これからの時に備える
リック・ジョイナー 最も(霊的に)高度なクリスチャン生活を送るためには、聖書の深い理解が必要であると共に、深いデボーション(主の御声を聞きもっと深く主を知る)がそれに伴っていなければなりません。私たちが今年学ぼうと決意したことはこの二つのことであり、この二つを達成できたならば2010年は非常に成功したといえるでしょう。 以前にも述べたように、書かれた神の御言葉と神から直接受けるメッセージや啓示との間には矛盾は決してないことを私たちは知っております。 神は偽りのない方であり、又、変ることがない方であると聖書は私たちに告げています。ですから書かれた神の御言葉(聖書)は、すべての預言を正しく判断するための基盤として私たちが信頼すべきものです。神からの預言やメッセージは決して聖書に書かれていることと矛盾はしないはずなのです。 西洋的な考え方は縦の論理を基本にしています。そして、それはしばしば私たちがすべての事に関して原則を作るように強く働きかけます。時にはそれは良いことであり有益ですが、しかし時にはそれがつまずきとなり私たちを 真理から遠ざけてしまうことがあります。勿論、基本的な原則の中には、 私たちが健全な聖書の信仰の道をはずさないように助け、また、私たちが聞いたものが 主の御声か、そうではないかを見分ける能力を与えてくれるものがあります。これに関してはまた詳しく述べたいと思いますが、真理を知り、神の御声を知るために一番大切なこととはそれらの原則(を知り、追うこと)ではないことも私たちは知るべきだと思います。(何故なら)真理とは「人、あるお方」であり、単に事実・真実ではないからです。 ちょっと考えてみてください。私がある人の声について説明したら、あなたはそれがどのようなものかを確実に知ることができますか? 例えば、私の妻の声がどんな声かを言葉で表現するには、何か誰にでも当てはまるような一般的な表現を使うしかないのですが、たとえそうして説明したとしてもとても難しいことであると思います。妻の声を聞いたことのない人が、私の説明する表現だけで彼女の声が分かってしまうことはとても考えられません。しかし大勢の人が話している中に妻がいたとしたら、私は彼女の声を直ぐに聞き分けられます。どのようにして? それは私が彼女とずっと長く暮らして来たからです。それと同じように、私たちが主の御声を本当に知る唯一の方法は主と共に時を過ごすことなのです。 他人を認識する方法は実のところ二つしかありません。顔か声です。特別変った特徴があれば別ですが、 ただ手や足を見るだけであなたが認識できる人が何人いますか? そうです、私たちは人を顔か声で認識するのです。ですから、聖書の御言葉は私たちが主の御顔を探し求め、主の御声を知ることを強く勧めているのです。 私は聖書を何度も読み、主がどのように人に話されたかを深く研究しました。しかし、私が主の御声を知ったのはその研究によるのではありません。私が神の声を認識するのは、 妻の声を聞き分ける時のように耳に聞こえる声のトーンによるのではなく、霊的なトーンによってですが、神の声は宇宙の中でユニークな霊的トーンを持っています。聖書が教えているように、宇宙には多くの声があり、それぞれがユニークです。それではどうやって主の御声を聞き分けることができるのでしょうか? それは主を知ることによってです。 勿論、主はご自分の声を他のものたちが決して真似ることができないような特出したものにすることはお出来になります。そうすれば私たちは主の御声を他のものの中からいつも認識できるわけですが、主は私たちのためにそうなさいませんでした。主の御声の霊的トーンを知るためには、私たちは主の御こころと御思いを知らねばなりません。主ご自身を(個人的に)知らねばならないのです。これは私たちが主を求め主との交わりが深まることによって知ることができるものです。真の弟子ではない人たち、つまり真に主を求めていない人たちは、主の御声を聞き分けることができません。 これが 「小(子供の)羊(lambs)は羊飼いの声を知っている」ではなく「(おとなの)羊(sheep)は羊飼いの声を知っている」と主が言われた理由です。子羊は自分で主の御声を十分に知り、他の声と区別が出来るようになるまでは、自分よりもっと成長している羊の後に付いて行く必要があるのです。 私は昔、ある人が中東地方の丘に座っていた時の話を読んだことがあります。彼は三人の羊飼いが水飲み場に、それぞれ自分の羊の群れを連れて違う方向からやって来るのを見ました。彼は羊の群れが同時に水を飲めば、みんな混じってしまって羊飼いたちはそれぞれの群れを区別することが出来ないだろうと思いました。思ったとおり、羊たちは水飲み場につくと混じりあい、どの群れに属するものかわからなくなってしまいました。 しかし、羊飼いたちは少しも心配する様子もなく、互いに話しをしていました。羊がみんな水を飲み終わると、羊飼いたちはそれぞれの道を進み始め、歩きながら歌を歌い始めました。沢山の羊の中で大混乱が起こりましたが、小さな羊の流れがそれぞれの羊飼いの後ろに付き始め、やがてすべての羊はそれぞれの群れに分かれていきました。すべての羊は羊飼いの声を知っていて他の声と区別ができたのです。どうしてでしょうか? それは羊たちは自分の羊飼いとずっと過ごしていて、彼が歌う声を聞いて きたからです。私たちも主の御声をこのように知り、この世にある他のすべての声と区別できねばならないのです。主と共にいることに代われることは何もありません。 今年のデポーションは、私たちの根をもっと深く聖書の中におろすことであり、主の真理を深く愛して求め続けることです。また、主にもっと近づくことによって主の御声を知ることを追い求めることです。私たちがこのことにずっと集中して求め続けるならば、この2010年は私たちの人生の中でもっとも重要な年の一つとなることでしょう。これからの時は、私たちが真の弟子として、こうした基本的な訓練をどれほど真剣に追い求めて来たかどうかに掛かっていると言って差し支えないでしょう。(終わり) トップへ戻る
by walkwithgod
| 2010-01-26 11:53
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