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<b>あなたはラッパだ! ジョン・ベルト </b> 9月4日

あなたはラッパだ!

ジョン・ベルト 


神は御霊を通して 戦うための強い武器を私たちに与えていてくださいます。暗やみの力を打ち砕くことができるように、神は私たちが言葉を話し、大声で叫び、音を出す能力を持つものとして創られました。私たちが神の臨在の中で清い心をもって生きるならば、神の栄光が私たちを通して顕されることを阻むものは何もないのです。

創造する力


神が創造されたものはすべてオリジナルであり、それぞれユニークなものです。私たちは神が創られものすべてを見るとき、全体としても、また一つ一つを見てもそこに美しさがあることがわかります。もし神が創られたものがすべて同じだったなら、どんなにつまらないことでしょうか。しかし神はすべてをご存知なのです。神は命の創始者、且つ創造者であられ、声を発することによってすべてを良きものに創られました。主の御声には すべてのものを目に見えるように実体化する力があるのです。

私たちは神に似せて創られているので、私たちも又、創造する力を持っています。私たちは私たちの内におられる聖霊の力によって、回りの霊的空気を変革し、言葉によって物事を実体化し、命を生みだす能力を持っているのです。私たちの舌は人間の身体の中で最も強い力をもっているものの一つです。

ヤコブ3:6「舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。」

人間の舌は「不義iniquityの世界」です。しかしイエスに関してはそうではなかったことを私たちは知っています。イエスが語られると「栄光の世界」が解き放たれました。イエスが語られると、神の栄光の世界が解き放たれ、いのちが輝き出たのでした。私たちの舌は強い力であり、サタンもそれをくつがえす力を持っていません。ヨハネが言っているように「神が話すと光が解き放たれ、やみはこれに打ち勝たなかった」のです。神の御国のためにすべてをささげきった器を通して放たれる「栄光の世界」に対抗して戦うことは、やみの勢力にはできないのです! 神の栄光の力はすべてそれに抵抗するものを払いのけるので、敵はくずおれて泣くしかなくなるのです。

清いClean器

私たちの舌が持つ力を本当に理解すると、私たちが義の御国と一致していることがどれほど重要かということを知る必要が出てきます。もし神の民が、愚かなことやゴシップ、陰口などを話すならば、それはやみの勢力に力を与えているのであり、罪を犯しているのであり、罪に縛られていることになるのです。敵の目指すことは、キリストのからだの中に分裂を起こすことです。他人のことを否定的に話すことは決して許されることではありません。私たちは人を敬うように召されているのです。これは私たちがすべての点においていつも他人と同意するということではありませんが、その場合でも私たちは口を閉じて何も言わない程のわきまえは持つべきです。

もし誰かがこのような罪を犯しているのがわかったならば、その解決法は「すぐに悔い改める」ということです。悔い改めは詫びるよりももっと力があります。私たちは「ごめんなさい」と一日中言っていることもできますが、それよりも 向きを変え生き方を変えるほうがよいのです。それが悔い改めの実です。イエスはいつも生きていてすべての聖徒のためにとりなしをしていてくださるのですから、私たちもそれに習うべきです。

ヘブル7:25「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

祭司としての生活

主の御前で、妥協せずに清さを保ことは私たちの祭司としての責任です。私たちは王である祭司ですから、心に「主のための聖なる者」という金の帯をつけねばなりません。この献身、決意、誠実が主の力の実体を私たちの内に、また私たちを通して世に解き放つのです。

私たちが主の祭司になれるのは、主の恵みによります。私たちが主の栄光を持ち運び、主の臨在の栄光を絶えず解き放つことを可能にするのは、私たちが清いpurityということです。私たちはもっと高くもっと深く進んでいかねばなりません。根が浅いままで高くなると、樹木は長く立っていられません。その木は倒れて枯れます。主の栄光も同じです。もし私たちが天に上るような経験をしたとしても、私たちの根が主の中に深く伸びていなければ、私たちは倒れてしまうのです。誠実Integrity、清さ、無私selflessの献身は私たちが気ままに選択することではありません。それは絶対に必要不可欠なことです。イエスは父を離れては何もできませんでした。イエスの父にたいする献身は清く全きものでした。

あなたはラッパだ!

民数記10:8−9「祭司であるアロンの子らがラッパを吹かなければならない。これはあなたがたにとって、代々にわたる永遠の定めである。また、あなたがたの国で、あなたがたを襲う侵略者との戦いに出る場合は、ラッパを短く吹き鳴らす。あなたがたが、あなたがたの神、主の前に覚えられ、あなたがたの敵から救われるためである。」

祭司たちは戦いにおいてラッパを吹くようにと命じられました。それによって主は彼らに勝利を与えられたのです。私たちがラッパのように声を上げ、主が敵をぬぐい去るのを見るという祭司としての人生には力があります。私たちの身体はスピーカーとよく似たように造られています。ベース高声器(ウーファー)もあり、高音用スピーカー(ツイーター)もあります。声の力はウーファー、即ち腹部と胸部から出ます。ツイーターは鼻のところです。鼻には力はあまりありません。しかし、小さくても大切で必要なものです。私たちは霊の奥深いところから 闇の力を打ち破る響きを出すことができるのです。

詩編149:6「彼らの口には、神への称賛、彼らの手にはもろ刃の剣があるように。」

声を高く上げて神を称賛することは、あなたの存在そのものであるラッパを吹くようなものです。私たちの心と動機が清いとき、私たちがラッパのように声を高く上げるならば、栄光に満ちたものが解き放たれるのです!あなたの敵を、あなたを妨げていたものを、あなたが克服すべきものを、あなたが必要とするブレイクスルーを見なさい。あなたの声をラッパのように高くあげてこれらのものの上に神への賛美を降り注ぎなさい!

憚らずに、神のために大声を出して生きて行きましょう!(終わり)


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by walkwithgod | 2010-09-04 11:31 | アメリカからのメッセージ
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