を見ることができるのです。

神に向かって登って行くのは、真理の溶鉱炉の中に入って行くことであり、そこでは私たちは魂の中の欺瞞が取り去られます。聖なる場所に住まうためには、たとえ嘘によって自分が救われるときであっても、正直に誠実に生きねばなりません。主の山に登る階段を一段上がるたびに、私たちの魂はもっと高い透明度にさらされ、心の動機が完全に見えるところに押し出されて行きます。私たちは神に向かって登るという神の召しを追い求めるのです。

しかし、私たちの魂は、恐れと暗闇の中にうずくまり隠されていて、偽りと迷妄の世界で息づいています。これが私たちの内なる人であって、神が救おうとしておられる魂です。あなたは、真理だけが解 放することのできる本当の自分自身をすでに発見しましたか? 確かに私たちは清さを求めはしますが、まことの清さに到達するにはここを出発点とせねばなりません。真理の御霊が心の隠された場所を露にすることが必要です 。事実、私たちを清さに導くのは正直さ、誠実さなのです。神よ、真理への情熱を与えて、あなたの聖なる場所に立つことができるようにしてください。

世界中で多くの人たちが、自分は「真理」を知っていると思い込んでいますが、彼らの人生の中に聖さも力も併せ持ってはおりません。真理とは、歴史的に築き上げられた教義以上のものにならねばなりません。神が過去に動かれたときの記念品とかお土産というような宗教的遺物の博物館以上のものでなければならないのです。真理とは、キリストの内に顕された神の御こころを知ることであり、また、神の恵みの光に照らされた自分のこころを知ることです。私たちは人類の一員であり、故に無知で覆われてしまっています。私たちは自分の周りの世界をほとんど知りませんし、いわんや自分の魂の性質など知ってはいません。私たちは神の御こころを探し求めるときに、知らず知らずに自分のこころをも捜しているのです。なぜならば、神を見つけるときにだけ私たちは自分自身をも発見します。というのは、私たちは「主のうちに」あるからです。

しかし、主の御前に自分のこころを注ぎだして主を求めるとき、私はおののきつつダビデ王の祈りを祈るのです。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」詩編139:23−24

自分の魂の厚化粧をぬぐい去って、心の素顔の状態を見ようではありませんか。神は私たちをキリストにあって永遠に完全で完璧に創造されました。私はそう信じています。しかしヨハネ黙示録の1章から3章で、イエスはそれらの教会が「主の目には完全である」とは告げておられません。そうではなく、主は彼らの本当の状態を明らかにされました。彼らの罪を告げられました。それぞれがユニークで難しい状況の中に置かれている中で、妥協することなく真の勝利者になることを、主はそれぞれの教会に要求されました。
それらの教会と同じように、私たちも自分の必要を知らねばなりません。そして私たちが救われてほしいと願う魂は、当時と同じように嘘や迷妄、そしてひどい腐敗に満ちたこの世のシステムの中に住んでいるのです。私たちの古い性質は履き古した靴のように私たちをくつろがせます。知らないうちに私たちは一瞬にして肉に生きてしまいます。我々を負かす敵は、我々の内に隠れて潜伏しているのです!ですから、私たちが敵を征服するためには、まず聖霊が敵をあばき出す必要があるのです!



人間の性質について預言者エレミヤは書いています。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知る事ができよう。」(エレミヤ17:9) また、ダビデの祈りには同じような叫びが書かれています。「だれが自分の数々のあやまちを、悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。」(詩編19:12−13) 私たちの内には自分では気がついていない罪があって、それが実際に私たちを支配していることもあるのです。

例えば、 自分の言動のほとんどが、他人から受け入れられたい、見られたい、という願望と虚栄によって動かされていることがわかっているでしょうか。私たちが下す決断の多くが、無意識のうちに自分の持つ恐れや心配によって影響されていることに気がついているでしょうか。自分の中に重大な欠陥があるにも拘らず、プライドや不安があるので助けを求めることができないのです。自分でもほとんど分かっていない自分を、私たちは自分で高く評価しています!

自分がカメラに向かうときにはポーズを取ることは知っていても、笑っている時とか、泣いている時、食べている時、寝ている時、話している時、怒っている時に、自分が他人にどのように見られているかを知っているでしょうか?実際私たちの多くは他人にどう見られているかを知らないのです。それ以上に神の御前に写っている自分の内面を、私たちは知ってはいないのです!私たちの思考過程は堕落しているので、自動的に自分の行動を正当化し、自分の考えが理屈に合っていると思いがちなのです。

聖霊の助けなしには、私たちが自己欺瞞に陥り易いという生来の傾向から逃れることは、ほとんど不可能です。ですから、もし私たちが聖くなりたければ、まず偽りをきっぱりと捨て去らねばなりません。神の恵みの光の中で、信仰によって義とされ、イエスのあがないの血潮によって洗われたのですから、自分が正しいふりをする必要はありません。私たちはただ誠実であればよいのです。自分の心に正直であるからといって責められたり、罰せられるわけではありません。罪を悔い改め告白すれば、赦され清められるのです。実際、私たちは二つのことだけを知ればよいのです。それはキリストにある神の御こころとキリストの光に照らされた自分のこころの二つです。(終わり)

 〔上記のメッセージはフランジペン師の本「ホーリネス、真実、神の臨在」からの抜粋です。〕

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by walkwithgod | 2009-01-16 17:21 | アメリカからのメッセージ

ナタニヤフ元イスラエル首相との電話対談 ジョエル・ローゼンバーグ  1月13日

ベンジャミン・ナタニヤフ元イスラエル首相との電話対談

ジョエル・ローゼンバーグ


イスラエルのエルサレムで1月12日、25分間の電話対談に加わりましたので、その時のナタニヤフ元首相の発言を下記のようにまとめてお伝えします。

元首相は「イスラエルは今順当な戦争をしているが、ハマスはイスラエル国家を抹殺しようと言う不法な目標をかかげ、それをイスラエルの無実の市民に向けてロケット弾を打ち続けるという不法なやり方で達成しようとしている。」

「私たちのハマスとの戦いは後ろにイランがいるテロリストととの戦いである。彼らはここ数年イラク、アフガニスタン、レバノン(ヘザボラによる)、ニューヨーク、ワシントン、その他世界中で、手段を選ばない残虐なテロ行為をして来たミリタント・イスラム過激派であり、今私たちイスラエルはそのテロリストの矢面に立たされている。イランは二つの前線(ガザとレバノン)の一つで既にへザボラを使って勝利したと言えないか。イスラエルはそのようなイランがガザに陣取るのを決して許してはおけない。長期的な目標は、イランの脅威を手遅れにならない前に食い止めることにあり、短期的にはガザでのロッケット砲弾からの脅威をなくすることである。」 

私(ローゼンバーグ)の「ユダヤ系人、あるいはエバンジェリカル・クリスチャンとして今起こっている戦争で私たちがどのようにイスラエルを助けることが出来るのか」という質問に対して、ナタニヤフ元首相は次のように答えました。
「イスラエルに好意を持つ友人たちが出来る今最も重要なことは、真実が何であるかを世界に語って欲しいことである。イスラエルに対して「うそのキャンペーン」が世界中で張られている。その中には、「今回のガザ戦争はイスラエルが仕掛けた。」(本当はそうではない)「イスラエルはパレスチナの無実の市民を狙って打ち、負傷者、苦しむ市民への救援物資を入れないようにしている。」等。(それは事実ではない)本当の事実がどうであるかをこの際世界に向かってはっきり言って欲しい。」

「ハマスはこの8年間イスラエルに向かってロケット弾を打ち続けている。想像できますか。私たちはそれに何の反撃もして来ていない。それが8年間も。もしメキシコがアメリカのサンデイエゴに向かってロケット弾を打ち込んで来るとしたら、アメリカは8年間そのままなされるままに何もしないでいるでしょうか。いや8ヶ月も待つでしょうか。彼らは恐らく8分と待たずに反撃するでしょう。
ハマスはモスク、病院、小学校、大学のキャンパスからロケット弾を打ち上げている。それはイスラエルの反撃に対して無実の市民を隠れ蓑に使っているというのが事実だ。私たちは一般市民に向かって発砲しているのではない。しかし不幸にして市民が犠牲となって死傷者を出したことを本当に遺憾に思う。もし皆さんがイスラエルの友であるなら世界に向かって真実を声高くはっきりと語ってください。」

その後で、アラブ側とイスラエルの和平交渉についての意見を聞かれたナタニヤーフ元首相は「今すぐ最終的な合意に達すると考えるのはリアリスッテイックではない。私たちは2005年に当時エリヤル・シャロン首相の時、ガザ地区をただでパレスチナ人に手渡してしまった。私はその時の内閣の一員であったがそれを機にその職を辞任した。そのような過去の間違いを二度と繰り返すべきではない。イスラエルが今後、これ以上パレスチナ側に領地を手渡すようなことを国際会議で迫られるなら、その前にイスラエルは次の四つの政策・戦術を追い求めるべきだ。
1.イスラム過激派とは断固として戦う
2.イスラム穏健派を強化する
3.イスラエルの総ての国境の安全保障を再確立する
4.ウエスト・バンクとガザ地区のパレスチナ人住民のための経済開発を急ぐ。」

「ハマスが今抵抗を続けているのは就任間近なオバマ新大統領に期待をかけているからであると思うか」という質問に対して、「私はつい最近オバマ氏がロケット弾の被害を蒙っている南イスラエルのSderot地区を訪ねたことを憶えている。その際に、オバマ氏が『もし私の二人の娘が住んでいる家にテロリストによるロケットが打ち込まれたら、私は私の出来る限りの力でそれをストップさせるであろう。』という意味の発言をした。ですから、私はアメリカは、どこであろうとテロ行為を阻止する意思は十分に持っていると考えている。」と答えています。

「イスラエルにとって最も大きな脅威はハマスでもヘズボラでもない、それは核兵器を持つイスラム過激派テロリストたち、あるいはその国家であり、イランが大量破壊兵器を持つようになることは悪夢のシナリオである。彼らはすぐさまパキスタンを支配するに違いない。」

続いてナタニヤフ氏が2月10日の首相選挙で勝てば「具体的なイラン危機への対策は」と言う質問に対して、直接は答えませんでしたが、「今、時間は逼迫している。西側は手遅れになる前に断固とした処置に出なければならない」と言う意味のことを強くほのめかしました。

 最後にナタニヤフ氏に質問できなかったことが残念でしたが、現況のイスラエルのガザ地区への進攻においてオルマート首相がこれからどう言う手段に出るかについて、私なりの考えを述べてみたいと思います。今のイスラエル軍は確かに、予備軍まで投入してハマスが立てこもる市街の中心部に迫まりつつあります。しかしそこでフルスケールの追い込みの攻撃に入ろうとはしていないで、ためらいがあるように見えます。オルマート首相はむしろエジプトと国際的仲裁による休戦交渉の呼び掛けを待っているかのようです。

今イスラエルの多くの人たちは、オルマート首相が2006年にレバノンでヘズボラに対してしたと同じように早過ぎる休戦交渉に応じてしまうのでないかということを恐れています。イスラエル国民はこの際、今までの16日間に出した多大な犠牲が無駄になるような中途半端な休戦に入り、後日再び同じ状況に戻ることだけはあってはならない、そのためには妥協をせずハマスを完全に撃破し、ロケット弾がこれからは飛んで来ないようにするためにしっかりとした決着をつける事を望んでいます。私もその考えに賛成です。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-01-13 18:58 | 世界のニュース

時を知る(続)    リック・ジョイナー  2009年1月8日

時を知る(続) 

リック・ジョイナー


ヘブル書12章には、すべての揺り動くものは揺り動かされることが書かれていますが、そのような時に私たちは今突入しています。堅固な基盤の上に立っていないクリスチャンは、この世が揺り動かされる時にはそれと一緒に揺り動かされてしまうでしょう。主はエジプトを根底から揺るがされましたが、それは主の民を解放することを目的としていました。聖書ではエジプトはしばしばこの世の隠喩として使われていますが、この世が今土台から揺り動かされているのも又、同じく神の民を解放するためなのです。 エジプトで奴隷だった神の民を解放するには、神の力が大きく顕される必要がありました。今はそれと同じ筋書きの最初のステージに私たちは入っているのです。
多くの者が「キリストにいのちを捧げた」はずなのですが、その後は今まで通りに自分のために生きていて、人生を神の御国の上ではなくこの世の王国の上に建てています。主は私たちを愛してくださっている故に この世を揺り動かされていますが、それは私たちを自由にするための神の恵と憐れみのみ業です。

しかし、正しい道を歩んでいる知恵者たちは、次第に輝きを増す光の中ですべての物事をはっきり見て判断することができるでしょう。私はかつて自分のビジネスを失い、財産を失い、持っていたものすべてを失ったのですが、それによって本当にすばらしい気分になりました! 何年ぶりかで私は解放されたのです。それを経験しているときは確かに大変でした。実際のところ、それは私が経験した最悪のことの一つでしたが、すべて済んでしまった時には、この揺さぶりによって私が変えられた事や、すばらしい解放感を得たことを心から感謝しました。その一年前まで、私は多くの飛行機を所有し、自分のジェット機で飛び回っていました。しかし、ビジネスを失った時、家族と家財道具全部が小型車に収まってしまうほどでした。しかし、ジェット機で飛び回っていた時よりも、私はもっと楽しい気分でした。それまで住んでいた夢のような家を出て、前の家の一つの寝室の広さくらいの小さな家に移ったのですが、家族は前より幸せでした。これによって今まで歩んでいた暗く混沌とした道から、輝きを増す光の道に戻ることができただけでも、それは本当に価値ある幸いなことでした。

私は皆さんも同じような経験をしなければならないと言っているわけではありません。私は皆さんよりもずっと頑固で反抗的だったので、主が私の注意を引くのに苦労されたのかもしれません。しかし、もしも自分の所有しているものが主よりも大事だと思うならば、それを失うことは最もすばらしいことです。主が私たちの過ごす人生をどう思われているかよりも、この世での自分の地位とか名誉の評価の方をもっと気に懸けているとすれば、人の尊敬を失うことによって神の御前で尊敬を得るほうが、あなたにとって最高にすばらしいことです。

今年は非常にエクサイティ ングな年になります。それは即ち、今年は様々な事が起こり揺れ動くということです。神への信仰が成長していない人たちは脱落しはじめるでしょう。神への信仰が成長している人たちは、他の多くの人の信仰が自分と同じように成長するように助けるでしょう。私たちはそのために自分を整え、次に何が起こるかを把握せねばなりません。

信仰に歩む者、即ち義の道を歩むものは、先を見越した行動をとり、多くのことを達成し、勝利するでしょう。なぜならば、彼らは自分が進んでいくところを鮮明に見ることができ、先見の明で決断することができるからです。

箴言4:18−19にはっきり書かれています。
「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない。」

そして次の 3節は揺り動くことのない御国の上に建てられた勝利の人生を歩むための鍵を教えてくれます。
「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。」箴言4:20−22

今年、どうか神の御ことばを知り、それに従うことに自分を捧げ努力してください。聖書を毎日最低一章は読むことを決意してください。嵐が来ても倒れない家を建てる者とは、主の言葉を聞きそれに従う者であることを忘れないでください。自分の聖書が棚の上でほこりをかぶっているのに、「主は私に語ってくださらない」と言って不平を言う人たちが大勢います。主を探し求める者が主を見いだすのです。

勿論、この文を読んでおられる方は神の言葉を求めておられるでしょう。しかし、もし私たちが輝きを増す光の中を歩んでいるのなら、ますます主を求め主のなさり方を理解しなければならないのです。私たちは一週間に一度ではなく、毎日新しいマナを集めなければなりません。今どれくらい神の言葉を知り従っているにせよ、今年はそれ以上にそのために時間を使うことを決意してください。さあ、今から始めてください。どの投資よりもこれが一番大きな利子を生み出すことでしょう。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-01-08 12:34

南イスラエルからの戦況速報 ヨエル・ローゼンバーグ  1月7日

南イスラエルからの戦況速報

ジヨエル・ローゼンバーグ


状況は非常に逼迫しています。ハマスは過去10日間に500発のロケットをイスラエルに向かって打ち込み、南イスラエルに住む50万人以上の人たちが死の恐怖にさらされています。

イスラエル軍の死者は今のところ6名ですが、国民はその犠牲者の為に国を挙げて嘆き悲しむ一方、過去二年半の間ハマスの執拗なロケット砲撃というテロ行為に対して(この間に6、300発以上のロケットが打ち込まれたにもかかわらず)ほとんど何もして来なかったイスラエル政府がついに強硬な反撃に踏み切った事を圧倒的に支持し胸をなでおろしています。

このガザ地区には約150万人のパレスチナ人がハマスの人質状態でハマスのテロ行為の犠牲となって住んでいますが、一番最近では、反撃して来るイスラエル軍に対して、ハマスは国連経営の学校に立てこもり、そこから白砲弾を発砲して来たためイスラエル軍はやむなくその学校を空爆し、42人の死者と50人余りの負傷者を出す結果となりました。

これに対して世界はハマスに向かって怒りを発する人がいないのはどうしてでしょうか。パレスチナ人はハマスから自由になる事を必死で願い、内々ではイスラエル軍がテロのリーダーたちを打ち負かすことを歓迎しています。

ロケットを発砲するのをやめるようにハマスに圧力をかける代わりに、国際的な圧力は、ガザにおけるハマスのリーダーたちとテロの下部組織が破壊される前に、何とか一時的な停戦をするようにイスラエル政府に大きな圧力をかけてきます。エジプトとフランスの大統領が昨日紅海のリゾートで会って即刻停戦の決議案をプッシュして来ました。アメリカのライス国務長官もそれを支持する声明を発表しています。

トップリーダーたちとその精鋭軍の多くが殺されて打撃の大きいハマス側は今必死で停戦を望んでいます。弾薬庫とか政府の建物が既に爆破され、又エジプトとの国境にある彼らにとって重要な密輸のトンネルも破壊されました。エルサレム・ポスト紙の報道によれば、ガザ地区におけるパレスチナのジャーナリストが月曜日に「一般的な見解としては、既にハマス政府は事実上存在(機能)していない。総ての政府機関は破壊された。」と伝えています。ハマスのリーダーたちは今ではちょうどアルカイダのオサマ・ビン・ラデンとアイマン・ザワヒリのようにふるまっていて、彼らは人前に現れず、アラブ・テレビ局を通じて録音されたメッセージだけが報道されていると言います。

こういう状態にあるのですから今ハマスを生きかえらすことなく、イスラエルは断固としてエジプト・フランスの停戦案を拒否すべきです。……

イスラエル国民は、過去に国際的圧力に何度もだまされて来ましたが、幸い今回は又同じような停戦の圧力に屈しようとはしていません。チャンネル2ニュースの世論調査によれば、81%のイスラエル国民は彼らの政府がロケット発砲をストップしハマス組織を破壊するために、ガザを空爆だけでなく陸からも軍隊を出動させてたことは適切な処置であったと信じていると報じています。そして、60%の世論がハマスとの停戦交渉に反対していると言います。

私は今回現地に来てイスラエル人と話した結果、彼らは今回こそはハマス軍とその政治的リーダーたちを完全に撃破して、南イスラエルがロケット弾、ミサイル、白砲弾からの脅威から開放されるまで戦うことを望んでおり、そのゴールが達成しないで中途半端に妥協することは、今まで以上に悪い結果をもたらし、それは事実上ハマスに勝利をさせ、イスラエルの敗北を意味するという国民感情であることが分かりました。

しかしながら、そのような国民感情にもかかわらず、オルマート首相とそのイスラエル政府は一時的な早過ぎる停戦を受け入れる可能性も十分あります。事実、2006年にはこの政府はレバノンにおいて同じような一時停戦を妥協して受け入れています。又、ユード・バラク防衛長官は早期停戦を望むという考えを当初から発表しています。これからの数日間でオルマート政府が今回はどのような決意をしているかがはっきりするでしょう。(完)

著者紹介
ジョエル・C・ローゼンバーグ
「最後の聖戦」などでニューヨーク・タイムズのベストセラー作家となる。 イスラエルや中東の戦争やテロの犠牲者を人道的立場から救済するための非営利団体、ジョシュア基金の創設者。 祖父母は20世紀始めにユダヤ人迫害を逃れて米国に亡命。 シラキュース大学を卒業し、テル・アヴィヴ大学に留学した。
 コミュニケーションの専門家として、元イスラエル首相ベンジャミン・ナタニアフなどとの仕事を経験した。福音的教会であるワシントンDC近くのマクリーン聖書教会に所属。 


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by walkwithgod | 2009-01-07 18:34 | 世界のニュース

兄弟の番人    ラリー・オカシオ  2009年1月4日

兄弟の番人

ラリー・オカシオ


創世記4:8−9
しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」

父なる神にとって最も大切なことの一つは、「人間 同士のつながり、関係」です。このことは神がカインを叱責し厳しい罰を与えたときに、何度もカインとアベルとの関係を強調したことから分かります。主はカインにアベルのことを問いただしたときに、アベルを単に一人の人としてではなく、「あなたの弟アベル」と言って訊ねています。主が怒ってカインに話をされた時、アベルの名前を言われた回数の2倍もカインのアベルとの関係(弟)に言及されておられます。

創造の当初に、この生々しい話が私たちに与えられているという事実によって、神が人間関係を非常に重要視しておられることが強調されています。そして人間関係のテーマは聖書全体を通じて何度も繰り返されています。兄弟、姉妹、夫、妻、指導者、部下等の関係に関して書かれていることはすべて、主が喜ばれることは何か、悲しまれることは何かを私たちに教えているのです。 カインの 「私は自分の弟の番人なのでしょうか。」という問いに対して、今日私たちも答えなければなりません。

ガラテヤ6:2
「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」

現実的、実践的な形で私たちは、自分の兄弟姉妹が霊的に、又しばしば物理的にもですが、どのような状態にあるか把握していなければなりません。主によって用いられるために必要な基本的なことの一つは、他人の痛み、苦しみ、弱さを理解し同情する能力です。私たちはクリスチャンとしての旅を共にしていますが、その旅は 自分一人では出来ないように神はデザインされたのです。イエスでさえあがないの御業を完成させるために重荷を負ってくれる助けを必要とされたことは、この重要な真理を浮き彫りにしています。

ルカ23:26
「彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。」

悲しいことに今日私たちの多くは一人で独立して生きていて、兄弟や姉妹が重荷を負って苦しんでいるのがわからないのです。最近私が住んでいる地方で、多くのティーンエイジャーの自殺があったことは、社会に大きな警笛を鳴らし、人々はそれを無視できなくなりました。私たちの影響下にある 多くの人たちも、助けや導き、あるいはただハグされることを必要としているのです。多くの者が見逃してしまうことですが、主は「キリストのからだ」を、みんなの成功をつなぎあわせるように造られたのです。あなたも私も ただ一人で主にある高みに登るようにとは召されていず、兄弟姉妹を一緒に連れて行くようにと召されているのです。

民数記32:17−18
「しかし、私たちは、イスラエル人をその場所に導き入れるまで、武装して彼らの先頭に立って急ぎます。私たちの子どもたちは、この地の住民の前で、城壁のある町々に住みます。私たちは、イスラエル人がおのおのその相続地を受け継ぐまで、私たちの家に帰りません。」

この原則は、イスラエルが約束の地に入ろうとするときに、二つ半の部族がヨルダン川の東側に残りたいと望んだ、この旧約聖書にある話によく表されています。主から彼らに課された条件は、彼らも他の兄弟たちと共にヨルダン川を渡り、共に戦い、すべてが相続地を受け継ぐのを助けるというもので、その後、川の反対側の自分たちの相続地に帰ることが許されたのでした。

私たちは、自分の個人的な神の目標を達成するだけでは十分ではないのです。他の人々がそれぞれの目標に達するのを助けることにも、私たちは召されているのです。もしあなたの結婚生活が祝福されているならば、他の人たちの結婚生活のために祈りで戦っていますか? あなたの助けを必要としているシングル・ペアレントや問題を抱えている家族を知っていますか? 現代のティーンエイジャーや クリスチャンになったばかりの人を訓練することに関わっていますか? それとも自分の問題、関心事、夢とかにだけで心がいっぱいになってしまっているでしょうか?

ピリピ2:3−8
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト/イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくして、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」

一つだけ守りきる価値のあるものといえば、神のようであることでした。しかし、イエスは正にその逆をしたのです。主はご自分の神性を捨て、主の人間性によって私たちが益を受けられるようにとされたのです。その結果、主が模範を示してくださったすべての関係は、「神と人」の関係ではなくなり、神と正しく結ばれた一人の人間が、その兄弟姉妹をどのように扱うことが出来るか、又、扱うべきか、を教示するものとなったのです。

ヨハネ15:13
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

この聖句をただ肉体的な死にだけ適用するならば、このみ言葉や、更にはキリストのあがないの御業に対しても不当なことをしているのです。確かに誰かのために死ぬことは高貴なことに違いありませんが、その人のために生きることはもっとよいことです。イエス・キリストの死は大きく扱われ、それは勿論正しいことですが、実はイエスはあなたや私のために死んでくださっただけではないのです。主は私たちのために生きてくださったのです。主はただ一度の勇敢な行為、救済の御業をしてくださったのではなく、全生涯を通じて無私の献身をすることを決意されたのです。それと同じように、神は私たちが兄弟姉妹のために死ぬことを強く望んでいるのではなく、むしろ私たちが彼らのために生きることによって彼らとの関係を大切にすることを望んでおられます。

ですから、「そうです。あなたは兄弟の番人です。」というのがカインや私たちに対する神の答えなのです。私たちは積極的に兄弟姉妹を助ける機会を探し求めるべきです。なぜならば、カインは エネルギーを使い、計画を練って、意図的に弟を殺害するという凶悪な犯罪を犯したのですから、私たちが犠牲的な行為により兄弟を生かすためには、エネルギーと計画と意図が必要なのです。

第一ヨハネ4:20−21
「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。」(終わり)


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by walkwithgod | 2009-01-04 07:59 | アメリカからのメッセージ