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続・パーフェクト・ストーム (完全な嵐) ラリー・ランドゥルフ 4月30日  

続・パーフェクト・ストーム (完全な嵐)

ラリー・ランドゥルフ  


<このメッセージは同題で4月17日にお伝えしたものの続きです。初めて読まれる方は、先ず4月17日の分をお読みいただくことをお勧めします。―訳者>


そこで今壊さなければならないパラダイムとは何でしょうか。

先ず、私たち教会は常にリバイバル、リバイバルと叫び求めますが、リバイバルは神が究極的に注意を払っておられることではないと思います。一般的な意味として、リバイバルとは昔あったことを復活・復興させる、回復すると言う意味で、言ってみれば墓場(tombティユーム)に焦点が当てられていてtomb focusと言えます。勿論だから悪いと言っているのではありません。旧約聖書で起こった事柄、例えばダビデの幕屋等の復活もそうです。しかし神が私に今語っておられるのはリバイバルではなくてルネッサンスです。ルネッサンスはフランス語ですが、その意味は新しく生まれ変わる、ボーン・アゲインです。そして、新生と言うことが強調される点でtomb focusではなく、むしろウーム(womb子どもを宿す子宮、お腹)に焦点を当てるwomb focusです。聖書も旧約がティユームなら新約はウームです。

私がこう云ってもご立腹しないで下さい。私は決してリバイバルを軽んじているのではありません。これから神がなさろうとしていることは、過去のものを単にリバイブするにとどまらず、それを遥かに超えたことをなさると言われるのです。例えばスミス・ウイグルフォースのいやしの業、それは確かに当時のカイロスタイムではすばらしかったことで、勿論私もそれが欲しいですが、神がこれからなさろうとすることは、それを遥かに超えたもっと新しいもの、既存の箱には入れて置けないような、箱が破裂するような大きな業なのです。今教会全体にリバイバルではなく、ルネッサンスの変革を神はもたらそうとしておられます。それは既存の観念ではとうてい言い表せないものです。

ですから昔のものをよみがえらせよと言っても理解出来ない人も、(古いものの良さの上に上乗せして)全く新しいレベルの礼拝をする、その霊の力をいただいて発揮する、そのために(もう一度)ボーン・アゲインするルネッサンス(新生)の時代と云った方が素直について行ける人が多いと思います。神の創造が、今までのチャート(グラフ図表)では上端から飛び出してしまい表されない程大きくなるのです。今の多くの教会は、私の教会もそうですが、神と霊の働きを求めて忙しくしてはいても、既存の神の観念の範囲を超えることなく、今までやって来たことの繰り返しをしているに過ぎません。それ以上に大きくはみ出した信仰による霊の力に期待している教会は少ないのです。これが今までのパラダイムからブレイク・アウェー(脱出)しなければならないことであると思います。

ロトの妻は神の未来のムーブメントに参加するはずの人でした。しかし、彼女はそれを躊躇しました。それで彼女は過去の記念碑となってしまいました。彼女の躊躇の代価は神のビジテーションでした。今私たちは危険な時に生きておりますが、イエスは「ロトの妻を思い出しなさい。」と言われました。過去にどんなに立派な業績を残したとしても、あなたがそこにとどまって神について前進して行かないのであれば、あなたはそうする代価を払わねばなりません。どんな立派な黄金の記念碑を建ててもらっても私はいやです。たとえ多くの間違いを犯しながらであっても、何としても神について行く、将来に属する人間でありたいのです。私は必ずしも他人が既に到達して得た油注ぎを欲しいとは思いません。私自身のものが欲しいのです。

4.「自分が今まで親しんで来た箱の中でぐるぐる廻ることから飛び出して、新しい御国の生き方をする。」に移ります。アインシュタインは、「気の狂った人」の定義とは、何度も同じことをくりかえしながら、その都度違う結果を期待する人のことであると言いました。
ある人が、プロセッショナリー(行列して歩くの意味)と名ずけられた毛虫(蝶の幼虫)を使って、ある実験をしてみました。この幼虫のDNAには名前の通り、前の虫の後をついて行く性質があります。この虫の10匹を一所に置くと一つの虫を後の9がついて歩くのです。実験者はこの虫の15匹を直径30センチ位の植木鉢の縁(円周がフラットな?)に置き、その鉢の中心に虫が好きな食物を置きました。そして放って置いたのですが、一日たっても皆先頭の虫の後をぞろぞろとついて鉢の周りを廻っています。二日、三日と経っても同じことを繰り返すだけで円周を廻り続け、ついに十日後には皆餓死して死んでいたと言うのです。食物は彼らから僅か15センチしか離れていませんでした。これは「眼の見えない人が眼の見えない人を導く」ことにあてはまります。

皆さんはそうではありませんが、多くの教会では、何も考えず、あるいは何も疑うことなく、皆人に右にならえで同じことをしている、つまり「私は危険を冒してでも人とは少し違った生き方をしてみたい」と思って実行する人は意外に少ないのに気が付きませんか。
確かにクリスチャンは「後について行く人follower」の集まりではあります。しかし、あるクリスチャンたちはよく考えもせず何にでもついて行きます。又、多くの人は誰か他人のビジョンとか夢、他人の目標に右え倣えでついて行くのに忙し過ぎて、神がそれぞれ個人に与えられた(賜物と)ビジョンを見極め、それを追おうとしません。従ってそうするのに必要な、自分個人のための霊の食物を得ようとはしないため、霊的に死んでしまっている人も大勢います。神は、ですから、大勢の人のすることから離れ、自分が行くべき道を行きなさい、(そのために神だけを追い求めなさい)と言われるのです。

何故人は大勢の人の後をついて行くかと云えば、多くの人は(神ではなく)人を恐れるからです。私も今まではずっと人を恐れて来ました。しかし昨年私はひどい病気に係り死にかけた時、神に対面して分かったことは「人を恐れず神を恐れる」ことの意味です。
本当に神を恐れるようになるまでは、人を恐れると言う意味がはっきり分からない人が大勢いると思いますが、これはある意味でとても危険なことであると思います。
神が本来期待する、それぞれ違った個人に成長すべきであるクリスチャンを他人(教会のリーダー)が押並べて一律なクリスチャンにするような支配的な指導をしてしまうのを、多くの人はその指導者である人を恐れるがゆえに、その人が言う通りのイメージになるように右へ倣えしてしまうのです。

そこで主は言われます。「あなた自身が本来神が召した、本来のあなたになりなさい。あなた自身の独創性(神における創造性)を見つけ出し、真正の神の子(神のイメージに似た)になりなさい」と。「皆が飽きもせずにやっている同じことを繰り返すことを止めなさい。そうして死んではならない」と云われるのです。
最近ある人が「私たちは皆それぞれがオリジナルに生まれて来たのに、皆コピー(写し)となって死んで行く」と言いましたが、本当にそれは悲劇です。
あなたを、それぞれ特別にあなただけにしかない特有の良さと能力を持たせ、ユニークでオリジナルに造られた神に対して、あなたが常に神と共にカイロスな時に、神の油注ぎで神の目的に生き、神の期待に応えないで、単に同じもののコピーの一枚のような人間になってしまうとすれば、それは本当に創造者の神を侮辱・冒涜することになります。神は、あなた以外の人では出来ない、特別の役割と使命を初めからあなたに与えてあるのです。

もしそのように造られたあなたが神とその教会の期待通りにならなかったとしたら、それは主の教会を奪う(裏切る)ものであり、それは罪です。主は「もしあなたが、私がそうなるように造った通りにならなかったとすれば、あなたはあなたに定められた(約束の)領地(Destiny)に到達することなく死ぬのです」と言われました。
そして黙示録に書いてある、天において神が「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。」と言うことの意味は、あなたが、地上で元々あなたがポテンシャルとしてなるべき人にならなかった(あなたに与えられていた召しと目的にまで到達し得なかった)ことが天に行ってから分かっ時に、あなたは大きな後悔の念にかられ多大の涙を流すことになる、しかしその涙をも神はぬぐい去って下さると言う意味であると主が示して下さいました。
それ程この世で神から与えられている人格とその神が期待して元々与えている域に私たちが達するか、達しないかは大きなことなのです。あなたは、そうなるように造られ、そのために必要な賜物を総て与えられたにもかかわらず、あなたが自分の意思でやり遂げ到達する努力を怠った故にそうならなかったことがどれだけ悔まれるか、分かる日が来るのです。決して他人と同じようにならないで下さい。

主のからだは皆機能的にそれぞれ違う多様性を持ちながら、一つのからだとして一致して働けるのです。私たちはそれぞれが違うのですが、同意することが出来ます。それぞれ違ってもそれぞれにユニークな神の油注ぎがいただけます。油注ぎを望まない人はおりません。神の油注ぎは神のご計画にそって御心を追う人、「写し」にではなく「本物の」人間に与えられます。真正さが最も大切です。その神の御心を追い実行する人は主にあっての自信を得ます。その自信が油注ぎを誘導し、それによってより主の創造性を発揮するのです。その結果超自然のめざましい力、奇跡が日常茶飯事のように起こるのです。
まゆの状態の中を立派に成熟して通り抜け、まるでスーパーマンが公衆電話ボックスから衣装を着替えて突然出て来るようにあなたはスーパーマンとなって空を飛べるのです。(笑い)

次に5.の「予期しないことが起こることを予期しなさい。」です。

神、エホバ・ゴッドの代表的な名前が10あると言いますが、私は11番目にエホバ・サプライズ(驚かす神)と言う名前がよいと思います。(笑い)それ程神は私たちをよく驚かされます。自分は当然右に曲がると思っていたら突然左と言われますし、早朝祈り始めると突然これをしなさいと言われましたので、私はとっさに神に「私は今そんなことしている暇はありません。今祈りの最中なのですから」と言ったこともあります。(爆笑)
正直なところ、私はやりきれないほど飽き飽きするような毎日なので、神が予期しないことをされて驚かされるのは大歓迎です。実のところそれに飢えています。私は昔よく神に「うんと驚かせて下さい。何か今までの箱には入れ切れないような吃驚することで」とお願いしました。

それに皆さん、私は何かよく分からない、おぼろげではっきりしないことが嫌いです。しかし、今はそのような何がどうなるか、はっきりしない時、予期しないことがどんどん起こる時です。しかもあなたが次に何が起こるか当ててみようとすると、大概そうでないことが起ると思いませんか。神は私たちの考えることが分かるので、なさろうとしていることを私たちが予想出来たことが分かると、神はそのなさろうとしていることを変えるのではないかと疑いたくなる程です。(笑い)

今は何もはっきりしない時なのです。神はしばしば明日と言う日を私たちから隠されます。クリスマス・プレゼントの中身が分からないように前以て隠して用意し、私たちを驚かそうというのが親の意図ですが、それを私は、その中身が分かっているような顔をする預言者のように(笑い)、今の教会は驚くこと、新しいことなど一つもない、と言う皮肉っぽい顔をして驚ろこうとしません。(笑い)
結論から言えば、何事においてもこうなるであろうと予想すると多分そうならないでしょう。何故なら私たちは予想が外れた歴史をあまりにもたくさん持っているからです。どうしてかと言えば、神は常に新しいことをなさる方であるからです。

私は多くの人から、又リバイバルがやって来て多くの不思議な業、奇跡が起こるかと聞かれますが、私はそうあって欲しいと答えます。しかし、私が確かでないのは、これから多くの奇跡と不思議な業がどんどん起こるでしょうが、それがリバイバルと言う範疇の現象として起こるのかどうかです。私はむしろ、リバイバルとかルネッサンスと言っても、今までとは全く違う形で起こると思うのです。今までのようにショー・ケース(見本)として突発的に時々起こるのではなく、「神が私たちの中で本当に生きる」とこうなると言う時代、神の臨在と神のクリエイティビティー(創造性)が毎日、そのような目覚しい業を起こす時代が来るように思うのです。これこそイエスが「またそれよりもさらに大きなわざを行います。」と言われたことが起こるのです。(拍手)ですから私は何が来るかよく分かりません。しかし予期しないことが起こる時が来ます。

最後に6.「ものごとに成功する可能性を大きくする。」に入ります。

アジア産の金魚の一種に、もしその種の金魚を入れる入れ物が直径10インチの鉢であるとすれば、金魚は2インチ位にまで育つがそれ以上大きくならない、しかし大きな入れ物に入れると12-15インチ位にまでは育つと言うのです。これを「金魚鉢エフェクト(効果、影響)」と言うそうですが、私たちはこの金魚と同じように周りの環境、特に生活を拘束するファクターとか限度範囲に比例して影響を受けると言うのです。
私たちは私たちが入っている入れ物・環境に影響されることのないように、それからブレイク・アウトする必要があるのです。私たちの頭の上を低くしているガラスの天井とか入れ物の狭さ、限られた環境からう打ち破り出なければなりません。そのファクターには誰かに虐待・酷使されて来たと言うような成長過程での環境の影響もあれば、霊的な限度をも含みます。私たちは今トランジッショ(変遷)を通りつつ、変えられている訳ですが、そのような自分の生い立ち、周りの環境と言うような要素を「自分は変えられたくない」「だから変われない」と云う言い訳にしてはなりません。「私には廻りにお荷物となっているものが多過ぎる」と弁解するならそのお荷物を減らさねばならないのです。

私たちはもっと大きな世界観、大きな金魚鉢、大きな霊性、大きな心、マインド、あるいはもっと大きなポジティブな態度が必要です。今の私たちはこれ等の総てにおいて小さ過ぎるのです。私たちには、もっともっと大きな計画と目標が必要です。
私は今までに一、二度神に出会いましたが、神はものすごく大きな方です。そんな宇宙ほど大きな神様ならその神に中々出くわさないのはどうしてかとおっしゃるなら、それはあなたの求め方のナビゲーションに問題があるとしか言いようがありません。(笑い)
神は今の私たちが通っている変遷の間に、私たちの器そのものをうんと大きくされようとしておられます。私たちが色々な問題を抱えているのは百もご存知です。神はそれを利用して私たちのキャパシティーを大きく広げようとしておられるのです。小さな時に大きなことをする、廻りの状況が悪い時に偉大なことをする、監獄に押し込められた真夜中に高らかに喜び賛美する、周りの誰もが皆失敗する時に成功する、神は私たちがそうなるように学ぶことを今の時に期待しておられるのです。

私の親しい友人のビル・ジョンソンは、イエスが空腹時に通りかかったイチジクの木が何も果実を実らせていないのを見て怒りましたが、昔の彼は「それでは木が可哀想だ」と思っていました。しかし今彼が気がついたことは、イエスがそう云われた理由は「主は季節でない時でも実を成らすことを期待しているからである」と言いました。私も本当にそうだと思います。神は私たちが季節にも季節外れの時も実を実らせることを要求されているのです。神は、私たちが季節外れの空腹時にこそ、私たちを変革し、成熟した性格と人格を練り、どんなに厳しい状況で、たとえ季節外であっても常にイエスの期待に応える人を求めておられるのです。そのような人は、周囲の環境が悪過ぎるとか、ガラスの天井が低いとか高いとかにかかわらず、たとえこの国の経済状態が最悪になっても、希望と回復の神により頼んで、いつも喜びに溢れ、勝利の態度を持つて「生産し続ける人」です。何故ならその人の内に「生産されるお方」が住んでおられるからです。

総てが不確かな時にこそ、私たちは金魚鉢の殻を打ち破る必要があるのです。私たちは経済的金魚鉢に今入れられており、非常に狭さを感じています。しかし神はどんな悪い時にでも計画を持っておられます。聖書を見て下さい。ヨセフはエジプトに連れて行かれ監獄の奥深い処に入れられましたが、その最悪の状態で彼の人格が練られ、彼は、神が用いるべく定められた時のために準備されました。つまり国の経済が崩壊するような飢饉を迎えるに当たって神がその災害を乗り越えるにふさわしい人物を養成しておられたのです。エジプトでの経済を破壊する大飢饉はヨセフを打ちのめしたのではありません。むしろ、その最悪の飢饉が彼に具えられている終局的な目的地(デスティニー)に向かって彼を押し上げ前進させたのです。

パーフェクト・ストームが来ました。しかしそれは同時に最も大きな機会を教会に与えてくれるものです。国家の経済が崩壊するような一大危機に面する時、初めてクリスチャンがこの世の支配者たち(エジプトのパロのような)の前に招かれる機会が与えられ、教会がこの世で浮かび上がる最大の機会となると信じます。
このような経済的不安の中で一番いけないことは恐れと貧困の霊を持つ事です。悪いことは総て悪魔のせいにしがちですが、この経済危機のように、時には神ご自身がすりのように私たちのポケットを盗まれます。しかし、どんなにひどい状態にあってもクリスチャンは常に希望とビジョンを持たねばなりません。

 神は今動かれ始めました。私は今、大変興奮しています。機会到来!史上で最も大きなチャンスがやって来ているのです。私はこの時のために生まれ、この時のために備えられて来たのです。(拍手)私は何か分かりませんがこれから何かをしたいのです。悲観するのでなく楽観し、人を社会を国を助けるのです。(拍手)
 マタイ24:7にあるように「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。」それは地獄の扉が開かれ、あらゆる悪が氾濫するように思われるかもしれません。最後には太陽は暗くなり、月は光らず、星が天から落ちてくる……しかし決してパニックになってはならないのです。私たちを助けて下さる方が来られるのですから。
それでは皆さん立ち上がって下さい。お互いに声を出して、宣言しましょう。…(終わり)


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by walkwithgod | 2009-04-30 10:12 | アメリカからのメッセージ

今という時のための預言「備えよ!」 チャック・ピアス  2009年4月23日

今という時のための預言「備えよ!」

チャック・ピアス 


今という時のための預言

主が言われる。「リフォーメイション(改革、刷新)の声をあなたの内に響かせよ。わたしの霊があなたを覆い抱くのを感ぜよ。わたしの霊が混沌とした地上をかつて覆ったように、わたしはあなたの混沌を覆うことができる。わたしの改革の計画をはっきり見透せるように、あなたの霊を完全に服従させよ。多くのミニストリーが変革されている。人びとの人生が変革されている。都市が変えられている。教会の集会が改革されている。 物事が急激に終わりを告げ、また、急激に始まることが地上で今起こり、それによってわたしの計画が完全に遂行されつつある。」

「どんどんと今それが進んでいる。あなたが改革されるのを天使たちがしっかり守っている。あなたの周囲の生活 、ライフシステムが変化している。陶器師のろくろに乗っている粘土に水がかけられろくろの速度が増している。あなたは準備を調えてわたしの方に上ってこなければならない。わたしは途中まで下りて行きあなたを迎えよう。あなたが上るときわたしはあなたを覆う。わたしはあなたを覆い、いままでの混沌からあなたを抜け出させる。準備をせよ。上がって来なさい。上って来てあなたの混沌の状態が終わるのを見よ。」

「今わたしはあなたを整えている。わたしがあなたを整えているのをじっと見ていなさい。わたしと共に素早く行動する備えをせよ。素早く決断をする備えをせよ。わたしと共に動き前進する備えをせよ。三日目(the third day)のために備えをせよ。変革のための備えをせよ。新しい任務に就く備えをせよ。わたしと共に機動する備えをせよ。備えよ、あなたの上に三日目が来ていてあなたを覆っているからだ!」

「わたしはあなたの人生の中に働き、あなたを整えている。ペテロの姑のように、今まであなたを床に臥させていた熱から起き上がって備えよ。わたしに仕える備えをせよ。任務を受ける備えをせよ。その変革のための備えをせよ。前進する備えをせよ。わたしが遣わす道でわたしの力を顕わす備えをせよ。」

「あなたの人生にまさに起ころうとしている変革のために備えよ。備えよ!身を聖別し自分を整えよ。今はわたしがあなたを素早く召し、あなたの状況を素早く変え、あなたを立ち上がらせる日だからである。今まで向かっていた方角からあなたは直ちに向きを変える。備えよ、変革が来ている、突然に。わたしは歌う。『突然に!突然に!』と。わたしと共に歌い素早く行動する備えをせよ。」

「召集のために備えよ。あなたのともしびを絶えず用意しておけ。あなたのうちに油をいつも満たしておけ。用意をせよ。備えよ。わたしがあなたを召すとき、わたしと共に前進せよ。召しが今あなたのところにまさに届こうとしているからだ。召しの時が遅れているので多くの者は倦み疲れている。しかし、備えよ、変革の日が訪れるからだ。正しいことをすることに倦み疲れてはいけない。ともしびの芯をいつも整えておけ。わたしの訪れの時は近づいている。眠らないで備えよ。機動する用意をしていなさい。」

今日、あなたの希望を守れ

「今日わたしはあなたの状況を再編成し整えている。回りの状況はあなたの希望ある雰囲気を侵害しようとしてきた。今わたしはその状況を再編成し整えている。いままでの18ヶ月間に、あなたは物事が再編成、再構成されるのを見て、それに抵抗してきた。今わたしは事を再編成して整える。わたしがこれから起こす事にあなたを連れて行くのを見ていなさい。変化の時をしっかりと悟り、備えよ。わたしのことばを知り、練習しなさい。あなたの回りの暗闇にわたしのことばを携えて入って行きなさい。」

「あなたが入っていくべき入り口の門が今形作られている。一段レベルが高い啓示がやってくる。備えよ。油を再び満たしなさい。わたしと共に素早く行動する備えをせよ。あなたのともしびを手にとり、『主よ、わたしはおろかな娘になりたくありません。』と言いなさい。わたしのことばをもって備えよ。その時のためのわたしのことばで備えよ。自分を聖別せよ。あなたの心をわたしで満たせ。備えよ。」

「もしも義のために苦しむことがあったとしても、あなたは祝福される。脅迫を恐れたり、悩んだりするな。あなたを悩ませるものをすべて取り除く用意がわたしにはある。解放がやってくる。わたしはわたしの民から心配を取り除く。解放がきているからだ。」

「あなたの心を聖別し、あなたのうちにある希望の理由を弁護するための備えを常にせよ。希望を涌き上がらせよ。希望を弁護することばをあなたの舌に整えよ。あなたのうちにある希望を守る備えをせよ。希望の炎を消してはならない。もしも希望が消えて行くのを許せば、あなたの回りに築くべき防御が崩れさる。自分を希望で満たして、うちなる希望を守れ。」

「敵が来てあなたを守りの姿勢に追い込んだ。だから今日、あなたの希望を守れ。後ろに退いたり、敵と妥協してはならない。敵はあなたから希望を絞り取り、信仰の盾を捨てさせようとした。今日あなたの希望を守れ。わたしのことばが新しくあなたの口に形作られるように自分を整えよ。わたしのことばはあなたの口の直ぐ近くにある。それはあなたの口の中で形作られ、今日話すべきことばが出てくる。」

素早く機動する備えをせよ。

「今日、新しいことばがわたしの民の唇の上に整えられることを、御国全体に布告する。わたしの民は的確なことばを話し、人びとは彼らを受け入れる。わたしの民は受話器をとり電話をする。人びとは電話が鳴るとそれに答える。わたしの民は次の電話が鳴って次の任務を受ける備えをする。あなたの弱々しい姿から直ぐに起き上がり、仕えるために備えをせよ。」

「わたしのことばは再び生きたものとなる。癒される備えをせよ!自分の弱々しい状態に妥協してしまった者がいる。あなたは臥したままでいて、癒されるための備えができていない。わたしはことばを送り人びとを癒した。わたしのことばはあなたの直ぐ傍にある。」

「あなたの解放は近い。自分を整えよ、解放が近いのだから。備えよ、敵が新たな方法でわたしの民を狙っているからだ。守りのことばを持って備えよ。わたしは、わたしの民にむかって敵が突然襲撃して来る計画を持つている。」

「これからの5ヶ月間は非常に激しい時となる!常に自分をわたしのことばで整えていなさい。あなたのうちの希望を守れ。わたしは今日あなたのまわりの状況を並べ変え、リフォームする。素早く機動できるように自分を整えよ。これからの数週間、また数ヶ月の間、わたしはあなたに夜の見張りの任務を与える。わたしはあなたを夜の見張りのために起き上がらせ、それによって昼までに恐怖が過ぎ去るようにする。」(付記:主は夜の見張りと昼の見張りを兼職させられるようである。)

「わたしに時間を与え 自分を整えよ。そうすればあなたの油は(引き続き)あなたのうちに満ちているであろう。朝あなたに向かって敵のことばが来ても、昼までにはブレークスルー(打ち破り)があるだろう。わたしはあなたの上にとどまり、ブレークスルーをわたしの御国の空気の中に解き放つ。」

「備えよ、いくつかの事は突然終わりを告げ、新しい道が開かれ突然新しいことが始まるからだ。取り残されることを恐れてはならない!ただわたしが与える次の場所に移る備えをせよ。ある者たちは助ける者として新しい領域に入るであろう。今は人を助ける賜物が新しい方法で高められ効果的になるときだ。ある者たちは癒しの賜物の中に入っていくだろう。わたしの民は癒され整えられねばならないからだ。」

「今はカウンセリングが後ろに下がり、インパーテイション(分与)の時となる。わたしの霊が知恵のことばをもたらす。知識のことばが解き放たれ、あなたはどうすればよいのか直ぐにわかる。今はカウンセリングの時ではなく、前進の時であり、『たちまちに、(突然)』が来る!だから備えなさい。」

「わたしのことばがあなたの中で躍動し、あなたは背後からあなたに行くべき道を告げることばを聞く。新しい(ことばを伝える)巡回路が古いものと取り換えられつつある。わたしはわたしの民が今まで使用していた回路を取り除き、新しい回路を創るのだ。」

韓国、その他の地域へのことば

韓国を励ます私のことばを述べたいと思います。「備えなさい!劇的な大変動が起こる。」1月に私は韓国に行き、北朝鮮が4月にミサイルを発射するだろうということばを与えました。これがサインになります。

「自分を整えて、回りで起こっていることをよく見張りなさい。備えなさい。わたしは次の世代を召して位置に着かせている。彼らは自分たちの愚かさから抜け出し、自分のともしびを整えるであろう。」
「カリフォルニア州よ、備えよ!フロリダ州よ、備えよ!台湾と中国よ、備えよ!揺さぶりがやってくる。ヒューストンよ、備えよ、主の訪れがくる!」(終わり)

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by walkwithgod | 2009-04-23 08:42 | アメリカからのメッセージ

パーフェクト・ストーム (完全な嵐) ラリー・ランドゥルフ  4月17日

パーフェクト・ストーム (完全な嵐

ラリー・ランドゥルフ


このメッセージは最近のリック・ジョイナー師のMorning Starミニストリーで行われたProphetic Equipping カンファレンスで、ゲスト・スピーカーとして預言者ラリー・ランドルフ師が語ったものを翻訳(要約)したものです。少し長くなりますので2回に分けて掲載いたします。 坂 達也


2005年でしたが、ある夜気が付くと誰か知らない人(エンジェル)が私の寝室に来て、ベッドの端に座りました。それが確かなのはそこのところのベッドがぐーんと沈んだのです。しかし、何も言わずに出て行きました。初めての経験でした。そこで私はボッブジョーンズに聞いてみると、それは「見張りの(watching)エンジェル」だと言うのです。そのエンジェルはしばらくして必ず帰って来て、その時あなたに何かを語るであろうと言われました。それから4-6ヶ月経った頃、夜中の2時ごろにそのエンジェルが現れました。その時はエンジェルが過去のこととか将来に起こることについての色々なビジョンを見せて説明してくれました。そうしているうちにヴィジョンで突然私は森の中にいました。そして私は手に持っている何千年も経った貴重な古い本を落としてしまいました。その本は暗い森の中で谷間に向かって転げ落ちて行きました。それを追っかけて私は長い下り坂を走りました。下に降りれば降りるほど暗闇が増し、ついには何も見えなくなり、私はしゃがんで手探りで地面に触れるとそこにその本がありました。すると上の方からエンジェルの声がして、間もなく経済的、社会的にも、あるいは霊的にも一つの嵐が起こるが、それはちょうどこのように社会全体が長い下り坂を転げ落ちて行くような下降線をたどって起こると言いました。

その時は2005年で、まだ景気もよい時でしたので、未だこのメッセージを語るタイミングではないと言う思いがして、一部の人には話しましたが後はノートに取ってそのままにしておりました。すると数年後の2008年6月になって主がその嵐「パーフェクト・ストーム」がいよいよ来て、この秋から社会経済の落ち込みが顕著になるので、皆それを避ける避難所に入る準備をするようにと言われました。これは経済恐慌に突入する訳ですから、悪いことが起こることを意味します。しかし同時に、そのような預言は、神がなさることである以上、崩壊しつつある人間社会を救いに導き、回復させる意図と目的を持っているはずですから、その意味では良いことが期待出来ると言う点で私は興奮しました。

その翌週、ジャン・ポール・ジャクソンに会った時、彼が主からパーフェクト・ストームが来ると言う預言を受けたと話してくれました。そこでこれは大変だと、又ボブに電話すると彼はその話なら既に3年前に主から聞いていて、私が毎年出す預言の小冊子「シェパード・ロッド」(羊飼いの杖)に書いてあると言われました。(笑い)全くボブを驚かすことは出来ません。主は重要な預言は少なくとも複数、数人に分かち合われるようです。

そして、主はどのようにこのストームを切り抜けるかについて話してくれました。それはちょうどホッケーとかフットボールの競技で、パックとかボールを前を走っている味方に向かってパスする時に、その相手がその時いる場所に投げるのではなく、必ず走っている相手にボールが届くと予想される、かなり前方の地点に向かって投げるのと同じであり、私たちは先を予測して行動しなければなりません。 

1.世の中が変わり状況が変化することを予測し、それを受け入れる心の準備をする。
2.その時、状況がどんなに悪くなっても、慌てず、常に希望をもってポジティブに対応する態度が必要。
3.あなた自身の持つ今までの限られたものの見方、捉え方(パラダイム)を捨てて御国における新しい視野、見方にオープンな心構えを持つ。
4.自分が今まで親しんで来た箱の中でぐるぐる廻ることから飛び出して、新しい御国の生き方をする。
5.あなたは予測しないことが起こる事を予期し覚悟する。
6.ものごとに成功する可能性を大きくする。

さて、上記の1.について考えたいと思いますが、イザヤ書43:19「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。...」と2コリント3:18「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。」の二つの聖句を見てみたいと思います。聖書の多くの場所で「神は新しい事をなさる」ことが書かれています。しかし、その時に覚悟しなければならないことは、神が新しい事をなさる時、それは多くの場合大異変(破滅的な)が伴うのであって、その異変を乗り越える人もいるし、乗り越えられない人も出て来ると言うことです。乗り越える人は、その大異変を通ることによって、自らが変えられ(トランスフォームされ)「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられ」て行く人です。私たちの神は「よりよく変える神であり、変えることによって真の救いと回復をもたらす神」であるのです。

ですから皆さんはすばらしいミニストリーをされていて、既に天に宝を積まれているかも分かりませんが、神はもっともっと私たちを高いレベルに上げようとされておられるのですから、私たちは今までに自分が到達した成果に甘んずることなく、もっと大きな目標に向かって突き進んで行かねばなりません。

そのためにはリスクを伴うと思われるかもしれませんが、やって来る大きな災害と変革の中で、何が起こるかわからない不確かさと不安に信仰で立ち向かい、それを乗り越える覚悟が必要です。その意味で、今もう既に来ている経済恐慌は、自分が栄光から栄光へと変えられるための神が下さる又とないチャンスなのです。
 
この変革のシーズンを通るには大きな忍耐が必要です。今私たちは過去と将来の間にある渡り廊下に立っています。ある人が言いましたが、パウロが言う上記の「栄光から栄光へと変えられる」には栄光と栄光の間に狭間があり、そこを通らねばならないのです。その狭間は過去の栄光にも次の栄光にも触れることが出来ない暗い不確かな通路です。そこは何が起こるか分からない不確かさと不安の場所であり、そこを通過するには神を信頼するしかありません。そして「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」しかないのです。それはイスラエルの民が通った荒野であり、ヨルダン川です。それを通ってこそ約束の地に着けます。それは大変険しい難しい道です。

誰かが言いましたが、神は私たちが変わることを強いるのです。何故なら神は変わることのない方であるからです。私は長いことかかって分かったのですが、神と私とは同じではない、違うのです。(笑い)もしそれが現実であって、しかも私たちが神と似た者にならなければならないのであれば、神は変わることの出来ない方である以上、誰かが変わらねばなりません。つま未だキリストのイメージに似ていない私が変わらねばならないのです。
ところが私は変わりたくないのです。実はあなたもそうではないですか。誰かが言いました。そんな人を変えるには痛い目に会わせるしかないと。(笑い)本当に神は私が変わることを強要しているのです。
それはちょうど幼虫がさなぎに変わり、それがまゆとなって最後に蝶に変形するプロセス〔変態(metamorphosis)〕に似ています。幼虫―――さなぎ―――まゆ―――蝶と言うのプロセスを通って虫が蝶になります。 

私たち現在の教会を例えるなら、今はちょうどさなぎの状態であると言えます。さなぎは廻りにあるものを手当たり次第、貪欲に食べて成長します。その段階では自分のことしか考えないでひたすら霊の食物を食べあさります。さなぎは総て私、私、私しか考えていないのです。私がそうです。(笑い)しかし、そのさなぎが蝶になりたいと思えば、いつか食べるのを止めなければなりません。私も蝶になり空を飛びたいと思って神に変わることをお願いしました。すると神は「まゆ神学」なるものを聞いたことがあるかと訊ねられました。(笑い)蝶になりたければ、その前に「まゆ」にならねばならないと言われたのです。

まゆの中は暗くて狭くて身動きも取れず神の臨在も感じられません。それが今私たちが通ろうとしている変革のための渡り廊下に当たるのです。私たちは永遠の栄光の蝶と言う信仰に羽ばたく超自然のからだに早く変わりたくてむずむずし、周りを見てはこのように私たちを苦しめているのは総て悪魔の仕業であるとばかりに「サタンよ、お前を叱責する」とわめき散らしていますが(笑い)、実の処は私たちは未だ足だらけの虫に過ぎないのです。しかし、このまゆの中でじっと過ごす時間を少しでも短縮すれば、「変身」のための酵素による最も大事な成熟のプロセスが完了せず、出て来ても力強く空に羽ばたけない蝶になってしまうのです。
ですから今私は、世の中がこれからどんなに真っ暗になっても決してパニックにならないで下さいと言いたいのです。神は私たちをまゆの中に閉じ込めて、神に似た性質に変えられようとしている、その最も重要なプロセスなのです。

ラザロをイエスが来られる前に 一日早く墓から引っ張り出そうとしてはならないのです。例え、それで墓場にもっと悪臭が漂うとしても、私たちは放って置くべきです。何故なら、彼が4日間墓にいるのは神のご計画だったからです。そして、助ける人が待っていて直ぐにも来ようとしているのですから。(拍手)
又、別に例えるなら、ちょうど妊婦がお産の直前に苦しむ姿を見て「悪魔よ出て行け」と叱責するようなもの、子どもが生まれるために妊婦が苦しむのも神の計画された大事なプロセスです。神は妊婦が痛みで苦しまないと約束されましたか。ノーです。これから私たちはまゆの中に入るのですから、それがいかに苦しくても、それは神がなさっておられる神のご計画(パーフェクト・ストーム)であると言うことを決して忘れてはなりません。

もし私がそれで死ぬとしてもそれもすばらしいことです。パウロは自分の苦しみをイエスと同じ苦しみを味わう特権として光栄に思いましたが、度重なる迫害で苦しんだ一世紀当時のクリスチャンに比べれば、今のクリスチャンは苦しむと言うことに関してはソフトになっていることを認めざるをえません。もう一つの例は、ダビデ王からソロモン王に移行する時に、アドニアがソロモンの代わりに王になろうとして野心をいだき、戦車、騎兵、それに前を走る五十人をもって謀反を起こそうとした(1列王記1:5)と言う事件がありました。これも諸国を平定して一大王国を築き上げるソロモンの時代に移行する直前の患難のプロセスの時であったことを思い浮かべられます。


次に上記2.のポジティブな態度を維持することが重要であることに触れたいと思います。日常よく経験しますが、私たちがネガティブな思いと態度で過ごす時には、私たちの身体自体の機能に悪い影響を与え、病気になったりパニック状態になったりしますが、ポジティブで楽しい気持ちを持って生活する時には体調もよくなり、いやしが起こります。ですからこれから色々な問題が起き困難を通る時には、パウロが云う通り、私たちはいつも良いこと、正しいこと、誉あることに心を留めるべきです。どんな時でも、平安と喜び、ポジティブな態度を取ると言うことは、クリスチャンの信仰生活にとってオプションではない、不可欠当然な「それ以外にあり得ない」生き方であることを強調したいのです。これは全く交渉の余地のない神の御国のDNAとして絶対そうあるべき素質です。もしこれらの態度とDNAの素質を持たない人は、この変遷・移行の困難時をうまく通り抜けることが出来ないのです。

一つの例を挙げると、使徒16:26にありますが、牢獄に入れられ、普通の人なら最も落ち込み、悲観的になると思われる状態にあったパウロとシラスは真夜中に喜びに満ちて大いに賛美をしました。私たちにとってこれから最も必要なものはこの信仰によるポジティブな態度です。どうすればそうなれるかと言えば、私の場合は自分にそうなるように語り掛けるのです。私はよく自分に言い聞かせ、説教し、何度も語ります。
何か悪いことが起こったら、とにかくパウロがピリピ4:4で云うように「いつも主にあって喜びなさい。」です。しかし私は一度云われただけではすぐピンと来ない人間なんですね。ですからパウロはそれをよく知っていて、私のために「もう一度云います。喜びなさい。」とくりかえして云うのです。(笑い)これ以外のオプションはありません。


次は3.の「あなた自身の持つ今までの限られたものの見方、捉え方(パラダイム)を捨てて御国における新しい視野、見方にオープンな心構えを持つ。」ですが、先ず2ペテロ1:12を見てください。皆さんはこの聖句を誤解しないでいただきたいのですが、ここでパウロは「現在の真理」に堅く立つことを問題にしています。神の真理は絶対です。聖書は絶対です。それなら何故ある真理を学んで、その一年後に、同じ真理が一年前よりもっと真実な(ものに思える)のはどうしてでしょうか。(笑い)であれば一年前のものは本当の真理ではなかったのでしょうか。

神は変わることのない方であることはよく知っています。しかしその神に対するあなたの理解は毎日変わっているのです。つまり神の真理は変わりませんが、私たちのそれへの知覚・認識が変わって来ていると言うことです。であれば、最初に聞いた時は多分その認識は限られたものでしかなかったのでしょう。一つだけ絶対なことは、多くの場合に私たちは絶対ではないと言うことです。何故なら私自身あまりにも数多く間違って来たからです。ですから、自分が間違っていることに対してはオープンにならざるを得ず、その態度によって、主は私の間違いを正し、又真理を示して下さいます。

確かに神と神の真理は絶対ですが、神が真理をこの世のスペースとタイムで私たちひ弱な人間に明らかにされるのは徐々に発展的になさるのです。何故なら神が徐々に示して下さるからこそ私たちはよりよく理解し、その真理は段々と大きくなる絵として私たちにしっかり認識されて行くのです。
ペテロの言うように私たちは真理が必要です。そして、その真理に堅く立たねばならないのですが、それはその時代とその時に明らかにされるカイロスな真理をその時の真理として私たちがしっかり受け取って認識しなければならないと言うことです。そのよい例が当時のパリサイ人たちでした。彼らはイエスが現れた当時にあらわされた真理をしっかり受け留め正しく認識出来なかったのです。彼らは確かに霊の真理、聖書の真理、愛の真理を知っていた、当時のヘブル神学の黄金の子どもたちとも言うべき、エリート中のエリートでした。しかしその彼らが認識出来なかったことは、神が人間として目の前に来て下さっていると言う現実の真理でした。もし私が当時に生きていたとすれば、恐らく同じようにミスしていたかも分かりません。又多くの皆さんも多分ミスしたでしょう。

これが私が指摘したい「あなた自身の持つ今までの限られたものの見方、捉え方(パラダイム)を捨てて御国における新しい視野、見方に常にオープンにならねばならない」と言う意味です。神は前に示した真理に反して新しい真理を示されるのではなく、今まで明らかになっていた真理に加えて、もっと同じ真理の新しい面を示されますから、それを知った私たちはウオーと驚嘆するのです。

神は、私たちに今必要な真理を教えるために、私たちをこのような破壊的な危機に入れようとされておられるのです。神は私たちに今現在最も必要な大事なことを直接お話しようとされています。私たちクリスチャンは聖書の教えを学ばねばならない。過去のことも、将来起こることも、私たちの将来行き着く到達地点は何か、等々…とにかく学ぶことだらけですが、宗教的になってはいけません。むしろ私たちが現時点で神の前に立つことが必要です。あなたはこの時のために、このカイロスの時に生きるように創造されているのです。聖書は「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」と云われますが、このちょうど良い時とはカイロスの今のことです。この今の時に、私たちがパリサイ人サドカイ人のように宗教的で知識堪能になったからではなく、又あなたが偉大なミニストリーをして来たからでもなく、真に主が今言われることに忠実に従い一致(アライン)するならば、あなたが今成熟すべき、到達すべきポテンシアルは頂点に達すると云われるのです。

神は過去とか遠い将来の神ではなく、常に今おられ、今語られる、今の時に充分な神です。ですからイエスは「今が御国の時」と言われました。明日ではない、今です。しかし栄光は過去にあったとか、70年代はすばらしいいやしが起こったからそれに帰れとか、栄光はこれからだとか、色々な人が色々なことを云うので円の中をぐるぐる廻りながら、一体どこへ行ったらよいのか、どうしてよいか分からなくなって混乱します。人の云っていること総てが、それは正しい、これも真理だ、神はここでもよいことをなさった、あそこでも…まるで精神分裂症患者のようです。(笑い)私たちは総てに通じる普遍の真理をつかもうとやっきになりますが、それは過去、現在、未来に同時に住める神しか理解出来ないもの、私たちが住んでいるのは今なのです。(続く)

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by walkwithgod | 2009-04-17 12:55 | アメリカからのメッセージ

坂 達也・柚実子 来日のお知らせ 4月15日2009年

坂 達也・柚実子 来日のお知らせ

 ハレルヤ!私たちは、来たる6月4日より7月10日までの予定で日本に参ります。この間、沖縄に9日間と、札幌に4日間の滞在が既に決定しております。つきましては、もし私たちのミニストリーをご希望される教会がございましたら、お手数ですがメールにてご一報下さる様お願い申し上げます。 

 例年私たちは春と秋の二回、日本に参っておりますが、今年は秋にイスラエルに行く予定ですので、日本へはこの6月に一度だけ訪問することになりました。それでは皆様にお目にかかれるのを楽しみにしております。
 尚、ヘンリー・グルーバー師の来日予定は、今のところ秋までありませんのでご了承下さい。坂 達也

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by walkwithgod | 2009-04-15 09:53 | ミニストリー予定

「イスラエルよ 聞け!」と主が言われる ジェロミー・ロペズ 4月11日 

「イスラエルよ 聞け!」と主が言われる

ジェロミー・ロペズ 



次の言葉は一月の預言カンファレンスにてシカゴのジェロミー/ロペズ(Identity Network Internationalの創立者)に与えられたものです。

主は言われる。「イスラエルよ、聞け。あなたの神、主が、あなたのもとに再び来る。もう一度あなたのただ中を歩き始める。雌鳥がひなを集めるように、わたしは1948年にあなたを集めた。あなたはわたしのほまれであり、わたしのこころ、わたしの情熱である。あなたを再び生き返らせるためにわたしは来る。わたしの一人息子という炎が2000年前にあなたのただ中を歩いた。そして、わたしは言う。彼は再びあなたのただ中を歩くであろう。なぜならば、彼は二千年前に来たのと同じ肉体をもって来るのではなく、彼の花嫁のからだを着て来るからである。もう今、わたしはわたしの花嫁の心をあなたの方に向け始めている。イスラエルよ、わたしは再びエルサレムの街を歩き始める。ヴィアドロロサをもう一度歩き始めるであろう。」

炎があなたがたの街の通りを再び歩くであろう、イスラエルよ

「イスラエルよ、わたしはあなたの町々やそのまわりにおいて十字架の上で贖われた希望という宝を呼び覚まし始める。あなたの街や通りにわたしの情熱、わたしの愛、わたしの心、わたしの救いをもって入る!わたしの炎である花嫁は、あなたの町に待ち望んでいたメッセージを携えて入っていく。それは、約束された者、メシヤのメッセージである。あなたが心の中にそっと秘め、『エホバの神主よ、あなたが来られるという約束は一体どうなったのですか?』と言っていたことだ。しかし、わたしは今までずっといつもあなたと共にいたのだ。花嫁なる教会を通してあなたがたのただ中で動いていた。わたしの花嫁は、あなたの若者や年寄りをしっかり胸に抱いてわたしの愛を あなたに告げるであろう。イスラエルよ、あなたのためのヴィジョンは、わたしを、真のわたしを、わたしの一人子メシア/イエシュアを通して知ることである。」

「モーセの時代のように再び勝利するわたしを知れ。しかし、今回は新たに(初めて)、わたしをあなたの救い(主)として知れ!それこそあなたが何千年もの間、知り、楽しみ、経験することを待ち望んで来たことだ。これまであなたは出エジプトのことを聞いたり読んだりしてきたが、今出エジプトの時が再び戻ってきたのだ。しかし、今度はしもべモーセを通してではなく、また古き時代の預言者たちを通してでもなく、わたしの花嫁を通してなのだ。花嫁はわたしの愛するもの、今わたしのマントルを着るものだ。人類の心が壊されて陶器師の畑で死んだままに放っておかれた姿を、心を開いて花嫁に見せてもらいなさい。それから、その壊され泥まみれになった人類の心をわたしが拾いあげ、どのように修復して再びわたしの胸に抱いたかを教えてもらえ。」

主が言われる。「わたしは再びヤコブの井戸に戻ってくる。イスラエルよ、何故あなたは毎日ヤコブの井戸に来て何千年も同じ水を汲み続けているのか。わたしはまもなくあなたに会うためにヤコブの井戸にくる。丁度わたしがサマリヤの女に会ったときのように。しかし、今度はわたしのかわりに花嫁を遣わし、ちょうど母親の雌鳥が雛鳥に言うようにこう語る。『イエシュアはあなたの渇きを止める水を持っている。彼はあなたの渇きを満たすために必要なものを持っているのだよ。』と。」

イスラエルよ、わたしは情熱の炎を再び燃やすために来た

「今この時に、わたしは花嫁とあなたのところに戻ってくる。花嫁はわたしのひとり子が持つ光と愛と希望をあなたに食べさせるであろう。わたしは陶器師のろくろを使い、国々がお前に与えた傷を癒し回復させよ。あなたは死んだ者として見捨てられた。しかし、わたしはあなたを新しい命によみがえらせる。あなたの壊れ果てた心に、わたしのひとり子の命、イエシュアの血潮を再び入れさせてくれ。それはモーセがしっかりと胸に抱いたメッセージと同一であり、『贖い主がその子等のところに来られる』というものだ。」と主が言われる!「あなた達は心の中で『彼らがメシアと呼んでいるイエスは、本当に神の子なのか?』と言ってきた。」

「わたしが今も、またこれからも常に『あってあるもの』であることをあなたに示すために、花嫁はわたしのひとり子を通してあなたの前で偉大な業をする。なぜならば、花嫁は失われた者を探し出し救うためにわたしのメッセージを携えてくるからだ。イスラエルよ、あなたがその失われた者である。あなたを誤解し、あざけり、憎んだ国々からあなたは投げ捨てられたのだ。」

「わたしはあなたの街々を歩き、泣いた者たちのために泣き、嘆いた者たちのために嘆き、道に迷った者たちを呼ばわった。わたしのもとに来なさい、イスラエルよ。父のところに行く道を教えよう。なぜならば、わたしが道であり、真理であり、命だからだ。わたしは再びあなたの町々に情熱の炎を燃やすために来たのだ、イスラエルよ。わたしの言うことを聞きなさい!わたしこそあなたが捜し求めていた鍵なのだから。わたしの炎は再びあなたに帰ってくるであろう!世界の軍隊があなたに呪いをかけ立ち向かってくるにしても、わたしがあなたの避け所となる。」と主が言われる。「エルサレム、エルサレム、わたしはあなたを再び抱くことをどれほど待ち望んでいるであろうか。」

わたしの深みからあなたの深みに呼ばわる

「あなたはわたしを退け、あざ笑い、唾したけれども、わたしは決してあなたを忘れなかった。だからわたしは、わたしのひとり子イエシュアの十字架の希望と喜びと力をもって、あなたのただ中で炎のように燃えはじめるのだ。わたしはあなたの町の古き門や扉を開き始め、わたしの炎を再び送る。それはあなたのわたしへの信仰と希望と喜びを新たにするためだ。」と主が言われる。「わたしがモーセが見た柴の中でどのように燃えたかを思い出しなさい。 イスラエルよ、今度はわたしの花嫁が、あなたへのわたしの愛の情熱で炎となって燃える柴となる。わたしの火を受けよ。その火とはわたしの花嫁だ! わたしの花嫁はあなたを養い抱いてわたしの元に回復させるために来たのだから。」

「わたしの花嫁は、わたし、エルシャダイの養う霊を持っている。わたしの深い淵からわたしはあなたの淵に呼びかけあなたのデスティニー(神から約束として与えられている 真の目標、目的、到達地)を呼び覚ます。イスラエルよ、あなたのデスティニーがあらわれる!わたしはあなたを養い、あなたがずっと待ち望んでいた滋養を与える。イスラエルよ、雌鳥が再びあなたのところに戻ってきたのだ。わたしはあなたをわたしの手のひらの中に入れ、地獄の軍勢から守る。あなたはわたしの民なのだから。わたしはあなたを忘れたことは一度もなかったのだ!」と主は言われる。

イエシュアを通して御国の永遠のものを手に入れる

「イスラエルよ、アブラハムの祝福が再びあなたにやってくる!あなたが奪われ盗まれた富がダビデの家に戻される。」と主が言われる!「わたしがアブラハムを通してあなたがたと結んだ契約はこの世がある限り有効であるが、わたしのひとり子の契約は永遠のものだ。あなたの人生で望むこと、考えられるすべてのことを超えるようなすばらしく豊かなことをわたしにさせてほしい、イスラエルよ。わたしのひとり子イエシュアを通して、あなたはわたしの御国の永遠のものを手に入れるのだ。わたしの息子の王国をしっかりと胸に抱きしめなさい。

「イエシュアがあなたを呼んでいるその召しを喜んで受けなさい。 わたしの前に立つ大祭司として彼はあなたの名前を呼んでいるからだ。わたしの民よ、彼はあなたのためにとりなしを続けている。彼が花嫁を通してあなたの街を再び歩くとき、彼を受け入れてくれるであろうか?もう一度彼の衣のすそをつかんではくれないか?国々から痛めつけられ死んだと見捨てられたときあなたの傷口から流れ出た 血潮を、彼は回復したいと願っている。ああ、イスラエルよ、彼の衣にすがり彼があなたのために与えた命の賜物を受け取りなさい。」と主が言われる。「あなたが父の心に戻る道を見つけるまで、あなたはイエシュアの心の中で燃え続けるからだ。わたしのひとり子こそがその道なのだ。」(終わり)


〔略歴:ジェロミー・ロペズ師はIdentity Network Internationalの創立者として、啓示による預言的賜物を人に教え開発する賜物を持ち、新しい主からの啓示のみことばをキリストのからだである教会にもたらしている。彼のミニストリーはアメリカ国内のみならず、世界に広がりつつあり、ジャマイカ、バハマ諸島、ハイチ、インドネシア、香港、シンガポール等の国を訪ねている。インドネシアからニューヨークまでの各地で幾つかのラジオ放送を通して親しまれている。〕


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by walkwithgod | 2009-04-11 03:27 | アメリカからのメッセージ

 「人の子らよ、帰れ。」主に 坂  達 也 2009年4月3日

 「人の子らよ、帰れ。」主に                               

      坂  達 也


先週掲載したキャシー・ペルトンの「恐れの根を取り除く」は大変興味のあるメッセージでした。文中で、彼女が折からの経済不況のあおりを受けて家族3人の仕事が無くなり、収入源が断たれたことが書かれています。彼女とその夫は、総てを主に委ねる信仰で生きようとしているすばらしい夫婦です。最初の二、三ヶ月は思いがけない方法で主が彼らに収入を与えられましたが、その後の数ヶ月は何も入らず、ついには貯金も底をつきました。その時点で、彼女は信仰による平安を装ってはいても、夫に仕事探しにもっと精を出すように「ほのめかした」のです。しかし主には(夫にも)彼女の心の状態が分かっていましたから、主は、その「ほのめかし」が神からの声を聞いてそう言ったのか、あるいは恐れ(不信仰)から出た、自分自身の考えであったのかを彼女に問い質されたのでした。

この話を読まれた方の中には、「自分で出来る当然の努力をしながら主の導きを待つと言うやり方がどうして信仰的な生き方ではないのか」と言う疑問を持たれた方も大勢おられたかと思います。つまり、仕事探しを自分の責任ですることは「主の御心の中に入る当然すべき自己努力」と言う考え方です。すると、問題はどこまでを自分の責任でし、どこから神に頼るのかと言う疑問にならないでしょうか。あるいはそう分けて考えること自体が間違っているのかもしれません。

それで思い出すのは神がモーセを通してイスラエルの民に言われた下記の御言葉です。「『あなたは、このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げよ。あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」(出エジプト記19:4-6)

神はイスラエルに二つの要求をなさいました。一つは「わたしの声に聞き従う」こと、もう一つは「わたしの契約(律法の書)を守る」ことでした。私たちの願いは勿論、主の御声を聞いてそれに従うことですが、主は同時に、私たちが主との契約を守ることを要求されています。それがどう言うことかをヨシュア記1:8が「この律法(契約)の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」と説明してくれています。

私たちは常日頃、聖書にある「書かれた御言葉」(契約、律法)を聖霊の助けと導きによって精通し、祈りつつ、それを自分の霊と魂に叩き込んで自分の血肉の一部となる程に沁み込ませる必要があると言われるのはこのことであると思います。そうすることによって、私たちクリスチャンは先ず、基本的な主の御心と思いを知り、自分の心と思いが主と同じか、あるいは非常に近いものとなるのです。そうならなければ神と友人のような親しい関係にはなれません。これはちょうど神ご自身の思いを知るための原語である「霊のことば」を憶えるようなもので、それを憶えることによって、主と聖霊が語られる「声の御言葉」がよく理解出来るのではないでしょうか。

私は最近「主の御声を聞く」とはどう言うことかなのかを色々な面で体験させられています。先ず今までの私のフラストレーションは、何故もっと御声が聞こえないのだろうか―にありました。グラハム・クックは主が直接私たちにことばとして語られることはそんなに多くはないと言います。それではどうしてその時の神の御心を知ることが出来るのでしょうか。

神はアブラハムに「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」と仰せられました。(創世記17:1)「全き者であれ」の全きと言う言葉は英語でパーフェクトですが、神は私たちが完全な人間になることを要求しているのです。完全な人間とはどう言う人間でしょうか。完全な人間は唯一人イエス・キリストがそうですから、私たちはイエスのような人になれと言われていることになります。そして、それを具体的に言うならば、それがヨハネ5:19、20に書いてあります。「…子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。…」

イエスは父がなさることを常にみな見てそれを行ったのです。(霊的に心の眼で見ることと、心の耳で聞くこととは同じでしょう。)そして自分の考えでは何一つしませんでした。
前述のキャシー・ペルトンは、たまたまその時に恐れを持ったため、これが出来ませんでした。イエスは常に父を見上げて父の指示を待ちました。しかし大事なことはイエスの心が父の心と完全に一致して、通じ合っていたことにあります。

イエスは、一日の生活の中で誰かが突然現れるとか、些細なことも含めて起こることの総てを予期し予知されておられたかどうかは私には分かりません。多分予期されていなかったことも多く起こったでしょう。例えば、ある人から突然電話が掛かってくることは、通常私には予期出来ません。(時々は思いがけない人からであっても、その人からの電話だととっさに「霊感で、虫が知らせる」経験をされる方は多いと思いますが)イエスはほとんどの場合、前から父の予告を受けているか、あるいはその寸前に予知出来たかも分かりません。いずれにせよ、イエスは総てにおいて父の御心がはっきり分かってその通りになされたことは確かです。

私たちは何かが起こる、あるいは人から何か言われると直ぐリアクションしてしまいます。このリアクションとは通常自分の肉がこの世的に反応する、とっさの感情からのリアクションが多いのです。(例えば、ムッとするとか)しかしイエスは私たちのように罪の性質でこの世的に反発・反応されることはありませんから、恐らくとっさに思い浮かぶのは 全き父のお考え、父の思いであると思います。そして、それが正しいことである確認を父は瞬間的に与えられるのであると思うのです。

詩篇85:10に「恵み(愛)とまこと(忠実さ)とは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。」とありますが、これは父と子の関係をよく表していて、ここで言う義(の心)とは「子は総て父に従う」緊密な交わりの関係そのものであり、それに父は常に愛と平安で応えられることを表していると思います。父と子のやりとりは、「阿吽の呼吸」とでも言いましょうか、イエスは自然に「父だったらこうお話しになる」と言うような適切なことばとか考えが、状況に応じてほぼ自動的に出て来るのではないでしょうか。
勿論大きなこと、例えばラザロが死にかけているので早く来て欲しいと依頼されても尚二日間も行かれなかったのは、大きな奇跡を起こされるご計画があったからですが(ヨハネ11章)、このような場合は前以て父と子は入念に打ち合わせされていたと思います。

私は最近、勿論イエスのようにではありませんが、私なりに、相手に答える言葉が何か自然に口に出て来て、後で、それが神がそのことばを私の思いと口に入れて下さったのであると言うことが結果として分かったことが何度かありました。それは神の御声を聞いたからそれをしたと言う感覚ではなかったのです。結果的にそうなったのですが、その時一つ私が気が付いたことは、私はずっと平安のうちにいたと言うことでした。

主との阿吽の呼吸と言うのは、時に「待つ」ことを教えてくれます。主は私たちの信仰を強めるために敢えて私たちを待たせることが多くあります。しかし、その時に平安を下さいます。ですから真に信仰のある人は安心して待てるのです。これをキャシー・ペルトンに当てはめれば、彼女の夫は「今は主の指示を待つ時である」こと、自分では何もしなくてよいことをはっきり感じていたのであると思います。キャシーもそう信じていたのでしょうが、彼女の場合は「恐れ」によって神とのコミュニケーション(親密な関係)がつい途切れてしまい、あわてて自分の考えで行動してしまったのではないでしょうか。

これからの世の中は益々暗くなり、患難を迎えます。今こそキャシーが受けたような信仰の訓練を私たちもしっかりと受け、患難に立ち向かう時です。

このようなしっかりとした信仰の土台を築き上げるためには、先ず常に天におられる父を徹底して求めることにあると思います。ダビデは「神ご自身の心を求めてやまない人」でありました。これが神の義の心であると思います。「 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」(マタイ5:6)詩篇の86:3-4でダビデは「 主よ。私をあわれんでください。私は一日中あなたに呼ばわっていますから。あなたのしもべのたましいを喜ばせてください。主よ。私のたましいはあなたを仰いでいますから。」と叫びました。 

そのダビデが「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。 私は主に申し上げよう。『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。』と。」(詩篇91:1-2)とうたっています。隠れ場とは秘密の場所、それは主とあなただけが密会する秘密の場所です。そこにいつも宿り住む者は全能の神のご臨在に常に覆われ、これ以上安全なとりではなく、どんな敵も近づくことは出来ません。そのような主との密接な交わりの関係にいつもいれば(主の御前に住む、宿る)、あなたは神の御声が聞こえます。又、たとえ聞こえないと思われる時でも、主はあなたを導き、あなたの足はいつもしっかりと守られています。

少年であったサムエルはまだ神の御声を聞いたこともない時に、ある夜、神のともしびがついたままで主の箱が安置されている主の宮で寝ていました。(1サムエル3:3)これは主のご臨在の前で彼が安らかに眠っていたことになります。すると初めて主がサムエルを呼んだその御声を聞いたのでした。

今厳しい職場の困難な状況の中で夜遅くまで働いておられる方、毎日が戦場のような牧会生活に疲れておられる牧師の皆様に私は申し上げたいのです。主とだけの時を出来るだけ多く過ごして下さい。主に安息することはどんなに忙しい時でも可能です。「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々とこしえに、あなたは神。 あなたは人を塵に返し/『人の子よ、帰れ』と仰せになります。」(詩篇90:1-3)
私たちが、自分(の考え)を塵のようにへりくだらせ、神に帰って、罪のないエデンの園でアダムとエバがしていたような、主との深い交わりを持つことを神は望みつつ、私たちを待っておられます。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-04-03 14:57 | 坂達也からの今月のメッセージ

楽観か失望か? グラハム・クック 2009年4月3日

楽観か失望か?

グラハム・クック


神は、単に私たちが目指す目的地に到達するのを助けたいとは思っておられません。主は私たちがどのようにして目的地までたどり着くかに関心があり、その旅路に同行したいと願っておられるのです。ルカ24章で主はエマオに行くために弟子たちと一緒に歩いたのではありません。主は 共に歩くことを楽しみ、ご自分の復活というよい知らせを彼らに分かち合いたいと思われた故に、一緒に歩かれたのです。

私たちが神に何かを素早くしてくださいと願うときに、主は大抵の場合「ノー」と言われます。ほとんどの人は、自分の抱える問題が一晩で解決し、元通りの平穏な生活に戻ることを望んでいます。しかし、神は決してそのようなことはされないのです。主は私たちと共に道を辿り、知恵や啓示、そしてご自分の臨在を与えたいと思われるのです。

この旅路において、私たちには二つの選択肢があります。楽観的であるか、または失望するかです。自分の意志でもって前向きに考えるか、それとも気分的にとか怠惰から否定的になるかです。失望は私たちの心にそっと忍びより、自分で何が起こっているのかわからないうちに、その中に落ち込んでしまいます。私たちはハッピーであることを選び取らねばなりません。

物事がうまくいかない時でも、私たちはポジティブであることが出来るのです。「今、本当に落ち込んでいます。」というより、「静かに期待して待っています。」と言う方がいいのです。これは単に言い方を変えただけではなく、物の見方を変えることです。私は静かな期待のうちに生活しています。私の目標は常に信仰をもって生きることであり、それを助けてくれるのが聖霊が本来持つ朗らかさです。

霊の戦士は決してへこたれないで、襲ってくるどのような衝撃にも耐える必要があります。この地上でもっとも衝撃を和らげるものは安息です。物事がうまく行かなかったときでも、私たちはそこから素早く立ち直って、神にある体制に自分を再び正さねばなりません。私は時々思うのですが、罪とは私たちが倒れることというよりは、起き上がるのを拒絶することではないでしょうか。倒れてもすぐに起き上がるバネの強さは、神と出会い、神のご性質を知っている者の心が持つことができるものです。イエスが私たちにとってどのような方であるかという証と、イエスが何をしてくださったかという証拠は、どのような状況の中でも私たちに勝利を与えます。(黙示録12:11「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」)この確実な二つの出来事が共に働き、私たちの心を恐れのない大胆さで満たすのです。

逆境をはね返す力は、 自分の意志をしっかり確立させることにより、自分の思いが、まわりの 状況にではなく霊によって動かされるようにすることによって得ることが出来ます。そうすると、私たちの思いは自分の口を用いて賛美し、証し、神の偉大さを宣言するようになります。

主の偉大さをほめたたえるか、それとも今自分を悩ませている状況に焦点をあてて大変なこととして扱うか?―私たち各自がこれを選択できるのです。主をほめたたえることこそ否定的な思いを取り去る解毒剤です。霊で生き私たちの内なる人を顕していくためには、私たちの存在のすべてが一致していなくてはなりません。魂、霊、身体という自分のすべてによって信仰は表現されねばならないのです。思いの同意と感情の服従によって、意志による行動は霊が目指すものに従い、神がどのようなお方であり何を望まれているかということに一致していくのです。この一致が起こるや否や、ブレークスルーが起こり始めます。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-04-03 13:49 | アメリカからのメッセージ