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ヴィジョンの復活    アル・トーマス    8月25日

神がいわれます。「ヴィジョンが復活する準備をせよ。」

アル・トーマス


神がいわれます。「まず死が先にこなければならない」

「ある者たちは、自分のヴィジョンがどうして達成できないか、どうして成果が現れないかが理解できない。 また、自分のミニストリーが考えていたように成長していかないのを不審に思う者たちもいる。しかし、ヴィジョンを達成するためには条件があるのだ。」

「復活が起こるためには、まず死が必要であることを忘れてはならない。自分のヴィジョンや願い、夢がわたし(神)からのものかどうか確信がないならば、それをひとまず地の中に埋めて、そこから立ち去れ。もし、それがわたしからのものであるならば、わたしがそれをよみがえらせる。」

「自分のヴィジョンを完全に埋めたかどうかはどうやったら知ることができると思うか? 何かが死んだかどうかを判断するのは簡単だ。死んだものは動かない。お前があれこれと様々なことをしてみても効果がなかった(実がならなかった)ならば、わたしは『お前のヴィジョンに死ね。』と言おう。死ねばわたしはお前を復活にむけて調えることができるからだ。もしお前が自分のヴィジョンを死なせることができるならば、(そしてそれがわたしからのヴィジョンならば)それは墓の中にとどまることはない。(Iコリント15;36)

 わたしが『ヴィジョンを埋めてしまえ。』と要求する理由は、わたしよりもヴィジョンのほうを大切にする者たちがいるからだ。ヴィジョンが彼らの偶像になってしまっているのだ。お前がヴィジョンを持っているのか、それともヴィジョンがお前を所有してしまっているのか?ヴィジョンはいかに偉大であったとしても、ヴィジョンを与えたわたしより偉大であることはありえない。 『自分の心を満たすためにミニストリーは必要ではない。』ということが、お前にわかるようになるだろう。お前に必要なのは、わたしなのだから。」

待つことの大切さ

「草は一夜にして育つが、樫の木が育つには何年もかかる。ある者たちは、わたしを待ち望まなかった故に、太陽(プレッシャー)が照りつけると草のように萎れてしまった。しかしわたしは、わたしを待つことを学んだ者を義の樫の木(イザヤ61:3)としよう。わたしの御心ではないことや、わたしのタイミングではないときに早まって事をなすことがないように心せよ。(伝道者の書3:1,7)」

「往々にして、わたしのスケジュール表はお前のものとは異なる。わたしの道はお前の道とは異なることをお前は知るだろう。(イザヤ55:8-9) わたしの臨在の中に座すことによってのみ、お前はわたしのタイミングを知ることができる。わたしの道を選択すれば(詩篇25:4)、物事を力まかせにコントロールしたり、強引に征服する必要がないことをお前は知るだろう。何事でもそれを始める前にはわたしの前でじっと静まることをお前は学んできた。行動を起こすタイミングはおのずと明らかになる。そのときにお前は動くのだ。わたしの前に静まることによってのみ聞くことができるわたしからの指示を、お前に与える。(詩篇46:10) わたしから『聞く』まえにわたしのためだと考えて『行動する』ことは間違いであることをお前は悟るであろう。」

「人々から『お前は何もしていないではないか。』と批判された者もあるであろう。人々はお前の信仰はもう死んでしまったとか、ミニストリーをもう放棄してしまったに違いないと思うのだ。しかし、お前とわたしは知っている。お前の信仰は死んだのではなく休止しているだけだ。やがてすぐにわたしは「続行・プレイ」のボタンを押すであろう。そうだ、わたしは突然(使徒行伝2:2)動くことができる。 それは待つという時間(使徒行伝1:4)をあなたが過ごしたからだ。わたしは決して走らない。わたしをのろまと呼ぶ者もあるだろう。多くの者が、わたしが愛であるゆえに(Iヨハネ4:8)ゆっくりしているのだということを悟らずに、わたしのタイミングを誤解する。愛が働くペースは異なり、それは内なる速さなのだ。わたしがゆっくりしているのは、お前がスローダウンしてわたしとの交りが可能になるためであり、わたしがお前に追いつくためではない。ある者たちは成功するために早いスピードで走る癖がついてしまっている。わたしはゆっくり動くが、(IIペテロ3:4)多くの事を成し遂げることができる。」

復活させられるのは主のみ

「休止状態になっている多くのミニストリーを、わたしはこれから復活させる。 以前失墜した者や人々から退けられたしもべたちを、わたしは回復させる。彼らの中には、あまりにも多くの機会が与えられるようになり、これは夢に違いないと思う者もあるほどであろう。しかし夢ではない。多くの者にとって遅延は終わった。それはお前が自分のヴィジョンと召命をわたしの手に委ねたからだ。お前はヴィジョンに死んだ。自分の力で成し遂げようとすることをやめた。(権勢によらず、力によらず、、、)どうやったら成長するかを分析したり、成長のために何かをしたり、どのくらい成長するか計算したり、成長度を計ったりという事を一切やめることを、お前は学んだ。そして、成長させるのはわたしであることをあなたははっきりと理解したのだ。(Iコリント3:6-7)」

「お前がわたしを待ち望み、わたしが働くのを許してくれた故に、わたしはお前のヴィジョンをよみがえらせる。お前が自分のヴィジョンからではなく、わたしとの交わりの関係から喜びを見出した故に(詩篇35:9)、わたしはお前のヴィジョンを今まさによみがえらせようとしている。『私は自分のミニストリーよりも主をもっと愛している』という素晴らしい真理が人々の霊の中で鳴り響くようになり、それによって主の軍隊が今まさに興されようとしている。

「よみがえりの備えをせよ。自分のヴィジョンからではなくわたしから力を得ることをお前は学んだ。ヴィジョンではなくわたしに焦点をあてることをお前は学んだ。それこそがお前の光であり(ヨハネ8:12)、お前に道を示す。(IIペテロ1:19) お前に聞こえる物音は、大きな収穫を刈り取るのを今まで妨げていたすべての障害物を、わたしが横に押しのけている音だ。(ヨハネ4:35-36) お前が動かせないと思っていたものも、わたしは取り除く。(マルコ9:23) 今まで偶像になってしまっていたミニストリーのヴィジョンは、今やお前の道具となった。元気を出して、上を見上げ、立ち上がる備えをせよ。今お前は約束の地に入ろうとしているのだから。」

「この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。」ハバクク2:3(口語訳) 〈終わり〉


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by walkwithgod | 2007-08-25 16:29 | アメリカからのメッセージ
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