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回復の主 ニック・ビルマン 2009年5月29日

回復の主

ニック・ビルマン



イザヤ55:8−11「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。・・主の御告げ。・・天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」

私たちはしばしば「主のみ言葉はむなしく帰らない」と宣言し、それが成すべき事を必ず成し遂げると想定してしまいます。しかし、 それはその言葉がただ主のところに帰らないだけだ、ということはあり得るでしょうか? ないと思います。何か言葉を発せられてからそれを無効にすることは、神のご性格にはないことだからです。それでは、ある事のために発せられたのにそれを成し遂げなかった神の言葉は、一体どこに行ってしまったのでしょうか?それらを再び手に入れることはできるのでしょうか? 

いこいの水のほとりでのイエスとの出会い

最近のことですが、我が家でのワーシップの時、私は主イエスと出会いました。その時私たちは2時間ほどワーシップをしていましたが、 「いこいの水」という言葉がずっと聞こえ、私は霊の中でおだやかな広い川を見ていました。聖霊に促されて、主が私に見せようとしておられるものを尋ねました。イエスは私をいこいの水のほとりに連れていかれ、「ここで横になりなさい」と言われました。それで私は水際の草の茂みに身を横たえました。そこは秘密の場所のようでした。大変平安で、啓示を受けるにふさわしい親密感のある場所でした。

私はしばらく平安のうちにそこに横たわっていると、主が「あなたは回復されることを望みますか?」と訊かれました。「はい。」と答えると、主は手のひらで水を掬い、私の上にぽとぽとと落とされました。水が私の上に静かに落ちるときに、私はその一滴一滴に言葉が満ちているのが見え、その言葉が何であるかもわかりました。私に水滴が落ちると、私の霊はよみがえり生き生きとしました。

私は主にこの水はどんな風に特別なのか、言葉は何であったのかを尋ねました。主は「穏やかないこいの水はわたしが今までに語ったけれども、まだ仕事を成し遂げていない言葉の貯水池なのだ。」と言われました。

私は、聖書の中で「いこいの水 still waters」という言葉のあるところを調べてみました。
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」詩編23:1−3

主が私たちの人生のために与えられた言葉や計画の中で、私たちが手に入れなかったものが、どのようにもう一度新しくなり「私たちのたましいを生き返らせる」のかを、主は私に教え始められました。言葉を変えれば、神は私たち一人ひとりのために夢や願いを持っておられますが、私たちがそれを受け取らない時期があるのです。しかし、主の言葉は常に送られた事を成し遂げるのであり、故にそれらの言葉はあなたや私のためにまだ存在しているのです。

回復の証し

主の宣言や約束はただ消えてしまうということはありません。主はそれらを私たちが受け取る用意ができるまで、私たちのためにしまっておいてくださるのです。それは 地面にしみ込んでいた雨がやがて空気中に戻っていくのは、地を潤すという目的を果たしてからであるのと同じです。

このよい例として、私の人生で、 私と兄との間で最近起こったことがあります。1998年に、私たちはトロントでのFresh Wind Youth Conferenceに参加しました。 それは主の臨在にあふれたパワフルな週末となり、私たち兄弟にとってもすばらしいリニューアルの時となりました。その時までの数年、兄は麻薬中毒と戦っており、私との関係もうまく行っていませんでした。しかしながら、そのカンファレンスで、主は私たちの関係を回復し、また、それぞれの内に働いてくださったのがはっきりわかりました。神は兄に力強く触れてくださいました。


私たちは復活節の日曜日に帰宅し、教会に行き、家族を訪れ、そして家に戻って休みました。その日の真夜中に、母が私を呼ぶ叫び声が聞こえました。廊下に走り出ると、母が兄の部屋のベッドに座って兄を抱き、彼の頬をたたいているのが見えました。ベッドの下に注射針が落ちていました。真夜中に主が父を起こされ、兄の様子を見てくるようにと強く促されたのでした。それによって兄を発見でき、救急車が来て病院に兄を運ぶまで、私たちは兄の命をつなぐことができたのです。

それは私にとって大きな打撃でした。しかし、これは神の臨在の中でのパワフルな週末の後で、サタンが全力で兄を攻撃をしたのだということを私は理解しました。その日から、私はトロントでの兄のヴィジョンと記憶を私の胸にしっかりと抱きました。そしてそれから始まった兄の麻薬との戦いの凄まじい日々の間、主はしばしばあの週末のことを思い起こさせてくださったのです。


兄はその後、刑務所に入ったり、麻薬中毒の年月を過ごしましたが、数年前にそういう人生から抜け出しすばらしい女性と結婚しました。しかし、まだ本当に主と共に歩くということではありませんでした。ほんの数週間前、私がつくった最新の「Anthem」というCDを彼にあげました。翌日彼から電話があり、「私もこんな情熱を持ちたい」と言うのです。主が私の心を促されたので、「自分は麻薬中毒者であったから、主がトロントで私にして下さったことはもう全部帳消しになってしまったのだ」という敵の偽りを兄が信じることを止めねばならないと話しました。兄は泣き始め、それから私たちは主のことをもっと話し始めたのです。

その幾晩か後に、私はイエスとの「いこいの水」の出会いをし、主は兄のための言葉とヴィジョンをすべてしまってあることと、そしてこれからの兄の人生でそれをスピードアップされることを示してくださいました。私はこのことを兄に話し、神が彼の人生のために計画されたことはもはや手に入れることはできないという嘘を破り捨てました。それからの数週間の間に、彼はイエスとの深い親密さの中に引き入れられ、現在は主に燃え、ますます主に餓え渇いています。私との関係が回復されたことは言うまでもなく、今までよりもっとよくなりました。神は兄のためにすばらしいデスティニーを用意され、サタンが企んだ悪を彼の人生の中で益としてくださるのです!

神とその約束を信じよ

誰でも自分が愛する人の中で、神がその人のために作られた計画と召しから離れてしまっている人が必ずいる事でしょう。時にはその愛する人とは私たち自身です。私たちはそれらの人びとを決してあきらめてはならず、神と神の約束を信じ続けねばなりません。兄の回復はトロントでの週末から10年経てから起こりました。10年間の祈りととりなし、10年間のヴィジョンとみ言葉、そして10年間の主への叫び求めです。しかし、神は忠実な方であり、主のみ言葉はむなしく帰ることはないのです。まだ発せられた任務を果たしていないみ言葉も、神はいこいの水の貯水池にとっておられるのです。


主がいこいの水滴を私の上に落とされたとき、ずっと以前主から頂いた自分でも忘れてしまっていたみ言葉や夢、ヴィジョンを私は思い出しました。また、以前には明らかにされなかった主の私に対する深い願いをも見せてくださいました。なぜならば、任務を果たしていないみ言葉は深い啓示を開ける鍵だったからです。

どうかいこいのみぎわに連れていってくださいと、あなたも主にお願いすることをお勧めします。それはあなたのたましいを新しく生き返らせるだけではなく、あなたの霊に聖なる感動を造ります。なぜならば、神があなたの人生のための夢、ヴィジョン、預言の言葉をリニューアルし、それと共にそれらの夢やヴィジョンを達成するのに必要な興奮と情熱も与えられるからです。主はあなたをいこいのみぎわに導き、あなたのたましいを生き返らせ、あなたの人生のために語られた言葉や、主があなたのために持っておられる夢と願いを新たにリニューアルしたいと願っておられるのです。(終わり)



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by walkwithgod | 2009-05-29 12:33 | アメリカからのメッセージ

オバマ政権のアメリカを憂う    坂 達也   5月22日

オバマ政権のアメリカを憂う

                                         坂 達也


 「オバマ政権に変わって僅か3ヶ月、アメリカは今経済のみならず、政治、社会のあらゆる面で、国全体が驚くほどのスピードで完全崩壊(トータル・メルトダウン)に向かっている。世界で最も自由な国であるはずのアメリカで、今や『宗教と言論の自由』を含む多くの『自由』を国民から奪う法案が次々に提案され、自由主義の基盤が脅かされている……それは考えられないような間違った方向、社会主義と全体主義の国になりつつある。」と激しい口調で語るのは、他ならないモーニングスターミニストリーズのリック・ジョイナー師です。(彼のインターネット・メッセージ Prophetic Perspective on Current Eventsと言う Video番組の4,5月分の概要をまとめたもの)
 間違った方向の一つの例として、ジョイナー師は、アメリカ政府が今しようとしていることはドルの価値を意識的に殺そうとしているとしか思えない、それは「世界を一つの貨幣に」にするための画策に通じると言っています。 

確かにアメリカ政府は、昨年来の未曾有の経済危機への救出策と称して膨大な予算を計上し、破産に追い込まれた主要銀行・保険会社とか自動車メーカーに資金を投入して来ました。そして実際に政府が資金援助した会社なり業界を経営的に支配しようとしているのですから、このやり方が企業の国有化を目指した社会主義政策と呼ばれても致し方ない状態です。その上、その莫大な予算の財源は、税金を上げるか、従来に増してより多くの国債等を発行し、世界各国からの借金を上増しするか、あるいはドル紙幣を印刷するかしかない訳ですから、いずれにせよ、これが世界中にドルを氾濫させ、ドルの価値をうんと下げることになり、それが又とんでもないインフレを引き起こします。そうなればアメリカの経済が完全に崩壊するだけでなく、膨大なドル債権を抱え込んだ世界中の国々の経済も破綻しかねません。そうなると、今既に検討され始めた「世界統一貨幣」の必要性に一層の拍車がかかるだけでなく、世界の経済を一つとして考えるしかなくなるような事態に追い込まれる可能性が十分に出て来ます。実はこのシナリオが裏で画策されていると言うのです。


もう30年も前からでしょうか、世界の銀行を支配する黒幕(団体、秘密結社等)がいて、彼らは「世界を一つの政府、一つの宗教、一つの経済、一つの貨幣(あるいはキャッシュレス・ソサイエテイー)にすることによって世界を完全支配する」と言う陰謀を持っていると言う話が、クリスチャンの間でも真しやかにうわさされ、又多くの本も書かれて来ました。私も少しはその知識をかじり半ば信じていましたが、そのような話には出来るだけ触れないようにして来ました。しかし今年オバマ政権になって以来、それが現実にかなり露骨に見え隠れするに至っては、もはやそれを隠すことは出来ない、むしろはっきりと問題にする時が来たと云う強い思いを持つようになりました。何故なら、この世がサタンの支配下にある以上、世界を支配すべくone world orderによる統一世界政府を造ることはサタンの初めから(バベルの塔以来)の目標であり、そのような画策陰謀があって当然と考えられるからです。(これをある人はバビロン・ミニストリーと言いました)又、それが紛れもない最後の時代に現れる反キリストが試みようとする陰謀であることは、黙示録を見ればはっきり分かることであって、特に黙示13章に具体的に書かれています。


ところで、上記のジョイナー師の話を裏書するようなイーメールが、実はつい最近私たちの地元ホノルルのクリスチャンの友人から届きました。それは連鎖署名依頼のメールですが、事の起こりは今ワシントンDCでクリスチャン番組をテレビから締め出し禁止しようと言う法案提出の準備が進められており、その団体は既に287,000人の署名を集めたと言うのです。そして同じ団体がこれから全米の公立学校での一切のクリスチャンプログラムを禁止するキャンペーンにも入ろうとしていると言うものでした。これに対抗して全米のクリスチャンが立ち上がり、対抗処置を講ずるべく今100万人の署名を募っているので協力して欲しいと言う内容のものでした。

私は渡米して47年になります。最初の頃私は未信者でしたが、それでもアメリカは間違いなくクリスチャン国であることを肌で感じることが出来ました。その後徐々に変わっは行きましたが、ここに来て突然、火山が噴火したかのように、総てのことが急激に変化しているのです。実感として、ショック以上の、少々大げさに言えば身の毛もよだつ程の戦慄すら感じられるのです。そのことを憂う人は非常に多くなりつつありますが、その一例として最近ダッチ・シーツ師が発表したインターネット・メッセージをご紹介したいと思います。それを下記に要約してみます。

「オバマ大統領は就任演説と、最近のヨーロッパ旅行中の演説の中でと、二度にわたって『アメリカは最早クリスチャン国家ではない』と言う言葉を口にしました。特に就任演説の中で彼は『アメリカは元々クリスチャン国ではない』と取れる発言をしています。又、最近のニューズ・ウィーク誌はそれに同意するかのように『クリスチャンのアメリカは終わった』と言う記事を載せました。
その意味は、アメリカはカルチャー・ワー(宗教の文化戦争)に負けたと言うことでしょうか。それとも、ある時点ではそうであったかもしれないが、今はそうでない、アメリカのクリスチャニティーは失われた、と云うのでしょうか。あるいは、アメリカ合衆国は他宗教が常にミックスされた国で初めからクリスチャン国ではないと言うのでしょうか。

真実がどうであるかを判断していただくために、二、三の歴史的事実をご紹介します。その一つは1892年の合衆国最高裁の公式の記録に残っている文書です。それには『アメリカ大陸の発見以来本日まで、この国はクリスチャン国であることを証言・断言する一つだけの一致した声(世論)があります…』と書かれていて、その当時の国民の一致した声と現大統領とは意見が大分違っていることがこれで明らかです。
その時の最高裁判事長であったジョン・ジェイ氏は『総てのよいことの造り主であり、その授け主である神が私たちにお与え下さった身に余る多くの祝福、特に神の最愛のご子息による救いの御業に対して、私は真にへりくだって心からに感謝申し上げます。』と云っています。これがクリスチャン・ステートメントでなくて何でしょうか。

又、二代目の大統領で、合衆国独立宣言の署名者の一人であるジョン・アダムスは『独立を勝ち得た建国の父たちの基本的信条は…クリスチャニティーのそれと同じであった。』と言っています。又、驚かれる方も多いと思いますが、ハーバード大学の1642年の学生ハンドブックにある『規則と戒め』には、『総ての学生は、以下のことをよく注意して守らねばならない:学生としての生活と勉学の主な目的は、神と永遠の命であるイエス・キリストを知ることである。(ヨハネ17:3)よってキリストを、総てのよい知識とその学びの唯一の基礎とするべし。』
現在の教育者はとてもこれには同意しないでしょうが、これがかってのハーバード大学の常識であったのです。

最後に、1863年にリンカーン大統領は『我が国は天から最も大きな恩恵を受け、長期に渡って平安と繁栄の中で神に守られ、他のどの国にも優って国民の数、富、力が増し加えられて来ました。しかし、今我々はその神がなさったあまりにも大きな成功に酔いしれたかのように、又、総て自分たちだけでやったかのように自負し、その高慢さにより総ての神の恩恵を忘れ去り、神に祈ることすら忘れてしまってはいないでしょうか。我々は今、神の前で、我々が犯した国家的な罪を告白し赦しを乞う必要があります。』と説きました。これは南北戦争中に大統領が国民に断食祈祷を呼びかけた時のメッセージです。

私(ダッチ)が申し上げたいのは、アメリカがこのようなクリスチャン国として神の下で建国され、その長い輝かしい歴史とルーツを持つ国民としての認識がこの際どれ程大切であるかと言うことです。何故なら、神は千代に至るまで約束(契約)を守り、恵みを下さる方であるからです。又、私たちの歴史が重要なのは、神がこの国の建国に当たって確固たる目的とデスティニーを与えておられるからです。
リベラル、ヒューマニスト、あるいはこの国の歴史を変えたいと願う人たちは、この国が神の目的をいただいていると言う事実を国民に知ってもらいたくないのです。

本当にアメリカはニューズウイーク誌が言うようにクリスチャン国を終焉したのでしょうか。絶対にそうではありません。今、私たちの大統領をはじめ、国会議員、判事は何とかしてアメリカが神によって建てられた国であると言う証拠の総てを隠滅しようとしています。しかし、カルチャー戦争は決して終わってはいません。それどころか私は、神がこれからこの国に大きなリバイバルを起こそうとしておられることを信じる者の一人です。」
と述べ、シーツ師は、最後にアメリカ国民がそれぞれの地域の議員にクリスチャンとしての宣言文を送ることを提案しました。又、多くのとりなし手たちは今、アメリカのために一層はげしく祈っています。


数日前ですが、オバマ大統領は名誉学位が授与され、卒業式の記念講演をするためにノートルダム大学を訪れました。事もあろうに最も保守的な由緒あるカトリックの大学で、堕胎を認める大統領を招いてメッセージをさせるのですから、話す方も話す方ですが、そのリベラルな大統領を招待したカトリックの学校側に問題があると嘆いたクリスチャンは多かったと思います。
しかし、朗報がありました。その前日でしたか、ギャロップ調査の発表で、アメリカの世論は初めて51%の人がプロ・ライフ(堕胎反対)を表明し、プロ・チョイス(賛成)は43%にとどまったのです。それまでのプロ・ライフの最高は2002年の46%でしたから、この数字は今の状況下ではめざましい変化と云えます。もしこの結果が、世論が保守的に逆行する兆しであるとすれば本当に朗報であると云えましょう。この数字をわきまえてか、卒業式での大統領はプロ・チョイスの主張をかなり和らげたスピーチであったと言われています。

とにかく今アメリカは大変な危機を迎えています。しかも日本人はそれを対岸の火事として安閑と見ておられない状況です。昨年の最後の四半期と今年の最初の四半期の日本のGDPが予想以上に悪いことがアメリカでも大きく報道されました。今や世界に浸透した経済恐慌は深刻さを増しております。その問題の発端となったアメリカの国家的変化に関して日本のクリスチャンの皆様にぜひお祈りしていただきたいと心から願う者です。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-05-22 03:20 | 坂達也からの今月のメッセージ

伝道の天使がアフリカからやってくる ダグ・アディソン  5月21日

伝道の天使がアフリカからやってくる

ダグ・アディソン



私は2009年3月21日に、Prophetic Breakthrough Ministriesのバーバラ・クラッセンと共に預言カンファレンスのスピーカーとして南アフリカのケープタウンに行きました。飛行機が着陸すると、神がこれから劇的な変化が起こるであろうと語り始められたのです。そして、この変化は連鎖作用を引き起こし、それによって全世界に神の御国を拡大していく大きな影響を与える結果となるであろうと言われました。その後直ぐ、私は天使が訪れる夢を見始めました。カンファレンスでは、天使の活動が活発になっていくのに私は気がつきました。又、神の臨在と力が非常に強く顕れました。奇跡が起こり、人びとは癒され解放されました。それが即座に起こったこともありました。


力の伝道の天使

ある日の夜の集会の直前に私は、御国の経済政策の超自然的注入としか言いようのないものを受けました。私がメッセージを語ると、非常に大きな天使が訪れましたが、彼はビジネスマンが御国のための経費を作り出す油注ぎを携えていました。これを 「ヨセフの油注ぎ」という人もいます。創世記41章にヨセフがパロの夢を解きあかし、経済が下り坂のときに繁栄するための方法を預言的に示したことが書かれています。その集会では、ビジネスと経済のための戦略がその場で示されるケースが多く見られました。私自身のミニストリーの経済的必要に関しても、その夜祈りの答えを受け取りました。


次の集会にもその天使が訪れ、出席者がほとんど全員解放され、傷心や権威者から受けた傷を癒されました。その次の集会でも同じ天使が来て、ほとんど全員が身体に聖霊の顕れを経験し、電流や熱、ぴりぴりという感覚を身体に感じました。何十人かはその晩身体の癒しを受けました。翌日には自殺を考えていた人がミニストリーを受けて救われるという超自然的な変化の報告等が入ってきました。

私はこのように強い神の力の顕れをしばらく見ていませんでしたし、このような天使を見たのは始めてでした。人びとに必要なことが何であれ、この天使は即座にそれに応答する油注ぎを解き放つのでした。私はアメリカにいるボブ・ジョーンズという友人に電話をして、彼がこの天使のことを知っているかを聞きました。ボブはこの天使は「力の伝道」という天使で、私がアメリカに戻ってリバイバルをもたらすために私に遣わされたのだと話してくれました。


集める天使たち

その夜、私は一つの霊的経験をしました。それが夢であったのか、実際に起こったのか、ヴィジョンであったのかわかりません。その経験の中で、私はカリフォルニアで高速道路101号線を車で走っていました。道路のわきに数十人のカリフォルニア交通局の労働者がいるのに気がつきました。じっと見ると、彼らの顔は燃えるような目をした古代アフリカ人の顔に変っていきました。彼らは草むらの中から白い光の玉を手で掬いあげるのに忙しくしていました。他の人たちが見過ごして無視していた光を彼らは見つけることができたのです。その瞬間、私は神への畏敬を感じ、彼らが大リバイバルの際に集めるために神によって遣わされた天使であることに気が付きました。(ルカ10:2、マタイ24:31参照) この天使たちはアメリカにリバイバルをもたらすためにアフリカから来たのだと言うことを私は悟ったのでした。

力の伝道の天使と集める天使たちが今カリフォルニアで、全地に訪れようとしている偉大な神のムーブメントのための備えをしているのです。彼らの働きの対象は、社会からのけ者にされている人や、神に召されているにもかかわらず人びとからは見過ごされている人たちでした。この神のムーブメントはカリフォルニアから始まっていますが、そこにとどまらず地球上全域に広がります。神からの様々なタイプのヴィジテイションやアウトポアリングが今地上で起こっています。これはその一つに過ぎません。


白い羽根

南アフリカのカンファレンスで多くの預言者たちが、アメリカのリバイバルのために、私に天使が一人遣わされると告げました。これは非常に重大なことなので、何かそれを確証するものを私は神に求めました。すると次の集会中に「白い羽根」が空中に 現れ、会衆の面前で私の手のひらに舞い降りてきました。その時、神の力が会場に強く現れました。私は椅子から滑り落ち、床の上で使徒行伝10:10にあるようなトランス、夢見心地になりました。天使が私の手を取り、私は深いレベルの啓示を受け始めたのですが、それは今も続いています。


ニュートンの法則とリバイバル

南アフリカを出発しようとしていたとき、私は神から預言の言葉を受け、今起きていることは、ニュートンの「運動の第三の法則」と似たものだと言われました。その法則とは「物体が他の物体に力を及ぼす時、その物体は同じ大きさの反対向きの力を他方の物体から受けている。」というものです。南アフリカからの天使がアメリカに与えるアクションは、南アフリカでも同じ規模の聖霊のリアクションを起こさせるのです。世界のいろいろな所でリバイバルが起こると共に南アフリカでもリバイバルが起こるのです。旅行から戻ると、私は霊で南アフリカに連れて行かれるという経験をして、一つの分裂を神が癒しておられるのを見せられました。南アフリカや世界において、一致を妨げるものを取り除く神の策戦が天から解き放たれているのです。クリスチャンの一致がリバイバルや神のムーブメントを保つための鍵となるのです。


どう応答すれはよいか

私はこの記事を書くことを非常に躊躇しました。私はこれが過去の神のムーブメントと同じようなレベルの影響を与えるとか、 現在起こっていることは私のミニストリーだけの成果だとか言っているのではありません。ただ私は自分が経験したことをお話し、分与し始めねばならないと感じているのです。私はセンセーショナリズムは嫌いですので、今まで自分の超自然的な体験のほとんどを小さく扱ってきました。しかし、今回のは特別です。家に帰ってインターネットで調べたところ、いくつかのミニストリーがここ数日に起こった天使の出来事の記事を出していました。 この数年来私は、教会史上最大のリバイバルがやってくると言ってきました。

私が気づいたのは次のことです。これらの天使と彼らがもたらす油注ぎが解き放たれると、私たちがすでに持っているものをもう一段高い新しいレベルへと引き上げます。ですから、あなたが既に召されているものをもっと増し加えてくださいと神に願い始めるようにお勧めします。一歩踏み出して今すぐにあなたの賜物を用い始めてください。神の愛を分ち合う機会を与えてください、と神に願ってください。これからますます聖霊の超自然的なしるしと顕れを見るようになりますから、注意して見守ってください。

「そして、彼らに言われた。『実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』」ルカ10:2 (終わり)


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by walkwithgod | 2009-05-21 15:47 | アメリカからのメッセージ

時を知る   リック・ジョイナー   2009年5月16日

時を知る

リック・ジョイナー



世界の国々の政府や様々な機構の土台が崩れていることを表す出来事が、毎日のように起こっています。聖書の預言は、この時代の終わりには「大艱難(マタイ24:21、黙示7:14参照)」と呼ばれるものが起こり、その最大の原因は、人類の起こす問題が人類の解決能力を超えてしまうことであると言っています。今、揺り動かしが増大するにつれて、人びとは次のような疑問を投げかけるように増々なっています。「私たちはそれらの土台が崩れないように手を差し伸べるべきであろうか? 地の塩である私たちはそれらが崩れないように助けるべきであろうか? それは必ず沈む運命にあるタイタニックの船体の穴につぎをあてるのと同じではないであろうか?」と。

これらの疑問に答えを出すことは非常に重要です。一つの国家の運命はまさにその国の教会が正しい答えを出せるかどうかにかかっているからです。即ち、真理に向かって進み真理によって自由を得るか、又は、瞬く間に悪、偽り、束縛に堕ちてしまうかです。教会こそが、それぞれの国家がどちらに向かうかを決定する要因なのです。教会が召されている通りに地の塩、世の光として立ち上がるならば、その大小に拘らず、その国家はいのちの道に向かう事ができます。もし教会が眠っていたり、又は今の時代に預言的にかかわることを拒絶するならば、その国家は失われます。

どうしてこのように重大な結果が教会のあり方にかかっているのでしょうか? 教会は今までも常にその国の将来を決定してきたのですが、今は 終末の時代であるという緊急性の故に、その影響が増幅されるのです。私たちは地の塩となるように召されています。もし私たちに塩気が無くなれば、国は保存されません。私たちは世の光となるように召されています。もし光が輝きを失えば、国は暗闇に落ちていくのです。


多くのクリスチャンがどのような道を選択するかは、彼らの終末に関する聖書預言(エスカトロジー)の理解によって大きく左右されます。本当はそれが要因になるべきではないのです。というのは、終末に関する聖書預言はすべて、忠実なる真のクリスチャンたちによる最高最大の福音伝道と行動を喚起するものだからです。それは、ダニエル11:31−32に書かれている反キリストが現れても何だ変りはありません。

神を知っている人びとは揺るがされることなく、必要な行動を起こすでしょう。しかしこれは常にそうなのです。 しかし受け身の姿勢では、召されているような地の塩、世の光となることはできません。ただ教義を信じるだけでなく、キリストご自身に真に従う者は主に似た者とされ、主と同じ業をするのです。イエスが地上におられた時、当時の最大の暗闇と対峙されましたが、主は妥協も撤退も決してされませんでした。それがキリストの御性質であり、主の御霊にある者たちの性質であり、私たちの性質であり、決意でなければなりません。

教会の目を覚まし、受け身の信者たちを今の危急の任務に召されている軍隊へと変えていこうではありませんか。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-05-16 05:00 | アメリカからのメッセージ

主の臨在を迎える  ビル・ジョンソン  2009年5月15日

主の臨在を迎える

ビル・ジョンソン



私たちの人生に与えられた最大の特権の一つは、神が留まられる者になることを習得することです。勿論、主は既にすべてのボーンアゲインしたクリスチャンの内に住んでおられます。しかし、主はその人たち全員の上に留まってはおられません。そのことは次のような言葉で表現できるかもしれません。

「主が私の内におられるのは私の益のためである。主がわたしの上に留まられるのは、みんなの益のためである。」と。主が私たちの上に留まっておられるとき、特にその影響を大きく受けるのは私たちの回りにいる人たちです。

イエスが水のバプテスマを受けられたときの出来事は、このライフスタイルのお手本となります。
イエスがバプテスマを受けて水からあがられると、天が開け、父なる神が語られました。そして聖霊が鳩のように主の上に下り、留まられました。「またヨハネは証言して言った。『御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。』」(ヨハネ1:32)

もし、実際に本当の鳩が私の肩に留まっていて、その鳩が飛んで行ってしまわないようにするためには、私は一体どのように生活するでしょうか? 一歩一歩いつも鳩のことを念頭において歩くことでしょう。

主の臨在をどのように迎えればよいのかを誠実に学ぼうとするときに、私たちの前には 二つの現実があり、両者は緊張関係にあることを十分理解することが重要です。即ち、主は私たちに御霊を無限に与えてくださったのですが、毎日の生活の中で私たちが享受するものは、私たちの信仰に応じて「はかられて」いるということです。言葉を変えれば、私たちは神の 臨在を無限に受ける可能性が与えられているけれども、主は信頼に値しない人にご自分を委ねることはされないということです。どれだけ御霊を与えられるかは、すべて私たちの出方によって決められるのです。即ち、主は私たちが熱心に守りきる決意があるだけの臨在を私たちに委ねてくださるのです 。

私たちは主が留まられる場所(そこから天の御業が成し遂げられる場所)になるべきです。なぜならば、主がある人に留まられると、その人が行くところはどこででもアトモスフィア(空気、環境、状態)のシフトが実際に起こるからです。
ペテロの影が人びとを癒したことをあなたはどう思われますか?私たちの影というものは、 私たちを上から覆っているものの力を放つのです。主の臨在を迎え(共に過ごす)ことを会得すると、あなたが意図する時に起こるブレイクスルーよりも「たまたま偶然に」(意図しないで)起こるブレイクスルーの方が、もっと頻繁に経験するようになるでしょう。それは毎日すべてのクリスチャンに起こり得ることなのです。

 主の臨在を迎えることを学ぶ中で 私たちは多くの葛藤に遭遇しますが、その一つは過去のシーズンで学んだこと自体にあります。驚くべきことに過去に(聖書から)学んだ霊的原則自体が、私たちの上に実際に留まっておられる主の臨在に向かって戦いを挑んでくることがあるのです。私たちは通常意識的に(聖書で学んだ)原則に従って生きていますが、実際には一刻一刻を臨在によって生きることを学ばねばなりません。もしその二つが衝突するならば、臨在は原則に常に勝利します。

一つの例をあげます。人生に対する神の御心を積極的に探し求めることが私の習慣になっていたとします。そして私にとって一番重要な聖書箇所は、マタイ11:12の「…天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」だとしましょう。原則によって生きようとすれば、私は今までに学んできた「激しく攻める信仰」を適応しようとします。しかし、神の臨在は今、ルカ18:17の「子どものように神の国を受け入れる」ことを促しているかもしれません。
もしあなたが原則だけで生きているならば、あなたはその時点やそのシーズンにおいて、 激しく攻める信仰こそが完全に聖書に基礎を置いた正しいものだと推論するでしょう。しかしその推論は聖霊が言われることと一致しないのです。この例では「激しく攻める信仰」と「子どものような信仰」どちらも聖書的です。私たちがあるシーズンやある状況の中でどのような対応すればよいのかを知っておられるのは聖霊だけなのです。

私たちは神がすでに語られたことにしっかりと土台を置かねばなりません。それによって今主が語られていることを見分けていくことができます。存続しつづける信仰を私に与えて下さるのは神の臨在です。それは、「信仰は聞くことにより、聞くことは神の言葉によるからです。」(ローマ10:17)
神の臨在と共に過ごすことを学び、会得することによって、信仰で生きることが自然で普通になる、そのような心の状況がつくり出されてゆくのです。

私たちが、神の留まられる場所になるように決意しようではありませんか。(終わり)


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by walkwithgod | 2009-05-15 04:25 | アメリカからのメッセージ

パーパス(目的)とデスティニー(定め)を見つけよ! キム・クレメント 5月8日 

パーパス(目的)とデスティニー(定め)を見つけよ!

キム・クレメント

 

 「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。」(ローマ12:3、6−8)

エレメント(自分が本来いるべき環境)とは、自分がやりたい事と得意な事とが一致する場所のことです。私たちは一人ひとり自分のエレメントを見つけ出さねばなりません。「彼は自分にぴったりのエレメントの中にいる」という言葉を聞いたことがありますか? それは、回りの完全な環境により、その人が非常に巧くやれることがすべて妨げられることなく、高められ発揮されている状態を表しています。例えば、水は魚のエレメントです。皆さんは又、「彼は陸に上がった魚のようだ」という表現も聞いたことがあるでしょう。それはつまり「彼は自分のエレメントの中にいない」ということです。多くの人は自分のエレメントの外で機能することを余儀なくされて、必要以上に苦しんでいます。そのようなとき、彼らは本来の自分とは違うものにならねばならないというプレッシャーを受けることになります。

預言の賜物は、この事に関して人を大いに助けることができます。預言の言葉を語ってその人に与えられている賜物をわからせることにより、彼がその賜物を用いるにふさわしい環境を捜し始めるようにと強く促し、最終的に自分のエレメントに行き着くように助けます。私の人生の目標、抱負は、私が出会えたすべての人のために、一番ふさわしい環境を造り出すことです。即ち、各々がその中で創造的に成長するように励まされる環境です。

ダビデ王は山野で片手に竪琴、もう一方に石投げを持って過ごしていた時、自分のエレメントの中にいたのです。彼は王として選ばれましたが、その環境は彼にとって生きるのが難しいところでした。ピカピカの大理石や金で造られた宮殿に住んだ彼は、陸に上がった魚のように感じたのです。そして、ついには他人の妻と一緒になってしまい、親友を殺す結果となりました。

やがてダビデ王は山を選んで(険しい山でした)そこを住まいとしそれをシオンと呼びました。彼はその山の上にテントをはり、その中に契約の箱を置きました。そしてこの場所を「ダビデの町」と呼びました。自分が元気を与えられ居心地がよい環境を造ったのです。彼は自分のエレメントに入ることができました。人は自分が本来するべきことをする機会を得て、各々が自分のエレメントを見つけ出す必要があるのです。

あなたのパーパス(目的、目標)は何か? デスティニー(定め)は何か?

パーパスとデスティニーとは実のところ同じではないのです。デスティニーとはあなたのための究極的な神からの選びです。パーパスは現時点での召しです。神はあなたが地上で究極的に何をするように選ばれましたか? あなたの究極の選びは何ですか? あなたが生まれるまえに何をするように選ばれましたか? それがデスティニーです。あなたのパーパスはなんですか?それは今現在あなたが召されていることです。

再びダビデ王の事ですが、彼は竪琴と石投げを手にして神を賛美し、熊やライオンをやっつけながら野原にいるのがエレメントという男でした。ある日、預言者サムエルが来て「あなたはイスラエルの王となる油注ぎを受ける」と言いました。そして、その時点からダビデの内でデスティニーが解き放たれたのでした。ダビデは生まれる前から選びを受けていたのですが、デスティニーが解き放たれたのは、その時が始めてでした。それはダビデに預言のことばがくるまで滞っていたのです。

同じことがあなたにも当てはまります。あなたの内にはまだ閉ざされたままの何かがあるのです。あなたの内には生まれる前から選ばれた自分でも知らないデスティニーがあり、それが突然、聖霊があなたに息を吹きかけた途端に解き放たれ、開かれるのです。そしてあなたは急にそのことを強く意識するようになります。

サムエルがダビデに手をおいて「あなたはイスラエルの王である」と言った途端にダビデは王になったでしょうか? 聖書にはそうは書かれていません。ダビデがまずユダの王となり、後にイスラエルの王になるまでは何年もかかりました。つまり、ダビデは自分のパーパスに仕えながら、デスティニーにそって生きていたのであり、その事実を私たちはしっかり認識する必要があります。デスティニーとはあなたの人生でなすべき究極的な召しであり、パーパスとは、デスティニーにむかって進んで行く過程であなたがするように召されていることです。
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まず、ダビデはイスラエルの王、シオンの王になるように選ばれて、油を注がれました。しかしその時ダビデはまだ青年でした。彼はある日戦場にでかけ、イスラエルの人びとに挑戦している巨人の声を聞ききました。突然、ダビデの中に何かがわき起こって彼は憤り、大胆さが内に満ちてきました。すでに彼のために定められていた権威が彼をつき動かし、羊飼いであり詩人であった彼が言うはずはないようなことを言い始めたのです。そして、 「この割礼をうけていないペリシテ人はわたしがやっつける!」と言ったのです。

ダビデのこの大胆さは、 兄弟たちのうちに怒りと嫉妬を呼び起こしました。彼らは「いったいおまえはなぜやってきたのか?荒野にいるお父さんの羊を誰にあずけてきたのか?」と叱責しました。彼らは嫉妬心をかき立てられました。というのは、デスティニーを持つ人に神の権威が与えられるとき、まわりの人が嫉妬心を起こすことがよくあるからです。そこでダビデは言いました。「この巨人と戦うチャンスを私にください。」と。

この物語はよくご存知ですね。ダビデは万軍の主の名においてゴリヤテをどう始末するか自ら預言し、結果はその通りになったのです!その時点からダビデの召し、パーパスはサウル王の太刀持ちとして仕えることでした。「でもダビデはイスラエルの王として油注がれたのではなかったのか!」と思われるかもしれません。確かにそうです、しかしダビデが究極的な選びによって王座に着く前に、彼は一つのパーパスのために仕えなければならなかったことを、私たちは理解する必要があるのです。

今、何に召されているか?


あなたの召しは何ですか? あなたのパーパスはなんですか? 今現在、何をするようにと召されていますか? ダビデはサウル王の太刀持ち、及び詩人、楽人となる召しをうけました。それは彼の一時的なパーパスでした。パーパスというものは常に一時的なものであり常に変っていくものですが、同時に常にあなたのデスティニーを推進していくものです。あなたの現在のパーパスは決して恒久的なものではありません。それを理解することは重要です。今あなたがしていることはある一定の時のためだけかもしれません。なぜならば、神はあなたをデスティニーへと導いているからです。しかしもし現在の召しを果たさなければ、あなたはデスティニーには決して到達できないかもしれないのです。

その次のダビデの「召し」は何だったでしょうか?それは荒野に入って追放の身となることでした。サウル王はダビデに嫉妬し、彼を追いかけ、王としての油注ぎは自分のものだとして抹殺しようとしました。ダビデの召し、パーパスは荒野や山にいることでした。彼はそのような所に留まらねばならなかったにも拘らず、自分の召しとパーパスを果たしていたのです。

又、ヨセフは油そそがれ、王権をとる夢を見ました。兄弟たちは嫉妬し、腹を立てました。何故でしょうか? それはヨセフが口を開き、大胆に「私の見た夢はこれです。」と言ったからです。お分かりでしょうか、大胆さは人がデスティニーに解き放たれた時にのみ与えられるのです。人が自分のデスティニーに解き放たれると、自分でもわからないうちに、すでに彼の中に存在していた何かを口から発しているのです。多くの人はそれに対して腹を立て怒るでしょう。

兄弟たちに奴隷として売られたヨセフは、ポティファルの家に住むようにと「召され」ました。それから牢獄に入れられましたが、彼には目的があったのです。その目的とは献酌官と調理官を助けるというものであり、ヨセフはそれを遂行しました! 聖書はヨセフが監獄で成功したと言っています。これが 現時点における自分のパーパスであり、 このパーパスが究極の選びへと自分を導くものであることを悟るならば、どのようなところに閉じ込められていたとしても、あなたは栄えることができるのです!

あなたは鉄格子の中にいても制限されるとは限りません。また、人びとの言葉によって閉じ込められ制限されるとは限りません。また、憎しみや嫉妬、競争心によって閉じ込められる必要はありません。たとえどんな場所に入れられたとしても、あなたのデスティニーが今の状況を用いるですから、あなたは栄えることができるのです。自分の目をデスティニーから離さずに、今現在のパーパス(現在するように召されていること、どこかで床掃除をするとか、些細な仕事であっても)を成し遂げて行けば、人生の終着点までの旅路は必ず楽しいものになることをぜひ理解してください。

第二ペテロ1:10「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。」

自分の召しと選びをしっかり把握していれば、決してつまずかないのです。この「つまずく、stumble」という言葉は、罪をまったく犯さないとか、間違わないという意味ではありません。転ぶことはあるかもしれない、間違うかもしれない、しかし、最終的には起き上がり歩き出すということです。なぜならば、あなたの召しとデスティニーがあなたを回復させるからです。

2009年の目的があなたの召しである

皆さんに自分のエレメントを見つけていただきたいので、言い方を変えてもう一度説明したいと思います。あなたが喜びをもって得意なことをすることができる場所にいることを私は望みます。陸に上がった魚のようであって欲しくないのです。あなたの召しと選びとは同一ではないことを忘れないでください。あなたの召しは2009年のあなたのパーパス、目的です。2009年のあなたの目的は何でしょうか?

「私はラジオのアナウンサーになるように召されています、、、今は清掃人として召されていますが、しかし、いつかは億万長者になります、、、セールスマンとして成功します、、、起業家になります、、、」等々あることでしょうが、是非あなたの召しと選びが何であるかをはっきり把握してください。第二ペテロ1:10−11で驚くべきことは、「これらのことを行っていれば(もし自分の選びと召しを知っていれば)永遠の御国へ入る恵みを豊かに加えられます。」と言っていることです。これはどう言う意味でしょうか?

誰でも御国に入りたいと思っています。死後に天国に行くことを言っているのではありません。神の御国に入るとは、この地上で神の目的のために、すべての点で効果的で、力強く、影響力があり、豊かであることです。ペテロは「永遠の御国に入る恵みを豊かに加えられる」と言っています。神の御国とは神が支配されているところであり、私たちはそこに入らねばなりません。ペテロはまた、「もしあなたがたが自分の召しと選びを知っていれば、永遠の御国に入る戸が開かれるでしょう。」と言っています。

ダビデが洞窟に隠れているときに、どうして詩編57:7「神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。」と言えたのでしょうか? 彼にこの大胆さを与えたのは何だったのでしょうか? 彼は全軍から憎まれていました。サウル王は彼を殺そうと狙っていました。彼の回りには少ない数の者しかいず、しかも信頼に足る者たちではありませんでした。彼は洞窟で惨めな状況と環境の中に置かれていて、「私の心はゆるがない」と言える理由は一つもありませんでした。しかし彼は自分のパーパスは何か、自分の選びは何かを知っていました。それ故に「私の心はゆるぎません。私はほめ歌を歌います。」と神に向かって歌うことができたのです。

たとえ人が牢獄に入っていたり、大きな負債を負っているときに、「私の心はゆるがない。私は不安ではない。私は主を賛美します。」と言うことが出来るならば、その人は平安であり堅く立っているのです。それはその人が回りの状況とか出来事にではなく、ただ一つのことに確信を置いているからです。それは、「私を召された方は真実であり、必ずそれを達成される。」という確信です。ダビデは自分がイスラエルの王であることを知っていました。彼は軍隊に追われ惨めな洞窟にいたにも拘らず、声をあげて「私の心はゆるがない。私の心は不安ではない。私はほめ歌を歌う!」と言えたのです。そしてその通り実行しました。彼はほめ歌を主に歌い、その結果イスラエルの王となったのです!

自分のエレメント

神が人に息を吹きかけて語られるとき、その人は自分のエレメントを発見します。それによって彼は自分の賜物に合った、賜物を生かす環境を見つけようと強く促されます。神があなたに語りかけて、あなたが将来必ずすることを示されたとき必然的に起こることは、あなたの魂の敵が、あなたの創造性を窒息させてしまう環境を造り出そうとすることです。敵はあなたの賜物が活躍できないようにそれを窒息させる宗教的環境を造ろうとしますが、それは あなたに自分が一番効果的に働ける環境を探し出し、又創り出そうとさせる結果となります。

あなたは自分のエレメントの中にいられるような環境を探し出し造り出さねばなりません。その中であなたは最高に、最もすばらしく、もっともシャープに機能するのです。あなたのそのような環境を造り出す能力があるのです。

ダビデが洞窟の中でしたように、また、ヨセフが牢獄の中でしたように、置かれた場所で自分の賜物を発揮できるならば、あなたは最も困難な状況の中でも自分の最良のものを用いる環境を造り出すことを習得したのであり、いつか物事が好転した暁にはあなたは完璧に機能することが出来ると私は確信します。それこそ神があなたに求めることです。今あなたが置かれている穴の中に永久にはまっていると考えないでください。「最も効果を上げるには、私は今、何をしなければならないのか?」と考え探し始めてください。そしてあなたの最良のものを引き出す環境を造り出してください。さあ、今直ぐ始めてください!(終わり)

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by walkwithgod | 2009-05-08 11:02 | アメリカからのメッセージ

宣教地からの呼び声 ビル・ヨント 2009年5月2日

宣教地からの呼び声

ビル・ヨント
 

ヨハネ4:35 「あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」

収穫へのこの招きは、過去2000年間にわたり鳴り響いてきたようです!畑はこれまでいつも色づいていましたが、働き人が少なかったのです、、、でも今それが変ろうとしています!

マケドニヤ人の懇願

私は幻で、「召し出された人びと」が、神に 召された地への切符を買うために長い列を作っているのを見ました。この神の召命に年齢制限はありませんでした。若者や老人、又、子ども連れの家族が、今までの生活を捨て、家や車を売り、彼らのお金(主のお金)を銀行から引き出して、世界中の宣教地へと向かっていました。

ルカ9:3にある「旅のために何も持って行かないようにしなさい。」という言葉が、その通りに実行されていました。この幻は、神に召された土地への人びとの「集団脱出」のように見えました。主が多くの者に「片道切符にしておきなさい。」とささやかれているのが聞こえました。

ある者たちは信仰で列に連なっていました。主が航空券を買うお金を必ず与えてくださることをぎりぎりまで信じているのです。彼らが信仰をもって並んでいると、超自然的にその必要が満たされるのでした。ある者たちは窓口に着くと、匿名の人によって彼らのためのチケットはすでに購入されている旨を告げられるのでした! また、他の者たちはさっきまで入っていなかったお金が財布に入っているのを見つけました!チケットカウンターで働く者たちの中には、航空券が格段に引き下げられたという報告を受け取る者がありました。このように召しを受けた者たちのために神の御業が現れ、 もしかしてこのまま必要が満たされないのでは、という彼らの最後の疑いはすべて取り去られました。

ロッキングチェアーがロケットチェアーに変る

ヨブ12:12「老いた者に知恵があり、年のたけた者に英知がある。」

この「マケドニヤ」への召命を受けた人びとは 喜びと油注ぎに満たされたので、老人たちも病気や疾患、身体の不自由さ、経済的、年齢的な障碍をものともしていませんでした。主の喜びが力を与え、召された者たちに120年の寿命を与えていたのです!多くの者は遣わされた宣教地で癒されました!

多くの者は遺書を書いたときに、自分の寿命がそれほど長くなることを考慮に入れていなかったことに気がつきます。神が必要とされる人びとは、地上にもっと長くとどまるように計画されているのです!多くの者が主の約束の言葉、「私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。」(詩編118:17)を聞きました。他の者たちは「わたしは、彼を長い命で満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう!」(詩編91:16)という言葉を信じて列に並んでいます。彼ら老人の知恵が必要とされているのです。

ある者たちはチケットを入手したとき、彼らの「リタイヤリング(引退)」が「リファイヤリング(再び燃やされる)」となり、老いた顔がたちまち若返りました。車いすに座って並んでいた人たちも、チケットを入手する時までに立ち上がることが出来る者がいました!

愛はコストをとやかく言わない

神に召され遣わされた者たちは、決して後ろを振り返りませんでした。彼らは愛する者たちに別れのキスをして、飛行機や船に乗り込みました。彼らはこの世は彼らの故郷ではなく、すべてが新しくされるところで再び会うことを知っていたのです! 自分たちが渡った橋を燃やし(取り外し)てもう戻れなくし、網を捨てて主が導かれるところならどこにでも 従う者たちを(助けるにために)同行する天使たちも招集されました。

ある者たちは、死者がよみがえり、多くの奇跡的ないやしが起こり、大群衆がキリストを見いだしたという証しをもって祖国に帰り、その国の火付け役となるために招集されるでしょう。又、ある者たちは 孤児という新しい家族をつれて戻るでしょう。

使徒16:9「ある夜、パウロは、幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡ってきて、私たちを助けてください。』と懇願するのであった。」

瀕死の人びとや孤児が「ここに来て私たちを助けてください!」と叫んでいるのを私は聞きました。彼らはお金や食べ物以上のものを必要としていました。彼らには内に神を持つ人に触れられることが必要だったのです。多くの者が餓えて瀕死の状態でしたが、それは食物が欠乏しているからだけではなく、愛の欠乏によりました。彼らの霊が「私に触れてください!抱いてください!」と叫んでいるようでした。

詩編68:6に「神は孤独な人に身を寄せる家族を与え」とあります。宣教地に遣わされた多くの者はイエスが再び来られるまで、又は栄光のうちに彼らの天の住まいに招かれるまでそこにとどまるのです。そしてやがて必ず 、彼らに触れられた者たちが、「感謝します!あなたが触れてくださることによって変えられた命が私です!」といって近づいてくる言葉を、彼らは聞くことでしょう。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」マルコ12:31

私は近所に住む人たちが「ここに来て助けてください!」と叫ぶのを聞きました。そうです、家の近所はもっともおろそかにされている宣教の地です。私たちは全員、遠くへ、また近くへと召されているのです。どこに住んでいようと、神にとって魂は魂です。「マケドニヤ人の叫び」が響き続けるときにあなたはどこに行くべきかがわかるでしょう。あなたにはそれが聞こえますか?

「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』」マルコ16:15 (終わり)

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by walkwithgod | 2009-05-02 12:16 | アメリカからのメッセージ